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萩原義雄~酒&酒飲みの異名

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发表于 2004-12-21 21:39:48 | 显示全部楼层 |阅读模式
酒の異名「竹葉」と酒飲みの異名「上戸」他

 

萩原義雄

 女房詞では「酒」を「ささ」といいます。「ささ」は「竹葉〔ちくよう〕」を日本風(和語的)にいいなおした表現であり、これが語りことばとして広く流布する(「ささ」の語源を「さけ」の「さ」を重ねた表現とする説もある)こととなったようです。なぜ、「酒」を「竹葉」というのかといえば、中国の故事に依拠しています。

 酒好きの「のんべ」のことを「上戸〔ジョウゴ〕」といいます。ずいぶん古いことばで、平安朝末の歴史物語であります『大鏡』に、「をのこは上戸、一つの興のことにすれど、過ぎぬるはいと不便なるをり侍りや」とか、鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』八に、「極めたる上戸の愛酒なれども」とあって、貴族社会でこの語が用いられてきたことが解ります。この反対が「下戸〔ゲコ〕」で、兼好法師は、随筆『徒然草』のなかで「下戸ならぬこそ男はよけれ」と表現しています。兼好自身、酒が大好きな御仁であったのでしょう。この「上戸」の素はといえば、「大宝律令」の制でして、一戸のうち六丁以上、八丁以下のものを「上戸」、これ以下を「下戸」といったのが酒飲みと酒の飲めない人とに用いられるようになったのです。ついでに、「漏斗」は、酒や醤油をそそぐときに用いる具ですが、『和漢三才図会』(一七一五年)に、「漏斗〔ジョウゴ〕之を上戸と名づくるは、能く呑む也」といいます。

さて、本題の「酒の異名」と「酒飲みの異名」についてですが、室町時代の古辞書である『土蓋嚢抄』(一四四六年成立)巻第六・三十七に、次のような記述が見えます。

[原文翻字]

  酒〔サケ〕ヲ竹葉〔チク-〕ト云事ハ如何。,[二三四頁]

 ○只是酒之異名也。百詠ノ注ニ云。宜城〔キセイ〕ヨリ出ス∥竹酒ヲ|ト云云。竹ノ葉ノ露タマリ。酒ト成ル故ニ。竹葉ト云ト。亦或説ニハ。昔シ漢朝ニ劉石〔リウセキ〕ト云者アリキ。繼母〔ケイボ〕ニ合テケルカ。其繼母〔マヽハヽ〕。我ガ實子ニハ能飯〔イヒ〕ヲ食セ。孤子〔マヽコ〕ニハ。糟糠〔サウカウ〕ノ飯ヲ與ヘケリ。劉石〔リウセキ〕是ヲ不得∨食〔クヒエ〕シテ。家近キ所ニ。木ノ股〔マタ〕ノ有ケルニ。棄置〔ステヽ-〕ケリ。自然ニ雨水〔アマミツ〕落積テ。漸ク乱レテ後芳〔カウ〕バシカリシカハ。劉石試ルニ∨之ヲ其味ヒ妙ナリ。仍テ竹ノ葉ヲ折テ指覆〔ヲヽウ〕。其心ヲ以テ。酒ヲ作テ。國王奉リシカ。味ヒ比〔ヒ〕无シテ。褒美〔ホウヒ〕ニ預リ。献賞〔ケンシヤウ〕ヲ蒙テ。家富ミケル也。是ニ依テ。酒ヲ竹葉ト云云。加∨之ス酒ニ名多ク侍リ。 三遲。十分。忘憂〔ハウイウ〕。來樂〔ライラク〕。竹露。松華。梨花。桃花。几〓〔酉慍ウン〕。十旬。宜春。替夏〔タイカ〕。落越。杜康〔トカウ〕。黄〓〔酉倍ハイ〕。緑〓〔酉胥リヨクシヨ〕。松〓〔酉蓼ラウ〕。濁〓〔酉蓼ダクラウ〕以上四者云∥濁酒ト|也。歡伯。下若ノ貢。賢人。聖人。荊南 所名。豫北 同上。釣〔ツル〕∨詩ヲ鈎〔ツリハリ〕。掃〔ハラフ〕∨愁ヒヲ帚〔ハフキ〕 皆是酒ノ異名也。亦浮蟻〔フキ〕共云也。酒ノ糟點々トシテ。泛ブ∥盃中ニ|如シ∥浮蟻|。故ニ濁酒〔チヨクシユ〕ヲ茆柴〔ハウサイ〕共云。一醉シテ即醒事。燒ケハ茆柴ヲ火便チ滅ルカ如シ。故ニ皆是酒ヲ賞スル心也。仍テ下戸〔ゲコ〕ヲ悪客〔アツカク〕ト云。唐ノ元次山〔ケンシ-〕カ言ク。不∨飲∨酒ヲ者ヲ呼テ。悪客ト云也。然共不∨可∨好∨酒也。失多キ故ニ。サレハ後漢書ニ云。試〔コヽロムル〕ハ∨金ヲ以ス∨火ヲ。試ルハ∨人ヲ以ス∨酒ヲト。又文集云。龍眠テ尓シ∥本躰ヲ|。人ハ醉テ顯ス∥本心ヲ|ト云リ。不〔サルハ〕∨可ラ∨飲〔ノム〕酒也。然共上戸ハ多ク。下戸ヲ謗〔ソシル〕。惟是所ロ∥性ノ受ル|也。鴨ノ脛〔ハキ〕雖ヘモ∨短ト續〔ツカ〕ハ∨之ヲ則憂〔ウレヘ〕ナン。鶴ノ脛〔ハキ〕雖モ∨長ト切ラハ∨之ヲ則憂ヘナン。荘子ニ云ル榨水敟欹搿旁~ハ也。[二三五頁]

[現代語訳]

酒のことを竹葉というのはどういうことなのでしょうか。

ただ、これは酒の異名なのです。『百詠』の註に、「宜城〔ぎせい〕から竹酒をだしたといいます。竹の葉の露が溜まりまして、これが酒となったのに因みまして「竹葉」というそうです。また別の説には、

むかし、漢朝に劉石という者がありました。その継母が実の子にはご馳走を食わせ、継子である劉石にはいつも残飯を与えていました。劉石は、それを口にすることができないので、いつも家の付近の木の股に、捨てておいたところが、自然に雨水が溜まり、それがいつしか香ばしく匂うようになったのでございます。劉石は、試しにこれを啜ってみますと、えもいわれぬ味がします。そこでこの飲み物に竹葉を折って覆いをし、酒を造りましてこれを国王に奉ったところ、比類無き味わいに国王から褒美を賜ったのでございます。劉石は、その後家富み、栄えたのでございます。この劉石の故事によりまして酒を「竹葉」というようになったのでございます。

それにもまして、酒にはなぜか多くの名がございます。

(酒の名前・異名一覧)

三遲。十分。忘憂。來樂。竹露。松華。梨花。桃花。几〓〔酉慍〕。十旬。宜春。替夏。落越。杜康。

黄〓〔酉倍〕。緑〓〔酉胥〕。松〓〔酉蓼〕。濁〓〔酉蓼〕以上四つは濁酒ということです。

歡伯。下若ノ貢。賢人。聖人。荊南 所名。豫北 も同上。詩を釣る鈎。愁いを掃う帚ともいいます。

また、酒を「浮蟻」とも申します。酒の糟が点々としていまして、まるで盃の中に蟻が浮んでいるように見えますところからこの名がつきました。

濁り酒を「茆柴」とも申します。この謂れは、なぜか一酔してもすぐに醒めてしまうのです。それは「茆柴」を焼きますと火はあっという間に消えるかのようにです。このことからしてすべてこの酒を賞美する心から名づけられたものです。

別になりますが、「下戸〔ゲコ〕酒の飲めない人」のことを「悪客〔アツカク〕」といいます。中国(唐)の元次山が言うには、酒を飲めない人を呼称しまして悪客といういいます。ですが、酒をどうも好きになれないようです。というのも、酒の上での失態が多いからなのです。そうですから、『後漢書』に、「金を試すには火をもってします。人を試すには酒をもってします」と申します。また、『白氏文集』には、「龍は眠りますとその本体をあらわし、人は酔いますと本心をあらわす」と申します。このため、飲んではならないのが酒なのです。とはいうものの、世の中には上戸の人は多く、なぜか下戸を謗るのです。ただこのことは、本来その人自身の性格によるものなのですから……。鴨は脛が短いといいましてもこの部位をつなげればきっと憂いをもたらすでしょう。鶴の脛は長いといいましてもこの部位を切ればきっと憂いをなすでしょう。『荘子』にこう書いてありますが、本当にこのことば表現は的をえています。

[解釈]

1、竹葉

この劉石の故事話を信じる信じない別として、江戸期の古辞書『書言字考節用集』(一六九八年)になると、「竹葉〔チクエウ〕東坡集註。宜城九〓〔酉-温〕酒。竹葉酒ト号ス 」と「竹葉」はただ銘酒のなまえとするだけの表現もあります。

 1-1『蔭凉軒日録』

(長享3.03.03)に、「泉里より桃花飯一盆ならびに竹葉酒一瓶」

(長享3.03.14)に、「夜来御影の間において茶子を盛り、楊花飯・竹葉を喫す」

 1-2井原西鶴『好色一代女』(一六八六年)に、「竹葉の一滴を玉なす金盃に移し」と表現され、「竹葉」は「酒」の文章用語として使われていきます。

2、上戸と下戸

 また、この話しには酒飲みと酒が飲めない人の故事が示されていますが、ぐでんぐでんに酔っぱらた人のことを古くは「ずぶ六」と言いました。また「とらになる」とも言います。さらには「左党〔ひだりトウ〕」とも言います。

ここに示された「上戸」のことばが貴族階級の正統派なもの言いであれば、「のんべ」を表現する世俗語が今日こんなにも生み出されてきた背景には、その時代時代にあっていつの日でも酒飲みと酒は庶民にとって大いに話題を提供してきたからなのではないでしょうか。ところが、『土蓋嚢抄』には、まだ「上戸」の異名は見当たりません。ここに示した世俗語は、江戸時代以後に言われ始めたのでしょうか。

[補注] 「上戸」の異名:室町時代の日記であります『蔭凉軒日録』(延徳4.09.02)に、「作州ヨリ山下四郎次郎・池内弥次郎、注進ノタメニ上洛ス。晩食ヲ勧ム。夜来太ダ寂莫、之ヲ見ルニ忍ビズ。濁醪ヲ典ジテ勧ム。柏也三盃ヲ傾ク。丹也六盃ヲ傾ク。堅也五盃ヲ傾ク。久也八盃、勛也五盃、昌也四喝、山下ハ害馬ナリ。池内ハ十盃ヲ傾ク。冷汁椀ヲ以テ盃トナス。一時ノ野趣ナリ」とある「害馬」ですが、『莊子』徐旡鬼に、「牧馬小童曰、夫為天下、亦奚以異乎牧馬者哉、亦去其害馬者而已矣」とありまして、注文には「馬以過分為害」とし、疏にも「害馬者、謂分外之事也。夫治身莫先守分、故牧馬之術、可以養民」と示されていますように「分を過ごすこと」を云い、ここでは、「飲みすぎ」を「害馬」と表現しています。

 まず、「ずぶ六」ですが、江戸後期の式亭三馬の滑稽本『酩酊氣質〔メイテイかたぎ〕』(一八〇六年)序に、「夢中作左衛門、狂薬(酒)の十分六をたのんで、酒瓶に氣違水を汲む」と見えるあたりからでしょうか。明治の三遊亭円朝作『真景累ケ淵』六十に、「すると或日の事で、づぶろくに酔つて帰ると、惣次郎はをりません」[一八七頁]とあります。この「ずぶ」ですが、「ずぶの素人」とか「ずぶ濡れ」と同じ意味で「まったく、全然」です。そして、「六」のほうは「うちの宿六」「総領の甚六」とも用いられてどうしょうもない役立たずの「ろく【陸】でなし」をさします。すなわち、「陸」の宛字で、ものの形が歪むことなく正しいことを言います。「ろくでもない」の「ろく」を尾っぽにつけて「ずぶろく」「宿六」「甚六」が生まれたのです。

 つぎに「とら」は、もっと新しい近代になって生まれた表現のようです。初出用例をもとめています。一休さんのトラ退治話しの張り子の虎ではないですが、虎の絵に必ず竹薮が描かれています。仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』下56⑨に「祖父〔ぢゝい〕の代から、三代〔さんでへ〕つゞいて、弥次郎北八と言やア、牡丹に唐師子〔からじし〕、竹に虎、桐に鳳凰、松に鶴、旅は道連〔みちづれ〕、はなれねへ中〔なか〕は、見物が先刻〔せんこく〕承知ダ。」と、「梅に鶯」「紅葉に鹿」と同じく「竹に虎」といった符丁からでてきたことばだったのです。虎は古くから日本では生息しない動物でしたので、絵から記憶されていったといってよいでしょう。また、虎の皮も「唐皮」といって巷では簡単には見ることがなかったものです。男性より女性の「のんべ」が似つかわしいのは、ふだんおしとやかなご婦人が酒をがぶ飲みし、正体なく酔っ払って「おお虎」と化すからです。

 最後に「左党」、ことばは新しいのですが、江戸時代の金山掘り職人に由来するようです。金を掘るとき、左手に鑿を持ちます。このことから左手を「鑿手〔のみて〕」といい、右手を「槌手〔つちて〕」といいました。ここから左手の「鑿手」を「飲み手」にかけて「左り利き」をもっぱらとするところから「左党」なることば表現が生まれたようです。反対語は「右党」です。

 これに対して、「下戸」の異名として、「悪客〔アッカク〕」が見えます。古辞書の元和版『下学集』に、

[原文]

  悪客〔アツカク〕唐人元次〔ケンシ〕山呼テ∥不サル∨飲〔ノマ〕∨酒ヲ者ヲ|謂フ∥之ヲ悪客ト|也[態藝,82-7,1438]

訓読

  悪客〔アツカク〕。唐の人、元次〔ケンシ〕山、酒を飲まざる者を呼びてこれを悪客と謂ふなり。

 

この「悪客」は、現代社会においては、通用しないことば表現です。主人が酒好きであれば、酒が飲めない客が訪ねてくれば、この主人にしてみればつまらないのです。こんな客、無粋な奴だから早く帰ってもらえということなのでしょう。冠に「悪」の字をつけて表現することばが今日少なくなったような気がします。「悪」はマイナスの意ですから、現代では「悪女」「悪人」「悪党」と人を表現するぐらいにしか使われていないようです。

<1999.05.09補筆>


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