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鲁迅-故郷!

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发表于 2003-12-3 23:00:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
故郷

 厳しい寒さの中を、二千里のはてから、別れて二十年あまりになる故郷へ、私は帰っていった。

 もう真冬の候であった。その上、故郷へ近付くにつれて、空模様はあやしくなり、冷たい風がヒューヒュー音を立てて、船の中まで吹き込んできた。篷の隙間から外を覗うと、どんよりした空の下に、わびしい村々が、いささかの活気もなく、あちこちに横たわっていた。心中おぼえず寂寥の感がこみ上げてくるのだった。

 嗚呼、これが二十年来、片時も忘れることのなかった故郷であろうか。私の覚えている故郷は、まるでこんな風ではなかった。私の故郷は、もっとずっと良かった。その美しさを思い浮かべ、その長所を言葉にあらわしてみようとすると、しかし、その影はかき消され、言葉は失われてしまう。やはりこんな風であったかもしれないという気がしてくる。そこで、私は、こう言って自分を慰めた。もともと故郷はこんな風なのだ……進歩もないかわりには、私が感ずるような寂寥もありはしない。そう感ずるのは、私自身の心境が変わっただけだ。何故なら、今度の私の帰郷は、楽しい心を抱いてきたわけではないのだから。

 今度は、故郷に別れを告げるために来たのである。私達が長年一族して住んでいた古い家は、今はもう相談の上で人手に渡ってしまった。明け渡しの期限は、今年いっぱいである。ぜひとも旧暦の元日にならぬ前に、住みなれた古い家に別れ、馴染み深い故郷を後にして、私が今暮らしを立てている異郷の地へ引っ越してしまわなければならないのである。

 次の日の朝はやく、私は、我が家の門に立った。屋根瓦には、一面に枯草のやれ茎が、おりからの風になびいて、この古い家が持ち主を変えるのやむなきに至った原因を説き明かし顔である。一緒に住んでいた親戚たちは、もう引っ越してしまった後らしく、ひっそり閑としている。私が自分の住む一角の入り口へ来かかったときには、母はもう、迎えに出ていた。続いて、八歳になる甥の宏児(ほんる)も飛び出してきた。

 母は、機嫌がよかった。しかし、さすがにやるせない表情は隠しきれなかった。私を座らせ、休ませ、茶をついでくれなどして、しばらくは引越しの話にふれない。宏児は、私とは初対面なので、遠くの隅から、じっと私の方を見つめているだけであった。

 とうとう、私たちは、引越しの話にまで来てしまった。私は、あちらの家はもう借りてあること、家具も少しは買ったこと、なお家にある家具類をみんな売り払って、更に買い足せばいいこと、などを話した。母もそれに賛成した。そして、荷造りもざっと済んでいること、荷厄介の家具などは少し処分したが、いくらも金にならなかったことなどを話した。

「一、二日休んだら、親戚廻りをしてね、その上で、発つことにしよう」

と母は言った。

「ええ」

「それから、閏土(るんとう)ね。あれが、いつも家へ来るたびに、お前の噂をしては、頻(しき)りに会いたがっていましたよ。お前が着くおよその日取りは知らせておいたから、今に来るかもしれない」

 このとき、私の脳裏には、急に不思議な画面が繰り広げられた。紺碧の空に、一輪の金色の丸い月がかかっている。その下は海岸の砂地で、見渡す限り、緑の西瓜が植わっている。そのあいだに、十一、二歳の一人の少年が立っていて、首に銀の首輪をつるし、手に鉄の刺叉を構えて、一匹の「チャー」めがけて、やっと突く。すると「チャー」は、ひらりと見をかわして、彼の股をくぐって逃げてしまう。

 この少年が閏土である。彼と知り合ったときには、私もまだ十そこそこの年頃であった。もう三十年近い昔のことである。その頃は、まだ父も生きていたし、家の暮らし向きも楽で、私は坊ちゃんでいられた。ちょうど、その年は、我が家が大祭の当番に当たっていた。この祭の当番というのが、三十何年にただ一回順番が廻ってくるとかで、ごく大切な行事であった。正月に、祖先の像を祭るのである。さまざまの供物をささげ、祭器もよく吟味するし、参詣の人も多かったので、祭器を取られぬように番をする必要があった。私の家には「忙月(まんゆえ)」は一人きりである。(私の郷里では、雇い人は三種類に分かれている。一年中決まった家で働くものは「長年(ちゃんねん)」と呼ぶ。日決めで働くものを「短工(とぁんくん)」と呼ぶ。自分で工作するかたわら、年末や節季や年貢集めのときなどに、決まった家へ来て働くものを「忙月(まんゆえ)」と呼んでいる。)一人では手が足りぬので、彼は、自分の息子の閏土を呼んで祭器の番をさせたい、と私の父に申し出た。

 父はそれを許した。私も嬉しかった。というのは、私は、かねて閏土という名は、耳にしていたから。同じくらいな年頃だということ、閏月の生まれで、五行の土が欠けているので、父親が閏土と名づけたということも、承知していた。彼は、罠を仕掛けて小鳥を取るのが上手かった。

 それからというものは、私は、毎日毎日、新年の来るのが待ち遠しかった。新年になれば、閏土が来るのである。待ちに待った年末になり、ある日のこと、母が私に、閏土が来たと知らせてくれた。私は飛んで出てみた。彼はちょうど、台所にいた。紫がかった丸いかおをして、頭には小さな毛の帽子をかぶり、首にはキラキラ光る銀の首輪をしていた。それは、父親がどんなに彼を大切にしているかを示すものであった。息子が死なないように、神仏に願を掛けて、その首輪で彼を封じとめてあるのだ。彼は人見知りをしたが、私にだけは馴れて、他に人がいないときには私と口をきいた。半日たたぬうちに、私たちは仲良くなった。

 そのとき何をしゃべったか、覚えていないが、閏土が、城内へ来て色々珍しいものを見たと言って、はしゃいでいたことだけは記憶に残っている。



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 楼主| 发表于 2003-12-3 23:00:00 | 显示全部楼层
次の日、私は彼に鳥を取ってくれといった。すると、彼のいうには、

「ダメだよ。大雪が降った後でなければ駄目なんだ。おいらの方の砂地では、雪が降ると、雪をかいて、少し空き地をこしらえるんだ。それから、大きな护虺证盲皮啤⒍踏ぐ簸扦膜盲ò簸颏盲啤⑿蓟u(くずもみ)をまくんだ。そうすると、小鳥が来て食うから、そのとき遠くの方から、棒に結わえてある縄を引っ張るんだ。そうすると、みんな护沃肖巳毪盲皮筏蓼Δ螭馈:韦坤盲皮い毪肌7R鶏だの、角鶏だの、鳩だの、藍背だの……」

 私は、それからは雪が降るのが待ち遠しくなった。閏土はまたいうのだ。

「今は寒くて駄目だが、夏になったら、おいらのところへ来るといいや。おいらは昼の内は海岸へ貝拾いに行くんだ。赤いのもあるし、青いのもあるし、『鬼おそれ』もあるし、『観音様の手』もあるよ。晩には父ちゃんと一緒に西瓜の番をしに行くのさ。お前も行くかい」

「泥棒の番をするの?」

「そうじゃない。通り掛かりの人が、喉が渇いて、西瓜を取って食ったって、そんなのは、おいらの方じゃ、泥棒なんて思いやしない。晩をするのは、穴熊や、はりねずみや、チャーさ。月の晩に、いいかい、カサ、カサって音がしたら、チャーが西瓜を食っているんだ。そうしたら刺叉を小脇に抱えて、忍び足に近寄って……」

 私はそのとき、その「チャー」というのが、どんなものか見当もつかなかった……今でも見当はつかない……が、ただなんとなく、小犬のような、そして獰猛な動物だという感じがしていた。

「食いつかないかい?」

「刺叉があるじゃないか。忍び寄って、チャーを見つけたら突くのさ。あん畜生、とても利口だから、こっちへ向かってくるよ。そうして、股をくぐって逃げてしまうよ。何しろ、毛が油みたいに滑っこいんだからなぁ……」

 天下にかくも多くの珍しいことがあろうとは、私は、今の今まで思ったこともなかった。海辺には、そのような五色の貝殻があるものなのか。西瓜には、こんな危険な経歴があるものなのか。私は今まで、西瓜と言えば、水菓子屋に売っているものとばかり思っていた。

「おいらの方の砂地では、潮がさしてくると『跳ね魚』がいっぱい跳ねるよ。みんな蛙みたいに足が二本あってさ……」

 嗚呼、閏土の胸の内には、汲めども尽きぬ不思議が満ちている。それは、私の遊び仲間の見も知らぬ事ばかりだ。彼らは何一つ知ってはいない。閏土が海辺にいるとき、彼らは、私と同様、中庭の中の高い塀に囲まれた四角な空だけを眺めているのだ。

 惜しくも正月は過ぎて、閏土は家へ帰らねばならなくなった。私は、辛くて、声をあげて泣いた。閏土も台所の隅に隠れて、泣いていやがっていたが、とうとう父親につれてゆかれた。そののち、彼は父親に託して、貝殻一包みと、美しい鳥の羽を何本か届けてくれた。私も、一、二度何か送ってやったが、それきり、顔を合わす機会はなかった。

 今、母が彼の事を口にしたとき、私には、この子供の頃の想い出が、たちまち電光のように、一つ一つ甦って来て、私は、初めて故郷の美しい姿に接した思いがした。言下に私は、こういって答えた。

「そりゃいいですね。それで……今、どんな風? ……」

「どんな風って……やっぱり、よくないようだが……」

 そう言ってから、母は、部屋の外へ目をやって、

「あの連中、また来ている。道具を買うとかいう口実で、手当たりしだいに持って行くのさ。私は行って見てくるからね」

 母は立ちあがって出て行った。外には、二、三人の女の声がしていた。私は、宏児をこちらへ呼んで、相手になってやった。字は書けるの? よそへ行くの楽しいかい? などと尋ねてみた。

「汽車に仱盲皮妞危俊筡

「汽車に仱盲皮妞韦坤琛筡

「お船は?」

「はじめに、お船に仱盲啤筡

「まあまあ、こんなになって、ひげをこんなに生やして」

 突然、異様に甲高い声が響き渡った。

 びっくりして、すぐ頭をあげてみると、頬骨の出た、唇の薄い、五十がらみの女が、私の前に立っていた。両手を腰にあてがい、スカートをはかない両足を広げて立ったところは、まるで製図器具の中の細い足のコンパスにそっくりであった。

 私は愕然となった。

「忘れたかい? よくだっこしてあげたものだが」

 ますます私は愕然となった。幸い、母も現れて、そばから、

「長いこと家にいなかったから、すっかり見忘れたろうよ。お前、覚えているだろう」

と私に向かって「筋向いの楊(やん)おばさん……豆腐屋の」

 そうそう、思い出した。そう言えば、まだ子供の頃、筋向いの豆腐屋の店には、一日中、いつも楊おばさんという人が座っていて、人々から「豆腐屋小町」と呼ばれていたっけ。しかし、その人なら、白粉を塗って、頬骨もこんなに出ていないし、唇もこんなに薄くはなかったはずだ。それに一日中座っていたのだから、こんなコンパスのような姿勢は、見ようにも見られなかったのだ。当時、人の噂では、彼女がいるために、豆腐屋は商売が繁盛するという事であった。そのくせ、年齢の関係からであろう、私は、一向にそういう感化を受けなかった。それで、すっかり見忘れてしまったのである。ところが、コンパスの方では、それが不服で、蔑むような表情を見せた。あたかも、フランス人にしてナポレオンを知らず、アメリカ人にしてワシントンを知らぬのを嘲るとでもいうように、冷笑して言うのである。

「忘れたのかい? まったく、身分のある方は目がお高いからね……」

「そんな訳じゃないよ……僕は……」

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 楼主| 发表于 2003-12-3 23:00:00 | 显示全部楼层
どぎまぎして、立ちあがって言った。

「それならね、おききなさいよ。迅(しゅん)ちゃん。あんた、金持ちになったんでしょ。持ち撙婴坤盲啤⒅丐撇槐悚扦工琛¥长螭圣楗康谰摺⒑韦摔猡胜椁胜い扦筏纭K饯摔欷皮筏蓼い胜丹い琛K饯郡霖毞θ摔摔稀⒔Y構役に立ちますからね」

「僕は金持ちじゃないよ。これを売って、その金で……」

「おやおや、まあまあ、知事様になっても金持ちじゃない。現に、三人もお妾がいて、お出ましは八人かきの轎で、それでも、金持ちじゃない。ふん、騙そうったって駄目ですよ」

 返事をしても無駄だと思ったので、私は、それなり口を閉じて、黙って立っていた。

「ああ、ああ、金がたまれば財布を閉める。財布を閉めるからまたたまる……」

 コンパスは、プンプンして背を向けると、ボソボソつぶやきながら、ゆっくり表の方へ歩いて行った。行きしなに、そこにあった母の手袋をズボンの腰へねじ込んで、行ってしまった。

 それからも、近所にいる親戚たちが、私を訪問しにやってきた。その対応に忙しい中で、私は、暇を盗んでは荷ごしらえをした。そんなことで四、五日つぶした。

 ある寒い日の午後、私は、昼飯を済ませた後で、くつろいで茶を飲んでいた。表に誰か来たような気配がしたので、振り向いてみた。その瞬間、思わずあっと驚いた。いそいで立ちあがって、迎えに出た。

 来たのは閏土であった。一目見るなり、それが閏土であることは私にはすぐ分かったが、しかし、その閏土は、私のあの記憶の中の閏土とは似もつかなかった。背丈は倍ほどになり、昔の紫がかった丸顔は、今では灰色に変わり、しかも深い皺がたたまれていた。目は、これも父親と同じように、周囲がはれぼったく赤らんでいる。私は知っている。海辺で耕作するものは、終日潮風に吹かれるせいで、こうなることが多い。頭には、毛のぼろ帽子をかぶり、身には、ごく薄手の綿入れを一枚着ただけで、体じゅう、かじかんでいる。手には紙包みを一つと、ながいキセルを下げている。その手も私の記憶にある血色のいい、丸々と太った手ではなくて、太い、節くれだった、しかもひび割れた、松の木の皮のような手である。

 私は、このとき、非常に興奮した。しかし、何と言い出したものやら、思案がつかぬままに、ただ、一言、

「ああ、閏ちゃん……よく来たね……」

 続いて、多くの言葉が、数珠のように繋がって後から後から湧き出ようとした。角鶏、跳ね魚、貝殻、チャー……だが、それらは、何物かにせき止められたような感じがした。頭の中で、ぐるぐる廻っているだけで、口から外へは飛び出してこなかった。

 彼は立ち止まった。顔に、喜びと、寂しさの表情があらわれた。唇を動かしたが、声にはならなかった。ついに、彼の態度は、仰々しいものに変わった。そして、はっきりとこう挨拶した。

「旦那様」

 私は身震いしたような気がした。私たちの間に、既に悲しむべき厚い壁が築かれたことを悟った。私は、口にする言葉を失った。

 彼は、後ろを振り向いて

「水生(しゅいしょん)、旦那様にお辞儀をしな」

と言った。そして、後ろに隠れていた子供を前へ出した。これこそ、まさしく二十年前の閏土であった。ただ、いくらか痩せて、顔色の悪いのと、首に銀の首輪をしていないだけの違いであった。

「これが五番目の子供でございます。世間へ出さぬものですから、おどおどしておりまして……」

 母と宏児が二階からおりてきた。物音を聞きつけたのであろう。

「御隠居様、お手紙は確かに頂戴いたしました。まったく、嬉しくてたまりませんでした。旦那様がお帰りになると聞きましたものですから……」

と閏土はいった。

「まぁ、何だってそんな、よそ行きの言葉を使うんだね。お前たち、昔は兄弟口をききあったものじゃないか。昔の通り、迅(しゅん)ちゃん、って言っておやりよ」

 母は、ウキウキして言った。

「めっそうな、御隠居様、何とも……とんでもないことでございます。あのころは子供でして、何のみさかいもありませんもので……」

 そう言ってから、閏土はまたも、水生を前に出して挨拶させようとしたが、子供ははにかんで彼の背中にぴったりくっついたままであった。

「これが水生? 五番目だね。知らない人ばかりだから、はにかむのも無理はないわ。宏児や、連れていって、一緒に遊んでおやり」

と母は言った。

 言われて、宏児は、水生を差し招いた。水生も元気よく、宏児にともなわれて出ていった。母は、閏土に座をすすめた。彼は、しばらくためらった末に、ようやく腰を下ろした。そして、長ギセルを卓の脇にもたせて、紙包みを取り出して言った。

「冬場は、ろくなものがございません。少しばかり、青豆の干したのですが、自分の家で作りましたものですから、持ってまいりました。どうか旦那様に……」

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 楼主| 发表于 2003-12-3 23:00:00 | 显示全部楼层
私は、彼の暮らし向きを尋ねてみた。彼は、頭を振るばかりであった。

「とてもいけません。六番目の子まで手助けできるようになりましたが、それでも追っつけません……世の中は物騒だし……どっちへ行っても金は取られ放題、決まりも何も……作柄もよくございません。作物を作って、持っていって売れば、何回も税金を取られて、元は切れるし、そうかといって売らなければ腐らせるばかりだし……」

 彼は首を振り振りした。顔には無数の皺が刻まれているが、その皺は少しも動くことなく、まるで石像のようであった。おそらく深い苦痛を感じてはいるが、それを言い出す術がないように、しばらく沈黙していて、それからキセルを取り上げて、黙々としてタバコをふかし始めた。

 母が都合を尋ねると、家に用が多いから、明日は帰らねばならぬと言う。それに、昼飯もまだ済ませていないと言うので、自分で台所へ行って、飯を炒めて食べるようにと奨めた。

 彼は出ていった。母と私とは、彼の悲況を語り合って、歎息をはいた。子沢山、不作つづき、苛酷な税金、兵と匪と官と紳とが、よってたかって彼を苦しめ、彼をデクノボーみたいな男にしてしまったのである。母は私に、持ってゆかぬ品物は何でも、彼にくれてやろう、好きなように見立てさせよう、と言った。

 午後、彼は、いくつかの品物を撙映訾筏俊iL卓が二つ、椅子が四つ、香炉と燭台が一組、大秤が一本。それから、藁灰もみんな欲しいと言った。(私たちのところでは、炊事に藁を使う。その灰は砂地の肥料になるのである)私たちが出発するとき、彼は船で取りに来ると言った。

 夜、私たちはまた世間話をした。とりとめのない話ばかりであった。次の日の朝、彼は水生を連れて帰っていった。

 それからまた九日たって、私たちの出発する日が来た。閏土は、朝から来ていた。水生は連れずに、その代わりに五歳になる女の子に船の番をさせていた。私たちは、一日中忙しくて、話をする暇はもうなかった。客も多かった。見送りに来るもの、品物を取りに来るもの、見送りがてら品物を取りに来るもの。夕方になって、私たちが船に仱贽zむ時分には、この古い家にあった古ぼけた大小各種の調度類は、きれいに片づいてしまった。

 私たちの船は、前へ前へと進んだ。両岸の山々は、黄昏の中で、濃い紫色に変わり、繋がって船尾の方へ後じさりした。

 宏児は、私とともに船の窓辺にもたれて、外のかすんだ風景を眺めていたが、ふと、こう問いかけてきた。

「おじさん、僕たち、いつ帰ってくるの?」

「帰って来るって? どうしてまた、行かない先から、帰ることなんか考えたんだい?」

「だって、水生が僕に、家へ遊びに来いっていったんだもの」

 彼は、大きなね蛞婇_いて、じっと何かを考え込んでいた。

 私も、母も、やや悵然となった。そして、またも閏土のことに話がもどった。母の言うには、例の豆腐屋小町の楊おばさんは、私の家で荷片付けが始まってから、毎日必ずやってきていたが、一昨日、灰の山の中から、椀や皿を十あまりも掘り出した。ああだこうだと議論の末、結局、それは閏土が埋めておいたのだ、彼は、灰を撙证趣ⅳ饯盲昙窑剡ぶ腹だったろう、ということに落着した。楊おばさんは、この発見を自慢にして、いきなり「犬じらし」をつかんで(それは、私たちのところで、鶏を飼うのに使う道具である。木の皿の上に柵が取り付けてあって、その中に食物を盛る。鶏は首を伸ばしてついばむことができるが、犬にはできないので、見ていてじれるだけだ、というのだ)一目散に逃げていった。底の高い纏足の足で、よくも駆けられたと思うほど速かった。

 古い家は次第に私から遠ざかった。故郷の山水も次第に私から離れてゆく。しかし私は、少しも名残を惜しむ気になれない。私の周囲に、目に見えぬ高い壁が築かれ、私はただ一人、その中に取り残されたような感じがして、気が滅入るだけである。西瓜畑の銀の首輪の小英雄の面影は、この上なくはっきりしていたのだが、今となっては、急にぼんやりしてしまった。これもたまらなく悲しいことである。

 母と宏児とは、睡りについている。

 私は横になって、船底にサラサラという水音を聞きながら、いま私は私の道を歩いていることを悟った。思えば私は、ついに閏土とかくも距たった場所まで来てしまったが。だが、私たちより若い者は、今なお同じ気持ちを抱いている。現に宏児は、水生を慕っているではないか。願わくば彼らには、もはや私のように、人と人との相距たることだけは知らせたくない……とはいえ、私は彼らが、同じ気持ちでいたいがために、私のように、苦しみに追い立てられる生活へもろともに陥ることも願ってはいない。また、閏土のように、苦しみに打ちひしがれる生活へもろともに陥ることも願ってはいない。また、ほかの人々のように、苦しみのためにすさんでゆく生活へもろともに陥ることも願ってはいない。彼らは、新しい生活を持たなければならない。私たちのかつて経験したことのない新しい生活を。

 希望ということに考え及んだとき、突然、私はギクッとなった。閏土が香爐と燭台を望んだ際、私は、彼の相変わらずの偶像崇拝ぶりを思って、いつになったら忘れる気かと、心密かに彼を笑ったのであったが、いま私の言う希望なるものも、私自身の手製の偶像ではないだろうか。ただ彼の願望は手近であり、私の願望は遙かなだけである。

 ぼんやりした私の目に、見晴るかす海辺の緑の砂地が浮かんでくる。頭上の紺碧の空には、一輪の金色の丸い月がかかっている。思うに、希望とは、元々あるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、おのずとそれが道になるのだ。



(1921年1月)



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发表于 2003-12-3 23:00:00 | 显示全部楼层
楼主辛苦!还是很多年前学的中学课文了,有时间一定再看看
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发表于 2003-12-3 23:00:00 | 显示全部楼层
childzj谢谢了,这几天得好好地,慢慢地研读了。收藏!
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发表于 2003-12-4 23:00:00 | 显示全部楼层
up!收
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发表于 2003-12-9 23:00:00 | 显示全部楼层
谢谢!childzj很厉害呀~

我记得《标日》第4册有一课是鲁迅先生的“一件小事”

日本翻译家竹内好所译

相当好的

这篇的翻译者不知道是不是竹内好先生~~

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发表于 2003-12-10 23:00:00 | 显示全部楼层
值得好好读。

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发表于 2003-12-29 23:00:00 | 显示全部楼层
这里有这么多鲁迅的作品阿,好开心!
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发表于 2005-12-20 05:06:50 | 显示全部楼层
これは確かに竹内の訳である。
日本の教科書の出版社にいずれも採用される定番教材である。
でも、入力のミスだか、間違いがこんなに多いの?
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发表于 2005-12-20 05:15:44 | 显示全部楼层
いま 正しい本文をあげるよ
故郷
魯 迅  
竹内好 訳
 厳しい寒さの中を、二千里の果てから、別れて二十年にもなる故郷へ、わたしは帰った。
 もう真冬の候であった。そのうえ故郷へ近づくにつれて、空模様は怪しくなり、冷たい風がヒューヒュー音をたてて、船の中まで吹き込んできた。苫のすきまから外をうかがうと、鉛色の空の下、わびしい村々が、いささかの活気もなく、あちこちに横たわっていた。覚えず寂寥の感が胸にこみあげた。
 ああ、これが二十年来、片時も忘れることのなかった故郷であろうか。
 わたしの覚えている故郷は、まるでこんなふうではなかった。わたしの故郷は、もっとずっとよかった。その美しさを思い浮かべ、その長所を言葉に表そうとすると、しかし、その影はかき消され、言葉は失われてしまう。やはりこんなふうだったかもしれないという気がしてくる。そこでわたしは、こう自分に言い聞かせた。もともと故郷はこんなふうなのだ──進歩もないかわりに、わたしが感じるような寂寥もありはしない。そう感じるのは、自分の心境が変わっただけだ。なぜなら、今度の帰郷は決して楽しいものではないのだから。
 今度は、故郷に別れを告げに来たのである。わたしたちが長いこと一族で住んでいた古い家は、今はもう他人の持ち物になってしまった。明け渡しの期限は今年いっぱいである。どうしても旧暦の正月の前に、住み慣れた古い家に別れ、なじみ深い故郷をあとにして、わたしが今暮らしを立てている異郷の地へ引っ越さねばならない。
 明くる日の朝早く、わたしはわが家の表門に立った。屋根には一面に枯れ草のやれ茎が、折からの風になびいて、この古い家が持ち主を変えるほかなかった理由を説き明かし顔である。一緒に住んでいた親戚たちは、もう引っ越してしまったあとらしく、ひっそり閑としている。自宅の庭先まで来てみると、母はもう迎えに出ていた。あとから八歳になる甥の宏児もとび出した。
 母は機嫌よかったが、さすがにやるせない表情は隠しきれなかった。わたしを座らせ、休ませ、茶をついでくれなどして、すぐ引っ越しの話はもち出さない。宏児は、わたしとは初対面なので、離れた所に立って、じっとわたしの方を見つめていた。
 だが、とうとう引っ越しの話になった。わたしは、あちらの家はもう借りてあること、家具も少しは買ったこと、あとは家にある道具類をみんな売り払って、その金で買いたせばよいこと、などを話した。母もそれに賛成した。そして、荷造りもほぼ終わったこと、かさばる道具類は半分ほど処分したが、よい値にならなかったことなどを話した。
「一、二日休んだら、親戚回りをしてね、そのうえでたつとしよう。」と母は言った。 「ええ。」
「それから、閏土ね。あれが、いつも家へ来るたびに、おまえのうわさをしては、しきりに会いたがっていましたよ。おまえが着くおよその日取りは知らせておいたから、いまに来るかもしれない。」
 この時突然、わたしの脳裏に不思議な画面が繰り広げられた──紺碧の空に金色の丸い月がかかっている。その下は海辺の砂地で、見渡す限り緑の西瓜が植わっている。そのまん中に十一、二歳の少年が、銀の首輪をつるし、鉄の刺叉を手にして立っている。そして一匹の「チャー」を目がけて、ヤッとばかり突く。すると「チャー」は、ひらりと身をかわして、彼のまたをくぐって逃げてしまう。
 この少年が閏土である。彼と知り合った時、わたしもまだ十歳そこそこだった。もう三十年近い昔のことである。そのころは、父もまだ生きていたし、家の暮らし向きも楽で、わたしは坊ちゃんでいられた。ちょうどその年は、わが家が大祭の当番にあたっていた。この祭りの当番というのが、三十何年めにただ一回順番が回ってくるとかで、ごく大切な行事だった。正月に、祖先の像を祭るのである。さまざまの供物をささげ、祭器もよく吟味するし、参詣の人も多かったので、祭器をとられぬように番をする必要があった。わたしの家には「忙月」が一人いるだけである。(わたしの郷里では、雇い人は三種類ある。年間通して決まった家で働くのが「長年」、日決めで働くのが「短工」、自分でも耕作するかたわら、年末や節季や年貢集めの時などに、決まった家へ来て働くのが「忙月」と呼ばれた。)一人では手が足りぬので、彼は自分の息子の閏土に祭器の番をさせたいが、とわたしの父に申し出た。
 父はそれを許した。わたしもうれしかった。というのは、かねて閏土という名は耳にしていたし、同じ年ごろなこと、また閏月の生まれで、五行の土が欠けているので父親が閏土と名づけたことも承知していたから。彼はわなをかけて小鳥を捕るのがうまかった。
 それからというもの、来る日も来る日も新年が待ち遠しかった。新年になれば閏土がやって来る。待ちに待った年末になり、ある日のこと、母がわたしに、閏土が来たと知らせてくれた。とんでいってみると、彼は台所にいた。つやのいい丸顔で、小さな毛織りの帽子をかぶり、キラキラ光る銀の首輪をはめていた。それは父親の溺愛ぶりを示すもので、どうか息子が死なないようにと神仏に願をかけて、その首輪でつなぎ止めてあるのだ。彼は人見知りだったが、わたしにだけは平気で、そばにだれもいないとよく口をきいた。半日もせずにわたしたちは仲よくなった。
 その時何をしゃべったかは、覚えていない。ただ閏土が、城内へ来ていろいろ珍しいものを見たといって、はしゃいでいたことだけは記憶に残っている。
 明くる日、鳥を捕ってくれと頼むと、彼は、
「だめだよ。大雪が降ってからでなきゃ。おいらとこ、砂地に雪が降るだろ。そうしたら雪をかいて、少し空き地をこしらえるんだ。それから、大きなかごを持ってきて、短いつっかえ棒をかって、くずもみをまくんだ。そうすると、小鳥が来て食うから、その時遠くの方から、棒に結わえてある縄を引っぱるんだ。そうすると、みんなかごから逃げられないんだ。なんだっているぜ。稲鶏だの、角鶏だの、鳩だの、藍背だの……。」
 それからは雪の降るのが待ち遠しくなった。
 閏土はまた言うのだ。
「今は寒いけどな、夏になったら、おいらとこへ来るといいや。おいら、昼間は海へ貝殻拾いに行くんだ。赤いのも、青いのも、なんでもあるよ。『鬼おどし』もあるし、『観音様の手』もあるよ。晩には父ちゃんと西瓜の番に行くのさ。おまえも来いよ。」
「どろぼうの番?」
「そうじゃない。通りがかりの人が、のどが渇いて西瓜を取って食ったって、そんなの、おいらとこじゃどろぼうなんて思やしない。番するのは、あなぐまや、はりねずみや、チャーさ。月のある晩に、いいかい、ガリガリって音がしたら、チャーが西瓜をかじってるんだ。そうしたら手に刺叉を持って、忍び寄って……。」
 その時わたしはその「チャー」というのがどんなものか、見当もつかなかった──今でも見当はつかない──が、ただなんとなく、小犬のような、そして獰猛な動物だという感じがした。
「かみつかない?」
「刺叉があるじゃないか。忍び寄って、チャーを見つけたら突くのさ。あんちくしょう、りこうだから、こっちへ走ってくるよ。そうしてまたをくぐって逃げてしまうよ。なにしろ毛が油みたいにすべっこくて……。」
 こんなにたくさん珍しいことがあろうなど、それまでわたしは思ってもみなかった。海には、そのような五色の貝殻があるものなのか。西瓜には、こんな危険な経歴があるものなのか。わたしは西瓜といえば、果物屋に売っているものとばかり思っていた。
「おいらとこの砂地では、高潮の時分になると『跳ね魚』がいっぱい跳ねるよ。みんなかえるみたいな足が二本あって……。」
 ああ、閏土の心は神秘の宝庫で、わたしの遊び仲間とは大違いだ。こんなことはわたしの友達は何も知ってはいない。閏土が海辺にいる時、彼らはわたしと同様、高い塀に囲まれた中庭から四角な空を眺めているだけなのだ。
 惜しくも正月は過ぎて、閏土は家へ帰らねばならなかった。別れがつらくて、わたしは声をあげて泣いた。閏土も台所の隅に隠れて、嫌がって泣いていたが、とうとう父親に連れてゆかれた。そのあと、彼は父親にことづけて、貝殻を一包みと、美しい鳥の羽を何本か届けてくれた。わたしも一、二度何か贈り物をしたが、それきり顔を合わす機会はなかった。
 今、母の口から彼の名が出たので、この子供のころの思い出が、電光のように一挙によみがえり、わたしはやっと美しい故郷を見た思いがした。わたしはすぐこう答えた。
「そりゃいいな。で──今、どんな? ……。」
「どんなって……やっぱり、楽ではないようだが……。」そう答えて母は、戸外へ目をやった。
「あの連中、また来ている。道具を買うという口実で、その辺にあるものを勝手に持っていくのさ。ちょっと見てくるからね。」
 母は立ち上がって出ていった。外では、数人の女の声がしていた。わたしは宏児をこちらへ呼んで、話し相手になってやった。字は書ける? よそへ行くの、うれしい? などなど。
「汽車に乗ってゆくの?」\
「汽車に乗ってゆくんだよ。」\
「お船は?」
「初めに、お船に乗って……。」\
「まあまあ、こんなになって、ひげをこんなに生やして。」不意にかん高い声が響いた。
 びっくりして頭を上げてみると、わたしの前には、ほお骨の出た、唇の薄い、五十がらみの女が立っていた。両手を腰にあてがい、スカートをはかないズボン姿で足を開いて立ったところは、まるで製図用の脚の細いコンパスそっくりだった。
 わたしはドキンとした。
「忘れたかね? よくだっこしてあげたものだが。」
 ますますドキンとした。幸い、母が現れて口添えしてくれた。
「長いこと家にいなかったから、見忘れてしまってね。おまえ、覚えているだろ。」
とわたしに向かって、「ほら、筋向かいの楊おばさん……豆腐屋の。」
 そうそう、思い出した。そういえば子供のころ、筋向かいの豆腐屋に、楊おばさんという人が一日じゅう座っていて、「豆腐屋小町」と呼ばれていたっけ。しかし、その人なら白粉を塗っていたし、ほお骨もこんなに出ていないし、唇もこんなに薄くはなかったはずだ。それに一日じゅう座っていたのだから、こんなコンパスのような姿勢は、見ようにも見られなかった。そのころうわさでは、彼女のおかげで豆腐屋は商売繁盛だとされた。たぶん年齢のせいだろうか、わたしはそういうことにさっぱり関心がなかった。そのため見忘れてしまったのである。ところがコンパスのほうでは、それがいかにも不服らしく、さげすむような表情を見せた。まるでフランス人のくせにナポレオンを知らず、アメリカ人のくせにワシントンを知らぬのをあざけるといった調子で、冷笑を浮かべながら、
「忘れたのかい? なにしろ身分のあるおかたは目が上を向いているからね……。」
「そんなわけじゃないよ……ぼくは……。」わたしはどぎまぎして、立ち上がった。
「それならね、お聞きなさいよ、迅ちゃん。あんた、金持ちになったんでしょ。持ち運びだって、重くて不便ですよ。こんなガラクタ道具、じゃまだから、あたしにくれてしまいなさいよ。あたしたち貧乏人には、けっこう役に立ちますからね。」
「ぼくは金持ちじゃないよ。これを売って、その金で……。」
「おやおや、まあまあ、知事様になっても金持ちじゃない? 現にお妾が三人もいて、お出ましは八人かきのかごで、それでも金持ちじゃない? フン、だまそうたって、そうはいきませんよ。」
 返事のしようがないので、わたしは口を閉じたまま立っていた。
「ああ、ああ、金がたまれば財布のひもを締める。財布のひもを締めるからまたたまる……。」コンパスは、ふくれっつらで背を向けると、ぶつぶつ言いながら、ゆっくりした足どりで出ていった。行きがけの駄賃に母の手袋をズボンの下へねじ込んで。
 そのあと、近所にいる親戚が何人も訪ねてきた。その応対に追われながら、暇をみて荷ごしらえをした。そんなことで四、五日つぶれた。
 ある寒い日の午後、わたしは食後の茶でくつろいでいた。表に人の気配がしたので、振り向いてみた。思わずアッと声が出かかった。急いで立ち上がって迎えた。
 来た客は閏土である。ひと目で閏土とわかったものの、その閏土は、わたしの記憶にある閏土とは似もつかなかった。背丈は倍ほどになり、昔のつやのいい丸顔は、今では黄ばんだ色に変わり、しかも深いしわがたたまれていた。目も、彼の父親がそうであったように、周りが赤くはれている。わたしは知っている。海辺で耕作する者は、一日じゅう潮風に吹かれるせいで、よくこうなる。頭には古ぼけた毛織りの帽子、身には薄手の綿入れ一枚、全身ぶるぶる震えている。紙包みと長いきせるを手に提げている。その手も、わたしの記憶にある血色のいい、まるまるした手ではなく、太い、節くれだった、しかもひび割れた、松の幹のような手である。
 わたしは感激で胸がいっぱいになり、しかしどう口をきいたものやら思案がつかぬままに、ひと言、
「ああ、閏ちゃん──よく来たね……。」
 続いて言いたいことが、あとからあとから、数珠つなぎになって出かかった。角鶏、跳ね魚、貝殻、チャー……だがそれらは、何かでせき止められたように、頭の中を駆けめぐるだけで、口からは出なかった。
 彼は突っ立ったままだった。喜びと寂しさの色が顔に現れた。唇が動いたが、声にはならなかった。最後に、うやうやしい態度に変わって、はっきりこう言った。
「だんな様! ……。」
 わたしは身震いしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまったのを感じた。わたしは口がきけなかった。
 彼は後ろを向いて、「水生、だんな様におじぎしな。」と言って、彼の背に隠れていた子供を前へ出した。これぞまさしく三十年前の閏土であった。いくらかやせて、顔色が悪く、銀の首輪もしていない違いはあるけれども。「これが五番めの子でございます。世間へ出さぬものですから、おどおどしておりまして……。」
 母と宏児が二階から降りてきた。話し声を聞きつけたのだろう。
「ご隠居様、お手紙は早くにいただきました。全く、うれしくてたまりませんでした、だんな様がお帰りになると聞きまして……。」と閏土は言った。
「まあ、なんだってそんな、他人行儀にするんだね。おまえたち、昔は兄弟の仲じゃないか。昔のように、迅ちゃん、でいいんだよ。」と母は、うれしそうに言った。
「めっそうな、ご隠居様、なんとも……とんでもないことでございます。あのころは子供で、なんのわきまえもなく……。」そしてまたも水生を前に出しておじぎさせようとしたが、子供ははにかんで、父親の背にしがみついたままだった。
「これが水生? 五番めだね。知らない人ばかりだから、はにかむのも無理ない。宏児や、あちらで一緒に遊んでおやり。」と母は言った。
 言われて宏児は、水生を誘い、水生もうれしそうに、そろって出ていった。母は閏土に席を勧めた。彼はしばらくためらったあと、ようやく腰を下ろした。長ぎせるをテーブルに立てかけて、紙包みを差し出した。
「冬場は、ろくなものがございません。少しばかり、青豆の干したのですが、自分とこのですから、どうかだんな様に……。」
 わたしは、暮らし向きについて尋ねた。彼は首を振るばかりだった。
「とてもとても。今では六番めの子も役に立ちますが、それでも追っつけません……世間は物騒だし……どっちを向いても金は取られほうだい、きまりもなにも……作柄もよくございません。作った物を売りに行けば、何度も税金を取られて、元は切れるし、そうかといって売らなければ、腐らせるばかりで……。」
 首を振りどおしである。顔にはたくさんのしわがたたまれているが、まるで石像のように、そのしわは少しも動かなかった。苦しみを感じはしても、それを言い表すすべがないように、しばらく沈黙し、それからきせるを取り上げて、黙々とたばこをふかした。
 母が都合をきくと、家に用が多いから、明日は帰らねばならぬという。それに昼飯もまだと言うので、自分で台所へ行って、飯をいためて食べるように勧めた。
 夜はまた世間話をした。とりとめのない話ばかりだった。明くる日の朝、彼は水生を連れて帰っていった。
 それからまた九日して、わたしたちの旅立ちの日になった。閏土は朝から来ていた。水生は連れずに、五歳になる女の子に船の番をさせていた。それぞれに一日じゅう忙しくて、もう話をする暇はなかった。客も多かった。見送りに来る者、品物を取りに来る者、見送りがてら品物を取りに来る者。夕方になって、わたしたちが船に乗り込むころには、この古い家にあった大小さまざまのガラクタ類は、すっかり片づいていた。
 船はひたすら前進した。両岸の緑の山々は、たそがれの中で薄墨色に変わり、次次と船尾に消えた。
 わたしと一緒に窓辺にもたれて、暮れてゆく外の景色を眺めていた宏児が、ふと問いかけた。
「おじさん、ぼくたち、いつ帰ってくるの?」
「帰ってくる? どうしてまた、行きもしないうちに、帰るなんて考えたんだい?」
「だって、水生がぼくに、家へ遊びに来いって。」
 大きな黒い目をみはって、彼はじっと考えこんでいた。\
 わたしも、わたしの母も、はっと胸をつかれた。そして話がまた閏土のことに戻った。母はこう語った。例の豆腐屋小町の楊おばさんは、わたしの家で片づけが始まってから、毎日必ずやってきたが、おととい、灰の山からわんや皿を十個あまり掘り出した。あれこれ議論の末、それは閏土が埋めておいたにちがいない、灰を運ぶ時、一緒に持ち帰れるから、という結論になった。楊おばさんは、この発見を手柄顔に、「犬じらし」(これはわたしたちのところで鶏を飼うのに使う。木の板にさくを取り付けた道具で、中に食べ物を入れておくと、鶏は首を伸ばしてついばむことができるが、犬にはできないので、見てじれるだけである。)をつかんで飛ぶように走り去った。てん足用の底の高い靴で、よくもと思うほど速かったそうだ。
 古い家はますます遠くなり、故郷の山や水もますます遠くなる。だが名残惜しい気はしない。自分の周りに目に見えぬ高い壁があって、その中に自分だけ取り残されたように、気がめいるだけである。西瓜畑の銀の首輪の小英雄の面影は、もとは鮮明このうえなかったのが、今では急にぼんやりしてしまった。これもたまらなく悲しい。
 母と宏児とは寝入った。
 わたしも横になって、船の底に水のぶつかる音を聞きながら、今、自分は、自分の道を歩いているとわかった。思えばわたしと閏土との距離は全く遠くなったが、若い世代は今でも心が通い合い、現に宏児は水生のことを慕っている。せめて彼らだけは、わたしと違って、互いに隔絶することのないように……とはいっても、彼らが一つ心でいたいがために、わたしのように、無駄の積み重ねで魂をすり減らす生活をともにすることは願わない。また閏土のように、打ちひしがれて心がまひする生活をともにすることも願わない。また他の人のように、やけを起こしてのほうずに走る生活をともにすることも願わない。希望をいえば、彼らは新しい生活をもたなくてはならない。わたしたちの経験しなかった新しい生活を。
 希望という考えが浮かんだので、わたしはどきっとした。たしか閏土が香炉と燭台を所望した時、わたしはあい変わらずの偶像崇拝だな、いつになったら忘れるつもりかと、心ひそかに彼のことを笑ったものだが、今わたしのいう希望も、やはり手製の偶像にすぎぬのではないか。ただ彼の望むものはすぐ手に入り、わたしの望むものは手に入りにくいだけだ。
 まどろみかけたわたしの目に、海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月がかかっている。思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
(本文を掲載することは、訳者竹内氏の著作権継承者に確認済である。)
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发表于 2005-12-20 09:59:38 | 显示全部楼层
同济大学的吴侃教授编的《高级日语》的第2本里也有这篇课文的哦!
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