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夏目漱石

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发表于 2004-4-8 23:00:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
[B]夏目漱石<少爷>1[/B]

 庭を東へ二十歩に行き尽(つく)すと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中(まんなか)に栗(くり)の木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸(せど)を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋(やましろや)という質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎(かんたろう)という十三四の倅(せがれ)が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖(くせ)に四つ目垣を仱辘长à啤⒗酩虻粒à踏梗─撙摔搿¥ⅳ肴栅蜗Ψ秸蹜酰à辘桑─问a(かげ)に隠(かく)れて、とうとう勘太郎を捕(つら)まえてやった。その時勘太郎は逃(に)げ路(みち)を失って、一生懸命(いっしょうけんめい)に飛びかかってきた。向(むこ)うは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。悖à悉粒─伍_いた頭を、こっちの胸へ宛(あ)ててぐいぐい押(お)した拍子(ひょうし)に、勘太郎の頭がすべって、おれの袷(あわせ)の袖(そで)の中にはいった。邪魔(じゃま)になって手が使えぬから、無暗に手を振(ふ)ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡(なび)いた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕(うで)へ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足搦(あしがら)をかけて向うへ倒(たお)してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩(くず)して、自分の領分へ真逆様(まっさかさま)に落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫(わ)びに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。
 この外いたずらは大分やった。大工の兼公(かねこう)と肴屋(さかなや)の角(かく)をつれて、茂作(もさく)の人参畠(にんじんばたけ)をあらした事がある。人参の芽が出揃(でそろ)わぬ処(ところ)へ藁(わら)が一面に敷(し)いてあったから、その上で三人が半日相撲(すもう)をとりつづけに取ったら、人参がみんな踏(ふ)みつぶされてしまった。古川(ふるかわ)の持っている田圃(たんぼ)の井戸(いど)を埋(う)めて尻(しり)を持ち込まれた事もある。太い孟宗(もうそう)の節を抜いて、深く埋めた中から水が湧(わ)き出て、そこいらの稲(いね)にみずがかかる仕掛(しかけ)であった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒(ぼう)ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿(さ)し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤(まっか)になって怒鳴(どな)り込んで来た。たしか罰金(ばっきん)を出して済んだようである。
 おやじはちっともおれを可愛(かわい)がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓(ひいき)にしていた。この兄はやに色が白くって、芝居(しばい)の真似(まね)をして女形(おんながた)になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌(ろく)なものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役(ちょうえき)に行かないで生きているばかりである。
 母が病気で死ぬ二三日(にさんち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨(あばらぼね)を撲(う)って大いに痛かった。母が大層怒(おこ)って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊(とま)りに行っていた。するととうとう死んだと云う報知(しらせ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人(おとな)しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜(くや)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。
 母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮(くら)していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目(だめ)だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙(みょう)なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍(いっぺん)ぐらいの割で喧嘩(けんか)をしていた。ある時将棋(しょうぎ)をさしたら卑怯(ひきょう)な待駒(まちごま)をして、人が困ると嬉(うれ)しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間(みけん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付(いつ)けた。おやじがおれを勘当(かんどう)すると言い出した。
 その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清(きよ)という下女が、泣きながらおやじに詫(あや)まって、ようやくおやじの怒(いか)りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖(こわ)いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒(ゆいしょ)のあるものだったそうだが、瓦解(がかい)のときに零落(れいらく)して、つい奉公(ほうこう)までするようになったのだと聞いている。だから婆(ばあ)さんである。この婆さんがどういう因縁(いんえん)か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想(あいそ)をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾(つまはじ)きをする――このおれを無暗に珍重(ちんちょう)してくれた。おれは到底(とうてい)人に好かれる性(たち)でないとあきらめていたから、他人から木の端(はし)のように取り扱(あつか)われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審(ふしん)に考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真(ま)っ直(すぐ)でよいご気性だ」と賞(ほ)める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好(い)い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌(きら)いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺(なが)めている。自分の力でおれを製造して誇(ほこ)ってるように見える。少々気味がわるかった。
 母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃(よ)せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣(こづか)いで金鍔(きんつば)や紅梅焼(こうばいやき)を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉(そばこ)を仕入れておいて、いつの間にか寝(ね)ている枕元(まくらもと)へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩(なべやきうどん)さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋(くつたび)ももらった。鉛筆(えんぴつ)も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口(がまぐち)へ入れて、懐(ふところ)へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架(こうか)の中へ落(おと)してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜(さが)して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端(いどばた)でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐(ひも)を引き懸(か)けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札(いちえんさつ)を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火悚乔à铮─筏啤ⅳ长欷扦いい扦筏绀Δ瘸訾筏俊¥沥绀盲趣い扦撙瞥簦à担─い浃仍皮盲郡椤ⅳ饯欷袱悚訾筏胜丹ぁ⑷·険Q(か)えて来て上げますからと、どこでどう胡魔化(ごまか)したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
 清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子(かし)や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄(すま)したものでお兄様(あにいさま)はお父様(とうさま)が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固(がんこ)だけれども、そんな依怙贔負(えこひいき)はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れていたに違(ちが)いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢(あ)っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見(りょうけん)もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿(ばかばか)しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車(てぐるま)へ仱盲啤⒘⑴嗓市v(げんかん)のある家をこしらえるに相違(そうい)ないと云った。
 それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所(いっしょ)になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰(く)り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町(こうじまち)ですか麻布(あざぶ)ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並(なら)べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建(にほんだて)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
 母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概(いちがい)にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想(かわいそう)だ、不仕合(ふしあわせ)だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行(ゆ)かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立(しゅったつ)すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介(やっかい)になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極(きま)っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟(かくご)をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多(がらくた)を二束三文(にそくさんもん)に売った。家屋敷(いえやしき)はある人の周旋(しゅうせん)である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳(くわ)しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町(おがわまち)へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡(わた)るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何(なんに)も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
 兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下(くんだ)りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半(よじょうはん)の安下宿に唬à长猓─盲啤ⅳ饯欷工椁猡い钉趣胜欷兄堡沥艘瓛B(はら)わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥(おく)さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥(おい)の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支(さしつか)えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴(な)れた家(うち)の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易(ほうこうが)えをして入らぬ気兼(きがね)を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻(さい)を貰えの、来て世話をするのと云う。親身(しんみ)の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
 九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買(しょうばい)をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意(ずいい)に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊(たんばく)な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場(ていしゃば)で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
 おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒(めんど)くさくって旨(うま)く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来(しょうらい)どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平(まっぴら)ご免(めん)だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛(かか)ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起(おこ)った失策だ。
 三年間まあ人並(ひとなみ)に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定(かんじょう)する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑(おか)しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
 卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎(いなか)へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席(そくせき)に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟(たた)ったのである。
 引き受けた以上は赴任(ふにん)せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居(ちっきょ)して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的呑気(ひかくてきのんき)な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉(かまくら)へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
 家を畳(たた)んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行(ゆ)くたびに、居(お)りさえすれば、何くれと款待(もて)なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢(じまん)を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴(ふいちょう)した事もある。独りで極(き)めて一人(ひとり)で喋舌(しゃべ)るから、こっちは困(こ)まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風(むかしふう)の女だから、自分とおれの関係を封建(ほうけん)時代の主従(しゅじゅう)のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点(がてん)したものらしい。甥こそいい面(つら)の皮だ。
 いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋(たず)ねたら、北向きの三畳に風邪(かぜ)を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊(ぼ)っちゃんいつ家(うち)をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子(ようす)で、胡麻塩(ごましお)の鬢(びん)の乱れをしきりに撫(な)でた。あまり気の毒だから「行(ゆ)く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰(なぐさ)めてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後(えちご)の笹飴(ささあめ)が食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根(はこね)のさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
 出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中(とちゅう)小間物屋で買って来た歯磨(はみがき)と楊子(ようじ)と手拭(てぬぐい)をズックの革鞄(かばん)に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ仱贽zんだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌(きげん)よう」と小さな声で云った。目に涙(なみだ)が一杯(いっぱい)たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫(だいしょうぶ)だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。

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发表于 2004-4-8 23:00:00 | 显示全部楼层
发错地方了!
这次给你转到『 日语语言文学研究 』版面。
以后请根据内容来选择相关版面发贴!
另连载性的帖子请尽量归纳在同一个主题之下。
注意各版版规!下不为例!
[/COLOR]
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发表于 2004-4-8 23:00:00 | 显示全部楼层
  ぶうと云(い)って汽船がとまると、艀(はしけ)が岸を離(はな)れて、漕(こ)ぎ寄せて来た。船頭は真(ま)っ裸(ぱだか)に赤ふんどしをしめている。野蛮(やばん)な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼(め)がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森(おおもり)ぐらいな漁村だ。人を馬鹿(ばか)にしていらあ、こんな所に我慢(がまん)が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢(いせい)よく一番に飛び込んだ。続(つ)づいて五六人は仱盲郡恧ΑM猡舜螭氏洌à悉常─蛩膜膜肖攴eみ込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻(もど)して来た。陸(おか)へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯(いそ)に立っていた鼻たれ小僧(こぞう)をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎(いなか)ものだ。猫(ねこ)の額ほどな町内の癖(くせ)に、中学校のありかも知らぬ奴(やつ)があるものか。ところへ妙(みょう)な筒(つつ)っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾(つ)いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃(そろ)えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄(かばん)を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
 停車場はすぐ知れた。切符(きっぷ)も訳なく買った。仱贽zんでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭(やと)って、中学校へ来たら、もう放課後で誰(だれ)も居ない。宿直はちょっと用達(ようたし)に出たと小使(こづかい)が教えた。随分(ずいぶん)気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋(たず)ねようかと思ったが、草臥(くたび)れたから、車に仱盲扑尬荬剡Bれて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋(やましろや)と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎(かんたろう)の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
 何だか二階の楷子段(はしごだん)の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞(ふさ)がっておりますからと云いながら革鞄を抛(ほう)り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗(あせ)をかいて我慢(がまん)していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗(のぞ)いてみると涼(すず)しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘(うそ)をつきゃあがった。それから下女が膳(ぜん)を持って来た。部屋は熱(あ)つかったが、飯は下宿のよりも大分旨(うま)かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当(あた)り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞(きこ)えた。くだらないから、すぐ寝(ね)たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々(そうぞう)しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清(きよ)の夢(ゆめ)を見た。清が越後(えちご)の笹飴(ささあめ)を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云(い)って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突(つ)き抜(ぬ)けたような天気だ。
 道中(どうちゅう)をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末(そまつ)に取り扱われると聞いていた。こんな、狭(せま)くて暗い部屋へ押(お)し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装(なり)をして、ズックの革鞄と毛繻子(けじゅす)の蝙蝠傘(こうもり)を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括(みくび)ったな。一番茶代をやって驚(おどろ)かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐(ふところ)に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰(もら)うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚(おど)ろいて眼を廻(まわ)すに極(きま)っている。どうするか見ろと済(すま)まして顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆(ぼん)を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面(つら)よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪(しゃく)に障(さわ)ったから、中途(ちゅうと)で五円札(さつ)を一枚(まい)出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸(でか)けた。靴(くつ)は磨(みが)いてなかった。
 学校は昨日(きのう)車で仱辘膜堡郡椤⒋蟾牛à郡いぃ─我姷堡戏证盲皮い搿K膜慕扦蚨惹盲郡椁工伴Tの前へ出た。門から玄関(げんかん)までは御影石(みかげいし)で敷(し)きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗(むやみ)に仰山(ぎょうさん)な音がするので少し弱った。途中から小倉(こくら)の制服を着た生徒にたくさん逢(あ)ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪(わ)るくなった。名刺(めいし)を出したら校長室へ通した。校長は薄髯(うすひげ)のある、色のぁ⒛郡未螭世辏à郡踏─韦瑜Δ誓肖扦ⅳ搿¥浃摔猡盲郡い证盲皮い俊¥蓼⒕訾筏泼銖姢筏皮欷仍皮盲啤⒐ВàΔ浃Δ洌─筏螭视·无啵à担─盲俊⒋橇瞍蚨桑à铯浚─筏俊¥长未橇瞍蠔|京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込(こ)んでしまった。校長は今に職員に紹介(しょうかい)してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒(めんどう)な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
 教員が控所(ひかえじょ)へ揃(そろ)うには一時間目の喇叭(らっぱ)が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々(おいおい)ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑(の)み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲(むてっぽう)なものをつらまえて、生徒の模範(もはん)になれの、一校の師表(しひょう)と仰(あお)がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及(およ)ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々(はるばる)こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩(けんか)の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇(やと)う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘(うそ)をつくのが嫌(きら)いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断(こと)わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布(さいふ)の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜(お)しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底(とうてい)あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇(おどさ)さなければいいのに。
 そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並(なら)べてみんな腰(こし)をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人(ひとりびとり)の前へ行って辞令を出して挨拶(あいさつ)をした。大概(たいがい)は椅子(いす)を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭(うやうや)しく返却(へんきゃく)した。まるで宮芝居の真似(まね)だ。十五人目に体操(たいそう)の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向(むこ)うは一度で済む。こっちは同じ所作(しょさ)を十五返繰り返している。少しはひとの了見(りょうけん)も察してみるがいい。
 挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙(みょう)に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣(しゃつ)を着ている。いくらか薄(うす)い地には相違(そうい)なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装(なり)をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿(ばか)にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体(からだ)に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂(あつ)らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴(はかま)も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀(こが)とか云う大変顔色の悪(わ)るい男が居た。大概顔の蒼(あお)い人は瘠(や)せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔(むかし)小学校へ行く時分、浅井(あさい)の民(たみ)さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓(ひゃくしょう)だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子(とうなす)ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬(むく)いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違(ちが)いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田(ほった)というのが居た。これは逞(たくま)しい毬栗坊主(いがぐりぼうず)で、叡山(えいざん)の悪僧(あくそう)と云うべき面構(つらがまえ)である。人が叮寧(ていねい)に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給(きたま)えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀(れいぎ)を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐(やまあらし)という渾名(あだな)をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅(かた)いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精(れいせい)で、――とのべつに弁じたのは愛嬌(あいきょう)のあるお爺(じい)さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾(すきや)の羽織を着て、扇子(せんす)をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉(うれ)しい、お仲間が出来て……私(わたし)もこれで江戸(えど)っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
 挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日(あさって)から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々(いまいま)しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿(とま)ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨(はくぼく)を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
 それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布(あざぶ)の聯隊(れんたい)より立派でない。大通りも見た。神楽坂(かぐらざか)を半分に狭くしたぐらいな道幅(みちはば)で町並(まちなみ)はあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張(いば)ってる人間は可哀想(かわいそう)なものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大抵(たいてい)は見尽(みつく)したのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。帳場に坐(すわ)っていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。靴(くつ)を脱(ぬ)いで上がると、お座敷(ざしき)があきましたからと下女が二階へ案内をした。十五畳(じょう)の表二階で大きな床(とこ)の間(ま)がついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はない。この後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで浴衣(ゆかた)一枚になって座敷の真中(まんなか)へ大の字に寝てみた。いい心持ちである。
 昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが大嫌(だいきら)いだ。またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発(ふんぱつ)して長いのを書いてやった。その文句はこうである。
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」
 手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気(ねむけ)がさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寝た。今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目が覚めたら、山嵐がはいって来た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼狽(ろうばい)した。受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日は愚(おろか)、明日(あした)から始めろと云ったって驚ろかない。授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、僕(ぼく)がいい下宿を周旋(しゅうせん)してやるから移りたまえ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから学校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。なるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。月給をみんな宿料(しゅくりょう)に払(はら)っても追っつかないかもしれぬ。五円の茶代を奮発(ふんぱつ)してすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移る者なら、早く引き越(こ)して落ち付く方が便利だから、そこのところはよろしく山嵐に頼(たの)む事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに来てみろと云うから、行った。町はずれの岡の中腹にある家で至極閑静(かんせい)だ。主人は骨董(こっとう)を売買するいか銀と云う男で、女房(にょうぼう)は亭主(ていしゅ)よりも四つばかり年嵩(としかさ)の女だ。中学校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の女房だから構わない。とうとう明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通町(とおりちょう)で氷水を一杯奢(ぱいおご)った。学校で逢った時はやに横風(おうふう)な失敬な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだ。ただおれと同じようにせっかちで肝癪持(かんしゃくもち)らしい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。


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发表于 2004-4-8 23:00:00 | 显示全部楼层
いよいよ学校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ仱盲繒rは、何だか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。生徒はやかましい。時々図抜(ずぬ)けた大きな声で先生と云(い)う。先生には応(こた)えた。今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥(うんでい)の差だ。何だか足の裏がむずむずする。おれは卑怯(ひきょう)な人間ではない。臆病(おくびょう)な男でもないが、惜(お)しい事に胆力(たんりょく)が欠けている。先生と大きな声をされると、腹の減った時に丸の内で午砲(どん)を聞いたような気がする。最初の一時間は何だかいい加減にやってしまった。しかし別段困った質問も掛(か)けられずに済んだ。控所(ひかえじょ)へ帰って来たら、山嵐がどうだいと聞いた。うんと単簡に返事をしたら山嵐は安心したらしかった。
 二時間目に白墨(はくぼく)を持って控所を出た時には何だか敵地へ仱贽z(こ)むような気がした。教場へ出ると今度の組は前より大きな奴(やつ)ばかりである。おれは江戸(えど)っ子で華奢(きゃしゃ)に小作りに出来ているから、どうも高い所へ上がっても押(お)しが利かない。喧嘩(けんか)なら相撲取(すもうとり)とでもやってみせるが、こんな大僧(おおぞう)を四十人も前へ並(なら)べて、ただ一枚(まい)の舌をたたいて恐縮(きょうしゅく)させる手際はない。しかしこんな田舎者(いなかもの)に弱身を見せると癖(くせ)になると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。最初のうちは、生徒も烟(けむ)に捲(ま)かれてぼんやりしていたから、それ見ろとますます得意になって、べらんめい調を用いてたら、一番前の列の真中(まんなか)に居た、一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と云う。そら来たと思いながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる遣(や)って、おくれんかな、もし」と云った。おくれんかな[#「おくれんかな」に傍点]、もし[#「もし」に傍点]は生温(なまぬ)るい言葉だ。早過ぎるなら、ゆっくり云ってやるが、おれは江戸っ子だから君等(きみら)の言葉は使えない、分(わか)らなければ、分るまで待ってるがいいと答えてやった。この調子で二時間目は思ったより、うまく行った。ただ帰りがけに生徒の一人がちょっとこの問題を解釈をしておくれんかな、もし、と出来そうもない幾何(きか)の問題を持って逼(せま)ったには冷汗(ひやあせ)を流した。仕方がないから何だか分らない、この次教えてやると急いで引き揚(あ)げたら、生徒がわあと囃(はや)した。その中に出来ん出来んと云う声が聞(きこ)える。箆棒(べらぼう)め、先生だって、出来ないのは当り前だ。出来ないのを出来ないと云うのに不思議があるもんか。そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って来た。今度はどうだとまた山嵐が聞いた。うんと云ったが、うんだけでは気が済まなかったから、この学校の生徒は分らずやだなと云ってやった。山嵐は妙(みょう)な顔をしていた。
 三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ失敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひと通り済んだが、まだ帰れない、三時までぽつ然(ねん)として待ってなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分の教室を掃除(そうじ)して報知(しらせ)にくるから検分をするんだそうだ。それから、出席簿(しゅっせきぼ)を一応調べてようやくお暇(ひま)が出る。いくら月給で買われた身体(からだ)だって、あいた時間まで学校へ縛(しば)りつけて机と睨(にら)めっくらをさせるなんて法があるものか。しかしほかの連中はみんな大人(おとな)しくご規則通りやってるから新参のおればかり、だだを捏(こ)ねるのもよろしくないと思って我慢(がまん)していた。帰りがけに、君何でもかんでも三時過(すぎ)まで学校にいさせるのは愚(おろか)だぜと山嵐に訴えたら、山嵐はそうさアハハハと笑ったが、あとから真面目(まじめ)になって、君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ。云うなら僕(ぼく)だけに話せ、随分(ずいぶん)妙な人も居るからなと忠告がましい事を云った。四つ角で分れたから詳(くわ)しい事は聞くひまがなかった。
 それからうちへ帰ってくると、宿の亭主(ていしゅ)がお茶を入れましょうと云ってやって来る。お茶を入れると云うからご馳走(ちそう)をするのかと思うと、おれの茶を遠慮(えんりょ)なく入れて自分が飲むのだ。この様子では留守中(るすちゅう)も勝手にお茶を入れましょうを一人(ひとり)で履行(りこう)しているかも知れない。亭主が云うには手前は書画骨董(しょがこっとう)がすきで、とうとうこんな商買を内々で始めるようになりました。あなたもお見受け申すところ大分ご風流でいらっしゃるらしい。ちと道楽にお始めなすってはいかがですと、飛んでもない勧誘(かんゆう)をやる。二年前ある人の使(つかい)に帝国(ていこく)ホテルへ行った時は錠前(じょうまえ)直しと間違(まちが)えられた事がある。ケットを被(かぶ)って、鎌倉(かまくら)の大仏を見物した時は車屋から親方と云われた。その外今日(こんにち)まで見損(みそくな)われた事は随分あるが、まだおれをつらまえて大分ご風流でいらっしゃると云ったものはない。大抵(たいてい)はなりや様子でも分る。風流人なんていうものは、画(え)を見ても、頭巾(ずきん)を被(かぶ)るか短冊(たんざく)を持ってるものだ。このおれを風流人だなどと真面目に云うのはただの曲者(くせもの)じゃない。おれはそんな呑気(のんき)な隠居(いんきょ)のやるような事は嫌(きら)いだと云ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好きなものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注いで妙な手付(てつき)をして飲んでいる。実はゆうべ茶を買ってくれと頼(たの)んでおいたのだが、こんな苦い濃(こ)い茶はいやだ。一杯(ぱい)飲むと胃に答えるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれと云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。人の茶だと思って無暗(むやみ)に飲む奴(やつ)だ。主人が引き下がってから、明日の下読(したよみ)をしてすぐ寝(ね)てしまった。
 それから毎日毎日学校へ出ては規則通り働く、毎日毎日帰って来ると主人がお茶を入れましょうと出てくる。一週間ばかりしたら学校の様子もひと通りは飲み込めたし、宿の夫婦の人物も大概(たいがい)は分った。ほかの教師に聞いてみると辞令を受けて一週間から一ヶ月ぐらいの間は自分の評判がいいだろうか、悪(わ)るいだろうか非常に気に掛(か)かるそうであるが、おれは一向そんな感じはなかった。教場で折々しくじるとその時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つと奇麗(きれい)に消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影響(えいきょう)を与(あた)えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈(てい)するかまるで無頓着(むとんじゃく)であった。おれは前に云う通りあまり度胸の据(すわ)った男ではないのだが、思い切りはすこぶるいい人間である。この学校がいけなければすぐどっかへ行(ゆ)く覚悟(かくご)でいたから、狸(たぬき)も赤シャツも、ちっとも恐(おそろ)しくはなかった。まして教場の小僧(こぞう)共なんかには愛嬌(あいきょう)もお世辞も使う気になれなかった。学校はそれでいいのだが下宿の方はそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろな者を持ってくる。始めに持って来たのは何でも印材で、十(とお)ばかり並(なら)べておいて、みんなで三円なら安い物だお買いなさいと云う。田舎巡(いなかまわ)りのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものは入らないと云ったら、今度は華山(かざん)とか何とか云う男の花鳥の掛物(かけもの)をもって来た。自分で床(とこ)の間(ま)へかけて、いい出来じゃありませんかと云うから、そうかなと好加減(いいかげん)に挨拶(あいさつ)をすると、華山には二人(ふたり)ある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、この幅(ふく)はその何とか華山の方だと、くだらない講釈をしたあとで、どうです、あなたなら十五円にしておきます。お買いなさいと催促(さいそく)をする。金がないと断わると、金なんか、いつでもようございますとなかなか頑固(がんこ)だ。金があつても買わないんだと、その時は追っ払(ぱら)っちまった。その次には鬼瓦(おにがわら)ぐらいな大硯(おおすずり)を担ぎ込んだ。これは端渓(たんけい)です、端渓ですと二遍(へん)も三遍も端渓がるから、面白半分に端渓た何だいと聞いたら、すぐ講釈を始め出した。端渓には上層中層下層とあって、今時のものはみんな上層ですが、これはたしかに中層です、この眼(がん)をご覧なさい。眼が三つあるのは珍(めず)らしい。溌墨(はつぼく)の具合も至極よろしい、試してご覧なさいと、おれの前へ大きな硯を突(つ)きつける。いくらだと聞くと、持主が支那(しな)から持って帰って来て是非売りたいと云いますから、お安くして三十円にしておきましょうと云う。この男は馬鹿(ばか)に相違(そうい)ない。学校の方はどうかこうか無事に勤まりそうだが、こう骨董責(こっとうぜめ)に逢(あ)ってはとても長く続きそうにない。
 そのうち学校もいやになった。  [原注 このところ原稿に漱石自身の指定で二字アケルとある]ある日の晩大町(おおまち)と云う所を散歩していたら郵便局の隣(とな)りに蕎麦(そば)とかいて、下に東京と注を加えた看板があった。おれは蕎麦が大好きである。東京に居(お)った時でも蕎麦屋の前を通って薬味の香(にお)いをかぐと、どうしても暖簾(のれん)がくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りが出来なくなる。ついでだから一杯食って行こうと思って上がり込んだ。見ると看板ほどでもない。東京と断(こと)わる以上はもう少し奇麗にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅法(めっぽう)きたない。畳(たたみ)は色が変ってお負けに砂でざらざらしている。壁(かべ)は煤(すす)で真à蓼盲恚─馈L炀à皮螭袱绀Γ─膝楗螗驻斡脱蹋à妞à螅─菭`(くす)ぼってるのみか、低くって、思わず首を縮めるくらいだ。ただ麗々と蕎麦の名前をかいて張り付けたねだん付けだけは全く新しい。何でも古いうちを買って二三日(にさんち)前から開業したに違(ちが)いなかろう。ねだん付の第一号に天麩羅(てんぷら)とある。おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出した。するとこの時まで隅(すみ)の方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた連中(れんじゅう)が、ひとしくおれの方を見た。部屋(へや)が暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合せると、みんな学校の生徒である。先方で挨拶(あいさつ)をしたから、おれも挨拶をした。その晩は久(ひさ)し振(ぶり)に蕎麦を食ったので、旨(うま)かったから天麩羅を四杯平(たいら)げた。
 翌日何の気もなく教場へはいると、逡槐挨椁い蚀螭首证恰⑻禧熈_先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれは馬鹿馬鹿しいから、天麩羅を食っちゃ可笑(おか)しいかと聞いた。すると生徒の一人(ひとり)が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と云った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た。十分立って次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。但(ただ)し笑うべからず。と澶摔い皮ⅳ搿¥丹盲蟿eに腹も立たなかったが今度は癪(しゃく)に障(さわ)った。冗談(じょうだん)も度を過ごせばいたずらだ。焼餅(やきもち)の梗à恧长玻─韦瑜Δ胜猡韦钦l(だれ)も賞(ほ)め手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押(お)して行っても構わないと云う了見(りょうけん)だろう。一時間あるくと見物する町もないような狭(せま)い都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露(にちろ)戦争のように触(ふ)れちらかすんだろう。憐(あわ)れな奴等(やつら)だ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木悖àΔà肖粒─螚鳎àà牵─撙郡瑜Δ市∪耍à筏绀Δ袱螅─隼搐毪螭馈o邪気(むじゃき)ならいっしょに笑ってもいいが、こりゃなんだ。小供の癖(くせ)に乙(おつ)に毒気を持ってる。おれはだまって、天麩羅を消して、こんないたずらが面白いか、卑怯(ひきょう)な冗談だ。君等は卑怯と云う意味を知ってるか、と云ったら、自分がした事を笑われて怒(おこ)るのが卑怯じゃろうがな、もしと答えた奴がある。やな奴だ。わざわざ東京から、こんな奴を教えに来たのかと思ったら情なくなった。余計な減らず口を利かないで勉強しろと云って、授業を始めてしまった。それから次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。どうも始末に終えない。あんまり腹が立ったから、そんな生意気な奴は教えないと云ってすたすた帰って来てやった。生徒は休みになって喜んだそうだ。こうなると学校より骨董の方がまだましだ。
 天麩羅蕎麦もうちへ帰って、一晩寝たらそんなに肝癪(かんしゃく)に障らなくなった。学校へ出てみると、生徒も出ている。何だか訳が分らない。それから三日ばかりは無事であったが、四日目の晩に住田(すみた)と云う所へ行って団子(だんご)を食った。この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、歩いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓(ゆうかく)がある。おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも逢わなかったから、誰(だれ)も知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二皿(さら)七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払(はら)った。どうも厄介(やっかい)な奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてある。あきれ返った奴等だ。団子がそれで済んだと思ったら今度は赤手拭(あかてぬぐい)と云うのが評判になった。何の事だと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極(き)めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及(およ)ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に邉婴郡砍鰭欤à扦保─搿¥趣长恧肖趣媳丐何餮笫质盲未螭逝颏证橄陇菠菩肖¥长问质盲瑴巳荆à饯蓿─盲可悉亍⒊啶たc(しま)が流れ出したのでちょっと見ると紅色(べにいろ)に見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に仱盲皮猡ⅳ毪い皮狻⒊¥摔证橄陇菠皮い搿¥饯欷巧饯欷问陇虺嗍质贸嗍质盲仍皮Δ螭坤饯Δ馈¥嗓Δ庀沥ね恋丐俗·螭扦毪趣Δ毪丹い猡韦馈¥蓼坤ⅳ搿N氯先Aの新築で上等は浴衣(ゆかた)をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目(てんもく)へ茶を載(の)せて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅沢(ぜいたく)だと云い出した。余計なお世話だ。まだある。湯壺(ゆつぼ)は花崗石(みかげいし)を畳(たた)み上げて、十五畳敷(じょうじき)ぐらいの広さに仕切ってある。大抵(たいてい)は十三四人漬(つか)ってるがたまには誰も居ない事がある。深さは立って乳の辺まであるから、邉婴韦郡幛恕沃肖蛴兢挨韦悉胜胜淇欤à妞ぃ─馈¥欷先摔尉婴胜い韦蛞姕g(みすま)しては十五畳の湯壺を泳ぎ巡(まわ)って喜んでいた。ところがある日三階から威勢(いせい)よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗(のぞ)いてみると、大きな札へ─葴沃肖怯兢挨伽椁氦趣い瀑N(は)りつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまりあるまいから、この貼札(はりふだ)はおれのために特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは断念したが、学校へ出てみると、例の通り澶藴沃肖怯兢挨伽椁氦葧い皮ⅳ毪摔象@(おど)ろいた。何だか生徒全体がおれ一人を探偵(たんてい)しているように思われた。くさくさした。生徒が何を云ったって、やろうと思った事をやめるようなおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情なくなった。それでうちへ帰ると相変らず骨董責である。
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发表于 2004-4-8 23:00:00 | 显示全部楼层
学校には宿直があって、職員が代る代るこれをつとめる。但(ただ)し狸(たぬき)と赤シャツは例外である。何でこの両人が当然の義務を免(まぬ)かれるのかと聞いてみたら、奏任待遇(そうにんたいぐう)だからと云う。面白くもない。月給はたくさんとる、時間は少ない、それで宿直を逃(の)がれるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらえて、それが当(あた)り前(まえ)だというような顔をしている。よくまああんなにずうずうしく出来るものだ。これについては大分不平であるが、山嵐(やまあらし)の説によると、いくら一人(ひとり)で不平を並(なら)べたって通るものじゃないそうだ。一人だって二人(ふたり)だって正しい事なら通りそうなものだ。山嵐は might is right という英語を引いて説諭(せつゆ)を加えたが、何だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利と云う意味だそうだ。強者の権利ぐらいなら昔(むかし)から知っている。今さら山嵐から講釈をきかなくってもいい。強者の権利と宿直とは別問題だ。狸や赤シャツが強者だなんて、誰(だれ)が承知するものか。議論は議論としてこの宿直がいよいよおれの番に廻(まわ)って来た。一体疳性(かんしょう)だから夜具蒲団(やぐふとん)などは自分のものへ楽に寝ないと寝たような心持ちがしない。小供の時から、友達のうちへ泊(とま)った事はほとんどないくらいだ。友達のうちでさえ厭(いや)なら学校の宿直はなおさら厭だ。厭だけれども、これが四十円のうちへ唬à长猓─盲皮い毪胜槭朔饯胜ぁN衣à蓼螅─筏魄冥幛皮浃恧Α
 教師も生徒も帰ってしまったあとで、一人ぽかんとしているのは随分(ずいぶん)間が抜(ぬ)けたものだ。宿直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の西はずれの一室だ。ちょっとはいってみたが、西日をまともに受けて、苦しくって居たたまれない。田舎(いなか)だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ。生徒の賄(まかない)を取りよせて晩飯を済ましたが、まずいには恐(おそ)れ入(い)った。よくあんなものを食って、あれだけに暴れられたもんだ。それで晩飯を急いで四時半に片付けてしまうんだから豪傑(ごうけつ)に違(ちが)いない。飯は食ったが、まだ日が暮(く)れないから寝(ね)る訳に行かない。ちょっと温泉に行きたくなった。宿直をして、外へ出るのはいい事だか、悪(わ)るい事だかしらないが、こうつくねんとして重禁錮(じゅうきんこ)同様な憂目(うきめ)に逢(あ)うのは我慢の出来るもんじゃない。始めて学校へ来た時当直の人はと聞いたら、ちょっと用達(ようたし)に出たと小使(こづかい)が答えたのを妙(みょう)だと思ったが、自分に番が廻(まわ)ってみると思い当る。出る方が正しいのだ。おれは小使にちょっと出てくると云ったら、何かご用ですかと聞くから、用じゃない、温泉へはいるんだと答えて、さっさと出掛(でか)けた。赤手拭(あかてぬぐい)は宿へ忘れて来たのが残念だが今日は先方で借りるとしよう。
 それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく日暮方(ひぐれがた)になったから、汽車へ仱盲乒蓬à长蓼粒─瓮\噲觯à皮い筏悚校─蓼抢搐葡陇辘俊Q¥蓼扦悉长欷樗亩·馈TUはないとあるき出すと、向うから狸が来た。狸はこれからこの汽車で温泉へ行こうと云う計画なんだろう。すたすた急ぎ足にやってきたが、擦(す)れ違(ちが)った時おれの顔を見たから、ちょっと挨拶(あいさつ)をした。すると狸はあなたは今日は宿直ではなかったですかねえ[#「なかったですかねえ」に傍点]と真面目(まじめ)くさって聞いた。なかったですかねえもないもんだ。二時間前おれに向って今夜は始めての宿直ですね。ご苦労さま。と礼を云ったじゃないか。校長なんかになるといやに曲りくねった言葉を使うもんだ。おれは腹が立ったから、ええ宿直です。宿直ですから、これから帰って泊る事はたしかに泊りますと云い捨てて済ましてあるき出した。竪町(たてまち)の四つ角までくると今度は山嵐(やまあらし)に出っ喰(く)わした。どうも狭(せま)い所だ。出てあるきさえすれば必ず誰かに逢う。「おい君は宿直じゃないか」と聞くから「うん、宿直だ」と答えたら、「宿直が無暗(むやみ)に出てあるくなんて、不都合(ふつごう)じゃないか」と云った。「ちっとも不都合なもんか、出てあるかない方が不都合だ」と威張(いば)ってみせた。「君のずぼらにも困るな、校長か教頭に出逢うと面倒(めんどう)だぜ」と山嵐に似合わない事を云うから「校長にはたった今逢った。暑い時には散歩でもしないと宿直も骨でしょうと校長が、おれの散歩をほめたよ」と云って、面倒臭(くさ)いから、さっさと学校へ帰って来た。
 それから日はすぐくれる。くれてから二時間ばかりは小使を宿直部屋へ呼んで話をしたが、それも飽(あ)きたから、寝られないまでも床(とこ)へはいろうと思って、寝巻に着換(きが)えて、蚊帳(かや)を捲(ま)くって、赤い毛布(けっと)を跳(は)ねのけて、とんと尻持(しりもち)を突(つ)いて、仰向(あおむ)けになった。おれが寝るときにとんと尻持をつくのは小供の時からの癖(くせ)だ。わるい癖だと云って小川町(おがわまち)の下宿に居た時分、二階下に居た法律学校の書生が苦情を持ち込(こ)んだ事がある。法律の書生なんてものは弱い癖に、やに口が達者なもので、愚(ぐ)な事を長たらしく述べ立てるから、寝る時にどんどん音がするのはおれの尻がわるいのじゃない。下宿の建築が粗末(そまつ)なんだ。掛(か)ケ合うなら下宿へ掛ケ合えと凹(へこ)ましてやった。この宿直部屋は二階じゃないから、いくら、どしんと倒(たお)れても構わない。なるべく勢(いきおい)よく倒れないと寝たような心持ちがしない。ああ愉快だと足をうんと延ばすと、何だか両足へ飛び付いた。ざらざらして蚤(のみ)のようでもないからこいつあと驚(おど)ろいて、足を二三度毛布(けっと)の中で振(ふ)ってみた。するとざらざらと当ったものが、急に殖(ふ)え出して脛(すね)が五六カ所、股(もも)が二三カ所、尻の下でぐちゃりと踏(ふ)み潰(つぶ)したのが一つ、臍(へそ)の所まで飛び上がったのが一つ――いよいよ驚ろいた。早速(さっそく)起き上(あが)って、毛布(けっと)をぱっと後ろへ抛(ほう)ると、蒲団の中から、バッタが五六十飛び出した。正体の知れない時は多少気味が悪(わ)るかったが、バッタと相場が極(き)まってみたら急に腹が立った。バッタの癖に人を驚ろかしやがって、どうするか見ろと、いきなり括(くく)り枕(まくら)を取って、二三度擲(たた)きつけたが、相手が小さ過ぎるから勢よく抛(な)げつける割に利目(ききめ)がない。仕方がないから、また布団の上へ坐(すわ)って、煤掃(すすはき)の時に蓙(ござ)を丸めて畳(たたみ)を叩(たた)くように、そこら近辺を無暗にたたいた。バッタが驚ろいた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれの肩(かた)だの、頭だの鼻の先だのへくっ付いたり、ぶつかったりする。顔へ付いた奴(やつ)は枕で叩く訳に行かないから、手で攫(つか)んで、一生懸命に擲きつける。忌々(いまいま)しい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動くだけで少しも手答がない。バッタは擲きつけられたまま蚊帳へつらまっている。死にもどうもしない。ようやくの事に三十分ばかりでバッタは退治(たいじ)た。箒(ほうき)を持って来てバッタの死骸(しがい)を掃き出した。小使が来て何ですかと云うから、何ですかもあるもんか、バッタを床の中に飼(か)っとく奴がどこの国にある。間抜(まぬけ)め。と叱(しか)ったら、私は存じませんと弁解をした。存じませんで済むかと箒を椽側(えんがわ)へ抛(ほう)り出したら、小使は恐る恐る箒を担いで帰って行った。
 おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だろうが十人だろうが構うものか。寝巻のまま腕(うで)まくりをして談判を始めた。
「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」
「バッタた何ぞな」と真先(まっさき)の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、生憎(あいにく)掃き出してしまって一匹(ぴき)も居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃溜(はきだめ)へ棄(す)ててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は急いで馳(か)け出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかり載(の)せて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこれだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云う。小使まで馬鹿(ばか)だ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣(や)り込(こ)めた。「篦棒(べらぼう)め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕(つら)まえてなもし[#「なもし」に傍点]た何だ。菜飯(なめし)は田楽(でんがく)の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもし[#「なもし」に傍点]を使う奴だ。
「イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれと頼(たの)んだ」
「誰も入れやせんがな」
「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」
「イナゴは温(ぬく)い所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ」
「馬鹿あ云え。バッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたずらをしたか、云え」
「云えてて、入れんものを説明しようがないがな」
 けちな奴等(やつら)だ。自分で自分のした事が云えないくらいなら、てんでしないがいい。証拠(しょうこ)さえ挙がらなければ、しらを切るつもりで図太く構えていやがる。おれだって中学に居た時分は少しはいたずらもしたもんだ。しかしだれがしたと聞かれた時に、尻込みをするような卑怯(ひきょう)な事はただの一度もなかった。したものはしたので、しないものはしないに極(きま)ってる。おれなんぞは、いくら、いたずらをしたって潔白なものだ。嘘を吐(つ)いて罰(ばつ)を逃(に)げるくらいなら、始めからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰はご免蒙(めんこうむ)るなんて下劣(げれつ)な根性がどこの国に流行(はや)ると思ってるんだ。金は借りるが、返す事はご免だと云う連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違(そうい)ない。全体中学校へ何しにはいってるんだ。学校へはいって、嘘を吐いて、胡魔化(ごまか)して、陰(かげ)でこせこせ生意気な悪いたずらをして、そうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと癇違(かんちが)いをしていやがる。話せない雑兵(ぞうひょう)だ。
 おれはこんな腐(くさ)った了見(りょうけん)の奴等と談判するのは胸糞(むなくそ)が悪(わ)るいから、「そんなに云われなきゃ、聞かなくっていい。中学校へはいって、上品も下品も区別が出来ないのは気の毒なものだ」と云って六人を逐(お)っ放(ぱな)してやった。おれは言葉や様子こそあまり上品じゃないが、心はこいつらよりも遥(はる)かに上品なつもりだ。六人は悠々(ゆうゆう)と引き揚(あ)げた。上部(うわべ)だけは教師のおれよりよっぽどえらく見える。実は落ち付いているだけなお悪るい。おれには到底(とうてい)これほどの度胸はない。
 それからまた床へはいって横になったら、さっきの騒動(そうどう)で蚊帳の中はぶんぶん唸(うな)っている。手燭(てしょく)をつけて一匹ずつ焼くなんて面倒な事は出来ないから、釣手(つりて)をはずして、長く畳(たた)んでおいて部屋の中で横竪(よこたて)十文字に振(ふる)ったら、環(かん)が飛んで手の甲(こう)をいやというほど撲(ぶ)った。三度目に床へはいった時は少々落ち付いたがなかなか寝られない。時計を見ると十時半だ。考えてみると厄介な所へ来たもんだ。一体中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にするなら気の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。よっぽど辛防(しんぼう)強い朴念仁(ぼくねんじん)がなるんだろう。おれには到底やり切れない。それを思うと清(きよ)なんてのは見上げたものだ。教育もない身分もない婆(ばあ)さんだが、人間としてはすこぶる尊(たっ)とい。今まではあんなに世話になって別段難有(ありがた)いとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。越後(えちご)の笹飴(ささあめ)が食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価値は充分(じゅうぶん)ある。清はおれの事を欲がなくって、真直(まっすぐ)な気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなった。
 清の事を考えながら、のつそつしていると、突然(とつぜん)おれの頭の上で、数で云ったら三四十人もあろうか、二階が落っこちるほどどん、どん、どんと拍子(ひょうし)を取って床板を踏みならす音がした。すると足音に比例した大きな簦à趣─紊穑à常─盲俊¥欷虾问陇证辽悉盲郡韦润@ろいて飛び起きた。飛び起きる途端(とたん)に、ははあさっきの意趣返(いしゅがえ)しに生徒があばれるのだなと気がついた。手前のわるい事は悪るかったと言ってしまわないうちは罪は消えないもんだ。わるい事は、手前達に覚(おぼえ)があるだろう。本来なら寝てから後悔(こうかい)してあしたの朝でもあやまりに来るのが本筋だ。たとい、あやまらないまでも恐れ入って、静粛(せいしゅく)に寝ているべきだ。それを何だこの騒(さわ)ぎは。寄宿舎を建てて豚(ぶた)でも飼っておきあしまいし。気狂(きちが)いじみた真似(まね)も大抵(たいてい)にするがいい。どうするか見ろと、寝巻のまま宿直部屋を飛び出して、楷子段(はしごだん)を三股半(みまたはん)に二階まで躍(おど)り上がった。すると不思議な事に、今まで頭の上で、たしかにどたばた暴れていたのが、急に静まり返って、人声どころか足音もしなくなった。これは妙だ。ランプはすでに消してあるから、暗くてどこに何が居るか判然と分(わか)らないが、人気(ひとけ)のあるとないとは様子でも知れる。長く東から西へ貫(つらぬ)いた廊下(ろうか)には鼠(ねずみ)一匹(ぴき)も隠(かく)れていない。廊下のはずれから月がさして、遥か向うが際どく明るい。どうも変だ、おれは小供の時から、よく夢(ゆめ)を見る癖があって、夢中(むちゅう)に跳ね起きて、わからぬ寝言を云って、人に笑われた事がよくある。十六七の時ダイヤモンドを拾った夢を見た晩なぞは、むくりと立ち上がって、そばに居た兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常な勢(いきおい)で尋(たず)ねたくらいだ。その時は三日ばかりうち中(じゅう)の笑い草になって大いに弱った。ことによると今のも夢かも知れない。しかしたしかにあばれたに違いないがと、廊下の真中(まんなか)で考え込んでいると、月のさしている向うのはずれで、一二三わあと、三四十人の声がかたまって響(ひび)いたかと思う間もなく、前のように拍子を取って、一同が床板(ゆかいた)を踏み鳴らした。それ見ろ夢じゃないやっぱり事実だ。静かにしろ、夜なかだぞ、とこっちも負けんくらいな声を出して、廊下を向うへ馳(か)けだした。おれの通る路(みち)は暗い、ただはずれに見える月あかりが目標(めじるし)だ。おれが馳け出して二間も来たかと思うと、廊下の真中で、堅(かた)い大きなものに向脛(むこうずね)をぶつけて、あ痛い[#「あ痛い」に傍点]が頭へひびく間に、身体はすとんと前へ抛(ほう)り出された。こん畜生(ちきしょう)と起き上がってみたが、馳けられない。気はせくが、足だけは云う事を利かない。じれったいから、一本足で飛んで来たら、もう足音も人声も静まり返って、森(しん)としている。いくら人間が卑怯だって、こんなに卑怯に出来るものじゃない。まるで豚だ。こうなれば隠れている奴を引きずり出して、あやまらせてやるまではひかないぞと、心を極(き)めて寝室(しんしつ)の一つを開けて中を検査しようと思ったが開かない。錠(じょう)をかけてあるのか、机か何か積んで立て懸(か)けてあるのか、押(お)しても、押しても決して開かない。今度は向う合せの北側の室(へや)を試みた。開かない事はやっぱり同然である。おれが戸を開けて中に居る奴を引っ捕(つ)らまえてやろうと、焦慮(いらっ)てると、また東のはずれで簸紊茸闩淖婴激蓼盲俊¥长我袄桑à浃恧Γ┥辘泛悉护啤|西相応じておれを馬鹿にする気だな、とは思ったがさてどうしていいか分らない。正直に白状してしまうが、おれは勇気のある割合に智慧(ちえ)が足りない。こんな時にはどうしていいかさっぱりわからない。わからないけれども、決して負けるつもりはない。このままに済ましてはおれの顔にかかわる。江戸(えど)っ子は意気地(いくじ)がないと云われるのは残念だ。宿直をして鼻垂(はなった)れ小僧(こぞう)にからかわれて、手のつけようがなくって、仕方がないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本(はたもと)だ。旗本の元は清和源氏(せいわげんじ)で、多田(ただ)の満仲(まんじゅう)の後裔(こうえい)だ。こんな土百姓(どびゃくしょう)とは生まれからして違うんだ。ただ智慧のないところが惜しいだけだ。どうしていいか分らないのが困るだけだ。困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考えてみろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさって勝つ。あさって勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここに居る。おれはこう決心をしたから、廊下の真中へあぐらをかいて夜のあけるのを待っていた。蚊がぶんぶん来たけれども何ともなかった。さっき、ぶつけた向脛を撫(な)でてみると、何だかぬらぬらする。血が出るんだろう。血なんか出たければ勝手に出るがいい。そのうち最前からの疲(つか)れが出て、ついうとうと寝てしまった。何だか騒がしいので、眼(め)が覚めた時はえっ糞(くそ)しまったと飛び上がった。おれの坐(すわ)ってた右側にある戸が半分あいて、生徒が二人、おれの前に立っている。おれは正気に返って、はっと思う途端に、おれの鼻の先にある生徒の足を引(ひ)っ攫(つか)んで、力任せにぐいと引いたら、そいつは、どたりと仰向(あおむけ)に倒れた。ざまを見ろ。残る一人がちょっと狼狽(ろうばい)したところを、飛びかかって、肩を抑(おさ)えて二三度こづき廻したら、あっけに取られて、眼をぱちぱちさせた。さあおれの部屋まで来いと引っ立てると、弱虫だと見えて、一も二もなく尾(つ)いて来た。夜(よ)はとうにあけている。
 おれが宿直部屋へ連れてきた奴を詰問(きつもん)し始めると、豚は、打(ぶ)っても擲いても豚だから、ただ知らんがなで、どこまでも通す了見と見えて、けっして白状しない。そのうち一人来る、二人来る、だんだん二階から宿直部屋へ集まってくる。見るとみんな眠(ねむ)そうに瞼(まぶた)をはらしている。けちな奴等だ。一晩ぐらい寝ないで、そんな面をして男と云われるか。面でも洗って議論に来いと云ってやったが、誰も面を洗いに行かない。
 おれは五十人あまりを相手に約一時間ばかり押問答(おしもんどう)をしていると、ひょっくり狸がやって来た。あとから聞いたら、小使が学校に騒動がありますって、わざわざ知らせに行ったのだそうだ。これしきの事に、校長を呼ぶなんて意気地がなさ過ぎる。それだから中学校の小使なんぞをしてるんだ。
 校長はひと通りおれの説明を聞いた。生徒の言草(いいぐさ)もちょっと聞いた。追って処分するまでは、今まで通り学校へ出ろ。早く顔を洗って、朝飯を食わないと時間に間に合わないから、早くしろと云って寄宿生をみんな放免(ほうめん)した。手温(てぬ)るい事だ。おれなら即席(そくせき)に寄宿生をことごとく退校してしまう。こんな悠長(ゆうちょう)な事をするから生徒が宿直員を馬鹿にするんだ。その上おれに向って、あなたもさぞご心配でお疲れでしょう、今日はご授業に及(およ)ばんと云うから、おれはこう答えた。「いえ、ちっとも心配じゃありません。こんな事が毎晩あっても、命のある間は心配にゃなりません。授業はやります、一晩ぐらい寝なくって、授業が出来ないくらいなら、頂戴(ちょうだい)した月給を学校の方へ割戻(わりもど)します」校長は何と思ったものか、しばらくおれの顔を見つめていたが、しかし顔が大分はれていますよと注意した。なるほど何だか少々重たい気がする。その上べた一面痒(かゆ)い。蚊がよっぽと刺(さ)したに相違ない。おれは顔中ぼりぼり掻(か)きながら、顔はいくら膨(は)れたって、口はたしかにきけますから、授業には差し支(つか)えませんと答えた。校長は笑いながら、大分元気ですねと賞(ほ)めた。実を云うと賞めたんじゃあるまい、ひやかしたんだろう。



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发表于 2004-4-8 23:00:00 | 显示全部楼层
&nbsp;&nbsp;君釣(つ)りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味の悪(わ)るいように優しい声を出す男である。まるで男だか女だか分(わか)りゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じゃないか。物理学校でさえおれくらいな声が出るのに、文学士がこれじゃ見っともない。

 おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。あんまりないが、子供の時、小梅(こうめ)の釣堀(つりぼり)で鮒(ふな)を三匹(びき)釣った事がある。それから神楽坂(かぐらざか)の毘沙門(びしゃもん)の縁日(えんにち)で八寸ばかりの鯉(こい)を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても惜(お)しいと云(い)ったら、赤シャツは顋(あご)を前の方へ突(つ)き出してホホホホと笑った。何もそう気取って笑わなくっても、よさそうな者だ。「それじゃ、まだ釣りの味は分らんですな。お望みならちと伝授しましょう」とすこぶる得意である。だれがご伝授をうけるものか。一体釣や猟(りょう)をする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。不人情でなくって、殺生(せっしょう)をして喜ぶ訳がない。魚だって、鳥だって殺されるより生きてる方が楽に極(き)まってる。釣や猟をしなくっちゃ活計(かっけい)がたたないなら格別だが、何不足なく暮(くら)している上に、生き物を殺さなくっちゃ寝られないなんて贅沢(ぜいたく)な話だ。こう思ったが向(むこ)うは文学士だけに口が達者だから、議論じゃ叶(かな)わないと思って、だまってた。すると先生このおれを降参させたと疳違(かんちが)いして、早速伝授しましょう。おひまなら、今日どうです、いっしょに行っちゃ。吉川(よしかわ)君と二人(ふたり)ぎりじゃ、淋(さむ)しいから、来たまえとしきりに勧める。吉川君というのは画学の教師で例の野だいこの事だ。この野だは、どういう了見(りょうけん)だか、赤シャツのうちへ朝夕出入(でいり)して、どこへでも随行(ずいこう)して行(ゆ)く。まるで同輩(どうはい)じゃない。主従(しゅうじゅう)みたようだ。赤シャツの行く所なら、野だは必ず行くに極(きま)っているんだから、今さら驚(おど)ろきもしないが、二人で行けば済むところを、なんで無愛想(ぶあいそ)のおれへ口を掛(か)けたんだろう。大方高慢(こうまん)ちきな釣道楽で、自分の釣るところをおれに見せびらかすつもりかなんかで誘(さそ)ったに違いない。そんな事で見せびらかされるおれじゃない。鮪(まぐろ)の二匹や三匹釣ったって、びくともするもんか。おれだって人間だ、いくら下手(へた)だって糸さえ卸(おろ)しゃ、何かかかるだろう、ここでおれが行かないと、赤シャツの事だから、下手だから行かないんだ、嫌(きら)いだから行かないんじゃないと邪推(じゃすい)するに相違(そうい)ない。おれはこう考えたから、行きましょうと答えた。それから、学校をしまって、一応うちへ帰って、支度(したく)を整えて、停車場で赤シャツと野だを待ち合せて浜(はま)へ行った。船頭は一人(ひとり)で、船(ふね)は細長い東京辺では見た事もない恰好(かっこう)である。さっきから船中見渡(みわた)すが釣竿(つりざお)が一本も見えない。釣竿なしで釣が出来るものか、どうする了見だろうと、野だに聞くと、沖釣(おきづり)には竿は用いません、糸だけでげすと顋を撫(な)でて耍à恧Δ龋─袱撙渴陇蛟皮盲俊¥长η玻à洌─贽z(こ)められるくらいならだまっていればよかった。

 船頭はゆっくりゆっくり漕(こ)いでいるが熟練は恐(おそろ)しいもので、見返(みか)えると、浜が小さく見えるくらいもう出ている。高柏寺(こうはくじ)の五重の塔(とう)が森の上へ抜(ぬ)け出して針のように尖(とん)がってる。向側(むこうがわ)を見ると青嶋(あおしま)が浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松(まつ)ばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望(ちょうぼう)していい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹(ふ)かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見たまえ、幹が真直(まっすぐ)で、上が傘(かさ)のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙(だま)っていた。舟は島を右に見てぐるりと廻(まわ)った。波は全くない。これで海だとは受け取りにくいほど平(たいら)だ。赤シャツのお陰(かげ)ではなはだ愉快(ゆかい)だ。出来る事なら、あの島の上へ上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられん事もないですが、釣をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。おれは黙ってた。すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議(ほつぎ)をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々(われわれ)はこれからそう云おうと賛成した。この吾々のうちにおれもはいってるなら迷惑(めいわく)だ。おれには青嶋でたくさんだ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪るい笑い方をした。なに誰も居ないから大丈夫(だいじょうぶ)ですと、ちょっとおれの方を見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。おれは何だかやな心持ちがした。マドンナだろうが、小旦那(こだんな)だろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って分らないから聞いたって構やしませんてえような風をする。下品な仕草だ。これで当人は私(わたし)も江戸(えど)っ子でげすなどと云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染(なじみ)の芸者の渾名(あだな)か何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺(なが)めていれば世話はない。それを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。

 ここいらがいいだろうと船頭は船をとめて、錨(いかり)を卸した。幾尋(いくひろ)あるかねと赤シャツが聞くと、六尋(むひろ)ぐらいだと云う。六尋ぐらいじゃ鯛(たい)はむずかしいなと、赤シャツは糸を海へなげ込んだ。大将鯛を釣る気と見える、豪胆(ごうたん)なものだ。野だは、なに教頭のお手際じゃかかりますよ。それになぎですからとお世辞を云いながら、これも糸を繰(く)り出して投げ入れる。何だか先に錘(おもり)のような鉛(なまり)がぶら下がってるだけだ。浮(うき)がない。浮がなくって釣をするのは寒暖計なしで熱度をはかるようなものだ。おれには到底(とうてい)出来ないと見ていると、さあ君もやりたまえ糸はありますかと聞く。糸はあまるほどあるが、浮がありませんと云ったら、浮がなくっちゃ釣が出来ないのは素人(しろうと)ですよ。こうしてね、糸が水底(みずそこ)へついた時分に、船縁(ふなべり)の所で人指しゆびで呼吸をはかるんです、食うとすぐ手に答える。――そらきた、と先生急に糸をたぐり始めるから、何かかかったと思ったら何にもかからない、餌(え)がなくなってたばかりだ。いい気味(きび)だ。教頭、残念な事をしましたね、今のはたしかに大ものに違いなかったんですが、どうも教頭のお手際でさえ逃(に)げられちゃ、今日は油断ができませんよ。しかし逃げられても何ですね。浮と睨(にら)めくらをしている連中よりはましですね。ちょうど歯どめがなくっちゃ自転車へ仱欷胜い韦韧潭趣扦工椁亭纫挨坤厦睿à撙瑜Γ─适陇肖赅┥啵à筏悚伲─搿¥瑜盲荬蓳洌à胜埃─辘膜堡皮浃恧Δ人激盲俊¥欷坤盲迫碎gだ、教頭ひとりで借り切った海じゃあるまいし。広い所だ。鰹(かつお)の一匹ぐらい義理にだって、かかってくれるだろうと、どぼんと錘と糸を抛(ほう)り込んでいい加減に指の先であやつっていた。

 しばらくすると、何だかぴくぴくと糸にあたるものがある。おれは考えた。こいつは魚に相違ない。生きてるものでなくっちゃ、こうぴくつく訳がない。しめた、釣れたとぐいぐい手繰(たぐ)り寄せた。おや釣れましたかね、後世恐(おそ)るべしだと野だがひやかすうち、糸はもう大概手繰り込んでただ五尺ばかりほどしか、水に浸(つ)いておらん。船縁から覗(のぞ)いてみたら、金魚のような縞(しま)のある魚が糸にくっついて、右左へ漾(ただよ)いながら、手に応じて浮き上がってくる。面白い。水際から上げるとき、ぽちゃりと跳(は)ねたから、おれの顔は潮水だらけになった。ようやくつらまえて、針をとろうとするがなかなか取れない。捕(つら)まえた手はぬるぬるする。大いに気味がわるい。面倒だから糸を振(ふ)って胴(どう)の間(ま)へ擲(たた)きつけたら、すぐ死んでしまった。赤シャツと野だは驚ろいて見ている。おれは海の中で手をざぶざぶと洗って、鼻の先へあてがってみた。まだ腥臭(なまぐさ)い。もう懲(こ)り懲(ご)りだ。何が釣れたって魚は握(にぎ)りたくない。魚も握られたくなかろう。そうそう糸を捲いてしまった。

 一番槍(いちばんやり)はお手柄(てがら)だがゴルキじゃ、と野だがまた生意気を云うと、ゴルキと云うと露西亜(ロシア)の文学者みたような名だねと赤シャツが洒落(しゃれ)た。そうですね、まるで露西亜の文学者ですねと野だはすぐ賛成しやがる。ゴルキが露西亜の文学者で、丸木が芝(しば)の写真師で、米のなる木が命の親だろう。一体この赤シャツはわるい癖(くせ)だ。誰(だれ)を捕(つら)まえても片仮名の唐人(とうじん)の名を並べたがる。人にはそれぞれ専門があったものだ。おれのような数学の教師にゴルキだか車力(しゃりき)だか見当がつくものか、少しは遠慮(えんりょ)するがいい。云(い)うならフランクリンの自伝だとかプッシング、ツー、ゼ、フロントだとか、おれでも知ってる名を使うがいい。赤シャツは時々帝国文学とかいう真赤(まっか)な雑誌を学校へ持って来て難有(ありがた)そうに読んでいる。山嵐(やまあらし)に聞いてみたら、赤シャツの片仮名はみんなあの雑誌から出るんだそうだ。帝国文学も罪な雑誌だ。

 それから赤シャツと野だは一生懸命(いっしょうけんめい)に釣っていたが、約一時間ばかりのうちに二人(ふたり)で十五六上げた。可笑(おか)しい事に釣れるのも、釣れるのも、みんなゴルキばかりだ。鯛なんて薬にしたくってもありゃしない。今日は露西亜文学の大当りだと赤シャツが野だに話している。あなたの手腕(しゅわん)でゴルキなんですから、私(わたし)なんぞがゴルキなのは仕方がありません。当り前ですなと野だが答えている。船頭に聞くとこの小魚は骨が多くって、まずくって、とても食えないんだそうだ。ただ肥料(こやし)には出来るそうだ。赤シャツと野だは一生懸命に肥料を釣っているんだ。気の毒の至りだ。おれは一匹(ぴき)で懲(こ)りたから、胴の間へ仰向(あおむ)けになって、さっきから大空を眺めていた。釣をするよりこの方がよっぽど洒落(しゃれ)ている。

 すると二人は小声で何か話し始めた。おれにはよく聞(きこ)えない、また聞きたくもない。おれは空を見ながら清(きよ)の事を考えている。金があって、清をつれて、こんな奇麗(きれい)な所へ遊びに来たらさぞ愉快だろう。いくら景色がよくっても野だなどといっしょじゃつまらない。清は皺苦茶(しわくちゃ)だらけの婆さんだが、どんな所へ連れて出たって恥(は)ずかしい心持ちはしない。野だのようなのは、馬車に仱恧Δ⒋藖ろうが、凌雲閣(りょううんかく)へのろうが、到底寄り付けたものじゃない。おれが教頭で、赤シャツがおれだったら、やっぱりおれにへけつけお世辞を使って赤シャツを冷(ひや)かすに違いない。江戸っ子は軽薄(けいはく)だと云うがなるほどこんなものが田舎巡(いなかまわ)りをして、私(わたし)は江戸っ子でげすと繰り返していたら、軽薄は江戸っ子で、江戸っ子は軽薄の事だと田舎者が思うに極まってる。こんな事を考えていると、何だか二人がくすくす笑い出した。笑い声の間に何か云うが途切(とぎ)れ途切れでとんと要領を得ない。

「え? どうだか……」「……全くです……知らないんですから……罪ですね」「まさか……」「バッタを……本当ですよ」

 おれは外の言葉には耳を傾(かたむ)けなかったが、バッタと云う野だの語(ことば)を聴(き)いた時は、思わずきっとなった。野だは何のためかバッタと云う言葉だけことさら力を入れて、明瞭(めいりょう)におれの耳にはいるようにして、そのあとをわざとぼかしてしまった。おれは動かないでやはり聞いていた。

「また例の堀田(ほった)が……」「そうかも知れない……」「天麩羅(てんぷら)……ハハハハハ」「……煽動(せんどう)して……」「団子(だんご)も?」

 言葉はかように途切れ途切れであるけれども、バッタだの天麩羅だの、団子だのというところをもって推し測ってみると、何でもおれのことについて内所話(ないしょばな)しをしているに相違ない。話すならもっと大きな声で話すがいい、また内所話をするくらいなら、おれなんか誘わなければいい。いけ好かない連中だ。バッタだろうが雪踏(せった)だろうが、非はおれにある事じゃない。校長がひとまずあずけろと云ったから、狸(たぬき)の顔にめんじてただ今のところは控(ひか)えているんだ。野だの癖に入らぬ批評をしやがる。毛筆(けふで)でもしゃぶって引っ込んでるがいい。おれの事は、遅(おそ)かれ早かれ、おれ一人で片付けてみせるから、差支(さしつか)えはないが、また例の堀田が[#「また例の堀田が」に傍点]とか煽動して[#「煽動して」に傍点]とか云う文句が気にかかる。堀田がおれを煽動して騒動(そうどう)を大きくしたと云う意味なのか、あるいは堀田が生徒を煽動しておれをいじめたと云うのか方角がわからない。青空を見ていると、日の光がだんだん弱って来て、少しはひやりとする風が吹き出した。線香(せんこう)の烟(けむり)のような雲が、透(す)き徹(とお)る底の上を静かに伸(の)して行ったと思ったら、いつしか底の奥(おく)に流れ込んで、うすくもやを掛(か)けたようになった。

 もう帰ろうかと赤シャツが思い出したように云うと、ええちょうど時分ですね。今夜はマドンナの君にお逢(あ)いですかと野だが云う。赤シャツは馬鹿(ばか)あ云っちゃいけない、間違いになると、船縁に身を倚(も)たした奴(やつ)を、少し起き直る。エヘヘヘヘ大丈夫ですよ。聞いたって……と野だが振り返った時、おれは皿(さら)のような眼(め)を野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやった。野だはまぼしそうに引っ繰り返って、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭を掻(か)いた。何という猪口才(ちょこざい)だろう。

 船は静かな海を岸へ漕(こ)ぎ戻(もど)る。君釣(つり)はあまり好きでないと見えますねと赤シャツが聞くから、ええ寝(ね)ていて空を見る方がいいですと答えて、吸いかけた巻烟草(まきたばこ)を海の中へたたき込んだら、ジュと音がして艪(ろ)の足で掻き分けられた浪(なみ)の上を揺(ゆ)られながら漾(ただよ)っていった。「君が来たんで生徒も大いに喜んでいるから、奮発(ふんぱつ)してやってくれたまえ」と今度は釣にはまるで縁故(えんこ)もない事を云い出した。「あんまり喜んでもいないでしょう」「いえ、お世辞じゃない。全く喜んでいるんです、ね、吉川君」「喜んでるどころじゃない。大騒(おおさわ)ぎです」と野だはにやにやと笑った。こいつの云う事は一々癪(しゃく)に障(さわ)るから妙だ。「しかし君注意しないと、険呑(けんのん)ですよ」と赤シャツが云うから「どうせ険呑です。こうなりゃ険呑は覚悟(かくご)です」と云ってやった。実際おれは免職(めんしょく)になるか、寄宿生をことごとくあやまらせるか、どっちか一つにする了見でいた。「そう云っちゃ、取りつきどころもないが――実は僕も教頭として君のためを思うから云うんだが、わるく取っちゃ困る」「教頭は全く君に好意を持ってるんですよ。僕も及(およ)ばずながら、同じ江戸っ子だから、なるべく長くご在校を願って、お互(たがい)に力になろうと思って、これでも蔭ながら尽力(じんりょく)しているんですよ」と野だが人間並(なみ)の事を云った。野だのお世話になるくらいなら首を縊(くく)って死んじまわあ。

「それでね、生徒は君の来たのを大変歓迎(かんげい)しているんだが、そこにはいろいろな事情があってね。君も腹の立つ事もあるだろうが、ここが我慢(がまん)だと思って、辛防(しんぼう)してくれたまえ。決して君のためにならないような事はしないから」

「いろいろの事情た、どんな事情です」

「それが少し込み入ってるんだが、まあだんだん分りますよ。僕(ぼく)が話さないでも自然と分って来るです、ね吉川君」

「ええなかなか込み入ってますからね。一朝一夕にゃ到底分りません。しかしだんだん分ります、僕が話さないでも自然と分って来るです」と野だは赤シャツと同じような事を云う。

「そんな面倒(めんどう)な事情なら聞かなくてもいいんですが、あなたの方から話し出したから伺(うかが)うんです」

「そりゃごもっともだ。こっちで口を切って、あとをつけないのは無責任ですね。それじゃこれだけの事を云っておきましょう。あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師は始めての、経験である。ところが学校というものはなかなか情実のあるもので、そう書生流に淡泊(たんぱく)には行(ゆ)かないですからね」

「淡泊に行かなければ、どんな風に行くんです」

「さあ君はそう率直だから、まだ経験に乏(とぼ)しいと云うんですがね……」

「どうせ経験には乏しいはずです。履歴書(りれきしょ)にもかいときましたが二十三年四ヶ月ですから」

「さ、そこで思わぬ辺から仱激椁欷胧陇ⅳ毪螭扦埂筡

「正直にしていれば誰(だれ)が仱袱郡盲撇溃à长铮─悉胜い扦埂筡

「無論怖くはない、怖くはないが、仱激椁欷搿,Fに君の前任者がやられたんだから、気を付けないといけないと云うんです」

 野だが大人(おとな)しくなったなと気が付いて、ふり向いて見ると、いつしか艫(とも)の方で船頭と釣の話をしている。野だが居ないんでよっぽど話しよくなった。

「僕の前任者が、誰(だ)れに仱激椁欷郡螭扦埂筡

「だれと指すと、その人の名誉に関係するから云えない。また判然と証拠(しょうこ)のない事だから云うとこっちの落度になる。とにかく、せっかく君が来たもんだから、ここで失敗しちゃ僕等(ぼくら)も君を呼んだ甲斐(かい)がない。どうか気を付けてくれたまえ」

「気を付けろったって、これより気の付けようはありません。わるい事をしなけりゃ好(い)いんでしょう」

 赤シャツはホホホホと笑った。別段おれは笑われるような事を云った覚えはない。今日(こんにち)ただ今に至るまでこれでいいと堅(かた)く信じている。考えてみると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励(しょうれい)しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋(じゅんすい)な人を見ると、坊(ぼ)っちゃんだの小僧(こぞう)だのと難癖(なんくせ)をつけて軽蔑(けいべつ)する。それじゃ小学校や中学校で嘘(うそ)をつくな、正直にしろと倫理(りんり)の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を仱护氩撙蚪淌冥工敕饯⑹坤韦郡幛摔獾比摔韦郡幛摔猡胜毪坤恧Α3啷伐悭膜邾邾邾郅刃Δ盲郡韦稀ⅳ欷螀g純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。清はこんな時に決して笑った事はない。大いに感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツよりよっぽど上等だ。

「無論悪(わ)るい事をしなければ好いんですが、自分だけ悪るい事をしなくっても、人の悪るいのが分らなくっちゃ、やっぱりひどい目に逢うでしょう。世の中には磊落(らいらく)なように見えても、淡泊なように見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、めったに油断の出来ないのがありますから……。大分寒くなった。もう秋ですね、浜の方は欤à猡洌─钎互豫渖摔胜盲俊¥いぞ吧馈¥ぁ⒓ň嗓Δ坤ぁⅳⅳ武氦尉吧稀工却螭噬虺訾筏埔挨坤蚝簸螭馈¥胜ⅳ毪郅嗓长辘闫娼~(きぜつ)ですね。時間があると写生するんだが、惜(お)しいですね、このままにしておくのはと野だは大いにたたく。

 港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛(ふえ)がヒューと鳴るとき、おれの仱盲皮い恐郅洗墸àい剑─紊挨丐钉挨辘取Ⅳ叮à丐丹─颏膜zんで動かなくなった。お早うお帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに挨拶(あいさつ)する。おれは船端(ふなばた)から、やっと掛声(かけごえ)をして磯へ飛び下りた。

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发表于 2004-4-8 23:00:00 | 显示全部楼层
 野だは大嫌(だいきら)いだ。こんな奴(やつ)は沢庵石(たくあんいし)をつけて海の底へ沈(しず)めちまう方が日本のためだ。赤シャツは声が気に食わない。あれは持前の声をわざと気取ってあんな優しいように見せてるんだろう。いくら気取ったって、あの面じゃ駄目(だめ)だ。惚(ほ)れるものがあったってマドンナぐらいなものだ。しかし教頭だけに野だよりむずかしい事を云(い)う。うちへ帰って、あいつの申し条を考えてみると一応もっとものようでもある。はっきりとした事は云わないから、見当がつきかねるが、何でも山嵐(やまあらし)がよくない奴だから用心しろと云うのらしい。それならそうとはっきり断言するがいい、男らしくもない。そうして、そんな悪(わ)るい教師なら、早く免職(めんしょく)さしたらよかろう。教頭なんて文学士の癖(くせ)に意気地(いくじ)のないもんだ。蔭口(かげぐち)をきくのでさえ、公然と名前が云えないくらいな男だから、弱虫に極(き)まってる。弱虫は親切なものだから、あの赤シャツも女のような親切ものなんだろう。親切は親切、声は声だから、声が気に入らないって、親切を無にしちゃ筋が違(ちが)う。それにしても世の中は不思議なものだ、虫の好かない奴が親切で、気のあった友達が悪漢(わるもの)だなんて、人を馬鹿(ばか)にしている。大方田舎(いなか)だから万事東京のさかに行くんだろう。物騒(ぶっそう)な所だ。今に火事が氷って、石が豆腐(とうふ)になるかも知れない。しかし、あの山嵐が生徒を煽動するなんて、いたずらをしそうもないがな。一番人望のある教師だと云うから、やろうと思ったら大抵(たいてい)の事は出来るかも知れないが、――第一そんな廻(まわ)りくどい事をしないでも、じかにおれを捕(つら)まえて喧嘩(けんか)を吹き懸(か)けりゃ手数が省ける訳だ。おれが邪魔(じゃま)になるなら、実はこれこれだ、邪魔だから辞職してくれと云や、よさそうなもんだ。物は相談ずくでどうでもなる。向(むこ)うの云い条がもっともなら、明日にでも辞職してやる。ここばかり米が出来る訳でもあるまい。どこの果(はて)へ行ったって、のたれ死(じに)はしないつもりだ。山嵐もよっぽど話せない奴だな。
 ここへ来た時第一番に氷水を奢(おご)ったのは山嵐だ。そんな裏表のある奴から、氷水でも奢ってもらっちゃ、おれの顔に関わる。おれはたった一杯(ぱい)しか飲まなかったから一銭五厘(りん)しか払(はら)わしちゃない。しかし一銭だろうが五厘だろうが、詐欺師(さぎし)の恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。あした学校へ行ったら、一銭五厘返しておこう。おれは清(きよ)から三円借りている。その三円は五年経(た)った今日までまだ返さない。返せないんじゃない。返さないんだ。清は今に返すだろうなどと、かりそめにもおれの懐中(かいちゅう)をあてにしてはいない。おれも今に返そうなどと他人がましい義理立てはしないつもりだ。こっちがこんな心配をすればするほど清の心を疑ぐるようなもので、清の美しい心にけちを付けると同じ事になる。返さないのは清を踏(ふ)みつけるのじゃない、清をおれの片破(かたわ)れと思うからだ。清と山嵐とはもとより比べ物にならないが、たとい氷水だろうが、甘茶(あまちゃ)だろうが、他人から恵(めぐみ)を受けて、だまっているのは向うをひとかどの人間と見立てて、その人間に対する厚意の所作だ。割前を出せばそれだけの事で済むところを、心のうちで難有(ありがた)いと恩に着るのは銭金で買える返礼じゃない。無位無冠でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは百万両より尊(たっ)といお礼と思わなければならない。
 おれはこれでも山嵐に一銭五厘奮発(ふんぱつ)させて、百万両より尊とい返礼をした気でいる。山嵐は難有(ありがた)いと思ってしかるべきだ。それに裏へ廻って卑劣(ひれつ)な振舞(ふるまい)をするとは怪(け)しからん野郎(やろう)だ。あした行って一銭五厘返してしまえば借りも貸しもない。そうしておいて喧嘩をしてやろう。
 おれはここまで考えたら、眠(ねむ)くなったからぐうぐう寝(ね)てしまった。あくる日は思う仔細(しさい)があるから、例刻より早ヤ目に出校して山嵐を待ち受けた。ところがなかなか出て来ない。うらなりが出て来る。漢学の先生が出て来る。野だが出て来る。しまいには赤シャツまで出て来たが山嵐の机の上は白墨(はくぼく)が一本竪(たて)に寝ているだけで閑静(かんせい)なものだ。おれは、控所(ひかえじょ)へはいるや否や返そうと思って、うちを出る時から、湯銭のように手の平へ入れて一銭五厘、学校まで握(にぎ)って来た。おれは膏(あぶら)っ手だから、開けてみると一銭五厘が汗(あせ)をかいている。汗をかいてる銭を返しちゃ、山嵐が何とか云うだろうと思ったから、机の上へ置いてふうふう吹いてまた握った。ところへ赤シャツが来て昨日は失敬、迷惑(めいわく)でしたろうと云ったから、迷惑じゃありません、お蔭で腹が減りましたと答えた。すると赤シャツは山嵐の机の上へ肱(ひじ)を突(つ)いて、あの盤台面(ばんだいづら)をおれの鼻の側面へ持って来たから、何をするかと思ったら、君昨日返りがけに船の中で話した事は、秘密にしてくれたまえ。まだ誰(だれ)にも話しやしますまいねと云った。女のような声を出すだけに心配性な男と見える。話さない事はたしかである。しかしこれから話そうと云う心持ちで、すでに一銭五厘手の平に用意しているくらいだから、ここで赤シャツから口留めをされちゃ、ちと困る。赤シャツも赤シャツだ。山嵐と名を指さないにしろ、あれほど推察の出来る謎(なぞ)をかけておきながら、今さらその謎を解いちゃ迷惑だとは教頭とも思えぬ無責任だ。元来ならおれが山嵐と戦争をはじめて鎬(しのぎ)を削(けず)ってる真中(まんなか)へ出て堂々とおれの肩(かた)を持つべきだ。それでこそ一校の教頭で、赤シャツを着ている主意も立つというもんだ。
 おれは教頭に向(むか)って、まだ誰にも話さないが、これから山嵐と談判するつもりだと云ったら、赤シャツは大いに狼狽(ろうばい)して、君そんな無法な事をしちゃ困る。僕(ぼく)は堀田(ほった)君の事について、別段君に何も明言した覚えはないんだから――君がもしここで乱暴を働いてくれると、僕は非常に迷惑する。君は学校に騒動(そうどう)を起すつもりで来たんじゃなかろうと妙(みょう)に常識をはずれた質問をするから、当(あた)り前(まえ)です、月給をもらったり、騒動を起したりしちゃ、学校の方でも困るでしょうと云った。すると赤シャツはそれじゃ昨日の事は君の参考だけにとめて、口外してくれるなと汗をかいて依頼(いらい)に及(およ)ぶから、よろしい、僕も困るんだが、そんなにあなたが迷惑ならよしましょうと受け合った。君大丈夫(だいじょうぶ)かいと赤シャツは念を押(お)した。どこまで女らしいんだか奥行(おくゆき)がわからない。文学士なんて、みんなあんな連中ならつまらんものだ。辻褄(つじつま)の合わない、論理に欠けた注文をして恬然(てんぜん)としている。しかもこのおれを疑ぐってる。憚(はばか)りながら男だ。受け合った事を裏へ廻って反古(ほご)にするようなさもしい了見(りょうけん)はもってるもんか。
 ところへ両隣(りょうどな)りの机の所有主も出校したんで、赤シャツは早々自分の席へ帰って行った。赤シャツは歩(あ)るき方から気取ってる。部屋の中を往来するのでも、音を立てないように靴(くつ)の底をそっと落(おと)す。音を立てないであるくのが自慢(じまん)になるもんだとは、この時から始めて知った。泥棒(どろぼう)の稽古(けいこ)じゃあるまいし、当り前にするがいい。やがて始業の喇叭(らっぱ)がなった。山嵐はとうとう出て来ない。仕方がないから、一銭五厘を机の上へ置いて教場へ出掛(でか)けた。
 授業の都合(つごう)で一時間目は少し後(おく)れて、控所へ帰ったら、ほかの教師はみんな机を控えて話をしている。山嵐もいつの間にか来ている。欠勤だと思ったら遅刻(ちこく)したんだ。おれの顔を見るや否や今日は君のお蔭で遅刻したんだ。罰金(ばっきん)を出したまえと云った。おれは机の上にあった一銭五厘を出して、これをやるから取っておけ。先達(せんだっ)て通町(とおりちょう)で飲んだ氷水の代だと山嵐の前へ置くと、何を云ってるんだと笑いかけたが、おれが存外真面目(まじめ)でいるので、つまらない冗談(じょうだん)をするなと銭をおれの机の上に掃(は)き返した。おや山嵐の癖(くせ)にどこまでも奢る気だな。
「冗談じゃない本当だ。おれは君に氷水を奢られる因縁(いんえん)がないから、出すんだ。取らない法があるか」
「そんなに一銭五厘が気になるなら取ってもいいが、なぜ思い出したように、今時分返すんだ」
「今時分でも、いつ時分でも、返すんだ。奢られるのが、いやだから返すんだ」
 山嵐は冷然とおれの顔を見てふんと云った。赤シャツの依頼がなければ、ここで山嵐の卑劣(ひれつ)をあばいて大喧嘩をしてやるんだが、口外しないと受け合ったんだから動きがとれない。人がこんなに真赤(まっか)になってるのにふんという理窟(りくつ)があるものか。
「氷水の代は受け取るから、下宿は出てくれ」
「一銭五厘受け取ればそれでいい。下宿を出ようが出まいがおれの勝手だ」
「ところが勝手でない、昨日、あすこの亭主(ていしゅ)が来て君に出てもらいたいと云うから、その訳を聞いたら亭主の云うのはもっともだ。それでももう一応たしかめるつもりで今朝(けさ)あすこへ寄って詳(くわ)しい話を聞いてきたんだ」
 おれには山嵐の云う事が何の意味だか分らない。
「亭主が君に何を話したんだか、おれが知ってるもんか。そう自分だけで極めたって仕様があるか。訳があるなら、訳を話すが順だ。てんから亭主の云う方がもっともだなんて失敬千万な事を云うな」
「うん、そんなら云ってやろう。君は乱暴であの下宿で持て余(あ)まされているんだ。いくら下宿の女房だって、下女たあ違うぜ。足を出して拭(ふ)かせるなんて、威張(いば)り過ぎるさ」
「おれが、いつ下宿の女房に足を拭かせた」
「拭かせたかどうだか知らないが、とにかく向うじゃ、君に困ってるんだ。下宿料の十円や十五円は懸物(かけもの)を一幅(ぷく)売りゃ、すぐ浮(う)いてくるって云ってたぜ」
「利いた風な事をぬかす野郎(やろう)だ。そんなら、なぜ置いた」
「なぜ置いたか、僕は知らん、置くことは置いたんだが、いやになったんだから、出ろと云うんだろう。君出てやれ」
「当り前だ。居てくれと手を合せたって、居るものか。一体そんな云い懸(がか)りを云うような所へ周旋(しゅうせん)する君からしてが不埒(ふらち)だ」
「おれが不埒か、君が大人(おとな)しくないんだか、どっちかだろう」
 山嵐もおれに劣(おと)らぬ肝癪持(かんしゃくも)ちだから、負け嫌(ぎら)いな大きな声を出す。控所に居た連中は何事が始まったかと思って、みんな、おれと山嵐の方を見て、顋(あご)を長くしてぼんやりしている。おれは、別に恥(は)ずかしい事をした覚えはないんだから、立ち上がりながら、部屋中一通り見巡(みま)わしてやった。みんなが驚(おど)ろいてるなかに野だだけは面白そうに笑っていた。おれの大きな眼(め)が、貴様も喧嘩をするつもりかと云う権幕で、野だの干瓢(かんぴょう)づらを射貫(いぬ)いた時に、野だは突然(とつぜん)真面目な顔をして、大いにつつしんだ。少し怖(こ)わかったと見える。そのうち喇叭が鳴る。山嵐もおれも喧嘩を中止して教場へ出た。

 午後は、先夜おれに対して無礼を働いた寄宿生の処分法についての会議だ。会議というものは生れて始めてだからとんと容子(ようす)が分らないが、職員が寄って、たかって自分勝手な説をたてて、それを校長が好い加減に纏(まと)めるのだろう。纏めるというのは祝à长婴悚─螞Qしかねる事柄(ことがら)について云うべき言葉だ。この場合のような、誰が見たって、不都合としか思われない事件に会議をするのは暇潰(ひまつぶ)しだ。誰が何と解釈したって異説の出ようはずがない。こんな明白なのは即座(そくざ)に校長が処分してしまえばいいに。随分(ずいぶん)決断のない事だ。校長ってものが、これならば、何の事はない、煮(に)え切(き)らない愚図(ぐず)の異名だ。
 会議室は校長室の隣(とな)りにある細長い部屋で、平常は食堂の代理を勤める。てい菑垽盲恳巫樱àい梗─牛à悚─肖辍㈤Lいテーブルの周囲に並(なら)んでちょっと神田の西洋料理屋ぐらいな格だ。そのテーブルの端(はじ)に校長が坐(すわ)って、校長の隣りに赤シャツが構える。あとは勝手次第に席に着くんだそうだが、体操(たいそう)の教師だけはいつも席末に謙遜(けんそん)するという話だ。おれは様子が分らないから、博物の教師と漢学の教師の間へはいり込(こ)んだ。向うを見ると山嵐と野だが並んでる。野だの顔はどう考えても劣等だ。喧嘩はしても山嵐の方が遥(はる)かに趣(おもむき)がある。おやじの葬式(そうしき)の時に小日向(こびなた)の養源寺(ようげんじ)の座敷(ざしき)にかかってた懸物はこの顔によく似ている。坊主(ぼうず)に聞いてみたら韋駄天(いだてん)と云う怪物だそうだ。今日は怒(おこ)ってるから、眼をぐるぐる廻しちゃ、時々おれの方を見る。そんな事で威嚇(おど)かされてたまるもんかと、おれも負けない気で、やっぱり眼をぐりつかせて、山嵐をにらめてやった。おれの眼は恰好(かっこう)はよくないが、大きい事においては大抵な人には負けない。あなたは眼が大きいから役者になるときっと似合いますと清がよく云ったくらいだ。
 もう大抵お揃(そろ)いでしょうかと校長が云うと、書記の川村と云うのが一つ二つと頭数を勘定(かんじょう)してみる。一人足りない。一人不足ですがと考えていたが、これは足りないはずだ。唐茄子(とうなす)のうらなり君が来ていない。おれとうらなり君とはどう云う宿世(すくせ)の因縁かしらないが、この人の顔を見て以来どうしても忘れられない。控所へくれば、すぐ、うらなり君が眼に付く、途中(とちゅう)をあるいていても、うらなり先生の様子が心に浮(うか)ぶ。温泉へ行くと、うらなり君が時々蒼(あお)い顔をして湯壺(ゆつぼ)のなかに膨(ふく)れている。挨拶(あいさつ)をするとへえと恐縮(きょうしゅく)して頭を下げるから気の毒になる。学校へ出てうらなり君ほど大人しい人は居ない。めったに笑った事もないが、余計な口をきいた事もない。おれは君子という言葉を書物の上で知ってるが、これは字引にあるばかりで、生きてるものではないと思ってたが、うらなり君に逢(あ)ってから始めて、やっぱり正体のある文字だと感心したくらいだ。
 このくらい関係の深い人の事だから、会議室へはいるや否や、うらなり君の居ないのは、すぐ気がついた。実を云うと、この男の次へでも坐(す)わろうかと、ひそかに目標(めじるし)にして来たくらいだ。校長はもうやがて見えるでしょうと、自分の前にある紫(むらさき)の袱紗包(ふくさづつみ)をほどいて、蒟蒻版(こんにゃくばん)のような者を読んでいる。赤シャツは琥珀(こはく)のパイプを絹ハンケチで磨(みが)き始めた。この男はこれが道楽である。赤シャツ相当のところだろう。ほかの連中は隣り同志で何だか私語(ささや)き合っている。手持無沙汰(てもちぶさた)なのは鉛筆(えんぴつ)の尻(しり)に着いている、護謨(ゴム)の頭でテーブルの上へしきりに何か書いている。野だは時々山嵐に話しかけるが、山嵐は一向応じない。ただうん[#「うん」に傍点]とかああ[#「ああ」に傍点]と云うばかりで、時々怖(こわ)い眼をして、おれの方を見る。おれも負けずに睨(にら)め返す。
 ところへ待ちかねた、うらなり君が気の毒そうにはいって来て少々用事がありまして、遅刻致(いた)しましたと慇懃(いんぎん)に狸(たぬき)に挨拶(あいさつ)をした。では会議を開きますと狸はまず書記の川村君に蒟蒻版を配布させる。見ると最初が処分の件、次が生徒取締(とりしまり)の件、その他二三ヶ条である。狸は例の通りもったいぶって、教育の生霊(いきりょう)という見えでこんな意味の事を述べた。「学校の職員や生徒に過失のあるのは、みんな自分の寡徳(かとく)の致すところで、何か事件がある度に、自分はよくこれで校長が勤まるとひそかに慚愧(ざんき)の念に堪(た)えんが、不幸にして今回もまたかかる騒動を引き起したのは、深く諸君に向って謝罪しなければならん。しかしひとたび起った以上は仕方がない、どうにか処分をせんければならん、事実はすでに諸君のご承知の通りであるからして、善後策について腹蔵のない事を参考のためにお述べ下さい」
 おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎(とが)だとか、不徳だとか云うくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職(めんしょく)になったら、よさそうなもんだ。そうすればこんな面倒(めんどう)な会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。第一常識から云(い)っても分ってる。おれが大人しく宿直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒だけに極(きま)ってる。もし山嵐が煽動(せんどう)したとすれば、生徒と山嵐を退治(たいじ)ればそれでたくさんだ。人の尻(しり)を自分で背負(しょ)い込(こ)んで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でなくっちゃ出来る芸当じゃない。彼(かれ)はこんな条理(じょうり)に適(かな)わない議論を吐(は)いて、得意気に一同を見廻した。ところが誰も口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏(からす)がとまってるのを眺(なが)めている。漢学の先生は蒟蒻版(こんにゃくばん)を畳(たた)んだり、延ばしたりしてる。山嵐はまだおれの顔をにらめている。会議と云うものが、こんな馬鹿気(ばかげ)たものなら、欠席して昼寝でもしている方がましだ。
 おれは、じれったくなったから、一番大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か云い出したから、やめにした。見るとパイプをしまって、縞(しま)のある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云っている。あの手巾(はんけち)はきっとマドンナから巻き上げたに相違(そうい)ない。男は白い麻(あさ)を使うもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いてはなはだ教頭として不行届(ふゆきとどき)であり、かつ平常の徳化が少年に及ばなかったのを深く慚(は)ずるのであります。でこう云う事は、何か陥欠(かんけつ)があると起るもので、事件その物を見ると何だか生徒だけがわるいようであるが、その真相を極めると責任はかえって学校にあるかも知れない。だから表面上にあらわれたところだけで厳重な制裁を加えるのは、かえって未来のためによくないかとも思われます。かつ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯(いたずら)をやる事はないとも限らん。でもとより処分法は校長のお考えにある事だから、私の容喙(ようかい)する限りではないが、どうかその辺をご斟酌(しんしゃく)になって、なるべく寛大なお取計(とりはからい)を願いたいと思います」
 なるほど狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪るいんだと公言している。気狂(きちがい)が人の頭を撲(なぐ)り付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。難有(ありがた)い仕合せだ。活気にみちて困るなら邉訄訾爻訾葡鄵洌à工猡Γ─扦馊·毪いぁ毪袩o意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。この様子じゃ寝頸(ねくび)をかかれても、半ば無意識だって放免するつもりだろう。
 おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように滔々(とうとう)と述べたてなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞(つま)ってしまう。狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずい事を喋舌(しゃべ)って揚足(あげあし)を取られちゃ面白くない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸のなかで文章を作ってる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて生意気だ。野だは例のへらへら調で「実に今回のバッタ事件及び咄喊(とっかん)事件は吾々(われわれ)心ある職員をして、ひそかに吾(わが)校将来の前途(ぜんと)に危惧(きぐ)の念を抱(いだ)かしむるに足る珍事(ちんじ)でありまして、吾々職員たるものはこの際奮(ふる)って自ら省りみて、全校の風紀を振粛(しんしゅく)しなければなりません。それでただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮(こうけい)に中(あた)った剴切(がいせつ)なお考えで私は徹頭徹尾(てっとうてつび)賛成致します。どうかなるべく寛大(かんだい)のご処分を仰(あお)ぎたいと思います」と云った。野だの云う事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列(ちんれつ)するぎりで訳が分らない。分ったのは徹頭徹尾賛成致しますと云う言葉だけだ。
 おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起(た)ち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。「……そんな頓珍漢(とんちんかん)な、処分は大嫌(だいきら)いです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全然悪(わ)るいです。どうしても詫(あや)まらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわるい事も、わるいが、あまり厳重な罰などをするとかえって反動を起していけないでしょう。やっぱり教頭のおっしゃる通り、寛な方に賛成します」と弱い事を云った。左隣の漢学は穏便説(おんびんせつ)に賛成と云った。歴史も教頭と同説だと云った。忌々(いまいま)しい、大抵のものは赤シャツ党だ。こんな連中が寄り合って学校を立てていりゃ世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極めてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟(かくご)でいた。どうせ、こんな手合(てあい)を弁口(べんこう)で屈伏(くっぷく)させる手際はなし、させたところでいつまでご交際を願うのは、こっちでご免だ。学校に居ないとすればどうなったって構うもんか。また何か云うと笑うに違いない。だれが云うもんかと澄(すま)していた。
 すると今までだまって聞いていた山嵐が奮然として、起ち上がった。野郎また赤シャツ賛成の意を表するな、どうせ、貴様とは喧嘩だ、勝手にしろと見ていると山嵐は硝子(ガラス)窓を振(ふる)わせるような声で「私(わたくし)は教頭及びその他諸君のお説には全然不同意であります。というものはこの事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏(ぼうし)を軽侮(けいぶ)してこれを翻弄(ほんろう)しようとした所為(しょい)とより外(ほか)には認められんのであります。教頭はその源因を教師の人物いかんにお求めになるようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。某氏が宿直にあたられたのは着後早々の事で、まだ生徒に接せられてから二十日に満たぬ頃(ころ)であります。この短かい二十日間において生徒は君の学問人物を評価し得る余地がないのであります。軽侮されべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌(しんしゃく)を加える理由もありましょうが、何らの源因もないのに新来の先生を愚弄(ぐろう)するような軽薄な生徒を寛仮(かんか)しては学校の威信(いしん)に関わる事と思います。教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚(こうしょう)な、正直な、武士的な元気を鼓吹(こすい)すると同時に、野卑(やひ)な、軽躁(けいそう)な、暴慢(ぼうまん)な悪風を掃蕩(そうとう)するにあると思います。もし反動が恐(おそろ)しいの、騒動が大きくなるのと姑息(こそく)な事を云った日にはこの弊風(へいふう)はいつ矯正(きょうせい)出来るか知れません。かかる弊風を杜絶(とぜつ)するためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、これを見逃(みの)がすくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。私は以上の理由で寄宿生一同を厳罰(げんばつ)に処する上に、当該(とうがい)教師の面前において公けに謝罪の意を表せしむるのを至当の所置と心得ます」と云いながら、どんと腰(こし)を卸(おろ)した。一同はだまって何にも言わない。赤シャツはまたパイプを拭(ふ)き始めた。おれは何だか非常に嬉(うれ)しかった。おれの云おうと思うところをおれの代りに山嵐がすっかり言ってくれたようなものだ。おれはこう云う単純な人間だから、今までの喧嘩はまるで忘れて、大いに難有(ありがた)いと云う顔をもって、腰を卸した山嵐の方を見たら、山嵐は一向知らん面(かお)をしている。
 しばらくして山嵐はまた起立した。「ただ今ちょっと失念して言い落(おと)しましたから、申します。当夜の宿直員は宿直中外出して温泉に行かれたようであるが、あれはもっての外の事と考えます。いやしくも自分が一校の留守番を引き受けながら、咎(とが)める者のないのを幸(さいわい)に、場所もあろうに温泉などへ入湯にいくなどと云うのは大きな失体である。生徒は生徒として、この点については校長からとくに責任者にご注意あらん事を希望します」
 妙な奴だ、ほめたと思ったら、あとからすぐ人の失策をあばいている。おれは何の気もなく、前の宿直が出あるいた事を知って、そんな習慣だと思って、つい温泉まで行ってしまったんだが、なるほどそう云われてみると、これはおれが悪るかった。攻撃(こうげき)されても仕方がない。そこでおれはまた起って「私は正に宿直中に温泉に行きました。これは全くわるい。あやまります」と云って着席したら、一同がまた笑い出した。おれが何か云いさえすれば笑う。つまらん奴等(やつら)だ。貴様等これほど自分のわるい事を公けにわるかったと断言出来るか、出来ないから笑うんだろう。
 それから校長は、もう大抵ご意見もないようでありますから、よく考えた上で処分しましょうと云った。ついでだからその結果を云うと、寄宿生は一週間の禁足になった上に、おれの前へ出て謝罪をした。謝罪をしなければその時辞職して帰るところだったがなまじい、おれのいう通りになったのでとうとう大変な事になってしまった。それはあとから話すが、校長はこの時会議の引き続きだと号してこんな事を云った。生徒の風儀(ふうぎ)は、教師の感化で正していかなくてはならん、その一着手として、教師はなるべく飲食店などに出入(しゅつにゅう)しない事にしたい。もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい――たとえば蕎麦屋(そばや)だの、団子屋(だんごや)だの――と云いかけたらまた一同が笑った。野だが山嵐を見て天麩羅(てんぷら)と云って目くばせをしたが山嵐は取り合わなかった。いい気味(きび)だ。
 おれは脳がわるいから、狸の云うことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師が勤まらなくっちゃ、おれみたような食い心棒(しんぼう)にゃ到底(とうてい)出来っ子ないと思った。それなら、それでいいから、初手から蕎麦と団子の嫌いなものと注文して雇(やと)うがいい。だんまりで辞令を下げておいて、蕎麦を食うな、団子を食うなと罪なお布令(ふれ)を出すのは、おれのような外に道楽のないものにとっては大変な打撃だ。すると赤シャツがまた口を出した。「元来中学の教師なぞは社会の上流にくらいするものだからして、単に物質的の快楽ばかり求めるべきものでない。その方に耽(ふけ)るとつい品性にわるい影響(えいきょう)を及ぼすようになる。しかし人間だから、何か娯楽(ごらく)がないと、田舎(いなか)へ来て狭(せま)い土地では到底暮(くら)せるものではない。それで釣(つり)に行くとか、文学書を読むとか、または新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚(こうしょう)な精神的娯楽を求めなくってはいけない……」
 だまって聞いてると勝手な熱を吹く。沖(おき)へ行って肥料(こやし)を釣ったり、ゴルキが露西亜(ロシア)の文学者だったり、馴染(なじみ)の芸者が松(まつ)の木の下に立ったり、古池へ蛙(かわず)が飛び込んだりするのが精神的娯楽なら、天麩羅を食って団子を呑(の)み込むのも精神的娯楽だ。そんな下さらない娯楽を授けるより赤シャツの洗濯(せんたく)でもするがいい。あんまり腹が立ったから「マドンナに逢(あ)うのも精神的娯楽ですか」と聞いてやった。すると今度は誰も笑わない。妙な顔をして互(たがい)に眼と眼を見合せている。赤シャツ自身は苦しそうに下を向いた。それ見ろ。利いたろう。ただ気の毒だったのはうらなり君で、おれが、こう云ったら蒼い顔をますます蒼くした。

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发表于 2004-4-8 23:00:00 | 显示全部楼层
猪猪已经发这么多了,辛苦辛苦。慰问一下,呵呵
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