目 次
プロローグ
第一部 武蔵野学園
第二部 夏の日の冒険
第三部 死者の学園祭
プロローグ
「真知子、ねえ、真知子。――ここよ、ここよ!」
声のする方を見上げた真知子は信じ難い光景に目を疑い、その場で立ちすくんでしまった。鉄筋校舎の四階のベランダから、クラスメイトの山崎由子が、校庭に立っている真知子へ手を振っている。しかし、何と由子は四階のベランダの手すりの上に立っているのだ。
手すりの幅は数センチしかない。そこを、山崎由子は気軽に散歩でもするように歩いているのである。
「何してるのよ!」
やっと我に返った真知子は叫んだ。
「歩いてるのよ」
上からは呑《のん》気《き》な声が返って来た。
「危ないじゃないの! 降りなさいよ!」
ベランダの下はコンクリートの通路なのだ。真知子は、誰《だれ》かを呼ばなくては、と思った。
「大丈夫よ……」
「だめよ! 落ちたらどうするの! 降りて! 降りるのよ、由子」
すでに放課後の校舎だ。近くに知らせる相手などいない。……
「馬鹿な事しないで! 降りるのよ!」
「分かったわよ」
由子が手を振った。真知子は、ほっと息をついた。そして由子が、手すりから降りた。手すりの外側へ。
真知子は人が落ちる所など、見た事もなかった。映画などでは、人はゆっくりと落ちて来る。叫び声が長く余韻を引きながら、墜落して来る。しかし現実は、そんなものではなかった。
手すりの上から、山崎由子の姿が、不意にかき消すように消えた。同時に、ズン、という鈍い微かな音がして、真知子の数メートル前に、由子がうずくまるように横たわっていた。
何が起こったのか、納得するのにしばらくかかった。
「由子……」
真知子は両手で顔を覆って、駆け出した。用務員室だ。あそこなら誰かいるはずだ。真知子は走り続けた。……
五月の黄《たそ》昏《がれ》時であった。
結《ゆう》城《き》真知子は十七歳。ここ、大阪の私立「M学園」の高校二年になったばかりだったが、それもこの日で最後だった。父、結城正造の仕事の都合で東京へ転居する事になったのである。父が貿易会社の部長で、転居、転校には馴《な》れている真知子だったが、この日、もう一度ゆっくりと学校を見て来ようと思い立ち、暮れかけた、人《ひと》気《け》のない学園へやって来た。
町の中の学校なので、アスファルトのグラウンド、ままごとのような花壇、総《すべ》てが、狭苦しい敷地に押し込められていた。真知子はくすんだ灰色の校舎の中をそぞろ歩いて、ホームルームでしばし感傷に浸り、それから赤い陽が斜めにさし入る校庭へぶらりと出た。鉄棒や、旗ざおの影がほとんど校庭一杯にのびて、不思議に懐かしい感じだった。ここにもそう長くいたわけではないが、十七歳という、何もかもが新しい日々を送ったせいか、ここが母校だという気がする。
しばらく校庭をぶらぶら歩いて、鉄棒にぶら下がってみたりしてから、校舎の方へ戻りかけた。その時、あの声がしたのである。
「真知子、ねえ、真知子。――ここよ、ここよ!」 |