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[其他] 日语第7册第8课的课外《日本人の空間感覚》的翻译,2468178499@qq.com 谢谢各位大大

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发表于 2014-3-18 12:38:27 | 显示全部楼层 |阅读模式
2咖啡豆
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-27 22:31 编辑

 日本人の空間感覚とでも言うか、空間に対する感受性かどうなっているかを考えてみると、一つのおもしろい事実にぶつかります。
 というのは、近世に至るまで、日本の都のある場所、文化と政治の中心のある場所は、ほとんど盆地であったということがわかるのです。日本には、狭いながらも平野があり、あるいはもっと険しい山岳地帯があります。しかしどういうわけか、日本の都は、平野にも山岳地帯にも作られないで、盆地の中に作られてきました。いちばん古いのは、もちろん飛鳥の都ですが、これは大和三山を控えた盆地のような地形の中に作られました。都はその後、奈良盆地に移り、そして言うまでもなく、山城盆地に移ってきます。その他、全国にいわゆる小京都と呼ばれる文化の中心地が生まれますが、そういう場所はたいてい盆地で、真ん中に川が流れるという独特の地形を見せています。もちろん、現在の日本の大都市は、いずれも平野にありまして、東京、名古屋、大阪というふうに、広い場所にできています。しかしそれができてきたのは、むしろ近世ーこの三百年ばかりの間のことにすぎません。
 論理的に考えますと、都を盆地の中に作った理由は、よくわからないと言うほかはありません。単に防衛上の理由を言うならば、どうも飛鳥の盆地などというものは、大して防衛に役立ちそうにありません。京都にしても、山が防壁になって、本当に実戦に役に立ったというような記録はほとんどありません。一方、盆地の外に都を作る実力がなかったかというと、これも事実に合わないので、現に古く難波にも都を作りましたし、滋賀にも都を作ったのですが、どういうわけか、日本人はたちまちそれを放棄して、また盆地の中に帰ってしまうのです。どうも私の考えでは、これはそういう実利的な、あるいは現実的な自然条件によって、日本人が盆地を選んだのではなくて、盆地というものに対する独特の感受性があったからではないか、と思われるのです。つまり、日本人には盆地の中で、目前に山をながめることによって自分の位置関係というものが明確になり、そこで初めて安心して落ち着けるような感受性があったように見えます。どうやら日本人は山が好きで、啄木の歌にも、「ふるさとの山に向かひて言ふことなし……」という一首がありますが、ふるさとというのは、伝統的に向こうに山の見える場所らしいのです。
 そしてその場合、注目すべきことは、日本人が盆地の中に作り上げた都及び建築は、諸外国の都や建築に比べると非常に脆弱だということです。造型感覚の上で弱々しく、よく言えば繊細なのです。日本の都は、もちろん中国の模倣から出発したわけで、長安の都を日本に写そうとしたのですが、中国の大都会で発達した城壁というものは、ついぞ日本の都会には生まれませんでした。西洋の場合にも、都会というものは城壁があるに決まったもので、例えばフィレンツェというイタリアのルネサンスの町がありますが、そこに行きますと、今でも丘の上にえんえんと城壁の跡が残っています。考えてみますと、フィレンツェは盆地で真ん中にアルノ川という川が流れて、地形ははなはだ京都に似ています。にもかかわらず、その周囲の山の上に更に城壁をこしらえて、彼らはそれを人工的に囲い込まれた空間に作り変えています。これに対して日本人は、盆地の中にいればそれで安心してその上更に城壁を作ろうとはしなかったのです。
 更に、これは多くの建築学者が指摘していることですが、日本の都市にはその中心になるような広場というものがありません。古代ギリシアには、アゴラという広場があって、そこへ人々が集まっていろんな議論をする。それがまたギリシアの民主主義の誕生の地になったのだ、という説もありますが、確かに西洋の都市には必ず広場があります。そしてその広場から道が発達して、都市の基本構造を作っているのに対して、日本の伝統的な都会には広場を設けるという感覚はまるで見かけられません。つまり外側の硬い甲羅もなければ、真ん中の中心もない。構造としては極めて不安定な、いわば柔らかい構造を持っているのが、日本の都市です。
 そして、よく指摘されるように、広場がない代わりに、日本人は道を広場の代わりに使ってきたのです。昨今では都会がだんだん高層化してきて、そういう風景は少なくなりましたが、つい最近まで、夏になれば路地に床几か何か持ち出して、夕涼みをするのが日本の夏でした、道というのは人間が通るだけの場所ではなくて、人があったり、あるいは場合によっては、夜店などを出して、ちょっとした商売をするような場所ですらあったわけです。中心がない代わりに流れがあった、というのが日本の都市の大きな特色だと言えます。
 このことと、日本人の盆地に対する愛着の傾向とは、どこかで相補っているような気がします。つまり周りに現実の山があり、盆地という確明な境界線が引かれている以上、その中で更に確明な構造を持った、堅い都市を作り上げる必要がなかったのではないか、というのが私の想像なのです。その都市の中にいる人間は、いわば母胎の中に包まれたように、ある種の心理的な安心を保証されている。そうやって安心している限り、家屋とか、あるいは都市というものは、まるで人間にとって衣装のようなものになるわけで、西洋人、あるいは中国人が考えるような建築という観念は、生まれてこなかったのではないかとも考えられます。
 その証拠に、日本の住宅建築はもちろん神社?仏閣の建築ですら、たいへん繊細であって、悪く言えば脆弱なものが多いのです。東大寺の大仏殿などというのは例外ですが、日本の建築に巨大さというものを誇示するような例は極めて少ない。西洋の建築でも、中国の建築でも、ともかく巨大であるということは、建築の大きな条件でありましたが、日本の場合、巨大さを誇ることは悪趣味として受け取られてきたようです。
 そこには、もちろん素材の問題もあるはずで、日本の建築が木造で、石材を多く使わなかったということも原因の一つになりましょう。しかしそれにしても、同じように木材を使った中国の建築に比べてもはるかにこまやかで、悪く言えば、ちっぽけなのが日本の建築です。しかも、日本人が石造建築を作らなかった理由は、いまだによくわからないというのが本当のところです。石がなかったわけではありませんし、石を細工する技術がなかったわけでもない。早い話が、仁徳天皇陵をはじめとして、古代の墳墓というものは、巨大な石によって作られています。そういうものを動かす土木工事、ならびに建築技術を、日本人は十分知っていたにもかかわらず、石造建築は発達しなかったので、だとすれば、それは空間に対する根本的な感受性が違っていたのではないか、とういうのが私の予想なのです。
 それにつけておもしろい例は日本の庭園です。だれもが知るように、日本の庭園には借景という技術があります。これは具体的には、遠くにある山を自分の庭の風景の一部として取り入れて、そして全体を一枚の絵としてながめようという技術です。近景である自分の庭と、遠景である山との間の中景の部分を、木を植えたり、あるいは小高い土手を作って、隠してしまう。山と自分の庭の間にある薄汚いものを見えないようにして、山と自分の庭とを直結しようというのが「借景」の技術と呼ばれます。
 これがなぜ日本的であるかというと、まず第一に、一つの風景を作る基本になっているものが山だということで、この山はしばしば盆地の輪郭を形づくっている外壁でもあります。その外壁を基準にして、自分の現在立っている位置を確認し、常に山との関係において自分の住まう空間を作り出すわけです。この態度は、その山に囲まれている空間を、論理的かつ抽象的にながめるーあるいは客観的にながめるという精神とは正反対のものだと言えましょう。
 もし客観的、合理的に考えれば、自分の庭の隣にはお隣の庭があり、そのまた向こうにはだれかの家があり、そのまた向こうには公園があるというふうになっているはずです。そしてもしそうだとすれば、人間はそれぞれの建築の間の調和ということを考えなければなりません。そういう考え方を推し進めてゆくと、行き着くところは、都市の真ん中に一つの中心を置いて、その中心と外郭との間を、きちんと合理的に割り出して、区分して、全体を整然たる形にまとめ上げるということにならざるを得ません。西洋の都市、あるいは中国の都市というのは、そういうふうにして出来上がっているわけです。
 日本も若干そのまねをしたものの、たちまち自分の文化的な本音が出てきたわけで、借景の例について言えば、自分の庭と遠景との関係はあるものの、中景、つまり隣との関係は存在しないのです。それを重ねてゆけば、ついでながら、現在の恐るべき都市の混乱、都市計画の乱雑さというものを生み出してしまうのは当然と言えましょう。
 ついでに悪口を付け足すならば、日本人はいまだに平野を取り扱う感覚を養っていないのではないかと思われます。東京とか大阪とか名古屋とか、大きい空間になればなるほど、都市計画はめちゃくちゃなのに対して、小さな城下町には美しいものが多いようです。また、我々が家を建てる場合にも、自分の庭はたいへんきれいにしますけれども、その庭と前の道、あるいは隣の家との関係は余り考えない。もし考えるとすれば、はるか向こうにある山と、自分の庭との関係だけを考えるのが常で、借景的なセンスはいまだに生きているとも言えるのです。
 幾つかのまとまった単位ーこれは盆地がその原形でありますが、それが幾つもつながっていて、その連鎖状の空間を出たり入ったりして、我々は暮らしているのではないか。そういう感受性か、例えば自分のうちとよそのうちの関係にも現れ、自分のうちのことは大事にしても、他人のことは余り考えないとか、自分の家を建てる時に、隣の家との美的な関係は余り考えないで建てる、といった国民性にもつながっていないだろうかと思うのです。

 

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 楼主| 发表于 2014-3-18 15:49:25 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-27 22:31 编辑

才注册,也没什么豆豆,虽少,还请各位大大笑纳

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 楼主| 发表于 2014-3-18 16:14:21 | 显示全部楼层
本帖最后由 xumh0916 于 2015-8-27 22:31 编辑

要有好心大大路过看到,还请在这个月23号前发给我,要上交作业了,在此谢谢你们了。。。

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