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2013.03.09
職場の屋上から眺めると、ビルの街に隅田川がゆったり光っている。春のうららの……と歌われる季節も近い。思えばそんな春先、3月10日の未明に隅田の川面は死者で埋まったのだった。約10万人が非業の死を遂げたとされる東京大空襲から、あすで68年になる
從公司頂樓的天台眺望,隅田川河紆緩穿流在高樓林立的城市之中,閃着粼光。又快到唱「春光多明媚……」的季節了。曾幾何時,就在這樣的早春時分,3月10日黎明前的隅田川河面堆滿了死屍。令十萬人死於非命的東京大空襲,到明天是第68個年頭。
▼きのうの朝日小学生新聞で、当時14歳だった画家、吉野山隆英さん(82)の話を読んだ。隅田川につながる北十間川(きたじっけんがわ)にも遺体が折り重なって浮いていた。いまは東京スカイツリーの足元を走る川である
在昨天的朝日小學生新聞上,讀到了當年才14歲的82歲老畫家吉野山隆英的話。據說,和隅田川相連的北十間川河也漂着重重疊疊的屍骸。如今這條河,正在東京通天樹的腳下流動。
▼思い出すのがつらくて、吉野山さんは空襲の絵を描けないできた。70歳を過ぎて初めて描いた。天をつくツリーが完成に近づいた一昨年には、北十間川の記憶を絵にした。あのできごとを忘れないでほしい――風化にあらがう筆は重々しい
回憶如此痛苦,使吉野山一直不忍提筆畫大空襲的畫。70歲之後他終於動筆。在通天樹接近建成的前年,把關於北十間川河的回憶畫成了畫。舊事勿忘──抵抗歲月風化的這支畫筆,沉重如椽。
▼悲惨な戦争の歴史でも、無差別爆撃は最悪のものだ。米軍は戦争末期、日本の主要都市を軒並み炎に包んだ。犠牲は数十万人にのぼるが、広島や長崎に比べて語られる機会は少ない
在慘像歷歷的戰爭歷史中,無差別轟炸也堪稱殘酷之最。戰爭末期,美軍讓日本的主要都市一個個火燒連城。犧牲者多達數十萬人,然而,和廣島和長崎相比,這些城市的遭遇罕有機會被提及。
▼東京大空襲では爆撃機B29が279機飛来し、3時間足らずで下町を焦土にした。戦中派には恨み重なるB29を、昨今の若者は濃い鉛筆のことか?と問うそうだ。話半分に聞くにせよ、いまや戦後生まれがほぼ8割を占めるのは事実である
東京大空襲中,279架B29轟炸機空群而來,3小時不到就讓街市成為一片焦土。真想問一句:戰爭經歷者恨重難消的B29,對如今的年輕人來說只不過是深黑色的鉛筆素描畫嗎?雖然此語未可當真,但今天將近八成人戰後才出生卻是一個事實。
▼移ろいやすい人の世だが、忘れてならぬものがある。11日には大震災から2年がめぐる。その前日の3・10も伝え続けたい。天災と戦争は違うけれど、奪われた命の無念は変わらない。胸に刻む両日としたい。
人類的世界朝三暮四,但仍然有一些東西是不可忘卻的。3月11日是大震災二周年。在那之前的3月10日,希望也能被人牢記下去。天災和戰爭不是一回事,但生命被褫奪的悲傷並無二致。這兩個日子都應銘刻於胸。 |
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