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朝婆ちゃんからお菓子をもらった。直接じゃなくて父さんの店に置いて行ってくれたんだ。
「この年になったら家まではもう歩けないから、これ、あの子に渡して」ってお婆ちゃんがそう言ったそうだ。
開けてみたら、私の大好きなお菓子。婆ちゃんはよく覚えてくれていたんだ。
実は21日実家に帰った翌日、バイトで稼いだお金で爺ちゃんに電気ストーブをお土産として買って上げたんだ。ちょうど爺ちゃんが心臓病で寝たままの状態だったから、話もゆっくりできなかった。
婆ちゃんとはお休みのこと、体のことぐらい話し合った。婆ちゃんは私が持ってきたストーブを見て、すっごく感動しちゃった顔して、「そんな金あれば自分に何か美味しいもの買ったらよかったのに、私たちはもう年を取ったから大丈夫」って言いながら、奥からお菓子を持ってきた。
「どんどん食べて食べて。食べ切れないなら持ち帰りなさいよ。あら、ポケットないか。最近のコートはどうしたのか。ポケットもついていないの」
「これはね、この前隣のお婆さんが98歳の誕生日のときいただいたお餅なの。食べたらあのお婆さんのように長生きできるよ。」
「あっ、これは一ヶ月前近くのお寺に念仏に行ったとき神様の前に祭った飴だよ。あなたはずっと幸せでと私は神様にお願いしたよ。絶対に食べなさいね。」
「あれは昨日買って来たリンゴだ。おとといお父さんに聞いたわ。あの子いつ帰ってくるって。まだ学校で用事があるそうってお父さんに言われた。考えてやっぱり買っておいたほうがいいじゃ、帰ったらすぐ食べられるし。買ってきて良かった。食べてね。どうせ寒くないし美味しいから。」
婆ちゃんがまだ続けて話してる。私はもう泣きたくなった。
ちっちゃい時からいつもそうだった。6歳までずっと婆ちゃんと一緒に暮らしてきた。婆ちゃんがどこへいっても私は絶対について行く。念仏までも。
だから6歳のとき初めて町の幼稚園へ面接に行ったとき「何かできることあるの。数字を数えるとか。」と先生に聞かれた。
しばらく黙っていた私はついに念仏し始めた。もちろん方言で。事務室の先生たちはちょっとびっくりしたというか、やっぱり笑っちゃった。お母さんまでも。「面白い子だなあ。でも記憶力はすごそうね。いいよ。明日からここに来てくださいね。」と園長先生がそう言った。「でもこれからは念仏を忘れなさいね。小さな頭にほかのものをたくさん入れるからね」
「はい」と私は返事をした。意味がよく分からなかったけど、念仏のおかげで私は幼稚園に入ったとあの時の私はずっとそう思っていたんだ。早く帰ってそれを婆ちゃんに伝えようとわくわくしていた。でもなんでそんな大事な念仏を忘れなさいって言われたの。あの時はぜんぜん考えなかった。
あれから六年間町の学校に通った。12歳の時に転校してきて、また婆ちゃんと一緒になった。でも中学校から学校生活をし始めた私は週に一回か、月に一回しか家に帰られなかった。帰るたび婆ちゃんはいつも前と同じだった。前の一週間、一ヶ月間保存してきた食べ物を全部出してくれて、全部食べさせた。
いつ自分でお金を稼げるのかと私はいつも自問している。その時絶対に美味しいものを婆ちゃん、爺ちゃんに食べさせる。
「あなたが幸せでいればこそ、私たちは安心します。もう年取ったから、美味しいものにはご縁がなくなったわ。歯も動かなくなったし目も段々悪くなった。もうそろそろあの世に行くかなあ。でもその前にあなたがお嫁さんになる姿を見たいわ。またひいまごの顔を見せてくれれば嬉しいわ。」
私は何も言えなくなる。そんな気持ちは多分自分がそんな立場になった時に分かると思うが、時間を空けてできるだけ家に帰る。それは今の私がすべきことだと思う。
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