▼まとめて産婦人科というが、産科と婦人科の空気はかなり違うらしい。祝福と闘病、病院によっては二つが同居する。禅僧から医師になった対本宗訓(つしもと・そうくん)さんが、臨床実習での体感を近著に記している。「まさに生老病死が混在して、双方とまどいもあるのではないかと傍目(はため)に思うことがある」(『僧医として生きる』春秋社)
虽说并称为妇产科,但产科和妇科的氛围却大不同。祝福与抗病,在某些医院将二者合而为一。由禅宗和尚变身为医生的对本宗训先生,在其近作中描绘了临床实习时的体会感想。“从旁观者的角度来看,将生老病死混杂在一起,对于双方来说是不是都会感到困扰呢?”(《作为僧医而活》春秋社)
▼同じ苦しみでも、お産は「生」の営みだ。ところが産科医不足のために、痛くもうれしいその瞬間が昔とは別の意味で「命がけ」になりつつある。大東京の真ん中でも、と嘆息する
虽说(两者)一样要经历痛楚,但产科说营造的是“新生”。然而,因妇产科医生人手不足,痛并快乐着的这个瞬间却和以往有所不同,渐渐地有了一种“性命攸关”的意味。感叹于在大都市东京的中心地区也(会发生这样的事情)。
▼脳内出血の妊婦(36)が八つの病院に受け入れを拒まれ、亡くなった。最初に断った都立病院は、妊婦に緊急対応できる施設に指定されている。なのに産科医は定員に満たず、週末の当直は1人態勢だった
颅内出血的孕妇(36岁)连续被8家医院拒绝接诊,不幸死亡。最初拒绝接收孕妇的都立医院,是被认定为能够对孕妇作出紧急对应措施的医疗机构。可惜即便如此,(都立医院的)妇产科医生人手不足,周末值班医生就只有1个人而已。
▼満床などを理由に拒否した他院も有名どころだ。首都の夜、女性を守るべき駆け込み寺が、豪壮な門を閉ざして並ぶ図が浮かぶ。寺の担い手が足りなくては話にならない。医学生が産科を敬遠するのは、きつい勤務と訴訟リスクゆえと聞く。ストレスの中では祝福も色あせよう
以没有空床位之类为由拒绝接受(孕妇的)其他医院也都是有名的医院。这不禁让人联想起这样一副场景,在都城的夜色中,本应是保护女性的收容寺院,一个个将其雄伟的大门关闭。(辩解说)寺院中的人手不足这样的托词是说不过去的。医学院学生对产科敬而远之,据说是因为工作辛苦且诉讼危险性高的缘故。在这样的紧张状态下,祝福也渐渐腿色了。
▼僧医の対本さんは「僧侶は広く『いのち』を説き、医師は個々の『命』を扱う。どの生命も大きないのち、つまり縦横無尽のネットワークの中で生かされているのです」と語る。「いのち」が表す支え合いの輪が、いま危ない
僧医对本先生说:“僧侣宣扬的是广义上的‘生命’,而医生处理的是一个个(具体)的‘性命’。无论谁的生命都是至关重要,也就是说大家都活在这纵横交错的网络中。”象征“生命”相互支撑的轮盘现在已经岌岌可危了。
▼無事だという赤ちゃんは後年、生を賭した母に何を思うのか。小さな命を送り出し、一つの命が消えた。どちらの命も、救急医療体制の存在理由、いのちを問うている。
平安降生的婴儿长达以后,会对赌上自己性命的母亲如何感想呢?带来了一个小生命的同时另一条生命却消失了。任何一条生命都要去质问,紧急医疗体制存在的理由以及其价值。
[ 本帖最后由 新米 于 2008-10-24 14:21 编辑 ] |