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本帖最后由 yanwenting 于 2011-3-11 09:06 编辑
あまたある漢字の中で「志」の人気はゆるぎない。人の名に多く、書き初めでは墨痕も鮮やかに新たな年を飾る。漢字博士の白川静さんによれば、「士」にはもともと「行く」の意味があり、「志」とは心がある方向を目指して行くことなのだという
“志”这个字在众多汉字中有着颇高的人气。不仅在人名中大量出现,在新年书法会上也以清晰的墨迹装点着新年。据汉字博士白川静解释,“士”原本带有“行进”的含义,“志”就是心朝着某个方向行进。
▼それぞれが目指していた方向の、ニュージーランドは経由地だった。英語を磨いて通訳に、客室乗務員に、あるいは国境を越える看護師になる。希望に針路を取っていた歩みが、天災に呑(の)まれて17日がたつ。写真に残るにこやかな顔、顔、顔を待ち受けた悲運に、あらためて胸が痛む
新西兰是(各位日本留学生)追求人生方向的一个中转站。学好英语将来成为一名翻译、一名空乘人员或者一名跨国境护士,他们朝着希望前进的步伐却不幸被天灾吞噬。距离新西兰地震已经过去了17天,看着照片上留下的笑脸、脸庞,想到等待这些人的竟是悲惨的命运,不禁让人再次满怀悲痛。
▼ご家族の心痛は察するに余りある。遺体安置所となった軍事施設への訪問では、建物に入れず外で献花した。多くが声を上げて泣いたそうだ。「心の整理をつける時間だった。覚悟の上での献花でした」。一人の父親の言葉が切ない
亲人们满怀着非同寻常的悲痛。访问暂时当做遗体安置所的军事设施时,他们未能入内,而是在外面献花。据报道大多数人都嚎啕大哭。“这是我们整理心绪的时间。我们是在做好心理准备后才来献花的”。一位父亲的发言让人体会到悲痛之情。
▼安否不明の日本人28人のうち、これまでに7人の身元がわかり死亡が確認された。その一人の奈良女子大2年、川端恭子さんの父親の国昭さんは、多くが被災した富山外国語専門学校の教授でもある
生死不明的28位日本人中,至今已有7人查明身份,并确认死亡。其中一位是奈良女子大学2年级的川端恭子,她的父亲川端国昭也是受灾人数众多的富山外国语专业学校的教授。
▼責任感ゆえだろう、父の顔を封じ、己を消して、現地で生徒の家族のまとめ役を続ける。娘の死亡を告げられたときも取り乱さず、たった一つ警察に、「いつ対面できるのでしょうか」と聞いたそうだ
也许是出于责任感吧,川端国昭掩饰了自己身为父亲的一面,隐藏了自己的感情,继续在当地担任学生家长的领队。据说当警察把女儿死亡的消息告知他时,他并未失去理智,只是向警察询问“什么时候跟遗体告别”。
▼封印した父の顔を独り解くときは、きっと娘さんに涙を見せ、面影をかき抱(いだ)いておられるのだろう。だれもが奇跡を祈った日々から時は流れる。「志半ば」の紋切り型では無念を言い尽くせぬ、悲しみの春である。
也许当他孑然一身解除已封存的父亲之情时,他也一定会为女儿流泪,追忆女儿的面容吧。受灾之时人人都祈祷着奇迹的发生,而时光流逝,“壮志未酬(半个志字)”这陈词滥调也道不尽惋惜之情,这个春季承载着巨大的悲痛。 |
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