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有没有人做过93的真题,阅读第两篇太难。
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第二篇 w* E) \! M$ K# T* @
この文章はカウンセラー(心理的な悩みなどを聞き、解決の助けをする人)が書いたものです。
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$ t9 x, V3 V. Q( X, |' @; Y+ s# c M 「心のなかの勝負は51対49のことが多い」' x$ y' g+ ^) [6 K
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あるとき、無理に連れて来られた高校生で、椅子を後ろにむけ、私に背を向けれて座った子が居た。このようなときは、われわれはむしろ①やりやすい子が来たと思う。こんな子は会うや否や「お前なんかに話をするものか」と対話を開始してくれている。そこでそれに応じて、こちらも「②これはこれは、僕とは話す気が全然ないらしいね」などと言うと、振り向いて、「当り前やないか(注1)。③こんなことしやがって(注2)、うちの親父はけしからん……」という具合に、ちゃんと対話がはずんでゆくのである。
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④こんなときに私が落ち着いていられるのは、心のなかのことは、だいたい51対49くらいのところで勝負がついていることが多いと思っているからである。この高校生にしても、カウンセラーのところなど行くものか、という気持の反面、ひょっとしてカウンセラーという人が自分の苦しみをわかってくれるかも知れないと思っているのだ。人の助けなど借りるものか、という気持と、藁にすがってでも(注3)助かりたい、という気持が共存している。( ⑤ )、ものごとをどちらかに決める場合は、相反する気持の間で勝負がきまり、「助けをかりない」という方が勝つと、それだけが前面に出てきて主張される。しかし、その実は⑥その反対の傾向が潜在していて、それは、51対49と言いたいほどのきわどい差であることが多い。# M$ i* }' { L& P5 Q
! L' ^( E+ A. ]7 ~5 z6 c 51対49というと僅かの差である。しかし、多くの場合、底の方の対立は無意識のなかに沈んでしまい、意識されるところでは、2対0の勝負のように感じられている。サッカーの勝負だと、2対0なら完勝である。従って、意識的には片方が非情に強く主張されるのだが、その実はそれほど一方的ではないのである。1 }5 i* ? g9 a I4 L+ f
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(注1)当り前やないか:「当り前じゃないか」と同じ意味
# |3 H1 ]7 x) a* k/ U(注2)しゃがって:「して」という意味4 B/ s/ N5 o" b3 h1 n D5 h
(注3)藁にすがってでも:「どんなことをしてでも」という意味
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感觉第二篇比第一篇难,有没有高手给个文章的大概意思啊?谢谢!! |
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