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[本科专业课] 日本文学史

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发表于 2009-7-11 21:53:21 | 显示全部楼层 |阅读模式
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 01:36 编辑

■古典文学史
第1章
和歌は平安
第2章
中世、和歌から連歌へ
第3章
万葉?古今?新古今
第4章
一〇世紀の物語群
第5章
『源氏物語』とその前後
第6章
日記の流れ
第7章
歴史の変わり目に歴史物語
第8章
説話文学、現る
第9章
戦乱の時代を軍記物語が描く
第10章
ここで、随筆を
第11章
能と歌舞伎と浄瑠璃と
第12章
俳諧の人たち
第13章
江戸の小説

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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:54:41 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 01:36 编辑

■近代文学史
第1章
近代文学、生まれる
第2章
浪漫主義の時代
第3章
自然主義の時代
第4章漱石と鴎外
第5章
大正は三つの個性
第6章
昭和はいっぱい
第7章
現代の文学

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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:55:12 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 01:36 编辑

第1章
和歌は平安
日本の古典文学といえば、まずやはり平安時代です。試験で最も多く出題されるのも、平安時代です。何といっても、中心は、平安時代。日本史が苦手な人だって、これくらいは知っているでしょう……国風文化、というやつ。奈良時代よりもっと昔の「文学のあけぼの」から文学史の勉強を始めるのは、無駄なこと、限りなし。とりあえず奈良時代は無視して、平安から始めます。奈良時代については、詳しく言う必要はありません。ほとんど試験にも出ない。このことをバシッと、頭に入れておいてください。文学史の中心は、平安!
ここで、もひとつわかっておいてほしいことは、平安平安といっても、平安時代の最初から、つまり「ナクヨうぐいす平安京」の七九四年から、紫式部みたいな人がさらさらと書いていたのではない、ということです。これも、日本史がちょびっと苦手な人にとっても常識のはず……、国風文化は、「ハクシに戻す遣唐使」の894年に遣唐使が廃止され、中国文化の影響がなくなってからのことです。それまで、和歌なんてまったくマイナーだったし、物語なんて文字通りモノ(「もの悲しい」という語からわかるように、モノとはナントナークの漠然としたモノ)を語るオシャベリにすぎなかった。すなわち、日本の古典文学というのは、九〇〇年代、一〇世紀からなのです。
そして、この一〇世紀がすごいのです。一〇〇〇年ちょうどに、『源氏物語〈げんじものがたり〉』ができます。九〇〇年から一〇〇〇年のその百年間に、日本文学の最高峰『源氏物語』に流れこむかずかずの名作が生まれるんです。『古今和歌集〈こきんわかしゅう〉』に、『竹取物語〈たけとりものがたり〉』、『宇津保物語〈うつほものがたり〉』、『落窪物語〈おちくぼものがたり〉』、それに『伊勢物語〈いせものがたり〉』、『大和物語〈やまとものがたり〉』、『平中物語〈へいちゅうものがたり〉』、それからえーと『土佐日記〈とさにっき〉』、『蜻蛉日記〈かげろうにっき〉』……教科書でも入試でもおなじみのこれらの作品はみんな一〇世紀に作られました。一〇世紀、一〇世紀、一〇世紀、大事です!
さて、それでは、和歌。
一〇世紀の初め〔九〇五〕に『古今和歌集』>が作られます。最初の勅撰〈ちょくせん〉和歌集です。「勅撰」というのは、天皇の命令、ということ。『万葉集〈まんようしゅう〉』は勅撰ではありません。
撰者は、紀貫之〈きのつらゆき〉ほか、です。紀貫之。この人は、スゴイ人です。タダモノでは、ない。『古今集』の「仮名序〈かなじょ〉」も書いた。『土佐日記』も書いた。《紀貫之=『古今集』の撰者、「古今集仮名序」、『土佐日記』》だ!これは絶対、記憶すべきこと。「ほか」の三人は、紀友則〈きのとものり〉、凡河内躬恒〈おおしこうちのみつね〉、壬生忠岑〈みぶのただみね〉です。
しかし、もっともっと大切なのは、『古今集』のスター二人。
ひとりは、平安朝のイケメン(だったかどうかはわからないけれど、モテモテやった)、在原業平〈ありわらのなりひら〉。「月やあらぬ春は昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」〔月はないんか?春は昔と同じ春とちゃうんか?恋に破れたこのオレはもとのままのおれやのに!〕という和歌、聞いたことあるでしょうか。業平さん、純愛の物語『伊勢物語』の主人公でもある。ということは、『古今和歌集』と『伊勢物語』は、ほぼ同時代。こういう関係づけ、わかるようになってください。
そしてもうひとりは、平安朝の美女、小野小町〈おののこまち〉。「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」〔かわいい私のビボーも衰えたものよね。男と遊んだりしていろいろ悩んだりしてるうちに。〕という歌は、聞いたことあると思います。
彼らが生きたのは、実はまだ和歌がマイナーだった時代のことで、紀貫之の時代、つまり一〇世紀に、和歌がメジャーになって、「和歌が市民権を得ていなかった暗黒時代……、あのころ、スゴイヤツラが、いた!」ということになった。その六人衆のことを、六歌仙〈ろっかせん〉、という。在原業平、小野小町、僧正遍昭〈そうじょうへんじょう〉、大友黒主〈おおとものくろぬし〉、文屋康秀〈ふんやのやすひで〉、喜撰法師〈きせんほうし〉の面々である。
『古今和歌集』については、以上!くり返すと、《『古今和歌集』は、平安時代、一〇世紀の初め。選者は紀貫之。六歌仙に、在原業平、小野小町。》覚えておいてください。
で、『古今和歌集』の後、『後撰〈ごせん〉和歌集』『拾遺〈しゅうい〉和歌集』『後拾遺〈ごしゅうい〉和歌集』『金葉〈きんよう〉和歌集』『詞花〈しか〉和歌集』『千載〈せんざい〉和歌集』と作られる。いろいろ名前ついてますが、『後撰和歌集』は、『古今和歌集』の「後」に「撰〈えら〉」んだ和歌集、『拾遺和歌集』は、さらにまだ「遺〈のこ〉」ってる和歌をピックアップした(つまり、「拾」った)和歌集、『後拾遺和歌集』は『拾遺和歌集』の「後」の和歌集、……あ、名前なくなってもた……、どんどん「後後後後拾遺和歌集」とかなってったらヘンやし、……。ってことで、『金葉和歌集』は、黄「金」の言「葉」の和歌集って名前にした。和歌って、言葉のプレゼント。カレ、カノジョからのメールの言葉は「黄金の言葉」だ。『詞花和歌集』は、「詞」の「花」の和歌集。そして、『千載和歌集』の「千載」は、「千年」つまり「永遠」ってことだ。「永遠の和歌集」。そう、カレ、カノジョからのメールの言葉は、「永遠の言葉」かもね。
この七つに、鎌倉時代の『新古今和歌集』を加えて、「八代集〈はちだいしゅう〉」という。『古今集』に続く二つ、『後撰集』『拾遺集』くらいは覚えておくといいでしょう。あと、『千載和歌集』を、藤原俊成〈しゅんぜい?としなり〉の作った、平安最後の勅撰和歌集ということですこし知っておいてください。
さて、今までのは、テンノーはんの命令で、いろんな人のいろんな和歌を集めた歌集ですが、個人の和歌集もあります。私歌集ゆーて、西行〈さいぎょう〉の『山家集〈さんかしゅう〉』が重要です。これは、記憶。
あと……、こんなのも覚えておくといいでしょう。一一世紀には、和歌と漢詩の歌詞集みたいな『和漢朗詠集〈わかんろうえいしゅう〉』が藤原公任〈きんとう〉という人によって作られたりします。これを見て、平安貴族たちが、和歌や漢詩を吟じてたわけですね。
それから、平安時代も終わりに近づく一二世紀後半には、鎌倉時代に向けての胎動とでも言ったらいいんでしょうか、今様〈いまよう〉という歌謡が庶民に流行するんですが、後白河〈ごしらかわ〉法皇がそれを集めた『梁塵秘抄〈りょうじんひしょう〉』というのを作ります。「今様〈いまよう〉」。「イマのスタイルだぜ」ってわけですね。
あ、じゃあ、いちおう、ちょっと戻って奈良時代もやっておこう。
まずは、稗田阿礼〈ひえだのあれ〉が古来の神話を暗誦して、太安万侶〈おおのやすまろ〉がそれを記録した『古事記〈こじき〉』。イザナギ?イザナミの神が国を生んだなんていう神話が載っています。それから、舎人親王〈とねりしんのう〉が歴史を編纂〈へんさん〉した『日本書紀〈にほんしょき〉』。いろんな地方の伝説を集めた『風土記〈ふどき〉』。日本が国家としてまとまった時期ですから、いろんな神話や伝説を集めたわけですね。
そして、天皇から庶民までの和歌を集めた『万葉集』。『万葉集』は後でやりましょう。

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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:55:31 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 01:36 编辑

第2章
中世、和歌から連歌へ
というわけで、時代は中世になります。いちおう言っておくけど、中世ってのは、鎌倉、南北朝、室町をひっくるめていう言い方です。平安が貴族の時代で、中古。鎌倉、南北朝、室町は、支配者や都は変わるけど、とにかくずうっと武士の時代で、ひっくるめて、中世、です。
そう、この章は武士の時代なんです。武士は、和歌なんて嫌いです。貴族のチャラチャラした和歌なんて嫌いなのです。やはり、和歌は貴族の文学です。だから、中世の和歌といっても、鎌倉の最初の最初で和歌は終わってしまって、その後は、和歌を武士好みに改造した連歌〈れんが〉の時代になります。このこともわかっておいてください。和歌やなんやゆうても、一〇世紀に始まり一三世紀の初めの初めに終わるんや。もちろん、奈良時代の『万葉集』は、別にしての話ですが。だから、文学史問題で、(難問奇問はほっといて、)鎌倉初期以降には「○○和歌集」なんてあり得ないわけですね。
で、『新古今和歌集〈しんこきんわかしゅう〉』です。鎌倉幕府が、「イイクニつくる鎌倉幕府」の一一九二年に成立したとして、その直後の一二〇〇年代、つまり一三世紀、の最初の最初に作られました。『新古今和歌集』を作れという命令を出し、自分でも必死に作ったのが、承久〈じょうきゅう〉の乱を起こした後鳥羽〈ごとば〉上皇です。承久の乱は、貴族の時代を取り戻そうとする彼の最後のあがきだったわけですが、『新古今和歌集』を作るのも、また、貴族の時代を取り戻そうとする上皇の最後の希望だったのです。『新古今和歌集』は、ろうそくの炎が消える直前の、最後の一瞬の美しいきらめきみたいなものです。『新古今和歌集』を最後に、和歌はもう基本的には終わります。和歌はやっぱり、貴族のものだったのです。
『新古今和歌集』は、最後の輝き和歌集。鎌倉幕府成立直後に作られて、和歌は消えます。……『新古今和歌集』の成立年代、覚えましたか?一一九二の直後、一二〇〇年代初めですよー!
撰者は、藤原定家〈ていか?さだいえ〉。むろん、すぐれた和歌もいっぱい作ってます。「見わたせば花も紅葉〈もみぢ〉もなかりけり浦の苫屋〈とまや〉の秋の夕暮」〔ふと見渡すとはなやかな花も紅葉もないよ。秋の夕暮れってさみしいね。人生も時代もそんなもんだね。〕なんて、言ってます。いわゆる「三夕〈さんせき〉歌」のひとつですが、ほんと、花や紅葉やのキラキラした貴族の時代が終わってしまって、寂しそうです。あと、『近代秀歌〈きんだいしゅうか〉』『毎月抄〈まいげつしょう〉』『詠歌大概〈えいかたいがい〉』なんて歌論も書いてますし、『明月記〈めいげつき〉』なんて日記も書いてます。お正月にやる『小倉百人一首〈おぐらひゃくにんいっしゅ〉』を選んだのも定家です。定歌ってのも、ほんま、文学史上のスゴイやつのひとりです。
撰者は、ほかに、源通具〈みちとも〉、藤原有家〈ありいえ〉、藤原家隆〈いえたか〉、藤原雅経〈まさつね〉なんて人たち。
代表的な歌人としては、定家のほかに、『千載〈せんざい〉和歌集』の撰者でもある、藤原俊成〈しゅんぜい?としなり〉。
それと、『山家集〈さんかしゅう〉』の西行〈さいぎょう〉。西行という人は、伝説のスーパースターみたいな人で、上田秋成〈うえだあきなり〉の『雨月物語〈うげつものがたり〉』で崇徳院〈すとくいん〉の怨霊と対決したりしてますし、松尾芭蕉〈まつおばしょう〉が『奥の細道〈おくのほそみち〉』で「古人も多く旅に死せるあり」と言っているそのひとりは、芭蕉あこがれの人、西行のことです。『撰集抄〈せんじゅうしょう〉』という説話集を作ったといわれていますが、これも伝説です。西行以後、多くの日本人が、西行という伝説の放浪歌人を通して、何かを語ろうとしてきたんです。
二人とも、平安時代のいちばんおしまいの方の人ですが、鎌倉時代のいちばん初め頃の『新古今和歌集』の代表歌人でもあるってことは、納得できますよね。
武士なのに貴族にあこがれて和歌を作ってた人もいます。三代将軍源実朝〈みなもとのさねとも〉です。『金槐和歌集〈きんかいわかしゅう〉』といいます。「槐」の字、気をつけてください。「木へん」です。貴族にあこがれたといっても、武士だけに、やっぱり貴族とはちょっと違って、素朴でおおらかな万葉風の歌を作っている。
で、ここで和歌は終わるわけです。あと、鎌倉時代の『玉葉〈ぎょくよう〉和歌集』、室町時代の『風雅〈ふうが〉和歌集』という二つが、ちったあマシなんですが、和歌はもうダメになってゆきます。
次は、連歌〈れんが〉の時代です。連歌について、少しだけ説明しておきましょう。複数の人間が集まって、五七五、七七、五七五、七七、五七五、……と、どんどんつなげていく。ほら、仲のよい友達どうしで会話が弾むと、「ああ、それで思い出したわ。、○○ゆうたら……」「ほんまやなあ、そうゆうたらわたしも……」次から次へと連想で話題が変わって行く、そんな感じ。その変化が、面白い。楽しい。まあ、最初は、武士の遊びだったのです。
最近、いろんな人が、この連歌に注目しています。入試の文学史問題でも、そろそろ和歌ではマンネリ気味になってきて、ちょっと目先を変えたくなってきてます。そんなわけで、連歌、ネライ目です。
さて、そんな武士の遊びだった連歌が、準勅撰集となり、その地位を確立したのが、南北朝時代のこと。二条良基〈にじょうよしもと〉が選者の『菟玖波集〈つくばしゅう〉』です。
室町時代には、飯尾宗祇〈いいおそうぎ〉が『新撰菟玖波集〈しんせんつくばしゅう〉』を作り、連歌が芸術的に完成されます。ついに、田舎者の武士の遊びだった連歌が芸術として完成されたのです。時代は、変わりました。宗祇〈そうぎ〉が弟子とともに行った、『水無瀬三吟百韻〈みなせさんぎんひゃくいん〉』は有名です。
しかし、認められたのはいいけれど、せっかく楽しかった連歌がゲージュツになってしまったのは、気にくわない、ということで、もういちど連歌を滑稽な楽しく面白いものにしようというやつが出てきます。俳諧連歌〈はいかいれんが〉ってので、これがやがて江戸時代に、「俳諧」になってゆくのです。題名も、なんか、ヘンです。『新撰犬筑波集〈しんせんいぬつくばしゅう〉』。撰者は、山崎宗鑑〈やまざきそうかん〉。
《良基、『菟玖波集』、南北朝!宗祇、『新撰菟玖波集』、室町!宗鑑、『新撰犬筑波集』、室町!》出る確率は少ないけれど、これからのネライ目、人と差をつける穴場、ではあります。ぜひ、覚えておいてください。
てなわけで、平安時代、一〇世紀に『古今和歌集』に始まった、和歌の流れが、鎌倉時代一三世紀初めに終わり、そして連歌に代わられ、やがて俳諧へと受け継がれてゆく、大きな系図をとらえてください

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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:55:50 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 01:36 编辑

第3章
万葉?古今?新古今
第一章、第二章と和歌の流れを見てきました。それをここでは、はじめは無視してしまった奈良時代の『万葉集』をも含めて、『万葉集』、『古今和歌集』、『新古今和歌集』、という三大歌集の比較、という観点から見直したいと思います。頭の中の時計を、奈良時代まで巻き戻してください。だいじょうぶですか。『古今和歌集』『新古今和歌集』については、一部重複しますが、混乱しないようにしてください。
『万葉集』は、奈良時代。まだ人々が素朴でおおらかだったころのこと。だから、歌も、素朴でおおらかです。のんびりしてます。素直です。悲しいときには素直に泣きます。そんな性格を、……男らしさ、女らしさなんて分け方はおかしいんですが、……いちおう男性的ということに昔からなっているようです。それを難しく言うと「ますらをぶり」という。
よく使われる技法は、枕詞〈まくらことば〉と序詞〈じょことば〉です。
枕詞は、知ってると思います。「あをによし」とくれば「奈良」、「たらちねの」ときたら「母」、「ぬばたまの」とくりゃ「闇」、ってなやつですな。この時代の人は素朴で、「言霊(ことだま)」っていう言葉に宿る霊を信じていますから、枕詞というのは、言ってみれば言葉のおまじないみたいなもんです。とくに意味はなくっても、「ぬばたまの」とくっつけると「闇」という言葉は、単なる言葉じゃなくなって、霊魂の宿った、生きた歌の言葉になるのです。
それから、序詞。これは、知らない人もいるんではないでしょうか。例を挙げると、「波の間〈ま〉ゆ見ゆる小島の浜久木〈はまひさき〉久しくなりぬ君にあはずして」の、「波の間ゆ見ゆる小島の浜久木」の部分が序詞です。「波間から見える小島の浜久木ではないけれどぉ、久しくなってしまった、あなたに逢わないで」という訳ですが、つまり「久しく」以降が歌の本題で、序詞は、「~じゃないけれどぉ」と本題を導く役割をしているだけなのです。要するに、枕詞と同じで意味はないんです。でも、いとしい人に逢えない時間の重さにたいする実感が、その序詞には、こめられているような気がします。生き生きと具体的なイメージをもつ序詞があるために、「久しく」という言葉は、単に「長い」ということを表すだけではない、命のこもった歌の言葉になるのではないでしょうか。
ある生徒が、「枕詞も序詞も、『意味がない』なんて、じゃあ何のためにあんねん?」と言っていました。
そう、たとえば、君が誕生日のプレゼントをもらうとき、スーパーの袋で渡されるより、ちゃんときれいなラッピングがしてあって、リボンがかかっている方がうれしい。何か「心がこもっている」と感じる。最近、リボンなんて、シールでペタッと貼ってくれるだけで、実際に包装紙を止めてるのはテープだったりするから、ほぼ実質的な意味内容はないんだけれど、でも、うれしい。
きっと、枕詞や序詞って、「意味はない」けど、たぶん、リボンみたいなものだね。和歌という「言葉のプレゼント」のリボンなんだよ。「あ、私のことを詠んでくれた『光』ってことばに、枕詞、つけててくれてる!へへへ、なんだか、うれしい。」そんな感じだったんじゃないかな。
ちょっと話がそれかけてしまいましたが、……『万葉集』の撰者は、大伴家持〈おおとものやかもち〉です。代表的な歌人としては、……額田王〈ぬかたのおおきみ〉。女性です。それから、柿本人麻呂〈かきのもとのひとまろ〉。この人の歌を朝鮮語で解読すると、呪いの歌となる、ということを書いた『人麻呂の暗号』という本が、以前ベストセラーになりました。ふむふむ。あと、家持のお父さんの大伴旅人〈おおとものたびと〉。誰か女の子が、「子供は家を持っているのに、お父さんは旅人なんやなあ」と言ってたのを、ふと思い出しました。なるほど。げに。そして、日本史の資料集なんかによく載っている『貧窮問答歌〈ひんきゅうもんどうか〉』を作った山上憶良〈やまのうえのおくら〉。以上、『万葉集』、終わり。
次は、『古今和歌集』。時代はわかってますよね。遣唐使が八九四年に廃止されたころから、国風文化がおこってきて、『古今和歌集』とかが作られるわけですから、九〇〇年代、つまり一〇世紀の初め、でしたよね。もちろん、平安時代。優雅な貴族の時代です。繊細で、緻密な技巧をこらした歌なんて、作っちゃいます。『万葉集』にたいして、女性的、ということで、「たをやめぶり」といいます。
よく使われる技法は、掛詞〈かけことば〉と縁語〈えんご〉。
掛詞は、知ってますね。小野小町の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」という歌が、ちょうどいい例です。「ふる」が、「世の中を過ごす」という「経る」と、「雨が降る」の「降る」のシャレ。「ながめ」が、「長雨〈ながめ〉」と「物思いにふける」という意味の「眺〈なが〉め」のシャレ。これが、掛詞。歌に複数の意味が交錯する。難しく言えば、イメージが重層的になる。そう、平安貴族は、『万葉集』の時代の人と違って、こういうこざかしい高級なテクニックを使うんです。
縁語は、ある関係した複数の言葉を意識的に使い、歌にそのイメージをオーバーラップさせるという技巧です。たとえば、「青柳の糸よりかくる春しもぞ乱れて花のほころびにける」の、「糸」「より」(糸を縒〈よ〉るというよね)「春」(糸が「ピンと張る」のシャレ)「乱れ」「ほころび」が、糸関係の縁語。歌の意味に、縁語の作り上げるイメージが重なる。イメージが重層的になる。平安貴族は、こういうのが好きなんだ。けれど、その重層性のすき間に、摂関政治という誰もが中心たり得ない特殊な社会体制のなかで疎外され苦しむ平安貴族の心の空しさを見るような気がします。
さて、『古今和歌集』の撰者は、もちろん、紀貫之〈きのつらゆき〉。代表歌人は、六歌仙の在原業平〈ありわらのにりひら〉と小野小町〈おののこまち〉。ほかに、伊勢〈いせ〉という女流歌人も、います。
で、『新古今和歌集』。時代は、貴族が歴史の表舞台から退場してゆく、鎌倉時代の最初の最初。一二〇〇年代、一三世紀の初めです。『新古今和歌集』の歌は、かっこよく言えば、貴族の滅びの歌、終末の歌、ですから、感覚的で幻想的です。
よく使われる技巧は、本歌取〈ほんかど〉りと体言止め。
本歌取りは、古い歌をもとにして自分の歌を作る技法です。もはや自分の足元には価値はないのです。価値は、貴族が中心だった遠い遠い昔にのみあります。なんて空しいことでしょう。
体言止めは、もちろん、体言で止めること。体言で止めた後に残る余情は、ため息でもあります。
さて、撰者は、覚えてますか。藤原定家〈ていか?さだいえ〉、でした。代表歌人は、定家のお父さんの藤原俊成〈しゅんぜい?としなり〉、西行〈さいぎょう〉でした。

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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:56:19 | 显示全部楼层
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第4章
一〇世紀の物語群
一〇世紀!九〇〇年代!『古今和歌集』が作られた世紀ですが、この世紀は、第一章でも言ったように、スゴイ一世紀です。文学史の中心です。またこの世紀に戻ってきました。『古今和歌集』のほかにまだまだ山のようにありましたよね。伝奇〈でんき〉物語の『竹取物語』、『宇津保物語〈うつほものがたり〉』、『落窪物語〈おちくぼものがたり〉』。歌物語の『伊勢物語』、『大和物語〈やまとものがたり〉』、『平中物語〈へいちゅうものがたり〉』。それから、日記の『土佐日記』、『蜻蛉日記〈かげろうにっき〉』。いろいろなジャンルの文学が生まれ、花開き、一〇〇〇年の超大作『源氏物語』へと流れ込んでゆきます。
この章では、日記はちょっと後にして、一〇世紀の物語の二つの系譜を見まひょか。
まずは、伝奇〈でんき〉物語の系譜。作り物語ともいう。「奇」妙なことを「伝」える物語です。作り事です。虚構です。いろんな登場人物がいて、おもしろいストーリーがあって、どう展開してゆくのかドキドキワクワク。今でいう小説ですね。いや、もしかしたら、テレビのドラマかもしれない。ああ、この2人、どないなんねん、くっつくんやろか、別れるんやろか……とか、ドキドキや。
最初は、みなさんもよくご存知の『竹取物語〈たけとりものがたり〉』です。「かぐや姫」、ですよね。『源氏物語』にも「物語の出で来はじめの祖〈おや〉」と書いてある、最古の物語文学です。九〇〇年ごろ、つまり一〇世紀の初めに作られました。作者は不明です。
小さいときは、まあおとぎ話としてべつに考えもせず読んでますが、原典をちゃんと読んでみると、これはカンペキSFです。サイエンス?フィクション。まさに科学虚構小説。というより、本当に宇宙人がやってきた描写のような気さえします。そもそもかぐや姫は、月世界人なわけですし。かぐや姫を月の国の人が空から迎えに来る場面なんて、ひとりで深夜に読んでると、ほんま恐くなってきます。謎の光で夜なのに昼間のように明るくなるし、謎の神経麻痺光線で天皇直属軍は戦意を喪失させられ無力化させられるし、月世界人は地上から何十センチか浮いて歩行してると書いてあるし、かぐや姫を隠している家のドアは勝手にスーッスーッと開いてしまうし、もういやや……。そして、ラストは、記憶消去システムによって、かぐや姫に関するすべての記憶は消されてしまうのです。おじいさんやおばあさんがかぐや姫をとてもとてもかわいがったことも、帝がかぐや姫を愛したことも……。
てなわけで、続いて一〇世紀後半、『宇津保物語〈うつほものがたり〉』が作られる。作者は不明です。前半は、琴の秘曲を伝授する、というなかなか空想的?幻想的な話ですが、後半は現実的になってゆきます。
さらに、一〇世紀末、『落窪物語〈おちくぼものがたり〉』がでてきます。やはり、作者は不明です。「落窪」というのは、落ちくぼんだ部屋のことで、継母〈ままはは〉にそんな貧しい部屋に押し込められいじめられる不幸な落窪〈おちくぼ〉の君が、やがて貴公子と愛し合い、幸福な結婚をする、という典型的なパターンのオハナシです。シンデレラと同じパターンですね。これはもう、宇宙人の話と違ってかなり現実的なラブ?ストーリーです。『源氏物語』が紫式部によって書かれるのも、もう、すぐです。
さて、この伝奇物語の系譜と並行して歌物語〈うたものがたり〉の系譜があります。
歌物語の系譜の最初は、『伊勢物語〈いせものがたり〉』です。作者は、不明。一〇世紀前半に作られました。何度もくり返しますが、この一〇世紀前半に、勅撰和歌集の『古今和歌集』、伝奇物語の『竹取物語』、そして歌物語の『伊勢物語』、さらに日記文学の『土佐日記』、と、各ジャンルの第一走者がいっせいにスタートをきるのです。純愛ストーリー『伊勢物語』の主人公?在原業平〈ありわらのなりひら〉は、『古今和歌集』の六歌仙〈ろっかせん〉のひとりでもありましたよね。たいていは「男」ってことになってます。「昔、男ありけり」という書き出しを見て、「おっっ、伊勢物語や」と思えたら、ナカナカ。
在原業平は平安朝きっての遊び人です。遊び人のことを平安風にいうと、「色好み」ということになるわけです。「スキモノ」というやつです。もっとも、当時の色好みは、ただスケベなだけじゃない。すばらしい和歌とかを女性に贈ってこその、色好みであった。「好き好きし〈すきずきし〉」という単語には、いわゆる「好色だ」という意味の他に、「風流だ」という意味がありますよね。業平は、女好きと風流との両面において一流だったわけです。
一〇世紀半ばには『大和物語〈やまとものがたり〉』が出てきます。作者は、不明。『伊勢物語』と重複がある、いわば『伊勢物語』の弟みたいなもんです。
続いて、やはり一〇世紀半ばに、『平中物語〈へいちゅうものがたり〉』が作られます。作者は、不明です。この章、全部作者不明ですが、ようするに物語ってのは、宮廷社会のオシャベリみたいなもので、歌物語なんか言ってみれば、宮廷社会の「女性自身」みたいなもんなんです。「ダウタウン松本と常盤貴子、破局か?!」とか、そういうことが書いてあるんです。この『平中物語』の主人公の平貞文〈さだふみ〉なんて、ほんま単なるスケベです。
まとめます。《伝奇物語は、『竹取』?『宇津保』?『落窪』!歌物語は、『伊勢』?『大和』?『平中』!》この流れと順序、重要です!

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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:56:37 | 显示全部楼层
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第5章
『源氏物語』とその前後
さていよいよ、『源氏物語〈げんじものがたり〉』です。ほぼ一〇〇〇年に作られました。もちろん西暦で一〇〇〇年なわけで、紫式部はそんなこと知るよしもありませんから、むろん偶然に決まってますが、日本古典文学の最高峰がちょうど一〇〇〇年というのはじつに覚えやすくて、ありがたい。《源氏物語、一〇〇〇年》です。
それでは、『源氏物語』にゆくまえに、それ以前の流れを復習しておきましょう。つまり、しつこいほどくり返している九〇〇年代、一〇世紀のことですね。
和歌集『古今和歌集』→→→→→→→→→→→→→→
伝奇物語『竹取物語』→『宇津保物語』→『落窪物語』
歌物語『伊勢物語』→『大和物語』→『平中物語』→
日記『土佐日記』→→→『蜻蛉日記』→→→→→→
ってなわけでした。この、《『源氏物語』前夜の図》、書けるようにしてください。
和歌は、心のこめられた言葉。伝奇物語の系譜は、想像力を羽ばたかせる虚構性。歌物語は、歌と散文の見事な融合。日記文学は、次の章でやりますが、自分の内面を言葉にすること。それらを、すべて『源氏物語』に流し込むのです。
日記について間違えやすいポイントをひとつ言っておきますと、『和泉式部日記〈いずみしきぶにっき〉』は、『源氏物語』と同時期ですから、注意してください。ということは、和泉式部は、『古今和歌集』の歌人ではないわけです。あと、『紫式部日記〈むらさきしきぶにっき〉』が『源氏物語』と同時期、というのは当然ですよね。
それから、ついでに……、随筆の『枕草子〈まくらのそうし〉』も同時期です。二人はライバルだった。『紫式部日記』に、清少納言はかしこぶりおって、腹立つ、とか書いてあるくらいです。
で、『源氏物語』。書かれたのは、ほぼ一〇〇〇年。作者は、いうまでもなく、紫式部〈むらさきしきぶ〉です。全部で五十四帖。主人公は、もちろん、光源氏〈ひかるげんじ〉。そして、最後の十帖は、光源氏の子供?薫〈かおる〉が主人公の「宇治十帖〈うじじゅうじょう〉」ってやつです。
江戸時代の国学者の本居宣長〈もとおりのりなが〉は、この『源氏物語』の本質を、「もののあはれ」というふうに言いました。「あはれ」という言葉は、普通「しみじみとした趣がある」なんて訳しますが、ほんとうはそんな限定された意味ではない。「あはれ」というのは、もともと、言葉では言い表わせない感情を感じたときに発する「ああ」という感動詞です。だから、「もののあはれ」というのは、人が、人にしろ風景にしろ何かと出合ったときに感じる、理屈では割り切れないような、心の奥の深い深いところから立ち上がってくる気持ちの揺れ、みたいなもんです。だから、「あはれ」という語はいろいろなふうに訳せるのです。そんな、人間なら誰でもわかる、しかしとらえることの難しい感情を、五十四帖すべてに書き込むことができた、そこにこそ『源氏物語』が、日本古典文学の最高峰たるゆえんがあるのです。そしてそれゆえに、さまざまな影響を後世にあたえつづけるのです。
わたしは、紡木たくの「ホット?ロード」というマンガを読んでいると、ふっと『源氏物語』だなと思います。(最近の高校生はもうあんまり読まないのかもしれない。)読んでいると感じられる、気持ちの波の肌触りに、なにか同じものがある。じっさい、当時、『源氏物語』なんて、今日のマンガみたいに一段低いものとみなされていた。しかし、「ホット?ロード」も『源氏物語』も、エライ人たちの表現方法ではどうしても表せないような、うまく言えない、けれど切実な大切な気持ちを、なんとか自分のやり方で描こうとしている。それが伝わってくる。今の子はマンガばかりで読書をしない、というオトナの意見がありますが、何もわかってない無知な言葉だと思います。
さて、『源氏物語』以後。
直接的には、『源氏物語』は、作り物語の系譜を生み出します。転生思想にもとづく『浜松中納言物語〈はままつちゅうなごんものがたり〉』。『更級日記〈さらしなにっき〉』の作者の菅原孝標女〈すがわらたかすえのむすめ〉が書いたともいわれてますけれど、不明です。『夜半の寝覚〈よわのねざめ〉』。これも菅原孝標女が作者といわれてます。気持ち悪い虫が大好きな姫を描いた「虫めづる姫君」などちょっと変わった短編を集めた『堤中納言物語〈つつみちゅうなごんものがたり〉』。「宇治十帖」を真似た『狭衣物語〈さごろもものがたり〉』。男と女が入れ替えられるというちょっとアブナイ『とりかへばや物語』。これら五つはみな、『源氏物語』の影響下に作られた作り物語です。それぞれ、『源氏物語』を超えようとがんばっているのですが、残念ながらそれはさすがにできませんでした。もっとも、最近の入試傾向では、このへん、けっこうよく出てます。そのイミで、注目、です。《源氏以後の物語……浜松、夜半、堤、狭衣、とりかへばや。》覚えてください!
また、影響というのとはちょっと違う、もっともっと密接な関係ですが、『更級日記〈さらしなにっき〉』。これは、『源氏物語』の世界にあこがれて青春をむだづかいしてしまった、という女の子の日記ですね。次の章で、もいっかい、やりましょう。
それから、さすが『源氏物語』、江戸時代や近代にまで影響を及ぼしてます。井原西鶴〈いはらさいかく〉の『好色一代男〈こうしょくいちだいおとこ〉』がそうですし、柳亭種彦〈りゅうていたねひこ〉って人の『偐紫田舎源氏〈にせむらさきいなかげんじ〉』なんてのまであります。それから、さっき話しました、本居宣長〈もとおりのりなが〉。『源氏物語玉の小櫛〈げんじものがたりたまのおぐし〉』という研究書を書きました。さっき言ったようなことが書いてあります。あと、近代でも、樋口一葉〈ひぐちいちよう〉とか谷崎潤一郎〈たにざきじゅんいちろう〉なんて、『源氏物語』の影響、受けてます。谷崎の方は、『源氏物語』の訳までやってて、谷崎源氏と言われてます。
というふうに、この章は、『源氏物語』をドンッと中心に置きまして、それとの関係でその周辺のいろんな作品を見てみました。けっこう、こういう見方で聞いてくる文学史問題、ありますから、こういう考え方、できるようにしとくといいですよ。

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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:56:59 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-28 01:36 编辑

第6章
日記の流れ
それでは、まず、あの、一〇世紀の日記文学から、行きます。
日記文学の第一走者は、『土佐日記〈とさにっき〉』です。『古今和歌集』『竹取物語』『伊勢物語』と同時期の、一〇世紀前半に、紀貫之〈きのつらゆき〉が書きました。もちろん、紀貫之は、『古今和歌集』の撰者でもあります。
『古今集仮名序〈こきんしゅうかなじょ〉』を書いた貫之ですが、『土佐日記』も仮名〈かな〉で書きました。仮名で書く、ゆうても当たり前のことやない。真の名、と書いて「まな」。真名というのは、漢字のこと。つまり、漢字こそ、真の字ってゆーわけです。仮の名、と書いて、「かな」。つまり、仮名なんて、漢字を知らないオンナコドモが仮に使っている字、とゆーわけです。今でも、女の子が、自分たちの感覚に合ったちょっと変わった女の子文字を書く。でも、会社の重要書類にそんな字書くとエライさんに怒られる。当時、仮名というのはまさにそういう女の子文字だったわけです。でも、そんな仮名こそが、自分たちの本当の微妙な気持ちを自由に書き表わすのにいちばんぴったりの字なんや、と貫之は思った。貫之が、初めて仮名で『古今集仮名序』と『土佐日記』を書いた。そこから、すべての日本文学が始まったのです。偉大な文学者といえば、紫式部や芭蕉や漱石なのかもしれませんが、最も革命的だった文学者は貫之だと、思ってます。
内容は、土佐守〈とさのかみ〉の任を終えての京都までの船旅の日記です。
貫之は男ですけど、女が書いている、という設定で書かれてます。冒頭の文、有名ですよね。「男もすなる日記といふものを、女もしてみんとてするなり」、というの。「すなる」の「なる」は、サ変の終止形「す」に接続してるから、伝聞推定の助動詞「なり」。自分は女ですから、男のすることを「男の人がするという日記」と伝聞推定してるわけです。「するなり」の「なり」は、サ変の連体形「する」に接続してますから、断定の助動詞「なり」。「女の私もしてみよう思てするのだ!」と、断定してるわけです。「男の人もするという日記というものを、女の私もしてみようと思ってするのである。」と言っている。大事なことの言いついでに、ちょっと文法のベンキョウもしてみました。
続いて、『蜻蛉日記〈かげろうにっき〉』。一〇世紀後半。今度はほんとに女性が書いてます。書いたのは、藤原道綱母〈ふじわらみちつなのはは〉。(道綱の「綱」の字、合ってますか?「みちあみ」になってる人けっこう多いっすよ。)これ以降、日記はすべて女性です。だから、最初の日記は『土佐日記』ですけれど、最初の女流日記は『蜻蛉日記』です。まだ地位も低かった藤原兼家〈かねいえ〉と結婚するのですが、兼家はどんどん出世街道まっしぐら、藤原氏のトップ(ってことは、当時の日本の事実上のとトップ)に立つ。兼家は、下積み時代の妻を捨てる。(うーん、今のタレントや歌手にもありそうな話だ……。)捨てられた藤原道綱母は、愛と憎しみの修羅場の中で、子供の道綱〈みちつな〉に心の支えを見いだしてゆく。そんなハナシです。
そして、一〇〇〇年。『源氏物語』と同時期なのが、『和泉式部日記〈いずみしきぶにっき〉』と『紫式部日記〈むらさきしきぶにっき〉』です。
まず『和泉式部日記』ですが、むろん書いたのは和泉式部〈いずみしきぶ〉。有名な歌人でもあります。一一世紀初めに書きました。前にも指摘しておきましたが、この和泉式部の歴史的位置、まちがえやすいですから、注意しておいてください。『古今和歌集』の時代のヒトじゃありません。それより百年後の『源氏物語』の時代のヒトです。帥宮〈そちのみや〉という人と歌をやりとりしたりする、恋愛日記です。
次に、『紫式部日記』。むろん書いたのは、『源氏物語』の作者?紫式部で、『源氏物語』が一〇〇〇年ですから、この日記もそれくらい、一一世紀初めに書かれました。藤原道長〈みちなが〉の娘が中宮〈ちゅうぐう〉彰子〈しょうし〉ですが、紫式部は彰子に仕えてた人ですから、この日記にも、道長や彰子〈しょうし〉やの宮廷生活が描かれています。
この二つが『源氏物語』と同時期、一〇〇〇年ごろに書かれた日記です。
で、今度は、その『源氏物語』に夢中になってた女の子の日記。『更級日記〈さらしなにっき〉』です。女の子の名前は、菅原孝標女〈すがわらたかすえのむすめ〉で、一一世紀初めに書かれた『源氏物語』にあこがれてたわけですから、『更級日記』の書かれた時期は、一一世紀後半ですね。『源氏物語』にあこがれる、なんてゆうと、知的な文学少女、みたいですが、『源氏物語』なんて当時の感覚で言えば、エッチもありーの、オカルトもありーのです。そんなのを読みふけってるんですから、当時の感覚からすれば、はっきりゆってフリョーです。とゆーか、イナカの女の子が、木村拓哉とか松嶋奈々子とかの出てる東京が舞台のドラマにあこがれて、「わだすも高校出たら、東京さ行くべ。行ってキレイになって、ドラマみたいな恋をするべ」とか思ってるわけです。もっとも平安時代ですから、東国の女の子が京都に行きたいと思うんですが。ステキなエッチのことばかり考えていた若いころを反省して仏道に入っちゃいます。
あと、一一世紀後半には、『成尋阿闍梨母集〈じょうじんあじゃりのははしゅう〉』なんてのもあります。一二世紀前半には、『讃岐典侍日記〈さぬきのすけにっき〉』。
一三世紀前半には、『建礼門院右京大夫集〈けんれいもんいんうきょうのだいぶしゅう〉』。建礼門院〈けんれいもんいん〉にお仕えしてたわけです。建礼門院、わかりますよね。平清盛〈たいらのきよもり〉の娘で、平家滅亡のとき、壇ノ浦〈だんのうら〉に子供の安徳〈あんとく〉天皇と身を投げて、しかし自分だけ助かっちゃって、出家して大原にこもるんです。そのへんの、はなしです。
一三世紀後半、つまり一二〇〇年代後半ですからもう鎌倉時代に入ってますが、『十六夜日記〈いざよいにっき〉』。これは、覚えときましょうか。作者は、阿仏尼〈あぶつに〉です。
で、一四世紀初めに『とはずがたり』。
これで、日記を終わりますが、やはり日記に関しても、一〇世紀イコール『源氏物語』以前、『源氏物語』と同時期つまり一〇〇〇年ごろ、『源氏物語』以後、という『源氏物語』を中心においた把握の仕方をしてください。
一〇世紀つまり『源氏物語』より前に、『土佐日記』、『蜻蛉日記』。一〇〇〇年ごろの『源氏物語』の時代に、『和泉式部日記』、『紫式部日記』。『源氏物語』以後に、『更級日記』、です。そして、その後も、あれこれたくさん出てくるわけですが。

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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:57:28 | 显示全部楼层
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第7章
歴史の変わり目に歴史物語
いままでずっと、平安朝のはなばなしい文学を見てきました。一〇世紀、九〇〇年代に、和歌、伝奇〈でんき〉物語、歌物語、そして日記文学が、生まれ、一〇〇〇年に『源氏物語』が書かれた。
しかし、その後は、『源氏物語』のマネッコの物語を生んだだけで、だんだん文学は衰えてゆきます。時代じたいが、貴族の時代から武士、民衆の時代に変わってゆきます。貴族にとって、未来が何も見えない時代がやってきます。そして、過去をふり返るとそこには、はなばなしい遺産が輝いています。「オレたち貴族は、過去から未来へとつながる時の流れ、歴史の流れに流されて、どこからどこへ行こうとしているのか。」そんなふうに考えはじめます。それを考えるために、彼らは「歴史」を、物語の形を借りて書きはじめたのです。
それが、歴史物語です。
それじゃあ、『栄華物語〈えいがものがたり〉』から。エイガのガは、「花」という字でもいいです。前編と後編にわかれているんですが、前編は一〇三〇年ごろ、後編は一一〇〇年ごろに書かれました。やはり貴族の歴史といえば、藤原道長をヌキには語れないわけで、藤原道長〈みちなが〉の「栄華」を、「ほんまスバラシイ、スバラシイ」と賛美しています。
これにたいして、道長を批判しているのが、『大鏡〈おおかがみ〉』。一一〇〇年ごろに書かれました。やはり、ただただ「スバラシイ、スバラシイ」の『栄華物語』より、きちんと自分の頭で歴史を批判精神をもってとらえているこちらの方が優れたものになっているようです。
この『栄華物語』『大鏡』コンビ。道長をどう描いているか、というのがまったく反対ですので、この対立で覚えてください。
そのあと、一二世紀後半に『今鏡〈いまかがみ〉』が書かれます。そして、鎌倉時代に入ると、『水鏡〈みずかがみ〉』。慈円〈じえん〉という人は、現在を末法の世ととらえて、『愚管抄〈ぐかんしょう〉』というのを書きます。これは、ちょっと大切です。そして、南北朝時代には、北畠親房〈きたばたけちかふさ〉という人が、南朝の正統性をとなえて、『神皇正統記〈じんのうしょうとうき〉』を書きます。あ、この『愚管抄〈ぐかんしょう〉』『神皇正統記〈じんのうしょうとうき〉』は、「歴史物語」じゃなくて「歴史書」です。「歴史物語」は、道長とかを登場人物として小説風に描いてる。「歴史書」は、現代文の評論文のように歴史を難しく論じてるわけですね。それから、『増鏡〈ますかがみ〉』。ちなみに、『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』の四つを「四鏡〈しきょう〉」と言います。
歴史物語は、これくらいで、オワリ!

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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:57:47 | 显示全部楼层
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第8章
説話文学、現る
さて、この章から時代は変わります。
やっぱり、時代というのは、変わるんですね。もう、華やかで、平和だった、貴族の、良き時代は終わります。貴族たちも、まさか自分たちの時代の終わりが来るなんて、実感をもって考えはしなかったんでしょうね。ほんとうに自分たちの時代が終わり、何もかもが違ってしまう、次の時代が訪れるなんて。歴史というのは、コワイ。時間の流れ、というのは、コワイ。このへんから、日本は、江戸時代になるまで、激動の時代を迎えます。ちょうどいま、一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけて、世界と日本は、春風駘蕩〈しゅんぷうたいとう〉、豊かだった平和の時代、を終えて、ソ連の崩壊、湾岸戦争やボスニア?ヘルツェゴビナ紛争、ユーゴ紛争、そして、アメリカ同時多発テロ、イラク戦争などから戦争の世紀に入ろうとしています。世界は、冷戦の、凍結期間を過ぎて、ふたたび、歴史の濁流のなかに投げ出されてしまったようです。歴史、というのは、ほんま、コワイ。ついこのあいだまで、「歴史」ってのは、歴史の教科書のなかにあるもんで、まさか、自分の目の前で「歴史」が変わってゆくなんて、思ってもみませんでした。自分のまわりで音を立てて、歴史が、変わってゆく、それが一九九〇年代、そして二一世紀みたいです。ミスチルの歌やないけど「何が起こってもヘンじゃない」そんな時代ですよね。わたしなんて、歴史的事項の何もない時代に青春を過ごしましたが、君たちは、「歴史」のなかで青春を送らなくちゃならないみたいです。大学に入ったって、その後の安楽な人生が保証されてるわけじゃない。今の大不況がいつ回復するかだってわかんない。ほんまに「ハルマゲドン」が起きてしまっても何の不思議もない。今から、話しはじめる中世、つまり、鎌倉、南北朝、室町ってのは、そんな時代です。
さあ、激動の中世の始まりです!文学史的には、説話と軍記の時代の始まりです。もう、和歌とか『源氏物語』とかの時代は終わってしまいました。頭も、中世に切り替えてください。
さて、中世らしい文学ゆうたら、まずは説話〈せつわ〉文学でんな。中世の民衆や武士は、『源氏物語』やら『蜻蛉日記〈かげろうにっき〉』やら、そんな、貴族の、チャラチャラした、恋だの愛だの、高級な文学なんて、ハダに合わない。もっとわかりやすくて、オモロくて、タメになる話を読みたいわけです。亀を助けてやったら、亀が人間に姿を変えて亀が恩返ししてくれた、やっぱ親切はするもんやなあ、みたいな話の方が、わかりやすいし、オモロいし、タメになる。説話ってのは、そんな話のことです。やっぱ、フツウの人間には、これがいちばんやんなぁ、ゆうてるわけです。……というか、ほんとうは、先が見えない時代だけに、やっぱり何か、しっかりした生きるための指針がほしいんでしょうねぇ。
で、まず、説話文学、とくれば、『今昔(こんじゃく)物語集〈こんじゃくものがたりしゅう〉』。インド?中国?日本のいろんなことがかいてあります。仏さまについての仏教説話から民衆の姿を生き生きと描く世俗説話まで、いっぱいいっぱいつまっています。これは、めっちゃ重要なことですが、書かれたのは、平安末期です。説話ゆうたら、中世、鎌倉時代ですが、『今昔物語集』は、平安末期です。むろん鎌倉幕府が成立して突然時代が変わるわけではなくって、平安末期ゆうたら、もうじゅうぶん中世してるわけです。《説話はぜーんぶ鎌倉。せやけど、『今昔』は、平安末期!》これ、しっかり、覚えておいてください。
そして、鎌倉。鎌倉初期に書かれたのが、『発心集〈ほっしんしゅう〉』と『宇治拾遺物語〈うじしゅういものがたり〉』です。
『発心集』は、鴨長明〈かものちょうめい〉が書いた、ということで覚えておいてください。もちろん、『方丈記〈ほうじょうき〉』の鴨長明。「発心」集、と言うくらいですから、「ああ、ほんま、仏様はありがたい」、と発心〈ほっしん〉する仏教の話です。
もひとつが、『宇治拾遺物語』。その序文が、ある入試に出てたんですが、宇治の平等院に避暑に行っている大納言隆国という人が、そこで寝っころがりながら、いろんな人から面白い話を聞いて、「うん、なかなかオモロイやないか」とか言いながら書きとめたんだ、と書いてあります。つまり、「宇治に遺〈のこ〉れるを拾う」というわけです。『宇治拾遺物語』という題名の由来です。で、この『宇治拾遺物語』、じっさい、なかなか面白い話のいっぱい載った説話集です。『今昔物語集』同様、仏教説話もいいのですが、民衆の笑い声の聞こえてきそうな世俗説話がやっぱりオモロイのです。平安末期の『今昔物語集』と鎌倉初期の『宇治拾遺物語』、説話集ではこの二つ!
あと、鎌倉中期、一三世紀中ごろ、になると、『十訓抄〈じっきんしょう〉』。まあ読み方なんてめったに出ませんが、「じっきんしょう」です。説話ってのは、面白くわかりやすく教訓を話して聞かせるわけですが、この『十訓抄』には、文字通り、「十」の教「訓」が載ってるわけです。この『十訓抄』、なんだかよく出てます。覚えておいてください。
そして、鎌倉中期、もう一つ。『古今著聞集〈ここんちょもんじゅう〉』です。
鎌倉末期、一三世紀後半には、『沙石集〈しゃせきしゅう〉』。無住〈むじゅう〉法師って人が集めた仏教説話集です。
あと二ついちおう題名だけでもゆっときます。『撰集抄〈せんじゅうしょう〉』、『宝物集〈ほうぶつしゅう〉』なんてのも、ありますねん。
で、おしまいに、ネライ目のポイントをひとつ。説話集ってのは、シツコク言ってきたように、武士、民衆がオモロイ、オモロイゆうてるもんで、中世、鎌倉時代のもんです。『今昔物語集』は、平安末期ですが、モウスグ鎌倉時代ってゆう平安時代なわけでした。『源氏物語』と同時期のものを選べ、なんて問題で『宇治拾遺物語』を選んだりしたら、「何もわかってない!話にならん」わけですが、しかし、ひとつだけ、平安時代の初め、九世紀前半にできちゃった例外的な説話集があります。『日本霊異記〈にほんりょういき〉』というやつです。作者は、僧景戒〈きょうかい〉です。

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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:58:16 | 显示全部楼层
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第9章
戦乱の時代を軍記物語が描く
さて、中世、武士の時代、戦乱の時代です!激動の時代です。昨日の勝者が、今日、滅び去ってゆく。さまざまな人間が、自分の生を賭けて、歴史の舞台に現れ、一瞬のあいだその個性をきらめかせ、死へと帰ってゆく。平安時代のどんな人も経験しなかったような、速く重い時間がそこにはあります。受験生にとっても、今生きている時間というのは、人生のなかでも、おそらく最も速く最も重い時間なのではないでしょうか。人は、その速く重い時間を、そしてそれゆえの生きることのきらめきを、必死で書きとめようとしたのです。軍記〈ぐんき〉物語。戦記〈せんき〉物語ともいいます。
まず、最初に出てくるのが、『保元物語〈ほうげんものがたり〉』『平治物語〈へいじものがたり〉』のコンビ。共に、一二〇〇年ごろ、作られました。この二つは、「保元」「平治」とコンビでおさえておいてください。
日本史を勉強している人にとっては、常識……、だと思いたいところですが、一一五六年、保元の乱、というのが起きますね。『保元物語』は、むろん、この保元の乱を描いたものです。これは、後白河〈ごしらかわ〉とか崇徳〈すとく〉とか、皇室と藤原氏の内紛なわけです。これに、武士がからんでくる。しかし、三年後の一一五九年に起きる平治の乱は、もうすでに平清盛〈たいらのきよもり〉と源義朝〈みなもとのよしとも〉という武士のあいだでの闘いです。一一九二年に鎌倉幕府が成立するわけですが、じっさいには、まさにこの一一五六年、一一五九年あたりから、時代は貴族の時代から武士の時代へと、中世へと、変わってゆくのです。『保元物語』『平治物語』は、そんな、中世の始まりを記念する軍記物語です。
で、出てくるのが、『平家物語〈へいけものがたり〉』。
『源氏物語』が、日本古典文学史の前半を飾る女王ならば、こちら『平家物語』は、その後半に君臨する王といったところでございましょうか。いいですか?このへんで、も一度ごくごく大づかみなことを確認しておきますが、『源氏物語』を中心とする、優雅で上品な『竹取物語』とか『伊勢物語』とか『土佐日記〈とさにっき〉』とか『蜻蛉日記〈かげろうにっき〉』とか『更級日記〈さらしなにっき〉』とかいった貴族文学がまずはじめ、平安にあって、それからそれから時代が変わって中世になり、武士のデッカイ叫び声が聞こえてきそうな『平家物語』とか、民衆の生き生きした笑い声が聞こえてきそな『今昔物語集』とか、そーゆー武士、民衆の文学が出てくるんです。かりに、『源氏物語』より前に書かれた作品を選べ、なんて問題があって、『平家物語』を選んでたりしたら、……まさか、日本史を選択している人が、そんなミスをするとは思いませんが……、だいじょうぶですか?……そんなまちがいしてたら、どーしよーもナイのです。
さて、『平家物語』ですが、すべてのものが移り変わり、そして滅び去ってゆく、という、いわゆる無常観〈むじょうかん〉の文学ってやつです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常のひびきあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。」という、アレです。そして、自分の犯した罪により自ら滅び去ってゆく、という因果応報〈いんがおうほう〉の思想が貫かれてます。平家は横暴の限りを尽くした。だから、その報いで滅び去ってゆくのだ、と……。このへんの知識は、文学史問題というよりは、常識問題として聞かれる可能性がありますから、覚えておいてください。
だいたい一三世紀、つまり一二〇〇年代の前半にできました。
優雅な日本の言葉でつづった和文と豪快な漢文的な文章とが見事に混ざりあった和漢混交文〈わかんこんこうぶん〉という文体が特徴です。
それを琵琶法師〈びわほうし〉という盲目の法師たちが、平曲〈へいきょく〉という曲にして、語るわけです。今、教科書に載ってる『平家物語』とか読んでもべつにどーとゆーことはありゃしませんが、中世当時、そんな盲目の法師が、琵琶を気味悪くビヨンビヨン弾きながら、死んでゆく武将の語りなどやったら、なんぼ恐かったろうかと思います。じじつ、盲目の法師が語るってのはどーゆーことかとゆーと、中世の人々は、そーゆー盲目の人間というのは目が見えないぶんだけ、彼の別の眼は霊界に向かって開かれているのだと、信じてたわけです。彼の語る声は、まさに霊の世界から死者が、琵琶法師の口を借りて語る声だと信じてたのです。よくテレビで、「死んだおじいちゃんの声が聞きたい」とかゆって、突然女の人の声がしゃがれた老人の声になって、「信治、元気か。ああ、真っ暗だ。寒い、寒い……。」とかやってまして、まああーゆーテレビのはイマイチ信じられませんが、『平家物語』というのは、まさにソレだったわけです。とゆーか、軍記物語とゆーのは、みんなそーです。今でこそ、そいつらをブンガクなんていってますが、軍記物語とゆーのが書かれたのは、どんなたたりをもたらすかもしれない死者の霊を鎮めるというちゃんとした目的があってのコトです。
続いて、南北朝時代には、南北朝の争乱を描いた『太平記〈たいへいき〉』が書かれます。戦争の物語なのに、「太平」の記という題名なのも、何かヘンですが。
さて、室町時代の軍記物語はだんだん変わっていって、軍記物語というよりは英雄伝説みたいなものになってゆきます。
源義経〈みなもとのよしつね〉の悲劇的な生涯を描いた『義経記〈ぎけいき〉』。ヨシツネですが、題名は「ギケイ記」です。義経は、兄?頼朝〈よりとも〉のもと、天才的な活躍で、平家を倒す。ヒーローになった。しかし、ヒーローになったがゆえに、兄?頼朝に憎まれ、東北に追われ、最後は悲劇的な死を遂げる。日本人というのは、こういう悲劇的に負けてゆくやつが好きで、高校野球でも力投に力投を重ね、力尽きた敗戦投手におっきな拍手が送られる、なんて現象がある。こーゆー現象を、「判官〈はんがん?ほうがん〉義経」ということから「判官びいき」というのです。
そしてもひとつ、『曾我物語〈そがものがたり〉』。曾我兄弟の敵討〈かたきう〉ちを描いてます。義経は現在にいたるまでわりと人気者なわけですが、この曽我兄弟も明治時代くらいまで日本人の心をとらえ続けました。この二つの英雄伝説、重要度は低いのですが、これからネライ目です!
もひとつ、ネライ目!
とうぜん、軍記物語といえば、中世なのですが、平安時代にも、軍記物語が二つあります。ひとつは,『将門記〈しょうもんき〉』。一〇世紀前半にできました。平将門〈たいらのまさかど〉の乱を描いてます。自ら、天皇だと称して、東国に独立国を立てたやつです。映画『陰陽師〈おんみょうじ〉』は、将門の霊がよみがえり、平安京を破壊しようとする話ですね。そしてもうひとつは、『陸奥話記〈むつわき〉』。一一世紀半ばにできました。前九年の役〈ぜんくねんのえき〉を描いてます。このふたつ、平安時代の例外的な軍記物語として覚えておいてください。

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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:58:43 | 显示全部楼层
第10章
ここで、随筆を
さて、鎌倉時代で、無常観〈むじょうかん〉とかゆうたら、『方丈記〈ほうじょうき〉』や『徒然草〈つれづれぐさ〉』を思い出される方も多いことでしょう。そうあってほしいものです。あらまほし。……『方丈記』『徒然草』ゆうたら、随筆〈ずいひつ〉というジャンルですね。
随筆ゆうたら、『枕草子〈まくらのそうし〉』です。これは、平安時代ですよね。平安時代の話はとっくに終わってしまっているわけですが、平安時代の随筆といっても『枕草子』がひとつ、ポツンとあるだけなので、いままで無視してきました。それでは、このへんで、『枕草子』を含めた随筆のハナシに行きます。ちょっと平安時代に戻りますので、頭の時計を再び『源氏物語』とかあのへんまで巻き戻してください。いいですか?
で、『枕草子〈まくらのそうし〉』。書いたのは、もちろん、清少納言〈せいしょうなごん〉。
『源氏物語』とほんま同時期、一〇〇〇年ごろに書かれました。ほんま、この一〇〇〇年ごろという時期は、日本の古典文学史にとって黄金期でんな。紫式部と清少納言が、同じ時代に生きて、同じ場所にいるんですよ。す、すごすぎる。まるで盆と正月がいっしょに来たような……。あ、たとえが違うか……。紫式部と清少納言、『源氏物語』と『枕草子』とを比較すると、紫式部は、ロングヘアーのちょっと暗い影のあるやつで、『源氏物語』も「あはれ」の文学ってなもので暗いしっとりしたしみじみーとした文学なわけです。それにたいして、清少納言は、「ギャル」っぽいひたすら明るいやつで、『枕草子』も「をかし」の文学、つまり明るくドライなんです。じっさい、『枕草子』なんて、学校のセンセエがこわそうな顔をして教えるもんじゃない。『枕草子』というのは、あれは、たとえば「○○なもの。××。△△。□□。……」みたいに列挙してゆく、こういうパターンの章を類聚〈るいじゅう〉的章段っていうんですが、ちょうど、女子高生のノートにでも書いてありがちな「わたしの大好きなカワイイもの。キティーちゃんのハンカチ。○○ちゃんととったプリクラ。それから、昨日買ってもらったスィートピーの鉢植え」みたいなものなのです。
そんな清少納言ですが、実は不幸な少女だったのです。清少納言は中宮〈ちゅうぐう〉定子〈ていし〉に仕えていました。定子は一条天皇の奥さんなわけで、天皇の寵愛〈ちょうあい〉をうけて、ばりばりにときめき給うてたのですが、権力者にのし上がった藤原道長の娘の彰子〈しょうし〉……この彰子に、紫式部は仕えていたわけですが、…彰子に一条天皇を奪われてしまい、定子は失意のうちに死んでゆきます。暗そうな紫式部の方が実は幸せで、ひたすら明るい清少納言は絶望のどん底で『枕草子』を書いていたのです。ツヨキなやつですから、悲しみを表に出したくなかったんでしょう。
さて、鎌倉時代になると、うってかわって、俗世を捨てて出家した遁世者〈とんせいしゃ〉の随筆です。
1・2・1・2。一二一二年に、鴨長明〈かものちょうめい〉が『方丈記〈ほうじょうき〉』を書きます。一二一二年といえば、平安時代が終わり、まさに世の中が地獄のようにひっくり返っているときです。無常!この世に常なるものなど、何も、ない!「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの、水には、あらず。」というやつです。和漢混交文〈わかんこんこうぶん〉によって、無常観が絶望的に述べられています。そうそう、『方丈記』には大地震で世の中が地獄絵図のようになってる描写が書かれています。神戸の地震のとき、ほんまにこの描写がまざまざと浮かんできました。
題名の「方丈」というのは方形つまり四角の部屋のことで、長明の隠遁〈いんとん〉している草庵〈そうあん〉のことです。
そう、鴨長明といえば、思い出しておいてください。『発心集〈ほっしんしゅう〉』という説話集も作ってました。それから、『無名抄〈むみょうしょう〉』という歌論も書いています。鴨長明といっても『方丈記』だけではないのです。このへんのこと、出題者が、鴨長明イコール『方丈記』と単純に覚えてしまっている受験生をひっかけて喜ぶのにはモッテコイです。注意してください。
続いて、『徒然草〈つれづれぐさ〉』です。むろん筆者は、吉田兼好〈よしだけんこう〉(兼好法師〈けんこうほうし〉)。「兼」の字、ごんべんはいりませんよ。だいじょうぶですか?
書かれたのは、一三三一年とされてますが、よくわかりません。一四世紀です。さすが、長明さんのころからもう百年以上たってますので、だいぶ落ち着いていて、無常観もありますが、ゆっくりと、平安時代の古典へのあこがれや、日常の処世訓や、趣味のことや、とってもスルドイ冷静な眼差〈まなざ〉しで書いています。高校生のころ読んでも全然つまらなくて、解説に「三十歳過ぎると面白くなる」とか書いてあっても、「ぜったい面白くなるわけがない」と思っていました。しかし、これが、最近、面白い。「なるほど深いぜ」とか思ってしまう。乱世の中でじっと世の中を、人間を見つめてるケンコーの眼差しが、めちゃカッコいい。
この『枕草子』『方丈記』『徒然草』を合わせて、「三大随筆」といいます。
あと、江戸時代にもたくさん随筆が書かれました。新井白石〈あらいはくせき〉の『折たく柴の記〈おりたくしばのき〉』。横井也有〈よこいやゆう〉の『鶉衣〈うずらごろも〉』。この『鶉衣』、なぜだかほんとにわからないんですが、よく問題で見かけます。江戸時代後期の俳文集です。それと、松平定信〈まつだいらさだのぶ〉の『花月草紙〈かげつぞうし〉』。
江戸時代の随筆で覚えておきたいのが、本居宣長〈もとおりのりなが〉の『玉勝間〈たまがつま〉』です。江戸時代には、国学〈こくがく〉という古典研究の学問が登場しますが、本居宣長は、国学のスターです。前に、『源氏物語』を説明したときにゆってますよね。アレです。国学は章をもうけて説明しませんので、ここでついでにちょっと宣長の国学のほーの書物もゆっときます。まず、『源氏物語』の本質を「もののあはれ」だとゆった『源氏物語玉の小櫛〈げんじものがたりたまのおぐし〉』。同じく『源氏物語』の研究書の『石上私淑言〈いそのかみのささめごと〉』。それから、『古事記』についての研究の『古事記伝〈こじきでん〉』。あと、弟子に国学の心得を説いた『うひ山ぶみ〈ういやまぶみ〉』とかね……、覚えておいてください。
国学は、宣長の前に、『万葉代匠記〈まんようだいしょうき〉』の契沖〈けいちゅう〉、万葉集の歌風を「ますらをぶり」と呼んだ『万葉集考』〈まんようしゅうこう〉の賀茂真淵〈かものまぶち〉がいます。
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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:59:13 | 显示全部楼层
第11章
能と歌舞伎と浄瑠璃と
室町時代に、能〈のう〉、そして江戸時代に、歌舞伎〈かぶき〉、浄瑠璃〈じょうるり〉といった演劇がはやります。この章は、そいつらの話です。
で、まずは、能。能楽〈のうがく〉ともいいます。あの、ちょっと気味の悪い能面をつけてやるやつですね。室町時代に、観阿弥〈かんあみ〉・世阿弥〈ぜあみ〉の親子が大成しました。世阿弥が書いた能楽論『風姿花伝〈(ふうしかでん〉』……『花伝書〈かでんしょ〉』ともいうんですが、これは重要ですので、覚えておいてください。
あと、能といっしょにやる滑稽〈こっけい〉な劇を狂言〈きょうげん〉という。
で、江戸時代になると、今度は、浄瑠璃と歌舞伎です。
浄瑠璃は、あやつり人形を使ってやるのです。元禄〈げんろく〉期に、語りの竹本義太夫〈たけもとぎだゆう〉と脚本の近松門左衛門〈ちかまつもんざえもん〉のコンビによって大成しました。近松門左衛門の代表作、『曾根崎心中〈そねざきしんじゅう〉』、『冥途の飛脚〈めいどのひきゃく〉』、『心中天の網島〈しんじゅうてんのあみしま〉』、それから『国性爺合戦〈こくせんやかっせん〉』、以上覚えてください。
それから、近松の芸術論。彼は、芸術とは、虚構と現実のはざまにあるんだと言っています。たとえばテレビで、かっこいい俳優さんが先生役のドラマをやる。すると、「現実にはあんな先生いるわけないやないか」なんて皮肉ったりするやつがいる。しかし、かっこいい俳優さんだから、見てて楽しい、面白いわけで、ひきつけられる。かといって、現実の学校生活とまぁーったく遠い虚構ばかりになると、やっぱつまんない。その両方のビミョーなところで、現実には絶対いっこない先生の中に、自分が現実に考えている何かをふっと見るからこそ、感動するわけです。私たちの心を真にうつのは、そんな虚構と現実のはざまにあるのだ。そう、近松門左衛門さんは、考えています。これを、虚実皮膜論〈きょじつひまくろん〉といいますから、いっちょ覚えてやってください。
次は、歌舞伎です。顔に色塗って、髪さかだててやるやつですね。化政〈かせい〉期に鶴屋南北〈つるやなんぼく〉が、有名な『東海道四谷怪談〈とうかいどうよつやかいだん〉』を書きました。
この章は短いですが、これで終わり。
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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:59:32 | 显示全部楼层
第12章
俳諧の人たち
さて、激動の中世を終わり、江戸時代に入ります。当然ですが、古典文学史も、この時代で終わります。
けっきょく、古典の文学史というのは、というより、日本の文化史全般がそうなわけですが、大きく三つに分けて考えることができるわけです。
まず最初が、貴族の時代で、平安時代。
そして、次が武士の時代。鎌倉、南北朝、室町、ぜんぶまとめて中世です。もっとも、南北朝、室町は、ほとんど何もありませんでしたよね。このことも、よく理解しておいてください。政治的にいろいろワアワアあっても、南北朝時代と室町時代は、文学史的には空白なんです。
そして、三つめが、商人、町人、庶民の文化花咲く時代、江戸時代です。
文学史の入試問題なんて、そんな細かいことを聞いてくるわけじゃありませんから、この三つの時代をきちんとおさえておくだけで、時代順なんかを聞いてくる問題はずいぶんわかりやすくなるはずです。
で、江戸時代ですが、江戸時代の文学は、大きく言って三つのジャンルがある。まずひとつは、さっきの章で軽くすましてしまった劇文学です。若旦那や御隠居さんが芝居小屋に大勢入ってゆくのが目に浮かびます。それから、やっぱり風流な御隠居さんなんかが好きそうな、俳諧〈はいかい〉。最後のひとつは、浮世草子〈うきよぞうし〉とかの小説です。
それでは、二番目の、俳諧について、お話しします!と、言いつつ、話はまた昔に戻ってしまいますが、中世になると和歌が滅び、代りに連歌〈れんが〉が興ってきたのを覚えてますか?第二章の話です。南北朝時代に二条良基〈にじょうよしもと〉が『菟玖波集〈つくばしゅう〉』で連歌の地位を確立。室町時代に飯尾宗祇〈いいおそうぎ〉が『新撰菟玖波集〈しんせんつくばしゅう〉』で連歌を芸術的に完成。そして、山崎宗鑑〈やまざきそうかん〉が『新撰犬筑波集〈しんせんいぬつくばしゅう〉』で、俳諧連歌を始めるのでした。連歌、ってのは、五・七・五、七・七、五・七・五とどんどんつなげてくわけですが、その五・七・五だけが独立して俳諧になってゆくのです。
で、ようやく本題に入ります。まず、一七世紀、つまり一六〇〇年代、松永貞徳〈まつながていとく〉をボスとする貞門俳諧〈ていもんはいかい〉がおこります。そして、一七世紀後半、西山宗因〈にしやまそういん〉をボスとする談林俳諧〈だんりんはいかい〉がおこってきます。この談林派のなかには、浮世草子でスターになる井原西鶴〈いはらさいかく〉がいます。
そして、みなさんよくご存知の松尾芭蕉〈まつおばしょう〉の登場です。
一六八八年から一七〇四年までを元禄〈げんろく〉時代といって、そのころ江戸に文化の花咲くわけですが、松尾芭蕉も元禄のスターのひとりです。この時代も、俳諧の松尾芭蕉、浄瑠璃〈じょうるり〉の近松門左衛門〈ちかまつもんざえもん〉、浮世草子〈うきよぞうし〉の井原西鶴〈いはらさいかく〉という三大スターがいたスゴイ時代です!この三人が同時期だということも言えるようにしておいてください。こういうスゴイ時代をおさえておくと、時代の前後関係がわかりやすくなってくる。
で、松尾芭蕉は何がスゴイかというと、……それまで、俳諧なんて遊びにすぎなかったわけです。矢数俳諧〈やかずはいかい〉という一晩でめちゃくちゃたくさん俳句を作って見せるイベントがはやっていて、西鶴なんか一晩で四〇〇〇句作ったっちゅうアホみたいな記録を持っています。しかし、芭蕉は、和歌の西行〈さいぎょう〉や連歌の宗祇といったかつての芸術家を尊敬し、遊びにすぎなかった俳諧を、「閑〈しづ〉かさや岩にしみ入る蝉の声」、なんて……静寂の、境地。……自然の、なかに、たたずむ。……わび、さびでんな……みたいな芸術にまで高めた、そこがスゴイのです。そういう芭蕉の俳諧を蕉風〈しょうふう〉といいます。正風〈しょうふう〉とも書きます。
さすが芭蕉、お弟子さんもいっぱいいます。芭蕉の弟子グループを蕉門〈しょうもん〉といいます。その面々は、……向井去来〈むかいきょらい〉。『去来抄〈きょらいしょう〉』という俳論を書いています。榎本其角〈えのもときかく〉。服部土芳〈はっとりとほう〉。土芳は、『三冊子〈さんぞうし〉』という俳論、書いてます。服部嵐雪〈はっとりらんせつ〉。野沢凡兆〈のざわぼんちょう〉。この、蕉門の面々、けっこうビッグですから、単なる弟子だとカルく見ないように!
さて、芭蕉の作品ですが、まずは、なにはさておき、『奥の細道〈おくのほそみち〉』。曾良〈そら〉という弟子を連れて、東北をぐるっとめぐって岐阜の大垣〈おおがき〉までの、俳諧をまじえた紀行文です。あと、『野ざらし紀行〈のざらしきこう〉』『笈の小文〈おいのこぶみ〉』『更科紀行〈さらしなきこう〉』なんて紀行文が、あります。「月日は百代〈はくたい〉の過客〈かかく〉にして行きかふ年もまた旅人なり」というのは『奥の細道』の冒頭ですが、まさに芭蕉というのは旅に生き旅に死んだ人です。
それから、蕉門の人たちとの句集として、『虚栗〈みなしぐり〉』、『猿蓑〈さるみの〉』、『炭俵〈すみだわら〉』などがあります。
しかし、世の常として、芭蕉の後どんどん俳諧はだめになってゆく。そんななかで、俳諧を建てなおすべく、一八世紀後半、天明〈てんめい〉期に登場するのが、与謝蕪村〈よさぶそん〉です。彼は、古典から発想を得たり、絵画的な句を作ったり、ひじょうに芸術至上主義的なところに特徴があります。「菜の花や月は東に日は西に」という句は、蕪村の句ですが、まさに、一枚の絵を見るようです。『新花摘〈しんはなつみ〉』という句集があります。
そして、一九世紀前半に、小林一茶〈こばやしいっさ〉。一八〇四年から一八三〇年を化政〈かせい〉期といいますが、このころガンバってたひとです。「やせがえる負けるな一茶ここにあり」〔やせがえる!負けたらあかん!オレがついてるで!〕なんて、一茶は、とても庶民的なあたたかい句を、作る。句集の題名も、ほのぼのしてますね。『おらが春』、です。
さて、俳諧はこれで終わりますが、《元禄、芭蕉!天明、蕪村!化政、一茶!》という時代と順番、これをしっかりおさえておいてください。
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 楼主| 发表于 2009-7-11 21:59:59 | 显示全部楼层
第13章
江戸の小説
さて、古典文学史の最後の章となりました。江戸時代の小説です。中世の説話集や『義経記〈ぎけいき〉』みたいな英雄伝説が、御伽草子〈おとぎぞうし〉というかたちを経て、江戸時代へと受け継がれることになります。江戸時代といえば、やっぱり商業の時代、あきんどの時代です。それらの小説は、いっきに町人たちのあいだに流通してゆきます。オハナシを書いて金を得る、というのはこの時代からです。考えてみれば、紫式部はんは『源氏物語』書いて原稿料、出版社からもろてたわけじゃありまへん。しかし、井原西鶴は、出版社から原稿料、もろてるわけです。それで、メシ食うてるわけです。だから、ひとりの作家がひじょうにたくさんの作品を書き続けることになる。江戸時代からです、みなさんが、たくさんの作家についていくつも作品を覚えなくてはならなくなるのは。だから、江戸時代から近代にかけての文学史の勉強は、いままでのように流れよりも、ひたすら暗記、ということになってきます。
では、暗記してください!
江戸時代前期は、お江戸に幕府があっても、まだまだ上方〈かみがた〉、つまり関西が中心です。まず、御伽草子が仮名草子〈かなぞうし〉という形態を経て、江戸時代の庶民の生活を描く浮世草子〈うきよぞうし〉となります。
そう、井原西鶴〈いはらさいかく〉です。芭蕉、近松とともに元禄〈げんろく〉のスターです。彼が、書いたのは、まさしく、浪花〈なにわ〉の、あきんどの、世界。イロとカネの世界です。イロとカネには目がない。そんなやつが登場人物です。しかし、そこにこそ浪花の人間の輝きがあるんでしょうな。吉本の芸人みたいなモンです。昔も今も大阪の人間は、ほんま変わりまへん……。
イロ、の方を書いたのを「好色物〈こうしょくもの〉」といい、その代表作は『好色一代男〈こうしょくいちだいおとこ〉』『好色一代女〈こうしょくいちだいおんな〉』『好色五人女〈こうしょくごにんおんな〉』。
カネ、の方を書いたのが、「町人物〈ちょうにんもの〉」。『日本永代蔵〈にほんえいたいぐら〉』『世間胸算用〈せけんむねざんよう〉』。……『日本永代蔵』、『世間胸算用』、……ほんまに、カネやーっ!、ちゅう題名やね。
ほかに、『武家義理物語〈ぶけぎりものがたり〉』『武道伝来記〈ぶどうでんらいき〉』『西鶴諸国咄〈さいかくしょこくばなし〉』『本朝二十不孝〈ほんちょうにじゅうふこう〉』とか、いろいろあります。
続いて、上方に、今で言うところの、SFもの、アドベンチャーもの、に当たる読本〈よみほん〉というジャンルが現れます。浮世草子と読本を貸し本屋で借りてくる浪花のあきんどの若旦那が目に浮かびます。ちょうど、ミナミのビデオショップでエッチ・ビデオとSF映画を借りる吉本のタレントと同じです。
読本の代表作家は、上田秋成〈うえだあきなり〉という人です。一八世紀後半の人です。怪異小説の『雨月物語〈うげつものがたり〉』。友人と再会を誓った約束の日、待って待って待ったすえ、友人はやってくるのだが、実はその日その時間、すでにその友人は死んでこの世の人ではなかった。どうしても約束を守らねば、という執念が、友人の霊に約束を果たさせたのであった。……そんなような話が載っています。それから、『春雨物語〈はるさめものがたり〉』もね。
さて、江戸時代後半になると、文化の中心は東京に移ってしまいます。一九世紀、化政〈かせい〉期から、江戸中心になるのです。けっきょく、それ以後今にいたるまで、関西は文化の中心の地位を取り戻せない。ダウンタウンもナイナイも東京に行くことになってしまう。
で、化政期の読本作者は、滝沢馬琴〈たきざわばきん〉(曲亭馬琴〈きょくていばきん〉)。『椿説弓張月〈ちんせつゆみはりづき〉』。『南総里見八犬伝〈なんそうさとみはっけんでん〉』。善い者は善い報いを受け、悪い者は悪い報いを受ける、という、水戸黄門みたいな、因果応報〈いんがおうほう〉、勧善懲悪〈かんぜんちょうあく〉の思想を土台に、大スペクタクルがくりひろげられます。不思議な珠〈たま〉をもつという運命により巡り会った8人の勇者たちが、悪者相手に敢然と立ち向かい、お約束どおりさまざまなピンチに陥りながらも、最後は勇者たちが勝利をおさめる!なんかハリウッド映画みたいで、ワクワクドキドキ、最後はスカーッ。たぶん、当時の読者は、今のぼくたちがそんなアメリカ映画を観るような感覚で、読本を読んでたんじゃないかな。
そして、草双紙〈くさぞうし〉というジャンルでは柳亭種彦〈りゅうていたねひこ〉が書いた『偐紫田舎源氏〈にせむらさきいなかげんじ〉』。『源氏物語』のパロディーです。
江戸町人をわらかす滑稽本〈こっけいぼん〉のジャンルでは、十返舎一九〈じっぺんしゃいっく〉がいます。有名な『東海道中膝栗毛〈とうかいどうちゅうひざくりげ〉』を書きました。弥次〈やじ〉さん喜多〈きた〉さんの珍道中。江戸の若旦那が、『東海道中膝栗毛』、読みながら、「やー、こいつぁコッケイ、ざぶとん一枚あげとくれ」なんて言ってるのが想像できます。滑稽本は、もうひとり、式亭三馬〈しきていさんば〉、という人。『浮世風呂〈うきよぶろ〉』『浮世床〈うきよどこ〉』などに、江戸庶民の風俗を描きました。これなんかも、たぶん、今のぼくたちが、テレビでお笑いやバラエティを楽しむような感覚で読んでたんだろうね。
ふと気づくと、もう一九世紀です。いま二一世紀になったばかりですから、考えてみれば、まだ百年ちょっと前です。日本史をやっていると、明治維新や太平洋戦争の敗戦で時代が突然変わり、それ以前は大昔、という錯覚に陥りますが、実は江戸はすぐそこなのです。江戸時代の自由で爛熟した、人間の欲望を肯定する自由な文学を読んでいると、現代の日本とある意味とても近い。じっさい、明治維新なんて単に外圧による一政治史的事件で、実は、イギリスやフランスがブルジョア革命や産業革命により近代に入るのと並行して、日本も江戸時代に近代を独自に迎えていたのではないか、……中世が政権は変わろうと実はひとつながりであるように、江戸時代から、明治、大正、昭和を経て平成の現在までも、本当はひとつながりの時代なのではないか、そんな気さえします。江戸人はわれわれの友達である、そんな気がします。
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