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一、古文を解く鍵
1、古文はどのように書かれているか
古文が、わかりにくいなあ、と感じられるとしたら、それは第一に、古文の中には、語句の一部を省略することがあるからではないか、と思います。
現代文でも、
「きみ、行く?」
「わたし、それ、知らないわ。」
と簡略な言い方をすることがよくあり、それと同じことなのですが、古文のなかで簡略な言い回しをされると、われわれにはすぐに文の意味をとることができなくて、困ったりするのです。
「きみ[U]は[/U]、行く[U]のか[/U]?」
「わたし[U]は[/U]、それ[U]を[/U]、知らないわ。」
といえば、はっきりした言い方です。それを簡略な言い方にすると、それだけ親しみのこもった、くだけた表現になります。古文も同じです。古文は親しみをこめて、読者に語りかけるようにしてかかれています。それがときに語句の一部を省略したりする原因になります。
簡単な語句の省略の問題からはいってゆくのですが、その前に、古文の表記のことに、ちょっとだけ、ふれておきましょう。古文の生きた実例を味わいながら学習してほしいので、やや長めのようですが、例文をかげることにします。
『土佐日記』の一節です。これを読んでみましょう。
あるひと、あがたのよとせいつとせはてて、れいのことどもみなしをへて、げゆなどとりて、すむたちよりいでて、ふねにのるべきところへわたる。かれこれ、しるしらぬ、おくりす。 (『土佐日記』発端)
ひらがなばかりでかかれていて、読み取るのがめんどうですか。この『土佐日記』は、きわめて珍しいことなのですが、これを書いた紀貫之というひとが、どんな字を使って書いたか、どのような仮名遣いを用いたかということまでほぼわかっていて、それによるとほとんどがかな書きから成っている右のような表記でした。(もっとも、古文のかかれた時代には、ひらがな表記の場合、濁点も句読点もありませんでした。だから右の例文から濁点と句読点とを取り除くと、紀貫之の書いた原文にもっと近づきます。試して御覧なさい。)
つづく |
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