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日志

【天声人語】2007年02月20日(火曜日)付——东京马拉松

已有 162 次阅读2007-2-21 05:49 |个人分类:天声人语

走り終えて、後ろを向く。そして深々と首(こうべ)を垂れた。東京マラソンのゴール地点で有森裕子さんが見せたお辞儀に、心引かれるものがあった。
  她跑到终点,转过身子,然后将头深深地鞠了下去。看到有森裕子在东京马拉松终点鞠躬行礼的样子,心里为之一颤。
 

深い安堵(あんど)や感謝の気持ちが、テレビ画面からも伝わってきた。それは、この「最後のマラソン」までたどってきた長い道のりへの思いであり、この日まで走り続けてきた自分や、支えてくれた人たちに対する思いだったのではないか。
  通过电视画面,我们体会到了有森裕子的那份轻松和感谢。这份心情难道不是对这“最后的马拉松”之前的漫长道路的怀念,以及对一直坚持跑到今天的自己和支持自己的人的感谢吗?
 

マラソンには、独特の魔力のようなものがある。レースの中に、人が人生行路で出会うのと似たようなものが幾つも見てとれる。坂道があり、曲がった道がある。時には靴が脱げたり、転んだりする。気を取り直して走り続けることもある。そうしたことが、走る人たちだけではなく、見る側をも強く引きつけてきた。
  马拉松有它独特的魔力。比赛中的选手们一如跑在人生道路上会遇到许多情况。有上坡,有弯道。有时鞋子掉了,有时摔倒了。还是得重振精神继续上路。在这些情况下,不仅仅是场上的选手,同时还强烈地牵动着场外观众的每一颗心。
 

メキシコ五輪で銀メダルに輝いた君原健二さんは、人生は、マラソンより駅伝に似ていると自著に書いている。先人から受けたタスキを、責任を持って次の世代に渡す。「私という個人の人生は、実は、人類の発祥以来やむことなく続いている途方もなく長いレースのほんの一部分なのである」(『人生ランナーの条件』佼成出版社)。
  墨西哥奥运会银牌得主君原健二先生曾在自著中说过,比起马拉松,人生更像是一场接力赛。跑手们应负责任地将从前人手中接过来的挂带交给下一代的人。书中有这么一句话:“我个人的这一生,不过是自人类出现以来一直连续不断的漫长比赛过程中的一段而已。”(《人生跑手的条件》佼成出版社)
 

3万人以上が参加した初の東京マラソンでは、人々が都心の通りを駆け抜ける姿、特に角を曲がる瞬間が印象深かった。銀座にしろ、浅草にしろ、ずっと前の世代から人は様々な思いで角を曲がり続けてきた。いわば降り積もった都市の記憶をかすめて、現代のランナーが行く。
  超过三万人参加的这首次的东京马拉松比赛中,选手们穿过市中心奔跑的身姿,尤其是那拐过弯角的瞬间令人印象深刻。银座也好,浅草也好,从遥远的年代开始人们就怀着各样的心情转过一个又一个的弯角。现代的跑手们可以说是在奔跑中碰撞着那厚积的城市记忆。
 

記憶というタスキを、次世代に渡す力が、東京マラソンにも備わるようにと願った。

但愿在这次东京马拉松上也已经做好了将这条叫做记忆的挂带传给下一代的人准备。


雷人

鲜花

鸡蛋

路过

握手

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