热度 1||
夕暮れの武蔵野を歩いた。
走在落日的武藏野。
落日のころ、すがれきった原に立つと真正面に富士、左には丹沢、箱根の山々、右には秩父の峰が連なり、日は富士と秩父の間に沈んでゆく。空には雲ひとつなく、稜線がくっきりと浮かび出て、夕焼けに染まった稜線をはさんで上下の空間に広がる色の濃淡。それは日本的、というよりほかに形容のないようなながめだった。
落日十分,耸立在荒原上,正前方富士山,左侧丹泽,箱根的群山,右侧秩父的山峰连绵不断。落日在富士和秩父间渐渐下沉。天空万里无云,凸显山脊的轮廓,被落日染红的山脊线在空间中延展。这就是日本特有的无法形容的景色。
まだ暮れ残る薄め明かりのなかを平地林にはいる。無数に立ち並ぶ細い雑木は葉が落ちつくし、厚く敷きつめられた枯葉を踏んで歩くときの靴裏の感触がたまらない。冷たく澄んだ空気のなかを、ふと木の香が流れる。黒土の道から直角に折れて十数木、二列に 並ぶ杉木立の香りだ。その並木道の奥に、境内というものもなく、ひっそりと小さな社(やしろ)が立つ。それでも正月だけに、しめなわは新しく、その色はたそがれのなかを、白く、ゆるやかな弧を横に描いている。
步入落日余辉中稍稍明亮的平地林。无数的成排的细杂木的叶子散落到了地上,脚踩在厚厚的铺了满地的枯叶上,脚下的感觉让人心情舒畅。清新的冰凉的空气中流淌着树木的香气。黑土路中直角拐弯吃的数十颗成两列排立的杉木的香气。道的深处并不是神社,而是寂静的非常 小的神堂。
たが、散歩のだいご味はそこまでだった。この社のほとりに、いくつかのビニール袋につめられたゴ ミが、みにくい姿をさらしていたのだ。歩みを進めると、そこにも一ヶ所、あちらにも一ヶ所と、散歩道のそばにゴミの集積。いったい、だれの仕業だろう。
但是,散步的发馊的气味就是从那里来。神堂的旁边,有一些看起来很不舒服的塑料袋装的垃圾。向前走,又发现了几处在散步道的旁边堆积的垃圾。到底是谁干的好事呢。
広い林に囲まれて、何軒ものわらぶき屋根を含む小さな集落がある。まるで隠れ里のようなこの地元の人びとが、まさか自分たちの社の周りを汚すはずはない。とすれば、犯人は、この林の外側まで押し寄せた住宅街のなかにいるのか。
宽阔的林子里,有几户稻草屋房顶的小集居。像世外桃源的本地人应该不会把自己家附近的神堂给弄脏吧。这样说来,犯人肯定存在于林子外的住宅街了。
以前、日本人は自然のなかに生き、一方西洋人は、自然を征服して生きるといわれた。前者は自然との協調であり、後者は対決であるといえよう。しかし、日本人は戦後、西洋の技術をわがものにしたとき、自然への態度を一変する。それは西洋流の征服どころ か、自然の破壊に直結している。
以前,日本人在自然中活着,而西洋人呢征服自然而活着。前者和自然和谐相处,而后者同自然对立而处。然而,战后的日本人将西洋的技术学位己有地同时,对自然的态度也发生了变化。这岂止是西洋流征服,还直接同破坏自然相联系。
問題をもっとしぼろう。自然との協調は自然へ愛情に根ざす。しかし、よそ者によって、他人の林はゴミ捨て場にすぎなくなってしまった。そこに見られるのは、不毛な利己主義だけである。心が病んでいるのに気がつかぬ不幸。こういう人びとがふえるほど、 自然は加速度に荒らされてゆくのだろう。
将问题更深入一些,同自然的协调是对自然的一种爱惜。然而,对于那些外来者却别人的林子扔垃圾。从此可以看出这是利己主义行为。心灵有问题但是却没有发现这是不幸。如此之人的增多加速了自然的荒漠。
みにくいビニール袋の発見からここまで連想するのは、あるいは思いすごしかも知れない。しかし、この林が来年も、その静かなたたずまいを保っているといいきれるだろうか。
从那些不堪入目的垃圾袋联想到这些,或许是过分担心。只是明年林子是否还能保持着它的安静样子。
散歩の終わりに心が重く沈んだのは、日が落ちきって、急に加わった寒さのせいばかりではないようであった。
结束散步时心很沉重,并不只是因为日落了加速袭来的寒冷。
※ 「http://bulo.hjenglish.com/group/topic/282366/」このリンクをアクセスすると、この散文に対して、HJ の説明があります。
Powered by Discuz! X3.4
© 2001-2017 Comsenz Inc.