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[原创作品] 冷静と情熱の間(全书完)

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发表于 2005-11-23 16:03:08 | 显示全部楼层 |阅读模式
冷静と情熱の間  BLU 作者:辻 仁成

[ 本帖最后由 bgx5810 于 2008-8-17 13:48 编辑 ]

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 楼主| 发表于 2005-11-24 23:20:16 | 显示全部楼层
<続き>
 人はどうして出会ってしまうだろう。そんな哲学もどきの問いかけが、このルネッサンスの精神を残す街では、ぼくを捉えて離さない。
 世界中からここへ集まってくる観光客たちが僕と同じように首を痛めながら頭上を仰ぐ姿を見るたびに、みんな自分と同じように忘れられない人がどこかにいるのだ、と勘繰ってしまう。
 「ブルネッレスキの建築って、すばらしい!そう思いませんか」
 ほとんどの人々は片言の僕のイタリア語に驚き、東洋人であるところの僕の怪しげな笑顔に圧倒され、視線も合わせずにその場から立ち去ってしまう。あおいも僕のそういう性格には、時々ついていけなくなる、と口にしたことがあった。
 「あなたって人は、場所もわきまえないで、わたしを困らせる冗談ばかり」
 もちろんあおいは視線をそらして立ち去ったりはしなかった。むしろ突拍子のないことを言い出す僕のことをいつもどこかで面白がってくれていた。
 「順正は変わっている。変わっているところがすき」
 変わり者だった僕を彼女だけが見放さなかったと言っても過言じゃない。世界でただ一人、彼女は僕の理解者だった。

 忘れようとすればするほど人は忘れられなくなる動物である。
 忘れるのに本来努力なんていらないのだ。次から次に降りかかる日々の出来事なんて、気が付いたら忘れてしまっているものがほとんど。忘れてしまったことさえ思い出さないのが普通。
 ある時ふいに、そう言えばあんなことがあったなって思い出すことがあっても、引きずったりしないから、記憶なんて大概儚いカゲロウの羽のようなもので、太陽の熱にそのうち溶かされ、永遠に消え去ってしまう。
 ところがあれから五年もの歳月が経っているというのに、忘れ去ろうとすればするだけしっかりとあおいの思い出は記憶されてしまい、ふとした瞬間、例えば横断歩道を渡っている一瞬や、仕事に遅れそうで走っている最中、ひどい時は芽実と見詰め合っている時なんかに、亡霊のようにすっと現れ出てきてぼくを戸惑う。
 
 忘れられない異性がいるからと言って、今が不幸なわけではない。現実から逃げ出したいわけでもない。この街の透き通る青空のように清々しい気分を日々それなり満喫している。ましてやあおいとの恋の復活を願っているわけでもない。あおいとは永劫に会わない予感もするし、実際会ったってどうにもならないことはわかっている。でもこれは記憶の悪戯のようなもので、ここが時間を止めてしまった街だからなのか、ぼくは過去に振り回されることをどこかで喜んでいる節がある。

 喜ぶだって?

 あおいはもう戻ってこない。彼女はそういう女だし、ぼくだってそれを期待するような男ではない。人間には必ず、別れなければならない時がある。
 例えば死別のような別れ……
 ぼくとあおいはそんな別れをかつて持った。僕はもう彼女は死んでしまった、と思い込もうとしている。
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 楼主| 发表于 2005-11-25 20:06:55 | 显示全部楼层
世界の美術品の三分の一はイタリアにあるといわれている。
   ぼくがレスタウロ〔修復〕の勉強をするためにここに来たのは当然のだと言える。ここには世界で最高水準のレスタウラトーレ〔修復士〕が大勢いて、例えばぼくの先生だって、油彩画の修復にかけては第一人者なのだ。
   ジョバンナはぼくの先生というだけではなく、母を早く失ったぼくにとっては母親のような人。彼女の注文どおりに生きる日々は、神の掌の上にいるようで制御されていて気持ちがいい。

   先生はぼくの裸体を時々描く。仕事が早く終わった時などに、
  「ジュンセイ、今日体あいてる?」
と小声で、他の弟子たちに聞かれないよう、誘ってくる。
   ぼくは先生の部屋で、言われた通りにポーズを作る。アトリエの天窓から差し込む仄かな光のなか、動くことのない静まり返った空気を皮膚呼吸しながら、ぼくはぼくの肉体が彼女に見つめられていることを喜ぶ。
    先生は顔色一つ変えず、ぼくの感情を試したりせず、ただ黙々と東洋人の筋肉質な身体をデッサンしていく。仏に仕える人のようだ、と思うことさえある。

   先生にスケッチされながら、あおいのことを時々考えてしまう。衣服を纏っていないせいで、心が大胆になればなるほど、その解放感の中、ぼくは過去を飛行し、あおいを思い出す。先生の絵のモデルをぼくが喜んでいる理由はそこにもある。
   ぼくもかつては、つまり大学生のごろ、あおいをモデルによくデッサンした。
あおいは唯一月光の中でだけ脱いだ。あおいの痩せっぽちだが西洋陶器の人形のような裸体は、セクシーというよりはホッソリト愛らしく、ぼくにはとても美しく映った。特にその足首は、骨が細く、余分な肉もなく、ぼくは僅かに弛んだふくらはぎを好んで描いた。
   その時の条件、それはぼくも裸になること。

   もしも約束の日、ぼくの期待が破られたら、あおいはその日初めて、美術館の倉庫の奥に眠る修復不可能な彫刻のようになる。それだけを望んで、こうしてぼくはドゥオモを毎日見上げて過ごしているのかもしれない。

   記憶に死を宣告するために?
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 楼主| 发表于 2005-11-30 09:21:05 | 显示全部楼层
芽実はあおいとは何もかもが正反対。
 痩せているのに、頬がふっくらしているあおいとは好対照に、芽実の肉感的な身体つきは彼女の血の問題に由来して、こちらを恥ずかしくさせるくらい隙がなく情熱的。なのに頬はこけて、目鼻だちも凛々しく、黙っていると完成された彫刻のような美しさがある。
 ところが性格はまったく子供で、あおいとは正反対、学生時代やんちゃだったぼくが、芽実と出合ってからはおとなしくならざるを得なかったほど、おてんばで危険だらけ。

 あおいは暗がりでしか求めなかった。明るいところではキスさえも躊躇った。恥かしがりや、とからかうと必ず、わきまえてるのよ、と冬の隙間風のような声で言い返してきた。ところが芽実ときたら、明るいところで抱き合うのがすきなのだ.。昼間から、しかも窓を開けっ放しにして求めてくる。カーテンくらい閉めよう、とぼくは忠告するが、駄目、見られてるかもしれないって思った方がドキドキする、と拒否して聞かない。

 ぼくのアパートはフィレンツェの街が一望できるほどの高台に建っていて、眼下にアルノ川が流れている。窓から顔を出すと少し先にポンテ・ヴェッキオが見える。フィレンツェの街のくすんだ橙色の屋根、屋根、屋根。だから、実際には覗かれ難い位置にあることを知ってるの、彼女の悪戯心なのだ。
 露出狂、と耳元で囁くと、恥かしそうにぼくの胸に頬を押し付けてくる芽実を、ぼくは子猫みたいだと思うことが多い。窓を開けっ放しにしていると、何日も平気で行方不明になり、戻ってくると煙草臭かったりする。彼女の長い髪の毛に染みついた他の男たちの嫌な匂い。それでもぼくは不平を言ったことはない。

 もう、縛り合うような恋愛だけはしたくないから。
 ぼくは記憶を抹殺できるだろうか。
 
 あおいを日常から追い出さない限り、芽実を本気で愛することはできないかもしれない。だから野郎猫のような彼女を怒ることができないのだ。それをぼくは、相手を縛りたくないから、と言って誤魔化している。
 結局、あおいが心に居座りつづけている限り、ぼくが他者を好きになることはない。それとも、あおいを追い出すほどの恋愛をぼくはまだ経験してないだけだろうか。
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 楼主| 发表于 2005-12-1 11:14:40 | 显示全部楼层
 芽実をあおいと呼び間違えたことが一度だけがある。
 抱き合っている最中のことで、突発的に口走ってしまった。感情が理性を超えていた。二人とも夢中だった。闇の中で交わったのがいけなかった。暗がりをあれほど用心していたのに。
 ぼくは、芽身の頭を自分の胸元に押しつけながら思わず、あおい、と声に出してしまったのだ。
 自分が大きなへまをやらかしたことは、意識より身体のほうがずっと敏感に受け止めた。誤魔化そうと取り繕うには、二人の距離は接近しすぎていた。芽実の肉体の中で、ぼくは居たたまれなくなって、萎縮してしまったのだから。

 芽実と体が離れた後、ぼくたちは全然関係ない話をしてお互いの様子を探り合った。アフリカ旅行に行こう、というような取って付けた内容だった。装った冷静の中で剥き出しの情熱が行き場を失って停滞していた。
 それから気まずい沈黙が少し続き、我慢できなくなった芽実が、
 「あおいって誰?」
といきなり怒鳴った。ぼくは肩を竦めてしらを切ったが、芽実は珍しくまじめな顔で食い下がってきた。
 あおいはいつまでも消えない。
 過去が大きすぎて、あるいは残酷すぎてというべきか、ぼくの心はなかなか現実に着地することができないだけだ、と自己分析する。あおいとの日々が生々しかっただけで、ぼくはその亡霊のような過去に縛られつづけている。
 
 光は相変わらずクーポラの先端に止まっている。
 ぼくは光を喜ぶべきだろうか。それとも光を唆す風を喜ぶべきか。
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 楼主| 发表于 2005-12-1 11:40:37 | 显示全部楼层
 あおいと過ごした日々の記憶はこのフィレンツェの空のように晴れやかな色合いではなかった。グレーの中にジンクホワイトを適量混ぜ合わせたような感じ。それがぼくの五年前を象徴する色だ。
 東京ではこうして空を見上げることはなかった。いつだってうつむいて歩いていた生で。子供時代を過ごしたニューヨークは、もっと空が遠く狭かった。古ぼけたコンドミニアムに大嫌いな父と二人暮しだったせいで。
 抱きしめられたことのない母親の思い出を探すように、子供のぼくはいつも小さな窓から顔を覗かせては、切り絵のような空を見上げていた。週に三度手伝いにやってくる中国人のお婆は、戦争中に覚えたという片言の日本語で、カアサンガヨナベシテ、と歌ってくれた。
 「ヨナベってなに?」
 ぼくは翌日かならず父に質問するのだった。
 
 空だけを描く絵描きになりたい、と幼いころずっと思っていた。
 だからぼくはある時から空を探す旅をはじめた。同じ地球の空なのに、空って場所によってまったく違った顔を持っている。とっても人見知りだったりする。
 東京の空。ニューヨークの空。フィレンツェの空。
 はにかむ空を見ている限り、ぼくは一人ぼっちではないような気もする。

 成城大学に入学するために帰国した時、十数年ぶりに東京の空を見た。機内アナウンスが、東京の空は快晴、と誇らしげに告げた。どこが快晴なのか、とぼくはびっくりした。飛行機の小窓から見えた空は灰色に濁って霞んでいたからだ。
 
 この街が気に入った最大の理由は、なんといっても空の寛大さと気前よさのせいだろう。ただの空なのに、見上げているだけで心が優しく包み込まれていく。
 きっとこのドゥオモの展望台から見るフィレンツェの、三百六十度遮るものの何もない空は、ぼくを圧倒するに違いない。青空の広がりは、この地上にしがみつく二十七歳のぼくをその記憶の呪縛から解き放して、羽ばたかせるに違いない。
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 楼主| 发表于 2005-12-1 12:43:45 | 显示全部楼层
 絵描きになりたかったのに、絵描きを断念した時、あおいもぼくの前からいなくなった。最後のデートになったあの日、ぼくたちは美術館に出かけた。そこはぼくらが知り合った思い出の場所でもあった。
 たまたまやっているのが、『中世美術・修復された名画の女たち』と題されたプログラムだった。修復された中世の名画が館内狭しと飾られていた。その横に修復前の状態を写した無残な写真が添えられていた。
 傷みきった名画を元の状態に近づけ見事に再生させるレスタウロの技術にぼくは感動した。どんな技術を駆使すれば、名画はこれほどのみずみずしさと美貌を取り戻すことができるのだろう。同じ絵とは思えないほどに修復後の絵は生き生きしていた。
 失われつつある命を救う人々の存在にはじめて気がつき、心が揺れた。
 
 ぼくとあおいはその日、それまで燻っていたお互いの感情の捌け口を求めるかのように美術館で大喧嘩をした。普段穏やかな彼女の、あんなに豹変した顔を見たのは後にも先にもあの時が唯一でそして、最後だった。
 珍しく顔を歪めて大声をあげたあおいが、飾ってあった名画の女たちとダブって記憶の中にいまだにはっきり残っている。音のない記憶。静かな美術館の灰色の館内に、額縁のないあおいがいる。静止画だが、表情は妙に躍動的なのがアンバランスで印象的だ。
 ぼくが修復の作業をする時、もっとも神経を遣う微細な段階に差しかかると、決まったその時の彼女の顔を思い出してしまう。あおいの顔は画面の中で振動しながら、ぼくの心を揺さぶりつづける。忘れられない一つの記憶。
 
 ぼくは彼女との破局を迎えつつ、油彩画の修復へと心が傾いていった。自分が絵描きに向かないと思ったわけではない。実際絵は今でも描いているし、これからも描くだろう。絵が描けないから修復の道を選んだのではない。
 修復の仕事に生きがいを見つけることができたのは、レスタウロは失われた時間を取り戻すことができる世界で唯一の職業だということに気がついたことによる。
 なくした命を再生できるという仕事......
 
 世界中の歴史的芸術品はたいてい三つの時期をくぐり抜けて、現在までに生き延びている。
 第一の時期とは、その作品が作られた時代のことであり、それは画家がその時代に見たり感じたりしたものに感動して、純粋な気持ちと力でカンバスに絵の具を殴りつけたその荒々しい瞬間を指し、第二の時期とは、その作品が多くの人々の前で華麗な魅力をまき散し、脚光を浴びた期間を指す。
 そして、第三の時期。時を超えて生き存えてしまった、いまや栄光が去り、滅びつつある名画を、現代の修復士たちが精魂をこめて直す段階。
 ぼくの仕事は、この第三の時期に位置し、滅びつつある名画たちをどのようにして第一の状態に近づけて生き返らせるか、にある。できるだけ意識を過去へと投じて、画家がどんな思いで、この絵を描いたのかを想像するところからはじまる。画家のことを調べ、時にはその人物になりきって、絵を修復するのだ。
 それはまるで死者を生き返らせるような作業でもある。画家がカンバスに託した生命の息吹きを蘇らせたい、と心に銘じながら。

 自分が修復した作品が、千年後にまた誰か別のレスタウラトーレによって修復されるだろうことを想像しては、胸がいつも熱くなるのを感じる。千年後の人々へ、ぼくはバトンを渡す役目を担っているのだ。ぼくの名前は後世には残らないが、ぼくの意思は確実に残ることになる。ぼくが生き返らせた名画の命が、また後の人々の力によってさらに遠くへと受け継がれていくのを夢見るのが、今のぼくの生き甲斐でもある。
 ぼくは、画家が生きた遠い過去を現代に近づけ、そして未来に届ける時間の配達人なのである。

 イタリア語でルネッサンスのことを、Rinascimento〔リナシメント〕と言う。かつては「再生」を意味する言葉だったが、現在では十五、六世紀にかけてイタリアを中心に興った一大文化活動のことを指す。
 フィレンツェはそのリナシメントの発祥の地である。近代的なビルをここで探すことは不可能に近い。十六世紀以降、時間を止めてしまった街。まるで街全体が美術館と言った感じ。
 冬は暖房が利かず凍えるように寒く、夏はその逆で風が抜けずに暑い。それを愛せなければ
ここで暮らすことはできない。
 
 ぼくはこの街で、自分を再生させることができるだろうか。自分の中にルネッサンスを興すことができるだろうか。
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 楼主| 发表于 2005-12-2 12:43:50 | 显示全部楼层
正午を知らせる寺が轟き、クーポラから数羽の鳩が飛び立つ。
 ぼくは瞬きをする。瞬間めまいがして意識が遠のくような感覚の剥離が起きる。長いこと頭上を見上げすぎたせいで足元がふらつく。記憶が光によって撹拌され、いくつもの光景のフラッシュバックがおきる。優しい風が耳元をくすぐっていく。そっとまぶたを閉じてみる。太陽の光を瞼の裏側に感じながら、肩の力を抜き、顎を引く。
 このまま瞼を開けたら、ぼくは目眩に押し倒されてしまうかもしれない。高鳴る気持ちを抑えて、数を数えてみる。1、2、3、4、5、6......
 それからゆっくり瞼を開ける。

 大聖堂の西側の通りに、走ってくる芽実を見つける。彼女はぼくに気がつき手を振り上げる。ぼくも応じる。光はぼくたちのあいだに降り注いでいる。濃厚な光が、輝く無数の粒となって降り注いでいるのが見える。
 それが見えるのはぼくだけだろうか。それともこの広場にいる大勢の観光客たちにもやはり同じように見えているだろうか。
 
 芽実はぼくの腕に彼女の腕をからませる。言葉はなしだ。必要に迫られるまで言葉を使わないというルールを前の日にぼくたちは決めた。いつもの罪のない遊びの一種である。もちろん言い出しっぺはこのぼく。
 
 彼女はずっと微笑んでいる。何かいいことがあったに違いないが、下らないルールのせいで、ぼくはその理由を聞くことができない。彼女の本当の気持ちを察するには、ぼくはいつもあまりにも彼女から遠いところにいる気がする。
 芽実は僕の視界を遮ると、憚ることなくぼくの首に手を回し、爪先立ち、そのまま口づけた。ひんやりとした彼女の唇の感触にぼくは驚いた。そのことを思わず言葉にしかけて、これは重要なことではない、と慌てて噤んでしまう。
 
 必要に迫られることなどあるだろうか。
 それほど重要なことがぼくたちの周りにいったいどれほどあるというのだろう。少なくともこの優雅なフィレンツェの街の中には、いますぐはじめなければ手遅れになるようなことはない。

 黙った芽実は、あおいに似ている。
 芽実の今の年齢が昔のあおいの年齢とおなじせいで、ぼくは学生時代の青いと歩いているような気がしてくる。芽実は黙っているとあおいにますます似てくる。必要最小限のことしかあおいはぼくに語ってくれなかった。だからあんなことになってしまったのだろうか......
 その時の彼女の気持ちがなぜか、今ならほんの少し理解することができる。必要に迫られることなんて、本当はないのだ。
 
 この街はいつだって光が降り注いでいる。
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 楼主| 发表于 2005-12-6 11:46:37 | 显示全部楼层
第2章 五月(maggio)

 朝から雨が降り続いている。やみそうな気配はない。この雨雲を運んできた寒冷前線の先端はドーバー海峡を越えてイギリスにまで達しているらしい。ヨーロッパ全域が雨曇で覆われているのだ。天候のことを話すのが好きなこの街の老人たちには堪らない話題を神様は提供したことになる。今日はあちこちの路上で日暮れまで、彼らが空を見上げながら語り合う姿が見受けられるに違いない。
 ベットから抜け出して窓を開けると、アルノ川の水嵩の増した暗緑色の川面が見える。いつもの新緑の穏やかで高雅な流れではない。雨が打ちつけあちこちに水の輪を拵えている。
 「まだ雨なの?」
 振り返ると、芽実の大きな瞳とぶつかった。彼女もぼくも裸のまま。夕べ抱き合って、そのまま眠ってしまう。
 「ああ、当分降るね」
 芽実は半身を起こすと、いやだな、と呟いた。
 「この街に雨は似合わない。ミラルのほうで降ってればいいのよ」
 ぼくのところまでやってくると、背後から抱きついてきた。その胸の膨らみとぼくの背中の間に彼女の硬い髪を感じる。彼女の波打つ黒髪は母親譲りなのだろうか。大きな茶色い瞳も、つんと高い鼻も、東洋人顔のぼくとは異なる。誰がどう見てもイタリア人の顔だ。
 「五月って嫌い」
 芽実はぼくの耳たぶを手で弄ぶ。五月ってイタリア語でなんていうんだっけ。唇をそこに押しつけながら囁いた。
 「maggio」
 「そっか、マッジオだった」
 芽実はイタリア人の血を引きながら、全くイタリア語が話せない。小さい頃に母親と離婚したイタリア人の父親のことが心にずっと引っ掛かっていた。父親のことを聞こうとすると急に不機嫌になる。
 大学を休学してイタリアに渡ってきたのも、半分の祖国を知るのに就職してからでは遅いと判断したからだ、といっていたが、父親が気になっての行動ではないか、とぼくは勘ぐっている。
 「芽実のイタリア語って、いつまでたっても上達しないな。五月が分からないなんてさ。本気で学ぼうとする気がないとしか思えない」
 「なによ、度忘れくらい誰にでもあるでしょ」
 「そうかな、学校めったに行かないし、他の日本人観光客と同じで、買い物ばかりでさ」
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发表于 2005-12-6 19:49:13 | 显示全部楼层
ドラマが見た、感動しましたが、原文を見るとよく理解できないところがあって、ちょっとつらいかなあ~
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 楼主| 发表于 2005-12-8 15:14:00 | 显示全部楼层
 芽実はぼくを背後からはがい締めにする。思わずぼくは吹き出し、彼女はといえば、振り返ったぼくの腕の中で唇を尖らせる。
 「いいのよ、言葉なんて重要じゃないもん。この国を見ることができたら、それでいいわけだし。」
 芽実は甘え目でぼくを見つめる。髪の奥に隠れた茶色い瞳にぼくを映っている。躊躇わずに彼女の左側の目にキスをした。右目は二重で左眼は一重だ。彼女が嫌う左眼をぼくは若干、贔屓している。
 「父親にあいたいんなら、最初からミラノへ行けばよかったんだ。」
ぼくはそう挑発した。芽実の唇がいっそう尖った。
 「私を捨てたやつに会いたいわけないでしょ。私はただイタリアって国がどんなとこか確認したかっただけ。確認でき次第日本に帰る」
 「いつ確認できるんだ」
 「そうね、順正次第ってとこかな」
 二人は暫く見つめあった後、どちらからともなく微笑みあった。
 「ぼく次第」
 「そうよ。君が私を必要ならもう少しここにいてあげる」
 芽実はもう笑ってはいなかった。
 「こんな国、もうどうでもいいの。来てすぐに嫌になった。閉鎖的で、賑やかで、私がイタリア語を喋ることができないと分かると、なんかふっと冷たくなって。若い連中でさえ、外のことを全く知らないんだもの。東洋人は皆ひっくるめて東洋人しかないでしょ、頭に来ない?日本も中国も韓国も一緒くたで、不勉強しすぎだるわ」
 ぼくが、そうかな、と首を傾けると、芽実は、だってそうじゃん、と食って掛かってきた。ジョバンナはそんなことないけど、とわざと焼餅を焼かせてみたくて先生の名前を口にしてみた。先生がぼくの裸を描いていることを芽実は知らないが、女の直感のようなものが働くのだろう、芽実はまだ会ったことがない先生を警戒している。
 「インテリを装っているだけ」
 負けずに反論してきた。ぼくは芽実をやさしく包み込む。彼女の心臓がぼくの胸の中で脈打っているのが伝わってくる。一人で興奮して、一人で訳がわからなくなるそんな性格の芽実は昔の自分に似ているところがある、とぼくはこっそりと微笑む。

 ニューヨークで生まれ育ったぼくは十八歳まで日本を殆ど知らなかった。それまでは祖父阿形清治を通して入ってくる情報しかなかった。
 祖父はニューヨークで育つぼくを心配してくれる身内で唯一の人間だ。父清雅は仕事と若い女性に忙しく、母親のないぼくはずっとほったらかしにされてきた。
 祖父は、東京から何度も手紙を送りつけては、日本語だけを忘れないようにしなさい、と口うるさく忠告してきた。周囲から見放されて過ごしてきたと思い込んでいたぼくにとって、祖父の忠告は嬉しいものだ。僕が日本文学を大学で専攻したのも祖父のその忠告に関係している。
 ぼくと芽実も対照的だった。
 日本での芽実は、その派手な外見のせいで外国人としてずっと見られてきた。イタリア語も英語も話せないことが分かると友人たちはみんな口を揃えて不思議がった。彼女が語学に対して持つアレルギーはそんな生い立ちに由来する。
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 楼主| 发表于 2005-12-9 11:39:35 | 显示全部楼层
 「今日って何日だっけ」
 窓を閉めながら訊いた。芽実はぼくの背中に口づけをした後、二十五日よ、と告げた。
 二十五日か。呟き、それから東京の五月を思い出した。
 東京の五月が好きだ。梅や桜が開花する三月や四月よりも、新しい葉が木々いっぱいに広がる五月のほうがぼくには気持ちがいい。
 どこも同じようにしか見えない無機質な街中に広がる五月の街路樹の青々しい息吹は、東京での異邦人生活における何よりの救いの緑でもあった。
 入学の混乱が過ぎ、生活が落ち着いて東京を見回すことができる冷静さを取り戻したのも五月であった。いつまでももう一つ愛せなかった東京の、しかし五月だけは特別な月として、ぼくの記憶には刻まれている。

 東京で借りていた古びたアパートからは羽根公園の緑葉がよく見えた。そこはかつて祖父の仕事場があった場所で、造りは古いが、仕事場らしく天井が高くて居心地はよかった。そこには祖父の作品が古いものから新しいものまでびっしり山積みとなっていた。
 祖父は最初、ぼくが東京へ出てきたばかりのごろ、この街に慣れなくて危ないから、という理由で三鷹にある自分の家から通うようにぼくを説得した。しかし束縛されるのがいやだったぼくはそれを固辞した。ならば今は使っていない仕事場があるからそこを使えばよい、ととにかく面倒を見たい祖父は有無を言わせずぼくを梅ヶ丘のアパートに住まわせたのだった。
 摩天楼の真中で育ったぼくにとって、小田急線沿線の長閑な住宅地こそ、最初の東京との出会いでもあった。

 時々祖父に内緒で昔の作品なんかを引っ張り出してはこっそり批評して遊んだ。彼の作品で最も好きなシリーズは祖父が中南米を放浪しながら描いた木版画だった。それを見つけ出した時のぼくの驚きようはなかった。
 六〇年代ポップアートの影響が見られる作品群は、街全体を描くのではなく、年代物の家や壊れた壁、或は、道路標識などを空間から抜き出して、それだけをぼつんと描いて見せていた。抽象の世界に細密な現実が描かれたそれらは、なんともいえないリアリティーを醸し出し、一方でぼくに旅の素晴らしさと人間の空想力の可能性を示した。
 祖父から以前送られてきた手紙には、自分は古代マヤ文明に大きな刺激を受け、その地を放浪したのだ、と書かれてあった。原始の力から刺激を受けた生命感のある作品に触れながら、ぼくは梅ヶ丘のあのアパートで自分の未来を思い描いたものだった。自分もいつか人間の過去を旅してみたい、と夢を膨らませずにはおれなかった。
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发表于 2005-12-11 13:04:48 | 显示全部楼层
いいですね、続けてほしい。
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 楼主| 发表于 2005-12-14 14:34:26 | 显示全部楼层
不好意思,最近天气比较冷加上工作由一些些忙就没来更新了.以后争取每天更新一篇.....
 
 朝昼兼用の食事を済ませたあと、芽実はやはりアルノ川沿いにある自分のアパートへ戻り、ぼくは工房に出掛けた。
 アパートから歩いて五分ほどのヴェッキオ橋の傍に工房がある。大きな石造りの門の脇に作業場へと通じる小さな扉があり、そこを潜ると十坪ほどの狭い中庭に出た。四方を石壁に囲まれた空間は、植木鉢に入った植物が並べられていて、可愛らしい。その庭に突きの扉に立てかけてから中に入った。
 初めてここを訪れた時は、そこら中に置かれた中世の彫刻や油彩画に驚いた。
 歴史的な作品がまるで失敗作のように無造作にごろごろと放置され、堆く積まれているのだった。最初は練習用かと思ったが、そうではなかった。どれも本物だった。
 ここは街全体が中世なんだから、何も驚くことではないわ、と先生はぼくの肩を叩いて微笑んだ。あれから三年の歳月が流れ、ぼくは幾つかの修復士の資格にも合格した。持ち込まれる年代物の油彩画やテンペラ画の中でも特に難しいものがぼくのところに多く回ってきた。ジョバンナはぼくを、最も信頼している、と二人きりの時に言ったことがあった。僕はずっとそれを信じていた。
  
 先生は近所の修復士学校から訪れた数人の若い生徒たちを前に、支持体と呼ばれる絵が描かれた麻布や板の老朽や剥落などの傷みをどのように修繕していくべきか、を細かく指導していた。
 浅い桃色のシャツが彼女のお気に入りで、それはとても似合っていた。眼鏡の金の鎖がシャツに弛みを描いていた。
 先生はぼくを一瞥するや、すばやく微笑んで見せた後、またもとの真剣な表情に戻った。ぼくは一番奥にある修復のための作業場へ向かった。
 最近この工房に国費留学でやってきた日本人、高梨明が洗浄の作業に入っていた。高梨は僕よりも五歳年上の三十二歳だった。東京芸術大学の大学院で修復養成のコースをマスターした後、日本の修復研究所に就職したが、より専門的な技術を習得するために文化庁から派遣されてやってきていた。
 
 「雨だね」
 高梨は洗浄の手を休めずに告げた。
 「湿気は修復によくない」
 彼は綿棒を微細に動かして洗浄作業を行っていた。表情は冷静沈着だったが、手先が僅かに震えているのが分かった。僕はジャケットを脱ぎ、作業着を頭から羽織ると、高梨の隣に座った。 
 「湿気の多い日本では修復は大変な作業だ。こちらは乾燥しているから、ニカワに酢を混入したりするけど、あんなことは日本でしたらそこから真っ先にかびてしまう。」
 彼は独り言のようにぼそぼそと告げた後、一人で笑った。
 「根本的に日本とは方法が違う」
 「どう違うんだい」
 ぼくが問うと、高梨は、うん、と一つ大きく頷いた。質問されることを待っていたような力のある返答である。
 「一例に過ぎないけれど、日本の場合は、いかに見た目をオリジナルに近づけて復元することが重視されるんだ。」
 なるほど。ぼくはそう丁寧に返事を返した。イタリアの場合、遠目には違和感のないよう色を差していくのは日本と同じだが、傍によってよく見ると、明らかに補修が行われたことが分かるようにしなければならなかった。
 「文化財として価値が高ければ高いほど、どこが修復されているか、誰が見ても分かるようにしておくのがこの国では前提じゃないか」
 高梨はそう言うと、イタリアの方法は間違っていると言っているわけじゃない、つまり国によって考え方がまちまちだと言いたいだけなんだ、と付け足し、同時にそれは自分をぼくに肯定させようとしている言い方のようにも響いた。
 ぼくは作業に入った。高梨のように大学院で専門の知識を修得していないぼくは、いわゆる現場のたたき上げだった。ここではぼくは年上の高梨に専門的な技術を教える立場にあった。
 「君はすごいな。ここはフィレンツェでもトップクラスの工房なのに、国のバックアップもなしでよく入れるものだ。大学で特に修復について学んできたわけじゃないだろ」
 ぼくは、ああ、と答えてから作品を持ち上げ、隅々を点検した。ボッティチェリの初期の作品をぼくは手掛けていた。個人の所有しているものだったが、価値を考えると手が竦むので、ただの古い絵だと自分に言い聞かせていつも作業をすることにしていた。
 
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 楼主| 发表于 2005-12-15 10:12:49 | 显示全部楼层
 「大学では何を専攻してた」
 「国文学」
 「専門は?」
 「『山家集』とか、あの類だよ」
 『山家集』か、と高梨は笑った。おれなんか、ずっとこの道一筋でここまできたのに、自力でやってきた君に敵わないんだから、やになっちゃうな。
 高梨の言い方に刺があるのは分かっていた。年下なのに敬語も使わないぼくを生意気だと思っているに違いなかった。仕事を離れると彼とは口も利かなかった。狭い街なので、知らず知らず日本人同士の繋がりを求めてしまうのだが、ぼくは芽実以外の日本人とはあまり関わりを持たないようにしていた。
 「どんな手を使ってここへもぐり込んだか教えろよ」
 「どんな手って」
 「先生と寝るとかさ」
 目を見開いて高梨を振り返った。高梨は片側の頬だけに微笑を浮かべている。
 アンジェロがやって来て、イタリア語で雨が激しくなったことをぼくらに告げた。雷なんて珍しい、と濡れた服を引っ張って、アピールした。
 背が高く色白の青年だった。まだ顔に幼さが残っていた。アンジェロは無邪気に笑った。真っ白な綿のシャツがびっしょりと濡れており、その下の彼の細身の体には張りついていた。高梨は視線を逸らし、片言のイタリア語で、着替えた方がいい、風邪引くぞ、と告げた。アンジェロは末の弟のように素直に従い、みんなが見ている前で白い肌をさらけ出した。
 
 作業が終わると、ぼくは先生に呼ばれて屋根裏にあるアトリエに行った。高梨とアンジェロもまだ作業をしていた。一度部屋を出て行く際に高梨を見返ったが、彼はさっきの挑発も忘れて黙々と作品に向かった。細い階段を振り返りつつ上る。階段は上に行くにしたがって細くなるようにできており、突き当りに先生の部屋があった。
 先生の絵のモデルをするようになったのは一年程前からのことだった。先生に仕事が終わった後呼ばれて、モデルのことを相談された。迷わず、やらせてください、と返事をしたがあれからすでにぼくを描いた絵は5枚ほど仕上がっている。
 先生の前で服を脱ぐことにもう抵抗はない。母親のいない自分が先生に対して特別な感情があるのではないかと気にもしたが、それもどうやら杞憂のようだった。ぼくたちの関係は極めて冷静なものだった。ぼくは先生を信頼し、先生の作品に描かれることをこの上ない喜びと感じていた。先生は普段と少しも変わらない表情で黙々とぼくの裸体を描いていったに過ぎず、ぼくもそれ以上の期待を持たなかった。
 
 モデルをしている時、ぼくはよく母親のことを考えた。自分を生んだ人間がどんな人だったのかということを。ぼくが生まれてすぐの頃に自死を選んだ哀れな母親のことを。ぼくを残して死ななければならなかった彼女の心の破壊について。
 ふと、ジョバンナのような人ではなかったか、と思う時があった。そう推測する根拠もあった。父はあまり母のことを話したがらなかったが、祖父の清治は母が絵描きだったことをあるとき打ち明けた。もっともそれは手紙の中でほんの一、二行書かれていたに過ぎなかった。あまりうまい絵描きではなかったが、不思議な作風を持っていた。全体をうまく整えようとしないところがよかった、と祖父は書いていた。

 
 
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