レントゲンで左肺に小さな影が映った。CTでも調べた。結果を待つ間、亡き妻を思った。「助けてよ」。一人娘を置いて死ねるわけがない。後刻、医師は告げた。「なーんも、ありまっせんね」。えー! あの影は? 「なんやろね。乳首かな?」
X光检查结果,左肺有一块小阴影。也做了CT检查。在等待结果的时候,想起了故去的妻子。我不能死,“救救我”。我不能扔下女儿一个人。过会,医生告诉我说:“什么也没有”。唉唉!那个阴影是?医生说:“是什么呢,可能是乳头吧?”
▼福岡市の新聞社勤務、安武信吾(やすたけしんご)さん(50)が昨年つづったブログから引いた。家に帰り、娘のはなちゃん(11)に一部始終を話すと、「めっちゃウケる~」と大笑いしたという。妻の千恵(ちえ)さんはがんと長く闘い、08年に33歳で死去した。父子2人の暮らしになって丸6年になる
这里引用了安武信吾(50)去年写的一篇博客。他在福冈市的一家报社工作。当他回家后将这件事原原本本讲给女儿小花听后,女儿大笑道,“太搞笑了”。妻子千惠长时间与癌症抗争,不幸于08年离世,年仅33岁。此后,父女俩相依为命已整整6年。
▼信吾さんが一昨年に出した『はなちゃんのみそ汁』は多くの人に読まれた。闘病記であり、子育ての記録でもある。掃除や風呂洗いや洗濯物干しを教え、5歳になったら朝ご飯のみそ汁づくりを任せた
许多人已经读过信吾前年出的《小花的酱汤》一书,它既是与疾病抗争的纪实,也是教育子女的实录。教女儿打扫卫生、清洗浴室、晾晒衣物,当她5岁时,又把做早饭酱汤的任务交给她。
▼なぜそこまでしたのか。〈いつどこで自分がいなくなっても大丈夫なように〉〈ムスメが一人でも強くたくましく生きていけるように〉。すでに全身に転移していた千恵さんの残した文章が胸に刺さる
何至如此呢。〈无论何时何地,即使自己不在了,女儿也可以独自应付〉〈希望女儿即使一个人也能够勇敢坚强地活下去〉。千惠留下的字句深深刺痛了我的心,此时癌细泡已经扩散至她的全身。
▼はなちゃんの健気(けなげ)な姿も読む者の鼻の奥にツンとくる。葬儀後も立ち直れない父に5歳の娘はいった。「パパ、また悲しい顔しとるよ。大人のくせに、つまらんねえ」。いわれた父は「はなは時々、大人になった」と書く。思わず微笑を誘われる
读者也可以感受到小花坚强的身影。5岁的女儿对葬礼后仍然不能振作起来的父亲说:“爸爸,你还是一副悲伤、忧郁的样子。都是大人了,真拿你没办法”。爸爸听后不禁露出了笑容,写道,“小花常常就是个小大人”。
▼あすは七回忌だ。生前の仲間たちがあさって、音楽の先生だった千恵さんの追悼コンサートを福岡市で開く。題して「いのちのうた」。はなちゃんも舞台で歌う。
明天是七周年忌辰。生前好友将于后天在福冈市举办悼念音乐老师千惠的演唱会,题为“生命之歌”,届时小花也将登台献歌。
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