中国語には「礼尚往来」(礼儀は行ったり来たりをよしとする)という言葉があります。「今日、あなたは私に野菜をくれました、明日私はあなたにお肉をやります」というふうに、「あげる」と「もらう」の繰り返しの中で、人間関係が上手く維持することができます。
小さい時から学校や家庭で「尊老愛幼」(自分より年上の人を尊敬し、自分より年下の人を可愛がる)すべきだと教育されていました。バスに乗って、席に腰をかけますが、もし近くに立っている年寄りが居るのならば、自分の席をその年寄りに譲ります。これは中国の伝統的な「美徳」だと言われています。15億以上の人口を持つ中国にとっては、バス事情は厳しいであることは言うまでもないです。何時であってもバスの中は鰯の缶詰みたいに、人でぎっしりです。腰が弱い年寄りにとっては、席を譲ってくれたら、どんなに助かるのでしょう。 で、問題は次の瞬間に起こります。 人に席を譲った後、その人は「ありがとう」すら何も言ってくれなかったら、あなたはどんな気持ちになるのでしょうか。「こいつはいい年をしているのに、礼儀悪いやつだなぁ、せっかくの席を譲ってあげたのに、損してしまったわ、まったく!」という気持ちにならないのでしょうか。 席を譲るときに、「別に感謝してくれなくてもいいよ」と思っていても、相手が本当に何気なく無言のままで座ってたら、やはり腹が立ちますね。 これは「礼尚往来」という交際の規則を破ったからだと思われます。
また、「拾金不昧」(拾ったお金をネコババしない)という言葉があります。これも中国の伝統の美徳です。財布や貴重品を拾っても、自分のものにせず、落とし主を探します。見つけなかったら、警察に届けに行きます。しかも中国の場合は、いいことをしても、名も言わずに静かに去っていくのは賞賛されます。即ち、「あげる」だけして、「もらう」が要らないという行為です。 正直に言わせれば、私はこのやり方が賛成できません。 いいことをしたら、報酬を頂くことは当たり前のことです。ドイツをはじめ、欧米の国では、拾ったものを警察に届けに来たら、必ず報酬もらえます。日本もそうです。嘗て我が友人の一人は、3万円の現金を拾って交番に出しました。名や住所を聞かれ、一年経っても、落とし主を見つけることができず、暫く経ったら、その3万円は友人のものとなり、警察署から送ってくれました。 友人は勿論喜んでいました。ご褒美があるからこそ、遣り甲斐が出てくるのではないでしょうか。
礼儀は行ったり来たりであるのは一番良いです。これは礼儀の本質でもあると思っています。
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