……いったんシャッターを押してしまうと、目の前の佳景をしっかりと観賞し、記憶に留め置くという作用がどうしても甘くなる。……。カメラがないとなると、観賞法そのものもおのずと厳しくなる。余計なことを考えずに済むから、心ゆくまで賞味することができる。
しかも、これから先に述べることは自分でもはっきりと断定できない微妙な心の作用なのだが、カメラがなければまのあたりに見たことをハーフ•メードの形で文章化しておくという仕事も、無意識のうちでやってしまうようだ。……。
こんな作用 は一般の人々にはあまり必要なことではあるまいか、旅先で写真を撮ることにばかり夢中になっている人を見ると、「あんなことで風物をよく観賞することができるのだろうか」と、不思議に思わないでもない。
(阿刀田高「左巻きの時計」)
問:こんな作用とはどのようなことか。
1. 風景をある程度文章にして記憶すること。
2. 風景を深く観賞し、記憶にとめること
3. 風景をテーマに小説やエッセイを書くこと
4. 風景の写真を撮ることに疑問を感じること
死体ははたしてだれのものか。
むろん常識的には、死体は遺族のものである。
しかし、ちょっとご想像いただくとわかるはずだが、遺族というのは、しばしば単数ではない。遺産相続のばあいなら、子供にはずべて、平等の権利があるはずである。「ヴェニス商人」ではないが、それなら肉何ポンド分の権利が、それぞれの子供にあるか。 そんな議論は 、聞いたこともない。
(養老孟司「死体の市民権」)
問:「そんな議論」とは、何についての議論か
1. 死体を分けること
2. 子供を分けること
3. 遺族を分けること
4. 家族を分けること
山岳部員の大学生が休みに、部長に一応登山届けを出した上で、普通なら初心者でも比較的楽に登れる山に単独登山し、運悪く遭難してしまったような場合に、息子の遭難の責任は単独登山を許可した側にあるとして学校と山岳部長が両親に訴えられ、巨額の賠償を求められるケースもないわけではないと聞いてはいた。しかし、訴訟会社のアメリカやヨーロッパならいざ知らず、この日本ではそんな不運なケースはめったにはあるまいと思っていた。各種の会社活動で、リーダーや世話役が絶えずそんな裁判の被告人になる不安の中で毎日を過ごさねばならないとしたら、善意のボランティアはいなくなっていまうではないか。ああ、それなので、後輩や先生の頼みを断り切れず、忙しい時間を割いて母校陸上部のコーチをしてきたこの私自身が こうしたケース に遭って苦労することになろうとは……。
* いざ知らず:わからないが
問:「こうしたケース」とはどんな場合か
1. 普通は考えられないようなことで、運悪く事故に遭ってしまった場合\
2. 訴訟会社であるアメリカなどで事故が起こった場合
3. 事故の責任者として訴えられた場合
4. 善意のボランティアがいなくなってしまった場合 |