第三話....放課後、二人で(後編)
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ある晴れた日、シンジは当番に当たっていた。
相方は、綾波。
シンジは、思う。
女の子と二人きりというのは、いつもドキドキする。
女の子で緊張しないですむのはアスカだけだ。
洞木さんですら、アスカやトウジ、ケンスケ達と連れだって遊びにいったりするのに、面と向かうと緊張する。
心の行き場の無い感じ。
ましてや、今日は綾波と一緒。
言葉も、視線も、やり場がない。
しかも、今日はアスカは洞木さんと、どっかに行ってしまっているし。
レイは、教室に誰もいなくなるまで席に座って、窓の外を見ていた。
シンジが緊張しながら声をかけるまで、そうしていた。
「綾波、当番の仕事始めるよ。」
そこで、初めてシンジの方を向く。
いつも通り、表情の無い顔。
「じゃあ、澶坞j布がけから始めようか。」
「ええ」ただうなずくレイ。
バケツに水を汲みに、廊下の外れの水道まで行く。
バケツに水を汲んで、それを撙证韦膝伐螗浮
レイは斜め後ろに付き添って歩いている。
もちろん、二人とも、無言。
話すにも、話すべきことがない。
バケツは教室の前隅に置かれる。
二人は、ねずみ色の雑布を、水に浸し、絞る。
この時、シンジはようやく、綾波の姿をはっきりと見た。
それが出来たのは、綾波が、雑布から滴るみずがバケツの水の面を乱すのを、見つめていたからだ。
普段は、アスカの目が気になって、或は積極的妨害によってよく見ることの出来ない、綾波の姿は、
肌がとても白い。
アスカの肌も白いが、それは人の肌として,みんなと比べて白いということである。
綾波の白さは違う。
まるで、色が抜け落ちたような白。
聞く所によると、彼女はアルビノらしい。
いわゆる、白子。
髪が青いのも、目が赤いのもそのせいだ。
アルビノは虚弱体質を生みやすいと聞いた。
だからだろうか、体が、首も手足もとても細い。
アスカも細い(シンジにとって、女の子をみるの基準はいつもアスカだ)。
けれど、アスカは若枝のようにしなやかな感じがする。
綾波は、精巧なガラス細工のよう。
掴んだら、壊れてしまいそう。
そんな綾波が、その細い手で、しなやかな指で、ドブネズミ色の雑布を絞っている。
白い、きれいな指の間から濁った水が滴り落ちる。
それには、何か、アンバランスなものがある。
なのに、その絞り方は、意外な事に、とても様になっている。
幼い時に母を亡くしているシンジにとって、それは印象でしかなかったが、
『お母さん』という感じが、綾波の絞り方にはある。
レイは、顔に何か当たっていると感じた。冷たいものじゃない。だから、跳ねた水滴ではない。何か、温かいもの。レイは、シンジの視線に気付いた。
どうして、私をみてるの?
なに?
私、何かおかしなことしているのかしら?
なんなの?
分からない。
分からないから心を閉ざす。
無表情な顔は、心を守る鎧。
でも、シンジの視線は、レイの心に入り込んで来る。
好奇の目でもなく、
何か避けているような、
あるいは、
目を合わせたくないけど仕方無しにみてるような、
そんな今までレイが受けてきた、
彼女を脅えさせるような視線とは違ったから。
シンジの視線は、何か、温かい、憧れるような視線。
それはレイの心を温める。
レイの体温が上がる。
白磁の肌が赤く染まる。
シンジは、綾波の頬が赤く染まったのを見た。
自分の視線に、彼女が気付いたことを悟った。
初めて見る綾波の感情のかけらに動揺する。
シンジの顔も赤くなる。
「じ、じゃあ、まず前の澶槭盲长Δ!筡
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二人は、黙々と作業をこなす。
お互いに気まずい。
必要最低限しか喋らない。
澶蚴盲⒙窑欷炕騺Kびかえる。
ゴミの袋を持って、中庭の焼却炉に向かう。
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今、レイの頭の中には、一つの疑問がある。
隣を歩いている少年に訊いてみたいことがある。
それが、頭の中で、どんどん重みを増してゆく。
焼却炉にゴミを放り込んだ時、レイはその重みに耐え切れなくなった。
レイは、シンジの顔をまっすぐ見る。
また赤くなるシンジ。
シンジが眼をそらせるまえに、レイは訊いた。
「どうして、私の方見てたの?」
「えっ」
どうしてって..
綾波のほうから話しかけてくるとは思わなかったシンジ。
動揺して、頭が廻らなくなる。
言い訳を思い付かない。
だから、思ったことを正直に告げる。
「あの、綾波の雑布の絞り方、」
え、雑布の絞り方?
何かおかしな絞り方してたかしら。
予想外の言葉に、レイは緊張する。
表情は、さらに冷たくなり感情を許さない。
「なんか、上手だね。『おかあさん』て感じだった。」
おかあさん。
その言葉を口にした時、シンジの顔から照れが消えて、憧れに似た感情が浮かぶ。
お母さん..私、お母さんの事、よく分からない。
ずっと一人だったから。
でも、嬉しい。
よく分からないけど、多分これは嬉しいことだと思う。
嬉しくてもいいことだと思う。
碇君の顔を見てると、そう思う。
見れば、レイの冷たい無表情が、融けてゆく。
表情が柔らかくなってくる。
唇は、いますぐにも微笑みを浮かべんばかりで、
ほおは茜色に染まる。
それを見て、シンジは必死で、言葉を継ぎ足そうと考える。
会話が途切れないように、表情がまた凍り付かないように。
「綾波って、結婚したら、いい奥さんになれそうだね。」
結婚。好きな人と一緒になること。
ずっと一緒でいられるぐらい、好きになるということ。
それは、分かり合って、求めあうということ。
私を分かってくれる人って誰?
碇君?
あなた、私のこと、分かってくれる?
それで、ヒトでないような私の心を知って、
それでも求めてくれる?
..いいえ、やっぱり、それはないと思う。
誰も、分かってくれるはずがない。
分かったとしても、求めてくれるはずがない。
だから、今までずっと、私は一人きりだった。
思考がめぐり、
レイは悲しい気持ちになってしまった。
冷たい思いが、また表情を凍てつかせる。
それを見て、シンジは慌てる。
「あ..何か悪い事言ったかな、ゴメン」
レイは、目の前の少年を見る。
とても慌てている。
謝っている。
そうさせたのは、私。
なんだか、とても悪い事した気がする。
「いいえ、あなたは何も悪い事、言ってない。」
「でも..」
君は、また感情のない、冷たい表情をしてる。
「なに?」
「とにかく、ゴメン。」
また謝ってる。
彼を悲しくさせてしまった。
私は、悪い子だ。
心が、醜い。
でも、どうしたらいいんだろう。
どうして、彼は謝っているんだろう。
分からないから、レイは、心の殻にひきこもる。
それは、無表情な顔。
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その後、シンジとレイは、黙々と残りの作業を続けた。
とても、気まずい。
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シンジは、レイの顔を見る。
冷たく何も寄せつけない無表情な顔。
そして思い出す。
さっき見ていた顔を。
可愛らしい女の子の、照れているような顔。
とても、不思議だ。
惹かれる。
気になる。
どうしても、気になる。
もう一度、見てみたい。
その思いは、少年の声になる。
だから、
「どうして、いつもそんな顔してるの?」
「えっ」
そんな顔って、
「もっと笑えばいいのに、さっきみたいに」
笑う?
私、笑ってた?
いつ?
恥ずかしい。
「そしたら、もっと可愛いのに」
シンジは、もちろんこんな台詞を言える性格ではない。
むしろ、人一倍、言えない性格だ。
でも、この時は、綾波の笑顔への欲求の方が、強かった。
だから、言った。
「そうしたら、もっと可愛いのに。」
可愛い?私が?笑うと?
レイは,少年の言葉を考える。
彼は私に、笑って欲しいらしい。
シンジの目を見て、考える。
そして、信じる。少年の、找猡颉
それに、さっき、嫌な思いをさせた、その償いに。
人が笑っているところを、思い出しながら、おずおずと
微笑んでみた
シンジは見た。
綾波が、笑っている。
かすかにだけど、でも、それは余りに可愛いらしく。
冷たく凍っていたものが、暖かく融けて、
張りつめたものが、消えて
とても安心できる、魅力的な笑顔だった。
そして、この方が、いつもの造られたような無表情より自然だと思える。
だから,シンジも微笑んだ。
笑うことが出来た。二人で、互いに微笑む。
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そこに、アスカが入ってきた。
息を切らせて。
そして見たのは信じがたい光景。
微笑むシンジの、前で、転校生が、笑ってる! 「あれ、アスカ、どうしたの?」
「え、あ、あの、ちょっと忘れ物しちゃって」
とりあえず誤魔化すアスカ。
自分の机までゆくと、中に手をつっっこんで、探し物をするふりをする。
そうしながら、転校生の顔を盗み見る。
いつもの通りの無表情な顔。
でも、さっき見たのは、錯覚じゃない。
あいつ、確かに笑ってた!
「アスカ、探し物見つかった?何かひどく慌ててたけど」
シンジがアスカの手元を覗きこもうとする。
「え、あっ、あったわ」
何も持っていない手をシンジに隠しながらアスカは言う。
「ほら、家の鍵忘れちゃってさ、あれがないと夜中まで家に入れないもんね。それよりシンジっ、当番の仕事は?」
「ああ、あとは日誌つけるだけだよ」
「じゃあ、さっさと書いちゃお」
アスカは日誌を教卓の上から取ると、自分でつけ始めた。
「ア、アスカ..」
「どうせこんなの、いつもおんなじ事しか書かないんだから、誰が書いたって一緒よ。それよりさあ、新しく出来たアイスクリームの店ね、とってもおいしいの。帰りによっていこ!」
「アスカ、行ってきたんじゃないの?」
「まだ食べ残してるのがあるのよ。」
「そんなに食べると太っちゃうよ。」
「失礼ね!私は食べても太らないの!」
「まあ、いいけど..」
アスカは日誌を書き終えると、教卓の上に放り投げた。
「じゃあ、行こう。」
アスカはシンジの手を掴んで、教室を出ようとする。
なるべく早く、転校生からシンジを引き離さなくてはならない。
「アスカ、カバン持ってないよ。」
「あれ」
カバンを取りに行ったシンジの目に、綾波が映る。
綾波は、無表情に、所在無く立っている。
「綾波も一緒に来る?」
瞬間、アスカはとても嫌そうな顔をする。
なにか、転校生を断る 理由を考える。
でも、何も思い付かない。
どうしよう?
「私、いい」
綾波は、そう告げる。
「あらそう残念ね、じゃ、行くわよシンジ」
アスカは、シンジの服を引っ張りながら、もう教室を出かかっている。
シンジは,一人残される綾波を見る。
その白い顔はただ無表情で、微笑みのひとかけらもない。
「じゃあ、これで当番の仕事は終わりだから。帰り道には気をつけてね、また明日」
手をふるシンジ。
でも、綾波は何も返さない。
後髪ひかれる思いで、シンジは教室を出た。
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シンジ達が賑やかに教室から出ていった。
レイはまた一人になった。
レイはアスカのことを考える。
赤い髪した女の子。
惣流さん。
とてもきれいだった。
碇君と、とても仲良さそうだった。
それで、とても私のこと嫌がってた。
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「なんでそんなに急いでるんだよ、アスカ」
アスカはシンジの袖を引っ張ったまま、学校の門を出ていた。
そこで、はじめて袖をはなす。
そして、シンジに質問する。
「ねえ、転校生と何話してたの」
「ああ。綾波って、いつも笑わないから、だから、笑ってみたら、って言っただけなんだけど。」
「あの子が転校してきてから結構経ったけど、笑ったの、初めてみたわ。ホントに、話した事って、それだけ?」
「うん。」
「ふーん。シンジって、あの子に気に入られてるんじゃない?」
快活そうにアスカは言う。
「そんなことないと思うんだけど..」
しかし、そこでシンジは、不覚にも照れてしまう。
みるみる不機嫌になるアスカ。
「あの子に気にいられて、そんなにうれしい、シンジ?」
一見朗らかそうで、しかし怒りが护盲垦匀~。
その怒りは、鈍感なシンジの心にも伝わった。
見れば、アスカのこめかみに血管が浮きだしている。
いつもなら、ここでシンジは大慌てする。
そして、なんとかして、アスカをなだめようとする。
(そして、大抵失敗する。)
しかし、今日は違った。
何故か、静かな気持ちでアスカの顔が見れた。
そして思う。
アスカも、起こった顔も可愛いけど、やっぱり笑顔の方がいい。
だから、言う。
「アスカも、笑った方が可愛いと思うよ。」
えっ。
今、なんていったの。
可愛いって?
シンジが、私に?
アスカの顔が赤くなってゆく。
西の空の太陽のように。 予想も出来なかった、シンジの言葉。
いつも言われてみたいと思ってた言葉。
でも、引っかかるものがある。
でも、なんで、どうして、今なの。
それに、アスカ、も、ってどういうこと?
嬉しい。
たしかに嬉しいんだけど。
素直に喜べない感じ。
でも,いいや。今は、素直に..
「どうしたの、アスカ?」
うつむいたアスカにシンジが声をかける。
「ううん、なんでもなぁい。」
そういって、少女は顔を上げる。
少年の望んだ、笑顔で。
そして
「こんな可愛い女の子の笑顔が見られたのよ、シンジ、今日はおごってね。」 --------------------------------------------------------------------------------
レイは、一人で帰り道をあるいていた。
家は、この商店街をぬけた、街のはずれ。
ショーウインドウには、夕日に照らされた自分が映っている。
醜いと思ってた自分の姿が。
私、可愛いかな?
ガラスに向かって、笑って見ようとする。
そのとき、向こう側にいた店員と目があう。
そそくさと立ち退くレイ。
可愛いということ。
可愛いものは、見て快い。
嫌がられない。
しばらく考えていたレイは、やがて決心した。
数軒先の、女の子向けの店に入ってゆく。
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