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急求:《菊与刀》日文版

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发表于 2005-6-6 10:22:47 | 显示全部楼层 |阅读模式
  考试用 最好是文字的不要是扫描的
谢谢
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发表于 2005-6-9 03:19:25 | 显示全部楼层
我也想要,有pdf版本的满足。
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 楼主| 发表于 2005-6-9 08:53:21 | 显示全部楼层
pdf版
是什莫 你现在有吗? 我下午就可能用得到
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发表于 2005-6-9 11:04:03 | 显示全部楼层
同求.
pdf版就是用acrobatic reader可以读出来的那种,可以转化成文本格式的.
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发表于 2005-6-9 14:27:19 | 显示全部楼层
  不好找喔!
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发表于 2005-6-9 16:11:06 | 显示全部楼层
是啊,美国人写的东西,不知道有没有翻过去了
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 楼主| 发表于 2005-6-9 21:02:54 | 显示全部楼层
有是有
老师老师上课念过
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发表于 2006-5-21 23:43:06 | 显示全部楼层
顶一下
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发表于 2006-5-26 23:16:25 | 显示全部楼层
这个感兴趣的,买过中文版的~~不知道有没有日文版的电子书啊
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发表于 2006-6-6 15:56:54 | 显示全部楼层
日本語版持っていますけど、電子ファイルがないよ。同じ町なら貸してあげますけど。
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发表于 2006-6-13 11:41:45 | 显示全部楼层
shelly1119さんへ

私は上海市の住民です。同じ町ですか。
同じなら、幸いです。
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发表于 2006-6-28 14:44:51 | 显示全部楼层
私も読みたいわ~~~!
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发表于 2006-6-29 00:53:22 | 显示全部楼层
没有完全作成的网文,举例如下
http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckapj600/chukai0/index.htm

『菊と刀』注解 第1回  (C)森 貞彦

  

はじめに: なぜ『菊と刀』の注解が必要なのか

(2005年7月7日に一部分を書き改めました)

 ルース・ベネディクトが1946年に著わした『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture)は人間の精神に関するきわめて深い洞察にもとづいて書かれた本です。それは、ガリレオの『天文対話』や、ダーウインの『種の起源』と比較しても見劣りしないものです。『天文対話』は、天体と地球との間には神の世界と人間の世界というような本質的な差異が無いことを明らかにした本です。これが近世以後の人間の精神に計り知れない影響を及ぼしたことはよく知られているとおりです。また『種の起源』は、野生動物と人間との違いは神によって作り出された不連続的なものではなく進化と自然淘汰による連続的なものであることを示した本です。これもまた人間の精神に重大な影響を及ぼしました。

 『菊と刀』がそれらと肩を並べるものだと言うのは次の理由によります。すなわち、それが拠って立つところの「文化の型」の思想はそれに先立つ進化主義、発展段階説および機能主義を乗り越えて人間の可能性に関する新しい展望を与えるものであり、筆者の見るところでは、現在もなお乗り越えられていないばかりか、今なお真価が十分認識されていないのです。進化主義や発展段階説は、宇宙観の歴史にたとえれば天動説のようなものであり、機能主義は生物学史におけるラマルクの進化論のようなものです。それぞれに学説史上の意義はありますが、ベネディクトという、ガリレオやダーウインに匹敵する巨人に乗り越えられる運命にありました。20世紀後半に新しい進化主義が頭をもたげましたが、それはベネディクトの業績が学者たちの間でさえよく理解されていない隙を突いて出てきたものにすぎず、文化の型の理論が多くの人たちに十分理解されれば退場を余儀なくされるでしょう。

 今言ったことからも明らかなように、『菊と刀』以前に同じ著者によって『文化の型』(Patterns of Culture)が著わされていたことは重要です。それによれば、部族(tribe)とか国民(nation)という単位ごとに人々のものの考え方が違うのは決して理解不可能なことではなく、人間の社会生活の安定を保つ上で必要な無意識的目標の選択の問題に還元できること、そしてその選択自体には価値の優劣が無いことが明らかにされたのです。しかしながら『文化の型』が書かれた1930年代初期には、彼女の研究は北アメリカ西部とか、太平洋の小さい島などに西洋文明が到達するより前から住んでいた人々の単純な社会にとどまっていました。ところが1946年の『菊と刀』では、日本という、学校教育の行き届いた数千万の人口を持ち、帝政ロシアやアメリカ合衆国に宣戦布告するほど文明化され、複雑な社会組織が成立している国についても文化の型が明らかにされたのです。

 そして特筆すべきことには、いま言った「その選択自体には価値の優劣が無い」ということはベネディクトの文化相対主義(注1)の重要な根拠の一つなのです。昨今の学界では文化相対主義はどちらかというと困難を内に抱えた主張とみなされることが多いようですが、それは人々がこの根拠をしっかり踏まえていないからではなかろうかと思われます。筆者は、文化相対主義こそ平和の礎になり得る思想だと思いますが、それを社会全体のものにするにはベネディクトの業績を多くの人々に理解していただくことが必要だと考えています。

 筆者は、これは専門家よりむしろ一般の方々にこそ理解していただくべき事だと思います。現状では専門家の理解も乏しいのでそれを向上する努力も必要ですが、今はガリレオやダーウインの時代と違って高等教育が広く普及しており、一般人の教養の水準が著しく高まっていますので、将来重要視されるに違いない思想を直接公衆の前に差し出すことにも意義があろうかと思われます。

 さてここで『菊と刀』の成立の事情について簡単に言っておきましょう。ベネディクトは第二次大戦が始まってからまもなくアメリカ合衆国政府の委嘱を受けて、アメリカ本土に居ながらヨーロッパやアジアの諸国の文化の研究をはじめました。その目的は、アメリカ軍が外国で行動する際に現地の住民との間に無用のトラブルを起こしたりしないこと、そして可能であればその協力を得ることにありました。そしてその方面での仕事が一段落した1944年夏に、政府は日本に関する本格的な研究を要請しました。『菊と刀』はその研究から生まれた本です。

 とは言っても、1944年の時点でアメリカ人が日本を研究するということには、オランダとか、ハンガリーといったヨーロッパの国々を研究することとは大きくかけ離れた意味がありましたし、中国やタイ(当時は「シャム」と呼ばれていました)というようなアジアの諸国の研究とさえずいぶん違った意味がありました。それがどういう意味であるかは『菊と刀』の第一章に書かれていますから後で詳しい話をしますが、日本研究における特異な諸条件がベネディクトの学問に大きい飛躍を促したと言えるのです。その飛躍によって彼女の研究は、日本との戦争を可能な限り早く終結させ、戦後の日本占領をできるだけ円滑に遂行するという目的に申し分なく適合したばかりでなく、『菊と刀』という、先ほど言及した大きい意義のある業績に到達したのです。

 しかしながら筆者には、ベネディクトがあまりにも傑出した人物であったことがその本に不運をもたらしたように思われます。ベネディクトは、ある事情(これについては第一章「研究課題――日本」の注解に入ってから説明します)のためにそれを、学術書としてではなく、一般向きの本として書きましたが、そのために、学問的には深い意味のある概念を平易な言葉で言い表わさねばなりませんでした。彼女がそれを実行したことによって『菊と刀』は多くの人々に読まれる作品になり、一応の目的は果たされました。ところが残念なことに、一般人ばかりか専門の学者たちまでが深い意味を読みそこなってしまったのです。もちろんこれは単純な出来事ではありません。詳しく話すとずいぶん長くなりますのでそれは機会が得られたときのことにしますが、一つだけ鍵になるかもしれない話をしておきましょう。

 マーガレット・ミードが書いたベネディクトの伝記 An Anthropologist at Work: Writings of Ruth Benedict (1959)にベネディクトの若い頃の日記の文がいくつか掲げられ ていますが、その中にこういうものがあります。

 (現代社会では)大多数の人が、調子を合わせてもらい、キーも与えてもらい、レバーや梃子も前に置いてもらって、自分自身の人格のバネに外から触れてもらわなければ、方向を見失い、迷ってしまう。

 これは1920年より前に書かれたもののようですが、その頃すでに彼女は自分が「大多数の人」より物事の本質に迫る能力を持っていることを自覚していたと考えられます。そして彼女のそういう能力が1930年代ないし40年代には専門の学者たちの間でも異彩を放っていたのです。これは、マーガレット・カフリーが書いた伝記 Ruth Benedict: stranger in this land(注2) の第10章の終わりに近いところに書かれていることからわかります。そこでは厳しい自己実現をする人のことが述べられていますが、ベネディクトと心理学者ワースエイマーの名を挙げて大要次のことが言われています。すなわち、彼ら(ベネディクトとワースエイマー)は、本質を見抜く目を持ち、本質的な事柄に強い関心を示し、うわべを飾ることを好まず、孤独とプライバシーを愛し、他人に親切で寛容であるが偽善や自惚れに対しては厳しい態度を取り、自分が持たない才能を持つ人には率直に敬意を払う一方自分を称賛したり崇拝したりする人たちには当惑し、時には嫌悪の情さえ表した。そして彼らは、欺瞞的な関係を断つために思いがけない冷酷さを示すことがあり、他人の言うことを聞かない傾向を持ち、雑談に無関心で、そのために他人の気を悪くさせることがあった。彼らには独自の「内面的衝突と葛藤」があった。彼らを理解する人はほとんど居なかったが、彼らは多くの人に好まれることができた。そしてカフリーは彼らの特徴を表わすくだりを「まったくのところ、彼らはどこか遠い国から来た人のようであった」という文で締め括りました。

 ベネディクトにしてみれば、自分以外の人間が一人残らず「調子を合わせてもらい、キーも与えてもらい、レバーや梃子も前に置いてもらって、自分自身の人格のバネに外から触れてもらわなければ、方向を見失い、迷ってしまう」とまでは考えられず、大多数がそうであっても、専門の学者の中の幾人かは『菊と刀』を読めば自分でキーを探しだし、レバーや梃子を調達して深い意味を見つけるだろうと思っていたのかもしれません。しかし実際には、専門の学者たち、それも彼女と同じアメリカ人でさえ彼女のことを「どこか遠い国から来た人のようであった」というように見て、真意をはかりかねていたのです。つまり、彼女があまりにも傑出しすぎていたために周囲の人たちとの間にギャップが生じていたのですが、そのために彼女の側から見てこんな事ぐらい、皆とまでは行かなくても、誰かが理解するはずだと思われたことが案に相違して理解されなかったということがあり得たのです。

 『菊と刀』はもともとアメリカ人に読ませるために書かれた本ですが、一般読者に深い意味が伝わらなかったのは仕方のないことであり、予想されたことでした。しかしながらそれをアメリカ人の学者が読んだときにさえ、そこにベネディクトの予想を超えたギャップがあって理解が妨げられたのです。そういうわけですから、日本人が読んだときにはなおさら大きいギャップがあり、真価が知られることは更に困難でした。この困難はわが国で広く信頼されている『菊と刀』の訳文にも影響を及ぼしているのですが、そのことに今まで誰も気がつかなかったのです。

 『菊と刀』の日本語訳が刊行されたのはベネディクトが亡くなった2ヵ月後の1948年末で、翻訳者は長谷川松治でした。彼は、1967年にその訳文をいくらか修正して新版を上梓しました。そしてこれが現在事実上唯一の訳本として市場に出回っています。学術論文等で若干の小部分について異なる訳文を掲げた人はありますが、全体としては1967年の長谷川の訳が広く承認されているのが現状です。しかしながら筆者は、それを不幸な事と感じます。筆者の見るところでは、長谷川の訳文には重要な個所での誤訳がいくつも存在し、そのためにベネディクトの真意が隠され、彼女の業績が著しく歪められています。もちろんその誤訳はいずれも意図的に行なわれたものとは考えられません。長谷川がベネディクトの業績を十分理解していなかったために生じたものであることは間違いないと思われます。ここではその全体を見渡すわけにいきませんが、一つだけ例を挙げて簡単な説明をしておきます。

 第1章で研究方法が説明されているところから一つのセンテンスを引き出し、その原文と、長谷川訳とを並べて見てみましょう。

I took seriously the way hundreds of details fall into over‐all patterns.

私は何百もの個々の事象が、どんなふうに総合的な型(パターン)に分類されているか、という点を重視した。

 この和文はもちろん英文の直訳ではありません。それでは意訳かというと、そうでもありません。直訳でも意訳でもない、まったく異なる文です。だいいち‘took seriously’の目的語は明らかに‘the way’であるにもかかわらず、訳文ではそれは消し去られています。そして原文には存在しない「分類」という言葉が持ち込まれています。このために、原文とはまったく意味の異なる訳文ができてしまいました。正しい訳は、たとえば次のようなものです。

私は、何百という細部が全体としてのパターンに落ち着いていくすじ道を真剣に把握した。

 どうしてこういう素直な翻訳ができなかったのでしょう。それは、簡単に言えば、長谷川がベネディクトの業績を理解していなかったからです。たとえば‘the way’という言葉一つにしても、ベネディクトは上記のセンテンスの前でも、後でも、何度も繰り返し使って、それがある重要な概念を担うことを暗示しているのです(注3)。それに気がついて居れば、‘took seriously’の目的語として現われたその言葉を無造作に消してしまうようなことはできなかったはずです。

 原書にある語句を軽んじてはならないということは、学術的文書を翻訳する人にとっては厳しく注意すべきことの一つです。これは、『菊と刀』においてはことのほか重要です。というのは、ベネディクトは、人類学者であると同時に詩人でもあったからです。これは、その本で芸術的表現が用いられているということではありません。彼女はそんなことをするような愚かな人物ではありません。彼女は言葉の使い方について並みの学者よりはるかに鋭いセンスを持っていたので決して不用意な言葉使いをしなかったということです。それゆえ彼女が真剣に捉えようとしたものを表わす言葉を無造作に書き変えるのは、悪意は無くても、結果としては乱暴な歪曲になってしまいます。

 それから、長谷川はどうやら‘over‐all patterns’というのが日本文化の型であろうと早合点し、ベネディクトが重視したのはこれに違いないと勝手に決めてしまったようです。しかしながらそれは、決して文化の型ではなく、むしろ行動のパターンです。行動のパターンと、文化のパターンとは全然別です。これらを混同するのは、Patterns of Culture(注4)を正確に理解していない人が陥りがちな間違いです。

 残念至極なことですが、それを混同したのは長谷川だけでなく、非常に多くの学者(文化人類学の分野だけでなく、人文・社会系の広い領域の専門家)たちも同様であったのです。現在もなお「文化の型」(patterns of culture)と「文化の類型」(types of culture)との違いを認識している人はあまりにも少数です。筆者の見るところでは、その両者の違いの最も重要な点は、前者が人間の無意識の領域に属する(このことについては、第6回でやや立ち入った説明をします)のに対して後者は意識の領域に属するというところにあると考えられますが、はっきりとそういう区別を立てて議論をした人は、筆者のほかにはまだ居ないのです(注5)。

 重ねて申しますが、上の文中の‘over‐all patterns’というのは決して文化の型ではなく、行動のパターンです。文化の型は、‘the way’を支配するのです。だからベネディクトは‘the way’を真剣に捉えて、それを支配している文化の型を見極めようとしたのです。長谷川松治はこの点を理解していなかったので上述の間違いをしてしまいました。そして『菊と刀』の読者の多くは原文を確かめることまでせず、訳文を鵜呑みにしてその誤解を継承してしまいました。

 もちろん、読者の全員が原文を見なかったわけではないでしょう。しかしながら、それにもかかわらず「文化の型」の本質にかかわるこの重要なセンテンスにおいて原文と訳文との間に違いがあることを明確に指摘した人は、筆者より前には居ないのです。なぜ誰一人としてその違いを問題にしなかったのでしょう。それは、信じ難いかもしれませんが、「文化の型」の本質が誰にも理解されていなかったという驚くべき事実があるからです。こういう重大な事実を明らかにするには、一万字や二万字の文ではとても足りません。相当長期にわたることを覚悟しながらこのシリーズを書き始めたのはそのためです。

 「文化の型」の本質を説こうとするなら『菊と刀』よりむしろ『文化の型』を取り上げるべきだと考える方があるかもしれませんが、より新しく、より進んだ内容を盛った本があるのになにも古いものを重んじることはありません。『文化の型』を参照すべき事柄があればもちろんそれに言及しますが、基本的には『菊と刀』を通じて「文化の型」の本質を論じるのがよいと思います。

 それで筆者は『菊と刀』に対する詳細な注解をしようと思い立ったのですが、この目的を達成するためはどういう書き方が良かろうかといろいろ考えたところ、結局『菊と刀』に書いてあることを順を追って解説することにしました。その本は、研究の目的から始まって、研究方法、問題点、予備的な分析を経て第十章から第十二章で日本人の集合的無意識の深部にあるものの摘出に至っているのですが、その順序を違えては十分な理解を得ることが困難です。筆者がこれまでに書いてきたもののひとつの欠点は、この配慮を軽んじたことにあったようです。

 もちろん、こう言ったからといって『菊と刀』の全体に対する注意は決しておろそかにしません。常に今説明している対象が全体の中でどういう役割を持っているかに注意し、読者が偏った見方に陥らないように適切なコメントを添えます。そういう説明は場合によって長くなるかもしれませんが、それでも読み終わったときには満足していただけるだろうと思います。

 テキストとしては、1969年に Charles E. Tuttle Company (Tokyo) から出版された本を用います。もちろんそれは英文ですが、特に注意しておきたいのは、筆者は決して読者に英語の勉強をさせようとしているのではないということです。すでに十分な英語の読解力を身につけて居られる方はベネディクトの文章の魅力を感じてくださるでしょうが、必ずしもすべての読者がそうでなくてもかまいません。問題は、彼女がどれほど深遠な洞察をしたか、その洞察の結晶としての文化相対主義がどれ程価値あるものかを知っていただくことにあるのです。筆者の力でそれがどこまで実現できるかはわかりませんが、とにかくこの点に力をこめて注解をいたします。これからそれを実行するわけですが、どうしても長くなることは避けられないと思います。それでも、ここには筆者以外の誰も言っていないことが次から次へと出てくるはずです。それは決して低い水準のものではないと思います。それゆえ読んだ後にはきっとある程度の充実感が生まれるでしょう。

 原則として毎月6回、毎回原稿用紙にして20枚程度のものをお届けしますが、最終回が何時になるかはこの時点では予想できません。どうか気長にお付き合いを願います。

(注1) 文化相対主義: あらゆる文化は、みな独自の背景のもとに個有の体系として評価すべきであるとする立場。文化の優劣や進化の度合を論ずる立場や、自文化の優越を主張する自民族中心主義に対していう。(『広辞苑』による)

(注2) ホームページシリーズ「『菊と刀』の勉強をしましょう」第14回および第15回参照。

(注3) その‘the way’がどういう概念を担っているのか、それにどういう意義があるのかは、このシリーズ「『菊と刀』注解」の第7回で説明します。

(注4) Patterns of Culture は米山俊直氏によって翻訳され、出版されましたが、その最も重要な個所の訳文に問題があります。詳しくはこのシリーズの第4回で説明します。

(注5) 「『菊と刀』の勉強をしましょう」には「文化の型」と「文化の類型」との違いに言及した評論がいくつか含まれて居ます。たとえば第74回、第78回はそれに当ります。そして「文化の型」が人間の無意識の領域に属することについては、第4回、第32回、第33回等が参考になります。
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发表于 2011-1-13 22:01:10 | 显示全部楼层
楼主 我也要啊 日文版的  ~~~~~急用
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发表于 2011-1-17 16:40:47 | 显示全部楼层
同求 偶也要
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