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テレビの世界でいちばん嫌いな言葉は私にとって「送り手」と「受け手」ということばである。
大量にコミュニケーションを行うから「マスコミ」と言い、テレビはその媒体として最大の存在のはずなのだが、そこで厳然たる役割分担があって、一方は「送り手」、他方が「受け手」というのでは、本当のコミュニケーションといいがたい。
しかし、この区別で現実に存在している。
この関係のなかでもっとも不幸な部分は、互いが互いを腹の底では軽蔑し合っていることである。
受け手=視聴者はたしかにテレビをよく視るが、それを俗悪なしろものだと思っている。
一方、送り手=製作者たちは、俗悪だといいながら受け手たちがもっとも好んでみるのは俗悪な番組であることを見せ続けられて、視聴者を内心では軽蔑している。
受け手の意向の量の表現=視聴率がほとんどすべてである世界で、次に起きる現象は「悪貨が良貨を駆逐する」ことである。 視聴率さえとっておれば、どんな’やらせ”をやろうとも、メデイアの責任を考えればモラルに反すると思うことをやっても、大手を振ることができる世界で、それを見習っていく人間と、そんなことはしたくないと気力がなえてしまう人間とが生まれ、富み栄えるのは前者ということになる。
「国民の民度以上の政治はない」といわれるが、テレビについても、政治と同じことがいえそうな気がする。
だが、それを嘆いたり、肯定することからは何も生まれない。
私がこういうことを言って「送り手」のなかから。裏切者扱いされるのは一向かまわないが、うんざりさせられるのは「受け手」のなかからタマが飛んでくることだ。
長年のテレビによる”ごますり”に慣れ親しんだ視聴者は少しでもこういうことを言うと傲慢だと非難する。このテレビ状況で損をしているのは「受け手」のほうなのに-----------。
問1 「テレビの世界でいちばん嫌いな言葉」とあるが、筆者はなぜその言葉が嫌いなのか。
1 そのことばは、コミュニケーションではなく対立関係をあらわしているから。
2 そのことばは、大量にコミュニケーションをするという意味だから。
3 そのことばは、テレビやマスコミを軽蔑しているから。
4 そのことばは、俗悪でモラルに反することばだから。
問2 「前者」のさす内容は何か。
1 俗悪だと言いつつ俗悪な番組を好んで見る視聴者。
2 長年のテレビによる”ごますり”に慣れ親しんだ視聴者。
3 視聴率に関係なく良い番組を作ろうとする製作者。
4 視聴率のためならどんな悪い番組でも作ろうとする製作者。
問3 「裏切者 扱いされる」 ということばから、筆者についいてどんなことがわかるか。
1 筆者はマスコミ評論家である。
2 筆者は「送り手」でも「受け手」でもない。
3 筆者はテレビの制作側の人間である。
4 筆者はテレビの視聴者代表である。
問4 「受け手」のなかからタマが飛んでくる とはどういうことか。
1 視聴者から応援されること。
2 視聴者から非難されること。
3 スポンサーから叱られること。
4 国から攻撃をされること。
問5 この文章には続きがあって、筆者は「受け手」の「受け手」による「受け手」のための対抗策を提案している。 ここまでの論旨から、筆者の提案として考えられないものはどれか。
1 視聴率に関わらず、自分が良いと思う番組をもっと支持する。
2 「受け手」と「送り手」の差別をなくすために、番組づくりに参加する権利を要求する。
3 視聴率の高い番組をぐれた番組なので、視聴率の高い番組を選んでもっと見る。
4 スポンサーは消費者=視聴者に弱いのでテレビ局への抗議、批判をスポンサーに向ける。
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