咖啡日语论坛

 找回密码
 注~册
搜索
查看: 10405|回复: 80

[好书连载] 愛すべき不思議な家族

[复制链接]
发表于 2009-4-24 12:18:54 | 显示全部楼层 |阅读模式
无意中找到的小说,觉得挺有意思的.现在慢慢放上来,供给大家欣赏哦!
回复

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-24 12:19:55 | 显示全部楼层
愛すべき不思議な家族 1
「パパー」
  背後(はいご)からそんな声をかけられたのは、今は少なくなりつつある銭湯(せんとう)でサッパリとしてから外に出た直後(ちょくご)だった。
  生まれて二十八年、高木春道は子供を授かっていなければ(さずかる)、結婚もしていない。男性に妊娠能力がない以上、誰か女性の協力者がいなければ子孫を残すのは不可能だ。
  隠し子という事態もあり得ない。女性と肌を重ねる場合は特に避妊に気を遣ったとかではなく、単純に春道はそういった経験がないのだ。つまりは三十を前にして、未だ童貞なのである。
  別に女性嫌いなわけではない。道を歩いていて、美人が通り過ぎれば思わず振り返ってしまう。どちらかと言えば、自分は女好きだと思っていた。
  人並みにアダルト雑誌も読むし、自慰行為だってする。健全な成年男子だ。
  女性がまったく見向いてくれないほど、容姿が悪いわけではない。
  学歴は高等学校までで終わっているが、学生時代は何回か女子からも告白されたし、何人かと付き合ったりもした。
  何の自慢にもならないが、セックスの経験はなくてもキスの経験はある。
  仕事はフリーのプログラマー。収入も生活するので精一杯な程度しかなく、とても愛人なんて囲う余裕はない。従って「パパ」などと声をかけてくる人間に心当たりはない。
「パパー」
  呼ばれたのは自分ではないだろう。春道はそう判断して、声を無視して歩き始めたが再度同じ言葉をかけられた。
  耳によく通る声だ。大人ではなく、相手は子供だとすぐにわかった。
  勘違いだと恥ずかしいので、一応左右は確認する。春道以外に人はいない。
  近くに地元のスーパーとはいえ、大型店があるので午後六時と言えば、もっとも人通りが多くなる場所だ。なのに、銭湯が面する繁華街へと続く道路には何故か人っ子ひとりいない。
  パパと呼ばれてるのは自分だと確信した春道は、相手の間違いを正すために振り向く。
  そこにいたのは肩口まで髪の毛を伸ばした五、六歳程度の小さな女の子だった。濡れた前髪が額に張りついてるのを見ると、彼女もまたお風呂に入っていたのだろう。
  となれば母親がいるはずだと春道は思った。いくらしっかりしてる子供でも、小学校に入学してるかどうかの年齢で、ひとりで銭湯にやってきたとは考えにくいからだ。
  関係者の子供なら可能性もあるが、番台に座っているオバちゃんに子供はいない。
  六十歳過ぎてのひとり暮らしはやはり寂しいのか、随分な話したがりで、聞いてもいないのに色々と春道に身の上話をしてくれたのだ。
  君は誰だ。とことこと近づいてきて、上衣の裾をギュッと掴んだ女児に春道が問いかけようとしたところ、女湯の入口からひとりの女性が出てきた。
  女児と同じく髪を乾かしてないようで、なびく黒髪から水飛沫が飛ぶ。
  春道は思わず息を飲んだ。瞬間的に横顔を見ただけで、ドキリとするほどの美人だとわかったからである。
  その美女がこちらを向いた。春道の顔を見たあと、足元にちょこんと居座っている女児を見つけて、慌ててこちらへ駆け寄ってきた。
「葉月、貴女何をしているの」
  どうやら美女はこの子供の関係者らしい。意味不明な現状から抜け出せると、春道はホッとした。
  それにしても自分と同年代程度の、目の前にいる女性は綺麗だった。風呂上がりだけに化粧はしてないのだが、必要のないほど肌はきめ細やかで美しかった。
  今時の女性にしては珍しく眉毛も剃っていない。身だしなみとしてある程度整えてはいるが、書いたりしたものではなく、自前の眉毛である。
  切れ長の目に、細く整った鼻。薄い唇はルージュが塗られてなくても、蠱惑的な桃色をしている。まるで何億円もする極上の名画から出てきたようだった。
  湯上がりの首筋からはかすかに湯気が昇っている。乾ききってない髪の毛先は柑橘系のシャンプーの香りで溢れており、無意識のうちに匂いを嗅いでしまっている自分に春道が気づく。
  生まれてからこれまでに出会った女性たちの中で確実にナンバーワンだった。仮に春道じゃなかったとしても、十中八九そう感じるこtだろう。
「アタシ、パパを見つけたんだよー」
  少女に目線を合わせるべくしゃがみこんだ美女に、葉月と呼ばれた女の子が胸を張って告げた。
  先ほどから似た台詞を幾度となく聞いてたため、春道は驚いたりしなかったが、少女の保護者らしき女性は別だった。
  慌てて立ち上がった女性は、すぐに春道へと頭を下げてきた。
「どうやら娘がご迷惑をかけたようで、本当に申し訳ございません」
  ある程度事情を察してくれたのだろう。深々と顔を下に向けたまま謝罪の言葉が並べられる。
  女性は少しゆったりめのTシャツにジーンズをはいている。下半身はともかくとして、春道にとっての問題は相手の上半身だった。
  重力に引っ張られたTシャツの首周りが露になり、春道の視界には美女の白い胸元がくっきりと映っているのだ。
  風呂上がりのせいかブラジャーもつけてなく、もう少しでピンクの頂まで見えてしまいそうだった。
  健全な男子がそんな状況を味わい続ければ、股間が獣化するのも当然である。
  そんな格好悪い姿を初対面の美女に晒すのはごめんなので、まだ覚醒しきってない息子へ春道は落ち着くよう心の中で必死に呼びかける。
「あの、どうかしましたか」
  しっかりとした反応を見せない春道に対して、美女が少しばかり不審そうな顔を向けてくる。間違っても、貴女の胸元を注視するので一生懸命でしたとは言えない。
  何でもないと答えようとするも、焦るほどに口がうまくまわらなくなる。これではやましいことを考えてましたと説明するようなものだ。
  かすかに生まれる沈黙。それを打ち破ってくれたのは葉月という名前らしい少女だった。
  ややこしい事態に巻きこもうとしてくれた子供だけに好感は持てないが、今この時点においての彼女の行動は有難かった。
「パパはパパなんだよねー」
  答えを急かすように、少女がシャツの裾を何度も引っ張ってくる。結構な力だけに、肩口が外からも見えてしまう。
  もっとも相手の美女は春道と違って、異性の肌に注目したりはしない。ただ困惑したような、心配そうな視線で葉月と呼んだ女児を見ている。
「いい加減にしなさい、葉月。この方が困ってらっしゃるじゃない」
  少女と目線を合わせながら、諭すような口調で美女が話しかけた。
「嘘じゃないもん。ママが教えてくれたのとそっくりだもん」
  納得するどころか、女児はブンブンと首を左右に振って反発する。
「困った子ね」
  そう呟いた美女だったが、本当に困ってるのは春道だった。何せ、事情が何ひとつわからないまま、騒動に巻き込まれてしまっているのだ。
  会話から置いてけぼりの春道にようやく気づいてくれたのか、美女は再び春道に頭を下げた。
「突然この子がすみませんでした。私は松島和葉と言います。この子は娘の葉月です」
「そんなの知ってるよねー。葉月のパパなんだもんね」
  よほど春道を父親にしたいのか、何度も女児はそう念を押してくる。とはいえ、簡単に頷いてあげたりはできない。
  春道は少女に突然パパと呼ばれて、捕まえられたことを和葉と名乗った美女に説明する。
「本当に申し訳ありませんでした。この子、少し勘違いしてしまったみたいで」
  迷惑をかけてしまった心苦しさを証明するかのごとく、相手は三度深々と頭を下げる。
「勘違いじゃないもん。この人、絶対パパだもん。葉月にはわかるんだもん」
  半ば泣き叫んで子供が母親へ抗議する。
  それにしても助かったと春道は思った。偶然人通りが少なかったおかげで、騒ぎを誰にも気づかれてないのだ。
  これが春道の知ってるいつもの状況なら、凄まじい勢いで野次馬軍団が形成され、下手をすれば警察まで呼ばれて今頃は事情聴取さえ受けていたかもしれない。
  幸運と言えなくもないが、望まない騒動の主人公に勝手になってしまっているので、不幸中の幸いというところだろう。
  しかしながら、いつまでも訳のわからない騒動と遊んでるわけにもいかない。季節はもうすぐ夏とはいえ、夜はまだまだ肌寒いのだ。
  濡れた髪でいつまでも外にいたら、いくら健康に自信のある春道でも風邪をひいてしまう。事態を収拾させるべく、春道はこうなった詳しい説明を美女に求めた。
  松島和葉は一瞬悩んだのち、顔を上げて春道を見据えた。その目は本当は話したくないけれど、ここまで迷惑をかけてしまったのだから仕方がないと諦めてるようだった。
「実は今、父親が不在の状況でして、この子は父親の顔を知らないんです。私がいつも説明していた容姿に貴方が似ていたので、それでつい――」
「葉月は間違ってないもん。ママこそ、なんでパパにそんなことを言うの」
  葉月という名の少女の瞳には大量の涙が滲んでいる。それだけ父親が恋しいのだろう。
  無理もない。両親の間に大人の事情があったとしても、それを理解できる年齢ではない。
  悲しみにくれる娘に、どう説明したらいいものやら母親は悩んでいるみたいだった。簡単には人に話せない複雑な事情があるに違いない。
「パパは葉月のパパだよね。そうだよね」
  すがるような視線で下から見上げられれば、思わずそうだよと言ってあげたくなる。
  高木春道は己でも自覚してるほどのお人好しなのである。これまでもお金の問題などで度々友人をなくしている。
  春道が悪いわけではなく、お金を貸した途端にその友人は連絡がつかなくなってしまったのだ。
  こんな難儀な性格をしてるだけに、一時は心無い友人たちから便利屋のごとく扱われていた。それが嫌で地元を飛び出し、自然以外ほとんど何もないような田舎町までやってきたのである。
  フリーのプログラマーなんて仕事をしてるだけに、パソコンとインターネットに適応した環境さえあれば金を稼ぐには充分だった。
  見てのとおり裕福な生活を送れるほどではないが、男ひとりそれなりに生きている。
  そんな春道でも迂闊に首を縦に振ったりは出来ない。ここで嘘をついて少女を喜ばせたとしても、最初についた嘘をバレないようにするために新たな嘘をつかなければならない。
  そうなれば泥沼だ。春道にとっても、葉月という女児にとっても得など何もない。
  可哀相かもしれないが人生とはそういうものだ。だからこそ春道は人に見栄を張らないことを信条としていた。
「何で、何でウンって言ってくれないの。どうして葉月のパパだよって言ってくれないの」
  駄目だ――もう見てられない。春道は女児から視線を外した。このままでは情に負けてしまいそうだった。
  仕方なしに春道は最終手段を実行しようと決めた。チラリと母親を見て、すまないと軽く頭を下げてから、くるりと二人に背を向けた。
「ど、どこ行くの」
  涙と鼻水にまみれてるとわかる声が、ザクリと背中に突き刺さる。だが下手な真似をしても母娘を傷つけるだけだ。心を鬼にして春道は冷たい声を出す。
「悪いけど、忙しいんだ」
  それだけを告げると、足早に現場を後にする。それとなく背後の様子を確認すると、こちらを追いかけようとした娘を、母親が必死になって押さえつけていた。心が痛むが、こればかりは春道にはどうにもできない。
  もう会うこともないだろう。いずれは夏の前に起きた珍しい想い出になる。ふと闇に染まった夜空を見上げると、元気を出せよとばかりに月が美しく輝いていた。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-24 15:55:06 | 显示全部楼层
愛すべき不思議な家族 2
 人生において滅多に遭遇できないであろう体験から一週間後。春道は近所のスーパーを歩いていた。スーパーといっても大型小売店なので、店内はかなり広い。
  三階建てで一階が家電類。二階が衣料品で、三階がゲームセンターとなっている。食料品は地下で販売している。春道が歩いてるのは、食料品売場だ。
  普段はコンビニを利用するのだが、現在時刻がスーパーの閉店である午後八時に近いため、特売品がないかと思って足を伸ばしてみたのだ。
  春道は料理をほぼまったくできなかった。カップメンやインスタント食品を除けば、作れるのはかろうじて炒飯程度である。従って、生きていくにはコンビニやスーパーの惣菜等に頼らざるを得ないのだ。
  自炊ができれば生活も少しは楽になるのに。自身の不器用さに呆れつつ、ため息をつく。
  貧乏よりは苦労をと、これまで何度か自炊に挑戦した。現在の生活状態を見てわかるとおり、結果は惨敗に終わっている。
  参考にした料理本には誰でも簡単に作れると書いているのに、何故か春道が作ればある意味誰よりもクリエイティブな料理が完成してしまうのだ。
  涙なしには語れないそれらの体験を経て、最終的に春道は自炊を諦めた。おかげでどうしても高くなる食費のために、他での出費を我慢しなければならないのである。
  当初は苦痛に感じたりもしたが、慣れてしまえば別にどうということはなかった。
「お、レバニラが安いな」
  何度かこのスーパーで買い物をしており、その際に購入したレバニラはなかなかの一品だった。以前に食べた味を思い出してると、たまらず口元から涎が溢れそうになってしまう。
  夕食のメニューに加えるのを決意し、右手に持っていた買い物カゴへひとパック放りこむ。さて、次の獲物はと――。
  おつとめ品のシールが貼られた売れ残りの惣菜をじっくりと品定めしていく。
「本日も当店にご来店頂きまして、誠にありがとうございます」
「――ん?」
  買い物する手をピタリと止める。唐突に若そうな女性店員の声が、店内各場所に設置されているスピーカーから流れてきたからだ。
  声の主に心当たりがあって、淡い恋心を抱いていたから、などというような思春期真っ盛りの中学生みたいな理由ではない。
  もしかしてタイムサービスでも始まるのではないかと期待したのだ。閉店間近で客数が少なくなっているので、もしそうならわりと楽に入手が可能となる。
「ご来店中のお客様に、迷子様のご案内を申し上げます」
  何だ、迷子か。期待していた台詞とは違い、春道は少なからずガッカリしてしまった。
「松島葉月ちゃんのご両親様。葉月ちゃんがサービスカウンターにてお待ちしております。お聞きになっておられましたら、どうぞ至急サービスカウンターまでお越しくださいませ」
  日中に比べると圧倒的に人も少ないし、親も油断してしまったのかもしれないな。他人事の感想しか持たなかった春道だが、次の瞬間には認識が甘かったと知る。
「パパー」
  わずかに聞き慣れた声が、春道の左耳を貫いたのだ。
  待てよ。そう言えばさっき、確か迷子の名前を言っていたはずだ。
  松島葉月――。
  記憶の糸を手繰ると、すぐに見つけることができた。つい一週間前も、場所は違えどほとんど同じシチュエーションに遭遇したばかりである。
  このスーパーは地下の食品売場にサービスカウンターが併設している珍しいタイプだった。そして春道が歩いてるのは、丁度そのすぐ側である。
  ぎくりとしながらサービスカウンターを見ると、見覚えのある女の子が満面の笑みで、春道に向かってブンブンと右手を振っていた。
  確実に見覚えのある顔だった。元来、人の顔や名前等の覚えはよくないのだが、あれだけのインパクトがあればそうは忘れない。
  このまま知らないふりをして通り過ぎようかとも思ったが、生来の人の良さが反対をする。何より父親が見つかったと思って、ホッとしているサービスカウンターの女性従業員を見たら無視できなくなってしまった。
  仕方なしにサービスカウンターへ近づいていくと、嬉しそうに松島葉月ちゃんがぴょんぴょん飛び跳ねながら春道の到着を待っていた。ガッチリと手を握り、まるでもう逃がさないと言わんばかりである。
「よかったわね。お父さんが迎えに来てくれて」
  事情を知らない女性従業員がニッコリと微笑みかけると、負けないくらいニッコリと少女が笑顔を見せた。ひとり泣きたい気分の春道だけが、複雑な表情を浮かべている。
  担当者に見送られてサービスカウンターを後にする。隣には春道の手をしっかりと両手で掴んで離さない少女がいる。
「パパもお買物だったの。それともママと待ち合わせしてたの」
  無邪気にきゃいきゃいと色々聞いてくるものの、何て答えたらいいのかわからない春道は無言を貫いていた。それでも松島葉月はめげたりせずに何度も話しかけてくる。
  傍から見たら本物の親子にしか見えないだろうな。ため息をつきながら春道は思った。事情を知らない人間が見れば父娘が戯れる微笑ましい光景かもしれないが、ふたりが赤の他人だと知ってる人間が目撃すれば、春道にその気がなかろうがこれは誘拐である。
  悠長に買い物なぞしてる場合ではなくなったので夕食選びを中断し、買物カゴの中に入ってる商品だけを精算してしまう。
「パパ、晩御飯これしか買わないの」
  誰のせいでそうなったんだよ。喉元まで出かかった言葉を春道はなんとか飲みこんだ。ここでこの子供にへそを曲げられたりでもして、騒がれれば何かと面倒だからだ。
  もっとも、騒動を起こせば母親がやってきてくれる可能性も高い。
  納期が差し迫っている仕事を抱えてるだけに、万が一にでも警察から事情聴取を受ける事態になればマズい。およそ現実的な方法ではなかった。
  だから子供は嫌いなんだよ。レジで支払いを済ませたあと、つくづく春道は思った。
  なのに何故か子供に好かれる体質らしく、初対面の子供が相手でもやたらと懐かれてしまうのだ。そう、例えば今回のケースみたいに。
  店内に設置されてる休憩スペースで母親を捜そうにも、スーパーはもはや閉店間近でそれもできない。
  どうするかな。この現状では、さすがに春道も途方に暮れるしかなかった。
  母親は娘を放っておいて何をやってるんだよ。再びサービスカウンターの近くに戻って呆然と立ち尽くしていると、これまた見慣れた顔が息を切らしながらこちらへ走ってきた。
「葉月」
「あ、ママだー」
  少し前までは迷子になっていたと思えないほど、能天気な声で母親に笑顔を向ける。
「急にいなくなったから心配したのよ。店内放送で呼ばれてサービスカウンターへ迎えに来ても、お父様がもういらっしゃいましたとか言われるし――」
  我が子がいなくなったのが相当効いていたのだろう。取り乱した母親が娘へ矢継ぎ早に言葉をぶつける。
「ご、ごめんなさい」
  あまりの迫力に、さすがの女児も顔を俯かせて母親へ謝った。
  これで母親もひと段落着いたのか、ようやく一緒にいた春道の存在に気がついてくれたようだった。
「貴方はこの前、銭湯で葉月がご迷惑をおかけしてしまった方ですよね」
  顔にはありありと、何故貴方が私の娘と一緒にいるのですかと言いたげな様子が浮かんでいる。
「パパが葉月を迎えに来てくれたんだよ」
  どう説明したものか春道が悩んでるうちに、一緒にいた女児が事実と違う台詞を口にした。それではあらぬ誤解をしてくださいと言ってるようなものである。
  案の定、美女は目つきを鋭くしてこちらを睨みつけてきた。
「別にどうこうしようとしたつもりはない。全部偶然だ」
  と言ったところで、やはり簡単には納得してくれない。仕方ないので、どうしてこうなったのかを最初から詳しく説明する。
  店内に閉店時の音楽が鳴り響く頃にはすっかり誤解もなくなり、逆に春道は美女に頭を下げられていた。
  何度も同じ光景を見てるだけに、誘拐犯扱いされそうになったことに怒りを覚えるより、この人も大変だなと同情する気持ちの方がずっと強い。
「とりあえず、外に出よう」
  春道は謝罪の言葉を口にしようとしていた美女に提案した。閉店準備に追われている従業員の視線が、妙に刺々しいのだ。明らかに春道たちを邪魔にしてる様子である。
  客商売のスペシャリストらしく、顔を見ればどの従業員もニコリと笑みを返してくるが、纏ってる雰囲気が早く退店して下さいと急かしてるように感じられるのである。
  以前に松島和葉と名乗った美女も同様の感想を抱いてたのか、春道の言葉に「そうですね」と頷く。
 店の外に出ると、スーパーの電気は店内外を含めてほとんど消えかかっていた。ここら辺は田舎だけに街灯が少なく、商店街と言えど、店が閉まれば不気味なくらいの静けさと暗さに包まれる。
「こんな場所で立ち話も何ですから、せっかくなので家へいらっしゃいませんか」
  美貌の母親からの予期せぬ誘いだった。そんなに知った間柄でもないのに、ほいほい家へついて行くのもどうかと思う。今晩のおかずもある程度は買っているのだ。
  しかし、どうにもハッキリさせなければならない問題がある。どうして松島葉月が、幾度も春道を父親にしたがるかだった。
  二度あることは三度ある。よく知られている言葉だ。嬉しくない三度目がやってくるまえに、原因究明をしておいて損はない。単に本当の父親に背格好が似てたなんて理由でも、判明すると意外にスッキリするものだ。
  春道は松島宅へお邪魔すると決めた。美しき人妻とお近づきになりたいとかのやましい理由ではなく、一連の騒動に収拾をつけるためである。
  両者とも徒歩でスーパーに来ており、松島和葉の先導で夜道を歩く。普通、こういう場合は母親の手を子供は握ったりするのだが、松島葉月は親ではなく、さっきからずっと春道へまとわりついてきていた。
  春道と手を繋ぎたがってるようだが、両手をズボンのポケットに突っ込んでいるので、仕方なしに上衣の裾をギュッと掴んでいる。確か銭湯前で初めて会った時もこんな感じだったはずである。
  母親の和葉は何度となく振り返って、迷惑をかけないよう娘に注意をするが効果はまったくない。そのうち諦めてしまったようで、申し訳なさそうな視線を春道に向けてくるようになった。
  嫌いで仕方ない子供に、どうしてこうも懐かれてしまうのか。春道にとって不必要極まりない特性だった。
「もうちょっとでお家に着くからね」
  笑顔ひとつない春道を見て、子供ながらに機嫌をとろうとしたのか、にこやかに葉月が話しかけてきた。
  それに合わせて和葉も「申し訳ありません。本当にもうすぐですから」と春道を気遣ってきた。
「大丈夫だよ」
  丁寧な言葉遣いは苦手だが、せっかくかけてくれた言葉を無視するほど無愛想ではない。面倒だとは思うものの、必要最低限の社交性は持ってるつもりである。
  ただ、子供に関しては別だった。奴らは相手をしてやると、すかさず調子に乗ってくるのだ。あとはずっと遊んでやらないといけなくなってしまう。しかも子供というのは無邪気で、時にそれは残酷なまでの凶器となる。
  えぐるように心を傷つけられても、相手が子供だけに本気で怒れない。そんな真似をしようものなら、周囲の両親どもを中心に大人げないだのと、散々文句を並べられた挙句にいつの間にかこちらが悪者にされてるのだ。
  ましてや、事情を知らない人間からすれば、プログラマーなんてほとんど謎の職業である。不審者みたいな扱いを受けたりしたケースもあり、子供と関わると損しかしないと春道は痛感しまくっていた。
「着きました。ここです」
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-24 15:55:56 | 显示全部楼层
先自己顶----
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-24 16:54:19 | 显示全部楼层
愛すべき不思議な家族 3
 松島母娘に連れてこられたのは一軒家だった。結構な大きさだが、比例するかのように築年数もなかなか凄そうだ。それでも春道が住んでいるボロアパートよりは、遥かにマシである。
  田舎には人の住んでない一軒家が比較的多数存在する。様々な事情で住人が家を手放すのだ。その際に貸家や売家になる。仮に貸家だとしても、普通にマンションを借りるより安い家賃で済むのだ。
  春道自身も住居を決める際に、一軒家にしようかどうか悩んだくらいである。最終的にはひとり暮らしする身に、広すぎる家は不要だと判断して現在のボロアパートに落ち着いた。
「パパの家でもあるんだから、遠慮なんかしちゃ駄目だよ」
  早く家の中に入ってとばかりに、松島葉月はこれまで以上の力で春道を引っ張った。
  子供の力なので簡単に振り解けもしたが、元々お邪魔するつもりだったので、されるがままに玄関へと導かれる。
  内装も外装と同じような状態だった。歴史があると言えば聞こえはいいが、要はボロ屋だ。何度も言うようだが、それでも春道が住んでるアパートよりは十二分に立派だった。
  横から聞こえてきた「汚い家ですみません」という和葉の言葉に、心の底から「とんでもない」と返した。
  家の程度は多少難ありでも、母娘がふたりで住むには充分な広さだった。逆に部屋数が多すぎて、持て余してるくらいだろう。
  玄関から見渡せる範囲で家内を眺めていた春道に、すでに靴を脱いで家に上がっている葉月が目を輝かせて声をかけてくる。
「パパ、ただいまは」
「え? あ……ただいま」
  意表を突かれてしまったせいで、思わず春道は自宅でもないのに、素直に帰宅の挨拶をしてしまった。
  聞きたかったひと言を聞けた少女は、満面の笑みで「はい、お帰りなさい」と応える。
  お帰りなさい、か。実家から出てひとり暮らしをしてるだけに、何年かぶりに聞いた出迎えの言葉だった。
  それが十歳にも満たない少女のものなのが何とも言えずに物悲しいが、これも男の独り身の侘びしさとして耐えざるを得ないだろう。
「どうか遠慮せずに上がって下さい」
  玄関先でボーッとしっ放しだった春道に、和葉がスリッパを出してくれた。娘の葉月が何も履かずに家の中に居るのを見ると、客である春道を気遣って差し出してくれたに違いない。
  断る理由もないので、礼を言ってから靴を脱いで春道はスリッパに足を通す。
  サイズが女性用のだったのか、それほど大足ではない春道の足でさえ、スリッパからかすかにはみ出てしまう。
  と言っても、それほど気になるレベルではないので構わずに履き続ける。ボロアパートではスリッパなんて高級なのは使ってないし、実家も県営の団地だったので家内で使用した経験はない。
  履きなれないスリッパで何とか廊下を歩きつつ、春道は和葉の案内で居間に通された。
  よほど春道が気に入ったのか、それとも本気で父親と信じてるのか、葉月は常にべったりで決して側を離れようとはしなかった。
「葉月、貴女は宿題があったはずよ」
  十二畳くらいはあるだろうか。居間とキッチンが繋がってるとはいえ、結構なサイズだ。その他にもトイレやお風呂、それに二部屋ほど個室があるみたいだった。
  これだけでも春道からすれば羨ましいのに、どうら二階にも二部屋存在してるようだ。
「でも、今日はせっかくパパがいるし……」
「宿題をしなくてもいい理由にはなりません」
  食卓として使ってるっぽい木製のテーブルセットに着席するよう春道を促したあと、和葉は急に母親の顔になった。
  先ほどまで見せていた優しげな表情から一転、口答えを許さない教育ママのオーラで娘を威圧している。
  春道と会話するにあたって、邪魔だから名目をつけて一時的にでも追い払いたいのだろう。子供が得意ではない春道からしても、和葉の行動は有難いものだった。
  宿題を題材にしての言い争いは、それでもわずかなあいだ続いたが、結局は母親である松島和葉が勝利した。
  途中、何度も助けを求めて葉月が視線を送ってくるも、春道はことごとく無視したのだった。
  こういったややこしい状況になっている原因を説明してもらうには、なにかと口を挟んでくる女児は不要だった。
  母親に言い負けた娘は、すごすごと自分の部屋へ戻っていく。居間を出て、すぐのところにある個室が葉月の部屋らしい。ドアが閉まる音で、それくらいなら春道にも判断できた。
  向かい合って存在していたもうひとつの個室が、和葉の部屋になるのだろうか。それとも一階を子供に預けて、二階を自分の部屋として使っているのだろうか。
  いや、それはないな。自分で考えた後者の推測を春道は即座に否定した。キッチン等がある一階を子供に全部与えていたら、夜中に何かあった場合に対応しきれない。
  二階を娘に与えるケースはあっても、逆の可能性は低い。となれば、やはり和葉は子供部屋の向かいにある部屋を自室にしているはずだ。
  二階部分は完全に余るな。物の置き場所に常に苦労している視点から見れば、贅沢極まりない状況だった。
  そんなことを考えてると、いつの間にか春道の正面に座っていた和葉が、テーブルの上で深々と頭を下げていた。
「見ず知らずの方に、二度もご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
  心底悪いと思ってるのだろう。和葉の謝罪は、春道が経験してきた中でも最上級に丁寧なものだった。
「別に構わないけど、なんであそこまで俺を父親にしたがるか、その理由くらいは聞かせてくれるんだよね」
  早く帰宅して晩飯にしたい春道は、早速本題について切り出した。
  静かに頷くと松島和葉は席を立ち、近くにあった本棚から一冊の本を取り出した。
  戻ってきた和葉が両手に持っていたものをテーブルに置くと、ようやく本ではないと気づいた。表紙にアルバムの文字が見えたからだ。
  訝しげな春道の視線に気づいてるようだったが、再びイスに座って向かい合っている和葉は何も言わずにアルバムのページをめくっていく。
  その途中で相手の指がピタリと止まった。目当ての写真を見つけれたらしい。該当の一枚をアルバムから抜いて、春道の前へ差し出してくる。
  写真を手に取り、じっくり見てみる。今よりも若い松島和葉が写っていた。同じような年頃の女性たちと仲良く戯れている。見るからに学生時代の想い出の一枚という感じの写真だった。
「これが何か?」
  松島和葉と同級生だった記憶もないし、当時の自分の学生時代を思い返しても、春道と彼女に接点があるとは思えない。
「よく……見てください」
「よく見ろと言われても、俺と何の関係が――」
  言いかけた春道の呼吸が、驚きで一瞬だけ停止した。はしゃぐ少女たちの背後にとてもよく見慣れた横顔があった。どう見てもただ通り過ぎてるだけで、無意識に写真に写ってしまったと表現するしかない。
  記憶の糸を手繰る。そう言えば高校の卒業旅行と称して、友人たちと北海道の遊園地らしき場所に行った覚えがある。
  なんという偶然だろうか。まさか松島和葉とそんな場所ですれ違ってたとは思わなかった。しかしこれが自分とどんな関係が――。
  疑問が浮かんだ瞬間に、本来ならあり得ないであろう理由が答えとして思い当たった。
「まさか、この写真で俺を――」
  父親だと説明したのか。最後まで質問するまえに、松島和葉はさらに申し訳なさそうに表情を曇らせた。
  これで松島葉月が、どうしてあれだけしつこく春道を父親と呼んだのか合点がいった。
  問題はひとつ解決したが、代わりに新たな疑問点が生じる。和葉がどうして春道を父親だと、娘である葉月に告げたのかだ。
  そのことをズバリ尋ねると、相手の顔が途端に険しくなった。居間の外で葉月が聞き耳をたててないか、わざわざ確認までしに行ってから、食卓まで戻ってきて声を潜めた。
「実はあの子に父親はいないんです」
  大体予測がついていたので、春道は別段驚きもしなかった。離婚か死別か理由はあるのだろうが、あれこれ詮索する趣味はない。
「それならそうと、正直に言ったらいいんじゃないか。バラすのとバレるのでは、相手に与える心証はまるで違う」
「わかってます。けれど、あの子が物心ついた時に、周囲の友達には父親がいるのに、どうして自分にはいないのかと聞かれてしまって……」
  その後を言い難そうに和葉は語尾を濁した。相手の反応で説明されるまでもなく、いないはずの父親を存在しているように、和葉が娘に嘘をついたのだとわかった。
「理由があって、あの子には父親がいません。それが不憫で、少しでも夢を持たせてあげようとしたんです」
「大人のエゴだな。バレた時、どれだけ彼女の心が傷つくのかを思えば嘘をつくべきじゃなかった」
「それもわかっています。それでも、当時の私は葉月に対して本当のことを言えませんでした。困っていた時にアルバムをめくると、丁度その写真が目についたんです」
  春道と和葉の視線が、同時にテーブル上の写真へと戻る。
「北海道にはこの一度しか行ってないですし、たまたま写っていた貴方に偶然出会うとも思えなかったので、申し訳ないとは感じながらも、この人が葉月の父親だと言わせてもらったのです」
  一度息を切ってから、再び和葉が口を開く。
「あの子には、事情があって父親は遠い所で仕事をしていて、ひと段落ついたら帰ってきてくれると説明していました。そうしてしかるべき時期がきたら、きちんと説明するつもりだったんです」
「なるほど。その時期がくるまえに、奇跡的に会うはずのない俺と遭遇してしまったと」
  春道の口調が相手を責める、キツく厳しいものへと変化する。松島和葉もそれを感じとったのだろう。蚊の鳴くような声で「すみません」とひと言だけ絞りだした。
「でも考えようによっては、今が告白する時期なんじゃないか」
  刺々しさが全開になってるのは春道も承知の上だが、勝手に騒動に巻き込んでくれた目の前の女性に、少なからず怒りを覚えてるのも事実だった。
  母親としては辛いかもしれないが、春道からすれば多少残酷でも、さっさとこの問題にケリをつけてほしかった。
  春道に引っ越してくれとは、相手の立場からすれば口が裂けても頼めないだろうし、松島家が居住を移すにしても、本気で父親に会えたと思ってる娘は納得しないだろう。
  松島和葉がどう悩んだところで、選択肢なんて最初からひとつしかないのである。
  この場に葉月を呼んで、母親の和葉が事情説明をする。結局はそこに落ち着くしかない。半ば確信めいたものを持っていた春道だったが、松島和葉の口から出てきた台詞は予想を遥かに超える内容だった。
「あの子の父親になってもらえませんか」
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-24 16:56:07 | 显示全部楼层
今天就到这里吧----
明天继续!
喜欢的话顶顶哦!
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-25 09:09:34 | 显示全部楼层
愛すべき不思議な家族 4
 最初、何を言われてるのか春道には理解できなかった。頭の片隅にもなかった提案に、情けなくも唖然としてしまう。
  一体この女性は何を言ってるんだろう。これから先、ずっと演技でもしてくれと頼んでるのだろうか。
  だとしたら冗談じゃない。はっきりと春道はそう思った。
  出番を焦がれる小劇団の若手役者じゃないのだ。そんなくだらない真似をするのはごめんである。
「父親の真似事をさせたいんなら、俺に似てて、売れてない俳優でも探してきたら」
  しつこくせがまれても面倒なので、あえて突き放す言葉をぶつける。
「え? い、いえ、違うんです」
  少しのあいだキョトンとしたあと、慌てて松島和葉は首を左右に振った。
「私がお願いしてるのは、本当の父親になってほしいということです」
  説明を受けて、今度は春道がキョトンとする。さっきからお互い代わり番こに驚きあっている。
「本当の父親って、まさか……」
「はい。私と結婚してほしいんです」
  突然すぎる、それも女性側からのプロポーズだった。生まれてからこれまで、異性から告白された経験なんて数えるほどしかない。
  そんな春道が極上の美人に結婚を申し込まれたのだ。嬉しくないわけがない。これが普通の状況だったならば。
「結婚って言われても、簡単に決断なんてできないし、大体ほとんど初対面みたいなもんじゃないか」
  言われなくても百も承知とばかりに和葉が頷く。その目を見れば、相当な決意だと理解できた。
  嘘から出た実なんて言葉が存在するが、前方にいる女性は現実にそれを行おうとしてるのだ。さすがに春道も戸惑いを覚えた。
  結婚してほしいと言うからには、どんな理由であれ前夫との夫婦関係は消滅しているのだろう。だからと言って、簡単に結婚の二文字を口にしてくるとはまさに想定外だった。
  もしかしてこれは美人局の一種なのではないかと、本気で春道は相手の母娘を疑うまでになっていた。
  どれだけ娘を溺愛してるのかは知らないが、自分がついた嘘で傷つけたくないからという理由で求婚する女性がいるとは信じられない。これ以上この母娘には関わるな。春道の本能が大声で叫んでる気がした。
「こ、この話はま、またの機会に」
  さりげなく席を立とうとしたのだが、動揺がまともに言葉に出てしまった。春道の様子から莫大な不信感を持たれたと察したのか、またも大慌てで松島和葉は首を左右に振った。
「結婚だから籍は入れてもらうんですけど、別に変な意味はないんです」
  そうは言われても、この状況で相手の真意を勘繰らない方が無理というものだ。
「少なくとも、詐欺とかの類ではないと?」
「そのとおりです。私を変な女と思ってるでしょうが、誰彼見境なく求婚したりはしません。あくまで娘のためなんです」
  これは困った事態になった。相手に嘘をついてる気配が一切ないのである。何度か親バカと呼ばれる人種を見てきたが、ここまでの本物に出会ったのは初めてだった。
  娘のためになるのであれば、法に触れない限りは何でもしそうである。いや、最悪の事態になれば犯罪だったとしても――。
  そこまで考えて春道はゾッとした。自分は今、ストーカーよりも質の悪い女に目をつけられてしまったのではないか。
「夫婦として本気で愛し合いたいとは思っていません。それに現代では熟年離婚なんてケースも珍しくはないですから」
  その説明で、相手の意図を春道はようやく少しだけ理解した。
「要するに、あの女の子が自立するまで、俺に父親になってほしいってことか」
「はい。要約するとそのとおりです」
  躊躇いもせずに松島和葉が言い放つ。初対面時は物腰柔らかな大和撫子のごとき印象を抱いたが、今や粉々に打ち砕かれていた。
  ある程度のおしとやかさは外見どおりに所持しているみたいだが、同時にこうと決めたら譲らない頑固さも持ってると見て間違いない。本音を言えば、あまり関わりになりたくないタイプである。
「もちろんタダとは言いません。そちらの貴重な時間を頂くわけですから。けれど、ご覧のとおりの家に住んでるくらいなので、巨額の金銭をお支払いする能力はありません」
  ならば身体で支払うとでも言うつもりなのか。危険な臭いはするが、はからずも二十八年間童貞を守りとおしてきた春道にとっては魅力的な条件である。
  ドキドキする鼓動に比例して、顔面が赤くなっていくのを感じた。断るのがベターなはずなのに、断りきる自信がない。密かにピンチを迎えてる春道の正面で、美女は真剣な眼差しのまま会話を続ける。
「一度の巨額の金銭をお支払いできない代わりに、日常生活の保障をしたいと思います」
「日常生活の保障?」
  想像していた報酬内容と違い、ガッカリしてしまったが、どこか春道はホッとしていた。
「そうです。家賃等の生活費はすべて私が負担します。その他にも毎月少額ですが、現金のお支払いも約束します。恐らく五万円程度になると思います」
  言葉で条件説明をしたあと、どうですかと視線で松島和葉が答えを求めてきた。
  腕組みをして春道は思案する。よくよく考えてみれば悪い話ではないからだ。今まで生活費だった金額を自由に使用できる。さらに月々五万円も貰えれば、貯金するのも難しい話ではなくなる。
「料理や洗濯についても、私が面倒を見させて頂きます。その代わり、この家に引越してもらいますが、使用してない二階を全部自由にして頂いて結構です」
  松島和葉の話では、この家は元々二世帯住宅として建設されたみたいで、二階にも洗面所やトイレが別途存在しているらしかった。さすがに風呂はひとつだけのようだが、そういうことなら生活環境としては申し分ない。
  言わば家政婦付きの家に無料で住めるのだ。相手も春道に無理な要求をしてるだけあって、いたれりつくせりの条件である。
  どうせ結婚を予定してる相手もいない。だが重大な問題点がひとつだけあった。
「悪いけど、俺は子供が苦手なんだ。あの子にとっていい父親にはなれそうもない。逆に彼女が傷ついてしまうかもしれない」
  高校時代に学級委員を一度だけ経験したが、当時みたいに選ばれたから気軽にやりますよと返答するわけにはいかない。春道は自分の性格を正直かつ丁寧に説明した。
「それでも構いません」
  気は進まなかったが、自分を悪く言っただけに相手も提案を取り下げるだろうと思っていた。ところが、予想に反した言葉を和葉は返してきたのである。
「あくまでこちらはお願いしてる立場ですので、無理な対応をしてもらうつもりはありません。父親でいてくれるだけでいいんです」
  益々怪しい雲行きになってきたなと、春道は思った。何かと騙しあいが多い現代社会において、裏のないウマい話など皆無に等しい。
  もちろんゼロではないだろうが、どう考えても相手に不審を抱かざるを得ない。それがわかったのか、真剣な眼差しで和葉が慎重に言葉を選ぶ。
「貴方が怪しむのはわかります。もし私が逆の立場だったなら、即座に断っているかもしれません」
  無茶なお願いをしてるというのは、相手側も重々承知してるようだった。ならば何故に、こんな提案を持ちかけてきたのか。春道が率直に聞いても、返ってくる答えは「娘のためです」の一点張りだった。
  またも腕組みをして春道はしばし考える。相手が提示してきた条件を本当に約束してくれるのなら、これほど待遇のいい話はない。
  もっとも愛情がないだけに、松島葉月が成人したり、父親がいらない年頃になったらすぐに和葉は離婚届を持ってくるだろう。好条件はそういう事態になっても、春道を納得させるためと考えて間違いない。
  春道の人生を何年とわからず拘束されるのだから、それなりの見返りはあって当然である。メリットとデメリットを頭に入れたうえで計算してみる。
  どう決断すればいいのか、なかなか決められる案件ではないというのに、優柔不断な春道にしては珍しくすぐに答えを出した。
「わかった。その話を引き受けるよ」
  その言葉を聞いて、松島和葉の顔がパッと明るく輝く。
  どうせ結婚する予定などしばらくない。一度形だけでも結婚しておいて、両親や周囲の親戚を安心させようとも考えたのである。
  それに父親をやってるうちにしっかりと貯金しておけば、いつ放り出されてもそれなりに余裕を持った生活が送れるだろう。
  ここまで考えての決断だった。予定は未定とよく言われるだけに、突然のアクシデントにより契約が途中で破棄されるかもしれないが、その時はその時である。
  どう転んでも、自分が損をする可能性が低いと春道は踏んだのだ。万が一新手の美人局だったとしても、最悪ノートパソコンだけでもあれば仕事道具としては充分なのである。あとはインターネット環境さえあればどうにでもなる。
「それじゃ、いつから始めればいいのかな」
「そうですね。早いうちに籍を入れてしまって、形だけ夫婦になったらすぐにでもこの家で一緒に暮らしましょう。結婚式は不要で構いませんよね」
「こっちはそれで構わないよ」
「ありがとうございます。では他人行儀な言葉遣いも止めにしましょう。どのくらいの期間かは不明ですが、一応は本当の夫婦になるのですから」
「そうだな。そうしてもらえると、こちらとしても有難い」
  最初からとても丁寧とは言えない言葉遣いだったが、それでもどこかしらの遠慮が春道にはあった。共同生活をするだけに、いつまでもそんなものがあるとさすがに息が詰まりそうになる。
  春道と和葉の話し合いが終わると、タイミングよく居間の外からバタバタと忙しない足音が聞こえてきた。恐らく宿題を終えた葉月が向かってきてるのだろう。
「私からそちらの生活に干渉することはまずありません。ですから――」
「こっちからもあまり干渉しないでほしい。それと夜の夫婦生活はないってところだろ」
「理解してくださってるのなら結構です」
  美しい容姿に似合わず、なかなかキツい性格の持主でもあるらしい。喋り方や、話の内容をストレートに伝えてくるところからそれが窺える。
  この分ならほぼ確実に、ひとつ同じ屋根の下にいながら、お互いに不干渉な生活を送れそうである。しかも食費や家賃はあちら持ちで、春道は小遣いまで貰える約束になってるのだ。
  内心でニヤリとしていると、元気にドアを開いて松島葉月がリビングに飛び込んできた。
「よかった。パパ、まだいてくれた」
「当たり前でしょ。葉月のパパなんだから」
  ニッコリと心からの笑みを和葉が娘に向ける。先ほどまでの話し合いでは、決して春道に見せてくれなかった表情である。
「やっぱり、パパはパパなんだよね」
  母親が春道――父親の存在を認めたことで、和葉以上の笑顔で葉月が走り寄ってきた。
「今日からパパもこの家に住むんだよね」
  期待に満ちた視線を向けてくる少女に対して、春道は静かに首を左右に振った。
「残念だけど、まだやることが少しだけ残ってる。同居するのはそれからだ」
  瞬間、残念そうにした葉月だったが、近いうちに春道と暮らせるようになるとわかると表情が一転した。
「それじゃ、今日のところはもう帰らせてもらうよ。仕事も残ってるんでね」
「わかりました。ではまた明日、どこかでお話をしましょう」
  とても夫婦とは思えないほど、春道と和葉のあいだに重い空気が充満していく。
  ひとりニコニコしてる松島葉月はとにかく楽しそうだった。春道と和葉の雰囲気に気づかないのか、それとも気づいておきながらあえて場を和まそうとしてるのか。それはこの少女にしかわからない。
  松島和葉から名刺を渡されたので、春道も多少は作っていた名刺を手渡し、別れの挨拶としたのだった。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-25 09:21:54 | 显示全部楼层
愛すべき不思議な家族 5
 それにしても今日は大変な一日だった。帰宅するなり、春道は使い慣れた布団に身を投げ出した。
  このところ信じられないような事態が、立て続けに身の回りに起こっている。
  昨晩の松島和葉のプロポーズもそのひとつだった。女性にモテた経験のない春道だけに、その言葉は強く印象に残っていた。
  だが喜んでばかりはいられない。元々破綻するのが前提で成立する結婚なのだ。
  結婚すれば両親は喜ぶだろうが、離婚すれば悲しむだろう。けど今時の世界では離婚なんて、さして特別な出来事にはならない。やんごとなき事情があるケースは別にしても、世の大人たちが結婚と離婚を気軽に考えるようになってきた証拠だ。
  当然、春道も最近の若者の部類に入る。性格の不一致ゆえに別れたと言えば、不審がる人間もいないだろう。
  決断に問題はない。自分に言い聞かせたあと、遅くなった夕食をとるためにスーパーで買った惣菜をレンジで温めるのだった。
 翌日、松島和葉から春道の携帯に電話がかかってきたのは夕方の六時過ぎだった。丁度仕事終わりくらいなのかもしれない。
  ある程度時間に都合がきく春道とは違い、向こうはまっとうな職についているのだ。電話をこちらからかけるのは控えていたので、望んでいた展開となった。
  電話にでると昨晩の続きを話したいとのことだったので、春道は近所のカフェを指定した。
  松島家は春道のボロアパートとさほど離れてなく、真っ直ぐに向かえば昨日買物に出かけたスーパーとたいして変わらない距離だ。
  近所の銭湯で偶然出くわすくらいなのだから、互いの家の距離がそれほどなくても不思議はない。
  松島和葉は春道の申し出を了承し、三十分後に待ち合わせることになった。電話の向こうではずいぶん賑やかだったため、彼女の職場は恐らく市内の繁華街にあるのだろう。
  自然風景が売りの田舎とはいえ、店が並ぶ活気溢れる通りのひとつくらいは存在する。
  きちんと小・中・高と学校もあるし、交通の便もそれほど悪いわけではない。惜しむらくは、他県から人を呼べる特産品や観光名所がないことである。
  万が一、目玉となるべきものがあったのなら、我が県の主要都市に発展していてもおかしくはない。長年居住している老人たちほとんどが、過去を懐かしんではそんな台詞を口にする。
  だが春道は、この地はこれで良かったのだと思っている。程好い田舎感が好みにピッタリだったからだ。
  しかし若者たちはそう思ってないようで、毎年のように他の発達した都市へと移住していく。戻ってくる人間もいるにはいるが、それでもここ数年はずっと総人口がマイナスの一途を辿っている。
  一応市政も色々と対策を講じたりはしてるみたいだが、今のところ目立った効果は表れていない。
  ――と、いけない。もうこんな時間か。春道はパソコンのキーボードによる打ち込みを一旦停止させた。考え事をしながら仕事をしてるうちに、約束の時間が迫っていたのだ。
  仕事の内容を保存してから電源を落とし、画面が真っ暗になったところでコンセントを抜く。こうすれば待機電力を無駄に消費しなくてもすむ。
  それに万が一、落雷等で停電しても安心である。いくら毎日バックアップをきちんととってるとはいえ、仕事上のデータが全消去なんて事態はあまり好ましくない。
  部屋着から急いで着替え、昨日とほとんど同じ格好で出かける。自慢ではないが、衣服に執着心を示さない春道は所持してる洋服の数が少ない。気に入った服しかあまり着ないので、ほとんど一張羅みたいになっていた。
  夜が少しずつ近づいてきてるからか、外に出ると吹いてくる風はすでにひんやりとしている。車を使う距離ではないので、徒歩で松島和葉と落ち合う予定の喫茶店に向かう。
  腕時計で現在時刻を確認すると、待ち合わせ時間までは残り十分程度だった。ここから喫茶店までは約五分。充分に間に合う。
  途中アクシデントもなく、予想どおりにカフェへと到着した。リラックスという名前だが建物自体は古く、店名同様にリラックスできるかどうか外見だけで判断すれば、十人中十人が間違いなく不安だと答えるだろう。
  しかし春道は、昭和の時代を思い起こさせるレトロな雰囲気が気に入っていた。もう午後の七時近いのに、店内にはまだしっかりと明かりがついている。客はあまり来ないものの、リラックスの閉店時間は午後八時なのだ。
  ずいぶんと中途半端な閉店時間で、最初は春道も不思議に思ったものだった。
  リラックスの閉店時間には田舎町ならではの事情があった。昨晩、春道が買い物に行ったスーパー系統の建物ならともかく、食事のできるお店は近辺ではこのリラックスしかないのである。
  ひとり暮らしのサラリーマンたちの要望で、リラックスは善意で午後八時までやっているのだ。
  喫茶店とは言いながらも、軽食の他にもサラリーマンたちには定食のメニューも用意されていた。枠に囚われない営業ができるのも、人生経験を充分に積んだ老人たちで経営してるからだろう。
  かくいう春道も、何度となくリラックスのお世話になっていた。この店のミックスサンドは全体的にバランスがとれており、なかでも目玉のトマトはとても瑞々しく舌が蕩けそうになる。しかも春道が大好きなレモンティーとまたよく合うのだ。
  春道のお気に入りセットを覚えていたのか、老婆のウエイトレスは注文も聞きに来ず、いきなりミックスサンドとレモンティーを座ったばかりの春道の席に持ってきたのだ。年配者ならではの細かな心配りも、常連客には人気のひとつだった。
  夕食がまだだった春道は、有難くテーブル上のミックスサンドに手を伸ばした。ひと口で半分ほど一気に食したところで、リラックスのドアが再びガチャリと開いた。
  古びた内装の店には似つかわしくない、黒のパンツスーツ姿の女性が颯爽と現れた。松島和葉である。寂れた店内が、たったひとりの女性の魅力で途端に華やかになる。
  和葉はすぐに春道を見つけ、向側に着席した。これまで会った時はほとんどすっぴんだったのだが、仕事帰りなのもあって今日の彼女はしっかりと化粧をしていた。
  水商売に励む女性みたいに色気を演出するメイクではなく、あくまで自然に己の美しさをアピールするかのごとく、ナチュラルなメイクを施している。ただでさえ驚くほどの美貌を誇っていた和葉が、より魅力的な存在へと変身していた。
  町を歩けば、恐らく男女関係なく通り過ぎる人間が振り向くに違いない。普通の女性にそんな台詞を言えばお世辞になってしまうだろうが、この松島和葉にいたってはそうならない。
  明らかに田舎町には浮いた存在で、洗練された都会の色気が全身から滲みでていた。すっぴんも綺麗だとは思ったが、化粧をするとここまでのレベルになるとは想像もできなかった。
  春道の心臓は、思春期の中学生が初恋をしてるみたいにドキドキと高鳴っている。いくら落ち着いてくれと頼んでも、逆に鼓動は激しくなる一方だった。
「遅くなって……高木さん? 私の顔に何かついてますか」
「い、いや、何でもないないんだ」
  ドギマギしながら春道は答えた。どうやら知らず知らずのうちに、松島和葉の顔に見惚れてしまっていたらしかった。
「昨日の話の続きをしようか」
  照れ臭さと恥ずかしさから、顔面が真っ赤になってるのが自分でもわかった。少しでも冷静さを取り戻そうと、春道は話題をあえて自分から振った。
  元々の目的だけに、待ってましたとばかりの勢いで和葉が話に乗ってきた。
「いつ頃からこちらへ住めそうですか」
  老婆のウエイトレスにコーヒーを注文してから、松島和葉はズバリ春道に聞いてきた。
「荷物もそれほど多くないし、早くと言われればすぐにでも大丈夫だよ」
「そうですか。あの子も喜びます」
  あの子とは言わずと知れた和葉の娘、松島葉月である。彼女がいると春道にべったりで話にならないため、今日は家で留守番をしてるのだろう。
  もしかすれば、春道と和葉がこうして密談してる事実も知らないかもしれない。知っていれば、自分もついて行く言い出し、無理やりにでも母親に同行しようとしてもおかしくない。
「それにしても、いくら子供のためだからって、そっちは簡単に結婚を決めていいの?」
「問題はないです。それに形式的には結婚となりますが、実際には共同生活をするだけにすぎませんから」
  松島和葉が一旦口を止めたのを待ってたかのように、タイミング良く老婆のウエイトレスがなみなみとコーヒーが注がれたカップをテーブルに置く。
  ごゆっくりとひと言だけ残して、老婆はさっさとカウンターへと戻っていった。
  早速カップに唇をつけ、コーヒーをひと口飲んでから和葉が言葉を続けた。
「あくまでお互いのプライベートを尊重しながら生活をしたいんです。もっとも、高木さんは子供が苦手というお話でしたので、それほど心配する必要はないと思いますが」
「なるほどね。こっちに干渉するつもりはないから、そっちにも構うなってことか」
  昨日も確認したとおり、夜の夫婦生活も含まれてるだろう。大恋愛の末に一緒になるわけじゃない。好意を抱いてもいないのに、肉体を許す女性など存在しない。そのぐらいは春道も重々承知していた。
  春道が全部理解してくれてると知ると、あからさまにホッとした様子を相手が見せた。そこまで肌を重ねるのは嫌なのかと、軽くショックを受ける。
  確かに極上美人の松島和葉と、町中を探せばそこら辺にごろごろいそうなレベルの春道とではお世辞にもつりあってるとは言えない。
  それにしても、先ほどの態度はあんまりである。とはいえ、相手が言っていたとおり、あくまで他人同士の共同生活。言わばルームメイトと形容するのが相応しいのだ。性生活を期待するのが無謀と言える。
  それに当初の約束どおり、生活費や食生活等の面倒。加えて毎月の小遣いまで貰えるのであれば、肉体関係が持てるかどうかなど些細な問題にすぎなかった。
  事前の契約に偽りがないか、改めて春道が確認すると、静かに和葉が頷いた。
「もちろんです。もともと無理を言い出したのはこちらなのですから、特別待遇を保障するのも当然です」
「それだけわかれば充分だ。荷物もそれほど多くないし、明日からでも早速引越しの準備を始めるよ」
「ありがとうございます」
  テーブルの上で松島和葉がぺこりと頭を下げて礼を述べてきた。
「気にしなくていいよ。基本的に世話になるのは俺なんだから」
  それに春道には急がなければならない理由があった。現在請け負っている仕事の納期が迫りつつあるのだ。必要以上に時間をかけすぎると仕事に失敗してしまう。
  信用が第一の職種だけに、一度でも納期をオーバーしてしまうと、途端にクライアントからの依頼数が激減する・
  どうしても多少は時間をロスしてしまうが、無事に住居の移動が完了すれば、家政婦のいる生活ができるようなものだ。
  炊事や洗濯等の煩わしさから解放され、今までそれらに使っていた時間や労力を仕事に向けれる。そうすれば多少の遅れは簡単に取り戻せる自信があった。
「あ、そうだ。姓はどうする。夫婦別姓でいくのか?」
「私はそのつもりでしたが、高木さんは何かご不満ですか」
「いや、文句があるとかじゃなくて、そっちの意向を聞きたかっただけだ」
  これから春道と和葉は、仮面夫婦と言っても相違ない関係になるのだ。事が正式にスタートする前に、入念に打ち合わせをしておかないと、いつボロがでて周囲に怪しまれるかわかったものじゃない。慎重すぎるくらいで丁度いいのだ。
「別姓はいいとして、高木さんって他人行儀な呼び方は止めてもらえるかな。仮にも夫婦になるんだから、さんづけでもせめて名前で呼んでくれないか」
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-25 09:22:17 | 显示全部楼层
愛すべき不思議な家族 5
  要望に対して少し考える姿勢を見せたあとで、松島和葉は春道に承諾の言葉を伝えてきた。
「では、私のことも遠慮せずに名前で呼んでください」
「そうさせてもらうよ。こちらとしても両親に嘘をつかないといけないんだ。それも残酷な嘘をね。ならせめてバレないようにして、不出来な息子が無事に結婚できたという幸せな事実をあげたい」
  春道の説明に和葉の顔が曇る。申し訳ない気持ちが強くなったからかどうかは定かではない。
「高木――いえ、春道さんはご両親と仲がよろしいんですね」
  唐突に松島和葉がポツリと呟いた。
「何で?」
「先ほど、ご両親を悲しませたくないようなことを言ってらしたじゃないですか」
「両親がいたからこそ、今の俺がある。仲が良いとか悪いとかよりも、感謝の思いを持ってるだけだ」
「結局仲が良いってことではないのですか」
「感謝イコール新密度にはならないさ。現に俺はここ最近、ほとんど親と顔を合わせてなければ会話もしていない。大体そんな論理が通用するなら、この世界で人から感謝される職業に就いてる人間は皆大モテだろ」
「違います。感謝なんて単語が思い浮かぶ時点で、親子関係は良好なんです」
  これまで冷静沈着を売りにしてたような女性が、何故ここまでムキになってるのか理由がわからない。もしかして、松島和葉は自分の両親とうまくいってないのだろうか。
  さすがに気になったが、相手に必要以上に干渉しないと決めたばかりなだけに、そこらへんを聞いたりするのはルール違反に思えた。
  考えてみれば、松島家の事情がどうなっていようと春道には関係のない話だ。
「とにかく夫婦別姓にして、互いに名前で呼び合う。必要以上の干渉はお互いになし。取り決めはこの程度でいいのか」
  平行線を辿るだけの、両親との仲についての議論を延々と継続してても仕方ない。若干強引ではあるものの、春道は話題を変えた。
「はい。それで大丈夫です」
「引越しの準備ができ次第、そちらに電話を入れる。まさかそっちが不在時に、俺が勝手に出入りしてあれこれするわけにもいかないだろ」
  あくまで家の持主は松島和葉なのだ。もちろんすぐに「そうですね」と相手は首を上下させる。
  ここで春道はある事に気づく。お互いの両親への挨拶と結婚報告だ。結婚までの流れを考えると大袈裟な式をあげる可能性は低いが、顔合わせ等はしないとさすがにマズいだろう。
  報告等に関して春道が尋ねると、意外にも松島和葉は必要ないと首を左右に振った。
「あの子にはもう結婚してあると伝えてますし、両親には葉書や電話で報告します」
  常識的に考えてそれはどうかとも思ったが、春道自身フリーのプログラマーとして仕事を始めてから、忙しさ等もあって友人の数は極端に減っていた。
  それに両親も、春道が決してマメな性格の持主ではないと知っている。和葉の望みどおりにしても、あまり不信感は抱かれないかもしれない。
  わかったと言葉を返すと、またもや松島和葉がお礼を口にした。一応、自分でも非常識な要求をしてると理解してるのだ。
  結局、後日文章のみの葉書で両親や友人に報告する方向で話はまとまった。
「世間一般的に浮気と呼ばれる行為をされても、なんら問題はありません。厳密に言えば浮気にはならないのでしょうし。ただ、葉月にだけはバレないようにして下さい。あの子を悲しませたくはないですから」
「わかった」
  春道は一応そう答えたが、生まれてから今日まで性交の経験はないのだ。そんな男性がポンポンと浮気なんて行為をできるはずもない。あえて己の恥を晒す必要もないので、わざわざ説明する気もない。
  ふと店内にある壁時計を見ると、もうほとんど閉店の時間だった。客もすでに春道たち以外はいない。
  心優しい老人スタッフたちは、それでも客を急かしたりはしない。客が居たがれば、閉店時間を過ぎても営業を続けてくれる。
  何度か閉店時間ギリギリに来て食事をしていたため、身を持って知っていた。いついかなる場合においても、ここの従業員は常に客を優しく出迎え、接してくれるのだ。
  だからと言って、好意に甘えるつもりはなかった。話すべき事案はほとんど終わっているし、これ以上粘る必要がないからだ。
  松島和葉も同意見のようで、見ればすでに席から立とうとしている。
「では、近々ご連絡があるのをお待ちしています。今日は有難うございました」
  立ってから頭を下げると、和葉は春道が止める間もなく伝票を持って、カウンターへと向かっていった。
  男が女性から奢られるのはなんだか恥ずかしかったが、これからはヒモのような生活を春道は送るのだ。
  年収がそれほど多くないだけに、背に腹は変えられないのが現状だとしても、嬉しい反面やはり情けなくも思う。
  結局、春道は和葉が代金を支払うのを黙って見届け、店の外で別れたのだった。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-25 12:14:43 | 显示全部楼层
愛すべき不思議な家族 6
 喫茶店での話し合いから三日。時間は慌しすぎるほどに経過していた。
  松島和葉が持ってきた婚姻届にサインをして、それを彼女が市役所に届け出た日に晴れて春道は妻帯者となった。
  相手は事前の話し合いどおり、葉書で親族や友人に報告をしたみたいだが、春道は数少ない友人にはメールで、両親には電話で結婚したことを伝えた。
  事後報告となってしまっただけに、両親は酷く驚いたあとで怒ったが、最終的には春道だからしょうがないで片付いてしまった。
  ことさら父親は嫁の顔を見せろとうるさかったが、春道は「そのうちな」と告げただけで煙に巻いた。里帰りしてる暇はなかったし、どう考えても和葉がついてきてくれるわけがない。
  とはいえ、いつまでも息子の嫁が正体不明では両親も困るかもしれないので、後でデジタルカメラで和葉を撮影したのを、プリントアウトして送ってやろうと思っていた。そのぐらいなら和葉も協力してくれるはずだ。
  結婚式等を行ったりもしないので、それほど春道の周辺が騒がしくなったりはしなかった。親しい友人たちと数回メールのやりとりをしたぐらいだ。
  それでもするべきことだけはたくさんあった。様々な書類の変更手続きがもっとも面倒で手間がかかった。
  そして今日、いよいよ引越しの決行となったのである。
  荷物は必要なもの以外は捨てたり、親友にあげたりしたため、春道ひとりでも全然大丈夫な量だった。
  それでも自分の車で運ぶにはキツかったので、軽トラックをレンタルしてきた。中ぐらいの大きさのダンボールで、わずか十個程度だったため、一回で全部を荷台に乗せられた。
  松島家に着くと、不干渉を宣言しながらも手伝ってくれるつもりだったらしく、動きやすそうな服装の和葉が家から出てきた。
  たまたま今日は日曜日だったので、学校が休みの松島葉月も母親より先に玄関から外に飛び出してきていた。
  春道が和葉と入籍したので、戸籍上は本当の娘になっている。
  まだ童貞だっていうのに、いきなり子持ちになってしまうなんてな。まるでドラマのごとき展開に巻き込まれた自分自身に、春道は信じられない気分で苦笑した。
「今日からパパも一緒に住むんだよね」
  軽トラックの運転席から降りたばかりの春道に、人懐っこい笑顔を浮かべた葉月が走り寄ってきた。
「ああ。よろしくな」
  子供と接する機会が極端に少なかっただけに、どういうふうにしたらいいかわからず、普通に友人と話すような口調になってしまう。
「ほら、葉月。パパの邪魔をしたら駄目よ」
  念願の父親が家に来た嬉しさからか、早速まとわりつきだした葉月を、母親である和葉が制した。
  実際その行動は有難かった。あのままでは、娘となった少女の相手をするだけで日が暮れてしまう。
「葉月もパパを手伝うのー」
  子供らしく手足をジタバタさせて、唇を尖らせる。どうやら仲間外れにされるとでも思ってるらしい。
「俺なら大丈夫だ。せっかくの休日なんだから、友達とでも遊んでくるといい」
  時刻は午前十一時まであと少し。丁度子供たちが元気に遊びまわってる頃だ。
  もっとも春道の子供時代とは違い、現代の子供たちは外に出て遊ぶ機会が減ってるようだった。学歴社会において有利に生きさせるために、親たちは競い合うように幼少時代から我が子を塾に通わせる。
  勉強漬けのストレスを解消するために、子供たちが好んで使用するのがゲーム機だ。時代の進歩とともに、ひとりでも充分に遊べる環境がそこかしこにあった。
  ゲームのプログラムの仕事も、たまには請け負う春道からすれば好ましい事態かもしれないが、やはりどことなく寂しさを覚えてしまう。
「ヤだ。今日はパパとずっと一緒にいるの」
  娘となった少女がどういうタイプかは知らないが、とりあえず春道の遊んでこい指令は即座に却下されてしまった。
「葉月、パパを困らせないって、昨日ママと約束したでしょう」
「だってぇ」
  母親にたしなめられ、葉月がシュンとする。多少はかわいそうな気がしないでもないが、和葉とは必要以上にお互いのプライベートに干渉しないと取り決めてある。
  相手のプライベートには娘のことも含まれてると考えて間違いないため、春道がここでとやかく言うべきではない。
  春道が荷物を降ろしてるあいだ、母親が娘の説得を必死に続けていた。向こうとしても、娘が春道にべったりまとわりつくのは避けたいのだろう。
  何せ春道がへそを曲げて結婚生活を止めると言い出せば、これまでの和葉の苦労は水の泡になる。しかも事前に春道は子供の相手が苦手だと告げているのだ。こちらに気を遣って、娘の説得をしてるのは明らかだった。
  やがて渋々ではあるものの、葉月は母親の言葉に頷いた。名残惜しそうにしながらも、遊びに行ってくると告げて、自宅前からどこかへ走り去っていった。
  田舎町だけに、遊ぶスペースはいたる所に存在している。公園の数も都会よりずっと多い。バスケットのゴールやボールも、ほとんどの公園に設置されている。
  昔に比べれば外で遊ぶ子供たちはずっと少なくなっており、宝の持ち腐れだと近所の中年親父が以前に愚痴ってたのを思い出した。
 邪魔者と言えば失礼だが、作業を遅らせる存在がいなくなったので、引越しは順調すぎるほどに進んだ。松島和葉も手伝ってくれ、瞬く間に春道の荷物は二階に運び込まれた。
「食事は冷蔵庫に毎食分入れておきますので、お好きな時間に召し上がってください。もちろん食べなくても結構です」
  基本的に二階だけでも生活できる環境なため、細かい部分は春道に任せられた。
「では、何か用があれば呼んで下さい」
  そう言って、松島和葉は階段を下りていく。運ぶまでは手伝うが、そこから先はご自由にどうぞと言わんばかりである。
  資料整理とかもあるので、手間はかかるが以降はひとりでやる方が何かと都合がいい。気を遣ってくれたのか、干渉したくなかったのかは不明だが、ひとりになれたのは正直有難かった。
  昔から食事等もひとりのケースが多かったので、各種色々と揃っている二階の生活環境は充分に満足できるレベルだった。これなら松島家の人間とは、必要以上に関わらない生活も可能だ。
  廊下を見渡せば、隅に洗濯物入れと書かれた少し大きめのカゴが置かれていた。恐らくあのスペースを利用して、洗濯物の受け渡しをするつもりなのだ。
  汚れた衣服をカゴに入れておけば、いつかはわからないが松島和葉が下へ持っていき、自分たちのを洗うついでに春道のもやってくれるのだろう。
  元々洗濯機は所持してなく、もっぱら近くのコインランドリーを使用してた春道にとっては嬉しい限りだった。さすがに下着類は自分で洗おうかとも考えたが、今さら格好つけても仕方ないのでパンツ等も遠慮なく洗濯してもらうことにする。
  そう言えば、友人たちが大人の本を買う時にレジが若い女性だと、購入を躊躇ったりするケースがあるらしいのだが、春道の場合はそういったシチュエーションで憂慮した経験はなかった。
  目的の物が見つかれば相手がどんなタイプであれ、平然とレジまで持っていく。そんな性格だけに大人の本を買っても、友人たちみたいに色々と隠したりはせず、堂々と部屋の本棚に並べていた。
  知り合いは口を揃えて春道を強者と称したが、そんな自覚は何ひとつなかった。強いて言うなら、友人たちみたいに隠し場所について等、悩んだりするのが面倒くさかっただけなのである。
  春道とて羞恥心のひとつやふたつ程度は持っている。それを滅多に表にださないだけだった。
  恥ずかしい感情よりも、パンツを和葉に洗ってもらった方が春道にはメリットが多いと踏んだのだ。
「さて、これからの生活について考えるまえに、まずは荷物を片してしまうか」
  松島家の二階には個室がふたつ存在していたので、ひとつを仕事部屋に。もうひとつを私室兼寝室として使用することに決めた。
  これまで住んでいた、ひと部屋だけの狭いボロアパートと比較すれば、まさに天と地ほどの待遇の差だった。将来の経歴に離婚歴をつける代償とはいえ、ここまで至れり尽くせりでいいのかとも思う。
  松島和葉からの要望は一緒に住んでほしいというだけで、別に熱心に父親役を演じてくれと頼まれたりもしてない。むしろ関わってほしくなさそうな感じだった。
  娘があまりにも駄々をこねるので、仕方なしに春道と結婚するなんて荒業を考えたに違いない。娘が父親を必要としていても、彼女はまったく必要としてなさそうだったからだ。
  和葉が春道に必要以上に干渉しなくていいと言ったのは、少しでも早く娘に父親への興味をなくしてもらいたいからではないだろうか。父親が同居してても、以前の生活と何ら変わらないと実感すれば、やっぱり父親なんていらないと葉月が思う可能性もある。
  そうすれば即座に父親役の春道は不要になり、再び母娘ふたりきりの平和な生活に戻れる。春道と葉月に仲良くなってほしくない。それが松島和葉の本音かもしれない。
  人懐っこい娘とは対照的に、母親は人を寄せつけないオーラを常に発してる感じだった。あくまで春道の推測にすぎないが、当たってる自信はある。
  だからと言って、この恵まれた生活を一日でも長く続けるために、松島和葉のご機嫌を進んでとろうとは思わなかった。
  契約が予定よりずっと早く終わっても、春道自身には何の文句もなかった。我侭を言わなければ、家賃の安いアパートなどいくらでもある。
  最初から本気の結婚ではないだけに、最悪のパターンをすでに複数は想定していた。追い出されたら追い出されたで、短いホテル暮らしが楽しめたと思えばいいだけなのである。
  とにかく新しい環境は、仕事をするにあたっては最適である。この状況が継続されてるうちに、ひとつでも多くの仕事を完成させて金を稼ぎたかった。
  ダンボールを開け、持ってきた私物を取り出すが、ほとんどはパソコン関連で占められていた。
  書斎と決めた部屋に、組み立て式のデスクセットを運び、電動ドライバーで形にしていく。多少面倒ではあるものの、組み立て式は簡単に分解と復元ができるので、こういった引越し時には便利である。
  同じく組み立て式の木製の本棚を完成させ、三段式の本棚を横にして床に置き、その上に同じタイプの本棚をさらにふたつ重ねる。
  これで持ってきた書類はあらかた収納するメドがついた。続いて、仕事道具となるデスクトップパソコンを机の上に設置する。ノートパソコンも持ってはいるが、自宅での仕事では主にデスクトップを使う。特に理由はないが、以前からそうしている。
  事前に松島和葉に職種を説明していたので、本来はネット環境がなかった松島家でもつい先日、ネット回線が開通していた。
  ファイルの整頓も終わり、一応仕事ができる状態にはなった。残りの荷物は布団等なので、私室に決めた部屋へ行って布団を敷く。幼少時から寝相が悪い春道は、ベッドだと夜中に床へ落ちてしまうため、常に布団を愛用していた。
  それに仕事時間が不規則なため、いつでも睡眠がとれるように布団は常に敷きっ放しである。
  人並みにテレビを見たりゲームもするので、持ってきたそれらの機器を私室に並べて、春道の引越し作業はほぼ完了した。
  午前中から始めたはずが、すでに外は日が傾きだしていた。松島葉月が二階に上がってくる気配が一切なかったので、まだ外で遊んでるのか、もしくは母親である和葉が制止してるかである。
  昼食もとらずに結構な重労働をこなしたため、先ほどからしつこく腹の虫が鳴いている。松島和葉に言えばすぐにでも食事を用意してくれるだろうが、春道にはまだやらなければならないことが残っていた。
  軽トラックのキーを片手に階段を下りる。突き当りがすぐ出入口なので、誰かに気づかれたりはしなかった。玄関に並んでる靴を見ると、葉月はもう帰宅してるようだ。
  車に乗り込み、エンジンをかけてからアクセルを踏む。レンタカー屋に、この軽トラックを返しに行かなければならない。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-25 12:15:14 | 显示全部楼层
愛すべき不思議な家族 6 
 
無事に軽トラックの返却を終えたあと、徒歩で旧自宅となったボロアパートへ戻り、駐車場に停めてある自分の車へ近づく。
  自慢の愛車は黒のソアラだった。昔見た漫画でその存在を知り、実物を見た瞬間にひと目で気に入った。
  少ない年収の中で必死にやりくりをして、分不相応にも購入してしまったのだ。もちろん中古だが、比較的新しい年度のを選んだので、かなり値が張った。
  しかもローンを組んだのはいいが、二年なんて短い期間にしたおかげで、支払いはかなり大変だった。現在ではローンも払い終えてるのでその点は大丈夫だが、問題は維持費と燃費の悪さだ。
  もっとも燃費なんぞを気にするようなら、スポーツカーに乗るなと言われるのがオチである。
  松島家では自家用車を所持していなかったので、自宅前の駐車スペースは春道が自由に使っていいと和葉から言われていた。
  通常の車より少しだけうるさいマフラー音を轟かせて新居前に到着する。駐車スペースに車を停めていると、玄関から松島葉月が飛び出してきた。まるで午前中のVTRを見てるかのごとき光景に、春道は思わず苦笑する。
  駐車を終えて運転席から降りると、すぐに娘となった少女が駆け寄ってくる。
「パパ、お帰り。もうすぐ晩御飯だよ」
  朝と変わらない無邪気な笑顔だった。
「いや、悪いけど俺は仕事があるから」
  基本的にずっとひとりで食事してきた春道にとって、他人と一緒に食卓を囲むのは違和感があると同時にプレッシャーでもあった。
  今夜もひとりで食事をしようと思って、途中コンビニへ寄って弁当を買ってきていた。
「……そんなにお仕事、忙しいの?」
  一緒に夕食をとるのを、心から楽しみにしていたのかもしれない。少女の目はみるみるうちに涙ぐみ、口調も不安定になっていく。
  だから子供は苦手なんだよ。心の中で呟いた春道が、どうやって葉月をなだめようか考えてると、ベストタイミングで母親の和葉も外へ出てきた。
  娘と春道のあいだに漂う雰囲気から事情を察知したのか、一直線に娘へ近寄って声をかける。
「あまり無理なお願いをしては駄目よ」
  春道に対する時と違い、諭すような口調の中にもどこか優しさが感じられる。
「だって葉月、パパとせっかくお食事ができると思って……」
  すっかり半泣きの葉月の頭を撫で、慣れた様子で和葉は娘を落ち着かせていく。この状況を無視するわけにもいかず、ボーっと春道はその光景を見てるだけだった。
「パパはお仕事が忙しい人なのって、ちゃんとママは葉月に教えておいたでしょう」
「うん……」
  涙を母親に拭いてもらった葉月が、春道の方を向いて「ごめんなさい」と謝ってきた。どうやら一緒に食事をするのは諦めてくれたらしかった。
「お仕事頑張ってね」
「あ、ああ……」
  多少の罪悪感に襲われながらも玄関で靴を脱ぐと、真っ直ぐ春道は二階へ向かったのだった
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-25 12:16:56 | 显示全部楼层
愛すべき不思議な家族 7
 目を開けると、薄暗い室内だけが春道にお早うと告げてくれた。
  朝に眠る機会も多いので、私室の窓にはすべて真っ黒なカーテンをかけている。
  新たな住居となった松島家の二階の部屋は、どちらも超がつくぐらい日当たりが良かった。高さのある建造物が少ない田舎物件の特権とも言えるが、その中でもここは群を抜いて素晴らしい。松島母娘も良い物件に当たったものである。
  しかし、仕事中は日光の爽やかさが心をリフレッシュさせてくれるケースがあっても、こと睡眠中に関すると話は別である。徹夜明けで疲れていても、燦々と頬に日光が当たり続ければ、ぐっすり眠るのは至難の業だ。
  幸い、前のアパートでも使っていたカーテンが、こちらでもそのまま使えたので早速重宝してる。
  布団から上半身を起こし、枕元に置いてある時計を見ると、すでに正午を過ぎていた。この時間であれば、今は家に誰もいないはずである。
  松島和葉は市内にある大手小売店で、総務の仕事をしていると教えられた。一部上場企業の地方店で、若いながらも課長の肩書きを持ってるらしかった。春道にあれだけの好条件を出せるくらいなのだから、給料も結構な額を貰ってるはずである。
  娘の松島葉月は地元の小学校へ行っている。五、六歳程度だと思っていたら、実は小学二年生で七歳なのだと言う。今年十二月に誕生日を迎えれば八歳だそうだ。
  これらの情報も、すべて松島和葉から得たものである。丁度、二階に洗濯物がないか見に来た彼女とばったり遭遇し、夕食を共にとれなかったのを謝るついでに春道から質問したのだ。
  ちなみに食事に関しては、別に一緒にする必要はないと言われた。気が楽になると同時に、春道は和葉に好かれてない事実を再認識させられたのだった。
  起床した春道は、脳を少しでも働かせるために洗面所で顔を洗う。元々二世帯住宅として作られた家だけに、一階とは別に二階にも洗面所やトイレがある。特別な用事がない限りは、わざわざ一階に足を運ぶ必要はない。
  洗顔と歯磨きを終えてサッパリすると、次は俺たちの番だとばかりに腹がぐーっと大きな音を立てた。
  仕事がひと段落して、眠ったのが今朝の五時過ぎ。夜食として、仕事をしながらスナック菓子を食いまくったりしたのだが、それでも胃袋は今日も元気に餌を催促してくる。
  何気なく二階の廊下に置いてある小型冷蔵庫を開くと、中にはラップに包まれたお盆が入っていた。
  取り出してみると、おかずが一式乗っている。どうやら春道が仕事をしてるあいだに、和葉が作って入れておいてくれたらしい。食事の乗ったお盆はみっつあり、朝昼晩の分が一気に用意されていた。
  昔なら冷えたまま食べなくてはいけなかったご飯も、今では文明の力で一分も待てば温かくできる。春道はお盆のひとつを冷蔵庫から取り出し、私室へと戻った。
  私室にある電子レンジでメニューに温かみを復活させてから、少し遅めの朝食にする。
  松島和葉の手料理は初めて食べたが、相当な腕で、小さな定食屋ぐらいなら営業できそうな味である。あっという間に、春道は朝食に選んだメニューを平らげてしまった。春道が男性なのも考慮して、量は多めに用意されていたので充分に満足できた。
  腹も膨れたら、あとは仕事にとりかかるだけである。空になった容器が乗ったお盆に再びラップを戻して、冷蔵庫の横に置いておく。空になった茶碗等を冷蔵庫にしまうのも変だったし、こうしておけば和葉も片付けやすいかと思ったのだ。
  仕事部屋へと入り、パソコンと向かい合う。電源を入れて、起動するのを待つあいだ、春道は自分自身をまるで引きこもりみたいだなと思っていた。
  仕事の性質もあるが、二階からほとんど降りたりせず、食事や洗濯は和葉がやってくれる。そういう約束なのだから、引け目を感じたりはしてなかった。
  ただし近所の人間からは、そのうち駄目亭主とか言われだすのはほぼ間違いない。シーンを想像して、春道はまたひとり苦笑いを浮かべるのだった。
 人間、本気でひとつの物事に集中すると時間を忘れてしまうものである。今現在の春道がいい例だった。
  いい加減にしろよと、腹の虫に怒鳴られてキーボードから手を離せば、すでに午後の十時をまわっていた。
  仕事部屋を出ると、昼に置いておいた容器は変わらず廊下に存在していた。松島和葉まだ二階へ上がってきてないようだ。
  もしかして毎日朝にまとめて作って、ついでに容器もさげるのだろうか。だとしたら、春道ひとりでずいぶんな量の皿や茶碗を使うことになる。
  もっとも百円ショップで簡単に揃えられる今の時代、それほど費用はかさんだりしない。
  春道は冷蔵庫から、本日ふたつ目のお盆を取り出す。冷凍食品もあるが、手作りもきちんとあって、しかもほとんどのメニューは被っていない。春道も自炊経験者だけに、素直に感心した。
  見れば、もうひとつのお盆に乗ってるおかずもほとんど同じものがない。さすがに一品や二品はあるが、それでもかなりの気の遣いようである。何せひとつのお盆には、白米が入った茶碗の他に五品程度のおかずが用意されてるのだ。
  自炊少々、コンビニ弁当多数の日々を送ってきた春道からすれば充分すぎるほどだった。日中と同じように私室で電子レンジを使ってから、お盆と一緒に用意されていた箸を使って食事をする。
  箸はデザインのない真っ黒な色だけのタイプで、すべて同じ箸がお盆とセットになっていた。家族のと区分するために、松島和葉がこの箸を春道用に選んだのだろう。
  相変わらず味は抜群で、前回同様に幸せなひと時を堪能させてもらった。空になった食器は昼の残骸の横に並べておく。
「次は風呂か……」
  ここで春道は考えた。松島家にも風呂はあるが、銭湯に慣れているだけにどちらを利用しようか迷ったのだ。しかしすぐに疲れをとるには、大きな浴槽でゆっくり湯に浸かるに限ると判断する。
  女家族の松島家だけに、男の春道には使われるのは嫌かもしれないし、銭湯は幸いにして午後の十一時まで営業している。急いで向かえばギリギリなんとかなりそうだ。
「よし、決めた」
  春道は私室に戻り、風呂道具を持って部屋から出た。下に降りてチラリとリビングを見ると、電気はついていなかった。
  玄関には葉月の靴はあっても、和葉の靴はない、もしかしてまだ会社から帰宅してないのだろうか。
  考え込みそうになったところで、ハッと春道は我に返った。今はそんなことを考えてる場合じゃなかったと気づいたのだ。急がないと銭湯が閉まってしまう。
  鍵を開けて外に出ると、事前に預けられていた合鍵を使って、しっかりと戸締りをする。小さな少女ひとりしかいないのに、玄関のドアをフリーパスにしていくほど春道もアホではなかった。
 閉店時刻が迫りつつあったので、烏の行水になってしまった。それでも足をゆっくりと伸ばして浴槽に浸かったおかげで、かなりの体力を回復できた。
  濡れた髪を夜風になびかせながら家路につく。冬場だと間違いなく風邪をひいただろうが、幸いにして季節は緩やかに夏へ進んでる最中である。ドライヤーの代わりになってくれるし、火照った肌を程好く冷ましてくれる。
  家に到着する頃にはあらかた乾いていたが、念のために私室でドライヤーを使うことにする。合鍵を使ってドラを開けると、そこにはまだ松島和葉の靴はなかった。
  地方店とはいえ、大手企業の管理職。担当する業務と責任は、想像以上に凄いのかもしれない。フリープログラマーなんて仕事をしてる春道には、あまりの縁のない状況や感情だった。
  意外なのは娘命みたいに見えていた和葉が、平気――じゃないかもしれないが、葉月をひとりぼっちにさせてる現状である。
  春道の勝手な想像では、毎日きちんと定時で帰宅して、温かな手料理を振る舞いながら明るく一日の報告をしあってるとばかり思っていた。
  舞台となるべきリビングは今も明かりがなく、暗闇と静寂に包まれている。物音が一切しないところを見ると、葉月はもう自室で眠ってるのかもしれない。
  似てるな。靴も脱がずに玄関で立ち尽くしてる春道は、ふと己の幼少時代を思い出した。
  実家は決して裕福ではなかった。そのせいで春道が小さい頃から、両親は共働きで夜遅くまで必死に仕事をしていた。
  二十代後半にもなった現在なら大変さも理解できるが、当時はとても悲しく、切なかった記憶しか残ってない。
  生まれ育った実家はボロアパートで、リビングなんて上等な空間はなかった。両親と一緒に寝てる部屋で、電気もつけずに早い時間から布団にこもっていた。
  両親が常に一緒だった人間からは羨ましがられるかもしれない。テレビのチャンネル争いなんて存在せず、夜更かしをしても、宿題をしなくても誰にも注意されない。
  一部の人間から見れば、まさに幸せの極致だろう。だが当事者たる高木春道少年は、微塵もそんな考えを持ってなかった。
  好きなテレビアニメを見ても妙に楽しくなく、ひとりで座る食卓は無意味に広かった。それはとても無慈悲で、まるで君は陸の孤島に住む唯一の人間なんだよと宣告されてるみたいだった。
  冷めたままのご飯を食べ、宿題をすませたら、とりたててすることもないのでひたすらボーっとしている。そんな小学生時代を終えて、中学生になると両親からプレゼントだとパソコンを与えられた。
  その頃になっても経済力はあまり変わってなく、両親は相変わらず共働きだった。
  罪滅ぼしの意識でもあったのか、パソコンに遊び相手をしてもらえということだったのか。意図は未だにわからないが、両親が知り合いから譲ってもらったパソコンが春道の大親友となってくれた。
  パソコンとプログラムの楽しさにハマり、高校生になればバイトをして、新たなハードやソフトウェアを購入した。
  こうした学生時代を通過して、今の高木春道という人間が形成された。
  友人はいないわけではないがそれほど多くなく、人付き合いはあまり得意ではない。だからこそあまり人と顔をあわせなくてすむ、在宅でのプログラマーなんて職業に落ち着いたのだ。
  他人の目からは寂しい人生に見えるかもしれないが、後悔はしていない。天職だと思える職業に出会え、ご飯も食べれるだけの収入もあるのだ。もっとも今現在はイケメンホストよろしく、ヒモ同然の生活をしているが。
 
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-25 12:17:43 | 显示全部楼层
愛すべき不思議な家族 7

とその時、唐突に背後で物音がした。驚いて振り向くと、松島和葉がようやく帰宅をしたようだった。
「どうしたんですか、こんなところで」
  春道とは違い、さして驚きもせずに和葉が声をかけてきた。
  返事をするまえに、春道が持っていた風呂道具を見て、なるほどと頷く。
「銭湯に行ってきたのですね」
  何故、家風呂を使わなかったのかとは聞かれなかった。お互い不干渉を約束しているからか、単に興味がないだけなのか。
  恐らく後者だろうなと春道は思った。松島和葉という女性は、とても綺麗なのだがどこか冷めた目をしている。今風に言えば、クールビューティとでも形容するべきか。とにかく、並の男では近寄れない雰囲気を漂わせている。
  春道にしても、向こうから声をかけられてなかったら、とてもこうして会話ができる関係にはなれなかっただろう。通常とは違う特殊な関係ではあるものの、一応は夫婦なのだ。
「今、仕事の帰り?」
  答えはわかりきっていたが、なんとなしに聞いてみる。
「ええ、そうです」
「いつもこんなに遅いんだ」
「早めに帰宅できる場合もありますが、基本的に遅番という夜のシフトをこなす機会が多いです」
  別に答える理由はないのだが、質問に対して松島和葉は丁寧な答えを返してくれた。
「じゃあ、あの子はいつもひとりで?」
「葉月ですか? そうですね、今日みたいなケースではそうなりますね。でもきちんと夕食は朝のうちに作って冷蔵庫に入れてありますので、心配はないと思います」
  なるほどと春道は頷いた。要するに春道に食事を提供してくれるパターンと一緒なのだ。
「……子供は苦手だと伺ってましたが」
「え? ああ、苦手だ。嘘を言った覚えはない。それがどうかした」
「いえ、葉月を心配してくださってるような発言でしたので」
「それで本当は子供好きなんじゃないかって思ったのか」
「そこまでは……ただ何となく気になったものですから」
「その台詞のとおりだ」
  春道がそう言うと、松島和葉は「え?」と顔にハテナマークを浮かべた。
「俺も小さい頃は両親の帰りが遅くてね。いつもひとりきりで飯を食ってたんだ。当時の俺になんとなく状況が似てる気がしてさ。それでさっきの言葉どおり、何となく気になっただけだ」
  和葉は春道の答えに、素直に納得してくれたようだった。
「あの……」
「ん?」
「いえ、何でもありません」
  不意に松島和葉が顔を俯かせ、玄関に沈黙が舞い降りた。気まずくなった春道は部屋に戻って仕事をすると告げて、やや急いで靴を脱いで二階に上がっていく。
  その途中で頑張ってくださいと、和葉の小さな声が春道の背中に届いてきたのだった。
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-25 13:58:47 | 显示全部楼层
愛すべき不思議な家族 8
 そして気づけばまた朝がやってきていた。
  いや、すでに昨日同様、春道が目覚めた頃には朝と呼べる時間帯はとっくに通り過ぎていた。
  洗顔を終えて冷蔵庫の中を覗くと、きちんと三食分のお盆が新たに投入されていた。
  夜食にみっつめのセットを平らげ、廊下に置いてた食器もすべて片付けられていた。遅番が多いシフトだと言ってただけに、朝は比較的時間があるのかもしれない。
  と言っても春道が目覚めた時には、すでに松島和葉は出勤してしまっている。
  今日の仕事を開始する前に、まずはお盆のひとつを冷蔵庫から取り出して、私室にて腹ごしらえをする。
  いくら胃腸が頑丈にできてるとはいえ、起きたてはやはりサッパリ系が好ましい。メニューを見比べた春道が朝食――というか昼食に選んだのは、野菜炒めがメインのセットだった。
  一緒についている煮物や、ワカメとじゃがいもの味噌汁も実に美味である。料理下手な春道には難しい品目だけに、こうして食べられるのはラッキーだった。
  松島和葉はもの凄い女性だと、改めて春道は実感した。食事の用意はもちろんながら、二階の洗面所やトイレ等も毎日きちんと掃除してるようだった。家でもこの調子なら、きっと会社でも手を抜いたりせずに、一生懸命仕事をしてるに違いない。
  尊敬すると同時に、少し頑張りすぎなのではないかとも思った。春道の世話をする条件で、結婚の話を受けたのだから当然の待遇ではあるものの、これでは和葉自身のプライベートな時間などとても持てない。
  春道の場合は好きな仕事だし、疲れれば多少の休憩時間をとって私室でゲームをしたりする。うまくストレスを発散させながら日々をこなしていた。
  しかし和葉の場合は――。
  そこまで考えたところで、春道は首を左右に振った。明らかに松島和葉は、自分たちの生活に深く干渉されるのを望んでいない。それは春道も同じである。
  となれば、あれこれ考えたりするのは時間の無駄。相手方にとっても大きなお世話だろう。春道はこのテーマの思考をストップさせ、食事を平らげたあとは即座に仕事モードへ頭を切り替えるのだった。
 そんな生活が一週間ほど続いた。
  環境はまさにお手伝いさん付きのひとり暮らしで、快適なことこの上なかった。おかげで予定よりも早く仕事が完成し、ついさっきメールでクライアントに送ったところだった。これで早ければ明日にでも、報酬の百万円が振り込まれてるはずだ。
  今回は報酬が高いぶん、納期もかなり厳しかった。それでもなんとかなったのは、松島和葉のおかげである。
  いたれりつくせりの生活だっただけに、仕事にだけ集中してればよかったのだ。結果、引越し前と比べると倍の速度で作業を進行できた。
  事前の約束どおり、小遣いとして五万円がすでに手渡しで和葉から支給されていた。食料を調達するわけでもないので、充分すぎる額だ。結局一万円だけを手元に残し、四万円は自分の口座へと振り込んだ。
  車のローンも終わってるだけに、月々の支払いと言えば携帯電話の料金ぐらいだ。ネットの接続費用なんかも和葉が負担してくれてるので、この調子でいけば貯金が増える一方である。
  幸いにして仕事は順調。程好く依頼がきてるので、無理をせずに処理できそうだった。
  母親である和葉が厳しく言ってくれてるのか、娘の葉月が二階に上がってくることもなかった。当初はまとわりつかれまくって仕事にならないんじゃないかと危惧してただけに、これもまた春道にとっては有難かった。
  春道が二階から下りるのは、閉店ギリギリに銭湯へ行ったりなどに限られるため、引っ越してきた当日以降、葉月とは顔をあわせていない。
  加えて和葉の帰りが連日遅いため、いつもひとりで夕食をとってるようだった。
  家の出入口をくぐるとすぐに階段があり、上った突き当りが仕事部屋である。なので仕事に没頭してる時は気づけないが、それ以外の場合は葉月の帰宅に気づくことができる。数日ほど鍵の開く音が聞こえた経験があった。
  それはほとんど同じ時間帯で、常に葉月ひとりだけだった。以降はリビングに少し滞在したあと、自室にこもるようである。
  ますます自分に似てるなと春道は思った。
  小学校時代の春道はほとんど友達がおらず、よくひとりで行動してたのを覚えてる。中学生からはなくなったが、小学生当時は何かと病弱で心身ともに弱かったのだ。おかげでいじめられ、だいぶ辛い思いをしたのを覚えている。
  元いじめられっ子の勘は今でも有効で、松島葉月に対しては陽性反応を示していた。クラスの中で孤立し、母親はほとんど家にいない。悲しみも苦しみも自分ひとりで背負うしかないが、十歳にも満たない子供――しかも女の子にはシビアすぎる。
  直視するのも嫌な現実から、なんとか助けてもらいたくて父親の存在を欲する。丁度その後、偶然にも母親から教えられていた父親の姿を発見する。
  滅多にお目にかかれる展開ではないが、ドラマの撮影だとすればベタである。恐らく春道の推測は合ってるだろう。
  だとしたら、松島葉月の現状はあまりに不憫だった。正式に血が繋がってないとはいえ、ようやく見つけた父親とのコミュニケーションは禁じられてるも同然。同居人数が増えただけで、とりまく状況は何も変わらない。
  顔を見るたびに明るく振舞っていた少女も、さすがに精神的に追いつめられて絶望してるに違いない。
  しかしそれがわかったとしても、手助けをしてやるかどうかは別問題だ。松島和葉の立場からすれば、娘が父親に失望し、嫌ってくれるのこそ理想なはずだ。
  料理や洗濯の手間が一気に楽になるし、何円と待たずに離婚もできる。まさに一石二鳥に他ならない。
  相手の狙いに予想がついてる以上、春道が葉月のためであったとしても、親しくするのを和葉が嫌うかもしれない。悩んだ末に導き出した結論は、このまま様子を見ることだった。
  食事を終えて満腹になったところで、春道は私室内の壁にもたれかかって大きく伸びをする。納期の迫った仕事は終わったため、昨日までみたいに必死こいてパソコンのモニターとにらめっこする必要はなくなった。
  これで撮りためていたDVDや、買いためていた小説を心置きなく楽しめる。酒は付き合い程度にか飲めないので、真昼間から酔っ払おうとは思わない。DVDを見ながら喉を潤す飲料は、ミルクティーやアイスココア等である。
  実は春道は、一般的な女性と張り合えるぐらいの大の甘党だった。以前に間食でないおやつを連日食べまくり、体重が困った状態になってしまってからは多少控えているが、やはり本能の欲求には逆らえない。
  ちなみに甘い食物を容赦なくとっていた当時の体重は、少なく見積もっても今より十キロは重かった。
  アイスココアとスナック菓子をお供にしながら、DVD観賞を始めようとした春道だったが、ここで思わぬアクシデントに襲われてしまう。
  なんとココアも紅茶もコーヒーも切らしてしまっていたのだ。飲みものを自ら作ったりせず、自動販売機等から調達してる春道ならではの失態だった。
  そう言えばストックがなくなりそうだから、あとで買いに行かなければと思っていたのだ。ハッとして春道は、菓子類の置き場所も確かめてみる。
「スナック菓子類も底をついてたのか」
  納期に追われてたとはいえ、少し間抜けな話である。忘れたりしてなければ、銭湯の帰りにでもコンビニへ寄っていた。
  田舎町ではあるが、少し歩けばコンビニ程度は存在する。田舎らしく全国チェーン店ではないし、二十四時間営業はしていない。大手コンビニと比較すれば格段に品揃えは劣るが、ジュースと菓子はそれなりに売っている。
  後悔先に立たずなんて言葉があるとおり、今さら騒いだところでどうにもならない。ここはおとなしく買物に出かけるしかない。
  意を決してと表現するほど大袈裟な行動はないが、とりあえず春道は外行き用の服に着替えてから階段を下りた。
「ん?」
  階段の突き当たり、玄関に丸められたメモ用紙みたいなのが落ちている。拾い上げると、春道は中身を見る。
「……さすがは小学生だな」
  メモ用紙は握り潰されたみたいにクシャクシャだったが、ボールペンで書かれてる文字はしっかりと認識できた。
  ――父なき子。嘘は泥棒の始まり。
  字が汚いのを見ると、恐らくクラスの中心的児童が葉月に対して行ったいじめだろう。ボキャブラリーのなさが小学生らしさ全開だ。
  すでに大人になってる春道だからこそ、こういった悪意の文章を見ても何とも思わないが、体だけじゃなく心もまだ幼い当事者の少女にとっては話も変わってくる。
  父親がいないのをからかわれた葉月が反論。しかし父親になったばかりの春道は、家からほとんど外出しないため正体不明。なおかつ松島和葉はご近所さんに、結婚の報告等は別段してなかったようである。
  町内で取り決められた事項にはきちんと従いそうだが、進んで近所付き合いをしたがるタイプではない。
  結果、松島家は孤立した存在になり、噂話が好きな田舎のおば様方は、勝手な推測に基づいて松島家の内情をあれこれと話し合う。
  いつしか子供たちの耳にも入り、立派ないじめの土台が完成する。この方式にも困ったものだが、そのおば様方に真実でも話そうものなら、事態はさらに悪化すること間違いなしである。
  やれやれ、どうしたものか。ため息をついたところで春道はハッとする。松島母娘に関しては先ほど様子見を決めたばかりなのに、早速決定に反して少女の身を案じてる自分がいたからだ。
  よくよく見れば、玄関には春道の革靴の他に、女の子らしい小さな靴があった。
  時刻はまだ正午過ぎ。帰宅するには早すぎる。もしかしたら学校が嫌で、仮病を使って
逃げ出してきたのかもしれない。
  そんなことを思っていると、不意にリビングのドアがガチャリと開いた。持ってたメモ紙を、慌てて春道はジーンズのポケットにしまいこむ。
「あ、パパだー」
  しょげている風だった表情がパッと明るく輝く。リビングから姿を現したのは、一応春道の娘でもある松島葉月だった。
 
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2009-4-25 13:59:32 | 显示全部楼层
愛すべき不思議な家族 8

トコトコと近づいてきて笑顔を見せるが、大きめで愛らしい目が充血していた。さっきまで彼女がどんな状態だったかは容易に想像がつく。
「パパのお仕事って大変なんだね。いつもお部屋にいるんだもん」
  久しぶりに会えて嬉しいのか、少女は春道の右手を両手でギュッと握り締めながら会話を続ける。その仕草は、まるでひとりぼっちにしないでほしいと心の底から叫んでるようだった。
  なまじ学校でいじめられてるのを知ってしまっただけに、なんて言葉をかけてやればいいのかわからない。
  春道が無言だったので機嫌を悪くさせてしまったと勘違いしたのか、相手の表情が曇る。
「大丈夫だよ。葉月、絶対パパのお仕事の邪魔をしないから。ママにも言われてるし」
  笑顔がどことなく翳っていく。口では強がってもまだ子供。ひとりきりで家にいるのは寂しいに決まっている。
  今でこそ他人と深く関わるのは面倒くさがる春道だが、幼い頃は誰かに構ってほしくてたまらなかった。だからこそ、松島葉月の気持ちがよくわかる。
  だが娘の与り知らぬところでとはいえ、春道は和葉と互いのプライベートには深く干渉しないと約束している。残酷かもしれないが、これはあくまで松島母娘の問題なのだ。
「ごめんなさい。葉月、もうお部屋に戻るから、パパもお仕事頑張ってね」
  そうしてひとりで部屋にこもって、一体何をするのだろうか。宿題か、それとも寂しさの中で学校でのいじめを思い出して、誰にもわからないようにまたひとりで泣くのか。
  いずれにしても、遊びたい盛りの年頃の女児とは思えない選択肢しかない。毎日帰宅してきてから外に出かけないので、友達もいないのかもしれない。
  考えれば考えるほどに昔の春道に似ていた。春道の場合は中学生になって親友ができてからは、それまでのいじめられっ子人生が一変した。おかげで中学生からの想い出はまともになったが、小学生時代は未だに思い出したくもない過去のひとつである。
「今日は……学校はどうしたんだ」
  春道に背を向けようとしていた、松島葉月の動きがピタリと止まる。見上げる表情は驚きに満ちていた。
  ビックリしたのは春道も同感である。無意識のうちに、気づいたら目の前の少女に話しかけていたのだ。
  自覚してる以上に情け深い人間だったのか。もしくは、過去の自分とそっくりな境遇の少女を放っておけなかったのか。どちらにしろ、一度話しかけてしまっただけに、もうあとにはひけない。
「今日は午前中で終わりの日だったんだよ」
  案の定、嬉しそうな顔をして葉月が質問に答えた。綺麗な瞳をキラキラさせて、こちらの次の言葉を待っている。
「買物に行くんだけど、それなら一緒に来るか」
「うんっ」
  瞬間、信じられないような顔をしたあとで、元気一杯に葉月が頷いたのだった。
回复 支持 反对

使用道具 举报

您需要登录后才可以回帖 登录 | 注~册

本版积分规则

小黑屋|手机版|咖啡日语

GMT+8, 2024-4-28 18:13

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2017 Comsenz Inc.

快速回复 返回顶部 返回列表