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NHKにようこそ!
作者:    出处:咖啡日语    发表时间:2007-09-20    浏览次数:     

うほどにバカげた生活が延々延々と続いて続いた。
 四方は姿の見えない恐怖に取り囲まれていた。
 だから俺は閉じこもり、そして眠った。ぐうぐうぐうぐうと、眠り疲れるまで眠っていた。春が過ぎ、夏が去り、秋になって、冬が来た。
 そして何度目かの、優しい、春。
 未来に続く、時間はしかし、ばったりきっぱり閉鎖されていて、俺はまったく途方に暮れた。
 夜風は涼しく、気持ち長く、それでも俺は、眠り続けた。
 そんなある日に、俺たちは再会した。
 俺と山崎は、もう一度出会った。
 貧弱なイジメられっ子。それでもずいぶん良いヤツだった、山崎。
 ──あの頃の俺たちは、同じ街の空気を吸っていた。
 具体的な未来が何ひとつ見えなくても、それでも上を向いていた。
 今でも俺は、はっきりと思い出せる。あの、懐かしい部室。狭い窓から射し込む夕日。
 たわいのない、会話。
「俺たち、どうなるんだろうな」
「きっと、なるようになりますよ」
「……だといいな」
 それは心地の良い、優しい放課後だった。

   *

 だけど俺たちは若かったしバカだった。くだらなかったし、どうしようもなかったし、たった四年後の未来さえも予想できなかった。
 数年ぶりに山崎と再会した俺は、彼に訊いた。
「どこの学校に通ってるんだ?」
 その問いに対し、山崎は胸を張って答えた。
「夜々木アニメーション学院です」
「…………」
 人生って、とても不思議だ。
「そんな先輩は、今、なにをやってるんですか?」
「……中退、したよ」
「…………」
 山崎は、顔をそらした。
 気まずい沈黙が流れた。
 俺は無理矢理、陽気な声を出した。
「そう言えばお前、どうして泣いてたんだ?」
「……最近、学校に行ってないんです。やっぱり、周りにとけ込めなくて。友達もいないし、一人暮らしは初めてだし──それでヤケになって、思いっきりでかい音でCDを──」
「もしかしてお前──最近ずっと、ひきこもってたのか?」
「……そ、そうです」
 俺は椅子から立ち上がり、「ちょっと待ってろ」と言い残して、自室に戻った。
 両手に缶ビールを抱え、もう一度山崎の部屋に入る。
「飲もう」
「……は?」
「いいから、飲もう」
 俺は缶ビールを山崎に手渡した。
「大丈夫だ。いつか、かならず、ひきこもりから抜け出せる日が来る」
 自らの願望を、大声で口に出す。
「大丈夫だ山崎君。俺はひきこもりに関してはプロフェッショナルなんだ。俺がついている限り、これ以上事態は悪化しない!」
 そうして俺たちは、酒を飲んだ。大音量でアニメソングをかけ、意識が飛ぶまで酔っぱらった。
 その宴は深夜遅くまで続いた。
 アニメソングのCDが終わると、俺たちは歌を歌った。ずいぶんと酔っぱらっていたので、もしかしたらそれは、夢の中での絶唱だったのかもしれない。
 だが、夢なら夢で、それでいい。
 ともかく俺は、元気に歌った。

   ひきこもりの歌

          作詞作曲佐藤達広

  凍てつゞく六畳一間 たゞひといろにアパートは
  絶えると見えて脱出遠く 起き伏すベッドに一日十六時間
  あのコタツの陰あのあたり ゴキブリの何ぞ隠れたる

  飯を食べれば一日一食 体重ますます減り痩せる
  コンビニしばし向かえども 他人の視線に脅えれば
  冷たい汗さえわきいでて 脱出の困苦おもふべし

 妄想にも似たるNHKを 求めて得ざるむなしさに
 けふも日暮れてとぼとぼと 湿ったベッドに横たわる
 疲れて重き脳味噌《のうみそ》の
 あぁ もうダメだ もうダメだ!

   *

 エロマンガを枕にして床に寝ていた俺は、ひどい頭痛に目が覚めた。
 山崎は、パソコンデスクの下に俯《うつぶ》せになって眠っていた。
「学校は?」
 肩を揺すってやった。
「……休みます」
 それだけを答えると、山崎はもう一度目を閉じた。
 俺は自室に戻り、ベッドに横になった。
 バファリンを飲み、再び寝た。
[#改ページ]
    四章 造物主への道

      1

 出口はすべて塞がれていた。希望が見えなかった。どうしようもなかった。『世界を牛耳る悪の組織、NHK』などといったバカらしい空想によって、気分を紛らわせていられるだけの精神的余裕すら、もはや完全に消え失せていた。
 鬱鬱鬱鬱と思い悩む春だった。唐突にビンセント?ギャロのモノマネがしたくなる春だった。
 トイレに入り、頭を抱え、呻く。
「もう、生きていけない」
 バッファロー66である。
 ……死んでしまえ、俺。

 だがそれでも──
 今日はなぜだか、いつもと違った。
 だいぶびっくりすることがあった。
 昼の一時に目を覚ました俺は、新聞受けに、見慣れぬ紙切れが挟まっていることに気がついたのだ。
 手にとって、眺める。
 それは数日前の、マンガ喫茶でバイトをするために書いた履歴書だった。思い出したくない記憶ナンバーワンの、例の一件、あのときに書かれた履歴書なのだった。
 ──なぜ? なぜ、あの履歴書が新聞受けに?
 俺は早足で、山崎が住む隣室へと赴いた。
 山崎は、今日も学校を休んでいた。パソコンに向かい、何かのゲームをやっていた。
 俺は訊いた。
「今日、宗教の勧誘が来なかった?」
「えーと、二時間ぐらい前に来ましたよ。ほら、例の冊子も貰《もら》いました。この直訳調の文体が最高ですよね。あれ? 佐藤さんのところには来なかったんですか?」
 山崎のその証言によって、俺は恐ろしい事実に気がついた。
 どうやら俺は、マンガ喫茶に履歴書を置き忘れてきてしまったらしい。
 ポケットから落ちたのか、無意識のうちに、岬ちゃんに差し出していたのか、それはいまいち思い出せない。あまりの動揺によって、あのときの記憶は激しく混乱している。
 だが──これだけは確かだった。
 岬ちゃんが宗教勧誘のついでに、わざわざ履歴書を持ってきてくれたのだ。つまり『バイクとか、好き?』などと阿呆《あほう》なセリフを吐いて、バイトの面接にやって来たことをムリヤリ誤魔化《ごまか》そうとした俺の試みは、完全に失敗していたのだ。
 その事実に気づいた俺は、もう、何もかもがどうでもよくなった。人間、あまりに恥ずかしい出来事に遭遇すると、感情が麻痺《まひ》してしまうものらしい。
 俺は「……どうでもいいや」と呟いて、その履歴書をゴミ箱に捨てようとした。
 だがそのとき、履歴書の裏が目に入った。そこには何かのメッセージが、黒いボールペンで書き込まれていた。

   あなたは私の『プロジェクト』に大|抜擢《ばってき》されました。ですので、今夜九時に、三田四丁目公園に来てください。

「……はぁ?」
 俺はゴミ箱の手前で腰をかがめたまま、ぽかんと口を開けてしまった。

   *

 冷静に考えてみると、これは驚天動地の事態なのだった。二度会っただけの女から、謎の手紙がやって来る。それはあまりに不可解で、なにがなにやらワケがわからない。
 しかしなぜだか従順に、俺はそのメッセージに従ってしまった。
 アパートから歩いて二分の所に、指定された公園が存在する。
 すでに時刻は夜だった。
 等間隔で生い茂る街路樹を、古びたジャングルジムを、ペンキの剥《は》げ落ちたペンチを──ブランコの手前に屹立《きつりつ》した街灯が蒼《あお》くうっすらと照らしている。
 俺は、この公園が好きだった。
 一週間に一度、深夜にコンビニへ食料の買い出しに行く途中、俺は必ずこの公園に寄る。誰もいない公園。それは俺だけの空間だ。
 涼しい夜風。ベンチに腰を下ろして空を見上げれば、かすかに揺れる木々の枝と、その隙間から覗《のぞ》ける月、そして星。
 開放感と、安らぎが、そこには共に存在した。
 それなのに──今夜の公園は、俺だけの空間ではなかった。
 他人がいた。
 俺は、こちらから声をかけることをしなかった。
 事実、ある程度まで腹が立っていた。
 ──なんのつもりなのか? 何を考えているのか? おまえは何者なのか?
 それらさまざまな疑問と共に、ある種の怒りが存在したのだ。
 しかし、なぜか頭は冴《さ》えていた。落ち着いてもいた。思考は冷静な回転を続けていて、決して空回りすることがなかった。
 それはある種の諦観《ていかん》であったのかもしれない。すでに俺は、現状のすべてを受け入れていたのかもしれない。自らがひきこもりであることを、未来のない人種であることを、死ぬべき存在であることを──俺はそれらを穏やかに認めていたのだろう。そうに違いない。
 実際、最近の俺は、昔の時間を生きていた。昔の夢を、毎晩見ていた。
 懐かしいふるさと、友、家族。嫌なこと、嬉しいこと、さまざまな思い出、そのフラグメント──夜に見る夢は優しく切ない。
 そうなのだ。いまや未来は問題ではなかった。未来はすでに決定していた。だからこそ過去を、素敵な思い出を──
 それはまったく、あまりに後ろ向きな逃避であったが、もはや何事も、どうでもいい。
 あぁ、そうさ。俺はひきこもりさ。精神虚弱のダメ人間だ。しかしそれでもいいじゃないか。
 放って置いてくれ。俺は静かに消えていく。もう結構! もうダメだ!
「ダメだダメだダメだ──」
「何がダメなのさ?」
 ベンチに腰を下ろして頭を抱えていた俺に、女が訊いた。
 彼女はベンチの脇のブランコに揺られていた。肩の辺りまで伸びた髪が、さらさらとなびいていた。やはり今夜も、そこらの若者的な、ごくごく普通の格好をしていた。当然、日傘なんかを差しているわけもなく、宗教の気配は窺《うかが》えない。
 しかし──それでも油断は禁物だ。なにより、このシチュエーションの異常さ自体が、彼女のおかしさを如実に物語っている。あくまでも慎重に、冷静な対応をせねばならない。
 そこで俺は、彼女のことを、ホンダが開発した二足歩行ロボットであると思いこむことにした。
 そうすることによって、かなりの精神安定が得られる。
 ……あぁ。最近のロボットは、さすがに進んでいるなぁ。どこから見ても、まるっきり人間だ。
 ぎこぎことブランコを小さく揺らしながら、ロボットが言う。
「どうしてこの前、逃げたの? 今、人が足りなくて困ってるのに。即決だよ」
 すごいなぁ。音声出力も完璧《かんぺき》だ。関節の動きも滑らかだ。スカートから伸びた足も、実にしなやかだ。日本の技術は世界一だなぁ。
「やっぱり、ひきこもりだから、外で働くの、途中で怖くなった?」
「…………」
 だいぶカチンと来たが、所詮《しょせん》、ロボットの言うことである。機械に何を言われても、それほど腹は立たない。
 が、さらにロボットは謎めいた言葉を口にした。
「大丈夫だよ。あたし、ひきこもりの脱出方法、知ってるから」
「……なんだそれ?」
 俺はついつい反応してしまう。
「佐藤君、だよね。……君、やっぱりひきこもりなんでしょ?」
 俺はその間いに答えるかわりに、公園の入り口に立てられた看板を指さした。その看板には『チカンに注意!若い女性の被害が相次いでいます』との警告文が、赤いペンキで毒々しく書かれていた。
「俺みたいなあやしげな人間を、こんな時間に呼びだして大丈夫なのか? 危険だぜ」
「大丈夫。あたしの家、すぐそこだから。……あたし、いろいろ知ってるんだよ。君、日曜の夜には、いつもこの公園でぼんやりしてるよね。窓から見えたよ」
「…………」
 ここに至って、俺はようやく、かなり不安になってきた。
 意図がつかめない。彼女の正体も依然として謎だ。すべてが普通じゃない。
 ……もしかして、これは遠回しな宗教勧誘なのではないだろうか?
「違うよ。だってあたし、和子《かずこ》オバサンにつきあってるだけだから」
「はぁ?」
「ずっとオバサンに迷惑かけてるから、せめてもの恩返し」
 さっぱり話が見えないが、互いに正面の街灯を見つめたままの心許《こころもと》ない会話は、さらに続く。
「……とにかく、そんなことはどうでもいいからさ。佐藤君、知りたくないの? ひきこもり脱出方法」
「佐藤君とか呼ぶな。俺の方が年上──」
「あたしの歳、知ってるの?」
「……見たところ、十七、八」
「大正解──」
 彼女はブランコから勢いをつけて、ぴょんと飛び降りた。その元気な振る舞いは、しかし、なぜだか不思議にわざとらしく見えた。気のせいかもしれないが。
 そうして彼女はベンチに座る俺の目の前まで来ると、真正面からこっちを見た。
「だからね、脱出方法、知りたいでしょう? 教えてあげるよ」
 膝に手を当てて中腰になり、そんなことを言う。
 やはりこの前と同じように、無駄に可愛い笑顔を浮かべていて、彼女をアシモの後継機と見なすのは、もはや不可能だった。
 俺は顔をそらして、呟く。
「……俺はひきこもりじゃない」
「嘘。この前、オバサンに勧誘されたとき、自分から思いっきりバラしたクセに。あたしに気づくと、逃げたクセに。普通の人間は、そんなことしないよ」
「な──」
 俺の言葉は、しかし遮られる。
「怖いんでしょう? 他の人が」
 顔を上げると、目があった。黒目がちの大きな瞳《ひとみ》をしていた。
 その目を見つめたまま、俺は何を言うべきか、しばらくのあいだ迷ってしまう。
 しかし──
「…………」
 結局、何も言わずに、もう一度顔をそらした。
 ふと気づくと、いつのまにやら風が出ていた。頭上では、木々の枝がざわめいていた。
 肌寒い夜だった。
 俺はアパートに帰ることにした。ベンチから立ち上がり、背を向けた。
 背後の彼女が呼び止めた。
「待ってよ! きっと後悔するよ」
「何がだよ。そもそもあんた、何者だ?」
「ひきこもりのダメ人間を救済する、親切な娘です」
「手紙に書いてあった『プロジェクト』ってのは、なんなんだ?」
「計画の内容は、現時点では極秘です。でも、悪いようにはしないので、安心してください」
「…………」
 具合が悪くなってきたので、適当な大嘘をついて、ともかく逃げ去ることにする。
「俺はねぇ、そもそも普通のひきこもりじゃないの。確かにひきこもってはいるけど、それは仕事柄、仕方がないの」
「仕事って、何さ?」
「……そ、SOHO?」
「何それ?」
「在宅で仕事する人間のこと。だから俺、ソーホーなの。アパート──つまりホームオフィスで仕事をしているだけであって、決して単なる無職じゃないの。確かにひきこもってはいるけど、それは職業柄、仕方がないんだ! マンガ喫茶でバイトしようとか思ったのは、たんなる気の迷いで──」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、どんな仕事してるの?」
「き、聞いて驚くなよ。……く、クリエイターだ!」
 横文字職業で驚いてくれ!
「クリエイティブな仕事をしてるから、ちょっと精神的におかしく見えるけど、むしろそれこそが、俺の素晴らしい才能を物語ってるんだ! ただの穀潰《ごくつぶ》しの無職とかじゃないぞ!」
 しかし岬ちゃんは、ニヤニヤ笑って、こう言った。
「じゃ、何を作ってるの?」
「それは──こう、なんというか、最先端の、IT革命的な、一言じゃ言えない……」
「今の仕事、出来上がったら教えてよ」
「そ、それはダメだ。守秘義務があるからな。それに、この企画にはかなりの金が動いてる。そうそう簡単にバラすわけには……」
 と、自らのセリフのあまりのバカらしさに、思わず死にたくなってしまった頃──岬ちゃんはくるりと背を向けた。
「……もったいないなぁ。せっかくあたしが、脱出方法、教えてあげようと思ったのにさ」
 それは本気で残念そうな──
「こんなチャンス、二度と無いのにさ」
 低い、ささやきだった。
 横顔の輪郭だけが、街灯の逆光にうっすらと浮かびあがっている。
 ちょっと、いや、だいぶドキドキしてきた。
 そうしてついに、俺の悪い癖が噴出する。
「お、俺の言うことを疑ってるみたいだけどね、実際俺、凄《すご》いクリエイターなんだぜ。君みたいな小娘は知らないだろうけど、業界じゃ、ちょっとは顔が知られてる。……そうそう、今度会ったときには教えてあげるよ、俺の仕事。かなりビックリするぜ! 尊敬するぜ!」
 ……今度会うときって、なんだよ? 俺の仕事ってなんだよ? どうして俺は、必ずバレる嘘を、こうも堂々と披露してしまうのか? 無職のひきこもりだよって、正直に言えばいいじゃないか! 変なところで妙なプライドを発揮するなよなぁ!
 ……あぁ。
 もういい。
 いいから逃げよう。これ以上どうしようもない大嘘をつく前に、さっさと逃げよう。
「じゃ、じゃあ、それじゃあね!」
 俺はぎくしゃくとした足取りで、公園の出口を目指した。背後で彼女が何かを呟いたような気がしたが、聞き取れなかった。
[#改ページ]
    2

 アパートに戻ってきた俺は、山崎に訊いた。
「山崎君、クリエイターつて、どうやったらなれるんだろう?」
「……はぁ? なんですか唐突に?」
「早急に、俺はクリエイターにならなきゃダメなんだ。君、夜々木アニメーション学院の生徒だろう? そこらへん、詳しいんじゃないの?」
「いや、まぁ、それはそうですけど。……しかし、本気ですか?」
「本気だよ。俺は本気だ。何でもいいから、どうやったらクリエイターになれるのか、それを今すぐ教えてくれ。頼む!」
「……電話、切りますよ。僕の部屋に来てください」
 わざわざ隣室にいる男に電話をかけてしまうほど、俺の動揺は激しかった。

   *

『今度合ったときには教えてあげるよ、俺の仕事』
 数十分前に、俺は確かにそう言った。堂々と、胸を張って。
 今度会うとき──それはおそらく、そう遠くない未来のような気がした。岬ちゃんは、ごくごく近所に暮らしているらしい。偶然街でバッタリ遭遇してしまうこともあるだろう。だからそれまでに、あまりにもバカらしい大嘘を、なんとかして真実に仕立て上げなければならない。俺はクリエイターにならなければならない。
 しかし、クリエイターってなんだ? なんなのさ?
 いつものようにパソコンデスクに腰を下ろしている山崎が言った。
「つまり佐藤さんは、可愛い女の子に見栄を張って、ひどい嘘をついてしまったと。で、慌ててその嘘をごまかそうとしていると。要するに、そーゆーことですか」
 顔を赤らめながらも俺はうなずく。
 別に軽蔑《けいべつ》してくれてもかまわない。すでに山崎には、俺の正体(中退無職のひきこもり)が知られている。もはやそれ以上に恥ずかしい秘密は存在しない。だから俺を助けてくれ山崎君!
「いやいや、なにも軽蔑したりはしませんよ。ですが……うーん」
 山崎は腕を組んで唸《うな》り始めた。俺は床に座って、彼の言葉をしおらしく待った。
 しかし──次の言葉はあまりにも意味不明だった。
「そもそもですねぇ。生身の女ごときに、いくら見下されたって、そんなの別にどうって事ないじゃないですか」
「……は?」
「いいですか佐藤さん。女ってのはねぇ、人間じゃないんですよ」
「…………」
「奴らは普通の人間じゃないんですよ。むしろ限りなく人外の化け物に近いと言っても過言ではないですよ。ですから、そんな奴らのために、無駄な努力をしたりする必要はないんです。軽蔑されたって良いじゃないですか。女ごときに」
 彼の表情は、いつもと変わらず穏やかだった。
 俺は急激に居心地が悪くなってきた。
「あいつらはねぇ、真っ当な人の心を持ってないんです。人の形をしてますが、本当は別の生き物なんです。佐藤さんも、まずはそのことを理解した方が良いですよ」
「や、山崎君……」
「ははは!……いえいえ、まぁ、それは別に大した問題じゃありません。動機がどうであれ、クリエイターになりたいというその決意は、それほど悪いものじゃないでしょう。いいですよ。一緒に考えましょうか」
 そうして彼は、パソコンデスクから立ち上がると、俺の目の前に腰を下ろした。その振る舞いには、妙な自信が満ちあふれていた。
 やはり四年という歳月は、人の性格を激変させてしまうものらしい。イジメられっ子だった山崎君の精神は、いまやすっかり、ヤバイ感じにねじ曲がっているようだった。
 だが──それはこの際、どうでもいい。目の前に立ちはだかる問題を解決してくれるものならば、俺は悪魔にでも頭《こうべ》を垂れよう。
「いやいや、なにも頭を下げたりしなくてもいいですけど。まぁ、とにかく話を始めましょう。──さて、クリエイターと一言で言っても色々ありますが、佐藤さん、あなた一体、何がやりたいんですか?」
「え? だからクリエイター……」
「クリエイターという職業はありませんよ!」山崎は声を荒げた。「小説家とか、漫画家とか、そーゆー職業を総称して、クリエイターって言うんです。つまり作家です。……だから佐藤さんは何が作りたいんですか? 僕はそう訊《き》いてるんです」
「クリエイターつて肩書きがつくんなら、何でもいいよ」
「……ぐっ」
 山崎は右拳《みぎこぶし》をきつく握りしめた。
 そして気を取り直したのか、今度は「はあ」と大きなため息を吐いた。
「ま、まぁ、良しとしましょう。それじゃあ、佐藤さん、あなた、どんな技術があるんですか?」
「技術、と言うと?」
「絵がうまいとか、作曲できるとか、凄いプログラムが組めるとか、いろいろあるでしょうが」
「……なんにも、できない。しいて言うなら、一年間、誰とも会わなくたって生きていけ──」
「ぜんぜんダメじゃないですかー」山崎は両手を床に叩《たた》きつけた。
「だからダメなんだよ!」俺も怒鳴り返した。しかし山崎は臍を浮かせて、さらに大迫力で畳みかけてきた。
「なんの技術もない奴が、そうそう簡単に作家になんかなれるわけないでしょう! 都合のいいことばっかり言ってちゃダメですよ。いいですか。このまえ佐藤さんは、僕が夜アニに通ってるって聞いたとき、笑ったでしょう? あぁいいんですよ隠さなくても。……ですがね。こと創作に関する話では、明らかに僕の方が佐藤さんより格上です。それを知っててくださいよ」
 その長ゼリフには、かなりの威圧感があり、俺は思わず何度もうなずいてしまう。
 すると山崎は、ふいにくたんと力を抜いた。
「……いや、クラスのバカどものことを思い出しちゃって、ついつい興奮しちゃいました。あいつらみたいに、口先ばかりの奴が一番腹立つんですよ。……なんにもできないくせに、群れやがって」
 どうやら俺は、学園生活に関する彼の葛藤を刺激してしまったらしい。コーヒーなどを飲ませて、落ち着かせてやることにした。
 床に散らばったゴミクズの中から、まだ使われていない紙コップを拾い、押入れの中に設置されているポットからお湯を注ぐ。さらにベッドの下などをあさってみると、煎餅《せんべい》の徳用パックなどが出てきた。
 俺たちはその煎餅を食いつつ、コーヒーを飲んだ。
 一息つくと、山崎は本題に戻った。
「それじゃあ、今度は具体的に考えていきましょう。音楽──は、かなりのセンスと技術を必要とするから、佐藤さんには無理ですね。プログラムは──数学とか苦手でしょう? だから無理。絵──も、無理ですよね。一度佐藤さんが描いた絵を見たことがあります。だからマンガも不可能。ならば──」
 山崎はそこでハタと膝《ひざ》を打った。
「佐藤さん、あなた文芸部員だったでしょうが!」
「……だから?」
「小説ですよ小説!」
 俺は顔をしかめた。
「やだよそんなの。俺、中学生の頃に作文書かされたっきり、長い文章なんて書いたことないよ。そもそも小説なんて、地味でダメ──」
 またもや山崎は俺を睨んだ。鼻息が荒かった。小声で「……いいかげんにしろよな」と呟いていた。
 俺は軽い恐怖を感じたので、話題を変えることにした。
「──と、ところで山崎君、君、学校ではどんなことをやってんの? やっぱりアニメ? セル画に色を塗ったりとか?」
 山崎は首を横に振った。
「夜アニって言っても、いろいろな学部があるんですよ。僕が通っているのは、ゲームクリエイター学部です」
 ──ゲームクリエイター?
 その単語を聞いた瞬間、俺は思わず興奮した。
 ゲームクリエイター、その響き。それはいかにも最先端だった。現代の花形職業だ。小学生があこが憧《あこが》れる職業、そのナンバーワンだ。
 脳裏に浮かぶイメージ、それはランボルギーニカウンタックを乗り回す業界人。銀座の高級クラブで接待されて、ヘッドハンティングで札束が飛び交い、発売された超人気ソフトには長蛇の列が。そして悪い高校生が、品薄のソフトを小学生からひったくり、六時のニュースで取り上げられて、だけどそれでも、ゲームクリエイターは大金持ちだ。
 高給取りだぜ、年収一億だぜ、格好いいぜ!
 最高だ!
 俺はコーヒーの残りを一息に飲み干すと、山崎の手を取った。
「俺と一緒にゲームクリエイターを目指そう!」

   *

 すでに時刻は午後十一時を回っていた。山崎は十杯目のインスタントコーヒーを啜《すす》っていた。
 俺は腹が減ったので、インスタントラーメンを作った。山崎は怒った。
「勝手に人の食料、減らさないでくださいよなぁ!」
 俺は頭を下げつつ、ラーメンに胡椒《こしょう》を振りかけた。
 ラーメンを啜っていると、山崎は訥々《とつとつ》と語り始めてくれた。
「ゲーム作りってのは、素人には不可能です」
「そこをなんとか」
「現代のゲームってのは、総合芸術です。さまざまな専門技術が組合わさって、初めてまともなゲームが完成します。佐藤さんなんかは、お呼びじゃありません」
 ちょっと見ないうちに、ずいぶん生意気な口を利くようになったなぁ──などと絡んでやろうかとも思ったが、よくよく思い出してみれば、こいつは昔から生意気だった。
 そうなのだった。この男は、ひ弱なクセに、誰にでも言いたいことを言う男なのだった。
『お前たちはバカだ!』とか『あっち行け』とか、クラスメートにも堂々とそんなことを言う。だからこいつはイジメられていた。まったくの自業自得だ。
 俺にだけは丁寧な口を利くが、無職中退のひきこもりという俺の正体を知ってしまった今現在、面と向かって「ダメ人間!」とバカにしてくるのも、もはや時間の問題だろう。
 ──が、そんなことはどうでもいい。ともかく俺は、なんとしてもゲームクリエイターにならなければいけない。業界人にならなければいけない。だから頼むぜ山崎君。
「頼まれても困るんですってば。いくら佐藤さんの頼みでも、世の中にはどうにもならないことだってあるんですよ」
「そこをなんとかー」
「大体ねぇ、女の子に尊敬されたいとか、そーゆーバカげた動機で始める物事が、そうそう長続きするワケがないんですよ。すぐにヤル気が無くなるに決まってるんです」
「そんなことはないぞ! 俺は本気だ! 燃えている!」
「……明日は学校なんですよ。僕、もう眠いんですけど」
「岬ちゃんに尊敬されたいだけじゃないんだ! もしもゲームクリエイターになれたのならば、ひきこもりからも脱出できるじゃないか!」
「無理ですよ」
「無理じゃない!」
「ダメですよ」
「ダメじゃない──」
 俺の懇願は、その後一時間ほども延々と続いた。
 なだめ、すかし、怒鳴り、「お前が学校に行ってる間に放送されてるアニメ、俺が録画しておいてやるから。CMカットもしてやるから」とご機嫌を取ったところで──ついに山崎は譲歩した。
「……佐藤さん。本気なんですね」
 それは真面目な声だった。
「あ、ああ。俺は本気だ。マジメだぜ」
「それならば──たったひとつだけ、佐藤さんでもゲームクリエイターになれる方法があります。ですが──」
「ですが?」
「それはおそらく血塗られた道です。どこまでも険しく苦しい、誰もが逃げ出したくなる、そんな方法です。ましてや佐藤さんのような一般人では──」
 山崎の顔はどこまでもどこまでも深刻で、俺は思わず、ごくりと喉《のど》を鳴らしてしまう。
 だが──もはや決意は固まっている。
 俺はやる。
「……どんなことでも俺はやる」
「それは本当ですか?」
 俺はうなずく。
「絶対ですね? 途中で『やーめた!』ってのは、ナシですよ」
 もう一度、俺は大きくうなずいてみせる。
山崎は十一杯目のコーヒーを入れた。俺は一気に二杯目のラーメンを啜りこんだ。
「……わかりましたよ佐藤さん。ならば話しましょう。僕の目論見《もくろみ》を話して聞かせましょう」
 山崎は身を乗り出して、低い声でささやいた。
「いいですか? 現在のゲームは、あまりにも大規模です。大量のデータと緻密《ちみつ》なプログラムが必要で、僕たち素人には絶対に手が出せません。せいぜい、一昔前のファミコンゲーム程度を作るのがやっとです。それでは到底、ゲームクリエイターを名乗ることなどできません」
「だったら──」
 口を挟もうとする俺を、山崎は素早く遮った。
「いいから聞いてください。……方法は、あるんですよ。予算もない、仲間もいない、極々限られたリソースしかない──そういった貧しい状況でも、だけど、方法はあるんです。ろくなプログラムが組めなくても、ヘボい音楽しか用意できなくても、五十枚程度のCGと、小説一本分ぐらいのシナリオさえあれば、ただそれだけでオッケーな、そんなゲームのジャンルが存在するんです!」
 山崎の声には、いまや紛れもない情熱が込められていた。
「そ、そのジャンルとは?」俺の声もうわずっている。
「プログラムは、フリーのゲーム用インタプリタを借用すればオッケーです。音楽もフリー素材のCDから適当に抜きましょう。そしてCGは僕が書きます。佐藤さんはシナリオです」
 ──シナリオ? あぁ、どうせ、『悪者に攫《さら》われたお姫様を主人公が助けに行く』って感じのお話を、適当にこさえればいいんだろう?
「ああ、ゲームのシナリオぐらい、いくらでも書いてやるよ!……だから、そのゲームのジャンルは?」
「やってくれますか佐藤さん!」山崎は俺の肩を叩いた。
「よし、やろう山崎君。俺たち二人でゲームを作ろう! だからゲームのジャンルは?」
「CGとシナリオさえ良ければ、がつんと有名になれますよ。ゆくゆくはプロだって目じゃありません。同人で一儲《ひともう》けしたら、会社だって作れます」
「おお、会社! それは凄いな山崎君。君が社長だ。俺は副社長だ!……だからゲームのジャンルは?」
「やるんですよね? 佐藤さん」
「……あぁ、やるよ」
「ここまできたら、後戻りはできませんよ」
「しつこいなぁ」
「それじゃあ、握手です。明日に向かって、僕たちは駆け抜けましょう!」
 山崎は俺の手を取り、固く握りしめた。
「僕たちは、同志です」
「だから、ゲームのジャンルは?」
「僕たちは、仲間です!」
「ゲームのジャンルは?」
「僕たちはクリエイターです!」
「……だから、ゲームのジャンルはなんなんだよ?」
 何度目かのその問いに対し、ついに山崎は胸を張って答えた。
「エロゲーです!」
 ……誰か、助けてくれ。

   *

 ふらつく足取りで自室に戻ろうとする俺を、山崎が引き留めた。
「これが資料です。早いところ、目を通しておいてください。これだけの数のゲームをプレイすれば、業界の傾向が理解できるでしょう」
 彼はそう言って、ゲームのパッケージを三十本はど俺に手渡した。
 そのパッケージには、「責」「濡」「虐」「淫」「縛」「学園」「監禁」「陵辱」「鬼畜」「純愛」「調教」「アドベンチャー」などなどといった、普段あまりお目にかからない種類の単語が大量にちりばめられていた。
 俺は泣きたくなった。しかし山崎は笑っていた。
「十八歳未満購入禁止のゲームですよ。エロいゲームですよ。つまりそれこそエロゲーですよ。エロゲーこそが、僕たちに残された唯一の道なんです。エロゲーでクリエイターになりましょう。エロゲーでクラスの奴らを見返してやりましょう。エロゲーで億万長者になりましょう。エロゲーで世界に羽ばたきましょう。エロゲーでハリウッドに進出しましょう。エロゲーで文化勲章をもらいましょう。エロゲーでノーベル──」
 その笑顔はどこまでもどこまでも晴れ晴れとしていて、「やーめた!」と言って逃げ出せるだけの雰囲気は、もはやどこにも残されていなかった。
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    五章 二十一世紀のハンバート?ハンバート

      1

 たとえば蛍。蛍の美しさを思い描いてみてください。
 一週間足らずの短い命、その儚《はかな》さを、その美しさを、今こそ僕たちは思い起こしてみるべきです。
 蛍の雌は、雄と交尾をするためだけに輝き、雄は雌と交尾をするためだけに瞬きます。しかし、交尾を終えると彼らは死ぬ。つまり「子孫を残す」という本能、ただそれこそが、最高にして唯一の、蛍の生涯目標なのです。
 その単純な本能と、単純な世界には、いかなる種類の哀しみさえも、決して介在することがありません。
 だからこそ蛍は儚く、そして美しい。
 あぁ! 蛍、最高!
 ……ですが一方、今度は僕たち人類を振り返ってみてください。そうすれば、そこに広がっているのは、あまりにも複雑な社会です。

 人間は本能の壊れた動物である。
 ──確か、フロイトの言葉でしたか。
 生活の中の様々な悩み、怒り、哀しみに接するとき、僕はこの言葉を思い出さずにはいられません。
 本能の壊れた動物である人間は、「恋」や「愛」という近代的概念によって、自らの本能を綺麗《きれい》に覆ってしまいました。だけど当然、そこには欺瞞《ぎまん》があります。その欺瞞を覆い隠すために、さらに人類は新たな概念を生み出します。だから世界は日を追うごとに複雑になっていくんです。しかしその複雑さは、壊れてしまった本能が生み出す様々な矛盾を、完全に隠しきってはくれません。
 そして生み出されるのは、絶望的な二項対立です。
 言葉と本能。
 思考と肉体。
 理性と性欲。
 これらの対立概念は、互いの尻尾《しっぽ》に食らいついている二匹の蛇のようなものです。二匹の蛇は、自らの優位を確立するために、つねに激しい闘争を繰り広げています。ですから蛇は、ぐるぐる回ります。ぐるぐるぐるぐる回り回って、ますます僕たちは苦しみます。
 わかりますか? 僕の言ってること、理解できてますか?
 え? 全然意味がわからない? なら、別にそれでもいいですよ。
 ともかくですね、僕の言いたいことは──
「うっせえよ! 死ね!」
 俺は枕を山崎に投げつけた。コタツの上に腰を下ろしている山崎は、上体を反らしてひらりと枕をかわし、さらにぶつぶつ演説を続けた。
「──壊れた本能によって、僕たちは苦しんでいる。理性によってねじ曲げられた本能によって、僕らはひたすら苦しんでいる。ならば僕たちはどうするべきか? 知恵を放棄する? 理性を捨てる? しかしそれは不可能です。善かれ悪しかれ、遥《はる》か昔に僕たちは知恵の実を食ってしまいました。このまえ宗教勧誘のオバサンから貰った『目を覚ませよ!』に、そう書いてありました」
「だからなんだよ! 深夜二時に俺を叩き起こしたかと思えば、人の部屋で酒を飲みながら意味不明な演説しやがって、お前は一体なにを考えー」
「対立する理性と本能、しかしそのどちらをも、消し去ることは叶《かな》いません。ならば僕たちはどうするべきなのか?──適当なところで妥協して、女とつきあってみたりする? 結婚して子供を作ってみたりする? えぇ、確かにそれが普通のやり方です。しかしですね。僕は知ってるんですよ。女ってのは、アレ、人間じゃありませんよ。むしろ限りなく化け物に近いんです。一年はど前に、僕はその事実に気がつきました。学費を稼ぐためにコンビニでバイトしてた頃、だいぶいろいろあったんですよ。あまりにも最悪な思い出で、もう思い出したくもないですがね」
 そこまで一気に喋《しゃべ》ったところで、山崎は俺の冷蔵庫から二本目のビールを取り出した。
 止めるまもなくプルトップを引き開けて、一気に飲み干しやがる。
 そうして彼は、唐突に叫んだ。
「──女はクソだ! 女は死ね!」
 すでに山崎の顔面は、嫌な感じに赤い。完全に酔っぱらっているらしい。
 この男、すぐに酔うクセに、しょっちゅう酒を飲んでいる。若年性アル中なのではないかと疑ってみたこともあったが、いつだったか彼は教えてくれた。
『北海道の実家がワイン工場でね。中学の頃から酒を飲んでるんです。だから僕は大丈夫なんですよ!』
 どこらへんが大丈夫なのか、それはぜんぜんわからない。だが──一度酔っぱらった山崎は、怒鳴ってもすかしても自分の気が済むまで演説をやめない。経験上、俺はその事実を知っている。
「…………」
 どうしたものかと途方に暮れていると、彼はがっくりと肩を落とし、今度はぼそぼそと呟《つぶや》いた。
「女はクソだ。……しかしいかんせん、僕にも女の子とつきあいたいと思ってしまう時もある。人間だもの、それはしかたがない。……だが、だがしかし、またもや僕は、酷《ひど》い思いを味わった。──クラスで一番可愛い娘がいた。名前は七菜子ちゃん。オタク女が全国から集合している僕の学校でも、その娘だけはそこそこに見れる顔をしていた。そして一方、自分で言うのもナンですが、僕はなかなかに格好いい。この華著《きゃしゃ》な体と整った容貌《ようぼう》によって、イジメられたり、女子にイタズラされたりしたこともあったが、僕の格好よさは、今となっては人生における大きなアドバンテージに違いない。だからこそ僕は、七菜子ちゃんにこう言った。
『つきあおう!』
 ……しかし七菜子はこう答えた。
『ゴメン、山崎君って、ちょっとアレだし。それにあたし、今、和夫君とつきあってるから』
 アレってなんだよ?
 ていうか、和夫って、あの脂ぎった男か?
 僕が、いや、このオレが、わざわざご丁寧にコクってやったのに、おいおいちょっと、そりゃねえぜ!」
 山崎は両手を振り回して、大声でわめいた。
「身の程を知れよなクソ女が! つーかヤらせろよ! ふざけんなよ!」
 俺は激しい恐怖を感じた。彼の隠された一面を見てしまったらしい。
 すると、俺の表情に気がついたのか、山崎は慌てた様子で嘘くさい笑顔でとりつくろった。
「は、はははは! いやいや、冗談ですよ。全部、嘘ですよ。まさかこの僕が、女に告白したりするわけないですよ。現実の女なんて、クソばっかりですからね。……僕はねぇ、中学生の頃に、姉ちゃんの友達に強姦《ごうかん》されかかって以来、現実の女は見限ってるんですよ」
 さらに衝撃的な話を聞かされてしまった。
「…………」
 俺は平静を装って、タバコをふかした。
 山崎はますます大声を出した。
「……な?ん?て?ね! 全部嘘ですよ。僕が言ったことは、全部嘘です。ははは、僕、ちょっと酔ってるなぁ。……ん? なんですか佐藤さん。僕をそんな目で見ないでくださいよ。なんですかその憐《あわ》れみと軽蔑と恐怖が入り交じったような微妙な視線は? み、見るなよ。僕をそんな目で見るなよ!」
 どうしていいものやら、俺はすっかり参ってしまった。

   *

 つまり、山崎の言いたいことを要約すると。
 ──現実の女は、ろくなもんじゃない。しかし人間には、女とヤりたい本能がある。理性は女を拒絶しているが、本能は女とヤりたくてしかたがない。だから困った。
 などなどといった感じの話になるらしかった。
 んなこと俺に言ってもしょうがねぇだろうが! と叫びたかったが、俺は大人なので、ぐっと堪《こら》える。
 考えてみれば、彼も不幸な人間なのだ。現代社会の歪《ひず》みだかなんだかによって、彼の精神はすっかりねじ曲げられてしまったのだ。
 ──可哀想になぁ。
「いいえ、僕はちっとも可哀想じゃありませんよ」
「無理すんなよ。……あ、そうだ。風俗に行けよ。そうすればモヤモヤがスッキリするらしいぞ!」
「……だからさっきから言ってるでしょうが。僕は現実の女には見向きもしないんです」
「現実の女以外に、どんな女がいるんだよ?」
 その質問をした瞬間、彼は、いまにも泣き崩れそうだった弱々しい姿勢を立て直し、しゃきっと胸を張った。
 ニヤリと笑い、言う。
「すぐ近くにいるじゃないですか。まだ気づかないんですか? 佐藤さんも、ここ一週間、彼女たちの魅力にメロメロだったはずでしょうに」
「…………」
「僕が何を言おうとしているのか、佐藤さんは、もう気づいているでしょう?」
 俺は軽い圧迫感を感じ始めた。
「二次元の世界に住む彼女たちは、なんと愛《いと》おしいことでしょうかねぇ。ディスプレイの中の彼女たちは、なんと素敵なことでしょうかねぇ」
「…………」
 まったく、これほどに回りくどい演説をされてしまっては、もはや山崎の情熱を認めてやるしかない。
「わかったよ山崎君。……エロゲーは素晴らしい文化だ」
「わかれば良いんですよわかれば。エロゲーこそが、人類の知恵が本能に勝利するための、唯一の道標です。エロゲーがあれば現実の女など用済みなんです。エロゲーこそが僕らの希望なんです。ですから佐藤さん、そろそろゲームの企画はできましたか?」
「も、もう少しだけ待ってくれ。……しかし、君が貸してくれたエロゲー、傾向が偏ってるような気がしないか?」
「と、言いますと?」
「こう、なんというか、登場キャラの年齢が低すぎるというか、どう見ても小学生にしか見えないヒロインばかりが登場するというか──」
「は! いまさら何を言ってるんですか佐藤さんらしくもない。もともとエロゲーのヒロインたちは、二次元のCGによって描かれた架空の存在にすぎないんですよ。ならばその無垢《むく》さ純潔さ女らしさを表現するにあたって、幼女キャラほどに最適なデフォルメは他にありえないでしょうに。幼女という記号によって、我々は安心するんです。──我々の弱々しい精神に打撃を与える可能性のない二次元キャラ。しかもその上、社会的肉体的精神的に最弱な、幼女というモチーフ。その二重のセイフティーロックによって、僕たちの脆弱《ぜいじゃく》な精神は完全に保護されるんです。傷つく心配から逃れられるんです。すなわちそれこそ萌《も》え萌えです。わかりますか? わかるでしょう?」
「…………」
 俺はさんざん彼の言葉に頭を捻《ひね》った末に、
 さっぱりわかんねぇよ!
 と怒鳴ろうとした。が、その頃にはすでに、山崎は俺の部屋から消えていた。
 しかし、コタツの上には置き土産が残されていた。
 山崎のプレゼント、それは一枚のCD─Rだった。
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      2

 翌朝になってから、俺はよくよく考えてみた。
 どうも山崎は、昨日、女にフラれたらしい。そうして彼は、やけ酒を飲みつつ決心したらしい。
 ──現実の女なんか、もう絶対にクソくらえだ。僕にはエロゲーがある。
 などといった感じの強い決意を固めたらしい。
 しかし──それだけならば何も、わざわざ俺に向かって自らの恥をさらけ出したりする必要はない。自分が凄いロリコンであると、明言する必要はない。ずいぶんと無茶苦茶な理論で武装していやがったが、つまるところ、あいつはエロゲー好きのロリコンだ。危険人物だ。
「…………」
 というか、予想以上に山崎はヤバい。
 昨夜プレゼントされたCD─Rの中身をパソコンで確かめてみたところ、俺はかなり慄然《りつぜん》とした。
 ──いや、なんというか、これはマズいぜ。ヤバすぎる。
 七百メガバイトのCD─R、そこにはぎっしりとjpeg画像が詰まっていた。その画像は、写真だった。小学校高学年と思われる少女のポートレートだった。
 しかも少女は、全裸である。いわゆる、ヌード写真である。
「…………」
 俺はおもむろに、部屋のカーテンを閉め切った。児童ポルノ規制法案が施行されている現在、このCDは、あまりにも危険すぎる。山崎のせいで、無実の俺までが牢屋《ろうや》にぶち込まれかねない。
 まったく、何を考えているんだあの男は?
 CGで我慢しとけよ!
 そう文句を言ってやりたかったが、彼は現在、夜アニに登校中だ。
「…………」
 十五インチのディスプレイの中で、全裸の少女はニッコリと微笑んでいるのだった。
 俺は胸が痛くなった。息苦しい。
 頭を抱えつつも、とりあえずフォルダの中身を隅々まで調べてみる。すると、ひとつのテキストファイルを発見した。
 そのファイルをエディタで開く。
『どうですか佐藤さん! かなりビビッてるでしょう? ですが高クオリティなエロゲーを作るには、やっぱり生の資料が欠かせません。この実写画像で、イマジネーションをガンガンに膨らませてください。ロリコン界の至宝とも呼ばれている、ニシムラリカの写真集です。全部ソフトコア画像なので、安心してて結構ですよ。さぁ、リカちゃんの笑顔で、素敵なエロゲーを作りましょう!』
「……あんのやろう」
 俺は怒りに打ち震えた。そもそもいつ俺が、ロリータ系エロゲーを作ることに同意したというのか? 自分の趣味を俺に押しっけるなよなぁ、まったく。
 ……だけど、んん?
 よくよく考えてみれば、だ。
 もしかしてあいつは、俺を同志に仕立てあげようとしているのではないか?
 光源氏の時代ならまだしも、この現代において、ロリコン者は社会的に抹殺されるべき存在である。当然、同好の士を見つけだすことは限りなく難しい。だからこそ山崎は、エロゲー製作の同志であるこの俺を、手っ取り早くロリコン仲間にグレードアップしようと企《たくら》んでいるのではないか?
「…………」
 いや、このような勘ぐりは、ただの下世話な憶測に過ぎず、あくまであいつは純粋に、良質なエロゲーを作ろうとしているだけなのかもしれない。事実、現在のエロゲーシーンにおいて、幼女系のヒロインは決して少数派ではない。エロゲーという病んだメディアの特質を、もっとも端的に象徴しているのが、ロリータ系のキャラクターと言えないこともない。
 そう言えば、エロゲーの別名は『美少女ゲーム』である。
 美女ゲームではなく、美少女ゲーム。
 ……そのあたりに、何か深い病巣が隠れているようではある。
「美少女ゲームなんて名前のソフトが巨大な市場を確立しているこの日本は、この先一体、どうなってしまうんだろう」
 ともかく俺は、立派な社会問題を考えるフリをして、なんとかムリヤリ思考停止した。
 それから恐るおそる、ニシムラリカの写真集を、パソコンのディスプレイで観賞した。

 そうして、数刻の時が流れた。
 俺は戦慄していた。
 ……ニシムラリカは、実際、可愛い。
「いいい、いいや違うぞ! これは一時の気の迷いだ!」
 薄暗い六畳一間に、その雄叫《おたけ》びは虚《むな》しく木霊《こだま》した。そしてリカちゃんが俺に微笑みかけていた。そのあどけない笑顔。するどく浮き上がった肋骨《ろっこつ》。どこまでもしなやかな肢体。
 俺はごくりと唾《つば》を飲みこみ、震える指先でマウスをクリック。すると次の画像がディスプレイに表示されて……あぁ、リカちゃん。
「違う!」
 俺は頭を振りかぶり、渾身《こんしん》の力を込めて部屋の壁に打ち付けた。がこんと音がした。涙が出た。
 痛かった。しかしリカちゃんが微笑んでいる。………あぁ、リカちゃん。
「違う違う!」
 俺は慌ててインターネットエクスプローラーを起動した。
 ──そうなのだ。リカちゃんが特別に美少女すぎるのがいけないのであって、何も俺がロリコンなわけではない。たまたまリカちゃんの可憐《かれん》さにグラッと来ただけで、俺はぜんぜん正常だ。
 だから別のロリータ画像をネットで探そう。他のロリータ画像を見たならば、そのときこそ俺の正常さが証明される。なぜならば、リ力ちゃん以外のロリータ画像などには、俺はちっとも興奮しないに決まってるからだ。
「…………」
 しかし、ロリータ画像の探索は困難を極めた。やはり児童ポルノ規制法案の影響だろう。ネットの表面を探索してみただけでは、国際電話を利用した詐欺サイト程度しか発見できない。
 だが、俺のネットサーフィンスキルを舐《な》めてもらっては困る。これでも俺は、ネット接続歴四年のベテランなのだ。
 希少価値のあるデータを探すには、掲示板を巡るに限る。それがこの世の法則である。
 そこで俺は、ひとまずロボット型のサーチエンジンを用いて、エロ画像情報系の掲示板を検索することにした。
 しかし──あぁ、なんてことだ。数千件ものページがヒット。検索条件を絞り込んでも、なおも数百件がヒット。数が多すぎるぜ。
 とりあえず一番上のページを開いてみる。その瞬間、恐ろしい勢いで、無数のブラウザが勝手に開く。
「くそっ! やはり罠《わな》か!」
 有料エロページにありがちな、JacaScriptを用いたブラウザ多重オープン攻撃である。しかしそれでも、俺は怯《ひる》まない。
「そうかわかったぞ! インターネットエクスプローラーには、荷が重すぎるんだ。こんなときこそタブブラウザにチェンジだぜ!」
 ──タブブラウザ。ひとつのウィンドウで、複数のウェブページを同時に閲覧できる優れものブラウザのことである。俺はそのタブブラウザの中でも、最も安定性に定評がある「donut」をダウンロードし、即座に起動した。
「おお! なんて軽快なブラウジングなんだ! この調子では、目指すページにたどり着くのも間近だな!」
 リソースが許すギリギリまで複数のページを同時に開き、それを片っ端から調べていく。
 ロリータ画像、ロリータ画像……
 掲示板に書き込まれたリンク全てを新しいタブで開き、開いた先のページに存在するリンクをも、端から端まで確認し──
 目指すはアングラ系のエロ画像掲示板。
 有料ページに騙《だま》されるな! 拡張子がexeのファイルには注意しろ! 邪魔な広告は、ポップアップ抑止ソフトで鎮圧だ!
 時計の針は回転し、窓の外は、すでに夜。六畳一間を照らす灯《あか》りは、青白く光るディスプレイ、ただそれだけ。蛍光灯をつける手間すらもったいない。
 驚異の神速キーボードタイプ! うなれ光速のマウス捌《さば》き!
 野性の勘で、広大なネットを駆け巡れ!
 俺は野獣だ!
 オオカミだ!
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      3

 ……気がつけば、すでにあれから一週間もの時が経過していた。
 俺はマウスとキーボードから、数十時間ぶりに我が身を解放した。
 風呂《ふろ》場に向かい、鏡を覗《のぞ》く。
 そこに映し出されているのは、どうしようもないデンジャラスパーソン、すなわち危険人物、つまり俺。
 伸びた無精髭《ぶしょうひげ》脂ぎった頭髪、虚《うつ》ろな瞳《ひとみ》、緩んだ口元──
 汚らわしい、乱れきった、腐臭のする、誰もが避けて通る、近寄りたくない、悪夢のような、大学中退の、無職の、ひきこもりの──
 ロリコン男がそこにいた。
「……うぅう」
 俺は風呂場の床に、力無く崩れ落ちた。
 ……どうしてこんなことになったんだろう?
 もう、取り返しがつかない。俺は、俺は、全世界のロリータ画像を収集してしまった。画像だけでは飽きたらず、MPEGやらRealMovieやらの動画にすら手を出してしまった。三十ギガのハードディスクはもう満杯だ。可哀想な少女たちの、あられもない姿で一杯なのだ。
 ……もうダメだ。もうダメだよう。ひきこもりのロリコンなんて、そんなの最悪じゃん。人間以下じゃん。ケダモノじゃん。生きていけない。もう二度と日の光の下を歩けない。
 あぁ、確かに俺はひきこもりだった。しかしそれでもロリコンではなかったはずだ。あくまで嗜好《しこう》は正常であり、むしろ年上が好きだったはずだ。それなのに──
「うぅう。……うぅうー」
 堪えきれない鳴咽《おえつ》がこみ上げてくる。涙もぽとりと床に落ちる。
 贖罪《しょくざい》の涙だった。
 ……そう。悔い改めたいのだ。俺はもう、悔い改めたいのだ。
 しかしいまさら、それはまったく手遅れだった。
 『ノゾミちゃんは可憐だなぁ』などといった独り言を呟くようになってしまったこの俺は、もうすぐ地獄に落下する。
『キヨミちゃんは凄いなぁ。中一なのに、凄いなぁ』などといった感想を呟くようになってしまったこの俺は、まもなく地獄に墜落する。
『ロシア人はハードだなぁ。アメリカ人も、酷いことするなぁ』などといってニヤつく俺は、十割の確率で地獄に堕《お》ちる。
 あぁ……ごめん。ごめんなさい。あやまります。本当に、そんな気は無かったんです。ほんの気軽な気持ちだったんです。最初は冗談のつもりだったんです。それなのに、それなのに──
「……うぅう」
 苦しい。苦しいよう。胸が苦しいよう。罪悪感で張り裂けそうだよう。ロリコンになんてなりたくなかったよう。ただのひきこもりでいたかったよう。それなのに、それなのにいまや、俺は最高級のロリコンひきこもりだよう。史上最強のクズ人間だよう。
 だけど聞いてくれよ。それは違うんだよ、誤解なんだ! 俺は監禁なんかしたくないぞ! 誘拐とか、そんなのしたくないぞ! 違うんだよ! あの事件の犯人は俺じゃない! 信じてくれ! トラストミー! そんな目で見るなよ! 俺を見るなよ!
 ……だけど赤いランドセルが、そして縦笛が。公園で遊ぶ無邪気な少女が。
 ……あぁ。
『お兄ちゃんと遊ぼうか?』
『飴《あめ》をあげるよ』
『スカートを』
『お医者さん』
『注射』
 ──もうダメだもうダメだもうダメだ! 死のう死のう今すぐ死のう!
「…………」
 だけど──んん? なんだよ。うるさいな。
「佐藤さん! いるんでしょう? 開けてくださいよ」
 遠くから、どこか遠くから、誰かが俺を呼んでいた。
「佐藤さん! 生きてるんですか? 死んでるんですか? 生きてるんなら開けてくださいよ!」
 ドアが、アパートのドアが、激しくノックされていた。
 だけども俺は、もはや人前に姿を現せるだけの資格を持っていない。だから放って置いてくれ。
「……なんだ、本当にいないんですか?……せっかくスンゲー裏ビデオ貸してやろうと思ったのに」
 俺は立ち上がり、涙を拭《ふ》いて、ドアを開けた。

 俺の話を聞くなり、山崎は顔をしかめた。『呆《あき》れかえった』という表情をしていた。
「一週間も部屋に閉じこもってエロ画像集めてたって──あんた、もしかして白痴ですか?」
「大体なぁ!……全部お前が悪いんだよ」
「んなこと言ったって、結局は佐藤さんの素質じゃないですか」
「お、お、俺をロリコンに引き込んでおいて、それをお前、罪悪感は感じないのかぁ!」
「だから、アレはただの資料だって言ってるでしょうが。三十ギガもエロ画像を集めた佐藤さんは、そもそもぜんぜん普通じゃないっすよ。僕でもかないませんよ。近寄らないでくださいよ、気持ち悪いから」
「……く、く、く」
 怒りのあまり、視界が真っ赤に染まった。両手がぶるぶると震えていた。
「ま、まぁ、いいから機嫌直して、そろそろゲーム製作の話、本腰を入れて進めましょうよ。ほら、ビデオも貸してあげますから」
 俺は山崎の手からビデオテープを奪い取ると、膝に叩きつけてまっぷたつにへし折った。
「なな、何を──」
 そうして俺は、たったひとつのロリコン脱出方法を思いついた。
 真剣な表情で山崎を睨《にら》む。
「山崎君」
「なんですか?……ビデオ、弁償してくださいよ」
「ロリコンってのは、人間じゃない。ケダモノだ」
「…………」
「だから俺たちは脱出しよう。二人で脱出しよう。今すぐ抜け出さないと、一生ロリコンで終わってしまう! 急げ!」
 俺は強引に山崎の手を取ると、部屋の外へと連れだした。

   *

 一度山崎の部屋に入り、彼の所持品であるデジカメを手に持つ。そして再び外に出て、俺は早足で住宅街を歩く。
 五月の昼下がり、街はぽかぽかと暖かく、しかし人通りは少ない。
「どこに行くんですか?」
 俺は答えず、目的地を目指す。
 途中、コンビニによって、使い捨てカメラを購入した。それを山崎に手渡し、さらに先を急ぐ。
 時刻は午後三時。最高のタイミングだ。
「デジカメの他にも使い捨てカメラだなんて、一体なんに使えって言うんです?」
 山崎は息を切らしながら質問した。
 目的地にたどり着いたところで、俺は答えてやった。
「君が、俺を、撮るんだよ」
「はぁ?」
「ここが、どこだかわかるか?」
「えーと。見たところ、小学校の校門前ですね」
「そうだ。生田小学校だ。生徒数約五百人の公立小学校だ。そうして俺は、校門前の植え込みの陰に姿を隠す。山崎君、君も身を隠しなさい。ほら、急いで」
「は、はぁ」
「もうすぐ終業のチャイムが鳴るぞ。そうすると、小学生がこの校門から溢《あふ》れだしてくる」
「……そうっすね。それで?」
「俺は、撮る」
「な、何を?」
「しょ、小学生を」
「…………」
「君のハイテクデジカメで、俺は可憐な美少女を激写する」
「…………」
「わ、わかるか山崎君? 俺はこれから盗撮する。春の少女を盗撮する。もしかしたら、パンチラ写真なんかを撮ってしまうかもしれない。だけど大丈夫だ。この植え込みの陰にじっと息を潜めて隠れていれば、俺たちは決して見つからない。だから俺は小学生を撮る。可愛い子だけを狙って、撮りまくる」
 チャイムが鳴った。
 あと数分で、小学生がこの校門から溢れだしてくることだろう。
「そして山崎君。君は俺の姿を、その使い捨てカメラで激写するんだ。小学生を盗撮する醜い俺を、最高に汚らしいロリコン男を、君はばっちり激写するんだ! わかるか? ただこれこそが、ロリコンからの脱出方法なんだ! わかるか? 君にはわかるか? この俺の、醜い姿。しかし、それは同時に君の姿でもある。醜くて惨めで汚らしいその姿を、君はフィルムに焼き付けるんだ。そうして、あとでそのフィルムを現像して一緒に観賞しょう。そうすれば、自分たちの醜さ汚さ不様さを客観的に眺めることができる。そのときこそ俺たちは、ロリコンから脱出できるだろう。正常な人間に戻ることができるだろう──」
 昇降口から、少女たちのざわめきが響いてきた。
 俺はデジカメを構えた。もうすぐだ。
「準備はいいか山崎君! 撮るぞ。もうすぐ一人目が来る。そのとき俺は、盗擬するぞ! だから君も、俺を撮れ! わかったか? わかったら返事をするんだ山崎君!
 ……おっと、いきなりかなりの美少女が現れたぜ! 白ワンピに黒タイツに焦げ茶のブーツをはいているぜ! 素敵だぜ! 萌え萌えだぜ! 聞いているのか山崎君! 俺はシャッターを押すぜ! だから君もシャッターを押しなさい!……しかしストロボは焚《た》くなよ。バレるからな。見つかったら、マジで警察直行だぜ。
 ……あぁ。このスリル。血湧き肉躍るスリル。興奮するぜ。ドキドキするぜ。最近の小学生は可愛いぜ。そして俺はシャッターを押すぜ! バシッ! バシッ! ナイスショット! あの素敵な小学生、おそらくは六年生の女の子、仮に名前をサクラちゃんとしよう。そのサクラちゃんが、うしろから来る友達に向かってくるりと振り向いたその瞬間! その斜め四十五度の最高角度を、俺は逃さずゲットだぜ!
 へへへへ、聞いているのか山崎君? ちゃんと俺を撮っているのか山崎君。俺の醜い姿を細大漏らさず写しておけよ、でないと、まるっきり俺、ただの変態だからな。
 ……しかし、おお! ますます大量に小学生が溢れ出てきたぜ。見よや、あの生命力に満ちあふれた美しくも可憐な少女たちを。俺は撮るぜ。撮るぜ撮るぜ撮るぜ!
 春風よ吹け! 突風よ、巻け! そしてスカートを!
 ……だけど、本当にそこにいるのか山崎君。俺はデジカメのファインダーを覗き込んでいるからわからないけど、ちゃんと俺の右斜め後方にいるんだろうな山崎君。ちゃんと俺の醜い姿を撮っておけよ。わかってるんだろうな?
 ……な、なぁ。本当に聞いているのか山崎君。おい、何とか言えよ。俺がこれほど頑張って、小学生のパンチラ写真を狙ってるんだ。君も俺の熱意に打たれて、ハートを燃やしたっていいだろうに。聞いているのか? おい、何とか言えってば!
 ……ま、まぁいいさ。確かに俺たちは犯罪行為を犯している。ビビって声が出せなくなっても、それは当たり前だ。そもそも君は、気が小さいからな。まぁいいよ。
 ……しかしなんだな。盗撮って、面白いな。そしてこの俺は、限りなく醜いな。……あぁ、そうだぜ。俺だって、本当はこんな汚い人間にはなりたくなかったぜ。小さかった頃は、東大に入って偉い学者になるのが夢だったんだぜ。人類の役に立つ、凄《すご》い発明をするのが夢だったんだぜ。
 ……それが今や、ひきこもりのロリコンだ!……だからお前は泣いてしまえばいい。あぁ、そうだよ。泣くんだよ! この俺の醜い姿に涙を流せ!
 ……俺たちだって、軽快に朗らかに、毎日を笑って、普通に平凡に、すがすがしい日々の生活を送りたかった。だけどもそれは、理解しがたい運命の荒波によって、なぜだかまったく不可能になってしまった。だからあぁ悲しいなぁって、お前は泣け! 本当は、みんなの役に立つ人になりたかった、みんなに尊敬されたかった。みんなと仲良く生きていきたかった、それなのに今じゃ、ロリコンひきこもりだよって、絶望して、泣け! 泣くんだ!
 ……うぅう。悲しいなぁ。凄く悲しいなぁ。だけど小学生は可愛いなぁ。興奮するなぁ。
 ……うぅう。うぅうー。涙が止まらないよう。ファインダーが曇ってよく見えないよう。だけど俺はまだまだ少女を盗撮するぜ。だから山崎君、君も頑張って俺を撮るんだ。悲しいけれど頑張ろう。涙が止まらないけど頑張ろう。頑張って小学生を盗撮しょう!
 ……ん?
 なんだよ。いきなり俺の肩を叩いてどうしようってんだ? どうかしたのか?
 おいおい、うるさいなぁ。今、良いところなんだよ。
 ほら見ろよ、あのニーソックスを穿《は》いたショートカットの女の子。可愛いよなぁ。持って帰りたいよなぁ。小脇に担いでテイクアウトしたいよなぁ。……んん? しつこいなぁ君も。今、忙しいんだよ! まったく、どうしたんだ山崎君。そんなに肩を叩くなって、カメラがブレるからさ。……おいおい、ホントにうるさいってば。なんなんだよ急に。君もおかしな奴だなぁ」
「……佐藤君、佐藤君ってば」
「シッ! 静かにしろよ、バレるだろうが!」
「こんな所で何やってるの? 佐藤君」
「だから決まってるだろうが、あのショットカットの女の子を──」
「女の子を?」
「とうさ──」
 そのときだった。
 俺は何気なく、ファインダーから目を離した。すると、俺の肩に置かれている手のひらが、視界の隅に映った。細くしなやかなその指先──男の指ではありえなかった。
 俺は背後を振り返った。
 そこにいたのは岬ちゃんだった。
 心臓が通常の五十倍速で脈打ちはじめた。
 そよ風が吹いていた。
 時間が止まった。

   *

 いつの間にやら山崎は消え、彼のかわりに、岬ちゃんがいた。
 しかも今日の岬ちゃんは、宗教ルックに身を包んでいた。
 地味な長袖《ながそで》ワンピース。白い日傘。
 その格好で、俺と一緒に、植え込みの陰にしゃがみ込んでいるのだった。
「……い、い、い、いつからそこに居たの?」
「ついさっき」
 俺のセリフをどこまで聞いた──と訊《き》こうとして、俺は思いとどまった。
 どちらにせよ、もはや絶体絶命だ。
 小学校の校門の陰で、デジカメを首からぶら下げている怪しい人間。そんな男を目の前にしたら、誰だって気づく。変態だと。
 すでに、万事休した。
 ……あぁ。
 ごめんなさい、お父さんお母さん。
 大学を中退してしまったばかりでは飽きたらず、性犯罪で牢屋にぶち込まれてしまう。まったく俺は、できの悪い息子だった。どうしたらこの罪が償えるのだろう?
 ……しかし、もはや時間は残されていないのだった。俺の顔をしげしげと覗き込んでいる岬ちゃんは、もうすぐ大声でわめきはじめることだろう。
『変態がいます! 誰か来て!』
 ──いやいや、きっとそれどころではおさまらないに違いない。
 なぜならば、今日の彼女は宗教ルックに身を包んでいる。そして、宗教といえば厳しい戒律だ。汝《なんじ》、姦淫《かんいん》を犯してはならない。当然、小学生に欲情するなどもってのほかだ。だからこそ、ロリコン男には神の怒りが降りそそぐ。
 ──そう。
『神はすべての罪を知っている!(ルカ 18:18)』と言って、岬ちゃんは俺を脅すだろう。
『み子に従わない者は命を見ない!(ヨハネ 3:16)』と言って、俺を震え上がらせるだろう。
『罪の報いは死!(ローマ 6:23)』と言って、神の怒りの業火に、俺を投げこうもうとするだろう!
 だから──あぁ。
 ……もう、絶対に、おしまいだ。
 俺は天を仰ぎ、裁きが下る瞬間を待ちかまえた。
 人生が閉ざされる瞬間。未来が閉鎖されるその瞬間。それほまもなくのことだった。
 しかし──いつまで待っても、岬ちゃんは俺を糾弾しなかった。
 視線を岬ちゃんに戻すと、彼女は俺を、上目づかいに覗き込んでいた。植え込みの陰に身を隠した姿勢のまま、しばし無言で見つめ合ってしまった。
「…………」
 そうしてついに、岬ちゃんが口を開いた。
「さっき、両手で顔を隠して、アパートの方に走って逃げていく山崎君を見たよ。それで、何かなって思ってここを覗いてみたら、佐藤君がいたから──」
「……山崎のこと、知ってるの?」
「202号室の人でしょう? あの人、ずいぶん嬉《うれ》しそうに『目を覚ませよ!』を貰《もら》ったからね。珍しいよ」
「へ、へぇ。面白い奴だねぇ」
「……やっぱりあたし、邪魔だった? 佐藤君、なにか忙しそうだったけど」
「いいい、いやぁ! それほどでもないというか、なんというか。……ときに岬ちゃん、君はこんなところで何をやってるわけ?」
 俺は話題をそらそうとした。なんとなく逃げ切れそうな気配がしてきたのだ。
「あたしは宗教勧誘の帰りだよ。和子オバサンと、ここを通りかかったんだけどさ。オバサンには先に帰ってもらったよ」
「へぇ、そうなんだ。……ところで、その宗教ルック、素敵だね。日傘を差してるところなんか、いかにも宗教って感じだよね」
 すると岬ちゃんはうつむいた。
「……これ、変装なんだよ」
 微妙に顔を赤らめて、そんなことを言う。
「はぁ?」
「あたしだって勧誘するの、本当は大変なんだから。……だから街の人に顔を覚えられないように、わざわざ日傘を差してるの!」
 なぜだか妙に、力強い言い訳をしてくれる。
 やはり彼女は依然として謎めいていた。底が見えない。
「…………」
 が、ともかく、今こそ脱出のチャンスなのだった。このまま逃げてしまえ。
「それじゃ、もう行くから」
 俺は立ち上がった。岬ちゃんも日傘を閉じて、起立した。
 そのまま俺は、ぎくしゃくと歩き出した。植え込みの陰から歩道へと乗りだし、アパートへの道を、早足で──
 しかしそのとき、背後から声がかけられた。
「佐藤君ってさ」
「……何?」振り返らずに訊く。
「実はロリコンだったの?」
 心臓が破裂するかと思った。
 俺は聞こえないフリをして、さらに歩くスピードをあげた。
 岬ちゃんは、さらに言った。
「別にロリコンでも良いけどさ。……もしかしたら、その方が都合が良いかもね。ひきこもりのロリコンって言ったら、もう最高だもんね。人間ランクの最下位だもんね」
「…………」
 俺は足を止めて振り返った。
 岬ちゃんは、いつもと同じ、変わらぬ笑顔を浮かべていた。
「うん。考えてみれば、ロリコンの方がいいや。その方があたしのプロジェクトにはバッチリだと思うよ」
 そして彼女は、ぴょんと飛び跳ねた。はしゃいでいるらしかった。けれどもそれは、やっぱりいまいちワザとらしい仕草に見える。
 俺は精一杯冷静な声で言ってやった。
「なんだかよくわかんないけどな、とにかく俺は、ロリコンでもひきこもりでもないぞ。……く、クリエイターだ! 資料に使う写真を撮っていただけさ」
「へぇ」
「ホントだぞ」
「また会おうね。……ニュースに出るようなことは、やっちゃダメだよ」
 岬ちゃんはすたすたと歩き去っていった。
 五月の午後のことだった。
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    六章 追憶、そして誓約

      1

 ゴールデンウィークが来たと思ったら、いつの間にやら梅雨が終わっていた。月日が素晴らしいスピードで、俺の目の前を流れ流れ流れ過ぎていった。
 しかしこの一ヵ月、それなりに様々なイベントが発生した。
 たとえばこの前、深夜のコンビニで岬ちゃんとバッタリ会った。岬ちゃんは、俺に一枚のワープロ用紙を手渡した。その紙は契約書だった。黒いボールペンで大きく『契約書』と書かれていたので、それはおそらく契約書に違いない。
 あと、一週間ほど前に、高校の頃の先輩と渋谷で待ち合わせをした。喫茶店などに入って、ちょっとばかり歓談などをした。だいぶドキドキしたが、それほど特筆するべきこともない。
 それと、親がリストラされた。来月から仕送りが止まる。
 一方、俺の隣人、山崎の方も、最近になってにわかに発生してきた世知辛い事態に、かなりいろいろ参っているらしかった。
『第一次産業を営む父親が、肝臓を悪くして入院』
『そして山崎は、長男である』
『実家の仕事を継ぐべきか、否か?』
 しかし実際、もはや彼には選択肢が残されていないように見える。今すぐ実家に帰って、酪農とワイン造りを引き継ぐのがベストな選択だろうと思う。
 が──なにやら彼には、両親との間に深い葛藤《かっとう》が存在しているらしい。
『あいつら、金があるクセに、僕を進学させてくれなかった』
『酪農学校に、勝手に願書を出しやがった』
『それで僕は、自分で一年間、コンビニと警備員のバイトをして夜アニの学費を稼いだ』
『それを、いまになって、ふざけるなよ!』
 よくわからないが、山崎は怒っているようだった。
 それでも彼は、激しく怒りつつも、すべての問題を先送りにすることに決めたらしい。問題が破局を迎えるその瞬間まで、知らないフリをしておくことに決めたらしい。俺もとりあえず、彼に倣って現実逃避することにした。
 現実逃避と言えば、エロゲー作りである。
 もはや今となってはほとんど意味のない、まったくもって無駄で無意味な創作活動に邁進《まいしん》する俺たちだった。
 本当ならば、一刻も早くひきこもりから脱出して、就職活動しなきゃいけないのに……
 だけどな

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责任编辑:Mashimaro

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