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日志

普通の貧困者の特殊な悲劇

已有 335 次阅读2007-12-1 00:41

お産を間近に控える、ある妊婦が夫の手術の同意書にサインしないことで 病院に死んでいた。杓子定規の病院の方を叱責する声もその夫を叱責する声も出てきた。その夫を叱責する人は夫の無知さと頑固さのところを指摘した。その夫がわざと自分の妻を殺したと疑っている人もいる。

言うまでも無く、警察当局が調査に入ると 真相を一層明かせるが、今までの状況から見れば、ただ普通の貧困者の特殊な悲劇の一部だった。

特殊といえば、悲劇の起こった場所が北京の大手病院の中だ。ただその夫の頑固さで法律で決めた病院の手続きを踏まなかったことに因った。普通といえば、たとえば、このカップルが北京へ来なかった場合、田舎にも同じことが発生したかもしれない。でも、そんなことはありふれた光景だ。農民が赤貧で医療費を負担できないので、入院しせずに 家で死んだ、あるいは、状況の極悪なクリニックか田舎町の医院に死に掛かった。そこで死んだら、何の騒ぎもなく最期を遂げていた。この世で彼らの家族以外に誰も彼らの死亡に気を配ったことはない。

でもこの事件にあった夫婦が北京のある小さなレストランに皿洗いをしている出稼ぎ農民だ。そのレストランに働く切っ掛けとなるのは店のオーナーの慈悲心だから——6人民元(88円)一杯の麺類を分けて食べたことだ。身ごもった妻もずっとアルバイトを続けていた。 間違いなく、長い間、病気を我慢していた。小さいクリニックに行ったけど、回復の兆しがないから、しょうがなく、大手病院を訪れた。でもそこに来るのは医者に見てもらいたいのが風邪だけだ。たぶん、その妊婦が都会人みたいに定期的に妊婦の正規の身体検査を受けていないから、その夫婦が正確な出産予定日さえ知っていなかったのだ。

もちろん、当事者の夫として、頑固過ぎたが。愚かまでいえるのだ。彼らは病気、妊娠、オペなど断片で間違った知識しか持っていないのだ。彼らの考えで、お腹にメスを入れることがとんでもないことだ。むしろ、自分の間違った知識を頼りに、妻の予定日が未だで、ただ風邪の拗れだと思い込んだ。彼自身の判断を信じ込んだ。占い師の出鱈目まで信じていた。お医者さんの話を聞かずじまいだ。北京にある大手病院なのに。

明らかに、当事者が未開の原始人でなく、その証拠がまじない師を頼って現代的な医術を断っていなかった。さもないと、病院さえ訪れないかも。でも、どうしてそんなことをしたのか?やっぱり大手病院への不信だ。その不信が大手病院の医術への不信じゃなくて その医者と医者としての道徳だった。そんなことが珍しいか?見聞きした体験により、何度も教わったのは 軽い病気を大病として診療してくれたり、必要以上の治療標準を応用されたり、高級の検査器械を使われたり、高価の薬物を施してくれたり、必要性と関係なく、オペを施したり、 ややすれば、大がかりオペまでしたりしていた。一介の農民として 一番被害をかぶり易い農民として、自分の生涯の30年間ではおそらくそういう話を飽きるほど聞いた、だから、こういうリアクションがあるのは一理もあるだろう。どからかというと、事件の起きる場所としての北京朝陽(朝日)病院がよくやった。向こうが農民としての身分を疎かにせずに、患者の支払い能力ないことも気にせずに、サインさせるように老婆心から繰り返し忠告したが、決まりの約束を受けられて、しょうがなく 患者の死亡を見過ごした。でも、北京朝陽(朝日)病院の慈善の行いがみんなの医療界の不信を取り除けないだろう。長年の問題をすぐ解決できないようだ。信用を挽回するには病院と医者さんの実際の行為を通して努力を重ねることだ。(翻訳者の考えでは、病院が酷すぎた。尊い母子の命より、ルールを大事にしたか、自分のルール違反の責任を避けるために、人の命を食い物にしたの)

実には悲劇の起こるのは当事者の貧しさにあると思う。気づいたのは当事者がそのとき所持金がただ130人民元(1921円)だった。その130元の中の100元が店のオーナーからの借金だった。 これっぽっちの金で本当の風邪の診療費に当てても足りないのだ。この種の貧しさ、赤貧によって、当事者の心理をある程度に歪めることがあり得た。――なんであれ、病気に金を掛けるを嫌がっている。たとえ、人からの援助金があっても、嫌がっている。こういう心理的な歪みが実にたくさんの農民にあると見つけたのだ。私たちの知るところでは、当時、善良な方が一万元を寄付して救助してあげると切り出した。しかし、当事者がそれを本当だと信じていないかも。そして、当事者も善良な方で、病院が軽症を重症として治療していることに対して、他の善良の方の金を“無駄”にしたがらない。

本来あらぬべき悲劇があった。母子二人の命がこのように儚く失った。これは貧乏の農民夫婦の悲劇でもあり、医療界の悲劇でもある。(中国ネット 作者 張鳴 中国人民大学教授)

 

张鸣:普通穷人的特殊悲剧

作者:张鸣  人民大学教授

一个临产的孕妇,因为丈夫拒绝签字手术,死在医院里。有人批评医院执行规定的刻板,缺乏人性,有人指责这位丈夫,说他无知而且固执,甚至还有人怀疑他是故意害死他的妻子。

当然,如果警方介入,真相如何还有待进一步的调查取证,但就目前所能得到的信息来看,此事只能算是一种普通贫困者的特殊悲剧。

说它特殊,只是因为悲剧发生在北京大医院,而且仅仅是因为患者的丈夫固执地不肯履行医院法定的手续所致。说它普通,是假设如果这对夫妇没有来北京,事情在乡下也同样可能发生。这样的事情一点都不少见,农民因为看不起病,不愿意进医院,最后死在家里,死在条件很差的私人诊所,或者乡镇卫生院,大抵都是了无声息,死了也就死了,在这个世界上,除了他们的亲人,不会再有多一个人注意到。

当事夫妇,仅仅是在北京一家小饭店做洗碗工的农民,被收留做工还是因为他们可怜——两个人分吃一碗6元钱的面。怀孕的妻子虽然一直在坚持打工,但肯定已经病了很长时间了,他们去过私人诊所看病,但没有看好,不得已来到大医院。到大医院,也只是想看感冒。这多半是因为这位孕妇没有条件像城里人那样经过正规的检查,夫妇二人根本不知道确切的临产时间。

没错,作为当事者之一的丈夫的确很固执,也可以说很愚昧无知。他们对于生病,对于怀孕和手术,只有零星乃至错误的知识。在他看来,划开肚皮的手术是一件天大的事。他宁可相信自己那点错误的知识,坚信妻子的预产期没到,而仅仅是感冒。他相信自己的判断,甚至相信算命的胡说,也不肯相信医生的话,尽管是在北京的大医院里。

显然,当事者不是文明未开的原始人,不至于只迷信巫医而拒绝现代医术,否则,他连医院的门都不会进的。他之所以这样做,不是不相信大医院的医术,而是不相信医生乃至医院的道德。难道这样的事情,我们听过和经过的还少吗?小病大治,升级治疗规格,滥上高规格仪器检查,多开贵重药物,不管需要与否,动辄手术、大手术。作为一个农民,一个最易受到侵害的农民,想必在他30多年的生涯中,会听到过不少这样的故事,他因此而做出这样的反应,一点都不奇怪。应该说,作为事情发生地的北京朝阳医院,在此事件中表现得相当不错,既没有因为患者是农民而加以怠慢,也没有因为患者没有钱而拒绝手术,反而苦口婆心地劝说患者的丈夫,要他签字只是碍于规定,没有办法,这才导致患者死亡。但一个朝阳医院的善举,却不能挽回人们对整个医疗界的不信任。看来,此事已经积重难返,需要我们的医院和医生用自己的行动做更多的努力。

其实,悲剧的发生,最根本的原因还是当事者的贫困。我注意到,当事者当时身上只有130元钱,而且其中的100元还是小饭店老板借给他们的。这么一点钱,即使那位妻子仅仅得的是感冒也不够用。这种贫困,极度的贫困,已经造成当事者的心理发生某种程度的扭曲——无论如何,都不愿意为看病花太多的钱,哪怕这个钱来自别人的资助。这样的心理,我们在很多农民身上都能发现。我们看到,在事发当时,有好心人表示乐意出1万元帮助他们,然而,首先,当事者可能未必相信,其次,很可能当事者是个诚实善良的人,在他坚持认为医院是故意小病大治的情况下,不愿意“浪费”好心人的钱。

一个本不该发生的悲剧发生了,大小两个人的生命就这样结束了。这是一对贫困农民夫妇的悲剧,也是医疗界的悲剧。 (本文来源:中国网 作者:张鸣)


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