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楼主 |
发表于 2012-4-3 09:16:03
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きみを幸せにしてあげられなかったことを悔やんでいる。だから、せめてもの償いとして、きみを犯罪者にすることだけは阻止しようと思った。終業式の日、きみが俺の血液を採取していることには気付いていた。何かたくらんでいるのだろうと、すぐにわかった。学校に行くと、きみが牛乳パックに血液を混入していた。恐ろしい復讐だと思った。牛乳は、きみが去った後すぐに、新しいものに取り替えた。きみは俺のことが許せないかもしれない。でも、憎しみを憎しみで返してはいけない。それで心が晴れることなど、絶対にないはずだ。それよりも、彼らはきっと更生することができる。そう、信じてやってくれ。それはきみの再生にもつながるはずだから……。
それが、櫻宮の最期の言葉でした。我が子を殺されても復讐をしてはならない、罪を犯した子供たちは更生することができる、というのです。聖職者、という言葉が本当にあるのだとすれば、彼にこそふさわしいのかもしれません。
ちなみに、あなたの理屈に置き換えるならば、櫻宮は物心つく前から昔話を母親に読んでもらっていたといたような環境にうまれていません。教室の後ろに置かれている手記など、あなたは読んでいないと思いますが、彼は生まれてすぐに、母親を病気で亡くしています。父親が再婚したのは、あなたと同じ、小学校五年生のときです。彼はあなたのような優等生ではなかったので、継母との折り合いも悪く、家出を繰り返すようになりました。そこからは、決して世間に誇れる人生ではありません。実際にあなたと関わることがあれば、きっとあなたは彼を馬鹿扱いしていたと思います。しかし、そんな人にあなたは助けられたのです。
人間の倫理観は、あなたが言うように、単なる学習効果でしかないのかもしれません。普通の人が幼い頃にあたりまえに身につけることを、櫻宮は成人に近い年齢になってようやく身につけることができました。それは、彼自身が、自分に足りないものに気付き、それではいけないと感じたからです。しかし、あなたは自分の倫理観が乏しいことに気付いているにもかかわらず、それを、まるで恰好いいことに扱い、そのようになったのは母親のせいだとし、身につけようともしませんでした。むしろ、自分が変わってしまうことによって、目に見えない母親とのつながりが断ち切られてしまうとでも思い、わざと、そうしようとしなかったのかもしれません。しかし、そんなことはもう、どうでもいいことです。
私は櫻宮の行為を受け入れることができませんでした。私の幸せなどと言いながら、死の瞬間まで、親であるよりも、教師であろうとした彼を許すことができませんでした。もちろん、彼に守られたあなた方を許すはずがありません。しかし、新しい復讐の方法をすぐにおもいつくこともできませんでした。そこで、しばらく、様子を窺うことにしたのです。
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