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『城の崎にて』(全文)

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发表于 2009-3-16 23:23:43 | 显示全部楼层 |阅读模式
(打出来做教材用的,让大家一起来分享吧!)
如果有错的地方,请大家指出。

(上)

 山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、其後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんな事はあるまいと医者に言われた。二三年で出なければ後は心配はいらない、兎に角要心は肝心だからといわれて、それで来た。三週間以上――我慢出来たら五週間位居たいものだと考えて来た。

 頭は未だ何だか明瞭しない。物忘れが烈しくなった。然し気分は近年になく静まって、落ちついたいい気持がしていた。稲の穫入れの始まる頃で、気候もよかったのだ。

 一人きりで誰も話し相手はない。読むか書くか、ぼんやりと部屋の前に椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮らしていた。散歩する所は町から小さい流れについて少しずつ登りになった路にいい所があった。山の裾を廻っているあたりの小さな潭になった所に山女が沢山集まっている。そして尚よく見ると、足に毛の生えた大きな川蟹が石のように凝然として居るのを見つける事がある。夕方の食事前にはよくこの路を歩いて来た。冷々とした夕方、寂しい秋の山峡を小さい清い流れについて行く時考える事は矢張り沈んだ事が多かった。淋しい考えだった。然しそれには静かないい気持がある。自分はよく怪我の事を考えた。一つ間違えば、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ている所だったなど思う。青い冷たい堅い顔をして、顔の傷も背中の傷も其儘で。祖父や母の死骸が傍にある。それももうお互いに何の交渉もなく、――こんな事が想い浮ぶ。それは淋しいが、それ程に自分を恐怖させない考だった。何時かはそうなる。それが何時か?――今迄はそんな事を思って、その「何時か」を知らず知らず遠い先の事にしていた。然し今は、それが本統に何時か知れないような気がして来た。自分は死ぬ筈だったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分には仕なければならぬ仕事があるのだ、――中学で習ったロード・クライヴという本に、クライヴがそう思う事によって激励される事が書いてあった。実は自分もそういう風に危うかった出来事を感じたかった。そんな気もした。然し妙に自分の心は静まって了った。自分の心には、何かしら死に対する親しみが起こっていた。

 自分の部屋は二階で、隣のない、割に静かな座敷だった。読み書きに疲れるとよく縁の椅子に出た。脇が玄関の屋根で、それが家へ接続する所が羽目になっている。其羽目の中に蜂の巣があるらしい。虎斑の大きな肥った蜂が天気さえよければ、朝から暮近くまで毎日忙しそうに働いていた。蜂は羽目のあわいから摩抜けて出ると、一ト先ず玄関の屋根に下りた。其処で羽根や触角を前足や後足で叮嚀に調えると、少し歩きまわる奴もあるが、直ぐ細長い羽根を両方へしっかりと張ってぶーんと飛び立つ。飛立つと急に早くなって飛んで行く。植込みの八つ手の花が丁度咲きかけで蜂はそれに群っていた。自分は退屈すると、よく欄干から蜂の出入りを眺めていた。

 或朝の事、自分は一疋蜂が玄関の屋根で死んで居るのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見るたびに一つ所に全く動かずに俯向きに転がっているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日程その儘になっていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋しかった。他の蜂が皆巣へ入って仕舞った日暮、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それは如何にも静かだった。

 夜の間にひどい雨が降った。朝は晴れ、木の葉も地面も屋根も綺麗に洗われていた。蜂の死骸はもう其処になかった。今も巣の蜂共は元気に働いているが、死んだ蜂は雨樋を伝って地面へ流し出された事であろう。足は縮めた儘、触角は顔へこびりついたまま、多分泥にまみれて何処かで凝然としている事だろう。外界にそれを動かす次の変化が起るまでは死骸は凝然と其処にしているだろう。それとも蟻に曳かれて行くか。それにしろ、それは如何にも静かであった。忙しく忙しく働いてばかりいた蜂が全く動く事がなくなったのだから静かである。自分はその静かさに親しみを感じた。自分は「范の犯罪」という短編小説をその少し前に書いた。范という支那人が過去の出来事だった結婚前の妻と自分の友達だった男との関係に対する嫉妬から、そして自身の生理的圧迫もそれを助長し、その妻を殺す事を書いた。それは范の気持を主にし、仕舞に殺されて墓の下にいる、その静かさを自分は書きたいと思った。

 「殺されたる范の妻」を書こうと思った。それはとうとう書かなかったが、自分にはそんな要求が起こっていた。其前からかかっている長篇の主人公の考とは、それは大変異って了った気持だったので弱った。

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发表于 2009-3-17 09:11:42 | 显示全部楼层
中国語を通訳してください、
どもうありがどうございます。
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 楼主| 发表于 2009-3-24 21:40:52 | 显示全部楼层


  蜂の死骸が流され、自分の眼界から消えて間もない時だった。ある午前、自分は円山川、それからそれの流れ出る日本海などの見える東山公園へ行くつもりで宿を出た。「一の湯」の前から小川は往来の真中をゆるやかに流れ、円山川へ入る。或所迄来ると橋だの岸だのに人が立って何か川の中の物を見ながら騒いでいた。それは大きな鼠を川へなげ込んだのを見ているのだ。鼠は一生懸命に泳いで逃げようとする。鼠には首の所に7寸ばかりの魚串が刺し貫してあった。頭の上に三寸程、咽喉の下に三寸程それが出ている。鼠は石垣へ這上がろうとする。子供が二三人、四十位の車夫が一人、それへ石を投げる。却々当らない。カチッカチッと石垣に当って跳ね返った。見物人は大声で笑った。鼠は石垣の間に漸く前足をかけた。然し這入ろうとすると魚串が直ぐにつかえた。そして又水へ落ちる。鼠はどうかして助かろうとしている。顔の表情は人間にわからなかったが動作の表情に、それが一生懸命である事がよくわかった。鼠は何処かへ逃げ込む事が出来れば助かると思っていた。子供や車夫は益々面白がって石を投げた。傍の洗場の前で餌を漁っていた二三羽の家鴨が石が飛んで来るので吃驚し、首を延ばしてきょろきょろとした。スポッ、スポッと石が水へ投げ込まれた。家鴨は頓狂な顔をして首を延ばした儘、鳴きながら、忙しく足を動かして上流の方へ泳いで行った。自分は鼠の最期を見る気がしなかった。鼠が殺されまいと、死ぬに極まった運命を担いながら、全力を尽して逃げ廻っている様子が妙に頭についた。自分は淋しい嫌な気持になった。あれが本統なのだと思った。自分が希っている静かさの前に、ああいう苦しみのある事は恐ろしい事だ。死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った。自殺を知らない動物はいよいよ死に切るまではあの努力を続けなければならない。今自分にあの鼠のような事が起こったら自分はどうするだろう。自分は矢張り鼠と同じような努力をしはしまいか。自分は自分の怪我の場合、それに近い自分になった事を思わないではいられなかった。自分は出来るだけの事をしようとした。自分は自身で病院をきめた。それへ行く方法を指定した。若し医者が留守で、行って直ぐに手術の用意が出来ないと困ると思って電話を先にかけて貰う事などを頼んだ。半分意識を失った状態で、一番大切な事だけによく頭の働いた事は自分でも後から不思議に思った位である。しかも此傷が致命的なものかどうかは自分の問題だった。然し、致命的のものかどうかを問題としながら、殆ど死の恐怖に襲われなかったのも自分では不思議であった。「フェータルなものか、どうか?医者は何といっていた?」こう側にいた友に訊いた。「フェータルな傷じゃないそうだ」こう言われた。こう言われると自分は然し急に元気づいた。亢奮から自分は非常に快活になった。フェータルなものだと若し聞いたら自分はどうだったろう。その自分は一寸想像出来ない。自分は弱ったろう。然し普段考えている程、死の恐怖に自分は襲われなかったろうという気がする。そしてそういわれても尚、自分は助かろうと思い、何かしら努力をしたろうという気がする。それは鼠の場合と、そう変わらないものだったに相違ない。で、又それが今来たらどうかと思って見て、猶且、余り変わらない自分であろうと思うと「あるがまま」で、気分で希う所が、そう実際に直ぐは影響はしないものに相違ない、しかも両方が本統で、影響した場合は、それでよく、しない場合でも、それでいいのだと思った。それは仕方のない事だ。
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 楼主| 发表于 2009-3-24 21:42:52 | 显示全部楼层
原帖由 mmff1983 于 2009-3-17 09:11 发表
中国語を通訳してください、
どもうありがどうございます。


翻訳練習のためのものですので、まずご自分で訳してみてください。
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 楼主| 发表于 2009-5-16 18:05:58 | 显示全部楼层
本帖最后由 猫の手 于 2010-2-25 15:14 编辑



 そんな事があって、又暫くして、或夕方、町から小川に沿うて一人段々上へ歩いていった。山陰線の隧道の前で線路を越すと道幅が狭くなって路も急になる、流れも同様に急になって、人家も全く見えなくなった。もう帰ろうと思いながら、あの見える所までという風に角を一つ一つ先へ先へと歩いて行った。物が総て青白く、空気の肌ざわりも冷々として、物静かさが却って何となく自分をそわそわとさせた。大きな桑の木が路傍にある。彼方の、路へ差し出した桑の枝で、或一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ、同じリズムで動いている。風もなく流れの他は総て静寂の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラと忙しく動くのが見えた。自分は不思議に思った。多少怖い気もした。然し好奇心もあった。自分は下へいってそれを暫く見上げていた。すると風が吹いて来た。そうしたらその動く葉は動かなくなった。原因は知れた。何かでこういう場合を自分はもっと知っていたと思った。

 段々と薄暗くなって来た。いつまで往っても、先の角はあった。もうここらで引きかえそうと思った。自分は何気なく傍の流れを見た。向う側の斜めに水から出ている半畳敷程の石に黒い小さいものがいた。いもりだ。未だ濡れていて、それはいい色をしていた。頭を下に傾斜から流れへ臨んで、じつとしていた。体から滴れた水が黒く乾いた石へ一寸程流れている。自分はそれを何気なく、踞んで見ていた。自分は先程いもりは嫌いでなくなった。蜥蜴は多少好きだ。屋守は虫の中でも最も嫌いだ。いもりは好きでも嫌いでもない。十年程前によく蘆の湖でいもりが宿屋の流し水の出る所に集っているのを見て、自分がいもりだったら堪らないという気をよく起した。いもりに若し生れ変ったら自分はどうするだろう、そんな事を考えた。其頃いもりを見るとそれが想い浮ぶので、いもりを見る事を嫌った。然しもうそんな事を考えなくなっていた。自分はいもりを驚かして水へ入れようと思った。不器用にからだを振りながら歩く形が想われた。自分は踞んだまま、傍の小鞠程の石を取上げ、それを投げてやった。自分は別にいもりを狙わなかった。狙ってもとても当らない程、狙って投げる事の下手な自分はそれが当る事などは全く考えなかった。石はこッといってから流れに落ちた。石の音と同時にいもりは四寸程横へ跳んだように見えた。いもりは尻尾を反らし、高く上げた。自分はどうしたのかしら、と思って見ていた。最初石が当たったとは思わなかった。いもりの反らした尾が自然に静かに下りて来た。すると肘を張ったようにして傾斜に堪えて、前へついていた両の前足の指が内へまくれ込むといもりは力なく前へのめって了った。尾は全く石についた。もう動かない。いもりは死んで了った。自分は飛んだ事をしたと思った。虫を殺す事をよくする自分であるが、其気が全くないのに殺して了ったのは自分に妙な嫌な気をさした。素より自分の仕た事ではあったが如何にも偶然だった。いもりにとっては全く不意な死であった。自分は暫く其処にしゃがんでいた。いもりと自分だけになったような心持がしていもりの身に自分がなって其心持を感じた。可哀想に想うと同時に、生き物の淋しさを一緒に感じた。自分は偶然に死ななかった。いもりは偶然に死んだ。自分は淋しい気持になって、漸く足元の見える路を温泉宿の方に帰って来た。遠く町端れの灯が見え出した。死んだ蜂はどうなったか。其後の雨でもう土の下に入って了ったろう。あの鼠はどうしたろう。海へ流されて、今頃は其水ぶくれのした体を塵芥と一緒に海岸へでも打ちあげられている事だろう。そして死ななかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済まぬような気もした。然し実際喜びの感じは湧き上がっては来なかった。生きて居る事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした。もうかなり暗かった。視覚は遠い灯を感ずるだけだった。足の踏む感覚も視覚を離れて、如何にも不確だった。只頭だけが勝手に働く。それが一層そういう気分に自分を誘って行った。

 三週間いて、自分は此処を去った。それから、もう三年以上になる。自分は脊椎カリエスになるだけは助かった。

                              (全文完了)
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发表于 2009-5-25 16:30:39 | 显示全部楼层
谢谢哦,我机子暂时打不了日文,中文跟帖啦。
很感激,向楼主的辛勤劳动致敬!!!嘿嘿~
等我翻了,过来跟帖交流哈
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发表于 2009-7-20 11:36:27 | 显示全部楼层
ありがとう
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发表于 2009-12-9 19:34:03 | 显示全部楼层
这个。。。。怎么感觉不全啊?
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发表于 2010-1-11 08:20:02 | 显示全部楼层
这个是精简版中的精简版!不是飞机中的战斗机!
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发表于 2010-1-11 08:20:38 | 显示全部楼层
真正全的,好几百页呢!
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发表于 2010-2-16 19:45:06 | 显示全部楼层
我就觉得怎么一本书怎么那么少……
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 楼主| 发表于 2010-2-25 14:24:35 | 显示全部楼层
「城の崎にて」(きのさきにて)は、志賀直哉の短編小説。1917年(大正6年)5月の「白樺」に発表。心境小説の代表的な作品とされる。1913年(大正2年)の秋、志賀直哉は里見弴と芝浦へ涼みに行き、素人相撲を見て帰る途中、線路の側を歩いていて電車に後からはね飛ばされ重傷を負う。東京病院に暫く入院して助かったが、療養のため城崎温泉(「三木屋」という旅館(現存)に宿泊)を訪れる。4年後、その時の自らの体験から徹底した観察力で生と死の意味を考え「城の崎にて」を執筆した。簡素で無駄のない文体と適切な描写で無類の名文とされている。

あらすじ
東京山手線の電車にはねられ怪我をした「自分」は、後養生に城崎温泉を訪れる。「自分」は一匹の蜂の死骸に、寂しいが静かな死への親しみを感じ、首に串が刺さった鼠が石を投げられ、必死に逃げ惑っている姿を見て死の直前の動騒が恐ろしくなる。そんなある日、何気なく見た小川の石の上にイモリがいた。驚かそうと投げた石がそのいもりに当って死んでしまう。哀れみを感じると同時に生き物の淋しさを感じている「自分」。これらの動物達の死と生きている自分について考え、生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。そして命拾いした「自分」を省みる。
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发表于 2010-5-13 15:24:25 | 显示全部楼层
相当不错,就是找不到原文,只有自己手打,于是现在都没得,终于看到了,我最喜欢的文章之一。
生死观就在这里了。
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发表于 2010-6-1 09:45:46 | 显示全部楼层
ありがとうございました!
近々時間があると読んでみます~
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 楼主| 发表于 2010-8-16 13:47:50 | 显示全部楼层
http://www.e-t.ed.jp/edotori390111/6gatu6.htm (原文の出所) 作品を読む参考にしてください。

☆「『出来事』これは自身で目撃した事実を殆どそのまま書いた。『正義派』は正義の支持者といふ誇りを自ら段々誇張さして行つて、しかもそれが報いられない所から来る淋しさを主題としたが、『出来事』の方はもつと直接な感情-子供が電車に轢かれかけて助かつたといふ喜び-或時は一時の驚きと、興奮から喧嘩もするが、結局、皆子供が死を免れた事を喜んでゐる、その善良さに好意を感じ、此小説を書く気になつた。  
☆余談になるが、此小説を書き上げ、其晩里見弴と芝浦へ涼みに行き、素人相撲を見て帰途、鉄道線路の側を歩いてゐて、どうした事か私は省線電車に後からはね飛ばされ、甚い怪我をした。東京病院に暫く入院し、危い所を助かつた。電車で助かる事を書き上げた日に自分も電車で怪我をし、しかも幸に一生を得た。此偶然を面白く感じた。此怪我の後の気持を書いたのが、『城の崎にて』である。それから此時の経験は『或る男、其柿の死』の中に書き入れてある。」  「『城の時にて』これも事実ありのままの小説である。鼠の死、蜂の死、ゐもりの死、皆その時数日間に実際目撃した事だつた。そしてそれから受けた感じは素直かつ正直に書けたつもりである。所謂心境小説といふものでも余裕からうまれた心境ではなかった。
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本文を内容から、五つの段落に分けてみよう。次に示すのは各段の表題と簡単な内容です。
第一段:城の崎温泉に出かけるまでのいきさつ……山の手線に電車に跳ねられて怪我をした。その後、養生のために一人で城の崎温泉に来た。

第二段:はちの死と、寂しいが静かな死への親しみ……頭はまだはっきりしないが、気分は近年になく落ち着いたいい気分であった。ここへ来て怪我のことを考えた。もしかするとそうなったかもしれない「死」というものを考えるようになった。退屈して、はちの活動を眺めていた。いかにも忙しく動き回るはちとくらべて死んでいるはちはいかにも静かな感じを与えた。寂しかった。そして、自分の心に何かしら「死」に対する親しみが起こってきた。

第三段:ねずみの死と恐ろしい死の直前の動騒……散歩にでて、ねずみが首に魚串を刺されて逃げ回っているのに出くわした。自分は寂しい嫌な気分になった。そして、死の前の動騒が恐ろしくなった。自分も怪我の場合も変わらないのではないかと思った。静かな死を願うことと実際の場面とは両方とも本当で、どちらになっても仕方がないと思った。

第四段:いもりの死の瞬間と生き物の寂しさ。……川沿いに散歩をした。何気なく見た流れの石にいもりを見て、脅かして水に入れようとした。しかし投げた石はいもりにあたり、いもりは不慮の死を遂げた。自分は生き物の寂しさを感じた。今日までの動物達の死と生きている自分を考え合わせ、生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかったという感慨を持った。

第五段:城の崎を去って、三年後の現在にいたるまでのこと。……三週間いて城の崎を去った。その後、脊髄カリエスになるだけは助かった。
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読解の手引き

第一段
城の崎温泉:作者は大正二年十月十八日から「三木屋」という旅館に宿泊している。当時の志賀直哉は父との不和から家を出て借家住まいをしている。そのため、孤独とままならない創作活動に悩み、ノイローゼになっていた。そうした中で電車にはねられたのである。直哉のそうした精神的な不安定さは「快・不快」といったパターンで作品に登場してくる。
脊髄カリエス:腰椎・胸椎が冒され、運動麻痺、膿をだして苦痛が激しくなる恐ろしい病気。
第二段
祖父:志賀直道。元相馬藩家臣で足尾銅山の開発にあたった。作者はこの祖父の下で養育された。作者はこの祖父を深く敬愛していた。
母:実母銀のこと。作者が十三歳の時に死去。
第三段
いかにも静かな感じを与えた。寂しかった。:「静かさ」は死のイメージとして作者はとらえている。「寂しさ」は生きているものに対して死んでいるものをとらえたときに生じた主観としてある。つまり、生から死にいたるまでの変化を予感した時の心情としてあるのである。
その静かさに親しみを感じた:この「静かさ」は「死」と置き換えてもいい。
第三段
寂しい気持になった:次の行にある「恐ろしい」という感情から発した心情。完全な死に至るまで何とか生きようともがきぬく生き物の姿、死にいたる動騒に対する本能的な拒否反応を表現したものである。
気分で願うところ:死ぬことに決まっているなら、あのねずみのような騒ぎは起こしたくない。静かに死にたいと気分として願う心情。「気分」は「実際」の相対語としてここでは用いられている。
第四段
石はコツといってから流れに落ちた……:はちやねずみには見られなかった死の瞬間の描写で、その後に続く文も、まず短文で「た」止めの文章で、きわめて簡潔、印象的な効果を生み出している。
生き物の寂しさをいっしょに感じた:いもりでもなくはちでもなく、人間であることに注意。つまり、偶然によってその生命を支配されているのが「生き物」すべての寂しい運命であるという感慨である。
生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。:偶然が生き物の生死を支配すると実感した以上、生と死の境界はきわめて不確実で、今まで考えていたように反対の位置にあるのではないということ。
第五段
それからもう三年以上にもなる:作品の執筆は大正六年。温泉療養は大正二年秋。
脊髄カリエスになるだけは助かった:単に三年が経過して発病しなかったというばかりではなく、父との和解への動きが起こり始めていた明るい状況を反映していると考えたい。
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