紅楼夢名場面集 第2— 21楼[/COLOR]
紅楼夢アイテム事典 第22—25楼[/COLOR]
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紅楼夢(こうろうむ)とは?
1791年(清代)に発刊された中国の長編小説。三国志演義・水滸伝・西遊記とともに「中国四大古典小説」といわれる場合があります(一般的な名称かどうかは不明)。全120回から成り、前80回が曹雪芹(そうせつきん)の作、後40回は高蘭墅(こうらんしょ)の続作といわれています。
栄国邸の貴公子・賈宝玉と彼をめぐる林黛玉ら12人の美女の物語(本当はもっといますけど一般にこう紹介されます)。大貴族の華やかな生活にひそむ腐敗をえぐり、また微妙な心理描写にもすぐれ、中国小説史上最大傑作の一つとされています。原名は「石頭記」で、別名「情憎録」「風月宝鑑」「金陵十二釵」等とも呼ばれます。
紅楼夢が世に出るや、中国に数多の紅迷(熱狂的な紅楼夢ファン)を生みました。紅楼夢の研究(紅学)は胡適・兪平伯・周汝昌ら多くの学者の手で進められ、1950年代に起こった紅楼夢論争で、紅楼夢は封建社会を批判する書との見方が一般的となりました。文化大革命で古典の多くが「毒草」として迫害された中でも、紅楼夢は毛沢東が「歴史小説」として読むように勧め、版を重ねました。80年代には中国中央電視台でTVドラマ化され、北京の大観園はドラマのセットが公園として整備され、1985年から一般に公開されているものです。
曹雪芹(1724年頃~1763年)
清の小説家。名は霑(てん)、字は夢阮、号は雪芹・芹圃・芹渓。曹家の祖先は明の軍官でしたが、明末に満州族に敗れて投降し、満州八旗(清の正規軍)の一つに属する旗人になりました。清の成立後、康熙帝の代に曾祖父・曹璽が江寧織造の職に任じられ、南京に赴任します。以後三代にわたって務め、康煕帝の南巡の際の聖駕を四度も迎えるほどの信任を得ていましたが、雍正帝の即位とともに政治抗争にまきこまれ(江南に大きな勢力をもつ曹家は新皇帝にとって邪魔者だった)、解任・家産没収の憂き目にあいます(当時曹雪芹は10歳前後。「紅楼夢」には自らの体験が色濃く投影され、自家の冤罪をそそぐために書かれた抗議と訴えの書だとも言われています)。
北京に移った雪芹は晩年の10年間を「紅楼夢」の執筆に注ぎますが、未完のまま病没しました。不遇の中で酒に溺れ、夭折した一人息子を嘆き悲しんで追うように亡くなったといわれています。
続作について
曹雪芹の原作は第80回で断絶し、現行の後40回は程偉元・高蘭墅らの手で補訂されたものといわれます。未完の紅楼夢を一大悲劇として完結させた点は大いに評価される一方で、曹雪芹の意図が活かされなかった部分も多いようです。例えば、科挙や旧制度に反対していた宝玉が科挙に合格したこと、衰亡に向かうべき賈家が復興に転じていること等、原作の封建制度批判の思想と相反していること。それから後半部分に合わせて前80回部分を書き換え(改悪とされます)たこと等が続作の欠点とされています。
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