絵本作家の長新太(ちょう・しんた)さんが亡くなって、きょうで5年になる。「かわいいだけの本は子どもへの冒涜(ぼうとく)」と、読み手の受容力を試すような仕事を残した。正義や優しさを説くこともなく、作品はオトナの常識を粉砕していく。
绘图小人书作家长新太先生到今天为止已经去世5年了。“仅仅是可爱的书,是对孩子们的亵渎”,他留下的尽是些像是考验读者接受能力的作品。不讲什么正义或友善,他的作品在不断地粉碎着大人们的常识。
〈とおくのほうから/おとこのこがとんできました〉で始まる『ゴムあたまポンたろう』は、ゴムの頭を弾ませて世界を回る少年の話。『ブタヤマさんたらブタヤマさん』の主人公は、チョウを追うのに夢中で、背後に迫る巨大な鳥や魚に気づかない。振り返った時には何もいない。
“从遥远的地方/蹦来了一个小男孩”,这样开头的《橡皮脑袋“砰”太郎》讲述了一个用橡皮脑袋弹跳着周游世界的男孩的故事。而《猪山桑啊猪山桑》的主人公一心只顾追赶蝴蝶,根本不去注意到逼近其后背的大鸟和鱼。但当他回头看时,却又什么都没有了。ブタヤマさんの主題は自己中心的状況だと論じたのは、哲学者の鶴見俊輔さんだ。「胎児からの時間があまりない、気配の感覚を十分に持っている子どもには素晴らしい絵本だと思う。大人にとっては哲学論文」
哲学家鹤见俊辅先生认为猪山桑的主题说明一种以自我为中心的状态。“对于出娘胎时间还不长,而环境感受力特强的孩子来说,这是一本很好的绘图书。对于大人们来说则是一篇哲学论文”。
読み聞かせる大人が首をかしげる絵と筋に、子どもは笑い転げる。理屈ではなく、筆ひとつで童心とやりとりできる異能の主だった。半面、子どもにこびた退廃といった批判も受けた。
至于书中的图画和故事,读给孩子们听的大人往往难以理解,而孩子们却会笑得前仰后合。他不靠说教,只用一支笔就能和孩子们进行心灵沟通,真是别具一格的人才。但也有人批评他说,这是迎合孩子的颓废。
近刊『長新太の絵本の不思議な世界』(晃洋書房)の著者、村瀬学さんは「子ども向けという絵本観を覆し、日本で初めて、考える絵本をつくり出した」と語る。半世紀にわたる創作活動の評価は、没してなお定まらない。
新近出版的《长新太图书中的奇妙世界》(晃洋书房)的作者,村濑学先生则说:“他颠覆了人们对于面向儿童的绘图小人书的观念,在日本首创了思考型的绘图小人书”。对于他长达半个世纪的创作,在其身后至今尚无定论。
さてどんな代物か、絵本になじみのない向きは週末の図書館で確かめてほしい。干からびた常識のタガが心地よく、ポポーンと外れること請け合いだ。頭と心をほぐすのに、遅すぎることはない。代表作『ごろごろ にゃーん』には〈2才から大人まで〉とある。
那么到底是些什么玩意儿呢?不太了解绘图小人书读者不妨在周末去图书馆看一看。保证你会“砰、砰”地跳出干巴巴的常识的约束,心情十分舒畅。解放自己的大脑和心灵,是永远不会太迟的。他的代表作《轱辘轱辘 喵——》上就标明了读者范围:“两岁至成年”。
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