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发表于 2004-1-31 23:00:00
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八一 返る年の二月廿よ日、
返る年の二月廿よ日、宮の、職へ出でさせたまひし御供にまゐらで、梅壺に残りゐたりしまたの日、頭の中将の御消息とて、「昨日の夜、鞍馬に詣でたりしに、今宵、方のふたがりければ、方違(かたたがへ)になむ行く。まだ明けざらむに帰りぬべし。かならず言ふべきことあり。いたう叩かせで待て」と、のたまへりしかど、「局にひとりはなどてあるぞ。ここに寝よ」と、御匣殿(みくしげどの)の召したれば、まゐりぬ。
久う寝起きて下りたれば、「昨夜いみじう人の叩かせたまひし、からうじて起きてはべりしかば、『上にか。さらば、かくなむと聞こえよ』と、はべりしかども、『よも起きさせたまはじ』とて、臥しはべりにき」と語る。心もなのことや、と聞くほどに、主殿司来て、「頭の殿の聞こえさせたまふ、『ただ今まかづるを、聞ゆべきことなむある』」と言へば、「見るべき事ありて、上へなむ上りはべる。そこにて」と言ひて、やりつ。
局は、引きもやあけたまはむと、心ときめきしてわづらはしければ、梅壺の東面の半蔀上げて、「ここに」と言へば、めでたくてぞ、歩み出でたまへる。桜の綾の直衣の、いみじう花々と、裏のつやなど、えも言はずきよらかなるに、葡萄染(えびぞめ)のいと濃き指貫、藤の折枝おどろおどろしく織り乱りて、紅の色、うちめなど、輝くばかりぞ見ゆる。白き、薄色など、下にあまた重なりたり。狭き縁に、片つ方は下ながら、すこし簾のもと近う寄り居たまへるぞ、まことに絵に描き、物語のめでたきことに言ひたる、これにこそは、とぞ見えたる。
御前の梅は、西に白く、東は紅梅にて、すこし落ち方になりたれど、なほをかしきに、うらうらと日のけしきのどかにて、人に見せまほし。御簾の内に、まいて、若やかなる女房などの、髪うるはしくこぼれかかりて、など言ひためるやうにて、ものの答へなどしたらむは、いますこしをかしう見所ありぬべきに、いとさだすぎ、ふるぶるしき人の、髪などもわがにはあらねばにや、ところどころわななき散りぼひて、おほかた色異なるころなれば、あるかなきかなる薄鈍(うすにび)、あはひも見えぬきはきぬなどばかりあまたあれど、つゆの映えも見えぬに、おはしまさねば、裳も着ず、袿姿にて居たるこそ、ものぞこなひにて、くちをしけれ。
「職へなむ、まゐる。ことづけやある。いつかまゐる」などのたまふ。「さても、昨夜、明しも果てで、さりとも、かねて、さ言ひしかば、待つらむとて、月のいみじう明きに、西の京といふ所より来るままに、局を叩きしほど、からうじて寝おびれ起きたりしけしき、答へのはしたなさ」など、語りて笑ひたまふ。「むげにこそ思ひうんじにしか。など、さる者をば置きたる」と、のたまふ。げにさぞありけむと、をかしうもいとほしうもあり。しばしありて、出でたまひぬ。外より見む人は、をかしく、うちにいかなる人あらむと思ひぬべし。奥の方より見いだされらむ後ろこそ、外にさる人やとおぼゆまじけれ。
暮れぬれば、まゐりぬ。御前に人々いと多く、上人などさぶらひて、物語のよきあしき、にくきところなどをぞ、定め、言ひそしる。涼、仲忠などがこと、御前にも、劣りまさりたるほどなど、おほせられける。「まづ、これはいかに。とくことわれ。仲忠が童生ひのあやしさを、せちにおほせらるるぞ」など言へば、「なにか。琴なども、天人の降るばかり弾きいで、いとわろき人なり。御門の御女やは得たる」と言へば、仲忠が方人ども、所を得て、「さればよ」など言ふに、「この事どもよりは、昼、斉信(ただのぶ)がまゐりたりつるを見ましかば、いかにめでまどはましとこそ、おぼえつれ」とおほせらるるに、「さて、まことに常よりもあらまほしうこそ」など言ふ。「まづその事をこそは啓せむと思ひて、まゐりつるに、物語のことにまぎれて」とて、ありつる事ども聞こえさすれば、「誰も見つれど、いとかう、縫いたる糸、針目までやは見透かしつる」とて笑ふ。
「西の京といふ所の、あはれなりつること。もろともに見る人のあらましかばとなむ、おぼえつる。垣なども皆古りて、苔生ひてなむ」など語りつれば、宰相の君の「瓦に松はありつや」と答へたるに、いみじうめでて、「西の方、都門を去れること、いくばくの地ぞ」と、口ずさみつることなど、かしがましきまで言ひしこそ、をかしかりしか。
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