例えば“春”という語は“は”と“る”からできている.その“は”は更に“h”と“a”からできているとも言えるが,普通,日本語では“は”と”る“一番小さい音の単位だと意識される.この一番小さい音の単位を”拍“と呼ぶ.日本語の拍は,日本語の特徴を示す一つの要素であり,多くは仮名は一字に相当する(拗音は仮二字で表す).
小学生などが俳句を作ろうとして,五・七・五になるように指折り数えながら言葉を考えている姿が見かけるが,その場合が五つ,七つと言う数が拍の数である.
例えば,“幼稚園”と“小学校とそれぞれ何拍になるが,指折り数えながら発音して見る. "ようちえん”の”う”の部分は,前の“よ”の母音がのばされているのだが,一つ分の時間をとっている.(ゆっくり発音しようとすると,この場合は“オ”と発音したとほぼ同じになる.“も”一分であり,“幼稚園”は“ヨ・ウ・チ・エ・ン”で五拍になる.また,“しょうがっこう”では,小さい“ツ”で書かれた部分は何も発音になっておらず,子音“k”を発音する口つき(次の“子”をいうための準備)になっているだけであるが,一つの分の時間を取っている.したがって,“小学校”は“ショ・ウ・ガ・ッ・コ・ウ”で六拍の言葉になる.
このように,日本語では,長音・撥音・促音も.他の音とほぼ同じ長さをもつ発音になり,それぞれ一拍に数えられるである.
外国人に日本語を数える教師が,日本語の拍について理解させる方法として,拍の数だけ手をたたきながら発音させる,という指導方法をとることも多いようである.外国人の中には,日本語の拍が理解し難いという人もいるらしい.長音・撥音・促音などほぼ同じ長さで発音するという点が,うまくできないというわけである.そのため,拍の数だけ手をたたいて発音練習するという方法試みられるのだという.金田一晴彦氏が自分の体験を本に書いた文章の中にも,外国人が日本語の拍を理解することはむずかしいと述べている個所がある.例えば,“討論”と言う言葉は,日本人なら四拍と数えるのが当然なのだが,アメリカ人などには“トウ”“ロン”で二拍になると考えるものも多いという.また,“にほん”と言うような言葉はうまく発音できず,“ニポン”のような発音になることが多いと言う.つまり,長音・撥音・促音を独立して拍にしないで,前の拍一緒にして撥音してしまうだと説明している.そうした指摘をした後に,金田一氏は,また,逆に日本人が外国人を誤解することもあると言って,つぎのような例をあげている.
こんあことから,日本人は逆に外国人の拍を誤解する.“犬”を英語で“ドッグ”だと聞くと,これは“ド・ッ・グ”と言う三拍なのだ.ドッグはさかさまにしたら何と言うかと尋ねると,びっくりしたような顔をしている.グッドだなどは夢にも思わない.日本人が向こうのドッグを三拍のように思う野は,日本語の習慣を勝手にむこうの言語に流用しているからにすぎない. |