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孙过庭《书谱》原文、汉译文、日译文(37)
【原文】
闻夫“家有南威之容,乃可论于淑媛;有龙泉之利,然后议于断割。”语过其分,实累枢机。吾尝尽思作书,谓为甚合,时称识者,辄以引示。其中巧丽,曾不留目;或有误失,翻被嗟赏。既昧所见,尤喻所闻;或以年职自高,轻致陵诮。余乃假之以缃缥,题之以古目,则贤者改观,愚夫继声,竞赏豪末之奇,罕议锋端之失;犹惠侯之好伪,似叶公之惧真。是知伯子之息流波,盖有由矣。
【汉译文】
听说,家里有了像南威一样美貌的女子,才可以议论女人姿色;得到了龙泉宝剑,才能够试评其他宝剑的锋利。这把话说得大过分了,实际上束缚着人们阐发议论的思路。我曾用全部心思来作书,自以为写得很好。遇到世称有见识的人,就拿出来向他请教。其中写得精巧秀丽的部分,并不怎么留意;而对写得比较差的,反被赞叹不已。既故意隐瞒他所看到的,更会喋喋不休地说那些他所听说的东西。有的竟以年龄大地位高,随便非议讥讽。于是我利用绫绢书写,题上古人名目,结果所谓的贤者看到后改变了看法,那些不懂书法的人也随声附和,竞相赞赏笔调奇妙,很少谈到书写的失误。就像惠侯那样喜好伪品,同叶公惧怕真龙有什么两样?于是可知,伯牙断弦不再弹奏,确是有道理的。
【日译文】
嘗て次のように聞いたことがある。家の中に南威のような美しい顔の人がいてこそ、美女について議論でき、家の中に竜泉のような名剣があってこそ、剣の切れ味について議論できると。すなわち己の実力以上のことを語れば、口の禍を招く事になるのである。私は嘗て思いを凝らして書を書き、自分で観ても出来映えが良いと思ったので、職者と言われる人に観てもらったが、良く書けたと思うところは、目に留めてもらえず、書き損なったと思われるところを、却って褒めてもらうというようなことがあった。これなど鑑賞眼を持たない者で、他人の言葉にうなずく人である。また年齢もポストも高い人が私の作品を軽んじて貶すので、色絹で表装して、古そうな題目を付けたところ、偉そうな人たちは急に見方を改め、無知な者はそれに乗って発言し、どうでもよい美点を褒めそやし、筆法の誤りを議論する者などいなくなった。まさしく贋物を好んで集めたという親渝の恵侯であり、本物の龍に恐れをなした葉公と似ている。故に琴の名手?伯牙が知音である鍾子期の死後は、流波の名曲をやめてしまったのも頷ける。 |
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