|

楼主 |
发表于 2005-12-14 14:34:26
|
显示全部楼层
不好意思,最近天气比较冷加上工作由一些些忙就没来更新了.以后争取每天更新一篇.....
朝昼兼用の食事を済ませたあと、芽実はやはりアルノ川沿いにある自分のアパートへ戻り、ぼくは工房に出掛けた。
アパートから歩いて五分ほどのヴェッキオ橋の傍に工房がある。大きな石造りの門の脇に作業場へと通じる小さな扉があり、そこを潜ると十坪ほどの狭い中庭に出た。四方を石壁に囲まれた空間は、植木鉢に入った植物が並べられていて、可愛らしい。その庭に突きの扉に立てかけてから中に入った。
初めてここを訪れた時は、そこら中に置かれた中世の彫刻や油彩画に驚いた。
歴史的な作品がまるで失敗作のように無造作にごろごろと放置され、堆く積まれているのだった。最初は練習用かと思ったが、そうではなかった。どれも本物だった。
ここは街全体が中世なんだから、何も驚くことではないわ、と先生はぼくの肩を叩いて微笑んだ。あれから三年の歳月が流れ、ぼくは幾つかの修復士の資格にも合格した。持ち込まれる年代物の油彩画やテンペラ画の中でも特に難しいものがぼくのところに多く回ってきた。ジョバンナはぼくを、最も信頼している、と二人きりの時に言ったことがあった。僕はずっとそれを信じていた。
先生は近所の修復士学校から訪れた数人の若い生徒たちを前に、支持体と呼ばれる絵が描かれた麻布や板の老朽や剥落などの傷みをどのように修繕していくべきか、を細かく指導していた。
浅い桃色のシャツが彼女のお気に入りで、それはとても似合っていた。眼鏡の金の鎖がシャツに弛みを描いていた。
先生はぼくを一瞥するや、すばやく微笑んで見せた後、またもとの真剣な表情に戻った。ぼくは一番奥にある修復のための作業場へ向かった。
最近この工房に国費留学でやってきた日本人、高梨明が洗浄の作業に入っていた。高梨は僕よりも五歳年上の三十二歳だった。東京芸術大学の大学院で修復養成のコースをマスターした後、日本の修復研究所に就職したが、より専門的な技術を習得するために文化庁から派遣されてやってきていた。
「雨だね」
高梨は洗浄の手を休めずに告げた。
「湿気は修復によくない」
彼は綿棒を微細に動かして洗浄作業を行っていた。表情は冷静沈着だったが、手先が僅かに震えているのが分かった。僕はジャケットを脱ぎ、作業着を頭から羽織ると、高梨の隣に座った。
「湿気の多い日本では修復は大変な作業だ。こちらは乾燥しているから、ニカワに酢を混入したりするけど、あんなことは日本でしたらそこから真っ先にかびてしまう。」
彼は独り言のようにぼそぼそと告げた後、一人で笑った。
「根本的に日本とは方法が違う」
「どう違うんだい」
ぼくが問うと、高梨は、うん、と一つ大きく頷いた。質問されることを待っていたような力のある返答である。
「一例に過ぎないけれど、日本の場合は、いかに見た目をオリジナルに近づけて復元することが重視されるんだ。」
なるほど。ぼくはそう丁寧に返事を返した。イタリアの場合、遠目には違和感のないよう色を差していくのは日本と同じだが、傍によってよく見ると、明らかに補修が行われたことが分かるようにしなければならなかった。
「文化財として価値が高ければ高いほど、どこが修復されているか、誰が見ても分かるようにしておくのがこの国では前提じゃないか」
高梨はそう言うと、イタリアの方法は間違っていると言っているわけじゃない、つまり国によって考え方がまちまちだと言いたいだけなんだ、と付け足し、同時にそれは自分をぼくに肯定させようとしている言い方のようにも響いた。
ぼくは作業に入った。高梨のように大学院で専門の知識を修得していないぼくは、いわゆる現場のたたき上げだった。ここではぼくは年上の高梨に専門的な技術を教える立場にあった。
「君はすごいな。ここはフィレンツェでもトップクラスの工房なのに、国のバックアップもなしでよく入れるものだ。大学で特に修復について学んできたわけじゃないだろ」
ぼくは、ああ、と答えてから作品を持ち上げ、隅々を点検した。ボッティチェリの初期の作品をぼくは手掛けていた。個人の所有しているものだったが、価値を考えると手が竦むので、ただの古い絵だと自分に言い聞かせていつも作業をすることにしていた。
|
|