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“神韵”与”幽玄”
——中日审美范畴之比较
摘 要
本文选择“神韵”与”幽玄”作为中日审美意识中代表性的美学范畴进行比较研究.
“神韵”与”幽玄”虽然产生于不同的历史环境,但离不开儒道禅互为渗透和互为汇合这一基因。其中,禅宗作为中国化的佛教,赋予了“神韵”范畴与”幽玄”理念更多美学上的深度。当然自然环境的影响也决定了中日两个民族不同的审美情趣。
“神韵”范畴体现了中国艺术审美具有民族特色的美学风貌。它所表现出的“不著一字,尽得风流”的诗境,“意在言外”的“韵味”之美,清远淡雅的风格,传达给读者含蓄蕴藉、寻绎不尽的美感。“幽玄”范畴充分显现了日本民族的审美趣味和欣赏的审美情态。它“情韵隽永”的“余情”之美和空寂恬淡的审美风格被称为最高品味、最风雅的美的理想。
“神韵”与”幽玄”具有共同的审美趣味,都是注重“韵味”、“余情”,追求意在言外的含蓄之美。但在审美风格上,“神韵”偏重于平淡、清远,“幽玄”倾向幽深。以王维的山水诗与松尾芭蕉的俳句作一比较,能够更清晰地“对神韵”和“幽玄”之审美内涵进行具体解读,同时通过比较研究,可以看出中日两国形成了有同有异的审美范畴体系。
关键词:神韵 幽玄 审美范畴 中日诗学比较
「神韻」と「幽玄」
―――中日審美範疇の比較
要 約
「神韻」と「幽玄」は中日審美意識範疇に代表的なものであり、本文は「神韻」と「幽玄」を例として、美学範疇に比較、解説します。
「神韻」と「幽玄」の源の生み出しはそれぞれの歴史背景がありますが、儒道禅三つの宗教の結び合わせ、合流という基本の歴史環境と切り離せません。特に、禅宗は中国化の仏教として「神韻」と「幽玄」に美学範疇に奥深い内容を賦与します。当然、両国相違の自然環境もある程度、中日審美情趣の違いが決まっています。
「神韻」は中国の芸術審美の中に中華民族特有の美学風貌を表します。「神韻」の「一つの文字を書かなくても全ての風流を得る」という“詩情画境”、「奥義は言葉の外」という「韻」の美しさ及び清雅の風格は読者に含蓄、意味深長の美感を与えます。「幽玄」は日本民族の審美の趣と鑑賞の情態を現します。「玩味無窮」の美しさと空寂平淡の審美風格は最高の品位、理想的な最風雅の美と言われます。
「神韻」と「幽玄」は共同の審美の趣向が持ち、両方とも「韻」「玩味無窮」を重んじ、「奥義は言葉の外」という含蓄の美を追求します。だが、両方の審美風格は違い、「神韻」は主に‘平淡’、‘清遠’を追求する一方で、「幽玄」は‘幽’、‘深’を追求します。王維の山水詩と松尾芭蕉の俳句を例に比較して見れば、「神韻」と「幽玄」は審美範疇での内包がもっと易しく、奥深く理解できるうえに、中日両国の審美範疇を奥深く理解できると思います。
キーワード:神韻 幽玄 審美範疇 中日詩学比較 |
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