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日志

アメリカ大統領就任演説

已有 176 次阅读2006-11-13 23:59 |个人分类:日语学习

アメリカ大統領就任演説

(ケネディ~W・ブッシュまで)

本翻訳は、この版権表示を残す限りにおいて、訳者および著者にたいして許可をとったり使用料を支払ったりすることいっさいなしに、商業利用を含むあらゆる形で自由に利用・複製が認められる。(「この版権表示を残す」んだから、「禁無断複製」とかいうのはもちろんダメっす)

J.F ケネディ 大統領就任演説

リンドン・ジョンソン大統領就任演説

リチャード・ニクソン第一期大統領就任演説

リチャード・ニクソン第ニ期大統領就任演説

ジミー・カーター大統領就任演説

ロナルド・レーガン第一期大統領就任演説

ロナルド・レーガン第ニ期大統領就任演説

ジョージ・ブッシュ大統領就任演説

ビル・クリントン第一期大統領就任演説

ビル・クリントン第二期大統領就任演説

ジョージ・W・ブッシュ大統領就任演説

あとがき(2001年6月18日)

J.F ケネディ 大統領就任演説

1961年1月20日

今日のわれわれの勝利が、政党の勝利ではなく自由の勝利だということを祝おう。それは、始まりとともに終わりを象徴しており、変化とともに再建を示している。なぜなら、一と四分の三世紀近くも前にわれわれの先祖が定めたものと全く同じ厳粛な誓いを、みなさんと全能なる神の前で私は誓ったばかりであるからだ。

世界は大きく変貌している。人類は、あらゆる形の貧困とあらゆる形の人間の生命を根絶させる力を手にしたからである。それにもかかわらず、われわれの祖先がそのために血をながしてきた独立戦争の信念は、いまだに世界中で論争の的になっている。それは人間の権利は国家が気前よくくれたものではなく、神の手によって授けられているという信念である。われわれは今日、その最初の独立戦争の継承者であることを忘れてはならない。

今、この時、この場所からこの言葉を伝えようではないか、敵味方を問わずに。たいまつはアメリカの新しい世代にひきつがれたと。その世代は、今世紀に生まれ、戦争にさらされ、厳しく苦い平和にきたえられて、われわれの祖先の遺産をほこりに思い、母国でも世界中でもこの国がいつも守ってきて、今日われわれが守っているこれらの人権が旧態依然と取り消されるようなことを目撃したり、認めたりはしない世代である。

敵であろうが味方であろうが、全ての国に知らせよう。われわれは自由が生きのび勝利をおさめるためになら、どんな対価も支払い、どんな重荷にも耐え、どんな困難にも立ち向かい、味方を支持し、敵には対抗するということを。われわれはこのことを固く誓うし、それ以上の用意もある。

文化と精神的な起源を一にする古くからの同盟国に対して、われわれは信頼にたる友としての忠誠を誓う。われわれが一致団結すればなしえないことはほとんどないし、たもとを分かつとすれば、何事もなしとげられないのだ。われわれは、互いに争いばらばらになって、どうやって強力な挑戦に立ち向かえばいいというのだろう。われわれが自由主義世界への仲間入りを歓迎する新しい国々には、このことを誓おう。植民地支配という一つの形が終わって、単により厳しい鉄の専制が置きかわるわけではないということを。われわれは、これらの国々が常にわれわれの見解に賛同してくれるとは期待していない。ただわれわれは、これらの国々が自国なりの自由を見出してくれることをいつも強く望むものである。過去にはこういうことがあったのも覚えておいてほしい、つまり愚かにも虎の威をかり権力を志向するものは、けっきょく自滅するということを。地球の大部分を占めるほったて小屋や村落に住む人々で、みんなが悲惨な足かせをはずせるように苦闘する人々には、その自助努力に対して、どれほどの時間がかかろうとも最大限の力添えを誓おう。それは共産主義者がそうするかもしれないからでも、かれらの票が目当てなわけでもない。それが正しいことだからだ。もし自由な社会が貧しい大多数のものを救えないようであれば、少数の金持ちをも救うことはできないのである。

われわれと密接な関係にある国境の南の国々に対しては、特別な約束をしよう。言葉を実行に移し、進歩のために新しい同盟をむすび、自由な人々や国々が貧困のくさりから解き放たれる手助けをすると。しかしこの平和的な革命の希望が、敵対する勢力のえじきになるようなことがあってはならない。全ての近隣諸国は、われわれがアメリカ大陸のどこにおいても、他国への侵略や政府の転覆といったことに協力して対抗するということを知っておいてほしい。そしてその他の国々も、この地域においてはわれわれは自分のことは自分でするということを知っておいてもらいたい。

世界中の独立国の集まり、つまり国際連合に対しては、われわれは支持の誓いを新たにする。国際連合は、戦争という手段が平和という手段よりはるかに利用された時代においては、われわれの最後の、そして最大の希望である。そしてわれわれは国際連合を単にののしりあいの場にはせず、新しく弱小な国への保護を強め、国際憲章のおよぶ地域を拡大するのを支持する誓いを新たにするのである。

最後に、われわれに敵対しようとする国々に対しては、誓いではなく要求をすることとしよう。両陣営で新たに平和の探求に着手しようという要求を。科学によって束縛をとかれた暗黒たる破壊力が、計画的にあるいは偶然に、全人類を自己破壊の渦にのみこむ前に。われわれは、敵対する国々に弱みをみせて挑発してはならない。われわれの戦力が疑いなく十分であるときのみ、われわれはその戦力を利用することが決してないことを疑うことなく確信できる。大きくそして力をもつ2つの陣営は、この現在の路線を歩むかぎりどちらも安心できない。両陣営は現代兵器の過大なコストに苦しみ、死をもたらす原子力が着実に拡散していくのにまさに恐怖をおぼえながらも、人類の最終戦争を押しとどめている不確かな恐怖のバランスをくずそうと互いに競争しているのである。

われわれは新たに着手しなければならない、両陣営とも礼儀正しいふるまいは弱さのしるしではなく、誠実さは常に証明しなければならないということを念頭において。われわれは恐怖ゆえに交渉してはならない、ただ交渉することを恐れてもいけない。両陣営で、われわれを分裂させている諸問題を言い争う代わりに、何がわれわれを団結させるのか探索しようではないか。まず第一に、両陣営で武器の査察と管理についての真摯で精密な提案を練り上げようではないか。そして、お互いの国々を崩壊させるような絶対的な力を全ての国の完全な管理の下におこうではないか。科学の恐怖ではなく、科学の驚異に訴えかけようではないか。われわれは共に宇宙を探検し、砂漠を征服し、疫病を根絶し、深海を開発し、芸術や商業を振興しようではないか。両陣営とも地球上の全ての人の心にイザヤの言葉を宿らせよう。「重荷を下ろし...虐げられたものを自由にしよう」と。

そしてもし協力の足がかりが疑惑のうずまくジャングルを押し戻すことができたなら、両陣営は新しい力のバランスではなく、新しい法に基づいた世界を協力して作りあげることができるだろう。新しい法に基づいた世界では、強者も公正であり、弱者が保護され、平和が保たれるのである。

これはこれからの100日でなしとげられることではないだろう。いやこれからの1000日でなしとげることもできないかもしれない。いやこの政権の間に、もしくはこの地球上でのわれわれの生きている間でさえなしとげられないかもしれない。しかし着手しようではないか。

われわれのとる道が最終的に成功するか失敗するかは、わたし以上に、あなたがた市民の手にかかっているのだ。この国の建国以来、アメリカ人の各世代は国家に対する忠誠を証明するために召集されてきた。その召集に応えた若いアメリカ人の墓は世界中にある。今トランペットの音がわれわれを再び召集している。武器は必要だが、武器をとれという召集ではない、戦ってはいるが、戦うための召集ではない、長い夜明け前の闘争の重荷を肩に背負えという召集なのである。いつも希望をもって喜びを抱き、苦難に耐えながら、人類の共通の敵、専制、貧困、疫病、そして戦争そのものに対して闘うという重荷を。これらを敵にして、北も南も、東も西も、壮大な世界的な同盟をわれわれは作れないものだろうか? その同盟は全人類により実りある生活を保証してくれるだろう。あなたがたもこの歴史的な努力に身を投じてみないだろうか?

世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機にさらされている時に、自由を守る役割を与えられてきた世代はごく少ない。私はこの責任からしりごみするものではない、私はそれを歓迎する。われわれの誰かが自分の立場を、他の人もしくは他の世代と交換するだろうなどということを私は信じない。こうした努力にわれわれが捧げるエネルギー、信念、献身こそがわれわれの国家を、そして国家につかえるわれわれを照らしだすのである。そしてその明かりから発せられる輝きこそが、本当に世界を照らしだすのである。

そして、わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。わが同胞の世界の市民よ、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、われわれと共に人類の自由のために何ができるかを問おうではないか。

最後に、あなたがアメリカ市民であろうが、世界の市民であろうが、われわれがあなたに求めるのと同じ高い水準の力と犠牲をここのわれわれに求めて欲しい。良心を唯一のたしかな報酬とみなし、歴史がわれわれの行動に最終的な判断を下してくれることを信じて、神の祝福と助けをもとめながらも、この地球上では神の仕事はわれわれ自身でなしとげなければならないということを肝に銘じて、われわれの愛すべき国を導くために前進しよう。

リンドン・ジョンソン大統領就任演説

1965年1月20日

わが同胞たちよ、この時をむかえた。あなたがたと神の目前で行った誓いは私だけのものではなく、われわれのものである。われわれは一つの国であり、一人の国民である。われわれの一つの国としての運命や、一人の国民としての将来は、一人の市民ではなく、全ての市民にかかっているのです。

これこそが権威であり、このときの持つ意味なのです。

全ての世代には、運命があります。世代によっては、歴史がそれを決めました。この世代においては、選択はわれわれ自身が行わねばなりません。

今でさえ、ロケットが火星に向かっています。世界はわれわれが子供の頃とは、もしくはほんの短い年月のあいだでさえ、同じではないことを心に刻みましょう。ここに次に立つ人は、われわれとは異なる景色を見渡すことでしょう。なぜならわれわれのときは変化のときだからです。自然の神秘に匹敵するような急速で大幅な変化であり、国を統合させ、支配と破壊のために新たな武器にきまぐれに手がかかり、古い価値観がゆさぶられ、古いやり方が根絶するような変化なのです。

変化の真っ只中のわれわれの運命は、われわれの変わらない国民性、そしてそれを信じる心にかかっています。

アメリカの誓約

国から追放され、来訪者として、勇敢ではあるけれど恐れを抱きながら、自分が自分であることが可能なところを見つけるために、ここにやってきました。そしてこの土地に誓ったのです。正義を示し、自由が書きこまれ、一致団結し、それは全ての人々の希望をかきたてるものでした。そしてその誓いはまだわれわれを団結させています。もしその約束を守るなら、繁栄が待っていることでしょう。

正義と変化

第一に、正義は、旅をする全ての人が土地からの実りをわけるという約束です。

とても豊かな土地では、家族は希望なき貧困にあえいで生活するべきではない。豊かに実りがある土地では、子供たちは飢えるべきではない。奇跡の回復を行う土地では、隣人はほったらかされ、苦しんで死ぬべきではない。学問と学者の土地では、若い人々は読み書きを教わるべきである。

私が国に仕えてきた30年以上ものあいだ、われわれへの不正、資源の無駄使いがわれわれの本当の敵であると私は信じてきました。30年以上も、私の持てる限りの力全てでです。私は絶えずそれと戦ってきました。私は、それが簡単には降伏しないだろうということを学んできて、知っています。

しかし変化は、われわれに新たな武器を差しだしてくれました。アメリカのこの世代が終る前に、この敵を退却させるだけではなく、根絶しなければなりません。

正義は、われわれにどんな市民であれ同胞を、「彼と私の人種は違う」とか「彼の信仰は、奇妙で違っている」などいう言葉で否定したときは、その瞬間に祖先が作り上げてきたアメリカを裏切っているということを忘れないようにしてくれる。

自由と変化

自由はわれわれの制約の二つ目の項目でした。それは自治を意味しています。それはわれわれの権利章典であり、それ以上のものでもあります。アメリカは、全ての人が自分自身に誇りを持つことができるような場所でなければならない。その才能をのばし、仕事を楽しみ、その隣人の人生や自分の国を尊重する場所でなければならない。

これは、変化と成長が管理や人の判断をこえてまで伸びていくように思われる世界ではより難しくなってきている。われわれは、すべての人々の可能性を拡大できるような知識と環境を提供するべく、働かなければならない。

アメリカの誓約は、われわれに人間の解放の方法を示す助けをするように要請した。そしてそれが今日のわれわれのゴールです。もし国として管理外の部分が大きければ、国民として希望の外に追い出される人がいないようにしよう。

変化は、この古いミッションにも新たな意味付けをしてきた。われわれは二度と再び、孤高を鼻にかけ、傍観することはない。われわれがかつて「外の」と呼んでいた恐ろしい危険とトラブルが、今やわれわれの中に常にある。もしわれわれがほとんど知らないような国々でアメリカ人の生命をなげだし、アメリカの富をばらまかなければならないなら、それは変化が信念や、誓約を長続きさせるために求める代償なのです。

火星に向かっているロケットから、われわれの世界を見ていると考えてみよう。それは子供の地球のようであり、宇宙に漂い、色のついた地図のように大陸がその表面に張り付いている。われわれはみな地球上のほんの点の上で一緒に旅行している仲間なのです。そして一人一人が、仲間と本当に一緒にいる時間はほんの短い時間です。

このようなもろい存在でありながら、お互いに憎みあったり破滅させあうなんて、本当に信じられないことです。他人を支配することをやめようとする人ならみな、自然を支配することができる十分な可能性をもっている。世界はそれぞれの方法で自身の幸福を追求するには、全員に十分なほどである。

われわれの国のたどるコースは非常に明らかです。われわれは他人のものを望んだりしない。われわれは同朋を支配したりしない。しかし暴政や悲惨さについては抑制しなければならない。

しかしそれ以上のことが望まれている。人は公共の事業、自分自身より大きな大義の一部であることを望んでいる。われわれの一人一人は国の目的を前進させるための道、そしてわれわれ自身の新しい目的を見つけなければならない。これなしでは、われわれはよそ者たちの国家になってしまうだろう。

団結と変化

三つ目の項目は団結です。未開の自然に対して、小さく非力だった人々にとって、そこから解放される自由には、団結の力が必要だったのです。2世紀の変化が、再びこれを現実のものとしてきました。

もはや資本家も労働者も、農場労働者も事務員も、街も田舎も、われわれの寛大さを分断しようとするようなものは、もはや必要ない。肩を並べて協力して働くことで、われわれはともに全てに対する寛大さを増すことができる。われわれは全ての学ぶべき子供、全ての仕事を探す大人、一本のろうそくが祭壇に追加されるように病気の人がいて、それら全てが全ての信心深い人の希望を照らすことを知っている。

古い傷口を再び開いたり、古い憎悪を再びかきたてたりするものは、われわれのあいだでは拒絶しよう。かれらは国を探し求める邪魔をしているのだ。

今や理性と信じる心、行動と経験をあわせていこうではないか。そうして、同じ関心をもつ一団から、同じ目的をもつ一団へとかわっていくのだ。衝突なしに進歩をなしとげ、憎悪なし、つまり意見の相違なしに変化をなしとげ、世代間の団結に傷をつける深くつづく溝をつくることなしに、ここでこの時間、この日、この時になしとげるのだ。

アメリカの信仰

この正義、自由そして団結の誓約のもとで、われわれは一つの国を築き上げ、繁栄した、偉大な、そしてすばらしい国を築き上げてきた。そしてわれわれは自由を守ってきた。しかし神とわれわれの偉大さが永遠につづく約束をしてはいない。われわれは神によって、自身の手で汗をかき、精神の力で、偉大さを探し求めることを許されてきたのです。

私は偉大な社会が、秩序だった、変化のない、不毛なありの大群のようなものだとは信じない。それはエキサイトさせる変化である、常に変化していて、試みられていて、調べられ、倒れ、休み、再び試みられて、しかしいつも試みられて、いつも勝ち取っている。

全ての世代で、苦労と涙で、われわれは再びわれわれの権利を得なければならない。

もしわれわれは今失敗すれば、われわれは苦難の時に得たものの多くを失ってしまうことになるだろう。民主主義とは信頼によっていて、自由はそれが与えてくれる以上のものを求めるものであり、神の審判はもっとも気に入られているものほど厳しいものとなるのである。

もしわれわれが成功すれば、それはわれわれがもっているものゆえではなく、われわれが現在こうあるゆえかもしれない。われわれが所有しているものゆえではなく、どちらかといえばわれわれが信じているものゆえ成功するのだろう。

われわれは信じるものの国なのです。抗議の声がつみかさなり日々の仕事に追われるなかで、われわれは正義と自由と団結を信じており、われわれ自身の国を信じている。われわれは全ての人がいつの日か自由になるべきであることを信じている。そしてわれわれは自身を信じている。

われわれの敵はいつも同じミスを犯している。私の人生で、不況のときも戦争のときも、彼らはわれわれが失敗するのを待ち構えている。いつもアメリカの中心の秘密の場所から、信仰がうまれてくる。彼らはそれを見ることが出来ないどころか、想像することさえできないだろう。それがわれわれに勝利をもたらし、それは再び起こるだろう。

それこそが、アメリカがどういうものかということでもあります。横断されたことのない砂漠であり、未登頂の山なのです。手の届かない星であり、耕されていない土地に眠る収穫物なのです。われわれの世界は去ったのでしょうか? われわれは「さようなら」といいましょう。新しい世界が来るのでしょうか? われわれはそれを歓迎しましょう。そしてわれわれは、それを人類が希望するようにしましょう。

公僕を信じる人たち、私に長く曲がりくねった道をついてきてくれた家族や親しい友達、この国そして世界の全ての人たちへ、私は今日1963年の11月の悲しい日に言ったことを繰り返したい。「私は先導する、そしてできる限りのことをするつもりだ」

しかしあなたがたは、自分の心のなかに古い約束とふるい夢を見出さなければならない。それからがとりわけあなたがたを先導してくれるだろう。

私については、私はただ、過去のリーダーの言葉で、こう問うこととしたい。「今、私に知恵と知識をください、私はこの国民の前で政権を下り、また政権を握ります。なぜなら全てを判断できるのは、あなたがた国民だからです、素晴らしいことではないでしょうか?」

リチャード・ニクソン第一期大統領就任演説

1969年1月20日

ダークセン上院議員、合衆国最高裁判所長官、副大統領、ジョンソン大統領、ハンフリー副大統領、そしてアメリカ国民のみなさん、そして世界中の国々のみなさん。

私はあなたがたに今日、この荘厳な時を私と共有することをお願いしたい。整然とした権力の委譲において、われわれに自由をもたらす団結を祝いましょう。

歴史上のどの瞬間も、うつろい行き、かけがえがなく、同じ時は二度とはもどってきません。しかし始まりとして突出している時もあり、そのような時に、何十年、何世紀ものわれわれの針路が決まるのです。

今がまさしくそのような時です。

人類の多くの人のもっとも深い願いがついに実現するという希望が、初めてかなう方向に力が集結しつつあります。急速な変化はわれわれが生きている間に、かつてだったら何世紀もかかったことだろう進歩をこの目でみることを可能にしました。

宇宙の果てをひろげて来たわれわれは、地上において新たな地平線を見つけ出しましょう。

世界の人々が平和をもとめ、世界のリーダーたちが戦争を恐れ、その結果、歴史上はじめて時代が平和を支持しているのです。

今から8年後、アメリカは国として200年の記念を祝うことになります。ほとんどの人が生きているあいだに、人類は1000年に一度しかない新しい年、3回目のミレニアムの初めを祝うことになるでしょう。

われわれがどのような国になるのか、われわれがどのような世界に生きるのか、われわれが希望するような未来を築けるかどうかは、あくまでわれわれの行動と選択によるのです。

歴史が捧げる一番の名誉は、平和への調停者の称号でしょう。この名誉は、現在アメリカに手招きをしています。世界がとうとう動乱の谷から抜け出して、人類が文明の夜明けから夢見てきた平和な高台へと至る機会があるのです。

もしわれわれが成功すれば、来たる世代は、われわれが時を支配し、人類にとって世界が平和になるのを助けたと語ることでしょう。

これがわれわれの偉大さへの呼びかけです。

わたしは、アメリカ国民がその呼びかけへ答える準備ができていると信じています。

この世紀の2/3は、誇るべき成果をあげたときでした。われわれは科学、産業、農業において大きな発展をなしとげました。われわれは今までより、広範囲に富を分配しなければなりません。われわれはとうとう、現代の経済がたえまなく発展するように管理することを学んできました。

われわれは、自由に新たな広がりをもたらしてきました。そして白人だけでなく黒人に対しても、その約束を実現しはじめてきています。

われわれは、将来の希望を今日の若者にみることができます。私はアメリカの若者をよく知っているし、信じています。われわれは、歴史上のどの世代とくらべても若者が十分に教育をうけ、よりかかわりをもたれ、良心によって積極的に行動することを誇ることができるのです。

歴史上これほど公正で豊かな社会を築き上げること、もしくはこれほどそうする意思をもったことに近づいたときはありません。われわれの力は強大ですが、また弱さを率直に評価し、希望をもってその弱さをとりあげることができるのです。

1/3世紀近く前に同じ場所に立ち、フランクリン・デラノ・ルーズベルトは不況に打ちひしがれ、恐怖にとらわれていた国民に演説をしました。国難をきりぬけるためにこう言ったのです。「神に感謝します、それは物質にかかわることだけなのです」

われわれの今日の危機は、その逆なのです。

われわれは物質的には豊かになったが、精神においてはみじめなものです。かなりの正確さでもって月に到着できるのに、地球上の騒々しい争いに巻き込まれているのです。

われわれは平和を望みながら、戦争に足をすくわれています。われわれは団結を望みながら、分離しています。われわれは充実した人生を望みながら、自らのまわりで空虚な人生を目にしています。われわれは、他人が助けてくれるのを待ちながら、するべき仕事をただ見ているだけなのです。

精神の危機に対しては、精神でもってこたえる必要があります。

その答えをみつけるためには、われわれは自身をみつめなければなりません。

われわれが「われわれ自身のよいほうの天使」に耳をかたむければ、善良さ、礼儀正しさ、愛、やさしさなど簡潔なこと、基本的なことを祝福するのがわかるでしょう。

偉大さは、簡潔なもののなかにあるのです。

もしわれわれが自身を引き裂いているものを乗り越え、団結するものとして強固になろうとすれば、簡潔なことが今日もっとも必要とされているのです。

われわれの不満の声を小さくするのも、簡潔なものでしょう。

ここ数年の苦境にあって、アメリカは議論に苦しんできました。思い上がった美辞麗句で出来る以上のことを約束し、怒りにみちた言葉で不満を憎悪にかきたてました。そして大げさな言葉で、行動をうながす代わりに気取ったポースをとらせてきたのです。

われわれはお互いにどなりあうことをやめるまでは、お互いから学ぶことはできません。われわれが自身の声だけではなく、議論を聞き取れるほどに落ちついて話すまではです。

その点については、政府は耳を傾けます。われわれは新しい方法で、耳を傾けようと努力していきます。静かなる怒りの声や、口論ではない声や、心の声や、傷ついたものの声や、不安な声や、人に聞かれることをあきらめてしまった声に耳を傾けます。

疎外されてきた人たちへも、われわれは参加するようにうながしたい。

取り残された人たちへも、われわれは追いつくように助けたい。

全ての人たちへ、われわれはゴールとして、進歩を可能とし、安全な生活を送れるようにするふさわしい状態を整えたい。

われわれの希望へと近づいていくために、われわれのすることは、以前になくなったものの上に築き上げることです。古いものから遠ざかるのではなく、新しいものへと向かって行くことである。

この1/3世紀には、歴史上のどのときよりも政府はたくさんの法律を成立させ、多くの費用をつかい、多くのプログラムをはじめてきました。

完全雇用、よりよい住宅、すばらしい教育のゴールを追い求めましょう。都市を再生させ、地方の生活も改善しましょう。環境を守り、生活の質を向上させましょう。これらすべてや、より多くの分野で、われわれは急いで前進しなければならない。

われわれは、海外の戦争での破壊から本国で本当に必要なものへと、われわれの富が移転できるときに備えなければならない。

アメリカン・ドリームは、眠りほうけているものには実現することはできない。

しかしわれわれは、政府が単独でできることの限界に近づきつつある。

われわれの現在の一番の要求は、政府以上のところへ達することである、多くの人が関心をもち、関わっていくようにしたいということである。

しなければならないことは、政府と国民がともに取り組まなければならない。そうでなければ、それは全くなしとげることはできないだろう。過去の苦悩の教訓は、国民の助けがなければ、われわれはなにもできないが、国民の助けがあればわれわれは何でもできるということである。

われわれの偉大な仕事につり合うように、われわれには人々の力が必要なのである。大事業だけではなく、こういう小さなすばらしい努力にも参加するような人々の力が。その小さなすばらしい努力とは、全国的な雑誌のかわりに、地方紙のヘッドラインをかざるようなものである。

これらをもって、われわれは偉大な精神の伽藍を作り上げようとしている。われわれ一人一人が、一度に一つの石を、つまり隣人に手をさしのべたり、助けたり、ケアしたり、なにかをしたりすることをつみあげることで、作り上げるのです。

私は平凡で安穏とした人生について、話しているわけではない。私は、残酷で犠牲に満ちた人生を求めているわけでもない。私はあなたがたに、思い切った冒険に加わらないかと頼んでいるのです。その冒険は、人類愛と同じくらい豊かなもので、われわれが生きている時と同じくらい興奮させるものである。

自由の本質とは、われわれ一人一人が自分自身の運命を形づくることに加わるということです。

自分より大きな大義の一部分でなければ、その人は決して本当に完全とはいえないのです。

成し遂げるには、われわれの才能を利用しなければなりません。われわれは、才能の利用を促進する精神の高潔さを持つようにしよう。

われわれがなしとげられることを評価するために、われわれは出来るとわかっていることだけを約束しよう。ただ目的の大まかな計画をえがき、夢をみることによりわれわれの気分は高揚するだろう。

誰一人、隣人が自由でないあいだは、完全に自由とはいえない。完全に前進するということは、ともに前進することである。

これは、白人と黒人が二つではなく一つの国として手をとりあうことも意味している。法律がわれわれの良心に追いついてくるのです。残っているのは、法律の中にあるものに生命をふきこむことです。それは最終的には、神の前で尊厳において生まれながらにして平等であると同時に、人の世でも尊厳において生まれながらに平等であることを保証することなのです。

われわれが本国においてともに前進するということを学べば、全人類においても、ともに前進することを模索できるでしょう。

これをわれわれの目的としよう。平和がないところで、平和が歓迎されるようにしよう。平和がもろいところで、平和を強固なものとしよう。平和が一時的なところで、平和が永遠のものとしよう。

対決のときをへて、われわれは交渉のときを迎えている。

全ての国々にこの政権下では、われわれとのコミュニケーションの扉は開かれていることを知らせよう。

われわれは開かれた世界を求めている。アイデアや、物や人の交流に開かれている世界を、つまり全ての人が、数の多少にかかわらず、怒りにみちた孤立のなかで人生を送ることがない世界を。

われわれは全ての人が味方になることを望むわけではない、ただしわれわれは敵を一人もいないようにすることはできる。

われわれの敵になるような相手に対しては、われわれは平和な競争をすすめたい。領土を侵攻したり、支配を拡張したりすることなく、人々の生活を豊かにするような競争を。

われわれが宇宙の開拓をすすめれば、新しい世界へともに行くこととなる。それは征服する新世界ではなく、共有できる新しい冒険となる。

一緒に加わろうとするものとともに、平和を確かなものとするために、貧しいものと飢えるものを救うために、われわれは協力して武器を削減しよう。

弱さに誘惑されるすべての人に対しては、われわれが必要とされるかぎりは、必要とされるだけ強くあることを疑わせないようにしよう。

ここ20年間、私は新人下院議員としてこの首都にはじめてやってきたときから、世界中の国々のほとんどを来訪してきた。

私は世界のリーダーのほとんどと面識がある。そして世界を分断している戦力も、憎悪も恐怖も経験してきた。

私は、平和がそれを望むだけでは到来しないことを知っている。何日もいや何年もがまんしたり続いている悲劇には、代替するものがないということを私は知っている。

私はまた世界中の人々を知っている。

私は飢えた小さい子供を見たこともあるし、戦闘で傷ついた人の苦しみや息子を亡くした母親の悲しみを見たこともある。そこには、イデオロギーも人種もなんの関係もない。

私はアメリカを知っている。私は、アメリカの本質がよいものであることを知っている。

私は自分の心の底から、そして私の国の心底から、われわれが苦しむものや悲しむものに抱いている深い関心について話している。

私は今日、神と国民の前で、アメリカ合衆国を支持し守る誓いをたてました。この誓いに私は神聖な宣言をつけくわえたいと思います。私は執務室のスタッフの力と、私の全精力と私がもつ全ての知恵を、国々のあいだの平和の大義へとささげるということを。

強いものも弱いものも同じように、このメッセージを聞いて欲しい。

われわれが勝ち取ろうとしている平和は、他の人々への勝利ではない。「その羽を癒す」平和である。苦しんでいるものへの同情をいだき、われわれと対立してきたものへの理解を示し、世界中の人々に自分自身の運命の選択をできる機会をもたらす平和なのです。

たった数週間前に、われわれは神がみた人類の最初の光の栄光を共有しました。つまり暗闇で光を反射する唯一の球体をみたのです。

アポロ号の宇宙飛行士が、月の灰色の表面をクリスマス・イブに飛んだとき、宇宙飛行士たちはわれわれに地球の美しさについて語った。そしてその声は月との距離があるにもかかわらず明瞭で、それを聞くと神の地球への美しさへの祝福をわれわれに思いおこさせた。

その瞬間に月からみた景色が、詩人のアーチバルド・マックレイシュを感動させ、こう書かせている。

「ありのままの地球をみると、永遠の沈黙のなかで浮遊し、小さくて青く美しく、われわれはともに地球の上に乗っているのであり、永遠の冷たさの中での暖かいすばらしい兄弟であり、今や本当に兄弟であることを知っている兄弟であることがわかるのだ」

すばらしい技術的な勝利のときに、人類はその目を自分の国と人類にむけなければならない。そこには地球での人類の運命は、分割できないという考えをみることができる。そして、われわれに宇宙のどこまで到達しても、われわれの運命は星々にではなく、地球、つまりわれわれの手の中、われわれの心の中にあるのだということを教えてくれる。

われわれは、アメリカの精神における長い夜を耐えてきた。しかしわれわれの目は夜明けの最初の光がかすんでいるのを捕らえている。残りの暗さをのろうのはやめよう。光をあつめようではないか。

われわれの運命は、絶望のコップではなく、機会の聖杯をさしだしている。われわれは恐怖ではなく、喜びのなかでその聖杯をつかもう。そして「ともに地球の乗り手であろう」、前進しよう、信念をかたくもち、目的をしっかりさせ、危険に注意しよう。しかし神の意志と人類の約束に信頼をおくことで、われわれは励まされているのである。

リチャード・ニクソン第ニ期大統領就任演説

1973年1月20日

副大統領、下院議長、合衆国最高裁判所長官、クック上院議員、アイゼンハワー氏、そしてともに偉大ですばらしいわが祖国を作り上げているアメリカ国民のみなさん。

われわれはこの場所に4年前に集ったとき、アメリカは先行きが暗く、終りがないように思われる海外の戦争の見通しや本国での破壊的な衝突によって意気消沈していた。

この場所に本日集うとき、われわれは世界における新たな平和の時代の入り口にたっています。

われわれの提示されている質問は、「この平和をどのようにしたらよいだろうか?」ということです。われわれが足を踏み入れようとしている時代が、他の戦争後の期間にしばしばそうなったようにはしないようにしよう。つまり、国内には不況をもたらし、海外では新たな危機をまねく、ひきこもりと孤立の状態にならないようにしようではないか。

われわれは次のようにしようではないか。つまり重い責任をしっかり引き受け、そこで一つの国として三世紀目に入ったアメリカの精神と約束を新たなものとしましょう。

ここ数年は、われわれの新たな平和の方針が広範囲に成果をあげるのを見ることができた。われわれの伝統的な交友関係に新たな活力を与えつづけ、北京やモスクワに使節を送ることで、世界中の国々と新たなそしてより長続きする関係の基盤を構築することができるだろう。アメリカの大胆な先導で、1972年は第二次世界大戦以来、世界での恒久的な平和へ向けての最も大きな進歩をなしとげた年として長く記憶されることだろう。

われわれが世界中でもとめる平和は、単に戦争と戦争のあいだといったうすっぺらな平和ではなく、来るべき世代においても持ちこたえるような平和なのです。

アメリカにおいてわれわれが平和を保つようにしなければ、平和になることはありえないでしょう。

アメリカにおいてわれわれが自由を保つようにしなければ、自由になることはありえないでしょう。

われわれは、ここ4年においてわれわれが採用してきた新たな方針の結果としての、新たなアメリカの役割の本質をはっきり理解するようにしましょう。

われわれは、条約による約束を尊重しよう。

われわれは積極的に、いかなる国も武力をもってその意志や規則を他国へおしつける権利をもたないという原則を支持しよう。

われわれは、交渉の時代においても、核兵器を制限することや、その大きな力が直面する危険を減らすようにしよう。

われわれは、世界において平和や自由を守るために貢献しよう。

アメリカが他の全ての国の紛争を自分のものとみなすような時代や、他の全ての国の将来がわれわれの責任であるとするような時代や、もしくは他の国の国民にどうやってそれぞれの問題を解決するかを教えようとするような時代は過ぎ去った。

各々の国がそれぞれの将来を決める権利を尊重しさえすれば、各々の国がそれぞれの将来を手中におさめる責任をもつことを認識できるだろう。

アメリカの役割が世界の平和を保つのには不可欠であり、各々の国の役割がそれぞれの国の平和を保つためには不可欠なのです。

世界の残りの国々とともに、われわれが始めたスタートから前進しようではないか。これほど長いあいだ世界を分断してきた敵意の壁をうちこわし、その場所に理解の橋をかけつづけようではないか。そうすれば、政府の形態の大きな違いはあれども、世界の人々はみな友達になることができるだろう。

世界に弱者が強者と同じように安全である平和な仕組みをつくりあげよう。そのような世界では、お互いが異なるシステムで生きる他人の権利を尊重し、他人に影響を与える人は、武器による力ではなく、アイデアの力でそうすることだろう。

そのような大きな責任を重荷としてではなく、よろこんで引き受けよう。なぜよろこぶかといえば、そのような平和を築き上げるチャンスは、国として関わる最も高貴な努力であるから。なぜよろこぶかといえば、もしわれわれが海外での責任に対処するなかで偉大にふるまいさえすれば、われわれは偉大な国でありつづけるし、もしわれわれが偉大な国でありつづけるなら、本国でのチャレンジに対処するなかでも偉大にふるまうことができるだろうから。

歴史上のいつと比べても、アメリカにおいてよい生活を送るために、われわれは今日より多くのことができるチャンスがあります。よりよい教育、より健康であること、よりよい家、よりよい交通手段、よりきれいな環境、遵法精神をとりもどし、われわれのコミュニティーをより活き活きとしたものとし、そして全てのアメリカ人に神によって与えられた、完全かつ平等な機会の権利を保障するように。

われわれが必要とするものの範囲はあまりに広く、われわれの機会の及ぶ範囲はあまりに大きいので、これらの必要に新しい方法で対処する決意を大胆にしよう。

ちょうど海外において平和を築き上げるには、失敗した古い政策を転換することが必要であるように、本国における新しい進歩の時代を築くには、失敗してきた古い政策を転換することが必要なのです。

海外においては、古い政策から新しい政策へのシフトはわれわれの責任の放棄ではない。しかしよりよい道は平和なのです。

そして本国では、古い政策から新しい政策へのシフトもまたわれわれの責任の放棄ではない。しかしよりよい道は進歩なのです。

海外においても本国においても、これらの新しい責任の鍵は、責任の所在と分割にある。われわれはあまりに長い間、全ての権力と責任をワシントンに集中する試みの結果のもとで生きてきた。

海外においても本国においても、温情主義を見下すような、「ワシントンが一番よくしっている」式の政策から転換するときがきたのです。

人は責任をもっているときのみ、責任をもって行動することが望めるのです。それが人間の本質です。本国でも海外の国々でも、より自分のために行動するように、より自分のために決断するように個々の人を励ましましょう。より多くの場所で責任を分担しよう。他人のために何をしようとしているかを、自分のために何をしようとしたかで判断しよう。

それが今日、私がどんな問題に対しても純粋に政府だけで解決できるものはないと言っている理由だ。われわれは、あまりに長いあいだ間違った約束をしてきたのだ。あまりに政府を信頼しすぎていて、われわれは提供できる以上のものを求めていたのだ。これは思い上がった慢心につながるだけであり、個人の努力を少なくし、政府ができることと人々ができることの信頼を損なう失望と不満につながったのである。

政府は、人々がより自身のために働くように、人々から取る分を少なくしなければならないということを学ばなければならない。

アメリカは政府によってではなく、人々によって成り立っていることを思い出して欲しい。富でなく、労働で、責任を回避することでなく責任を引き受けることで成り立っていることを。

われわれが直面しているチャレンジにおいて、われわれ一人一人はどうやって政府が助けてくれるかではなく、自分が何をできるかをまさに問おうではないか?

あなたの国の政府は、果たすべき大きく重要な役割をもっている。そして政府が活動しようとするところでは、われわれは大胆に行動し先導することを、私はあなたがたに誓おう。しかしわれわれそれぞれ、そして全員の果たす、個人として、そしてコミュニティのメンバーとしての役割が重要なのです。

この日から先、われわれ一人一人は自分の心に真剣にかかわろう。責任をはたし、自分の役割を担い、理想に生き、そしてともにわれわれはアメリカの新しい時代の進歩が低下しているのをみて、そしてともに一つの国として誕生200年を祝いながら、われわれは自身と世界に対する約束の実行を誇りをもって行おう。

アメリカのもっとも長く、もっとも困難な戦争が終結するとき、再びただ礼儀正しいことと上品であることの違いについて議論できるようにしよう。そしてわれわれ一人一人が、一つの高い価値をもつ政府では提供できないものへと手を伸ばそう。それはつまり、お互いへの権利や感情を新しいレベルで尊重すること、全てのアメリカ人の生まれながらの権利である、個人の人間の尊厳を新しいレベルで尊重することです。

その他になによりも、われわれ自身やアメリカを信じる気持ちを新たにする時が来たのです。

近年では、その信念は挑戦をうけてきています。われわれの子供は自分の国を恥ずかしく、自分の両親を恥ずかしく、アメリカの本国や世界での役割を恥ずかしく思うように教育されているのです。

あらゆる場面で、われわれはアメリカに関わることは全て間違っていて、正しいことはほとんどないという人々に責められてきた。しかし私は自信をもって、これはわれわれが生きることを許されたすばらしい時代において、歴史が下した評価ではないと言える。

アメリカのこの世紀での経歴は、世界の歴史のなかでも、責任の点でも、寛大さの点でも、創造性の点でも、進歩の点でも比類なきものであった。

われわれのシステムが、世界の歴史上の他のどのシステムよりもより多くの自由や富を生みだして供給し、より広範に共有してきたことを誇ろうではないか。

われわれは今世紀に参加した4つの戦争それぞれにおいて、そこにはわれわれが現在終結させようとしている一つを含むが、われわれは自国の利益のみのために戦ったのではなく、他の国の侵略行為に対抗するのを助けるために戦ってきたことを誇ろうではないか。

われわれの大胆で新しいイニシアチブや、平和への礼を失わない確固たる意思によって、世界がかつて知っていたような、われわれの時代ではなくこれからの時代に続く、平和の構造を作りあげることにおいてブレイクスルーをおこしてきた。

われわれは今日ここで、いかなる国や世代が直面したよりも、偉大な挑戦を提供する時代へと足をふみ入れている。

われわれは、神や、歴史や、良心にわれわれがここ数年に使ってきた方法で答えよう。私はこの場所に立っていて、思うに私の前にこの場所に立ってきた他の人たちと同様に、歴史によって神聖なものとされている。そして私は、かれらがアメリカに抱いた夢について考え、そして一人一人がその夢をかなえるために、どれほどすっかり自分を忘れて助けを必要としたか認識していたかを私は考える。

今日、私はこれから何年もアメリカにとって、正しいことを決めるために神の助けがあるようにあなた方に祈って欲しい。そして私はともにわれわれの挑戦に値するようにあなたの助けを祈りたい。

ともにこれからの4年を、アメリカの歴史上もっともよい4年とするように誓おうではないか、そうすればアメリカの200年の誕生日には、生まれたときと同じくらい若く活力に満ちていることだろう。そして、全世界の希望のかがり火くらい明るいことだろう。

ここから希望を信じて、お互いを強く信じて前進しよう。われわれを創造した神を信じることに支えられ、いつも神の意志に仕えるために努力しながら。

ジミー・カーター大統領就任演説

1977年1月20日

私自身と国家のために、われわれの国家をいやすためにしてくれたことを前任者に感謝したいと思う。

この外側の肉体を使うセレモニーにおいて、われわれは再びわれわれの国の内面の精神的な力を証明したい。私の高校の先生であるジュリア・コールマンは、こう言ったものです「われわれは、変っていく時代に適応しなければなりません、ただし変わらない信条をもって」

ここ、私の前に1789年に最初の大統領が就任式に使った聖書があります。そして私は、私の母親が数年前にくれた聖書の時代を超越した古代の預言者ミカの忠告のところを開いて、就任の誓いをしたところです。

「神はあなたにお示しになった、何がよいことで、何を神はあなたに求めるかを。正しく行ない、慈悲を愛し、汝の神とへりくだって歩いて行かなければならない」(ミカ 6:8)

この大統領就任セレモニーは、新たな始まりを、われわれの政府の新たな献身を、そしてわれわれ全員の新たな精神を示している。大統領というものは、新たな精神を、たった一人の人しか提供しなくとも、それに気づいてほめたたえるだろう。

2世紀前のわれわれの国の誕生は、自由の長い探索のマイルストーンだった。ただこの国の建国者たちを興奮させた思い切った輝く夢は、いまだにその仕上げを待っている。私は新たに今日夢を見はじめようとはしていない、ただどちらかといえば、古い夢を新たに信じたいと思っている。

われわれの社会は、精神的にも人類の自由の点からみても、公に自らを定義した最初の社会だった。それがわれわれの社会を独特のものとしているユニークな自己定義である。しかしそれは、われわれに特別な義務を課してもいる。つまり義務が課されたときは、いつもわれわれにとってもっとも利益になるようにその道徳的な義務を引き受けるような義務を課すのである。

あなたがたは、私に大きな責任を負わせてくれた。あなたがたに近づくために、あなたがたにふさわしいものとなるように、そしてあなたがたがどういうものであるかを実証するために。一緒に新しい国家の、統一と信頼の精神を作り出そう。あなたがたの力は私の弱さを補うことができ、そしてあなたがたの知恵は私の間違いを少なくするようにできる。ともに学び、ともに笑い、ともに働き、ともに祈ろう、最後には当然われわれが勝利するだろうということを確信して。

アメリカンドリームは生きている。われわれは、再びわれわれの国とお互いをしっかりと信じなければならない。私は、アメリカがよりよくなれると信じている。われわれは、以前より強くなることもできるだろう。

われわれの最近の誤りは、われわれの国の基本原則へ再びコミットさせるだろう。なぜならわれわれはもし自身の政府を見下せば、われわれには将来がないことを知っているから。われわれは短期間だが威厳をもって団結してきたときのことを、特別なときに思い出す。そのようなときには、われわれの手の届かないものはない。

しかしわれわれは、過去の栄光にひたっていることはできない。われわれは、流れに流されるままではいけない。われわれはどんな人であれ、生活水準が低かったり、劣っていたり、劣悪だったりする将来像を受け入れない。

われわれは、すでに個人の自由をかなりの程度まで獲得してきた。そしてわれわれは今、機会を平等にしようと取り組んでいる。われわれの人権への取り組みは、絶対的なもので、われわれの法は公正で、われわれの生まれながらの長所は保ちつづけなければならない。権力をもつものは、弱きものを虐げてはならない、そして人間の尊厳は高められなければならない。

われわれは、たとえわれわれの偉大な国家が認める限界があろうとも「より多く」が必ずしも「よりよい」ことではないこと、またわれわれが全ての問題に答えられるわけでも、全ての課題を解決できるわけでもないことを学んできた。われわれは全てのことができるわけでもないが、かといってわれわれに将来必要な大胆さがかけているわけでもない。だから、ともに公共の福祉のために個人の犠牲をはらう精神で、われわれはただベストをつくさねばならない。

われわれの国家は、自国で強いと言えるときだけ、国外でも強いと言えるだろう。そしてわれわれが他の国で自由をひろめるのにもっともよい方法は、われわれの民主主義のシステムが真似をするのに値する方法であることを、ここで示すことである。

自分自身に正直であろうとすれば、他人にも正直でなければならない。われわれは外国で、われわれの国内のルールや基準を犯すような行動をしないだろう。なぜならわれわれは、アメリカが得た信頼こそがわれわれの力の源泉であることを知っているからだ。

世界は今、新たな気風に満ちている。より多くの人々が、より政治的な視点をもち、はっきりと目に見える形で自分自身の場所を渇望し求めている。ただ自分自身が物質的に豊かになりたいからだけではなく、基本的人権のためにである。

自由への情熱は強まるばかりである。この新たな気風の堰を切り、この新しい始まりの日にアメリカが引き受ける仕事として、公正で平和な本当に思いやりにみちた世界をつくる手助けをするほど、高貴で野心的なものはないだろう。

われわれは強い国であり、そしてわれわれはその力が戦闘で示す必要がないほど十分保持することだろう。つまり単に武器庫の大きさではなく、その発想の高潔さに基づいた静かなる戦力を十分に保持することだろう。

われわれは決して油断してはならないし、弱みをみせてはならない。そして貧困、無学、不正に対しても戦いつづけるだろう。なぜならそのようなものは、われわれの力が立派に対抗しうる敵だからである。

われわれは、純粋に理想を掲げている国である。しかし、われわれの理想主義が弱さと混同されるようなことがあってはならない。

われわれは自由だが、決して他のところでの自由の運命に無関心であってはならない。われわれの道徳心は、明らかにわれわれと同じように個人の人権に不変の敬意を払う社会を好むものである。われわれは脅迫しようとしているのではない。ただ他のものが犠牲をはらわず支配する世界は礼儀正しさを快く受け入れず、全ての人の幸福への脅迫になるだろうことは明らかである。

世界は潜在的な敵国間で同じ力を持ちつづけるために、巨大な軍備拡大競争にまだかかりきりになっている。われわれはお互いの国が安全である程度まで、世界の軍備を制限する努力をする忍耐強さと知恵を誓う。そしてわれわれは今年、最終的なゴールへ向けての第一歩を踏み出すだろう。つまりこの地球から全ての核兵器を廃絶する最終的なゴールへの。われわれは、全ての人にわれわれに合流するように促す。その成功が死の代わりに生をもたらすことができるのだ。

われわれは、アメリカ合衆国の人々は、明らかに深刻で確固たる意図をもった自信をとりもどさなければならない。そして、私が大統領の職を辞すときに、人々がわれわれの国についてそう語るような希望を私はもっている。

われわれがミカの言葉を思い出し、謙虚さ、慈悲そして正義をとりもどす希望を。

われわれを人種や地域や宗教の違いで分離するような障壁を取り壊し、不信がうずまくところに、多様性を尊重した団結を築く希望を。

われわれが生産的な仕事が出来る人々にそのような仕事を見つけられる希望を。

われわれがアメリカの家族、それはわれわれの社会の基盤で、それを強化するという希望を。

われわれが法を遵守し、法の下で弱きものも強きものも、豊かなものも貧しいものも平等に扱われることが保証される希望を。

再び自分たちの政府を誇りに思えるようにならなければならないという希望を。

私は世界の国々が、戦争の武器でではなく、われわれの最も大事な価値を反映する国際的な方針に基づいて永続的に続く平和を築きあげると言うことを希望したい。

これらは私の目的であるだけではない。私の業績でもないだろう。われわれの国で絶えることのない道徳の力と、失せることがなくたえず拡大していくアメリカンドリームを信じることを肯定することである。

 

ロナルド・レーガン第一期大統領就任演説

1981年1月20日

ハットフィールド上院議員、最高裁判所長官、大統領、副大統領のブッシュ氏とモンデール氏、ベーカー上院議員、オニール下院議長、ムーマウ師、そしてアメリカ国民のみなさん。ここに今日集まっているわれわれの何名かは、この大統領就任式は厳粛でもっとも重要なことでありますが、わが国の歴史にとってはごくあたりまえのことにすぎません。この憲法で必要とされている整然ととり行なわれる権力の委譲は、手順通りほとんど2世紀ちかくもとり行われてきました。そしてわれわれの間では、われわれが実際はどれほど奇妙であるか立ち止まって考えるものはほとんどいません。世界の多くの人の目からみれば、われわれが普通のこととして受け入れているこの4年ごとのセレモニーは、奇跡そのものといってもいいでしょう。

大統領、私はあなたがこの伝統を受け継ぐためにどれほどのことをなしとげたかを国民に知ってもらいたいと思います。継承におけるあなたの寛大な協力のおかげで、見守っている世界中に、われわれが他の政治体制よりずっと個人の自由を保障する政治体制を保持して行くことを約束する、結束した国民であることを示すことができました。そしてわたしは、あなたや国民にわれわれの共和国の擁護者でありつづけたことを感謝したい。

われわれの国の経済は前進している。今のアメリカには経済的な困難に数多くの人が直面している。われわれは、アメリカの歴史上もっとも長く、もっともひどいうちの一つのインフレに苦しんでいる。インフレはわれわれの経済上の決定を歪め、貯蓄銀行を窮地に追い込み、必死に働く若者や収入が固定されている年配層を同じように破滅させ、われわれ何百万人もの人生を痛めつけようとしているのである。

仕事のない産業は労働者を失業へと追いこみ、人をみじめにさせ自尊心を深く傷つけた。働いているものにも、成功者を罰しわれわれが最大限に生産をさせないようにしている税制のおかげで、労働に値する賃金が支払われていない。

しかしわれわれの税がどんなに重いものでも、公的な支出と肩をならべるまでのものではない。何十年も、われわれは赤字に赤字を重ね、われわれの将来を、われわれの子供の将来を現在の一時の都合で担保にしてきた。この長い間やってきたことを続けるつもりなら、社会的に、文化的に、政治的に、経済的に大変動が起こることは確実だろう。

あなたがたと私は、個人として、借り入れをすることで、ある特定の期間だけなら資産以上の生活を送ることができる。それなのに、集団となると、つまり国としては、われわれが同じ制約をうけないと考えられるだろうか?

今日われわれは、明日のことを考え行動しなければならない。そして誤解がないようにしたい、われわれは行動し始めている、今日始めているのだ。

われわれが苦しんでいる経済的な苦境は、ここ数十年に渡るものである。数日や、数週間や、数ヶ月で解決したりするものでない。しかし将来には解決するものである。なぜならわれわれは、アメリカ人として、この最後にして最大の自由のよりどころを守るために必要なことはなんであれ実行するのに、過去にもっていたのと同じ能力を現在も持ち合わせているから、それは解決するのである。

この現在の危機において、政府がわれわれの問題の解決策ではない。

ときどきわれわれは、社会は自治にはあまりに複雑になりすぎているとか、人民の、人民による、人民のための政府よりエリートによる政府の方が優れていると考えがちである。われわれのうちのだれもが自己を管理できないとしたら、われわれのうちの誰が他の人を管理できるというのだろうか? われわれはみな一緒に、政府の中であれ外であれ、重荷を背負わなければならない。どれか一つのグループが高い代償を支払うために選び出されるようなことがあってはならない。

われわれは特定の利害に関わるグループのことをよく耳にする。われわれの関心は、あまりに長い間無視されてきた特定の利害に関わるグループに向けられなければならない。そのグループには地域的な境界や、民族的、人種的な区分がないことはわかっているし、政党の政策ともすれちがっている。そのグループは、われわれの食料を生産し、通りをパトロールし、鉱山や工場で働き、われわれの子供たちを教え、家庭を守り、病気の時はわれわれを癒してくれる、専門職、実業家、小売商人、事務員、タクシーやトラックの運転手である男女から成り立っている。かれらは要するに「われわれ人民」であり、この集団がアメリカ人と呼ばれるのである。

さて、この政府の目的は、健全たる活気にあふれた経済の成長である。その経済は全てのアメリカ人に平等に機会を与え、偏見や差別からの障害がない経済である。アメリカを仕事にひきもどすということは、全てのアメリカ人を仕事にひきもどすということである。インフレを終わらせるということは、全てのアメリカ人が急騰する生活費の恐怖から自由になるということである。この「新しい始まり」の生産的な仕事に全ての人が加わらなければならない。そして全ての人が経済の復興の分け前に与らなければならない。われわれのシステムと力の源泉である理想主義とフェアプレーの精神でもって、われわれは強く、繁栄し、アメリカ自身と世界を平和にするアメリカを作り上げることができる。

そして始めるにあたって、棚おろしをしよう。われわれは一つの政府をもつ一つの国であり、政府以外の手段はない。このことが地球上の国々の中でもわれわれを特別なものとしている。われわれの政府は、人民から認められた権力以上を手にすることはない。今こそ、政府の統治を受けるものの了承をこえて政府が大きくなるしるしを見せている、その成長をチェックして小さくするときである。

連邦政府の権力機構のサイズと影響を抑制し、連邦政府に認められた権力と州と人民のために確保された権力の間の違いをはっきりさせることを要求するのが、私の努力をするところだ。われわれはみな連邦政府が州を作ったのではなく、州が連邦政府を作ったことを思い出す必要がある。

さて、もう誤解する余地はなくなったことだろう、政府をなくすのは私の努力するところではない。むしろ政府を、われわれの上に立ってではなく、われわれの側に立って、われわれの背に乗ってではなく、われわれとともに働くようにすることが私の努力するところである。政府は機会を提供することができるし、またしなければならないが、それを握りつぶすようなことがあってはならない。政府は生産性を促進できるし、またしなければならないが、それを抑制するようなことがあってはならない。

もしわれわれが、なぜわれわれはこれほど何年もの間これほどのことをなしとげてきて、この世界でもっとも繁栄しているのかという理由に目を向けてみれば、その理由はここ、この土地にあり、われわれはかつてなかった程度まで、個人のエネルギーと能力の束縛を解いたのだ。自由と個人の尊厳は、ここでは世界中のどこよりもずっと容易に入手可能で、保証されていた。この自由の代償は、時々は高くついたこともあったが、われわれはその代償を支払うのに躊躇したことはなかった。

われわれの現在のトラブルと、政府の不必要で過大な成長に起因するわれわれの人生への干渉と介入が、対応づけられたり比例しているのは偶然ではない。われわれは、大きすぎる政府がわれわれの夢を小さくする制約となっているのに気づくときなのである。われわれは、いくにんかがそう信じているように、ただ漠然と必然的に下降の道を歩んで行くようなことはない。私はわれわれが何をしようとも降りかかってくるような破滅は信じないが、われわれが何もしないなら、降りかかってくる破滅は信じる。だからわれわれの使命に全ての創造的なエネルギーを注いで、国を再生させる時代の幕をあけよう。われわれの決意、勇気、力を新たなものとしよう。われわれの信仰と希望を新たなものにしよう。

われわれはみなヒーローのような夢をみる権利をもっている。われわれがヒーローなんていない時代に生きているのだという人々は、目のつけどころを知らないだけなのだ。あなたがたは、毎日工場の門を出入りするヒーローを見ることができる。他にも、数は少ないが、われわれみなそして全世界にありあまるほどの食料を生産しているものもいる。あなたがたはカウンターの向こう側でもヒーローに出会うことができる。そしてヒーローはカウンターのこちら側にもいるのである。自分自身やアイデアを固く信じて、新しい仕事や富や機会を作り出す起業家がいる。ヒーローたちは個人や家族であり、その税金が政府を支え、自発的な寄付が協会やチャリティや文化、芸術そして教育を支えている。愛国心は口にはださないが心に深くきざみこまれており、その価値観がわれわれの国の生活を支えている。

わたしはヒーローのことを第三者のように話してきたかもしれないが、私が言いたいのはあなたたちのことである。なぜなら私が話しているヒーロー、つまりあなたたち、この祝福された国の国民たちに向かって演説しているのだから。あなたたちの夢や希望、目的は、神に誓って、この政府の夢であり、希望であり、目的なのです。

われわれは、あなたの性格の大きな部分をしめている思いやりを人にもたらさなければならない。われわれは国を愛していながらその国の人を愛さないなんてことがあるだろうか、そして愛していれば、彼らが倒れていれば手をさしのべ、病気のときは看病し、彼ら自身でも十分と思えるほど機会を提供でき、そうすれば彼らは机上だけではなく実際に平等となるのではないだろうか?

われわれは直面している問題を解決できるだろうか? 答えは、はっきり力強く「はい」といえる。ウィンストン・チャーチルの言葉を簡単に言いかえれば、私は世界でもっとも強い経済が崩壊するのをこの目で見るつもりでたった今宣誓したりはしないということだ。

これから先、われわれの経済を減速させるような障害物を私は取り除くつもりである。手順は、政府のいろいろなレベルでのバランスをとることを目指しながら進めて行く。歩みは遅いかもしれない、ミリやセンチで計るものでメートルでは計れないだろう、でもわれわれは前進する。この産業の巨人は再び目覚め、政府をその歳入の範囲内におしとどめ、懲罰的な税金を軽くするときなのである。そしてそれこそがわれわれがもっとも優先することである。そしてこの方針においては、妥協は一切しないつもりだ。

われわれの独立の苦闘の前夜に、アメリカの建国の父のなかでも最も偉大な人物の一人と思われる男、ジョセフ・ワーレン、マサチューセッツ議会の議長であるが、アメリカ国民にこう語っている。「われわれの国は苦境に陥っている。しかし絶望することはない。アメリカの将来はあなたたち次第なのだ。あなたたちは、まだ生まれぬ何百万もの人々の幸福や自由がかかっている重要な問題を解決しなければならない。自身にふさわしい行動をしてください」

さて私は、われわれ今日のアメリカ人が自身にふさわしい行動をとる準備や、自身や子供たちや孫たちの幸福や自由を守るためにやらなければならないことをやる準備ができていると信じている。そしてわれわれがここ、われわれ自身の土地で、自身を新たにすることで、世界中においてより大きな力をもつのがわかるだろう。われわれは再び、現在自由をもってない人々に対して自由の手本となり、希望のかがり火となることだろう。

われわれと自由を共有している隣国や同盟国に対しては、われわれは歴史的な結束を強め、支持を保証し、コミットメントを強固なものとする。われわれは忠誠には忠誠をもって当たるだろう。われわれはお互いに益となる関係のために力を惜しまない。われわれは友情を隣国や同盟国の主権に強いるようなことはしないし、われわれの主権は、売りに出されているようなものではない。

自由の敵、潜在的に対抗するようなものに対しては、アメリカ国民がもっとも望んでいるのは平和だということを知っておいてほしい。われわれは平和のために交渉するし、犠牲を払う。ただわれわれは、未来永劫に平和のために降伏することはないだろう。

われわれが寛容であることは、決して誤解されてはならない。われわれが紛争に消極的なのは、意思が不足しているからと誤って判断されてはならない。国の安全を守るために行動が必要なときは、われわれは行動する。われわれは、必要ならば効果があるのに十分な力を保有しつづけている。もしわれわれがそうすれば、それこそがその力を決して使わない公算がもっとも高いことを知っているからである。

とりわけ、われわれはどんな武器でも、世界中の武器庫の武器でさえ、自由な男女の意思と道徳的な勇気にくらべればものの数ではないことを理解しなければならない。それこそが、今日われわれの敵が持ち合わせていない武器なのである。それこそが、われわれがアメリカ人としてもっている武器なのである。テロリズムを実行し、隣人を苦しませるような人々をみれば、このことは理解できるだろう。

私は何万人もの祈りの会が本日開かれていると聞いている。そしてそう聞いて私は深く感謝している。われわれは神の下の国であり、私は神こそがわれわれを自由にしようと思っていると信じている。もしこれから何年間も大統領就任演説の日に、祈りの日であると宣言されれば、ふさわしいし、よいことだと私は思う。

このセレモニーがあなたがたもすでに聞いたように、この議事堂の西側で行なわれるのは歴史上始めてのことである。ここに立っていると、壮大な眺めが目に入り、この都市のすばらしく美しく、歴史に彩られた町並みがひらけている。この屋根のないモールの端は、われわれがその肩の上にのっている偉大な人々にとって神聖な場所なのである。

われわれの目の前には、歴史的な価値のある人のモニュメントがある。ジョージ・ワシントンはわれわれの国の建国者である。謙虚な人柄で、権力の座にはしぶしぶながらついた人だった。ワシントンはアメリカを独立戦争の勝利から独立国家としての揺籃期まで導いた。もう一方の端には、トーマス・ジェファーソンの荘厳な記念碑がある。アメリカ独立宣言は、彼の雄弁さで輝いている。

そしてリフレクティングプールを超えてリンカーン記念堂の荘厳な柱がある。だれでもアブラハム・リンカーンの人生にアメリカの真の意味が見出されることは、心から理解できるだろう。

英雄のモニュメントをこえるとポトマック川がある。その対岸には、アーリントン国立墓地のなだらかな丘があり、そのシンプルな白い目印が十字架やダビデの星をささえ、列をなしている。それらは結局のところ、われわれの自由に支払われた代償のほんの一部分にすぎない。

その目印のどの一つをとっても、私が先ほど話したようなヒーローのモニュメントである。その命はベローの森やアルゴンヌ, オマハビーチ, サレルノそして地球の反対側のガダルカナル、タラワ、ポーク・チョップ・ヒル、長津湖、そしてベトナムという場所での何百の水田やジャングルで失われた。

その一つの目印には一人の若い命が眠っている、マーティン・トレップロウ、1917年に小さな町の床屋の仕事をなげうって、名高いレインボー師団でフランスに渡った男だ。西部戦線で、彼は砲弾の飛び交う中、大隊の間を一つの伝言をとどけようとして命を落とした。

われわれは彼が日記を携帯していたことを聞いている。本の余白ページには「私の誓約」という表題の下にこう書かれていた。「アメリカはこの戦いに勝たなければならない。そのために僕は戦い、倹約し、犠牲をはらい、耐え、勇気をもって戦い、そして、全ての苦しさの原因は僕自身にあるかのように最善をつくすこと」

今日われわれが直面している危機は、マーティン・トレップロウやその他の何千人もの人々がそのために召集されたような犠牲をわれわれに求めはしない。しかしながら、われわれ自身の最大限の力と、すばらしい行ないをするために自身とその能力を信じようとする心を求められている。神の助けをかり、ともにそれを信じるために、われわれは今直面している問題を解決できるし、するだろう。

そして結局、どうしてそれが信じられないというのだろう? われわれはアメリカ人ではないか。

神の恵みがあなたにありますように、どうもありがとう。

 

ロナルド・レーガン第ニ期大統領就任演説

1985年1月21日

マシアス上院議員、バーガー最高裁判所長官、ブッシュ副大統領、オニール下院議長、フォール上院議員、聖職者の方、私の家族や友人や国民のみなさん。

さしあたって欠席しているジョン・ステニス上院議員が今日ここに出席されていれば、より輝きをましたことでしょう。

神のご加護がありますように、そしてようこそここに。

ただ、今日われわれと一緒に同席していない人が一人います。フジル・ロング、ルイジアナ下院議員は昨晩なくなりました。われわれみなでしばらく黙祷をささげたいと思います。(しばし黙祷) アーメン。

あなたがたが私に授けてくれたすばらしい名誉に対して、感謝の念をどれほど表しても十分とはいえないでしょう。あなたがたの信頼にこたえるべく、最善をつくしたいと思います。

マシアス上院議員が私に言うには、この大統領就任演説はわれわれ国民がこの歴史的なときを祝ってから50回目にあたるそうです。初代大統領のジョージ・ワシントンが聖書に手を置いたとき、かれは粗野な未開の荒地から馬で1日ほどの場所に立っていました。当時は13の州に400万のアメリカ人がいましたが、今日50の州にその60倍の人々がいます。われわれが発明したもので世界を照らし、世界中どこへでも助けを求める声がするところに行き、月に旅行し無事にもどってきました。それほどの変化があったのです。それにもかかわらず、われわれは2世紀前と同じように一緒にここに立っています。

私が4年前に誓ったときは、経済的な重圧の中にいました。偉大さと栄光に彩られた過去を振り返らなければならないといった声がまわりから上がっていました。しかしわれわれ、現在のアメリカ国民は過去を振り返る必要はありません。このめぐまれた国土には、常によりよい明日があるのです。

4年前、私はあなたがたに新しい始まりについて語り、われわれはそれをなしとげました。しかしある意味では、われわれの新しい始まりは、2世紀前に歴史上初めて人民の政府がわれわれの主人ではなく、われわれに仕えるものとなったときからの綿々たる連なりなのです。

政府こそが、われわれ人民が権力をもつことを許す唯一のものなのです。

このシステムは決してわれわれの期待にそむくことはなかった。ただ時には、われわれはシステムの運用に失敗しました。われわれは政府には供給できないようなものを政府に求めたのです。われわれは、本当は州や自治体や人民自身に属するはずの権力を、挙国一致政府にまかせてきた。われわれは税金やインフレがわれわれから稼ぎや貯金を盗むままにし、われわれを地球上でもっとも生産力のある国民にしてきた偉大なる産業機構がスローダウンし、失業者数が増加するのを見守ってきたのだ。

1980年までには、われわれは信条を新たにするときであることを知っていました。われわれの全ての力をふりしぼって、個人の自由が秩序ある社会と調和する最終段階を目指して。

われわれは当時も今もこういうことを信じていた。男女が自由に自分の夢を追い求めれば、発展と人類の進歩には限りがないということを。そしてわれわれがそのことを信じたのは正しかったのです。税率は低くなってきて、インフレは劇的に沈静化した。そして歴史上かつてないほど失業率は低くなっている。

われわれはこの国をふたたび活気に満ちた、頑強で、生き生きとした場所としていこう。だが、まだ登るべき山は多い。われわれは、全てのアメリカ人が自由や尊厳や機会を存分に生まれながらの権利として享受するまで休息することはない。それは、この偉大な共和国の市民としての生まれながらの権利であり、われわれはこの目標を達成しなければならない。

アメリカ人が進歩の自信や伝統をとりもどすまでには、何年もかかることだろう。そのときには、われわれは信仰、家族、仕事、隣人の価値を現代のものとして取り戻す。そのときには、われわれは経済を政府の統制下から最終的に解き放つ。そのときには、われわれが重要な兵器削減、防衛と経済の再構築、そして新しいテクノロジーを発展させるのに真摯な努力をして、トラブルにみちた世界で平和を保つ助けとなる。そのときには、アメリカ人が勇気をもって世界中の自由、自治や自由な進取の気性への努力を支持したり、歴史の潮流を全体主義の暗黒から人類の自由の温かい日ざしへと変えるのだ。

わがアメリカ国民よ、われわれの国は偉大さに備えなければならない。われわれは自身で正しいと思うことをしなければならない、神の助けをかりてそれをしなければならない。歴史がいうように「黄金の時があった、アメリカ独立戦争が再生したとき、自由が新しい生命をえたとき、アメリカがベストをつくそうとしていたとき」

われわれの2大政党制は、何年ものあいだすばらしく機能してきたが、われわれが民主主義か共和主義かではなく、共通の大義の下に結束したアメリカ人として集まったときほどすばらしいチャレンジをしたときはない。

われわれの建国の父たちの2人、アダムスという名前のボストンの弁護士とジェファーソンという名前のヴァージニア入植者、インディペンデンス・ホールでその顔をみて、彼らは世界を再び始めることができるだろうかと考えたりさせるあの著名なグループのメンバーは、われわれに貴重な教訓を残してくれました。かれらは1800年の大統領選挙では政治的に対立する関係になっていました。それから数年後、2人とも引退して、年をとって怒りもおさまり、2人は文通でお互いに対話をはじめました。このわれわれの政府を築くのに力を貸した2人の間に再びきずながもどったのである。

1826年、独立宣言の50周年に、2人はともになくなりました。2人は同じ日に、数時間差でなくなりました。その日は7月4日でした。

2人が晩年に交わした手紙の一通では、ジェファーソンはこう書いています。「わたしはあのときのことを思い出す。困難と危険に満ちていたが、われわれは同じ大義の下に集まった同志で、人類にとって、もっとも価値があるもの、つまり自治の権利を求めて奮闘したときのことを。いつも同じオールをもって取り組み、行く手にはわれわれを飲み込もうとする波があるが、無傷でのりきってきた……われわれは心から進んであらしを乗り切ってきました」

さて、心から進んで、一人の人間として今日立ちあがろ。神の下の一人の人間として、われわれの将来がわれわれの過去に値するものであるように決心しよう。われわれがそうすれば、過去の善意によるエラーをくりかえすことはない。われわれは働く男女の信頼に、かれらの稼ぎをうぬぼれた連邦の支配者層の際限なく要求されるものがむだに追い求められて、再びつけこむようなことがあってはならない。あなたがたは、1980年にこの失敗する処方箋をやめさせるためにわれわれを選挙で選んだ。あなたがたが、われわれをその流れを逆行させるために1984年に再選させたとは私は信じない。

われわれの努力の本質は、25ヶ月連続の


雷人

鲜花

鸡蛋

路过

握手

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