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楼主: junshan_yin

[本科专业课] 日本文学史

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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:00:25 | 显示全部楼层
■近代文学史
第1章
近代文学、生まれる
第2章
浪漫主義の時代
第3章
自然主義の時代
第4章漱石と鴎外
第5章
大正は三つの個性
第6章
昭和はいっぱい
第7章
現代の文学
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:00:45 | 显示全部楼层
第1章
近代文学、生まれる
ドンっと言っておきます。近代文学、つまりイマの文学が始まるのは、明治二〇年です。二葉亭四迷〈ふたばていしめい〉の『浮雲〈うきぐも〉』。それまでは、まあ、今ゆう意味での、文学、はなかったわけです。明治になったら、突然、イマ、近代になったような気がしてるでしょう。そーじゃないんです。明治二〇年までは、……明治は四五年までやから、つまり明治時代の半分は、江戸の続きなのです。これは、いろんな意味でそーです。明治一八年、内閣制度制定。明治二一年、大日本帝国憲法発布。明治二三年、第一帝国議会召集。やーっとこの頃から、日本は近代っぽくなるんです。明治二〇年に、伊藤博文が、憲法を一生懸命考えはじめました。その同じ年に、二葉亭四迷が、一生懸命、『浮雲』を書いてたわけです。
で、二葉亭四迷〈ふたばていしめい〉『浮雲〈うきぐも〉』、何が、キンダイ、なのかと言いますと、彼は、現実をありのままに、写そうと考えたのです。現実を写す、……写実主義〈しゃじつしゅぎ〉といいます。江戸時代までの文学は、遅れた考えをもって世の中を見ておる。いかん。勧善懲悪〈かんぜんちょうあく〉だの情緒だの、そんな古い考えに目をくもらせては、いかん。そんな考えは捨てて、現実をありのままに、科学的に、正しく把握するのが、近代人なのだ。ありのままの人間を書くのだ。言葉も、われわれは古文で話しているわけではないのだから、話しているとおりの言葉で書くのが、近代文学なのだ。言文一致体〈げんぶんいっちたい〉である。……なーんて、考えたわけです。で、書いたのが、『浮雲』。内海文三〈うつみぶんぞう〉というやつが、恋にウジウジ悩む心の様子が、アリノママニ写してあります。
二葉亭四迷って名前、なんか落語家みたいですが、親から、小説なんか書いてる道楽者は、くたばってしめえ、と言われて、くたばってしめえ、ふたばってしめえ、ふたばてえしめえ、ふたばていしめい、……てなわけでついたペンネームだとゆーことです。
その二葉亭四迷の先生が、坪内逍遥〈つぼうちしょうよう〉という人です。『小説神髄〈しょうせつしんずい〉』という評論に、さっき言ったような、江戸時代の文学はいかん、現実の人間をありのままに写せ、写実主義じゃ、といったようなことが書いてあるわけです。坪内逍遥は、そーゆー考えで、自分でも、『当世書生気質〈とうせいしょせいかたぎ〉』という小説を書きましたが、エラそうなことを言ったわりに、これは失敗でした。
どーですか。あなたは、現実をありのままに写す、という考え方に賛成ですか、反対ですか?あなたは、ありのままを言葉にするほうですか?YESですか、NOですか?なにか、性格診断みたいですが、賛成の人、YESの人、は、現代評論を読むときには、気をつけてください。現代評論は、ありのままに見ることにより真実をとらえ得る、という近代の考えにたいして、批判的です。人間はありのままの真理をすべて知り尽くすことが可能だ、そういうふうに考えた近代文明こそが、人間を、自然を、ここまでボロボロにしてしまったからなんです。
そんな近代化にたいして批判的な人は、当時もいました。尾崎紅葉〈おざきこうよう〉と幸田露伴〈こうだろはん〉のふたりです。日本全国、近代化、西洋化、とゆうてるときに、がんこに江戸にこだわった二人です。坪内逍遥と二葉亭四迷が、ホテルのフランス料理のシェフだとすれば、尾崎紅葉と幸田露伴は、横丁のおでんやのがんこおやじ、ってぇところでんな。おしゃれっぽいOLなんかが行ったりすると、「てめえらにこの味がわかってたまるか。べらんめえ。」なんてどなるんだ、これが。でも、そんなのが、ウケル。尾崎紅葉、『金色夜叉〈こんじきやしゃ〉』。あと、尾崎紅葉は『多情多恨〈たじょうたこん〉』とか。硯友社〈けんゆうしゃ〉という文学グループのボスでもあります。他方、幸田露伴は、まさにがんこに一人でがんばって、『五重塔〈ごじゅうのとう〉』とか、書きました。
さて、明治二〇年以前にどんなのがあったのか、ざっとゆっときまひょ。仮名垣魯文〈かながきろぶん〉の『安愚楽鍋〈あぐらなべ〉』みたいな、江戸時代そのままの戯作文学〈げさくぶんがく〉。矢野龍渓〈やのりゅうけい〉の『経国美談〈けいこくびだいん〉』や東海散士〈とうかいさんし〉の『佳人之奇遇〈かじんのきぐう〉』みたいな、自由民権運動の主張ばっかしでちょっと文学とはいえない政治小説〈せいじしょうせつ〉。あと、まーこれはもともと文学ではないのですが、福沢諭吉〈ふくざわゆきち〉の『学問ノスゝメ〈がくもんのすすめ〉』が書かれたのも、この時期です。
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:01:02 | 显示全部楼层
第2章
浪漫主義の時代
長い間重くのしかかっていた封建制のおもしは、今や、二葉亭四迷〈ふたばていしめい〉によって、取り払われた。自由な個人。なにものにもとらわれない、ありのままの自分を書くんだ。近代文学!明治二〇年、そんな気分です。
ちょーど、大学一回生みたいなもんです。高校、受験勉強、親、そんないろんな束縛からいっきに解放される。はやくそーなってください。で、そーなると、どーなるかとゆーと、……オメメキラキラ。自由。夢。恋。愛。快楽。幻想。「大学生ドライブお食事ブイブイと」という川柳を書きながら勉強をしていた高三の女の子がいましたが、まさにそんな世界に一直線なわけです。しかし、これが、三回生、四回生となってくると、だんだんほんまの現実が見えてくる。遊んでも遊んでもむなしい。受験生のときは大学という目標に向かってひたすらがんばった、それなのに、その大学での生活にはなんの目標もなく、ただ毎日が過ぎてゆくだけ。彼女はできた、しかし、それが、泥沼。……自由なだけに、汚くむなしい現実が見えてくる。
そんなコースを、明治後半の文学もたどるわけです。オメメキラキラの一回生が、明治二〇年代から三〇年代前半の浪漫主義〈ろうまんしゅぎ〉。ロマンチックなんです。それにたいして、汚くむなしい現実を知ってしまった三回生、四回生が、三〇年代後半から四〇年代の自然主義〈しぜんしゅぎ〉。そーゆーわけです。
それじゃーまず、この章では、オメメキラキラ、自由、恋、愛、幻想……の浪漫主義の人たちを見ましょう。あ、そーそー、近代文学史は、この主義とか派とかを、きっちり覚えてください。何主義の作家誰それが何という作品を書いたか、そーゆー覚え方をしてください。
で、浪漫主義の人ですが、まず、浪漫主義のお父さんみたいな人。森鴎外〈もりおうがい〉〔※〕です。まあ、鴎外という人は、浪漫主義というワクにおさまりきる人じゃぁありませんから、次の次の章で詳しくやりますが……。鴎外の浪漫主義的作品といえば、教科書で読むよね、『舞姫〈まいひめ〉』を、明治二三年に書きました。鴎外自身がモデルの太田豊太郎〈おおたとよたろう〉、すげえ秀才なんですが、こいつがドイツに留学する。で、今までボンボンだったやつが自由な雰囲気の中で、自我の目覚めってぇやつを経験しちゃう。恋。エリスという不幸な少女と恋に落ちるわけです。エリスは妊娠する。しかし、当時の留学ってのは近代国家建設のための学問を日本にもたらすという任務をしょって、一家の希望の星として、行ってるわけですから、そんなことやってるバアイじゃなくなる。豊太郎は、結局、エリスを裏切って日本に帰ってしまう。ひどい。「豊太郎ぬし、かくまで、われを、あざむきたまいしか!」〔豊太郎さん!こんなにまで、私を、裏切ったのねっ!〕エリスは発狂してしまうのである。高校生のときは、豊太郎を、「人間じゃない」と思いました。しかし、今では、人間というのは、そのときそのときどうしようもないことがあるような気がします。そして、後悔しつづけるのですね。
次に、北村透谷〈きたむらとうこく〉。『文学界〈ぶんがくかい〉』という浪漫主義の雑誌の中心メンバーでした。『内部生命論〈ないぶせいめいろん〉』という評論で、キリスト教思想に基づいて、恋愛を人間内部の生命として賛美してます。内部生命なんてゆーと難しそうですが、ようするに「恋、それは心の命を燃やすこと」みたいなことです。今ではあまり読まれていない人で、名前もあんまり知らないと思いますが、キリスト教の教会のあの美しい雰囲気とイメージ的に重なって日本人の「恋愛」観を変えてしまった人です。今たいていの人が持っている恋愛イメージは、実はこの透谷さん的なイメージが源流にあるわけです。他には、評論の『厭世詩家と女性〈えんせいしかとじょせい〉』『人生に相渉るとは何の謂ぞ〈じんせいにあいわたるとはなんのいいぞ〉』、詩の『楚囚之詩〈そしゅうのし〉』『蓬莱曲〈ほうらいきょく〉』があります。
とっても純粋な人で、いっぱい悩んで公園の木で首をつって自殺をしました。そのとき親友の島崎藤村は「おれは、汚くてもいいから生きていたい」って言ったんだってさ‥‥。北村透谷、君たちはあんまり知らない人だけど、入試にはよく出ます。
樋口一葉〈ひぐちいちよう〉、女性です。代表作『たけくらべ』は、東京下町を舞台に、美少女美登利〈みどり〉とぼんさんの真如〈しんにょ〉さんの、恋の目覚めを描いた小説です。ほかに、『にごりえ』も覚えておいてください。
泉鏡花〈いずみきょうか〉、なんて、名前からして、浪漫主義っぽい。『高野聖〈こうやひじり〉』。幻想的な、ちょっとアヤシイ小説です。実はわたしは大学の卒論でこの『高野聖』について書きました。深い山の中に美女が住んでるんですが、こいつが魔物なわけです。彼女に近づく男は、畜生に変えられる。女はこの世とあの世をつなぐ存在なわけです。ちょうどその年、岡田有希子というアイドルが飛び降り自殺をして、何人もの少年少女が吸い込まれるように後を追いました。中森明菜の後ろに岡田有希子の幽霊が見えた、という電話がテレビ局に全国からかかってくる、なんて事件もありました。……その後何年かして中森明菜が自殺を図ったというニュースを聞いたとき、そのことが印象に残っていたわたしは、ひそかにぞっとしました。後を追った少年少女たちと同じように、中森明菜も後を追うことになる、というひそかな予感があったからです。……まあ、それはよいとして、わたしは卒論の最初に、岡田有希子のことを書いてしまったのです。むろん教授からは、嘲笑され、たいへん悪い点でした。ほかに、『婦系図〈おんなけいず〉』とか『歌行燈〈うたあんどん〉』とか、ありますねん。
それから、国木田独歩〈くにきだどっぽ〉は、『武蔵野〈むさしの〉』。独歩は、まさに、さっき言った大学生のようなコースをたどって、自然主義に移ります。
徳富蘆花〈とくとみろか〉の『不如帰〈ほととぎす〉』は、尾崎紅葉〈おざきこうよう〉の『金色夜叉〈こんじきやしゃ〉』とならんで近代文学の大ベストセラーです。
さて、今までは小説ですが、詩や短歌の方でも浪漫主義の人たちがでてきます。
まず、詩では、島崎藤村〈しまざきとうそん〉がいます。『若菜集〈わかなしゅう〉』という詩集で、「まだあげそめし前髪の林檎〈りんご〉のもとに見えしとき」〔大人になるために切ったばかりの君の前髪が林檎の木のもとにふと見えたとき‥‥〕なんてかんじで、美しく恋愛を歌っています。藤村もまた、自然主義に移ってゆきます。森鴎外が、『於母影〈おもかげ〉』という西洋の浪漫主義の詩を訳した訳詩集をつくったりもしています。
そう、それから、詩の世界では、これら浪漫詩の次に象徴詩〈しょうちゅうし〉というのが出てくるんです。ついでにやっておきましょう。上田敏〈うえだびん〉の『海潮音〈かいちょうおん〉』。これは訳詩集です。あと、蒲原有明〈かんばらありあけ〉の『春鳥集〈しゅんちょうしゅう〉』、薄田泣菫〈すすきだきゅうきん〉の『白羊宮〈はくようきゅう〉』。
それから、浪漫主義の短歌。短歌では、与謝野晶子〈よさのあきこ〉。夫の与謝野鉄幹〈よさのてっかん〉と『明星〈みょうじょう〉』という雑誌をつくり、まさにオメメキラキラの挿し絵なんか載せてました。だから、彼女たちのことを明星派〈みょうじょうは〉っていいます。少女マンガ雑誌の元祖みたいなもんです。与謝野晶子の歌集は、『みだれ髪〈みだれがみ〉』を覚えておいてください。テレビのCMに、「やわ肌の熱き血潮にふれもせで悲しからずや道を説く君」という、彼女の歌が使われてました。勉強してばかりいないで、私の熱い肌に触れてみたら、ウッフン、とゆってるわけですね。
※森鴎外の「鴎」は、ほんとは「メ」が「口」三つです。パソコンでは出ないんです、この字……。調べてね。
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:01:30 | 显示全部楼层
第3章
自然主義の時代
オメメキラキラの浪漫主義〈ろうまんしゅぎ〉の時代は終わります。
浪漫主義の時代、つまり、明治二〇年代から明治三〇年代前半ってゆーのは、社会的に言っても、西洋に追いつけ追いこせ、近代国家への道を突っ走り、明治二七年にゃ日清戦争に勝ち、明治三七年にゃ日露戦争に勝ち、日本全体が夢と希望に満ちあふれ、かなりハイになっていたんです。
ところが、その日露戦争以降日本の社会はおかしくなってくる。オメメキラキラ、なりふりかまわずつっ走ってきたことのツケがまわってくるのです。貧困。差別。いろんな問題が見えてくる。あんなにすばらしく見えた「愛」や「恋」も、実はドロドロした汚れた性欲に過ぎなかったのだ。世の中の現実は、浪漫主義が描くみたいなキレイゴトじゃすまない。世の中の醜いきたない面をありのままに描くのだ。……そう、自然主義の人たちは考えたわけです。
ゾラというフランスの文学者が自然主義の本家なんで、そのゾラの影響もあります。もっともゾラの自然主義は、科学的、実証的、という意味で、ありのままに醜いところも含めきちんと正しく事実を見る、ということなんですが、それが日本に入ってくると、まー日本人ってそーですが、やたら感情的に、ドロドロしてしまう。作家が自分の不倫を赤裸々に告白する、なんて、ミョーにウチにこもった陰気なものになってしまう。そんなこんなで、最近は自然主義というのはめっちゃ評判が悪いのです。このへんのことは、けっこう、入試問題のテーマとしてもでてきます。
で、自然主義〈しぜんしゅぎ〉は、まずまず、とにかくこの二つ、覚えておいてください。島崎藤村〈しまざきとうそん〉の『破戒〈はかい〉』と田山花袋〈たやまかたい〉の『蒲団〈ふとん〉』です。『破戒』は明治三九年、『蒲団』は明治四〇年に書かれます。
島崎藤村の『破戒』。自然主義は、さっき言ったように、最近評判悪いんですが、これは、なかなかリッパなもんです。そーいわれてます。きちんと、差別とか社会的な問題が、ヘンにドロドロすることなくきっちり描かれているんです。
瀬川丑松〈せがわうしまつ〉という青年教師が、被差別部落出身なわけで、父親からも、ぜったい自分が部落の人間だということは隠しとおせ、そうでないと社会的に抹殺される、と言われている。しかし、瀬川丑松は、父親の戒めを破り、……だから「破戒」なんですが、……自分が被差別部落の人間であることを告白する。そんな小説です。世の中、きれいごとだけじゃないことを、きちんと目を開いて、見ようとしてる。
藤村はほかに、『春〈はる〉』とか『家〈いえ〉』とか『夜明け前〈よあけまえ〉』とか『新生〈しんせい〉』とか書きました。それから、藤村は、もともとは浪漫主義の詩人で、『若菜集〈わかなしゅう〉』という詩集があったことも思い出しておいてください。
てなわけで、藤村の『破戒』は、社会の醜い部分をきっちりと描いたわけですが、田山花袋の『蒲団』のへんから、ドロドロウジウジの方向へ行ってしまう。小説家が、自分の醜さを、膿〈うみ〉を出すように書いてゆく。自分がモデルの小説家と女の弟子がフリンして、‥‥。
まー、このあたりから、日本の小説ってのは、全体的にそっちの方へ行くわけです。なんか日本の小説って、暗いですよね。しんきくさい。読んでいると、こっちの気持ちまで滅入ってしまう。……とか、ゆいながら、実は、そんな暗い小説が、ひそかに、好きだったりするわけです。いやや……。
田山花袋は、ほかに『田舎教師〈いなかきょうし〉』とか、書いてます。
あと、自然主義では、『新所帯〈あらじょたい〉』『黴〈かび〉』の徳田秋声〈とくだしゅうせい〉。うーん、『黴〈かび〉』か……。自然主義らしいタイトルや。今、こんなタイトルのドラマがあったら、ぜったいヒットしないよね。「次の月9、タイトルは『黴〈かび〉』!」とかね……。ほかに、『何処へ〈どこへ〉』の正宗白鳥〈まさむねはくちょう〉、『耽溺〈たんでき〉』の岩野泡鳴〈いわのほうめい〉くらいですか。
それから、短歌の方では、石川啄木〈いしかわたくぼく〉を覚えておいてください。「ふるさとの訛〈なまり〉なつかし停車場の人ごみのなかにそを聴きにゆく」〔故郷の方言が懐かしいべ。上野駅の、地方からの上京者の人混みに行ったら方言が聞けるべ。聞きに行くべ。〕とか知ってるでしょう。岩手県の人間が東京に出てくる。時代的に言っても、「孤独な都会」ってのが形成される時期ですが、ふるさとが懐かしいわけです。まあ日本人というのは、「トレンディ」な東京人も実はイナカモン、なわけですから、こーゆー郷愁を心の奥底に隠しもっている。一見めちゃオシャレな人も、実は、故郷から送られてくるミカンをごっつい楽しみにしてたりする。したがって石川啄木は日本人に国民的な人気があるわけです。『一握の砂〈いちあくのすな〉』『悲しき玩具〈かなしきがんぐ〉』という歌集があります。あと、啄木と同時期に、若山牧水〈わかやまぼくすい〉という歌人もがんばりました。
あ、ついでですから、自然主義とは無関係なんですが、ほかでやる章がないから、ここで正岡子規〈まさおかしき〉をやっておきましょう。根岸短歌会〈ねぎしたんかかい〉というのをつくって、『歌よみに与ふる書〈うたよみにあたうるしょ〉』という評論で、ごちゃごちゃ技巧を使わない「写生〈しゃせい〉」を主張しました。あと、子規は俳句の方でもがんばってて、『ホトトギス』という雑誌を作っています。『病牀六尺〈びょうしょうろくしゃく〉』という随筆もあります。
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:01:48 | 显示全部楼层
第4章漱石と鴎外
明治四〇年くらいから、文学の世界は、もー自然主義一色。みーんな、ゾラの自然主義理論を輸入して、輸入したのはいいけれど、これが、結局日本的な自然主義になっちゃって、ただダラダラウジウジと、赤裸々な告白とかゆって自分の醜さとかなんとかを書きつづけているだけ。
そんなときに、独自の文学をきちんとやってはったのが、みなさんもよくご存知のソーセキとオーガイです。自然主義に対抗して、我が道を行ってたんです。だから、ソーセキとオーガイは、文学史的には、反自然主義〈はんしぜんしゅぎ〉って言い方をします。別に、ソーセキとオーガイが、肩組んで、自然主義反対ってやったわけじゃないんですが、二人の巨匠が自然主義に対抗するかたちで独自のちゃんとした文学を並行して書きつづけていたので、まぁひっくるめてそーいう言い方をするわけです。
そう、主義ってことでゆえば、オーガイはもともとは浪漫主義〈ろうまんしゅぎ〉の人だったわけです。しかし、のち、そんな浪漫主義ってなせまいワクにはおさまらないよーな巨匠になってしまったので、結局はあんまり、鴎外は浪漫主義、みたいな言い方をしないのです。まあ、難しいことゴチャゴチャゆってもなんですから、〈鴎外=浪漫主義&反自然主義〉とゆーふーに覚えといたらよかろー。
で、ソーセキとオーガイ、それぞれやりますが、この二人はなんてったって巨匠ですから、作品名をたくさん覚えてください。
まず、森鴎外〈もりおうがい〉〔※〕。この人は、本当は、お医者さんです。軍医なんです。医学を勉強するために、ドイツに留学しました。当時、日本は極東のちっちゃいちっちゃい後進国だったわけで、今みたいにバンバン留学できるわけじゃない。国をしょって立つ、まさに「末は博士か大臣か」みたいな大大大秀才が留学するのです。サンコンさんだってそーです。後進国ギニアの超一流大学の大大大秀才が、先進国日本に来ているわけです。森鴎外は実はサンコンさんだったのです。そのときのことを書いたのが、浪漫主義の代表作『舞姫〈まいひめ〉』でした。
その後、鴎外は浪漫主義のワクにはおさまりきらないいろいろな作品を書いて大作家になってゆきます。自分の性的経験を書いた『ヰタ・セクスアリス』。「ヰ」は「イ」です。それから、『青年〈せいねん〉』『雁〈がん〉』『妄想〈もうそう〉』。『雁』は、なんか、やたらよく問題で見かけます。こいつらは現代小説ですが、大正時代になると鴎外は歴史小説〈れきししょうせつ〉を書くようになります。『阿部一族〈あべいちぞく〉』『山椒太夫〈さんしょうだゆう〉』『高瀬舟〈たかせぶね〉』。そしてさらに、『渋江抽斎〈しぶえちゅうさい〉』のように、史実に基づいた史伝を書くようになります。フィクションの小説にではなく、歴史の中にこそ鴎外は重い重い人間の存在を見いだしたのです。
まだまだあります。翻訳詩集の『於母影〈おもかげ〉』。アンデルセンの翻訳の『即興詩人〈そっきょうしじん〉』。『しがらみ草紙〈しがらみぞうし〉』という文芸雑誌もつくりました。
つぎに、夏目漱石〈なつめそうせき〉。もともとは英文学の学者さんです。漱石も鴎外も、専門の小説家ではないんです。で、漱石はイギリスに留学します。学校の先生をしたりもしてます。漱石は精神的ストレスから胃が悪くて、友人の正岡子規〈まさおかしき〉から、「小説でも書いて気晴らしせーや」(と関西弁では言ってないが)と言われて書いた『吾輩は猫である〈わがはいはねこである〉』を書いたら大ヒットしてしまった。
漱石の作品は、皆さん、いろいろ知ってますよね。文学史年表みたいなのをプリントにして、作品名が書いてあって、「ハイ、作者名を書いて下さい。」というと、ほとんど白紙で、ただ夏目漱石の名前が数ヶ所書かれてる、なんてことがアリガチです。処女作が、『吾輩は猫である』。明治の近代文明批評が猫の目から行われてる。続いて、『坊ちゃん〈ぼっちゃん〉』『草枕〈くさまくら〉』。前期三部作の『三四郎〈さんしろう〉』『それから』『門〈もん〉』。後期三部作の『彼岸過迄〈ひがんすぎまで〉』『行人〈こうじん〉』『こころ』。『こころ』は、たいてい学校でやりますよね。「先生の遺書」ってやつです。「先生」は恋人を得るために親友「K」を裏切る。エゴイズム。漱石は、近代人のエゴイズムの問題を追究した人です。「日本の近代は上滑〈うわすべ〉りだ。西洋の個人主義は他人の個人も尊重し自分の個人も尊重するが、日本の個人主義は『自分さえよければそれでいい』になってしまった。」って悩んだんです。ほら、誰でも「自分さえよければ」な自分に悩むことってあるでしょ。漱石が近代作家の中で最も読み継がれてるのは、やはり、近代日本人がみんな背負ってる問題に真正面から取り組んだからなんです。
そして、『道草〈みちくさ〉』。漱石がちょっと自然主義っぽく自己を告白して書いた自伝的作品です。この『道草』なんだかよく入試に出てます。で、絶筆(最後の作品のこと)、『明暗〈めいあん〉』。『明暗』は、これを書いている途中で漱石が死んでしまったので、未完です。エゴイズムを持たないことをゆう「則天去私〈そくてんきょし〉」ってゆう言葉は有名です。
あと、評論に『現代日本の開化〈げんだいにほんのかいか〉』とか『私の個人主義〈わたくしのこじんしゅぎ〉』とかあるとか、友人の正岡子規に俳句を学び、その影響受けてるとか、芥川龍之介〈あくたがわりゅうのすけ〉が漱石の弟子だとか、漱石についてはそんなこともいろいろ覚えておいてください。
※森鴎外の「鴎」は、ほんとは「メ」が「口」三つです。パソコンでは出ないんです、この字……。調べてね。
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:02:16 | 显示全部楼层
第5章
大正は三つの個性
さあ、時代は大正時代になります。大正といえば、大正デモクラシー。ハイカラなモボやモガたちが街を闊歩〈かっぽ〉した自由な時代です。日本もめでたく一流国の仲間入りをさせていただき、明治時代に現われかけてた社会的矛盾もなんとなく帳消しになって、ふわふわと豊かで幸せだった時代です。実はそんな繁栄、単なる幻想にすぎず、昭和になるとともにバブルのようにはじけて、暗黒の戦争の時代に突入してしまうんですけどね。そう。大正って、平成に似ています。平成も大正もバブルの時代です。そして、バブルがはじけて破滅に向かっていった時代です。世界は激変しているのに、日本の中だけは矛盾に気づかないふりして、妙に無風状態で、ふわふわと実体のない幸福に自足している。大正も平成もそんな時代なんです。
とはいえ、よく言えば、大正時代は、自由にいろいろな個性が開花した時代。ひたすら「キタナイ現実、ミニクイ人間、ドロドロ……」だった自然主義にたいしていろんな文学が出現してきます。
まずは、官能の美つまりエッチの快感の美の世界を追求しまくる耽美派〈たんびは〉。社会的な現実とか人間性の向上とかそんなものカンケーない。楽しければ、美しければ、気持よければ、それでいー。ひたすらそっちの世界の美に耽〈ふけ〉り、ときには変態、倒錯の世界までイッチャウ。そーゆーのを難しくゆうと、感覚的・享楽的・退廃的・芸術至上主義的とゆー。河村隆一とかGacktとかも、ある意味耽美派だ。椎名林檎も耽美派だ。そんな世界の人が、永井荷風〈ながいかふう〉と谷崎潤一郎〈たにざきじゅんいちろう〉。永井荷風は、『あめりか物語〈あめりかものがたり〉』『ふらんす物語〈ふらんすものがたり〉』『冷笑〈れいしょう〉』『すみだ川〈すみだがわ〉』『腕くらべ〈うでくらべ〉』『●東綺譚〈ぼくとうきたん〉』〔※〕などで、おもに江戸情緒の美を描きました。どっちかってゆうと永井荷風のほうは『冷笑』なんてふうにクールな遊び人で、ニヒルな冷笑を浮かべながら江戸の遊廓〈ゆうかく〉あたりをさまよってたわけです。谷崎潤一郎は『刺青〈しせい〉』『痴人の愛〈ちじんのあい〉』『春琴抄〈しゅんきんしょう〉』『細雪〈ささめゆき〉』『鍵〈かぎ〉』。谷崎のほうはもうモロ官能の世界です。谷崎のカンノーの美の世界のファンは今でもけっこー多いようです。あと、詩の方では『邪宗門〈じゃしゅうもん〉』の北原白秋〈きたはらきくしゅう〉がいます。『スバル』という雑誌で活躍しました。
そんな耽美派のよーなやつがいるかと思えば、それとは反対にやたら優等生的な、理想的な人格を目指しちゃうのが白樺派〈しらかばは〉。他人に惑わされず、しっかり自分の自我を確立し、大切なのは愛情と友情……みたいな……。武者小路実篤〈むしゃのこうじさねあつ〉の『友情〈ゆうじょう〉』なんて、恋愛の競争に敗れて、ラストで、「僕は負けない。がんばるぞ」とか決意してしまうんだから。あと武者小路さまには、『お目出たき人〈おめでたきひと〉』とか戯曲の『その妹〈そのいもうと〉』とかがあります。そう、白樺派ってのは、学習院大学出身の皇族のおぼっちゃまの一派です。「武者小路」なんて名字、いかにもそれっぽいですよね。志賀直哉〈しがなおや〉は、『和解〈わかい〉』『大津順吉〈おおつじゅんきち〉』『暗夜行路〈あんやこうろ〉』。そして有島武郎〈ありしまたけお〉は、『或る女〈あるおんな〉』。『惜しみなく愛は奪う〈おしみなくあいはうばう〉』というエッセーもあります。それから、詩の世界の高村光太郎〈たかむらこうたろう〉もこの派の流れです。それまでの詩ってゆうのは文語詩〈ぶんごし〉で、「我が思ひはナンタラカタラなり。」みたいな調子だったのですが、光太郎が『道程〈どうてい〉』や『智恵子抄〈ちえこしょう〉』で「いやなんです、あなたの行ってしまうのが」とか「東京には空がないと智恵子は言う」みたいな、ぼくたちが普通に使う言葉で書いた口語自由詩〈こうごじゆうし〉をつくりだしたんです。
それから、芥川龍之介〈あくたがわりゅうのすけ〉に代表される理知派〈りちは〉。芥川の写真、教科書かなんかで見たことあるでしょうか。いかにも頭キレそーで、頬〈ほお〉がこけて眼がギョロっとしてて、ほんま理知派っーて雰囲気です。理知派のほかに新現実主義〈しんげんじつしゅぎ〉ってゆう言い方もします。芥川の作品もみなさんよく知ってますよね。『羅生門〈らしょうもん〉』は、「下人〈げにん〉の行方は誰も知らない。」ってのですね。ほかに、『戯作三昧〈げさくざんまい〉』『河童〈かっぱ〉』『歯車〈はぐるま〉』『鼻〈はな〉』『トロッコ』『杜子春〈とししゅん〉』『地獄変〈じごくへん〉』『芋粥〈いもがゆ〉』。もうひとり、菊池寛〈きくちかん〉。文芸春秋社〈ぶんげいしゅんじゅうしゃ〉をつくりました。芥川の親友で、芥川賞を創設したのもこの菊池さんです。菊池さんの作品としては、『忠直卿行状記〈ただなおきょうぎょうじょうき〉』『父帰る〈ちちかえる〉』があります。で、この二人のことを、『新思潮〈しんしちょう〉』という雑誌中心に頑張ってたので、新思潮派〈しんしちょうは〉と特に言います。あと、理知派・新現実主義って言われる中に、三田派〈みたは〉ってのがあって、『田園の憂鬱〈でんえんのゆううつ〉』を書いた佐藤春夫〈さとうはるお〉、『性に目覚める頃〈せいにめざめるころ〉』『幼年時代〈ようねんじだい〉』を書いた室生犀星〈むろうさいせい〉がいます。犀星は、詩人でもあり、『抒情小曲集〈じょじょうしょうきょくしゅう〉』『愛の詩集〈あいのししゅう〉』があります。あと、詩の方でこの感じに近いのが萩原朔太郎〈はぎわらさくたろう〉。こいつの写真も病的です。題名もビョーキっぽい。『月に吠える〈つきにほえる〉』とか『青猫〈あおねこ〉』とか……。口語自由詩の完成者。近代詩の完成者です。だいたい近代なんてビョーキの時代なんです。ついでに、特に何派とかじゃない人もゆっときます。訳詩集『月下の一群〈げっかのいちぐん〉』の堀口大学〈ほりぐちだいがく〉。宮沢賢治〈みやざわけんじ〉の『春と修羅〈はるとしゅら〉』。彼は、『銀河鉄道の夜〈ぎんがてつどうのよる〉』や『セロ弾きのゴーシュ〈せろひきのごーしゅ〉』などの童話で有名ですよね。
あ、短歌を見ておきましょう。短歌の方面では正岡子規〈まさおかしき〉の流れでアララギ派ってのが作られました。伊藤左千夫〈いとうさちお〉って人が『アララギ』という短歌雑誌を作ったのですが、この伊藤さんは『野菊の墓〈のぎくのはか〉』という小説の方で、どっちかというと有名になっちゃいました。長塚節〈ながつかたかし〉もアララギ派の歌人ですが、この人も『土〈つち〉』という小説で有名です。で、このアララギ派でいちばん重要なのが、斉藤茂吉〈さいとうもきち〉。自然と自我を一体化させるのだ!ってイミの「実相観入〈じっそうかんにゅう〉」ってことをいってはります。歌集としては『赤光〈しゃっこう〉』『あらたま』があります。俳句の方では河東碧梧桐〈かわひがしへきごとう〉が五・七・五にとらわれない自由律〈じゆうりつ〉の俳句を始めましたが、正岡子規の弟子の高浜虚子〈たかはまきょし〉が『ホトトギス』を受け継ぎ、自由律に対抗しました。
なんてふうに大正時代には、小説の方で、三派がそれぞれの文学を開花させました。派と作家と作品、きっちり暗記してください。
※『●東綺譚〈ぼくとうきたん〉』の「ボク」は、「さんずい」の右に「黑」そして「黑」の下に「土」です。パソコンでは出ないんです。調べてね。
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:04:00 | 显示全部楼层
第6章
昭和はいっぱい
大正のバブルの繁栄がはじけて、社会の矛盾が浮き彫りになってきて、いろんな問題がでてきます。世界の激動の中に日本も巻き込まれてゆきます。激動の昭和、ってやつです。そーゆー時代になってくると、社会的な問題と対決しようとするやつと芸術の世界に閉じこもろうとするやつが両極端になってくる。
社会的な問題と対決しようってのが、プロレタリア文学ってやつです。資本主義社会の中でどんどん労働者は貧困になってゆく。資本家はどんどん肥え太ってゆく。万国の労働者よ、団結せよ。資本主義社会を打倒せよ。階級闘争だ!革命だ!プロレタリア(労働者)革命だ!共産主義万歳!ってことになってくる。そーゆーことを書いたのが、プロレタリア文学とゆうものです。まあ、今の君たちが読んでいちばーーん面白くない文学の種類なんじゃないでしょうか。なんといっても、一億総中流社会。みんな、そこそこの幸福。不満もあるけど、誰も革命起こしてまでこの社会を変えようなんて思わない。そんな感じだし。だけど、ニュー・リッチとかニュー・プアーとかいう言葉聞いたことありませんか、ひそかに金持ちと貧乏人の格差がどんどん開き始めているのです。土地持ってるやつとそーでないやつとの差、とか。平成は大正なのです。大正時代のハイカラさんたちだって、まさかそんな時代になってゆくなんて夢にも思わなかったんだから。平成の次の時代が、昭和の初めのような貧困と戦争の暗黒の時代にならないようにと、祈るのみです。で、プロレタリア文学で、まず覚えたいのが、小林多喜二〈こばやしたきじ〉の『蟹工船〈かにこうせん〉』。オホーツク海で操業する蟹工船で、雇い主からひどい労働条件を強いられる労働者たちが反乱を起こす様子が描かれています。ほかに、宮本百合子〈みやもとゆりこ〉の『伸子〈のぶこ〉』『播州平野〈ばんしゅうへいや〉』、葉山嘉樹〈はやまよしき〉の『海に生くる人々〈うみにいくるひとびと〉』、徳永直〈とくながすなお〉の『太陽のない街〈たいようのないまち〉』、中野重治〈なかのしげはる〉の『歌のわかれ〈うたのわかれ〉』などがあります。
そんなプロレタリア文学に対して、ひたすら芸術の世界に走ったのが、新感覚派〈しんかんかくは〉とか新興芸術派〈しんこうげいじゅつは〉とか新心理主義〈しんしんりしゅぎ〉とかの人たちです。まず新感覚派から。横光利一〈よこみつりいち〉って人が、『日輪〈にちりん〉』『春は馬車に乗って〈はるはばしゃにのって〉』『機械〈きかい〉』『旅愁〈りょしゅう〉』などを書きました。『純粋小説論〈じゅんすいしょうせつろん〉』という評論も、書いてます。横光さん、最近は人気ありませんから、名前も聞いたことないってひとが多そうですが、文学史的にはけっこーメジャーなやつで、よく出ますから覚えておいてください。それから、川端康成〈かわばたやすなり〉。ノーベル賞受賞者ですね。とても繊細な文体で日本的な美を描いた。『伊豆の踊り子〈いずのおどりこ〉』『雪国〈ゆきぐに〉』『禽獣〈きんじゅう〉』『千羽鶴〈せんばづる〉』『山の音〈やまのおと〉』です。『千羽鶴』は、別段優れた作品でもないのですが、なぜかよく選択肢として登場してますので、しっかり覚えておいてください。この新感覚派の人たちは『文芸時代〈ぶんげいじだい〉』という雑誌を中心にがんばりました。次に、新興芸術派が『山椒魚〈さんしょううお〉』『黒い雨〈くろいあめ〉』『屋根の上のサワン〈やねのうえのさわん〉』の井伏鱒二〈いぶせますじ〉と『檸檬〈れもん〉』の梶井基次郎〈かじいもとじろう〉。そして、新心理主義が堀辰雄〈ほりたつお〉。堀辰雄は、『風立ちぬ〈かぜたちぬ〉』『聖家族〈せいかぞく〉』『美しい村〈うつくしいむら〉』『かげろふの日記〈かげろうのにっき〉』とか、です。「意識の流れ」ってことをゆってて、人間の心理・意識の変化それ自体をストーリーの流れとして描いてゆくわけです。あと、何派とかには入っていないんですが、中島敦〈なかじまあつし〉も覚えておかなくちゃ。ガッコーでぜったいやるやつ。『山月記〈さんげつき〉』。ほら、あの、虎になっちゃうの。プラス『李陵〈りりょう〉』。
詩もさっとやっておきましょう。超現実派〈ちょうげんじつは〉は三好達治〈みよしたつじ〉『測量船〈そくりょうせん〉』。彼の「あはれ花びら流れ、おみなごに花びら流れ」だったかな、『甃の上〈いしのうえ〉』という詩は、教科書かなんかで読んだことがあるのではないでしょうか。と西脇順三郎〈にしわきじゅんざぶろう〉『あむばるわりあ』。四季派〈しきは〉は中原中也〈なかはらちゅうや〉『山羊の歌〈やぎのうた〉』『在りし日の歌〈ありしひのうた〉』。中也の「汚れっちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる」〔ぼくの汚れた悲しみに純白の雪が降りかかってるね〕っていう『汚れっちまった悲しみ〈よごれっちまったかなしみ〉』なんて詩はユーメーです。なんか、現代の雰囲気にもぴったりきて、今でもファンがいっぱいいます。立原道造〈たちはらみちぞう〉『萓草に寄す〈わすれぐさによす〉』、伊東静雄〈いとうしずお〉『わがひとに与ふる哀歌〈わがひとにあたうるあいか〉』。歴程派〈れきてい〉は草野心平〈くさのしんぺい〉『蛙〈かえる〉』。以上。
で、第二次世界大戦。敗戦。すべての価値は崩壊し、社会は大混乱。そんな混乱の時代に活躍したのが、無頼派〈ぶらいは〉とか新戯作派〈しんげさくは〉とか呼ばれる人たちです。まず太宰治〈だざいおさむ〉。『晩年〈ばんねん〉』『道化の華〈どうけのはな〉』『富嶽百景〈ふがくひゃっけい〉』『走れメロス〈はしれめろす〉』『斜陽〈しゃよう〉』『人間失格〈にんげんしっかく〉』とか書いて、戦後すべての価値観がひっくり返ってしまって、「大人なんて信じられない」ってゆー虚無感に悩む若者に熱狂的に読まれました。純粋であるがゆえに世間についてゆけず苦悩する尾崎豊的人間像を描き、今でもけっこー太宰ファンは多いのです。「生まれて、すみません」なんて書いてある。めちゃくちゃ暗いけれど、心がめちゃブルーに染まってるときには、ちょっと魅〈ひ〉かれちゃうぞ。それから、坂口安吾〈さかぐちあんご〉。『白痴〈はくち〉』。評論には『堕落論〈だらくろん〉』『日本文化私観〈にほんぶんかしかん〉』があります。織田作之助〈おださくのすけ〉には、『夫婦善哉〈めおとぜんざい〉』があります。ダメ男の夫としっかり者の妻という典型的な浪速〈なにわ〉の夫婦の話です。大阪の難波〈なんば〉に自由軒というカレー屋さんがあって、織田作之助が通った店で、私も昔よく行ったものです。カレーとご飯が最初から混ぜてあって、その上に生卵がぽっかりとのっかってるカレーが名物なのです。
それから、戦後派〈せんごは〉と呼ばれる人たちも出てきました。『俘虜記〈ふりょき〉』『野火〈のび〉』『武蔵野夫人〈むさしのふじん〉』の大岡昇平〈おおおかしょうへい〉。『仮面の告白〈かめんのこくはく〉』『潮騒〈しおさい〉』『金閣寺〈きんかくじ〉』『豊饒の海〈ほうじょうのうみ〉』の三島由紀夫〈みしまゆきお〉。『潮騒』は、よく映画でアイドルがやってるやつです。山口百恵とか堀ちえみとか……、私の時代のアイドルですが、……。三島由紀夫は、ボディービルをやって自分のヌード写真集を出したり、かなり過激な人だったのです。自衛隊基地に乗り込んで、割腹自殺しました。他に、『桜島〈さくらじま〉』の梅崎春生〈うめざきはるお〉、『暗い絵〈くらいえ〉』『真空地帯〈しんくうちたい〉』の野間宏〈のまひろし〉、『ひかりごけ』『風媒花〈ふうばいか〉』の武田泰淳〈たけだたいじゅん〉、『深夜の酒宴〈しんやのしゅえん〉』『永遠なる序章〈えいえんなるじょしょう〉』の椎名麟三〈しいなりんぞう〉などがいます。
あ、最後に小林秀雄〈こばやしひでお〉をやっておかなくては……。評論家です。『無常といふこと〈むじょうということ〉』『様々なる意匠〈さまざまなるいしょう〉』『考へるヒント〈かんがえるひんと〉』『本居宣長〈もとおりのりなが〉』など、覚えておいてください。
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:04:22 | 显示全部楼层
第7章
現代の文学
昭和二十年代には、『壁〈かべ〉』『砂の女〈すなのおんな〉』の安部公房〈あべこうぼう〉、『広場の孤独〈ひろばのこどく〉』の堀田善衛〈ほったよしえ〉などが登場します。さらに、「第三の新人」と呼ばれる『悪い仲間〈わるいなかま〉』の安岡章太郎〈やすおかしょうたろう〉、『驟雨〈しゅうう〉』『夕暮れまで〈ゆうぐれまで〉』の吉行淳之介〈よしゆきじゅんのすけ〉、『白い人〈しろいひと〉』『海と毒薬〈うみとどくやく〉』『沈黙〈ちんもく〉』の遠藤周作〈えんどうしゅうさく〉などが出ました。遠藤周作は、「ダバダー」でおなじみの「ネ○カフェ」のCMの、元祖「違いのわかる男」でした。井上靖〈いのうえやすし〉の『氷壁〈ひょうへき〉』『天平の甍〈てんぴょうのいらか〉』『敦煌〈とんこう〉』などの作品は、今でもよく読まれていますね。
昭和三十年代には、『太陽の季節〈たいようのきせつ〉』の石原慎太郎〈いしはらしんたろう〉、『パニック』『裸の王様〈はだかのおうさま〉』の開高健〈かいこうたけし〉、『死者の奢り〈ししゃのおごり〉』『飼育〈しいく〉』『万延元年のフットボール〈まんえんがんねんのふっとぼーる〉』の大江健三郎〈おおえけんざぶろう〉。石原慎太郎は今の東京都知事ですし、大江健三郎は、もちろん、ノーベル賞をもらった人ですね。
また評論家であり詩人である吉本隆明〈よしもとたかあき・りゅうめい〉は、学生運動をやってたお父さん世代の若かりし日のカリスマです。『共同幻想論〈きょうどうげんそうろん〉』なんかは、君たちのパパのバイブルだったはずです。そう、そして、今人気の吉本ばななのパパなのです。
その後は、まぁ、ほんとに最近ですね。
『限りなく透明に近いブルー〈かぎりなくとうめいにちかいぶるー〉』『コインロッカー・ベイビーズ』の村上龍〈むらかみのゅう〉、『風の歌を聴け〈かぜのうたをきけ〉』『ノルウェイの森〈のるうぇいのもり〉』の村上春樹〈むらかみはるき〉、『キッチン』『TSUGUMI〈つぐみ〉』の吉本ばなな〈よしもとばなな〉、短歌の『サラダ記念日〈さらだきねんび〉』の俵万智〈たわらまち〉などは君たちの中にもファンがいるんじゃないでしょうか。
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:05:00 | 显示全部楼层
日本文学史(上)
一,总论

1,分期:a.上古:大和、飞鸟、奈良(4C-794) b.中古:平安(794-1191) c.中世:镰仓、南北朝、室町、安土桃山(1191-1603) c.近世:江户(1603-1867) d.近现代:明治、大正、昭和(1867-今)

2,特征:a.特有的民族形式和技巧 b.自上而下的改革 c.“拿来主义” d.承古续今的连续性和多种形式的并存性

3,古典文艺论:a.文艺十论:真言、可笑、哀怜、物哀怜、艳、余情、幽玄、有心、寂、意气 b.构成史:四个阶段 c.分类:抒情理论、叙事理论、戏剧理论 d.特点:适应短小形式,不触及政治及尖锐问题
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:05:25 | 显示全部楼层
二,上古文学

1,《古事记》:太安万侣(撰)、稗田阿礼(诵)

2,《风土记》:仅出云国的完整

3,《日本书纪》:舍人亲王(编)

4,《万叶集》:后期--大伴家持(编)

5,《怀风藻》:最古汉诗集
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:05:47 | 显示全部楼层
三,中古文学

1,《古今和歌集》:醍醐天皇(敕撰)

2,三代集:古今~、后撰~、拾遗~

3,八代集:后拾遗~、金叶~、词花~、千载~、新古今~

4,物语源头:a.歌物语:《伊势物语》 (大和~、平中~)

              b.传奇物语:《竹取物语》(宇津保~、落洼~)

5,《源氏物语》:紫氏部 (狭衣~、夜的不寐、堤中纳言~)

6,历史物语:《荣花物语》、《大镜》、《今镜》

7,日记文学:《土佐日记》(纪贯之)、《蜻蛉日记》(藤原道纲母)、《和泉式部日记》(和泉式部)、《更级日记》(营原孝标女)、《紫氏部日记》(紫氏部)

8,随笔文学:《枕草子》(清少纳言)

9,说话文学:《日本灵异记》(景戒)、《今昔物语集》(《宇治拾遗物语集》)
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:06:03 | 显示全部楼层
四,中世文学

1,《新古今和歌集》

2,隐士文学:随笔《方丈记》(鸭长明)

3,随笔:《徒然草》(吉田兼好)

4,历史物语:《水镜》、《增镜》

5,史书:《愚管抄》(慈圆)

6,军纪物语:a.前期:《保元物语》、《平治物语》、《平家物语》(顶峰)

              b.后期:《太平记》(小岛法师等作)
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:06:27 | 显示全部楼层
五,近世文学

1,《奥州小路》:松尾芭蕉

2,町人文学:假名草子 《恨之介》、《竹斋》、《浮世物语》(浅井了意)

3,井原西鹤:假名草子->浮世草子 町人文学之始

    a.好色物:《好色一代男》、《好色五人女》、《好色一代女》(《西鹤备礼》中批评)

    b.杂话物:《西鹤诸国故事》、《本朝二十不孝》

    c.武人物:《武道传来记》、《武家义理物语》

    d.町人物:《日本永代藏》(《本朝永代藏》)、《(西鹤)厚文反古》、《世事费心思》

4,西鹤之后:《世间儿子气质》(江岛其碛)、《雨月物语》(上田秋成)、《南总里见八犬传》(泷泽马琴/曲亭马琴)、《东海道徒步旅行记》(十返舍一九)、《浮世澡堂》、《浮世床》(式亭三马)、《春色梅历》(为永春水)

5,近松门左卫门:《倾城佛原》(代表作)、《曾根崎情死》、《冥府的邮夫》、《国性爷大战》、《天网岛情死》、《女杀油地狱》

6,纪海音:《蔬菜店阿七》(代表作)、《情死两腰带》
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:06:44 | 显示全部楼层
六,近代文学

1,第一期:1886~1894(明治维新~中日甲午战争)

    a.启蒙主义:《西洋道中记行》、《牛肉锅杂谈》(假名垣鲁文)、《西洋事情》(福泽谕吉)、《文明论之概略》(西周)、《西国立志编》(中村正直)。政治小说:《经国美谈》(矢野龙溪)、《佳人的奇遇》(东海散士)、《雪中梅》(末广铁肠)

    b.写实主义:《当世书生气质》、《小说神髓》(坪内逍遥)、《浮云》(二叶亭四迷)

    c.红露时代:《我乐多文库》(砚友社)、《两个丘比特的爱情忏悔》、《三个妻子》、《金色夜叉》(代表作)(尾崎红叶)、《蝴蝶》(山田美妙)、《风流佛》、《五重塔》(代表作)(幸田露伴)

    d.浪漫主义:《舞姬》(森欧外)、《安睡的蝴蝶》(北村透谷)

2,第二期:1894~1904(中日甲午战争~日俄战争)

    a.樋口一叶:《大年夜》、《十三夜》、《青梅竹马》(都是代表作)

    b.观念小说:《夜间巡察》、《外科诊室》、《高野圣》(泉镜花)

    c.深刻小说:悲惨小说 《变月记》、《黑蜥蜴》、《今户情死》(广津柳浪)

    d.社会小说:《不如归》、《黑潮》(代表作)(德富芦花)、《火柱》、《良人的自白》(木下尚江)

    e.前期自然主义:《牛肉和马铃薯》(国木田独步)

3,第三期:1904~1918(日俄战争~一战结束)

    a.《阿久米》(岛崎藤村)、《天地有情》、《晚钟》(代表作)、《星落秋风五丈原》(代表作)(土井晚翠)

    b.明星派诗人:《乱发》(与谢野晶子)

    c.子规派:正冈子规

    d.自然主义:注重自然的真实,无思想,无解决。《破戒》、三自传体长篇《春》、《家》、《新生》(岛崎藤村)、《棉被》、《乡村教师》、《一个被枪杀的士兵》(田山花袋)

    e.后期自然主义:《新家庭》(德田秋声)、《耽溺》(岩野泡鸣)、《向何处去》、《微光》、《牛棚和臭气》、《如果不生下来的话……》(正宗白鸟)、《土》(代表作)(长塚节)

    f.石川啄木:《一握之沙》

    g.反自然主义:有了对现实的批判。

    h.夏目漱石:《我是猫》、《少爷》、爱情三部曲《三四郎》、《从今以后》、《门》;后期三部曲《春分过后》、《行人》、《心》;《道草》、《明暗》

    i.森欧外后期:《性生活》、《青年》、《雁》、《阿布一族》、《山椒大夫》、《高濑船》

    j.唯美主义:耽美主义。重视作家头脑中的虚幻、颓废,无解决方法。 《地狱之花》、《美国故事》、《较量》、《龟竹》(永井荷风)

    k.谷崎润一郎:恶魔主义。 《刺青》、《痴人的爱》

      佐藤春夫:《田园的忧郁》

    l.白桦派文学:出身于上流资产阶级家庭,乐观、理想主义、个人主义,忽视国家和社会。《诚实人》、《初恋》、《友情》、《妹妹》、《幸福者》(武者小路实笃)、《大顺津吉》、《清兵卫和葫芦》、《在城崎》、《去网走》、《正义派》、《十一月三日午后的事》、《暗夜行路》(志贺直哉)、《该隐的末裔》、《一个女人》(有岛武郎)

    m.新思潮派:不满纯客观描写的自然主义和自我描写与肯定的白桦派,忠实现实的同时进行理智的分析,做出艺术的判断。《罗生门》、《鼻子》、《地狱变》、《手绢》、《桔子》、《河童》(芥川龙之介)、《忠直卿行状记》、《复仇的两方》、《父归》(菊池宽)、《杀死婴儿》(山本有三)
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 楼主| 发表于 2009-7-11 22:07:05 | 显示全部楼层
七,现代文学

1,战前文学:1918~1937(一战结束~侵华战争爆发)

    a.无产阶级文艺运动:《播种人》、《文艺战线》 《生活在海上的人们》(叶山嘉树)、《盘旋的乌鸦》、《武装的城市》(黑岛传治)

    b.纳普的小说创作:《来自牛奶糖工厂》、《烟草女工》(佐多稻子)、《暴雨》(立野信之)、《黑人兄弟》(江马修)、《绫里村快举录》(片冈铁兵)、《金融资本的一个横断面》、《瓦斯!》(桥本英吉)

    c.中野重治:《报上刊登的一张照片》、《早春的风》、《老铁的故事》

    d.小林多喜二:《一九二八年三月十五日》、《蟹工船》、《在外地主》、《为党生活的人》

    e.德永直:《没有太阳的街》

    f.无产阶级戏剧:《光明与黑暗》(藤森成吉)、《暴力团记》(村山知义)、《玷污败坏的阿秋》、《瓦斯》(三好十郎)

    g.无产阶级诗歌:《战士们》(森山启)、《坑下姑娘》(松田解子)、《在革命的纪念日》(伊藤信吉)

    h.劳艺的创作:《时刻提高警惕》、《铁》(代表作)(岩藤雪夫)、《十姊妹》(山本胜治)

    i.纳普->考普

    j.新感觉派:反对自然主义,无产阶级文艺的抵抗者,趋向形式主义、“感觉标志”,多为感伤、哀愁的调子。《太阳》、《苍蝇》、《静静的罗列》、《拿破仑和疥癣》(代表作)、《上海》(集大成)(横光利一)、《伊豆歌女》、《浅草红团》、《禽兽》、《雪国》(川端康成)、《冰舞厅》(中河与一)

    k.新兴艺术派:资产阶级文学派别,无可取的地方。 《崽子》(龙胆寺雄)

    l.非正统艺术家:《鲵鱼》(井伏鳟二)、《崖下》(嘉村义多)、《柠檬》(代表作)(梶井基次郎)、《圣家族》、《起风了》(堀辰雄)、《生物祭》(伊藤整)

    m.行动主义文学:抵抗军国主义,反法西斯反共产主义,主张自由主义,未得到充分发展与确立。《跳水》(代表作)、《木石》(代表作)(舟桥圣一)

    n.《日本浪漫派》:浪漫主义,理论见长。

      《人民文库》:现实主义,创作见长。 《应该忘记过去》(高见顺)

    o.《鲇鱼》(丹羽文雄)、《苍氓》、《背阴的村子》(石川达三)

2,战后文学:1945~今(日本无条件投降~今)

    a.民主主义文学运动:健康、乐观、富革命精神。《播州平野》、《路标》(宫本百合子)、《静静的群山》(德永直)、《内心》(中野重治)

    b.战前作家的复活:《细雪》(谷崎润一郎) 川端康成1968年获诺贝尔文学奖

    c.战后派:经历战争,以侵华战争、太平洋战争为题材,批评、写实手法。《阴暗的绘画》、《真空地带》(野间宏)、《深夜的酒宴》(椎名麟三)、《樱岛》(梅崎春生)、《蝮蛇的子孙》(武田泰淳)、《在死影之下》(中村真一)

      第一次战后派(1946~1947);第二次战后派(1948后)

     《假面的自白》(三岛由纪夫)、《俘虏记》(大冈升平)、《墙壁》(安部公房)

    d.无赖派:精神空虚、苦闷、不知所措,无明确的政治、思想方向,自由手法。《堕落论》、《白痴》(坂口安吾)、《威约之妻》(太宰治)、《黄金传说》(石川淳)、《世相》(织田作之助)

    e.第三新人:战后开始创作,重日常生活,反对强烈批判。《玻璃鞋》(安冈章太郎)、《骤雨》、《沙上植物群》(吉行淳之介)、《美国学校》(小岛信夫)、《游泳池边小景》(庄野润三)

    f.战后一代:战后成长,无鲜明特征和流派名称。《太阳的季节》(石原慎太郎)、《奇妙的工作》、《死者的奢侈》、《饲养》、《拔嫩芽打孩子》(大江健三郎 1994年获诺贝尔文学奖)、《恐慌》、《裸体的国王》、《流亡记》(开高健)

    g.“作为人”的文学:直接描写战后社会冲突,悲观,受极左思潮影响。《悲器》、《邪宗门》、《忧郁的党派》(高桥和巳)、《再见吧,我们的日子》(柴田翔)、《光的声音》(真继伸彦)

    h.内向一代:描绘日常生活,主观性(自我意识和个人主义)强,深刻的虚无主义和孤独感,软弱性,否定战争,以社会为对象,反社会运动。《杳子》、《梳子火》(古井由吉)、《夹攻》(后藤明生)、《司令的休息》(阿部昭)

    i.透明文学:对问题大胆放纵地描绘。 《近乎无限透明的蓝色》(村上龙)、《献给爱琴海》(池田满寿夫)

    j.新起作家:村上春树、宫本辉

    k.大众文学:中间小说。适应大众趣味的通俗小说,与纯文学无明显界限。《斗牛》、《冰壁》(井上靖)、《八甲田山的死的彷徨》(新田次郎)、《华丽一家》、《不毛地带》(山崎丰子)、《日本沉没》(小松左京)、《青春之门》(五木宽之)
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