「雪国」をみて 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった、で始まる川端康成の余りにも有名な名作のドラマ化である。
駅舎があり伩亭蝗摔氦膜辘皮搿W钺幛说菆訾工毪韦魅斯珝u村である。次に温泉旅館に舞台がかわり島村と駒子の二人、そこに葉子が加わってドラマは進んでゆく。
小説では文章から読者がふくらませ想像出来るが舞台ではなかなかそうはいかない。舞台ではセリフのやりとり、演ずる人の技量でもり上がりもするし駄目な場合もある。
このドラマは最初から最後まで殆ど二人だけで、又特に目立った事件も何もない。
だからもうひとつ面白味に欠ける。それと島村という男が何ともはっきりしない。口では愛しているとは言うが、篠田も適役とは思うが全く仕所がないむつかしい役だ。一方駒子は初めて登場したとき清潔な魅力があり仲々良かった。しかし二度日、芸者になっての出はそれなりに変化がなくては困る。いつも同じパターンで酔っ払って部屋にくるのも変わりばえがしない。師匠を亡くし、行男も死亡したなら、かなりの変化、苦悩が表に出ないと面白くない。声の調子もはりのある透る魅力は感じられるが一本調子の感じがした。声に陰影がほしい。一幕日の最後、三味線をもち出し「勧進帳」の一節をひく箇所は努力賞もので迫力があった。この舞台のむつかしいのは島村と駒子、葉子の関係がよく判らない、島村は葉子にかなり関心は示しているがこの辺が大きな盛り上がりを欠く原因かとも思う。
文芸作品。特に名作は観客の頭の中にすでにふくらんだものをもっており、舞台でみたとき何か違和感をもつのかもしれない。むつかしいものである。
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