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中国怪奇小説集_捜神記(六朝)(日文版)

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发表于 2005-12-6 18:44:32 | 显示全部楼层 |阅读模式
  主人の「開会の辞」が終った後、第一の男は語る。
「唯今御主人から御説明がありました通り、今晩のお話は六朝(りくちょう)時代から始める筈で、わたくしがその前講(ぜんこう)を受持つことになりました。なんといっても、この時代の作で最も有名なものは『捜神記』で、ほとんど後世(こうせい)の小説の祖をなしたと言ってもよろしいのです。
 この原本の世に伝わるものは二十巻で、晋(しん)の干宝(かんぽう)の撰(せん)ということになって居ります。干宝は東晋の元帝(げんてい)に仕えて著作郎(ちょさくろう)となり、博覧強記をもって聞えた人で、ほかに『晋紀』という歴史も書いて居ります。、但し今日になりますと、干宝が『捜神記』をかいたのは事実であるが、その原本は世に伝わらず、普通に流布するものは偽作(ぎさく)である。たとい全部が偽作でなくても、他人の筆がまじっているという説が唱えられて居ります。これは清朝(しんちょう)初期の学者たちが言い出したものらしく、また一方には、たといそれが干宝の原本でないとしても、六朝時代に作られたものに相違ないのであるから、後世の人間がいい加減にこしらえた偽作とは、その価値が大いに違うという説もあります。
 こういうむずかしい穿索(せんさく)になりますと、浅学のわれわれにはとても判りませんから、ともかくも昔から言い伝えの通りに、晋の干宝の撰ということに致して置いて、すぐに本文(ほんもん)の紹介に取りかかりましょう」


首の飛ぶ女

 秦(しん)の時代に、南方に落頭民(らくとうみん)という人種があった。その頭(かしら)がよく飛ぶのである。その人種の集落に祭りがあって、それを虫落(ちゅうらく)という。その虫落にちなんで、落頭民と呼ばれるようになったのである。
 呉(ご)の将、朱桓(しゅかん)という将軍がひとりの下婢(かひ)を置いたが、その女は夜中に睡(ねむ)ると首がぬけ出して、あるいは狗竇(いぬくぐり)から、あるいは窓から出てゆく。その飛ぶときは耳をもって翼(つばさ)とするらしい。そばに寝ている者が怪しんで、夜中にその寝床を照らして視(み)ると、ただその胴体があるばかりで首が無い。からだも常よりは少しく冷たい。そこで、その胴体に衾(よぎ)をきせて置くと、夜あけに首が舞い戻って来ても、衾にささえられて胴に戻ることが出来ないので、首は幾たびか地に堕(お)ちて、その息づかいも苦しく忙(せわ)しく、今にも死んでしまいそうに見えるので、あわてて衾を取りのけてやると、首はとどこおりなく元に戻った。
 こういうことがほとんど毎夜くり返されるのであるが、昼のあいだは普通の人とちっとも変ることはなかった。それでも甚だ気味が悪いので、主人の将軍も捨て置かれず、ついに暇(ひま)を出すことになったが、だんだん聞いてみると、それは一種の天性で別に怪しい者ではないのであった。
 このほかにも、南方へ出征の大将たちは、往々(おうおう)こういう不思議の女に出逢った経験があるそうで、ある人は試みに銅盤をその胴体にかぶせて置いたところ、首はいつまでも戻ることが出来ないで、その女は遂に死んだという。
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 楼主| 发表于 2005-12-6 18:45:18 | 显示全部楼层


 蜀(しょく)の西南の山中には一種の妖物(ようぶつ)が棲んでいて、その形は猿に似ている。身のたけは七尺ぐらいで、人の如くに歩み、且(か)つ善く走る。土地の者はそれを国(かこく)といい、又は馬化(ばか)といい、あるいは※猿(かくえん)[#「けものへん+矍」、23-7]とも呼んでいる。
 かれらは山林の茂みに潜(ひそ)んでいて、往来の婦女を奪うのである。美女は殊に目指される。それを防ぐために、ここらの人たちが山中を行く時には、長い一条の縄をたずさえて、互いにその縄をつかんで行くのであるが、それでもいつの間にか、その一人または二人を攫(さら)って行かれることがしばしばある。
 かれらは男と女の臭(にお)いをよく知っていて、決して男を取らない。女を取れば連れ帰って自分の妻とするのであるが、子を生まない者はいつまでも帰ることを許されないので、十年の後には形も心も自然にかれらと同化して、ふたたび里へ帰ろうとはしない。
 もし子を生んだ者は、母に子を抱かせて帰すのである。しかもその子を育てないと、その母もかならず死ぬので、みな恐れて養育することにしているが、成長の後は別に普通の人と変らない。それらの人間はみな楊(よう)という姓を名乗っている。今日、蜀の西南地方で楊姓を呼ばれている者は、大抵その妖物の子孫であると伝えられている。
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 楼主| 发表于 2005-12-6 18:46:00 | 显示全部楼层
琵琶鬼

 呉(ご)の赤烏(せきう)三年、句章(こうしょう)の農夫楊度(ようたく)という者が余姚(よちょう)というところまで出てゆくと、途中で日が暮れた。
 ひとりの少年が琵琶(びわ)をかかえて来て、楊の車に一緒に載せてくれというので、承知して同乗させると、少年は車中で琵琶数十曲をひいて聞かせた。楊はいい心持で聴いていると、曲終るや、かの少年は忽(たちま)ち鬼のような顔色に変じて、眼を瞋(いか)らせ、舌を吐いて、楊をおどして立ち去った。
 それから更に二十里(六丁(ちょう)一里。日本は三十六丁で一里)ほど行くと、今度はひとりの老人があらわれて、楊の車に載せてくれと言った。前に少しく懲(こ)りてはいるが、その老いたるを憫(あわ)れんで、楊は再び載せてやると、老人は王戒(おうかい)という者であるとみずから名乗った。楊は途中で話した。\
「さっき飛んだ目に逢いました」
「どうしました」
「鬼がわたしの車に乗り込んで琵琶を弾きました。鬼の琵琶というものを初めて聴きましたが、ひどく哀(かな)しいものですよ」
「わたしも琵琶をよく弾きます」
 言うかと思うと、かの老人は前の少年とおなじような顔をして見せたので、楊はあっと叫んで気をうしなった。
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 楼主| 发表于 2005-12-6 18:46:41 | 显示全部楼层
兎怪(とかい)

 これも前の琵琶鬼とやや同じような話である。
 魏(ぎ)の黄初(こうしょ)年中に或る人が馬に乗って頓邱(とんきゅう)のさかいを通ると、暗夜の路ばたに一つの怪しい物が転(ころ)がっていた。形は兎(うさぎ)のごとく、両眼は鏡の如く、馬のゆくさきに跳(おど)り狂っているので、進むことが出来ない。その人はおどろき懼(おそ)れて遂に馬から転げおちると、怪物は跳りかかって彼を掴(つか)もうとしたので、いよいよ懼れて一旦は気絶した。
 やがて正気に戻ると、怪物の姿はもう見えないので、まずほっとして再び馬に乗ってゆくと、五、六里の後に一人の男に出逢った。その男も馬に乗っていた。いい道連れが出来たと喜んで話しながら行くうちに、彼は先刻の怪物のことを話した。
「それは怖ろしい事でした」と、男は言った。「実はわたしも独りあるきはなんだか気味が悪いと思っているところへ、あなたのような道連れが出来たのは仕合わせでした。しかしあなたの馬は疾(はや)く、わたしの馬は遅い方ですから、あとさきになって行きましょう」
 彼の馬をさきに立たせ、男の馬があとに続いて、又しばらく話しながら乗ってゆくと、男は重ねてかの怪物の話をはじめた。\
「その怪物というのは、どんな形でした」
「兎のような形で、二つの眼が鏡のように晃(ひか)っていました」
「では、ちょいと振り返ってごらんなさい」
 言われて何心なく振り返ると、かの男はいつの間にか以前の怪物とおなじ形に変じて、前の馬の上へ飛びかかって来たので、彼は馬から転げおちて再び気絶した。
 かれの家では、騎手(のりて)がいつまでも帰らず、馬ばかりが独り戻って来たのを怪しんで、探しに来てみると右の始末で、彼はようように息をふき返して、再度の怪におびやかされたことを物語った。
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 楼主| 发表于 2005-12-6 18:47:23 | 显示全部楼层
宿命

 陳仲挙(ちんちゅうきょ)がまだ立身(りっしん)しない時に、黄申(こうしん)という人の家に止宿(ししゅく)していた。そのうちに、黄家の妻が出産した。
 出産の当時、この家の門を叩(たた)く者があったが、家内の者は混雑にまぎれて知らなかった。暫(しばら)くして家の奥から答える者があった。
「客座敷には人がいるから、はいることは出来ないぞ」
 門外の者は答えた。
「それでは裏門へまわって行こう」
 それぎりで問答の声はやんだ。それからまた暫くして、内の者も裏門へまわって帰って来たらしく、他の一人が訊(き)いた。
「生まれる子はなんという名で、幾歳(いくつ)の寿命をあたえることになった」
「名は奴(ど)といって、十五歳までの寿命をあたえることになった」と、前の者が答えた。
「どんな病気で死ぬのだ」
「兵器で死ぬのだ」
 その声が終ると共に、あたりは又ひっそりとなった。陳はその問答をぬすみ聴いて奇異の感に打たれた。殊にその夜生まれたのは男の児で、その名を奴と付けられたというのを知るに及んで、いよいよ不思議に感じた。彼はそれとなく黄家の人びとに注意した。
「わたしは人相(にんそう)を看(み)ることを学んだが、この子は行くゆく兵器で死ぬ相がある。刀剣は勿論(もちろん)、すべての刃物を持たせることを慎まなければなりませんぞ」
 黄家の父母もおどろいて、その後は用心に用心を加え、その子にはいっさいの刃物を持たせないことにした。そうして、無事に十五歳まで生長させたが、ある日のこと、棚の上に置いた鑿(のみ)がその子の頭に落ちて来て、脳をつらぬいて死んだ。
 陳は後に予章(よしょう)の太守(たいしゅ)に栄進して、久しぶりで黄家をたずねた時、まずかの子供のことを訊くと、かれは鑿に打たれたというのである。それを聞いて、陳は嘆息した。
「これがまったく宿命というのであろう」
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 楼主| 发表于 2005-12-6 18:47:58 | 显示全部楼层
亀の眼

 むかし巣(そう)の江水がある日にわかに漲(みなぎ)ったが、ただ一日で又もとの通りになった。そのときに、重量一万斤(きん)ともおぼしき大魚が港口に打ち揚げられて、三日の後に死んだので、土地の者は皆それを割いて食った。
 そのなかで、唯ひとりの老女はその魚を食わなかった。その老女の家へ見識(みし)らない老人がたずねて来た。
「あの魚(さかな)はわたしの子であるが、不幸にしてこんな禍(わざわ)いに逢うことになった。この土地の者は皆それを食ったなかで、お前ひとりは食わなかったから、私はおまえに礼をしたい。城の東門前にある石の亀に注意して、もしその眼が赤くなったときは、この城の陥没(かんぼつ)する時だと思いなさい」
 老人の姿はどこへか失(う)せてしまった。その以来、老女は毎日かかさずに東門へ行って、石の亀の眼に異状があるか無いかを検(あらた)めることにしていたので、ある少年が怪しんでその子細を訊くと、老女は正直にそれを打ち明けた。少年はいたずら者で、そんなら一番あの婆さんをおどかしてやろうと思って、そっとかの亀の眼に朱を塗って置いた。
 老女は亀の眼の赤くなっているのに驚いて、早々にこの城内を逃げ出すと、青衣(せいい)の童子が途中に待っていて、われは龍の子であるといって、老女を山の高い所へ連れて行った。
 それと同時に、城は突然に陥没して一面の湖(みずうみ)となった。
 もう一つ、それと同じ話がある。秦(しん)の始皇(しこう)の時、長水(ちょうすい)県に一種の童謡がはやった。
「御門(ごもん)に血を見りゃお城が沈む――」
 誰が謡(うた)い出したともなしに、この唄がそれからそれへと拡がった。ある老女がそれを気に病んで毎日その城門を窺(うかが)いに行くので、門を守っている将校が彼女をおどしてやろうと思って、ひそかに犬の血を城門に塗って置くと、老女はそれを見て、おどろいて遠く逃げ去った。
 そのあとへ忽ちに大水が溢れ出て、城は水の底に沈んでしまった。
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发表于 2005-12-9 20:50:01 | 显示全部楼层
这个东西不错

谢谢楼主!
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 楼主| 发表于 2005-12-10 13:29:21 | 显示全部楼层
眉間尺

 楚(そ)の干将莫邪(かんしょうばくや)は楚王の命をうけて剣を作ったが、三年かかって漸(ようや)く出来たので、王はその遅延を怒って彼を殺そうとした。
 莫邪の作った剣は雌雄一対(しゆういっつい)であった。その出来たときに莫邪の妻は懐妊して臨月に近かったので、彼は妻に言い聞かせた。
「わたしの剣の出来あがるのが遅かったので、これを持参すれば王はきっとわたしを殺すに相違ない。おまえがもし男の子を生んだらば、その成長の後に南の山を見ろといえ。石の上に一本の松が生えていて、その石のうしろに一口(ひとふり)の剣が秘めてある」
 かれは雌剣一口だけを持って、楚王の宮へ出てゆくと、王は果たして怒った。かつ有名の相者(そうしゃ)にその剣を見せると、この剣は雌雄一対あるもので、莫邪は雄剣をかくして雌剣だけを献じたことが判ったので、王はいよいよ怒って直ぐに莫邪を殺した。
 莫邪の妻は男の子を生んで、その名を赤(せき)といったが、その眉間が広いので、俗に眉間尺(みけんじゃく)と呼ばれていた。かれが壮年になった時に、母は父の遺言を話して聞かせたので、眉間尺は家を出て見まわしたが、南の方角に山はなかった。しかし家の前には松の大樹があって、その下に大きい石が横たわっていたので、試みに斧(おの)をもってその石の背を打ち割ると、果たして一口の剣を発見した。父がこの剣をわが子に残したのは、これをもって楚王に復讐せよというのであろうと、眉間尺はその以来、ひそかにその機会を待っていた。
 それが楚王にも感じたのか、王はある夜、眉間の一尺ほども広い若者が自分を付け狙(ねら)っているという夢をみたので、千金の賞をかけてその若者を捜索させることになった。それを聞いて、眉間尺は身をかくしたが、行くさきもない。彼は山中をさまよって、悲しく歌いながら身の隠れ場所を求めていると、図(はか)らずも一人の旅客(たびびと)に出逢った。
「おまえさんは若いくせに、何を悲しそうに歌っているのだ」と、かの男は訊いた。
 眉間尺は正直に自分の身の上を打ち明けると、男は言った。
「王はおまえの首に千金の賞をかけているそうだから、おまえの首とその剣とをわたしに譲れば、きっと仇を報いてあげるが、どうだ」
「よろしい。お頼み申す」
 眉間尺はすぐに我が手でわが首をかき落して、両手に首と剣とを捧げて突っ立っていた。
「たしかに受取った」と、男は言った。「わたしは必ず約束を果たしてみせる」
 それを聞いて、眉間尺の死骸は初めて仆(たお)れた。
 旅の男はそれから楚王にまみえて、かの首と剣とを献じると、王は大いに喜んだ。
「これは勇士の首であるから、この儘(まま)にして置いては祟(たた)りをなすかも知れません。湯(ゆがま)に入れて煮るがよろしゅうござる」と、男は言った。
 王はその言うがままに、眉間尺の首を煮ることにしたが、三日を過ぎても少しも爛(ただ)れず、生けるが如くに眼を瞋(いか)らしているので、男はまた言った。
「首はまだ煮え爛れません。あなたが自身に覗(のぞ)いて卸覧になれば、きっと爛れましょう」
 そこで、王はみずから其の湯を覗きに行くと、男は隙(すき)をみてかの剣をぬき放し、まず王の首を熱湯(にえゆ)のなかへ切り落した。つづいて我が首を刎(は)ねて、これも湯のなかへ落した。眉間尺の首と、楚王の首と、かの男の首と、それが一緒に煮え爛れて、どれが誰だか見分けることが出来なくなったので、三つの首を一つに集めて葬ることにした。
 墓は俗に三王の墓と呼ばれて、今も汝南(じょなん)の北、宜春(ぎしゅん)県にある。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 13:31:04 | 显示全部楼层
宋家の母

 魏(ぎ)の黄初(こうしょ)年中のことである。
 清河(せいか)の宋士宗(そうしそう)という人の母が、夏の日に浴室へはいって、家内の者を遠ざけたまま久しく出て来ないので、人びとも怪しんでそっと覗(のぞ)いてみると、浴室に母の影は見えないで、水風呂のなかに一頭の大きいすっぽんが浮かんでいるだけであった。たちまち大騒ぎとなって、大勢が駈け集まると、見おぼえのある母のかんざしがそのすっぽんの頭の上に乗っているのである。\
「お母さんがすっぽんに化けた」
 みな泣いて騒いだが、どうすることも出来ない。ただ、そのまわりを取りまいて泣き叫んでいると、すっぽんはしきりに外へ出たがるらしい様子である。さりとて滅多(めった)に出してもやられないので、代るがわるに警固しているあいだに、あるとき番人の隙(すき)をみて、すっぽんは表へ這い出した。又もや大騒ぎになって追いかけたが、すっぽんは非常に足が疾(はや)いので遂に捉えることが出来ず、近所の川へ逃げ込ませてしまった。
 それから幾日の後、かのすっぽんは再び姿をあらわして、宋の家のまわりを這い歩いていたが、又もや去って水に隠れた。
 近所の人は宋にむかって母の喪服を着けろと勧めたが、たとい形を変じても母はまだ生きているのであると言って、彼は喪服を着けなかった。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 13:32:22 | 显示全部楼层
青牛

 秦(しん)の時、武都(ぶと)の故道に怒特(どとく)の祠(やしろ)というのがあって、その祠のほとりに大きい梓(あずさ)の樹が立っていた。
 秦の文公(ぶんこう)の、二十七年、人をつかわしてその樹を伐らせると、たちまちに大風雨が襲い来たって、その切り口を癒合(ゆごう)させてしまうので、幾日を経ても伐り倒すことが出来ない。文公は更に人数を増して、四十人の卒に斧(おの)を執(と)らせたが、なおその目的を達することが出来ないので、卒もみな疲れ果てた。
 その一人は足を傷つけて宿舎へも帰られず、かの樹の下に転がったままで一夜を明かすと、夜半に及んで何者か尋ねて来たらしく、樹にむかって話しかけた。
「戦いはなかなか骨が折れるだろう」
「なに、骨が折れるというほどのことでもない」と、樹のなかで答えた。
 一人がまた言った。
「しかし文公がいつまでも強情(ごうじょう)にやっていたら、仕舞いにはどうする」
「どうするものか。根(こん)くらべだ」
「そう言っても、もし相手の方で三百人の人間を散らし髪にして、赭(あか)い着物をきせて、朱(あか)い糸でこの樹を巻かせて、斧を入れた切り口へ灰をかけさせたら、お前はどうする」
 樹の中では黙ってしまった。
 樹の下に寝ていた男はその問答を聞きすまして、明くる日それを申し立てたので、文公は試みにその通りにやってみることにした。三百人の士卒が赭い着物をきて、散らし髪になって、朱い糸を樹の幹にまき付けて、斧を入れるごとに其の切り口に灰をそそぐと、果たして大樹は半分ほども撃ち切られた。そのとき一頭の青い牛が樹の中から走り出て、近所の水(ほうすい)という河へ跳り込んだ。
 これで目的の通りに、梓の大樹を伐り倒すことが出来たが、青牛はその後も水から姿をあらわすので、騎士をつかわして撃たせると、牛はなかなか勢い猛(たけ)くして勝つことが出来ない。その闘いのあいだに、一人の騎士は馬から落ちて散らし髪になった。彼はそのままで再び鞍(くら)にまたがると、牛はその散らし髪におそれて水中に隠れた。
 その以来、秦では旄頭騎(ぼうとうき)というものを置くことになった。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 13:33:12 | 显示全部楼层
青い女

 呉郡の無錫(むしゃく)という地には大きい湖(みずうみ)があって、それをめぐる長い坡(どて)がある。
 坡を監督する役人は丁初(ていしょ)といって、大雨のあるごとに破損の個所の有無を調べるために、披のまわりを一巡するのを例としていた。時は春の盛りで、雨のふる夕暮れに、彼はいつものように披を見まわっていると、ひとりの女が上下ともに青い物を着けて、青い繖(かさ)をいただいて、あとから追って来た。
「もし、もし、待ってください」
 呼ばれて、丁初はいったん立ちどまったが、また考えると、今頃このさびしい所を女ひとりでうろ付いている筈がない。おそらく妖怪であろうと思ったので、そのまま足早にあるき出すと、女もいよいよ足早に追って来た。丁はますます気味が悪くなって、一生懸命に駈け出すと、女もつづいて駈け出したが、丁の逃げ足が早いので、しょせん追い付かないと諦(あきら)めたらしく、女は俄かに身をひるがえして水のなかへ飛び込んだ。
 かれは大きな蒼い河獺(かわうそ)で、その着物や繖と見えたのは青い荷(はす)の葉であった。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 13:34:11 | 显示全部楼层
祭蛇記

 東越(とうえつ)の中(みんちゅう)に庸嶺(ようれい)という山があって、高さ数十里といわれている。その西北の峡(かい)に長さ七、八丈、太さ十囲(とかか)えもあるという大蛇(だいじゃ)が棲(す)んでいて、土地の者を恐れさせていた。
 住民ばかりか、役人たちもその蛇の祟(たた)りによって死ぬ者が多いので、牛や羊をそなえて祭ることにしたが、やはりその祟りはやまない。大蛇は人の夢にあらわれ、または巫女(みこ)などの口を仮りて、十二、三歳の少女を生贄(いけにえ)にささげろと言った。これには役人たちも困ったが、なにぶんにもその祟りを鎮める法がないので、よんどころなく罪人の娘を養い、あるいは金を賭(か)けて志願者を買うことにして、毎年八月の朝、ひとりの少女を蛇の穴へ供えると、蛇は生きながらにかれらを呑んでしまった。
 こうして、九年のあいだに九人の生贄をささげて来たが、十年目には適当の少女を見つけ出すのに苦しんでいると、将楽(しょうらく)県の李誕(りたん)という者の家には男の子が一人もなくて、女の子ばかりが六人ともにつつがなく成長し、末子(ばっし)の名を寄(き)といった。寄は募りに応じて、ことしの生贄に立とうと言い出したが、父母は承知しなかった。
「しかしここの家(うち)には男の子が一人もありません。厄介者の女ばかりです」と、寄は言った。「わたし達は親の厄介になっているばかりで何の役にも立ちませんから、いっそ自分のからだを生贄にして、そのお金であなた方を少しでも楽にさせて上げるのが、せめてもの孝行というものです」
 それでも親たちはまだ承知しなかったが、しいて止めればひそかにぬけ出して行きそうな気色(けしき)であるので、親たちも遂に泣く泣くそれを許すことになった。そこで、寄は一口(ひとふり)のよい剣と一匹の蛇喰い犬とを用意して、いよいよ生贄にささげられた。
 大蛇の穴の前には古い廟があるので、寄は剣をふところにして廟のなかに坐っていた。蛇を喰う犬はそのそばに控えていた。彼女はあらかじめ数石(すうこく)の米を炊(かし)いで、それに蜜をかけて穴の口に供えて置くと、蛇はその匂いをかぎ付けて大きい頭(かしら)を出した。その眼は二尺の鏡の如くであった。蛇はまずその米を喰いはじめたのを見すまして、寄はかの犬を嗾(け)しかけると、犬はまっさきに飛びかかって蛇を噛んだ。彼女もそのあとから剣をふるって蛇を斬った。
 さすがの大蛇も犬に噛まれ、剣に傷つけられて、数カ所の痛手に堪(た)まり得ず、穴から這い出して蜿打(のたう)ちまわって死んだ。穴へはいってあらためると、奥には九人の少女の髑髏(どくろ)が転がっていた。
「お前さん達は弱いから、おめおめと蛇の生贄になってしまったのだ。可哀そうに……」と、彼女は言った。
 越(えつ)の王はそれを聞いて、寄を聘(へい)して夫人とした。その父は将楽県の県令に挙げられ、母や姉たちにも褒美を賜わった。その以来、この地方に妖蛇の患(うれ)いは絶えて、少女が蛇退治の顛末(てんまつ)を伝えた歌謡だけが今も残っている。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 13:37:34 | 显示全部楼层
 鹿の足

 陳(ちん)郡の謝鯤(しゃこん)は病いによって官を罷(や)めて、予章(よしょう)に引き籠っていたが、あるとき旅行して空き家に一泊した。この家には妖怪があって、しばしば人を殺すと伝えられていたが、彼は平気で眠っていると、夜の四更(しこう)(午前一時―三時)とおぼしき頃に、黄衣の人が現われて外から呼んだ。
「幼輿(ようよ)、戸をあけろ」
 幼輿というのは彼の字(あざな)である。こいつ化け物だと思ったが、彼は恐れずに答えた。
「戸をあけるのは面倒だ。用があるなら窓から手を出せ」
 言うかと思うと、外の人は窓から長い腕を突っ込んだので、彼は直ぐにその腕を引っ掴んで、力任せにぐいぐい引き摺り込もうとした。外では引き込まれまいとする。引きつ引かれつするうちに、その腕は脱けて彼の手に残った。外の人はそのまま立ち去ったらしい。夜が明けてみると、その腕は大きい鹿の前足であった。
 窓の外には血が流れている。その血の痕(あと)をたどってゆくと、果たして一頭の大きい鹿が傷ついて仆(たお)れていた。それを殺して以来、この家にふたたび妖怪の噂を聞かなくなった。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 13:38:51 | 显示全部楼层
羽衣

 予章新喩(しんゆ)県のある男が田畑へ出ると、田のなかに六、七人の女を見た。どの女もみな鳥のような羽衣(はごろも)を着ているのである。不思議に思ってそっと這いよると、あたかもその一人が羽衣を解(と)いたので、彼は急にそれを奪い取った。つづいて他の女どもの衣をも奪い取ろうとすると、かれらはみな鳥に化して飛び去った。
 羽衣を奪われた一人だけは逃げ去ることが出来なかったので、男は連れ帰って自分の妻にした。そうして、夫婦のあいだに三人の娘を儲(もう)けた。
 娘たちがだんだん生長の後、母はかれらにそっと訊いた。
「わたしの羽衣はどこに隠してあるか、おまえ達は知らないかえ」
「知りません」
「それではお父(とっ)さんに訊(き)いておくれよ」
 母に頼まれて、娘たちは何げなく父にたずねると、母の入れ知恵とは知らないで、父は正直に打ちあけた。
「実は積み稲の下に隠してある」
 それが娘の口から洩(も)らされたので、母は羽衣のありかを知った。
 彼女はそれを身につけて飛び去ったが、再び娘たちを迎いに来て、三人の娘も共に飛び去ってしまった。
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 楼主| 发表于 2005-12-10 13:40:39 | 显示全部楼层
狸老爺(たぬきおやじ)

 晋(しん)の時、呉興(ごこう)の農夫が二人の息子を持っていた。その息子兄弟が田を耕(たがや)していると、突然に父があらわれて来て、子細(しさい)も無しに兄弟を叱(しか)り散らすばかりか、果ては追い撃とうとするので、兄弟は逃げ帰って母に訴えると、母は怪訝(けげん)な顔をした。
「お父(とっ)さんは家(うち)にいるが……。まあ、ともかくも訊いてみよう」
 訊かれて父はおどろいた。自分はさっきから家にいたのであるから、田や畑へ出て行って息子たちを叱ったり殴ったりする筈がない。それは何かの妖怪がおれの姿に化けて行ったに相違ないから、今度来たらば斬り殺せと言い付けたので、兄弟もそのつもりで刃物を用意して行った。
 こうして息子らを出してやったものの、父もなんだか不安であるので、やがて後から様子を見とどけに出てゆくと、兄弟はその姿を見て刃物を把(と)り直した。
「化け物め、また来たか」
 父は言い訳をする間もなしに斬り殺されてしまった。兄弟はその正体を見極めもせずに、そこらの土のなかに埋めて帰ると、家には父がかれらの帰るのを待っていた。
「化け物めを退治して、まずまずめでたい」と、父も息子らもみな喜んだ。化け物が父に変じていることを兄弟は覚(さと)らなかった。
 幾年か過ぎた後、ひとりの法師がその家に来て兄弟に注意した。
「おまえ達のお父(とっ)さんには怖ろしい邪気が見えますぞ」
 それを聞いて、父は大いに怒って、そんな奴は早速逐(お)い出してしまえと息子らに言い付けた。それを聞いて、法師も怒った。かれは声を(はげ)しゅうして家内へ跳り込むと、父は忽ち大きい古狸に変じて床下へ逃げ隠れたので、兄弟はおどろきながらも追いつめて、遂に生け捕って撲(う)ち殺した。
 不幸な兄弟はこの古狸にたぶらかされて、真の父を殺したのである。一人は憤恨のあまりに自殺した。一人も懊悩(おうのう)のために病いを発して死んだ。
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