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060205天声人语革命咖喱饭
大正初め、日本へ亡命したインドの独立運動家ラス・ビハリ・ボースは、東京で食べたカレーの味にひどく落胆した。「インド貴族が食べるのはこんな味じゃない」と。
大正初年,亡命日本的印度独立运动家赖斯·比哈利·波斯,对他在东京吃到的咖喱饭味道大为惊讶。他说“印度贵族吃的可不是这个味儿啊”。
当時一般に食べられていたのは、英国風のカレー粉を使った即席料理だった。本場ベンガル育ちのボースには和食にしか見えなかったことだろう。日印を結ぶ政治工作のかたわら、本式のカレーを広めようと決意する。
当时人们吃的咖喱饭一般用英国风味的咖喱粉现做的。在孟加拉土生土长的波斯看来,大概只能算是日本料理吧。于是,他决心在从事联合日本和印度印的政治工作之余,推广正宗地道的咖喱饭。
官憲に追われ、かくまわれた先が新宿の洋食店中村屋だった。店主の娘と恋愛結婚して経営に加わり、「純インドカリー」を売り出す。鶏肉や香辛料を精選し、ご飯とカレーを別盛りで出した。他店の8倍もの値をつけたが、「恋と革命の味」として評判を呼んだ。
当时,波斯还在官府的通缉之中,窝藏他的正是位于新宿的西餐馆——中村屋。他在那里和老板的女儿恋、爱结婚,并参与经营,推出了“正宗印度咖喱饭”。他们精选了鸡肉和香辣佐料,又将饭和咖喱分别盛开。虽然价格是别的饭店的8倍,仍得到了“爱情和革命之口味”的好评。
波乱の生涯をたどった中島岳志さんの『中村屋のボース』(白水社)が、今年度の大佛次郎論壇賞を受けた。同時代を生きた独立の志士チャンドラ・ボースとしばしば混同されるが、別人である。
中岛岳志的作品《中村屋的波斯》(白水社)叙述了他不平常的一生,此书荣获本年度的大佛次郎论坛奖。虽然常常将他和同时代的独立运动志士卡德拉·波斯搞混同,其实是不同的两个人。
中村屋のボースの方は、日本を頼ってインド独立を模索した。最後は、帝国主義日本の手先とみなされて苦悶(くもん)する。受賞作はその歳月を丹念に描いた伝記だが、日本のカレー文化をインドの視点から考える上でも興味深い。
中村屋的波斯,仰仗日本来探索印度的独立之路。可最后,他却被人看作是日本帝国主义的走狗,苦闷难当。这次的获奖作品详细描述了他的那一段岁月,不过,仅从印度人眼中的日本咖喱文化这方面来说,该书也是相当引人入胜的。
晩年のボースが病床で夢見たものが二つある。祖国の主権を奪い返すことと、医師に制限されたカレーを存分に食べることだ。ボースの長女、哲子さん(83)によると、医師が治療をあきらめた後、家族は望み通りカレーを与えた。だが独立の夢はかなわないまま58歳で逝く。東京を寒波が包んだ1945年1月の夜だった.
晚年的波斯卧病在床,他有两个梦想。即:夺回祖国的主权与尽情地享用被医生所限制了的咖喱饭。波斯的长女——哲子女士(83)说,在医生放弃治疗之后,家人就如他所愿,让他尽情地享用咖喱饭。然而,他在祖国独立的梦想尚为实现之时,终以58岁的高龄,于世长辞了。那是在1945年1月,东京笼罩在寒流之下的一个夜晚。
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