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楼主 |
发表于 2004-12-10 21:40:18
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荒木由美子さん - 4 -- t, T$ x4 m0 P) u1 ?
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アルツハイマー闘病6年$ Y, f3 V ]. w
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$ t. j: [4 _! @ ◆夫が「実家に帰るか」
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% h0 q- l, @: N0 Q* T( Z 夫(タレントの湯原昌幸さん)は仕事柄、家を空けることが多くなります。時代劇のレギュラーになれば、京都の撮影所詰めで半年帰ってきません。 7 j, H# K$ N# r' _3 q/ x0 g
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家に話ができる人がいない。義母(湯原さんの母、吉(よし)のさん)と幼い息子だけ。これはきつかったですね。アルツハイマー病の義母は5分とひとりで居られない状況ですから、私は友達と会いにいくこともできなかった。これでは、気持ちの切り替えができません。
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徘徊(はいかい)癖があるので、家中、二重ロックにしました。すると、そのカギを壊してしまう。なんであんな力があるのかと思います。手の届かないところにつけたカギも、壊してしまう。 % }6 s7 [" y4 z2 S5 @/ z
3 x2 O( M! W8 Y: Y) h: n 私は精神的なストレスで、髪の毛がごっそり抜けて円形脱毛症になりました。手のふるえがとまらなくなり、電話の音におびえるようになりました。義母が親せきに電話して「由美ちゃんが男を連れ込んでいる」というので、事情を知らない親せきが心配して電話をかけてくるからです。 義母は1階、私は2階に寝ていましたが、深夜、1階で音がすると心配でおきてしまいます。階段で義母の動静をうかがいながら仮眠したことが何度もあります。
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' V8 n2 ^! ?) p& r" m このころはどうしても笑うということができなかった。どんなにつくろっても、芝居してでも笑えなかった。そんな時期がどのくらいあったでしょうか。
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夫がひさしぶりに家に帰ると、義母は数日前から、真っ暗にした自分の部屋にこもって食事にも出てこない状態でした。 6 c `( a8 O3 o* \( L, ]& e, r
/ m9 I% p* ]! I2 K 夫は義母と私と3人で話し合おうとしましたが、義母はわけのわからないことを言うばかり。「何が気にくわないんだよ」と夫が声を荒らげると、義母が「やれるもんなら、やってごらん」。激高して我を忘れた夫は、義母の首に手をかけようとしました。 1 m4 F: f4 y7 N V4 H. C* x% A
1 b1 U, X- d: m( g( w- q 私は夫の手を払いのけました。涙がとまらなかった。でも、1番つらいのは夫だったでしょう。義母はなにがおこったのかもわからず、冷めた顔をしていました。 ( ]# _; W! H# }" i! d" _" {
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新聞に時々、介護殺人の記事が出ています。その気持ちが分かるように思います。親孝行であればあるほど追い詰められてしまう。
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, s* Z9 [$ O( o! X j アルツハイマー病発病から6年目。この事件の少し前に、夫は私に「子どもをつれて実家に帰るか」と言いました。私たちはそこまで追い詰められていました。(タレント) ( P* C( j4 Y0 P/ y
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(2004年6月28日 読売新聞 無断転載禁止) |
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