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原文:
きょう、広島市の平和記念公園では、被爆から60年の平和記念式が開かれる。式場に近い図書館の庭に、英国の詩人、エドマンド・ブランデンの詩碑がある。
「かの永劫の夜をしのぎ はやもいきづく まちびとの……とはに亡びし もののあと たちまち動く 力あり」。戦前、東大で英文学を教えたこともある親日家のブランデンは、被爆から3年後の広島を訪れ、焦土から立ちあがろうと力を尽くす人々の姿にうたれた。
「ヒロシマ よりも 誇らしき 名をもつまちは 世にあらず」。末尾には「友・寿岳文章 訳」とある。
この60年、「ヒロシマ」と「ナガサキ」は、反核兵器のメッセージを世界に発信し続けてきた。原爆の惨禍を展示した平和記念資料館に置かれている「対話ノート」にも、外国人の書き込みが目立つ。ノートは900冊を超え、約90万人のメッセージから326人分を収めた『ヒロシマから問う』が出版された。
原爆を投下した米国人に、二通りの感想が見える。「このミュージアムは私の国の間違った行為について私にはっきりと教えてくれました」。「このミュージアムは、世界平和のための希求よりも、日本人に対する哀れみのための希求をより印象づけようとしているようだ」
感想はどうあれ、広島、長崎に来れば、核兵器を使うことの実相の一端に触れることができる。いつの日か、米国の大統領が広島、長崎を訪れ、その実相と向き合う時は来るだろうか。せみ時雨に包まれたブランデンの碑の前で、その日が遠くないことを願った。
訳文:
今天,在广岛市的和平纪念公园将会召开纪念广岛被原暴轰炸60周年的和平纪念大会,在会场附近的图书馆的庭院里,有英国诗人Edmund Blunden 先生的诗碑.
“挺过那个漫长的黑夜 很快就有了生机 街上的人们 …… 失去(一切)东西之后,立刻有了(重建家园的)力量”. 2战前在东京大学教过英国文学的亲日家的Blunden先生,在原暴投下3年后到广岛访问,被(广岛的)人们那种为了在一片废墟中重建家园而尽力奋斗的样子所感动(而写下了这篇诗句)
“世界上没有比HIROSHIMA这个名字更加骄傲的城市了” 文章的末尾注着”友 寿岳文章 译”
60年来,HIROSHIMA和NAGASAKI一直在向世界发送着反对核武器的意愿.在展示原暴的惨景的和平纪念资料馆里放着的交流对话簿里,外国人写在里面的感想也很醒目. 交流对话簿总共超过900本,从大约90万人的留言里选出326人的留言编辑出版了”从HIROSHIMA来的质问”一书.
(从交流对话簿中)可以发现投下原暴的美国人中有2种感想.”这个纪念馆让我明确地知道了我的国家做了件错事”.”对于这个纪念馆,与其说它是在希望追求世界和平,不如说是让人更加感到它在希望求得人们对日本人民的同情和哀悼”
不论感想如何,只要到广岛和长崎来了,就能感触到一点使用核武器的真象.虽然不知何日,但美国总统访问广岛和长崎,来面对这个真象的时候会来的吧.在阵阵蝉鸣声中(我)站在Blunden 先生的诗碑前,祈祷着这一天的到来不会遥远. |
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