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楼主: junshan_yin

[本科专业课] 广外文学选读(作家、 作品 、文学史 )

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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:24:24 | 显示全部楼层
第8章
説話文学、現る
さて、この章から時代は変わります。

 やっぱり、時代というのは、変わるんですね。もう、華やかで、平和だった、貴族の、良き時代は終わります。貴族たちも、まさか自分たちの時代の終わりが来るなんて、実感をもって考えはしなかったんでしょうね。ほんとうに自分たちの時代が終わり、何もかもが違ってしまう、次の時代が訪れるなんて。歴史というのは、コワイ。時間の流れ、というのは、コワイ。このへんから、日本は、江戸時代になるまで、激動の時代を迎えます。ちょうどいま、一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけて、世界と日本は、春風駘蕩〈しゅんぷうたいとう〉、豊かだった平和の時代、を終えて、ソ連の崩壊、湾岸戦争やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、ユーゴ紛争、そして、アメリカ同時多発テロ、イラク戦争などから戦争の世紀に入ろうとしています。世界は、冷戦の、凍結期間を過ぎて、ふたたび、歴史の濁流のなかに投げ出されてしまったようです。歴史、というのは、ほんま、コワイ。ついこのあいだまで、「歴史」ってのは、歴史の教科書のなかにあるもんで、まさか、自分の目の前で「歴史」が変わってゆくなんて、思ってもみませんでした。自分のまわりで音を立てて、歴史が、変わってゆく、それが一九九〇年代、そして二一世紀みたいです。ミスチルの歌やないけど「何が起こってもヘンじゃない」そんな時代ですよね。わたしなんて、歴史的事項の何もない時代に青春を過ごしましたが、君たちは、「歴史」のなかで青春を送らなくちゃならないみたいです。大学に入ったって、その後の安楽な人生が保証されてるわけじゃない。今の大不況がいつ回復するかだってわかんない。ほんまに「ハルマゲドン」が起きてしまっても何の不思議もない。今から、話しはじめる中世、つまり、鎌倉、南北朝、室町ってのは、そんな時代です。

 さあ、激動の中世の始まりです! 文学史的には、説話と軍記の時代の始まりです。もう、和歌とか『源氏物語』とかの時代は終わってしまいました。頭も、中世に切り替えてください。

 さて、中世らしい文学ゆうたら、まずは説話〈せつわ〉文学でんな。中世の民衆や武士は、『源氏物語』やら『蜻蛉日記〈かげろうにっき〉』やら、そんな、貴族の、チャラチャラした、恋だの愛だの、高級な文学なんて、ハダに合わない。もっとわかりやすくて、オモロくて、タメになる話を読みたいわけです。亀を助けてやったら、亀が人間に姿を変えて亀が恩返ししてくれた、やっぱ親切はするもんやなあ、みたいな話の方が、わかりやすいし、オモロいし、タメになる。説話ってのは、そんな話のことです。やっぱ、フツウの人間には、これがいちばんやんなぁ、ゆうてるわけです。……というか、ほんとうは、先が見えない時代だけに、やっぱり何か、しっかりした生きるための指針がほしいんでしょうねぇ。
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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:24:53 | 显示全部楼层
 で、まず、説話文学、とくれば、『今昔(こんじゃく)物語集〈こんじゃくものがたりしゅう〉』。インド・中国・日本のいろんなことがかいてあります。仏さまについての仏教説話から民衆の姿を生き生きと描く世俗説話まで、いっぱいいっぱいつまっています。これは、めっちゃ重要なことですが、書かれたのは、平安末期です。説話ゆうたら、中世、鎌倉時代ですが、『今昔物語集』は、平安末期です。むろん鎌倉幕府が成立して突然時代が変わるわけではなくって、平安末期ゆうたら、もうじゅうぶん中世してるわけです。《説話はぜーんぶ鎌倉。せやけど、『今昔』は、平安末期!》 これ、しっかり、覚えておいてください。

 そして、鎌倉。鎌倉初期に書かれたのが、『発心集〈ほっしんしゅう〉』と『宇治拾遺物語〈うじしゅういものがたり〉』です。

 『発心集』は、鴨長明〈かものちょうめい〉が書いた、ということで覚えておいてください。もちろん、『方丈記〈ほうじょうき〉』の鴨長明。「発心」集、と言うくらいですから、「ああ、ほんま、仏様はありがたい」、と発心〈ほっしん〉する仏教の話です。

 もひとつが、『宇治拾遺物語』。その序文が、ある入試に出てたんですが、宇治の平等院に避暑に行っている大納言隆国という人が、そこで寝っころがりながら、いろんな人から面白い話を聞いて、「うん、なかなかオモロイやないか」とか言いながら書きとめたんだ、と書いてあります。つまり、「宇治に遺〈のこ〉れるを拾う」というわけです。『宇治拾遺物語』という題名の由来です。で、この『宇治拾遺物語』、じっさい、なかなか面白い話のいっぱい載った説話集です。『今昔物語集』同様、仏教説話もいいのですが、民衆の笑い声の聞こえてきそうな世俗説話がやっぱりオモロイのです。平安末期の『今昔物語集』と鎌倉初期の『宇治拾遺物語』、説話集ではこの二つ!

 あと、鎌倉中期、一三世紀中ごろ、になると、『十訓抄〈じっきんしょう〉』。まあ読み方なんてめったに出ませんが、「じっきんしょう」です。説話ってのは、面白くわかりやすく教訓を話して聞かせるわけですが、この『十訓抄』には、文字通り、「十」の教「訓」が載ってるわけです。この『十訓抄』、なんだかよく出てます。覚えておいてください。

 そして、鎌倉中期、もう一つ。『古今著聞集〈ここんちょもんじゅう〉』です。

 鎌倉末期、一三世紀後半には、『沙石集〈しゃせきしゅう〉』。無住〈むじゅう〉法師って人が集めた仏教説話集です。

 あと二ついちおう題名だけでもゆっときます。『撰集抄〈せんじゅうしょう〉』、『宝物集〈ほうぶつしゅう〉』なんてのも、ありますねん。

 で、おしまいに、ネライ目のポイントをひとつ。説話集ってのは、シツコク言ってきたように、武士、民衆がオモロイ、オモロイゆうてるもんで、中世、鎌倉時代のもんです。『今昔物語集』は、平安末期ですが、モウスグ鎌倉時代ってゆう平安時代なわけでした。『源氏物語』と同時期のものを選べ、なんて問題で『宇治拾遺物語』を選んだりしたら、「何もわかってない! 話にならん」わけですが、しかし、ひとつだけ、平安時代の初め、九世紀前半にできちゃった例外的な説話集があります。『日本霊異記〈にほんりょういき〉』というやつです。作者は、僧景戒〈きょうかい〉です。
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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:25:14 | 显示全部楼层
第9章
戦乱の時代を軍記物語が描く
さて、中世、武士の時代、戦乱の時代です! 激動の時代です。昨日の勝者が、今日、滅び去ってゆく。さまざまな人間が、自分の生を賭けて、歴史の舞台に現れ、一瞬のあいだその個性をきらめかせ、死へと帰ってゆく。平安時代のどんな人も経験しなかったような、速く重い時間がそこにはあります。受験生にとっても、今生きている時間というのは、人生のなかでも、おそらく最も速く最も重い時間なのではないでしょうか。人は、その速く重い時間を、そしてそれゆえの生きることのきらめきを、必死で書きとめようとしたのです。軍記〈ぐんき〉物語。戦記〈せんき〉物語ともいいます。

 まず、最初に出てくるのが、『保元物語〈ほうげんものがたり〉』『平治物語〈へいじものがたり〉』のコンビ。共に、一二〇〇年ごろ、作られました。この二つは、「保元」「平治」とコンビでおさえておいてください。

 日本史を勉強している人にとっては、常識……、だと思いたいところですが、一一五六年、保元の乱、というのが起きますね。『保元物語』は、むろん、この保元の乱を描いたものです。これは、後白河〈ごしらかわ〉とか崇徳〈すとく〉とか、皇室と藤原氏の内紛なわけです。これに、武士がからんでくる。しかし、三年後の一一五九年に起きる平治の乱は、もうすでに平清盛〈たいらのきよもり〉と源義朝〈みなもとのよしとも〉という武士のあいだでの闘いです。一一九二年に鎌倉幕府が成立するわけですが、じっさいには、まさにこの一一五六年、一一五九年あたりから、時代は貴族の時代から武士の時代へと、中世へと、変わってゆくのです。『保元物語』『平治物語』は、そんな、中世の始まりを記念する軍記物語です。

 で、出てくるのが、『平家物語〈へいけものがたり〉』。

 『源氏物語』が、日本古典文学史の前半を飾る女王ならば、こちら『平家物語』は、その後半に君臨する王といったところでございましょうか。いいですか? このへんで、も一度ごくごく大づかみなことを確認しておきますが、『源氏物語』を中心とする、優雅で上品な『竹取物語』とか『伊勢物語』とか『土佐日記〈とさにっき〉』とか『蜻蛉日記〈かげろうにっき〉』とか『更級日記〈さらしなにっき〉』とかいった貴族文学がまずはじめ、平安にあって、それからそれから時代が変わって中世になり、武士のデッカイ叫び声が聞こえてきそうな『平家物語』とか、民衆の生き生きした笑い声が聞こえてきそな『今昔物語集』とか、そーゆー武士、民衆の文学が出てくるんです。かりに、『源氏物語』より前に書かれた作品を選べ、なんて問題があって、『平家物語』を選んでたりしたら、……まさか、日本史を選択している人が、そんなミスをするとは思いませんが……、だいじょうぶですか?……そんなまちがいしてたら、どーしよーもナイのです。
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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:25:51 | 显示全部楼层
 さて、『平家物語』ですが、すべてのものが移り変わり、そして滅び去ってゆく、という、いわゆる無常観〈むじょうかん〉の文学ってやつです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常のひびきあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。」という、アレです。そして、自分の犯した罪により自ら滅び去ってゆく、という因果応報〈いんがおうほう〉の思想が貫かれてます。平家は横暴の限りを尽くした。だから、その報いで滅び去ってゆくのだ、と……。このへんの知識は、文学史問題というよりは、常識問題として聞かれる可能性がありますから、覚えておいてください。

 だいたい一三世紀、つまり一二〇〇年代の前半にできました。

 優雅な日本の言葉でつづった和文と豪快な漢文的な文章とが見事に混ざりあった和漢混交文〈わかんこんこうぶん〉という文体が特徴です。

 それを琵琶法師〈びわほうし〉という盲目の法師たちが、平曲〈へいきょく〉という曲にして、語るわけです。今、教科書に載ってる『平家物語』とか読んでもべつにどーとゆーことはありゃしませんが、中世当時、そんな盲目の法師が、琵琶を気味悪くビヨンビヨン弾きながら、死んでゆく武将の語りなどやったら、なんぼ恐かったろうかと思います。じじつ、盲目の法師が語るってのはどーゆーことかとゆーと、中世の人々は、そーゆー盲目の人間というのは目が見えないぶんだけ、彼の別の眼は霊界に向かって開かれているのだと、信じてたわけです。彼の語る声は、まさに霊の世界から死者が、琵琶法師の口を借りて語る声だと信じてたのです。よくテレビで、「死んだおじいちゃんの声が聞きたい」とかゆって、突然女の人の声がしゃがれた老人の声になって、「信治、元気か。ああ、真っ暗だ。寒い、寒い……。」とかやってまして、まああーゆーテレビのはイマイチ信じられませんが、『平家物語』というのは、まさにソレだったわけです。とゆーか、軍記物語とゆーのは、みんなそーです。今でこそ、そいつらをブンガクなんていってますが、軍記物語とゆーのが書かれたのは、どんなたたりをもたらすかもしれない死者の霊を鎮めるというちゃんとした目的があってのコトです。

 続いて、南北朝時代には、南北朝の争乱を描いた『太平記〈たいへいき〉』が書かれます。戦争の物語なのに、「太平」の記という題名なのも、何かヘンですが。

 さて、室町時代の軍記物語はだんだん変わっていって、軍記物語というよりは英雄伝説みたいなものになってゆきます。

 源義経〈みなもとのよしつね〉の悲劇的な生涯を描いた『義経記〈ぎけいき〉』。ヨシツネですが、題名は「ギケイ記」です。義経は、兄・頼朝〈よりとも〉のもと、天才的な活躍で、平家を倒す。ヒーローになった。しかし、ヒーローになったがゆえに、兄・頼朝に憎まれ、東北に追われ、最後は悲劇的な死を遂げる。日本人というのは、こういう悲劇的に負けてゆくやつが好きで、高校野球でも力投に力投を重ね、力尽きた敗戦投手におっきな拍手が送られる、なんて現象がある。こーゆー現象を、「判官〈はんがん・ほうがん〉義経」ということから「判官びいき」というのです。

 そしてもひとつ、『曾我物語〈そがものがたり〉』。曾我兄弟の敵討〈かたきう〉ちを描いてます。義経は現在にいたるまでわりと人気者なわけですが、この曽我兄弟も明治時代くらいまで日本人の心をとらえ続けました。この二つの英雄伝説、重要度は低いのですが、これからネライ目です!

 もひとつ、ネライ目!

 とうぜん、軍記物語といえば、中世なのですが、平安時代にも、軍記物語が二つあります。ひとつは,『将門記〈しょうもんき〉』。一〇世紀前半にできました。平将門〈たいらのまさかど〉の乱を描いてます。自ら、天皇だと称して、東国に独立国を立てたやつです。映画『陰陽師〈おんみょうじ〉』は、将門の霊がよみがえり、平安京を破壊しようとする話ですね。そしてもうひとつは、『陸奥話記〈むつわき〉』。一一世紀半ばにできました。前九年の役〈ぜんくねんのえき〉を描いてます。このふたつ、平安時代の例外的な軍記物語として覚えておいてください。
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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:26:11 | 显示全部楼层
第10章
ここで、随筆を
 さて、鎌倉時代で、無常観〈むじょうかん〉とかゆうたら、『方丈記〈ほうじょうき〉』や『徒然草〈つれづれぐさ〉』を思い出される方も多いことでしょう。そうあってほしいものです。あらまほし。……『方丈記』『徒然草』ゆうたら、随筆〈ずいひつ〉というジャンルですね。

 随筆ゆうたら、『枕草子〈まくらのそうし〉』です。これは、平安時代ですよね。平安時代の話はとっくに終わってしまっているわけですが、平安時代の随筆といっても『枕草子』がひとつ、ポツンとあるだけなので、いままで無視してきました。それでは、このへんで、『枕草子』を含めた随筆のハナシに行きます。ちょっと平安時代に戻りますので、頭の時計を再び『源氏物語』とかあのへんまで巻き戻してください。いいですか?

 で、『枕草子〈まくらのそうし〉』。書いたのは、もちろん、清少納言〈せいしょうなごん〉。

 『源氏物語』とほんま同時期、一〇〇〇年ごろに書かれました。ほんま、この一〇〇〇年ごろという時期は、日本の古典文学史にとって黄金期でんな。紫式部と清少納言が、同じ時代に生きて、同じ場所にいるんですよ。す、すごすぎる。まるで盆と正月がいっしょに来たような……。あ、たとえが違うか……。紫式部と清少納言、『源氏物語』と『枕草子』とを比較すると、紫式部は、ロングヘアーのちょっと暗い影のあるやつで、『源氏物語』も「あはれ」の文学ってなもので暗いしっとりしたしみじみーとした文学なわけです。それにたいして、清少納言は、「ギャル」っぽいひたすら明るいやつで、『枕草子』も「をかし」の文学、つまり明るくドライなんです。じっさい、『枕草子』なんて、学校のセンセエがこわそうな顔をして教えるもんじゃない。『枕草子』というのは、あれは、たとえば「○○なもの。××。△△。□□。……」みたいに列挙してゆく、こういうパターンの章を類聚〈るいじゅう〉的章段っていうんですが、ちょうど、女子高生のノートにでも書いてありがちな「わたしの大好きなカワイイもの。キティーちゃんのハンカチ。○○ちゃんととったプリクラ。それから、昨日買ってもらったスィートピーの鉢植え」みたいなものなのです。

 そんな清少納言ですが、実は不幸な少女だったのです。清少納言は中宮〈ちゅうぐう〉定子〈ていし〉に仕えていました。定子は一条天皇の奥さんなわけで、天皇の寵愛〈ちょうあい〉をうけて、ばりばりにときめき給うてたのですが、権力者にのし上がった藤原道長の娘の彰子〈しょうし〉……この彰子に、紫式部は仕えていたわけですが、…彰子に一条天皇を奪われてしまい、定子は失意のうちに死んでゆきます。暗そうな紫式部の方が実は幸せで、ひたすら明るい清少納言は絶望のどん底で『枕草子』を書いていたのです。ツヨキなやつですから、悲しみを表に出したくなかったんでしょう。

 さて、鎌倉時代になると、うってかわって、俗世を捨てて出家した遁世者〈とんせいしゃ〉の随筆です。

 1・2・1・2。一二一二年に、鴨長明〈かものちょうめい〉が『方丈記〈ほうじょうき〉』を書きます。一二一二年といえば、平安時代が終わり、まさに世の中が地獄のようにひっくり返っているときです。無常! この世に常なるものなど、何も、ない! 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの、水には、あらず。」というやつです。和漢混交文〈わかんこんこうぶん〉によって、無常観が絶望的に述べられています。そうそう、『方丈記』には大地震で世の中が地獄絵図のようになってる描写が書かれています。神戸の地震のとき、ほんまにこの描写がまざまざと浮かんできました。
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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:26:28 | 显示全部楼层
 題名の「方丈」というのは方形つまり四角の部屋のことで、長明の隠遁〈いんとん〉している草庵〈そうあん〉のことです。

 そう、鴨長明といえば、思い出しておいてください。『発心集〈ほっしんしゅう〉』という説話集も作ってました。それから、『無名抄〈むみょうしょう〉』という歌論も書いています。鴨長明といっても『方丈記』だけではないのです。このへんのこと、出題者が、鴨長明イコール『方丈記』と単純に覚えてしまっている受験生をひっかけて喜ぶのにはモッテコイです。注意してください。

 続いて、『徒然草〈つれづれぐさ〉』です。むろん筆者は、吉田兼好〈よしだけんこう〉(兼好法師〈けんこうほうし〉)。「兼」の字、ごんべんはいりませんよ。だいじょうぶですか?

 書かれたのは、一三三一年とされてますが、よくわかりません。一四世紀です。さすが、長明さんのころからもう百年以上たってますので、だいぶ落ち着いていて、無常観もありますが、ゆっくりと、平安時代の古典へのあこがれや、日常の処世訓や、趣味のことや、とってもスルドイ冷静な眼差〈まなざ〉しで書いています。高校生のころ読んでも全然つまらなくて、解説に「三十歳過ぎると面白くなる」とか書いてあっても、「ぜったい面白くなるわけがない」と思っていました。しかし、これが、最近、面白い。「なるほど深いぜ」とか思ってしまう。乱世の中でじっと世の中を、人間を見つめてるケンコーの眼差しが、めちゃカッコいい。

 この『枕草子』『方丈記』『徒然草』を合わせて、「三大随筆」といいます。

 あと、江戸時代にもたくさん随筆が書かれました。新井白石〈あらいはくせき〉の『折たく柴の記〈おりたくしばのき〉』。横井也有〈よこいやゆう〉の『鶉衣〈うずらごろも〉』。この『鶉衣』、なぜだかほんとにわからないんですが、よく問題で見かけます。江戸時代後期の俳文集です。それと、松平定信〈まつだいらさだのぶ〉の『花月草紙〈かげつぞうし〉』。

 江戸時代の随筆で覚えておきたいのが、本居宣長〈もとおりのりなが〉の『玉勝間〈たまがつま〉』です。江戸時代には、国学〈こくがく〉という古典研究の学問が登場しますが、本居宣長は、国学のスターです。前に、『源氏物語』を説明したときにゆってますよね。アレです。国学は章をもうけて説明しませんので、ここでついでにちょっと宣長の国学のほーの書物もゆっときます。まず、『源氏物語』の本質を「もののあはれ」だとゆった『源氏物語玉の小櫛〈げんじものがたりたまのおぐし〉』。同じく『源氏物語』の研究書の『石上私淑言〈いそのかみのささめごと〉』。それから、『古事記』についての研究の『古事記伝〈こじきでん〉』。あと、弟子に国学の心得を説いた『うひ山ぶみ〈ういやまぶみ〉』とかね……、覚えておいてください。

 国学は、宣長の前に、『万葉代匠記〈まんようだいしょうき〉』の契沖〈けいちゅう〉、万葉集の歌風を「ますらをぶり」と呼んだ『万葉集考』〈まんようしゅうこう〉の賀茂真淵〈かものまぶち〉がいます。
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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:26:56 | 显示全部楼层
第11章
能と歌舞伎と浄瑠璃と
室町時代に、能〈のう〉、そして江戸時代に、歌舞伎〈かぶき〉、浄瑠璃〈じょうるり〉といった演劇がはやります。この章は、そいつらの話です。

 で、まずは、能。能楽〈のうがく〉ともいいます。あの、ちょっと気味の悪い能面をつけてやるやつですね。室町時代に、観阿弥〈かんあみ〉・世阿弥〈ぜあみ〉の親子が大成しました。世阿弥が書いた能楽論『風姿花伝〈(ふうしかでん〉』……『花伝書〈かでんしょ〉』ともいうんですが、これは重要ですので、覚えておいてください。

 あと、能といっしょにやる滑稽〈こっけい〉な劇を狂言〈きょうげん〉という。

 で、江戸時代になると、今度は、浄瑠璃と歌舞伎です。

 浄瑠璃は、あやつり人形を使ってやるのです。元禄〈げんろく〉期に、語りの竹本義太夫〈たけもとぎだゆう〉と脚本の近松門左衛門〈ちかまつもんざえもん〉のコンビによって大成しました。近松門左衛門の代表作、『曾根崎心中〈そねざきしんじゅう〉』、『冥途の飛脚〈めいどのひきゃく〉』、『心中天の網島〈しんじゅうてんのあみしま〉』、それから『国性爺合戦〈こくせんやかっせん〉』、以上覚えてください。

 それから、近松の芸術論。彼は、芸術とは、虚構と現実のはざまにあるんだと言っています。たとえばテレビで、かっこいい俳優さんが先生役のドラマをやる。すると、「現実にはあんな先生いるわけないやないか」なんて皮肉ったりするやつがいる。しかし、かっこいい俳優さんだから、見てて楽しい、面白いわけで、ひきつけられる。かといって、現実の学校生活とまぁーったく遠い虚構ばかりになると、やっぱつまんない。その両方のビミョーなところで、現実には絶対いっこない先生の中に、自分が現実に考えている何かをふっと見るからこそ、感動するわけです。私たちの心を真にうつのは、そんな虚構と現実のはざまにあるのだ。そう、近松門左衛門さんは、考えています。これを、虚実皮膜論〈きょじつひまくろん〉といいますから、いっちょ覚えてやってください。

 次は、歌舞伎です。顔に色塗って、髪さかだててやるやつですね。化政〈かせい〉期に鶴屋南北〈つるやなんぼく〉が、有名な『東海道四谷怪談〈とうかいどうよつやかいだん〉』を書きました。

 この章は短いですが、これで終わり。
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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:27:13 | 显示全部楼层
第12章
俳諧の人たち
さて、激動の中世を終わり、江戸時代に入ります。当然ですが、古典文学史も、この時代で終わります。

 けっきょく、古典の文学史というのは、というより、日本の文化史全般がそうなわけですが、大きく三つに分けて考えることができるわけです。

 まず最初が、貴族の時代で、平安時代。

 そして、次が武士の時代。鎌倉、南北朝、室町、ぜんぶまとめて中世です。もっとも、南北朝、室町は、ほとんど何もありませんでしたよね。このことも、よく理解しておいてください。政治的にいろいろワアワアあっても、南北朝時代と室町時代は、文学史的には空白なんです。

 そして、三つめが、商人、町人、庶民の文化花咲く時代、江戸時代です。

 文学史の入試問題なんて、そんな細かいことを聞いてくるわけじゃありませんから、この三つの時代をきちんとおさえておくだけで、時代順なんかを聞いてくる問題はずいぶんわかりやすくなるはずです。

 で、江戸時代ですが、江戸時代の文学は、大きく言って三つのジャンルがある。まずひとつは、さっきの章で軽くすましてしまった劇文学です。若旦那や御隠居さんが芝居小屋に大勢入ってゆくのが目に浮かびます。それから、やっぱり風流な御隠居さんなんかが好きそうな、俳諧〈はいかい〉。最後のひとつは、浮世草子〈うきよぞうし〉とかの小説です。

 それでは、二番目の、俳諧について、お話しします! と、言いつつ、話はまた昔に戻ってしまいますが、中世になると和歌が滅び、代りに連歌〈れんが〉が興ってきたのを覚えてますか? 第二章の話です。南北朝時代に二条良基〈にじょうよしもと〉が『菟玖波集〈つくばしゅう〉』で連歌の地位を確立。室町時代に飯尾宗祇〈いいおそうぎ〉が『新撰菟玖波集〈しんせんつくばしゅう〉』で連歌を芸術的に完成。そして、山崎宗鑑〈やまざきそうかん〉が『新撰犬筑波集〈しんせんいぬつくばしゅう〉』で、俳諧連歌を始めるのでした。連歌、ってのは、五・七・五、七・七、五・七・五とどんどんつなげてくわけですが、その五・七・五だけが独立して俳諧になってゆくのです。

 で、ようやく本題に入ります。まず、一七世紀、つまり一六〇〇年代、松永貞徳〈まつながていとく〉をボスとする貞門俳諧〈ていもんはいかい〉がおこります。そして、一七世紀後半、西山宗因〈にしやまそういん〉をボスとする談林俳諧〈だんりんはいかい〉がおこってきます。この談林派のなかには、浮世草子でスターになる井原西鶴〈いはらさいかく〉がいます。

 そして、みなさんよくご存知の松尾芭蕉〈まつおばしょう〉の登場です。
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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:27:43 | 显示全部楼层
 一六八八年から一七〇四年までを元禄〈げんろく〉時代といって、そのころ江戸に文化の花咲くわけですが、松尾芭蕉も元禄のスターのひとりです。この時代も、俳諧の松尾芭蕉、浄瑠璃〈じょうるり〉の近松門左衛門〈ちかまつもんざえもん〉、浮世草子〈うきよぞうし〉の井原西鶴〈いはらさいかく〉という三大スターがいたスゴイ時代です! この三人が同時期だということも言えるようにしておいてください。こういうスゴイ時代をおさえておくと、時代の前後関係がわかりやすくなってくる。

 で、松尾芭蕉は何がスゴイかというと、……それまで、俳諧なんて遊びにすぎなかったわけです。矢数俳諧〈やかずはいかい〉という一晩でめちゃくちゃたくさん俳句を作って見せるイベントがはやっていて、西鶴なんか一晩で四〇〇〇句作ったっちゅうアホみたいな記録を持っています。しかし、芭蕉は、和歌の西行〈さいぎょう〉や連歌の宗祇といったかつての芸術家を尊敬し、遊びにすぎなかった俳諧を、「閑〈しづ〉かさや岩にしみ入る蝉の声」、なんて……静寂の、境地。……自然の、なかに、たたずむ。……わび、さびでんな……みたいな芸術にまで高めた、そこがスゴイのです。そういう芭蕉の俳諧を蕉風〈しょうふう〉といいます。正風〈しょうふう〉とも書きます。

 さすが芭蕉、お弟子さんもいっぱいいます。芭蕉の弟子グループを蕉門〈しょうもん〉といいます。その面々は、……向井去来〈むかいきょらい〉。『去来抄〈きょらいしょう〉』という俳論を書いています。榎本其角〈えのもときかく〉。服部土芳〈はっとりとほう〉。土芳は、『三冊子〈さんぞうし〉』という俳論、書いてます。服部嵐雪〈はっとりらんせつ〉。野沢凡兆〈のざわぼんちょう〉。この、蕉門の面々、けっこうビッグですから、単なる弟子だとカルく見ないように!

 さて、芭蕉の作品ですが、まずは、なにはさておき、『奥の細道〈おくのほそみち〉』。曾良〈そら〉という弟子を連れて、東北をぐるっとめぐって岐阜の大垣〈おおがき〉までの、俳諧をまじえた紀行文です。あと、『野ざらし紀行〈のざらしきこう〉』『笈の小文〈おいのこぶみ〉』『更科紀行〈さらしなきこう〉』なんて紀行文が、あります。「月日は百代〈はくたい〉の過客〈かかく〉にして行きかふ年もまた旅人なり」というのは『奥の細道』の冒頭ですが、まさに芭蕉というのは旅に生き旅に死んだ人です。

 それから、蕉門の人たちとの句集として、『虚栗〈みなしぐり〉』、『猿蓑〈さるみの〉』、『炭俵〈すみだわら〉』などがあります。

 しかし、世の常として、芭蕉の後どんどん俳諧はだめになってゆく。そんななかで、俳諧を建てなおすべく、一八世紀後半、天明〈てんめい〉期に登場するのが、与謝蕪村〈よさぶそん〉です。彼は、古典から発想を得たり、絵画的な句を作ったり、ひじょうに芸術至上主義的なところに特徴があります。「菜の花や月は東に日は西に」という句は、蕪村の句ですが、まさに、一枚の絵を見るようです。『新花摘〈しんはなつみ〉』という句集があります。

 そして、一九世紀前半に、小林一茶〈こばやしいっさ〉。一八〇四年から一八三〇年を化政〈かせい〉期といいますが、このころガンバってたひとです。「やせがえる負けるな一茶ここにあり」〔やせがえる!負けたらあかん!オレがついてるで!〕なんて、一茶は、とても庶民的なあたたかい句を、作る。句集の題名も、ほのぼのしてますね。『おらが春』、です。

 さて、俳諧はこれで終わりますが、《元禄、芭蕉! 天明、蕪村! 化政、一茶!》という時代と順番、これをしっかりおさえておいてください。
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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:28:02 | 显示全部楼层
第13章
江戸の小説
 さて、古典文学史の最後の章となりました。江戸時代の小説です。中世の説話集や『義経記〈ぎけいき〉』みたいな英雄伝説が、御伽草子〈おとぎぞうし〉というかたちを経て、江戸時代へと受け継がれることになります。江戸時代といえば、やっぱり商業の時代、あきんどの時代です。それらの小説は、いっきに町人たちのあいだに流通してゆきます。オハナシを書いて金を得る、というのはこの時代からです。考えてみれば、紫式部はんは『源氏物語』書いて原稿料、出版社からもろてたわけじゃありまへん。しかし、井原西鶴は、出版社から原稿料、もろてるわけです。それで、メシ食うてるわけです。だから、ひとりの作家がひじょうにたくさんの作品を書き続けることになる。江戸時代からです、みなさんが、たくさんの作家についていくつも作品を覚えなくてはならなくなるのは。だから、江戸時代から近代にかけての文学史の勉強は、いままでのように流れよりも、ひたすら暗記、ということになってきます。

 では、暗記してください!

 江戸時代前期は、お江戸に幕府があっても、まだまだ上方〈かみがた〉、つまり関西が中心です。まず、御伽草子が仮名草子〈かなぞうし〉という形態を経て、江戸時代の庶民の生活を描く浮世草子〈うきよぞうし〉となります。

 そう、井原西鶴〈いはらさいかく〉です。芭蕉、近松とともに元禄〈げんろく〉のスターです。彼が、書いたのは、まさしく、浪花〈なにわ〉の、あきんどの、世界。イロとカネの世界です。イロとカネには目がない。そんなやつが登場人物です。しかし、そこにこそ浪花の人間の輝きがあるんでしょうな。吉本の芸人みたいなモンです。昔も今も大阪の人間は、ほんま変わりまへん……。

 イロ、の方を書いたのを「好色物〈こうしょくもの〉」といい、その代表作は『好色一代男〈こうしょくいちだいおとこ〉』『好色一代女〈こうしょくいちだいおんな〉』『好色五人女〈こうしょくごにんおんな〉』。

 カネ、の方を書いたのが、「町人物〈ちょうにんもの〉」。『日本永代蔵〈にほんえいたいぐら〉』『世間胸算用〈せけんむねざんよう〉』。……『日本永代蔵』、『世間胸算用』、……ほんまに、カネやーっ!、ちゅう題名やね。

 ほかに、『武家義理物語〈ぶけぎりものがたり〉』『武道伝来記〈ぶどうでんらいき〉』『西鶴諸国咄〈さいかくしょこくばなし〉』『本朝二十不孝〈ほんちょうにじゅうふこう〉』とか、いろいろあります。

 続いて、上方に、今で言うところの、SFもの、アドベンチャーもの、に当たる読本〈よみほん〉というジャンルが現れます。浮世草子と読本を貸し本屋で借りてくる浪花のあきんどの若旦那が目に浮かびます。ちょうど、ミナミのビデオショップでエッチ・ビデオとSF映画を借りる吉本のタレントと同じです。
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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:28:19 | 显示全部楼层
 読本の代表作家は、上田秋成〈うえだあきなり〉という人です。一八世紀後半の人です。怪異小説の『雨月物語〈うげつものがたり〉』。友人と再会を誓った約束の日、待って待って待ったすえ、友人はやってくるのだが、実はその日その時間、すでにその友人は死んでこの世の人ではなかった。どうしても約束を守らねば、という執念が、友人の霊に約束を果たさせたのであった。……そんなような話が載っています。それから、『春雨物語〈はるさめものがたり〉』もね。

 さて、江戸時代後半になると、文化の中心は東京に移ってしまいます。一九世紀、化政〈かせい〉期から、江戸中心になるのです。けっきょく、それ以後今にいたるまで、関西は文化の中心の地位を取り戻せない。ダウンタウンもナイナイも東京に行くことになってしまう。

 で、化政期の読本作者は、滝沢馬琴〈たきざわばきん〉(曲亭馬琴〈きょくていばきん〉)。『椿説弓張月〈ちんせつゆみはりづき〉』。『南総里見八犬伝〈なんそうさとみはっけんでん〉』。善い者は善い報いを受け、悪い者は悪い報いを受ける、という、水戸黄門みたいな、因果応報〈いんがおうほう〉、勧善懲悪〈かんぜんちょうあく〉の思想を土台に、大スペクタクルがくりひろげられます。不思議な珠〈たま〉をもつという運命により巡り会った8人の勇者たちが、悪者相手に敢然と立ち向かい、お約束どおりさまざまなピンチに陥りながらも、最後は勇者たちが勝利をおさめる! なんかハリウッド映画みたいで、ワクワクドキドキ、最後はスカーッ。たぶん、当時の読者は、今のぼくたちがそんなアメリカ映画を観るような感覚で、読本を読んでたんじゃないかな。

 そして、草双紙〈くさぞうし〉というジャンルでは柳亭種彦〈りゅうていたねひこ〉が書いた『偐紫田舎源氏〈にせむらさきいなかげんじ〉』。『源氏物語』のパロディーです。

 江戸町人をわらかす滑稽本〈こっけいぼん〉のジャンルでは、十返舎一九〈じっぺんしゃいっく〉がいます。有名な『東海道中膝栗毛〈とうかいどうちゅうひざくりげ〉』を書きました。弥次〈やじ〉さん喜多〈きた〉さんの珍道中。江戸の若旦那が、『東海道中膝栗毛』、読みながら、「やー、こいつぁコッケイ、ざぶとん一枚あげとくれ」なんて言ってるのが想像できます。滑稽本は、もうひとり、式亭三馬〈しきていさんば〉、という人。『浮世風呂〈うきよぶろ〉』『浮世床〈うきよどこ〉』などに、江戸庶民の風俗を描きました。これなんかも、たぶん、今のぼくたちが、テレビでお笑いやバラエティを楽しむような感覚で読んでたんだろうね。

 ふと気づくと、もう一九世紀です。いま二一世紀になったばかりですから、考えてみれば、まだ百年ちょっと前です。日本史をやっていると、明治維新や太平洋戦争の敗戦で時代が突然変わり、それ以前は大昔、という錯覚に陥りますが、実は江戸はすぐそこなのです。江戸時代の自由で爛熟した、人間の欲望を肯定する自由な文学を読んでいると、現代の日本とある意味とても近い。じっさい、明治維新なんて単に外圧による一政治史的事件で、実は、イギリスやフランスがブルジョア革命や産業革命により近代に入るのと並行して、日本も江戸時代に近代を独自に迎えていたのではないか、……中世が政権は変わろうと実はひとつながりであるように、江戸時代から、明治、大正、昭和を経て平成の現在までも、本当はひとつながりの時代なのではないか、そんな気さえします。江戸人はわれわれの友達である、そんな気がします。
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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:29:01 | 显示全部楼层
 読本の代表作家は、上田秋成〈うえだあきなり〉という人です。一八世紀後半の人です。怪異小説の『雨月物語〈うげつものがたり〉』。友人と再会を誓った約束の日、待って待って待ったすえ、友人はやってくるのだが、実はその日その時間、すでにその友人は死んでこの世の人ではなかった。どうしても約束を守らねば、という執念が、友人の霊に約束を果たさせたのであった。……そんなような話が載っています。それから、『春雨物語〈はるさめものがたり〉』もね。

 さて、江戸時代後半になると、文化の中心は東京に移ってしまいます。一九世紀、化政〈かせい〉期から、江戸中心になるのです。けっきょく、それ以後今にいたるまで、関西は文化の中心の地位を取り戻せない。ダウンタウンもナイナイも東京に行くことになってしまう。

 で、化政期の読本作者は、滝沢馬琴〈たきざわばきん〉(曲亭馬琴〈きょくていばきん〉)。『椿説弓張月〈ちんせつゆみはりづき〉』。『南総里見八犬伝〈なんそうさとみはっけんでん〉』。善い者は善い報いを受け、悪い者は悪い報いを受ける、という、水戸黄門みたいな、因果応報〈いんがおうほう〉、勧善懲悪〈かんぜんちょうあく〉の思想を土台に、大スペクタクルがくりひろげられます。不思議な珠〈たま〉をもつという運命により巡り会った8人の勇者たちが、悪者相手に敢然と立ち向かい、お約束どおりさまざまなピンチに陥りながらも、最後は勇者たちが勝利をおさめる! なんかハリウッド映画みたいで、ワクワクドキドキ、最後はスカーッ。たぶん、当時の読者は、今のぼくたちがそんなアメリカ映画を観るような感覚で、読本を読んでたんじゃないかな。

 そして、草双紙〈くさぞうし〉というジャンルでは柳亭種彦〈りゅうていたねひこ〉が書いた『偐紫田舎源氏〈にせむらさきいなかげんじ〉』。『源氏物語』のパロディーです。

 江戸町人をわらかす滑稽本〈こっけいぼん〉のジャンルでは、十返舎一九〈じっぺんしゃいっく〉がいます。有名な『東海道中膝栗毛〈とうかいどうちゅうひざくりげ〉』を書きました。弥次〈やじ〉さん喜多〈きた〉さんの珍道中。江戸の若旦那が、『東海道中膝栗毛』、読みながら、「やー、こいつぁコッケイ、ざぶとん一枚あげとくれ」なんて言ってるのが想像できます。滑稽本は、もうひとり、式亭三馬〈しきていさんば〉、という人。『浮世風呂〈うきよぶろ〉』『浮世床〈うきよどこ〉』などに、江戸庶民の風俗を描きました。これなんかも、たぶん、今のぼくたちが、テレビでお笑いやバラエティを楽しむような感覚で読んでたんだろうね。

 ふと気づくと、もう一九世紀です。いま二一世紀になったばかりですから、考えてみれば、まだ百年ちょっと前です。日本史をやっていると、明治維新や太平洋戦争の敗戦で時代が突然変わり、それ以前は大昔、という錯覚に陥りますが、実は江戸はすぐそこなのです。江戸時代の自由で爛熟した、人間の欲望を肯定する自由な文学を読んでいると、現代の日本とある意味とても近い。じっさい、明治維新なんて単に外圧による一政治史的事件で、実は、イギリスやフランスがブルジョア革命や産業革命により近代に入るのと並行して、日本も江戸時代に近代を独自に迎えていたのではないか、……中世が政権は変わろうと実はひとつながりであるように、江戸時代から、明治、大正、昭和を経て平成の現在までも、本当はひとつながりの時代なのではないか、そんな気さえします。江戸人はわれわれの友達である、そんな気がします。
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 楼主| 发表于 2009-8-20 20:31:06 | 显示全部楼层
太花时间了,近代部分等有时间再发.
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 楼主| 发表于 2009-8-21 15:15:57 | 显示全部楼层
■近代文学史

第1章
近代文学、生まれる
 ドンっと言っておきます。近代文学、つまりイマの文学が始まるのは、明治二〇年です。二葉亭四迷〈ふたばていしめい〉の『浮雲〈うきぐも〉』。それまでは、まあ、今ゆう意味での、文学、はなかったわけです。明治になったら、突然、イマ、近代になったような気がしてるでしょう。そーじゃないんです。明治二〇年までは、……明治は四五年までやから、つまり明治時代の半分は、江戸の続きなのです。これは、いろんな意味でそーです。明治一八年、内閣制度制定。明治二一年、大日本帝国憲法発布。明治二三年、第一帝国議会召集。やーっとこの頃から、日本は近代っぽくなるんです。明治二〇年に、伊藤博文が、憲法を一生懸命考えはじめました。その同じ年に、二葉亭四迷が、一生懸命、『浮雲』を書いてたわけです。

 で、二葉亭四迷〈ふたばていしめい〉『浮雲〈うきぐも〉』、何が、キンダイ、なのかと言いますと、彼は、現実をありのままに、写そうと考えたのです。現実を写す、……写実主義〈しゃじつしゅぎ〉といいます。江戸時代までの文学は、遅れた考えをもって世の中を見ておる。いかん。勧善懲悪〈かんぜんちょうあく〉だの情緒だの、そんな古い考えに目をくもらせては、いかん。そんな考えは捨てて、現実をありのままに、科学的に、正しく把握するのが、近代人なのだ。ありのままの人間を書くのだ。言葉も、われわれは古文で話しているわけではないのだから、話しているとおりの言葉で書くのが、近代文学なのだ。言文一致体〈げんぶんいっちたい〉である。……なーんて、考えたわけです。で、書いたのが、『浮雲』。内海文三〈うつみぶんぞう〉というやつが、恋にウジウジ悩む心の様子が、アリノママニ写してあります。
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 楼主| 发表于 2009-8-21 15:16:19 | 显示全部楼层
 二葉亭四迷って名前、なんか落語家みたいですが、親から、小説なんか書いてる道楽者は、くたばってしめえ、と言われて、くたばってしめえ、ふたばってしめえ、ふたばてえしめえ、ふたばていしめい、……てなわけでついたペンネームだとゆーことです。

 その二葉亭四迷の先生が、坪内逍遥〈つぼうちしょうよう〉という人です。『小説神髄〈しょうせつしんずい〉』という評論に、さっき言ったような、江戸時代の文学はいかん、現実の人間をありのままに写せ、写実主義じゃ、といったようなことが書いてあるわけです。坪内逍遥は、そーゆー考えで、自分でも、『当世書生気質〈とうせいしょせいかたぎ〉』という小説を書きましたが、エラそうなことを言ったわりに、これは失敗でした。

 どーですか。あなたは、現実をありのままに写す、という考え方に賛成ですか、反対ですか? あなたは、ありのままを言葉にするほうですか? YESですか、NOですか? なにか、性格診断みたいですが、賛成の人、YESの人、は、現代評論を読むときには、気をつけてください。現代評論は、ありのままに見ることにより真実をとらえ得る、という近代の考えにたいして、批判的です。人間はありのままの真理をすべて知り尽くすことが可能だ、そういうふうに考えた近代文明こそが、人間を、自然を、ここまでボロボロにしてしまったからなんです。

 そんな近代化にたいして批判的な人は、当時もいました。尾崎紅葉〈おざきこうよう〉と幸田露伴〈こうだろはん〉のふたりです。日本全国、近代化、西洋化、とゆうてるときに、がんこに江戸にこだわった二人です。坪内逍遥と二葉亭四迷が、ホテルのフランス料理のシェフだとすれば、尾崎紅葉と幸田露伴は、横丁のおでんやのがんこおやじ、ってぇところでんな。おしゃれっぽいOLなんかが行ったりすると、「てめえらにこの味がわかってたまるか。べらんめえ。」なんてどなるんだ、これが。でも、そんなのが、ウケル。尾崎紅葉、『金色夜叉〈こんじきやしゃ〉』。あと、尾崎紅葉は『多情多恨〈たじょうたこん〉』とか。硯友社〈けんゆうしゃ〉という文学グループのボスでもあります。他方、幸田露伴は、まさにがんこに一人でがんばって、『五重塔〈ごじゅうのとう〉』とか、書きました。

 さて、明治二〇年以前にどんなのがあったのか、ざっとゆっときまひょ。仮名垣魯文〈かながきろぶん〉の『安愚楽鍋〈あぐらなべ〉』みたいな、江戸時代そのままの戯作文学〈げさくぶんがく〉。矢野龍渓〈やのりゅうけい〉の『経国美談〈けいこくびだいん〉』や東海散士〈とうかいさんし〉の『佳人之奇遇〈かじんのきぐう〉』みたいな、自由民権運動の主張ばっかしでちょっと文学とはいえない政治小説〈せいじしょうせつ〉。あと、まーこれはもともと文学ではないのですが、福沢諭吉〈ふくざわゆきち〉の『学問ノスゝメ〈がくもんのすすめ〉』が書かれたのも、この時期です。
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