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[原创翻译]小野小町的和歌一首

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发表于 2003-12-28 23:00:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
记得学生时代第一次听一个日本女留学生很快背出这首和歌,并说小野小町是日本的一个古代美女,像在日本也有知名度的杨贵妃那样。但杨贵妃的文才绝不能与之相比。那首和歌就是:



[花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふる ながめせしまに](古今113)[百人一首]

它的现代日语为:花は色褪せてしまったなあ。我が身を徒(いたずら)にこの世に置き、むなしく時を経るばかりの、物思いをしていた間――空からは春の長雨が降り続けていた、その間に。

解释:◇花の色 :[花]在《古今集》中借指樱花,这里由花及人,作者联想到了自己。

当时,作 者已经归老还乡。

◇うつりにけりな:随着时间的流逝我的容貌也变的和以前不一样啊。

◇いたづらに:空虚,虚无之义。

◇世にふる:生活在人世。[ふる]一词和[降る]双关,与后面的「ながめ(長雨)」相关。



中文意思: 我正在想自己也如花那样变的容颜衰退,一个人寂寞地生活在人世间、过着没有精神 寄托的生活的时候,天空开始下起了连绵的春雨。

引一网友qr_zhao的译文:樱花色消容颜老 余身徒然淫雨中



注:小野小町是日本平安时期的女歌人,六歌仙之一。生于809年,精通歌舞、琴和书道,天资聪颖,美丽异常。曾在宫中从事,由于一直怀念故乡,36岁时候离开宫中,回乡筑庵居住。一个叫深草少将的人爱慕其才貌,曾写情书表达情意。此时,适逢其病。故小野小町对他说,如果他每天在河堤上种1颗芍药,种满100株则答应他的爱意。结果在种第100株的时候,不幸深草少将跌落河中淹死。小野小町满怀悲痛地安葬了其遗骨,并一个人度过余生,据说92岁时候郁郁而终。

记:查了很多网上资料,也为小野小町的故事感动。在日本某地每年都有小野祭,我主要把日文资料进行了翻译和编辑。错误之处,请不吝赐教





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发表于 2003-12-29 23:00:00 | 显示全部楼层
意境很美,日本和歌原来这么好。只可惜我能看懂的太少。
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发表于 2003-12-29 23:00:00 | 显示全部楼层
下面引用由flyingwind发表的内容:
花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふる ながめせしまに[花の色はうつりにけりな い...

呵呵,我在一次演讲比赛里用过这首和歌。
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 楼主| 发表于 2003-12-29 23:00:00 | 显示全部楼层
佩服楼上,我还没参加过任何日语比赛。想来上台去了也是大眼看小眼,呵呵。
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发表于 2004-1-1 23:00:00 | 显示全部楼层
很好
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 楼主| 发表于 2004-1-8 23:00:00 | 显示全部楼层
参考資料原文(2004年1月9日追加) 
平安の女流歌人・小野小町(おののこまち)は、今から1200年程昔の 809年、出羽の国・福富の荘桐の木田(現在の雄勝町小野字桐木田)に生まれました。
幼い頃から歌や踊りはもちろん、琴、書道となんでも上手にこなし、13才の頃には都へのぼり、都の風習や教養を身につけました。
宮中に仕えるようになった小町は、その容姿の美しさと優れた才能から多くの女官中、比類なしと称され、その歌は六歌仙、三十六歌仙に残っています。
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花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(古今113)[百]

【通釈】花は色褪せてしまったなあ。我が身を徒(いたずら)にこの世に置き、むなしく時を経るばかりの、物思いをしていた間――空からは春の長雨が降り続けていた、その間に。

【語釈】◇花の色 「花」は古今集の配列からすると桜。「色」は、感覚――特に視覚に訴える表象。自身の容色の意が掛かる。◇うつりにけりな 以前とは変ってしまったなあ。容色が時が経つと共に失われた、の意が掛かる。◇いたづらに なすことなく。むなしく。◇世にふる 世にあって時を経る。「世」には男女関係の意もあり、「恋に人生を費やす」といった意が掛かる。「ふる」は「降る」と掛詞で、「ながめ(長雨)」と縁語。◇ながめ じっと物思いに耽る。「長雨」と掛詞になる。
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しかし、故郷を恋しく思う気持ちは消えることなく、小町36才の時、宮中を退き、小野の里へと帰郷。庵を造って静かに歌を読み暮らしていたところ、小町を想う深草少将は、小町に会いたさから郡代職を願い出て、都から小野の里へとやってきたのです。
深草少将は、会いたい旨の恋文を小町へと送りましたが、小町はすぐに少将と会おうとせず、「わたしを心から慕ってくださるなら、高土手に毎日一株づつ芍薬を植えて百株にしていただけませんか。約束通り百株になりましたら、あなたの御心にそいましょう」と、伝えました。
少将はこの返事をきいて野山から芍薬を堀り取らせ、植え続けました。一株づつ植えては帰っていく毎日。実は小町は、この頃疱瘡を患っていたのです。百夜のうちに疱瘡も治るだろうと、磯前(いそざき)神社の清水で顔を洗い、早く治るよう祈っていました。
深草少将は一日も欠かすことなく99本の芍薬を植え続けました。いよいよ百日目の夜。この日は秋雨が降り続いたあとで、川にかかった柴で編んだ橋はひどく濡れていました。
「今日でいよいよ百本」。小町と会える日がきたと喜び、従者がとめるのもきかず、少将は「百夜通いの誓いを果たす」と、通い慣れた道を百本目の芍薬をもって出かけました。
しかし、少将は橋ごと流され、不幸にも亡くなってしまったのです。小町は深い悲しみに暮れ、少将の亡骸を森子山(現在の二ツ森)に葬ると、供養の地蔵菩薩を作り向野寺に安置し、芍薬には99首の歌を捧げました。少将の仮の宿だった長鮮寺には板碑を建て回向し、その後岩屋堂に住んだ小町は、世を避け自像を刻んで、92才で亡くなったといわれます。
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芍薬塚(雄勝町小野字小町)
深草少将が植えたとされる芍薬塚。桐木田には3千株の芍薬が咲き競う芍薬苑がある。


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发表于 2004-1-17 23:00:00 | 显示全部楼层
頭が下がらない。。しし
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发表于 2004-2-24 23:00:00 | 显示全部楼层
小野小町の俳句が大好き!

略带伤感的魅力
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