人の運命とは、自分の意思のみでどうにかできるものではない。でも、自分の管轄区域
内にあることだってある。一部の宝くじは買えるし、それで満足を探し出す確率も増える。
どうやって時間を潰し、、わが身を、生活を、お金と精力を誰と共有するかも自分で決められる。何を食べるか、どんな本を読むか、何を勉強するかを自分で選べられる。人生だめなときをどんな風に取り扱うかも自分次第だ。呪いかそれともチャンスか(またある時、自己憐憫に陥って楽観的でいられないときは、自分の考え方を変え続けることを選ぶこともできる)。人と話をする時の自分の言葉遣いや口ぶりを選択できるし、一番大事なのは、自分の考え方を自分で選択することができると言うこと。
最後の概念は、私にとってはまったく新しい観念であった。最近、テキサスリチャードによって気付いた事なんだけど、そのとき、私は自分が考え込みをやめられないことに不満を言っていた。「食品雑貨、あなたはどうやって自分の思考を選ぶかを学ぶべきよ。毎日、着る服を選択することと同じようにね。このような能力は育てられる。あなたがもし、そんなに自分の生活をコントロールしたければ、まずは頭から手をつけなさい。あなたはこのような物をコントロールすることだけに集中して、それ以外のことは全部投げ捨てなさい。だってあなたがもし、自分の思考をコントロールできなかったら、恐らく前途多難だ。」
一見したところでは、この任務はまったく達成不可能。自分の思考をコントロールするのだと?その逆ではなくて?しかし、もしできるとしたら?……これは抑圧とか否定とかそういうものではない。抑圧や否定は、ネガティブな思考と感じがまるでなかったかのように巧妙に装う。リチャードの話は、ネガティブな思考の存在自体を認め、その元や発生の原因を理解して、そして巨大な寛恕や意志でそれを追い払うことだ。
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