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发表于 2010-4-21 23:59:04
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・狂人日記
某君は兄弟、今その名はふせるが、みな余が昔、中学時代の良き友なり。離れること多年、音信も次第になくなりし。先日たまたまその大病なるを聞き、故郷に帰りし折、回り道して訪れども、わずかに一人に会うのみ、病人は弟なりと言う。遠くから見舞いに骨折ってもらいしも、すでに病気は癒え、某地に官吏として赴任しているとのこと。かくて大いに笑い、日記二冊を取り出して示すに、当時の病状が分かるもの、旧友たちに献げるに不都合はなしという。持ち帰りて一読するに、患いしはおよそ『被害妄想狂』の類と知る。文は甚だしく乱雑で順序も整わず、荒唐無稽の言葉も多し。また月日を記さざれど、その墨色や字体の不均一から、一時にして書かれたものでないことは分かる。間にわずかに意味の通る箇所のあるを、今取り出して一篇となし、もって医者の研究に供する。文中に語句の誤りあるも、一字とも変えず。ただ人名みな村人といえども、世間の知るところにあらず、大筋に関わらぬが、すべて改めたり。書名については、本人の癒えし後に題するところ故、改めず。民国七年四月二日記す。
一
今夜は月明かりがとてもよい。
私はあれを見なくなって、すでに三十数年になる。今夜は見た、思ったより気分が晴れやかだ。なるほど、以前の三十数年は、私はまったくボケていたらしい。しかし、十分に注意しなければならぬ。さもなければ、あの趙家の犬が、なぜ私をじっとにらむのだ?
私がわけもなく怖がったりするものか。
二
今日はまったく月明かりがない、怪しいと思う。朝、気を付けながら門を出ると、趙貴翁の目つきがおかしい、私を怕れているようで、私を殺めようとしているようで。ほかに7、8人いたが、私のことをひそひそと議論し、口を開いて私を笑った。私は頭の先からつま先までぞっとした、やつらがすでに準備を整えたことが分かった。
怕くなんかないさ、私は毅然と道を歩いてゆく。前に子供が集まっていた、やはり私のことをしゃべっている。目つきは趙貴翁と同じで、顔色も青黒い。子供たちは私にどんな恨みがあって、こんなことをするのだろう。ついに我慢できなくなって、大声で言ってやった、
「お前、言ってみろ!」
すると、やつらは走って逃げていった。
考えてみた、趙貴翁は私にどんな恨みがあるのか、道で会った連中は私にどんな恨みがあるのか。あるとすれば二十年前、古久先生の積年の大福帳を踏みつけて、古久先生の機嫌を損ねてしまったことがあるだけだ。趙貴翁は古久先生と知り合いではないが、きっとうわさを聞きつけて、彼に代わって憤っているのだな。道にいたやつらと結束して、俺を目の敵にしているんだ。だが、子供たちは? その時分、彼らはまだ生まれていないが、何で今日は、私を怕れるように、そして殺めようとしているように、怪しい目でじっと見ていたのか。これは私を真に恐怖させ、不思議がらせ、また悲しませる。
分かったぞ。やつらの母親が教えたんだ!
三
夜、どうしても寝付けない。世のすべてのことは研究せねばならない、そうして初めて明らかになるのだから。
やつら――その中には県知事に枷鎖(かせ)をはめられた者もいる、紳士(地方の有力者)に平手打ちを食らった者もいる、役所の小使に妻を強奪された者もいる、親を借金取りに殺された者もいる。だがその時のやつらの顔つきだって、まったく昨日のように怕ろしくなかったし、あんなに禍々しくなかった。
一番不思議なのは、昨日、街である女が、彼女の子供をひっぱたいて、口の中で言っているのだ、
「おやじめ! お前に咬みついて憂さ晴らしにしてやる!」
だのに彼女の目は私を見ている。私はヒヤッとなって、逃げ出すことができない。するとあの青い顔をし、歯をむき出したやつらが、あざ笑うのだ。陳老五が駆けつけてきて、私を家へ無理やり引っ張って行った。
引っ張られて私は家に帰ったが、家の者はみな私のことなんて知らんといった風だ。こいつらの顔色も、あいつらとまったくおんなじだ。書斎へ入ると、すぐに掛け金(かぎ)を掛けられた。まるでニワトリかアヒルを閉じ込めたかのようだ。この一件で、詳しい状況を余計に探り当てられなくなった。
数日前、狼子村の小作人が不作を訴えて、私の兄貴に言うには、彼らの村に一人の大悪人がいて、みんなで殴り殺したと。そのうちの何人かは、そいつの心臓肝臓をえぐり出して、油で炒めて食べた、すると肝っ玉が強くなると。私がちょっと口を出すと、小作人と兄貴が四つの目を私に向けて見た。今日やっと分かった、奴らの目つきは、外の連中のそれとまったく一緒だったのだ。
思い出しただけで、頭の先からつま先までゾッとする。
奴らは人間を食うことができる、だから私を食べれないなんてことも無いのだ。
そうだ、あの女が「咬みついてやる」と言ったのと、青い顔をして歯をむき出した奴らの笑いと、数日前の小作人の話は、明らかに暗号なのだ。奴らの話すことは毒ばかりだ、笑いには全て刀が含まれているんだ。奴らの歯牙は、全て真っ白に並んでいる、これこそまさに人を食う道具なんだ。
私は自分自身のことは悪人でないと思っていたが、古久先生の大福帳を踏みつけてから、そう言えなくなってしまった。あいつらは、何かたくらんでいるようだが、私にはまったく予想がつかない。その上やつらは開き直ると、人を悪人呼ばわりするのだ。私はまだ覚えている、兄貴が私に作文を教えた時、どんなに善人であっても少しけなしてやると、兄貴はいくつか丸をつけた。悪人をちょっと擁護してやると、「すばらしく絶妙だ、独創的だ」と兄貴は言った。そこで私は、奴らのたくらみを考えてみたのだが、はて、いったい何を考えているのやら。まして、やつら人を食おうとしている時分なのにだ。
世の全てのことは研究せねばならない、そうして初めて明らかになるのだから。古来、食人は常だった、そう私は記憶している、しかしあまり詳しくは知らない。私は歴史書をひっくり返して調べてみた、この歴史書には年代が書いてない、ゆがんでくねったどのページにも「仁義道徳」の文字が書いてある。私はどうせ眠れないから、夜半まで仔細に調べていった。するとようやく字と字の間からさらに字が見えてきた、なんと本いっぱいに「食人」の字が書いてあるじゃないか!
本にはこんなにもたくさん書いてある。小作人はあんなにもしゃべった。なのに怪しい目つきで私を見ながらニヤニヤみんなで笑いやがる。
私だって人間だ、やつらは私を食べたくなったんだ。
四
朝、ちょっと静坐した。陳老五が飯を運んできた、一皿は野菜で、一皿は蒸した魚。この魚の目は白くて硬く、口が開いていて、あの人間を食うやつらとおんなじように見える。ちょっと箸をつけてみたが、ぬるぬると滑って、魚だか人間だかわかりゃしない。腹の奥から全部吐き出してしまった。
私は言った、
「老五、兄貴に言ってくれ。私は退屈しているんだ。庭をちょっと散歩したい。」
老五は返事をせずに出て行った。しばらくして、門を開けてくれた。
私はそれでも動かなかった。やつらが私をどうするのか研究してやろう。どんなときも私への手を緩めないことはわかっている。果たして、兄貴が一人のじじいを連れてきやがった! ゆっくりとやってきた。やつの目は、凶悪さに満ちている。私に見抜かれるのを怕れて、ただ下を向いてばかりで、メガネの端からちらちらとこちらを盗み見ている。兄貴は言った、
「今日はお前、とても具合がよさそうだね。」
「ええ」
と、私は言った。兄貴は、
「今日は何(ホー)先生にきてもらったよ。お前を診てもらおうと思って。」
と言う。私は、
「いいですね」
と答えたが、このじじい、首切り人が化けていることを私がわからないはずがあろうか! どうせ脈を診ると言いながら、私の肉付きを推し量ってるくせに。そしてその功労でもって、肉をちょっと分けてもらうんだ。私は怕くなかった。人間を食いはしないが、肝っ玉はやつらよりも太いんだから。両のこぶしを突き出して、やつがどういう風に手をつけるか見てやった。じじいは、座ったまま目を閉じて、ずいぶんと触っていたかと思うと、またずいぶんと呆けていた。そして、ふいにあくどい目を開いて、
「落ち込まずにな、静かに養生してれば、すぐによくなるよ」
と言った。
落ち込まず、静かに養生しろだと! 養生して肥えれば、やつらは自ずとたくさん食べれるわけだ。私にどんないいことがある? どういう風に「よくなる」と? やつらこの一群の人間は、人を食いたいと思いながらも、陰でこそこそし、やり口をごまかそうとしては、ためらわずに手を下す勇気がないんだ、なんというお笑い草だろう。私は我慢できなくなって、大声で笑ってやったが、とても痛快だった。自分でもわかったが、この笑いの中には、勇気と正気(せいき)が含まれていた。じじいと兄貴は顔を青くして、私のこの勇気と正気に圧倒されてしまった。
しかし、私に勇気があるから、少しでもこの勇気にあやかろうと、やつらはさらに私を食いたいと思う。じじいは門をくぐって、そう遠くに行かないうちに、兄貴に小声でささやいた、
「早急に食べてしまいなさい!」
兄貴も何度かうなづいた。やっぱりあなたもか! この大発見は意外な事のようであるが、予想していたことなのだ。やつらと一緒になって私を食おうとしてるのが、実は私の兄貴なのだ!
人間を食うのが私の兄貴だ!
私は人間を食う人間の兄弟だ!
私自身が食われてしまっても、依然として人間を食う人間の兄弟なのだ! |
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