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发表于 2009-7-11 21:58:43
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第10章
ここで、随筆を
さて、鎌倉時代で、無常観〈むじょうかん〉とかゆうたら、『方丈記〈ほうじょうき〉』や『徒然草〈つれづれぐさ〉』を思い出される方も多いことでしょう。そうあってほしいものです。あらまほし。……『方丈記』『徒然草』ゆうたら、随筆〈ずいひつ〉というジャンルですね。
随筆ゆうたら、『枕草子〈まくらのそうし〉』です。これは、平安時代ですよね。平安時代の話はとっくに終わってしまっているわけですが、平安時代の随筆といっても『枕草子』がひとつ、ポツンとあるだけなので、いままで無視してきました。それでは、このへんで、『枕草子』を含めた随筆のハナシに行きます。ちょっと平安時代に戻りますので、頭の時計を再び『源氏物語』とかあのへんまで巻き戻してください。いいですか?
で、『枕草子〈まくらのそうし〉』。書いたのは、もちろん、清少納言〈せいしょうなごん〉。
『源氏物語』とほんま同時期、一〇〇〇年ごろに書かれました。ほんま、この一〇〇〇年ごろという時期は、日本の古典文学史にとって黄金期でんな。紫式部と清少納言が、同じ時代に生きて、同じ場所にいるんですよ。す、すごすぎる。まるで盆と正月がいっしょに来たような……。あ、たとえが違うか……。紫式部と清少納言、『源氏物語』と『枕草子』とを比較すると、紫式部は、ロングヘアーのちょっと暗い影のあるやつで、『源氏物語』も「あはれ」の文学ってなもので暗いしっとりしたしみじみーとした文学なわけです。それにたいして、清少納言は、「ギャル」っぽいひたすら明るいやつで、『枕草子』も「をかし」の文学、つまり明るくドライなんです。じっさい、『枕草子』なんて、学校のセンセエがこわそうな顔をして教えるもんじゃない。『枕草子』というのは、あれは、たとえば「○○なもの。××。△△。□□。……」みたいに列挙してゆく、こういうパターンの章を類聚〈るいじゅう〉的章段っていうんですが、ちょうど、女子高生のノートにでも書いてありがちな「わたしの大好きなカワイイもの。キティーちゃんのハンカチ。○○ちゃんととったプリクラ。それから、昨日買ってもらったスィートピーの鉢植え」みたいなものなのです。
そんな清少納言ですが、実は不幸な少女だったのです。清少納言は中宮〈ちゅうぐう〉定子〈ていし〉に仕えていました。定子は一条天皇の奥さんなわけで、天皇の寵愛〈ちょうあい〉をうけて、ばりばりにときめき給うてたのですが、権力者にのし上がった藤原道長の娘の彰子〈しょうし〉……この彰子に、紫式部は仕えていたわけですが、…彰子に一条天皇を奪われてしまい、定子は失意のうちに死んでゆきます。暗そうな紫式部の方が実は幸せで、ひたすら明るい清少納言は絶望のどん底で『枕草子』を書いていたのです。ツヨキなやつですから、悲しみを表に出したくなかったんでしょう。
さて、鎌倉時代になると、うってかわって、俗世を捨てて出家した遁世者〈とんせいしゃ〉の随筆です。
1・2・1・2。一二一二年に、鴨長明〈かものちょうめい〉が『方丈記〈ほうじょうき〉』を書きます。一二一二年といえば、平安時代が終わり、まさに世の中が地獄のようにひっくり返っているときです。無常!この世に常なるものなど、何も、ない!「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの、水には、あらず。」というやつです。和漢混交文〈わかんこんこうぶん〉によって、無常観が絶望的に述べられています。そうそう、『方丈記』には大地震で世の中が地獄絵図のようになってる描写が書かれています。神戸の地震のとき、ほんまにこの描写がまざまざと浮かんできました。
題名の「方丈」というのは方形つまり四角の部屋のことで、長明の隠遁〈いんとん〉している草庵〈そうあん〉のことです。
そう、鴨長明といえば、思い出しておいてください。『発心集〈ほっしんしゅう〉』という説話集も作ってました。それから、『無名抄〈むみょうしょう〉』という歌論も書いています。鴨長明といっても『方丈記』だけではないのです。このへんのこと、出題者が、鴨長明イコール『方丈記』と単純に覚えてしまっている受験生をひっかけて喜ぶのにはモッテコイです。注意してください。
続いて、『徒然草〈つれづれぐさ〉』です。むろん筆者は、吉田兼好〈よしだけんこう〉(兼好法師〈けんこうほうし〉)。「兼」の字、ごんべんはいりませんよ。だいじょうぶですか?
書かれたのは、一三三一年とされてますが、よくわかりません。一四世紀です。さすが、長明さんのころからもう百年以上たってますので、だいぶ落ち着いていて、無常観もありますが、ゆっくりと、平安時代の古典へのあこがれや、日常の処世訓や、趣味のことや、とってもスルドイ冷静な眼差〈まなざ〉しで書いています。高校生のころ読んでも全然つまらなくて、解説に「三十歳過ぎると面白くなる」とか書いてあっても、「ぜったい面白くなるわけがない」と思っていました。しかし、これが、最近、面白い。「なるほど深いぜ」とか思ってしまう。乱世の中でじっと世の中を、人間を見つめてるケンコーの眼差しが、めちゃカッコいい。
この『枕草子』『方丈記』『徒然草』を合わせて、「三大随筆」といいます。
あと、江戸時代にもたくさん随筆が書かれました。新井白石〈あらいはくせき〉の『折たく柴の記〈おりたくしばのき〉』。横井也有〈よこいやゆう〉の『鶉衣〈うずらごろも〉』。この『鶉衣』、なぜだかほんとにわからないんですが、よく問題で見かけます。江戸時代後期の俳文集です。それと、松平定信〈まつだいらさだのぶ〉の『花月草紙〈かげつぞうし〉』。
江戸時代の随筆で覚えておきたいのが、本居宣長〈もとおりのりなが〉の『玉勝間〈たまがつま〉』です。江戸時代には、国学〈こくがく〉という古典研究の学問が登場しますが、本居宣長は、国学のスターです。前に、『源氏物語』を説明したときにゆってますよね。アレです。国学は章をもうけて説明しませんので、ここでついでにちょっと宣長の国学のほーの書物もゆっときます。まず、『源氏物語』の本質を「もののあはれ」だとゆった『源氏物語玉の小櫛〈げんじものがたりたまのおぐし〉』。同じく『源氏物語』の研究書の『石上私淑言〈いそのかみのささめごと〉』。それから、『古事記』についての研究の『古事記伝〈こじきでん〉』。あと、弟子に国学の心得を説いた『うひ山ぶみ〈ういやまぶみ〉』とかね……、覚えておいてください。
国学は、宣長の前に、『万葉代匠記〈まんようだいしょうき〉』の契沖〈けいちゅう〉、万葉集の歌風を「ますらをぶり」と呼んだ『万葉集考』〈まんようしゅうこう〉の賀茂真淵〈かものまぶち〉がいます。 |
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