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FW:徒然草(二十六段迄。。。)

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发表于 2010-6-19 19:34:10 | 显示全部楼层 |阅读模式
序 段

 つれづれなるまゝに、日暮らし、硯(すずり)に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂(ものぐる)ほしけれ。


・ 第一段

 いでや、この世に生れては、願はしかるべきことこそ多かめれ。
 帝の御位(おんくらい)はいともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人(とねり)などたまはる際(きわ)は、ゆゆしと見ゆ。その子・孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつつ、時に逢ひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いと口惜(くちお)し。

 法師ばかり羨しからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢猛(いきおいもう)に、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀聖(ぞうがひじり)のいひけんやうに、名聞くるしく、佛の御教(みおしえ)に違ふらむとぞ覚(おぼ)ゆる。ひたふるの世すて人は、なかなかあらまほしき方もありなん。

 人は、かたち・有樣の勝(すぐ)れたらんこそ、あらまほしかるべけれ。物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かず向(むか)はまほしけれ。めでたしと見る人の、心(こころ)劣りせらるゝ本性(ほんじゃう)見えんこそ、口をしかるべけれ。

 人品(しな)・容貌(かたち)こそ生れつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才なくなりぬれば、しな(=人品)くだり、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意なきわざなれ。

 ありたき事は、まことしき文の道、作文・和歌・管絃の道、また有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙(つたな)からず走りかき、聲をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男(おのこ)はよけれ。


・ 第二段

 いにしへの聖の御代の政(まつりごと)をも忘れ、民の愁へ、國のそこなはるゝをも知らず、萬にきよらを盡して、いみじと思ひ、所狹きさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。

 「衣冠より馬・車に至るまで、あるにしたがいて用ゐよ。美麗を求むることなかれ」とぞ、九條殿の遺誡(ゆいかい)にも侍(はべ)る。順徳院の、禁中の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの奉物(たてまつりもの)は、おろそかなるをもてよしとす」とこそ侍れ。


・ 第三段

 萬(よろづ)にいみじくとも、色好まざらん男(おのこ)は、いとさうざうしく、玉の巵(さかづき)の底なき心地ぞすべき。

 露霜にしほたれて、所さだめず惑(まど)ひ歩(あり)き、親のいさめ、世の謗(そし)りをつゝむに心のいとまなく、合ふさ離(き)るさに思ひ亂れ、さるは獨り寢がちに、まどろむ夜なきこそ、をかしけれ。

 さりとて、一向(ひたすら)たはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべき業(わざ)なれ。


・ 第四段

 後の世の事、心に忘れず、佛の道うとからぬ、心にくし。


・ 第五段

 不幸に愁(うれえ)に沈める人の、頭(かしら)おろしなど、ふつゝかに思ひとりたるにはあらで、有るか無きかに門さしこめて、待つこともなく明し暮らしたる、さるかたにあらまほし。

 顯基(あきもと の)中納言のいひけん、「配所の月、罪なくて見ん事」、さも覚えぬべし。


・ 第六段

 我が身のやんごとなからんにも、まして數ならざらんにも、子といふもの無くてありなん。

 前中書王(さきのちゅうしょおう)・九條太政大臣(くじょうのおおきおとど)・花園左大臣、皆 族(ぞう)絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末の後れ給へるは、わろき事なり」とぞ、世繼の翁の物語にはいへる。聖徳太子の御(み)墓を、かねて築(つ)かせ給ひける時も、「こゝをきれ、かしこを斷て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。


・ 第七段

 あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに、物の哀れもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。

 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ)を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。

 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出(い)でまじらはん事を思ひ、夕(ゆふべ)の日に子孫を愛して、榮行(さかゆ)く末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなり行くなん、浅ましき。


・ 第八段

 世の人の心を惑はすこと、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。

 匂ひなどは假のものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通を失ひけんは、まことに手足・膚(はだえ)などのきよらに、肥え膏(あぶら)づきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。


・ 第九段

 女は髪のめでたからんこそ、人の目だつべかめれ。人の程、心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、物越(ものご)しにも知らるれ。

 事に觸れて、うちあるさまにも、人の心をまど(惑)はし、すべて女の、うちとけたる寝(い)も寝(ね)ず、身を惜しとも思ひたらず、堪ふべくもあらぬ業にもよく堪へ忍ぶは、たゞ色を思ふがゆゑなり。

 まことに、愛著の道、その根深く、源遠し。六塵(ろくぢん)の樂欲(ごうよく)多しといへども、皆 厭離(えんり)しつべし。その中に、たゞ、かの惑ひ(=色欲)のひとつ止(や)めがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、変はる所なしとぞ見ゆる。

 されば、女の髪筋を縒(よ)れる綱には、大象(だいぞう)もよくつながれ(=『大威徳陀羅尼經』にあり)、女のはける足駄にて造れる笛には、秋の鹿、必ず寄るとぞ言ひ傳へ侍る。自ら戒めて、恐るべく愼むべきは、この惑ひなり。


・ 第十段

 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、假の宿りとは思へど、興あるものなれ。

 よき人の、長閑(のどやか)に住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一際しみじみと見ゆるぞかし。今めかしくきらゝかならねど、木立ちものふりて、わざとならぬ庭の草も心ある樣に、簀子(すのこ)・透垣(すいかい)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。

 多くの工(たくみ)の心を盡して磨きたて、唐の、大和(やまと)の、珍しく、えならぬ調度ども並べおき、前栽(せんざい)の草木まで、心のまゝならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは、存(ながら)へ住むべき、また、時の間の烟(けむり)ともなりなんとぞ、うち見るよりも思はるゝ。大かたは、家居にこそ事ざまは推(お)しはからるれ。

 後徳大寺の大臣の寢殿に、鳶(とび)ゐさせじとて、縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶の居たらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心、さばかりにこそ」とて、その後は參らざりけると聞き侍るに、綾小路宮のおはします小坂殿の棟に、いつぞや繩を引かれたりしかば、かの例(ためし)思ひ出でられ侍りしに、誠(まこと)や、「烏のむれゐて池の蛙をとりければ、御覧じ悲しませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。

 徳大寺にも、いかなる故か侍りけん。


・ 第十一段

 神無月(かみなづき)の頃、栗栖野(くるすの)といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遙かなる苔の細道をふみわけて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋(うず)もるる筧(かけい)の雫ならでは、露おとなふものなし。閼伽棚(あかだな)に、菊・紅葉など折りちらしたる、さすがに住む人のあればなるべし。

 かくても在られけるよと、あはれに見る程に、かなたの庭に大きなる柑子(こうじ)の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりを嚴しく圍ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覺えしか。


・ 第十二段

 同じ心ならむ人と、しめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなくいひ慰まんこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、露違はざらんと向ひ居たらんは、ただひとりある心地やせん。

 互に言はんほどのことをば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらん人こそ、「我は然(さ)やは思ふ」など爭ひ憎(にく)み、「さるから、さぞ」とも うち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少しかこつかたも、我と等しからざらん人は、大かたのよしなしごといはん程こそあらめ、まめやかの心の友には、遙かにへだたる所のありぬべきぞ、わびしきや。


・ 第十三段

 ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなる。

 文は文選(もんぜん)のあはれなる卷々、白氏文集(=白樂天の詩文集)、老子のことば、南華の篇。この國の博士どもの書けるものも、いにしへのは、あはれなる事多かり。


・ 第十四段

 和歌こそ なほをかしきものなれ。あやしの賤(しづ)・山がつの所作(しわざ)も、いひ出でつれば面白く、恐ろしき猪(い)のししも、「臥猪の床(ふすどのとこ)」といへば、やさしくなりぬ。

 この頃の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、言葉の外に、哀れに、けしき覺ゆるはなし。貫之が、「絲による物ならなくに」といへるは、古今集の中(うち)の歌屑とかや言ひ傳へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、すがた・言葉、この類(たぐひ)のみ多し。この歌に限りて、かくいひ立てられたるも知りがたし。源氏物語には、「物とはなしに」とぞ書ける。新古今には、「のこる松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、誠に、少しくだけたるすがたにもや見ゆらん。されどこの歌も、衆議判(すぎはん)の時、よろしきよし沙汰ありて、後にもことさらに感じ、仰せ下されける由、家長が日記には書けり。

 歌の道のみ、いにしへに變らぬなどいふ事もあれど、いさや。今もよみあへる同じ詞(ことば)・歌枕も、昔の人の詠めるは、更に同じものにあらず。やすくすなほにして、姿も清げに、あはれも深く見ゆ。

 梁塵秘抄の郢曲(えいきょく)の言葉こそ、また、あはれなる事は多かめれ。昔の人は、ただいかに言ひ捨てたる言種(ことぐさ)も、皆いみじく聞ゆるにや。


・ 第十五段

 いづくにもあれ、暫(しば)し旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。

 そのわたり、こゝかしこ見ありき、田舍びたる所、山里などは、いと目馴れぬことのみぞ多かる。都へたよりもとめて文やる。「その事かの事、便宜(びんぎ)に忘るな」など、言ひやるこそをかしけれ。

 さやうの所にてこそ、萬に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人・かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。

 寺・社(てら・やしろ)などに、忍びてこもりたるもをかし。


・ 第十六段

 神樂(かぐら)こそ、なまめかしく、面白けれ。

 大かた、物の音には、笛・篳篥(ひちりき)、常に聞きたきは、琵琶・和琴(わごん)。


・ 第十七段

 山寺にかきこもりて、佛に仕うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ。


・ 第十八段

 人は己をつゞまやかにし、奢(おご)りを退けて、財(たから)を有(も)たず、世を貪(むさぼ)らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。

 唐土(もろこし)に許由(きょゆう)といひつる人は、更に身に隨へる貯へもなくて、水をも手して捧げて飮みけるを見て、なりひさご(瓢)といふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝にかけたりければ、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また手に掬(むす)びてぞ水も飮みける。いかばかり心の中(うち)涼しかりけん。孫晨(そんしん)は冬の月に衾(ふすま)なくて、藁一束(わらひとつかね)ありけるを、夕にはこれに臥し、朝にはをさめけり。

 唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記しとゞめて世にも傳へけめ、これらの人は、語りも傳ふべからず。


・ 第十九段

 折節の移り変わるこそ、物ごとに哀れなれ。

 「物の哀れは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、それも然(さ)るものにて、今一きは心も浮きたつものは、春の景色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え出づる頃より、やゝ春ふかく霞みわたりて、花もやうやう氣色(けしき)だつほどこそあれ、折しも雨風うちつゞきて、心あわたゞしく散りすぎぬ。青葉になり行くまで、萬(よろづ)にただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそおへれ、なほ、梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるゝ。山吹の清げに、藤のおぼつかなき樣したる、すべて、思ひすて難きこと多し。

 「灌佛のころ、祭のころ、若葉の梢 涼しげに繁りゆくほどこそ、世のあはれも、人の戀しさもまされ」と、人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。:五月(さつき)、あやめ葺くころ、早苗とるころ、水鷄(くいな)のたゝくなど、心ぼそからぬかは。六月(みなづき)の頃、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓またをかし。

 七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、鴈なきて來る頃、萩の下葉色づくほど、早稻田(わさだ)刈りほすなど、とり集めたることは秋のみぞおほかる。また野分の朝こそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな源氏物語、枕草紙などに事ふりにたれど、同じ事、また、今更にいはじとにもあらず。おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かつ破(や)り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。

 さて冬枯の景色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀(みぎわ)の草に紅葉のちりとゞまりて、霜いと白う置ける朝、遣水より煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる頃ぞ、またなくあはれなる。すさまじき物にして見る人もなき月の寒けく澄める、二十日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御佛名(おぶつみゃう)・荷前(のさき)の使立つなどぞ、哀れにやんごとなき、公事ども繁く、春のいそぎにとり重ねて催し行はるゝ樣ぞ、いみじきや。追儺(ついな)より四方拜につゞくこそ、面白ろけれ。晦日(つごもり)の夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半(よなか)すぐるまで、人の門叩き走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空にまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつるわざは、このごろ都には無きを、東の方には、猶(なお)することにてありしこそ、あはれなりしか。

 かくて明けゆく空の気色(けしき)、昨日に變りたりとは見えねど、ひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、また哀れなれ。


・ 第二十段

 某(なにがし)とかやいひし世すて人の、「この世のほだし もたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞ惜しき。」と言ひしこそ、まことにさも覺えぬべけれ。


・ 第二十一段

 萬の事は、月見るにこそ慰むものなれ。ある人の、「月ばかり面白きものは有らじ」と言ひしに、またひとり、「露こそあはれなれ」と爭ひしこそ、をかしけれ。折にふれば何かはあはれならざらん。

 月・花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩に碎けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。「*(げん)・湘(しゃう)日夜東に流れ去る。愁人の爲にとゞまること少時(しばらく)もせず」といへる詩を見侍りしこそ、哀れなりしか。*康(けいこう)も、「山澤(さんたく)にあそびて、魚鳥を見れば心樂しぶ」といへり。人遠く、水草(みぐさ)きよき所にさまよひ歩きたるばかり、心慰むことはあらじ。


・ 第二十二段

 何事も、古き世のみぞ慕はしき。今樣は、無下(むげ)に卑しくこそなり行くめれ。かの木の道の匠(たくみ)のつくれる美しき器(うつはもの)も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

 文の詞などぞ、昔の反古(ほうご)どもはいみじき。たゞいふ詞も、口惜しうこそなりもて行くなれ。古(いにしえ)は、「車もたげよ」「火掲げよ」とこそいひしを、今様の人は、「もてあげよ」「かきあげよ」といふ。「主殿寮人數(とのもりょうにんじゅ)だて」といふべきを、「立明し白くせよ。」と言ひ、最勝講なるをば、「御講(みかう)の廬(ろ)」とこそいふべきを、「講廬(こうろ)」と言ふ、口をしとぞ、古き人の仰せられし。


・ 第二十三段

 衰へたる末の世とはいへど、猶九重の神さびたる有樣こそ、世づかずめでたきものなれ。

 露臺(ろだい)、朝餉(あさがれい)、何殿(でん)、何門などは、いみじとも聞ゆべし。怪しの所にもありぬべき小蔀(こじとみ)、小板敷、高遣戸なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣に夜の設けせよ」といふこそいみじけれ。夜の御殿(おとゞ)のをば、「掻燈(かいともし)疾(と)うよ」などいふ、まためでたし。上卿(しゃうけい)の、陣にて事行へる樣は更なり、諸司の下人どもの、したり顔になれたるもをかし。さばかり寒き終夜(よもすがら)、此處彼處に睡(ねぶ)り居たるこそをかしけれ。「内侍所の御鈴の音は、めでたく優なるものなり」とぞ、徳大寺の太政大臣は仰せられける。
・ 第二十四段

 齋王の、野の宮におはします有樣こそ、やさしく、面白き事の限りとは覺えしか。「經」・「佛」など忌みて、「中子(なかご)」、「染紙(そめがみ)」などいふなるもをかし。

 すべて神の社こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。ものふりたる森の景色もたゞならぬに、玉垣しわたして、榊木に木綿(ゆふ)かけたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢・賀茂・春日・平野・住吉・三輪・貴船(きぶね)・吉田・大原野・松尾(まつのを)・梅宮(うめのみや)。


・ 第二十五段

 飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時うつり、事去り、樂しび・悲しび行きかひて、花やかなりし邊(あたり)も、人すまぬ野らとなり、變らぬ住家(すみか)は人あらたまりぬ。桃李物いはねば、誰と共にか昔を語らん。まして見ぬ古のやんごとなかりけむ跡のみぞ、いとはかなき。

 京極殿・法成寺(ほふじゃうじ)など見るこそ、志留まり事變じにける樣は哀れなれ。御堂殿の作り磨かせ給ひて、莊園多く寄せられ、我が御族のみ、御門の御後見、世のかためにて、行末までとおぼしおきし時、いかならむ世にも、かばかりあせ果てむとはおぼしてんや。大門(だいもん)・金堂など近くまでありしかど、正和のころ、南門は燒けぬ。金堂はその後たふれ伏したるままにて、取りたつるわざもなし。無量壽院ばかりぞ、そのかたとて殘りたる。丈六の佛九體、いと尊くて竝びおはします。行成(ぎゃうぜい)大納言の額、兼行が書ける扉、なほあざやかに見ゆるぞあはれなる。法華堂なども、いまだ侍るめり。これも亦、いつまでかあらん。かばかりの名殘だになき所々は、おのづから礎(いしずえ)ばかり殘るもあれど、さだかに知れる人もなし。

 されば、萬に見ざらむ世までを思ひ掟てんこそ、はかなかるべけれ。


・ 第二十六段

 風も吹きあへず移ろふ人の心の花に、馴れにし年月をおもへば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になり行くならひこそ、亡き人の別れよりも勝りて悲しきものなれ。

 されば白き絲の染まむ事を悲しび、道の衢(ちまた)のわかれむ事を歎く人もありけんかし。堀河院(ほりかはのいん)の百首の歌の中に、

   むかし見し妹が垣根は荒れにけり 茅花(つばな)まじりの菫のみして(=藤原公實の歌)

さびしきけしき、さること侍りけむ。


徒然草

序段:竟日无聊,对砚枯坐,心镜之中,琐事纷现,漫然书之,有不甚可理喻者,亦可怪也。

第一段
人之生于此世也,所求殊多。天皇之位,固已极尊,天潢贵胃,迥非同凡种,亦高不可攀。摄政关白一人之下万人之上,非可妄求,自不待言。至于一般贵人,身居宿卫,受舍人之号,未可小视。其子孙之零落者,犹有流风余韵。等而下之,则有因各自之身分,逢时得意而傲然自视不凡者,甚无谓也。世间若法师之不足羡者,鲜矣哉!清少纳言:人“犹如木屑”,诚哉斯言。法师说法,尧尧一世,其势炙手可热究何可取?增贺上人似有云,汲汲求名,有违佛陀教义。然而一心舍世皈教者,则甚有可羡之处也。
容貌秀美,人所欲也。苟有所言,人皆乐闻,又非喋喋利口之辈,亦使人终日对之而无倦容。至若风采堂堂而才德不足以副之,则实令人叹惜也!
品德容貌受之于天,姑置之勿论可也。至于心术,可望日进于贤,了无止境。容貌气质之佳者,如胸无点墨而日与无品无貌之流为伍,甚至为此辈所制服,此则甚非本意所及者也。
余之所望于男子者,修身齐家之实学,善诗赋文章,通和歌管弦之道,并精于典章制度,能为人表率,斯为至上。工书而能信笔挥洒,善歌而必中节拍,对酒苦辞不得,亦能略饮以为酬应,此于男子,比为佳事。

第二段
不记古圣代之政事,不知民间疾苦与邦国忧患,唯豪奢是沿,而恶居处之湫隘者,何不思之甚也!
九条殿(藤原师辅)之遗诫中有云:“始自衣冠,及于车马,随有用之,勿求美丽。”顺德院(顺德天皇)曾记禁中诸事云:“天皇服制,以粗制者为佳。”

第三段
长于万事而不解风情之男子,犹玉卮无当,甚不足取也。彷徨失所,霜露沾衣,既惧双亲之告诫,又畏世人之非难,惴惴不安,左右为难,乃至虽常独寝而夜不安枕,殊为有趣也。然非枕缅女色,更使女方知不可轻侮,庶为得体。

第四段
心中不忘来世,平居不远佛道,此实深获我心也。

第五段
身遭不幸而忧思甚深者,率尔落发皈佛,此实不足取。何如紧闭双扉,若存若亡,于一无所待之中静度流光,此则余之所望者也。显甚中纳言(源显甚)云,以无罪之身而思一望配所之月,余深有同感焉!

第六段
自身尊显亦以无子嗣为佳,况碌碌之辈哉!若前中书王(兼明亲王)、九条之太政大臣(藤原伊通)、花园之左大臣(源有仁)皆愿及身绝嗣。染殿之大臣(藤原良房)亦云:“无子孙乃大佳事。有子孙而不肝则可悲已!”语见世继翁之故事。昔圣德太子修造御墓时亦云:“此处应断,彼此应切,欲令绝子孙之后。”

第七段
若无常野露水消,鸟部山云烟常住,而人生于世亦得不老不死,则万物之情趣安在?世间万物无常,唯此方为妙事耳!
观夫受命于天之生物,其生命未有长于人者。若蜉蝣之朝生而夕死者有之,若夏蝉之不知春秋者有之。以舒缓之心度日,则一年亦觉悠悠无尽;以贪着之心度日,纵千年之久,更何异一夜之梦!于不得常住之世,而待老丑之必至,果何为哉!寿则多辱。至迟四十以前合当瞑目,此诚佳事也。
过此则了无自惭形秽之心,唯思于人前抛头露面,且于夕阳之日,贪爱子孙,更望能及身见彼等之荣达,一味执着于世俗名利,而于万类情趣一无所知,思之实可悲可厌也!

第八段
能迷惑世人之心者无如色欲。愚哉人心!夫人虽知香非常有,只暂时熏附于衣裳之上者,然此难以名状之香必使心中忐丐不已。昔久米之仙人见浣女足胫洁白而失其神通力。盖手足之肌肤丰艳如凝脂,此乃肉身本来色相,其为惑宜也!

第九段
妇人美发,至引人瞩目。至于其人品气云云,纵非对面,聆其数语亦能能知之。凡诸妇人,苟有所为,常使男子心荡神移,然妇人恒亦寝不安枕,乃至不惜身自荐,甘为不堪之事,此皆心怀色欲故也。
夫爱着之道,实根深而源远。亦尘之乐欲虽多,皆可离弃。就中唯爱着之惑难断,老幼智愚莫不皆然。
是故以妇人之发为纲,则大象能系,以妇女之屐削而为笛,鸣之则秋鹿毕至。自惟应防慎恐惧者,即此惑也。

第十段
住居总以安适为宜,虽如逆旅,但仍有其情趣也。
高人静息之处,月光流入,别有一番沁人心脾之力。非若为代流风,唯尚欲恶,甚无可取。唯古木成行,庭草不修,颇饶野趣焉。篱垣之类亦当景色动人。至若常用之物,均应古意盎然,毫无造作之气,始足以发人雅兴。
若夫唐土与日本之器物纷然杂陈,皆百工尽心磨造之物,备极精巧;乃至庭前草木,亦无不挠其本性,横加摧残,望之令人不知快,甚为可厌!如此等地,岂堪常住!况余每一睹此,自忖焉知此不于瞬间与烟火同归于尽耶?!
概言之,见住居之情状,即可知主人之人品气质也。
后德大寺之大臣(藤原实定)于寝殿张绳以防鸟。西行(佐藤义清)见而问曰:“鸟来何碍?此公心胸竟若是乎!”闻此后不复至。绫小路之宫所居之小坂殿(性法惠亲王)之栋亦曾张绳。余因忆及西行之事。殿中人曰:“乌集池上以蛙为食,亲王见而悯之!”此则又为大佳事,德大寺之所为或有故亦未可知也。

第十一段
神无月之际过名栗栖野之地访某山村。循多苔之小径行甚久,山村深处始寂然一庵在焉。落叶之下笕中流水,冷然可听,此外则别无他音。菊花红叶等散落净水板上,乃知此地仍有人居住。
因思如此陋居竟亦能居住,不禁感从中来。又前方庭园有巨柑一株,结实累累,唯树之四周绕以篱栅,备之甚严,略觉扫兴耳。然如无此树,或庶几焉。

第十二段
志同道合之友从容交谈,无论所谈及为有趣之事抑或世间琐事,皆得相与披肝沥胆,诚乐事也!
唯此等人至不易得,若于对谈者之意见了无异议,则与一人独坐何异?!
吾人交谈时,有完全倾倒于对方意见之友,亦有意见略相左,口称“余之设想则不如是”而加以争论,并谓“唯其如是,故余之意见如是”云云者。余意此可慰无聊之心情。有于世情略有不满而与余之所思相径庭者,亦可稍慰寂寂,然终究两心悬隔,意有未足,与面对知友不同也。

第十三段
一灯之下独坐翻书,如与古人为友,乐何如之!书籍云云,《文选》诸卷皆富于情趣之作,此外如《白氏文集》(白居易文集),老子之言、南华诸篇并皆佳妙。我国上世博士等之著述亦多高妙者。

第十四段
和歌者终不失为富于情趣之物也。山野贱事一经吟咏亦别有味。乃至可憎之猪一经咏为“卧猪之床”即有雅驯之感。
近世和歌,读来虽亦有略能发人感兴处,终觉不若古歌之多言情趣也。
贯之“把丝搓到一起就细不了”之歌,传为《古今集》中之歌屑,然今世吟咏家能臻此者复有几人!当时之歌,无论体式与词句类此者实甚多也,然何以只限此歌,谓之歌词,实不可解。《新古今》中“连留在山峰上的松树都显得寂寞了”一歌亦称歌屑,则确有琐碎之感。但此歌于集体评判时却定为佳作,后更蒙褒将之典,事具载家长之日记。
和歌之道虽云与古无异,然今人相互吟咏之相同歌词、歌枕却与古人所咏者迥异。古人之作平易自然,格调清新,感人亦深。
《梁尘秘抄》中郢典之歌词,亦多饶情趣之作。昔人纵随口吟咏之词句,聆之亦均觉有味。

第十五段
时出小游,无论何地,均足以一新耳目。乃于彼处,漫步四跳,于田舍山村等,必能多见新颖之事,若有上京便人,则可托送书信,告以“此事彼事便中务析办妥”云云,实有趣也。
于此等地,万事皆足以惹人情趣,乃至随时用具,其佳者望之亦更觉生色。才艺之士与风度之士,莫不较寻常更加兴味盎然。
或只身潜入寺社等处参拜,亦有趣也。

第十六段
神乐者,高雅而又富于情趣之物也。概言之,器乐以笛与筚篥为佳,而常欲欣赏者则王琵琶与和琴是也。

第十七段
山寺幽居,一心向佛,但无烦闷之思,且心中诸浊亦得澄清。

第十八段
人苟能持身简素,去骄奢,拒财货,不贪浮生利欲,是诚大佳事。自古以来,贤人而富有者鲜也。
唐土有许由者,一无身外之物,人见彼以手捧水而饮,乃遗以一瓢。时或系之树上,则风吹之作声,尚以为烦,则弃而不用,仍以手捧水饮之。其心中何其清也!
又有孙晨者,冬月无被,唯藁一束,暮卧朝收。唐土之人以为高士,载之书传以传世。然此等人若生于我国,必湮灭无闻乃已。

第十九段
万物因季节之嬗变而靡不具有各自之情趣焉。
人皆曰事物之情趣以秋为胜,是言甚确。然而能使心潮浮动者却无过于春之景色。鸟语等亦特有春意。煦煦阳光之下,墙根幼草萌动,春意渐深矣。天际霞映照,花亦含苞待放,然一逢风雨连绵之日,花即匆匆散落。此后迄绿叶丛生,则为触物而心生烦恼之时。花桔固已怀旧之名,而梅香亦足以发思古之趣,动人恋情也。更有棣棠之艳丽,藤之柔弱无依,此等令人难忘之物实多。
灌佛日与祭日时,幼叶嫩枝欣欣向荣,予人清凉之感。或谓世间情趣与人之恋心此时益浓,诚非虚语。五月,插菖蒲以驱邪,移稻之早苗,水鸡作鸣如叩门声,均足以令人心动。
六月,贫家之夕颜实为优雅。夜渐转寒,鸣雁飞来,斯时也获之下叶转黄,早稻田之收割与晒干等事一一毕来,来唯秋为多也。晚秋劲风之朝珠有趣。此等情景于《源氏物主》、《枕草子》等书中早已言及,然相同之事亦非不可重述者。涌上心头之事闭口不言即感腹中闷胀,故信笔书之。然此本应随手散弃之物,不足持以示人也。
冬枯之景色几乎不劣于秋色。朝来红叶散落于水边草上,霜色甚白,此时园中流水之上,寒烟荡漾,殊多意趣。年终将届,人比拟忙于备置,令人深有所感。
二十日既过,月不当令,故无可观赏者,然寒空澄净,使人有寂寞之感。
佛名会、祭陵使诸行事,并皆有意趣且使人崇敬之今。是时也,朝政繁忙,又须兼备新春诸事,实非易易。追傩之仪式随之元日早朝之四方拜并皆至为有趣也。
除夜极暗中,众人于午夜前持松火把到处叩门狂呼,急行如足不履地,果何事耶?然翌日破晓后即阒然无声,唯旧年余昧尚萦怀于心,思之怃然!除夜原为祭奠亡灵之时,然都中此际已无此风俗,唯关东尚有行之者,是亦为惹人情趣之行事。元日晴空,景色初无异于昨日,然感觉迥乎不同,是为可怪也。都中通衢一望,门松迤逦,生意盎然,心甚悦之,诚有味也。

第二十段
某舍世者云:“余于此事已无羁绊可言,唯地节序之推移未能忘情耳!”余深韪其中言。

第二十一段
万事不因赏月而更能增其感兴。人有云雾:“未有若月之富于情趣者也!”或驳之,曰:“情趣盎然者,其唯露乎!”此等争辩甚为有味。然因境会之不同,万物莫不有其本来之情趣也。
月、花,固无论已。虽风、亦自有动人心弦之处。若夫岩边激荡之清流,更无时不发人清兴。余记有诗句云:“沅湘日夜东流去,不为愁人住少时。”意境之深远之作也。嵇康亦云:“游山泽,观鱼鸟,心甚乐之。”盖徜徉于水清草茂,人迹罕至之处,赏心乐事孰有过于此者!

第二十二段
万物唯上世为可慕,当代者则卑不足道也。观夫当时木工制作之精美,可领会古代之风趣。
至于书翰文章,虽故纸残篇并皆可观。口头用词至今亦渐觉无味。

第二十三段
当兹衰颓末世,唯九重之中,肃穆森严,无世俗流习,诚盛事也。
露台、朝饷、某殿、某门等等聆之甚雅。卑贱之所常用之名,诸如小部、小板、高遣户等,苟用之于宫中,怜之反更有味也。

第二十四段
斋宫驾临野宫时之风度,至为优雅有趣。因讳言“经”、“佛”诸词而称为“中子”、“染纸”亦有趣也。
凡诸神社并皆为令人难忘之优雅之所。古色苍然之森林景色迥非寻常,又有玉恒环绕,而木棉垂于神木之上如此等等,实属壮观。
神社之殊胜者:伊势、贺茂、春日、平野、住吉、三轮、贵船、吉田、大愿
原野、松之尾、梅之宫是也。

第二十五段
飞鸟川之深渊与浅滩亦易不定,世之无常亦若是也。时移事易,乐尽悲来;华馆春风化作荒郊野外,或屋庐依旧,而主人已非畴昔。桃李无言,孰可与语曩昔者?况远古高贵之遗迹,又实若浮云朝露耶!
京极殿、法成寺诸所,一见即深感其志徒存而其事已非!诸所为御堂殿精心构筑,为此贡献之庄园甚多。当时彼意唯我一族,贵为天子摄政,又为世人之重镇,则此殿必当垂之永久,讵料后世竟荒废若此哉!大门、金堂虽近世犹存,然正和之际,南门被焚。后金堂倾圮,亦未能再建。唯无量寿院尚有昔日之盛。丈六月之佛九尊并列。行成大纳言所书之额,兼行所书扉迄今仍灿然具在。法华堂等今似尚在,何时废毁亦尚难预也。尚有残址,其遗存非若是之多,唯基石沿在,亦无人确知当年此处为何地矣!由是观之,过虑身后诸事,甚不智也。

第二十六段
有不待风而自行散落者,人心之花是也。忆昔伊人之深情挚语,一一遗忘,而其人则成路人矣!其悲盖过于死别焉!
故有见染丝而悲者,有见逵路而泣者!堀川院百道之歌中有云:
旧地情深我又来,
伊人不见此心哀。
墙边芳草丛生处,
唯见芊花数朵开。
则如此寂静景色,诚或有之。
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