い横線が入った。二度、三度。そしてあとは砂嵐。放送の終わったTVみたいにザーッと砂嵐みたいなのが現れて、それきり画面が映らない。 「なによー、これ。壊《こわ》れてるよー」 ナルちゃんは他のTVの画面を見渡す。他のビデオは異常ない。二階の廊下《ろうか》、階段のあたりを映した一台だけが、なにも映してない。 「……壊《こわ》れているわけはないんだが」 言ってナルちゃんは、機械をいじる。 画面は変わらず。 「意味深《いみしん》だな」 ナルがつぶやく。 「……はぁ?」 「霊が現れると、えてしてビデオやカメラは正常に作動しなくなる」 言ってから、ナルは画面に眼をやり、 「これは――どっちだろう。霊か、電波障害か……あるいは……」 考えこむ。すぐに女史を振りかえって、 「黒田さん、声がしたと言ったね。 どんな声だった?」 「かすれてたけど、女のコの声だったと思うわ」 「そう……」 「ねぇ、ナル? 真砂子は霊はいないって言ってたでしょ? どうしてなの?」 「さぁ……。彼女の才能は信用できると思っていたんだが……」 ……本当にぃ? 単に真砂子の顔がいいから、信用したいだけなんじゃないのぉ? 黒田女史が首をかしげる。 「原さんって、本当に霊感、あるのかしら」 「さてな……。女性の霊媒《れいばい》というのは、好・不調の波が激しいのがふつうだけれど。 それとも、君と波長が合ったかな」 「え?」 「旧校舎に霊がいたとして、その霊は君とひどく波長が合うのかもしれない」 女史は微笑《ほほえ》む。不思議《ふしぎ》な笑み。 「そうかもね」 女史が答えたところで、ドヤドヤと人の声と足音が玄関のほうから聞こえた。 巫女《みこ》さんにぼーさん、ジョンと真砂子。校長と教頭、そして生活指導の先生。 先頭にいる巫女さんは白い着物に袴《はかま》姿。 巫女さんの除霊が始まるのだ。
2
「まぁ、よく見てるのね」 巫女《みこ》さんはナルに流し眼をくれて、勝《か》ち誇ったようにわらう。 えらそうに先生とジョンをこき使って、玄関に白木の祭壇を作らせる。あらら、ジョンったら、かわいそうに。 その作業を見守りながらぼーさんが 「できると思うか?」 「さて」 ナルの眼は冷たい。 「まぁ、見物ぐらいしてみるか。ボウヤはどうする」 「神道《しんとう》式の除霊というのは、見たことがないな。見物してみようか」
巫女さんは、玄関に作った白木の祭壇の前に立つ。三人の先生が、巫女さんの後ろに神妙な顔をして並んだ。 あたしたちはと言えば、なんとなくそこに並ぶ気がしなくて、実験室の廊下《ろうか》がわの窓からそのようすを見守っている。 巫女さんは手を叩《たた》き、白い紙のビラビラがついた棒を振る。……祓《はら》い串《ぐし》っていうやつかな。 「つつしんでかんじょうたてまつる、みやしろなきこのところに、こうりんちんざしたまいて……」 わー、なんて言ってるの? 「しんぐうのはらいかずかずかずかず、たいらけくやすらけく、きこしめしてねがうところをかんのうのうじゅなさしめたまえ……」 あたしはヒソヒソと、 「これ、なに? なんて言ってるの?」 ナルに聞く。ナルはうるさそうに、 「黙ってろ。日本人のくせに、祝詞《のりと》も知らないのか」 「ノリト?」 「神道《しんとう》の呪文《じゅもん》、そういうもの」 へー。こういうのって初めてだもんなぁ。 綾子は泰然《たいぜん》と儀式を行う。 成功するだろうか。 「ちはやふるここくもたかまのはらなり、あつまりたまえよものかみがみ……」 祝詞《のりと》の声って単調……。 なんて言ってるのか、せめてわかるようにしてほしーよぉ。 「なむほんぞんかいまりしてん、らいりんえこうきこうしゅごしたまえ」 あぁ……ねむいなぁ……。 あたしは不謹慎なことに、儀式の半分を眠ってしまった。 まぁ、ぼーさんは最初から最後まで眠っていたから許されるだろう。うん。
3
「これでなんの心配もありませんわ。 今日からでも工事にかかれます」 式のあとで、巫女《みこ》さんは校長にニッコリわらう。 ……ホントかな。 しかし、校長はうれしそうだ。満面に笑みをたたえて、巫女さんをヨイショしている。 真砂子《まさこ》やぼーさんのケイベツの眼差《まなざ》し。 「どうですか、今夜一席設けますが」 「いちおう、除霊したあとは泊まりこんでようすを見ることにしていますから」 「いやぁ、なるほど、さすがはプロですなぁ」 鼻の下がのびてるぜ、校長。 「それでは、お昼がまだでしょう? どこかでお昼でも」 デレデレ言っていたときだ。 ……ギッ。 突然天井《てんじょう》でイヤな音がした。 先生たちと巫女さんが、ハタと立ち止まって天井を見あげる。 バキッ。……何かが折れるような音。 そして同時に、ドアの上の明かりとりにはまったガラスがひび割れた。 パンッ。白く曇《くも》って、次の瞬間には内側にはじける。ガラスの破片がすぐ下にいた校長たちの真上に降り注いだ。
「なんの心配もありませんわ、だって」 黒田女史が、皮肉な言葉を巫女さんに投げつける。 「どこが、除霊なんてできてないじゃない」 クツクツわらう。 巫女《みこ》さんは女史をにらんだけど、なにも言わなかった。ガラスの破片をかぶって、巫女さんこそケガはなかったけど、校長はハゲあがった頭を血だらけにしていた。かえす言葉など、あるわけない。 「あれは事故ですわ」 冷たい言葉を投げるのは真砂子だ。 巫女さんは真砂子の言葉にうなずく。 「そうよねぇ。アタシはちゃんと……」 「……除霊できた、という意味ではありませんわよ。 初めから霊なんていませんの、ここには」 三すくみ。 霊はいないという真砂子と、霊はいるけど除霊できたという巫女さんと、霊はいて、除霊できていないという黒田女史と。 女三人がにらみあってる横で、男のほうといえば、首をひねるばかり。 ジョンが、 「偶然ですやろか」 と首をかしげると、ぼーさんが、 「やっぱり、なんかいるんじゃねぇのか? 巫女さんじゃ手におえないような、強いのが」 ナルは視線を落とす。 「……だったら、もっと機械に反応があってもいいはずなんだけど」 あーあ、なんかイライラしてくるぞー。 あたしにも霊能力があればいいのに。そしたら、こんなやつら出し抜いて、さっさと解決してやるわ。 ぼーっとTVの画面を見る。 あたしはふと、二階西の教室が変なのに気がついた。 昨日機械をすえつけたので覚えている。 教室には古い机が山のようにあった。それを黒板の前に積みあげてあったんだ。古いイスがいくつも、その前に乱雑に置いてあったっけ。 ……なのに……。 「ナル」 あたしは、ぼーさんたちと話こんでいるナルを呼ぶ。 「どうした?」 あたしは画面を指さす。いつのまにか、教室の中央に出ているひとのつイス。 昨日はなかった。あんなところにイスなんて。 ナルは形のいい眉《まゆ》をひそめてから、 「だれか西の教室に行ったか?」 後ろの霊能者の集団に聞く。 彼らは顔を見合わす。 「いや……?」
4
全員が注目するなか、ナルがビデオを巻きもどす。 再生画面。 時間を見ると、ちょうど玄関でガラスが割れたところだった。 一台のカメラが玄関をとらえている。カメラは祭壇のほうに向けてあったので、ガラスが割れるシーンは映っていない。ただ音だけがビデオに収まっている。 ちょうどその間、西の教室の画面では、イスが動いた。誰《だれ》も手を触《ふ》れないのに。 黒板の前、乱雑に置かれたイスたち。ホコリをかぶったそれが、突然ズッと動く。さらに動く。ひっかかり、ひっかかり、床の上をすべって、イスは教室の中央よりで止まった。 移動した距離、およそ五十センチ。
「どういうこと?」 あたしはナルを見あげる。 「……わからない」 ナルが言うと、後ろから黒田女史の声。 「ポルターガイストじゃないかしら」 「ポルターガイストって?」 「『騒がしい霊』っていう意味だったかしら。霊が者を動かしたり、音をたてたりするのよ。――そうでしたよね、渋谷さん」 「そう。詳《くわ》しいね」 「常識だわ」 ……ゴメンな、常識なくって。 「ポルターガイストとは思えないんだが」 「なぜ?」 「ポルターガイストが動かした物は、ふつう暖かく感じられるものなんだ」 「それが……?」 「サーモ・グラフィーを見ると、あのイスに温度の上昇は見られない。 そんな例はあまりないんだ」 黒田女史はキョトンとしている。 サーモ・グラフィー。物の温度を色分けして眼に見えるようにして映す装置……だっけ。 ふーん、そうなのか。 ジョンがナルに視線を向ける。 「そやけど……。 ポルターガイストの条件は、満たしとるのとちがいますでっか? ボクはポルターガイスト、ゆう気がしてまんのやです」 ナルが微《かす》かにわらいを浮かべる。 「ティザーヌだね」 「なによ、それ」 言ったのは巫女《みこ》さんだ。真砂子《まさこ》が軽蔑《けいべつ》の眼を向ける。「本当に霊能者ですの?」 「なによぉ」 ウンザリしたように、ナルが手を上げた。 「さすがに原さんはご存じですね。 E・ティザーヌ。フランスの警察官だったが、彼がポルターガイストの分類をしたんだ」 「へぇ」 感心したように声をあげたところを見ると、ぼーさんも知らなかったな。黒田女史もポカンとしている。 「全部で九項目あるんだが。 爆撃、ドアの開閉、騒音、ノック、……。 九項目のうち、ここで起こった現象は、ドアが勝手に閉まる、物が動く、ガラスが割れたことも数に入れても、三項目。 僕《ぼく》は、ポルターガイストにしては弱いと思うね」 「黒田女史が襲われたのは?」 あたしは思わず聞いた。 とたんに、ぼーさんたちが声をあげる。 「なんだって?」 ……そーいや、こいつら、女史の話を聞いてなかったっけ。 あたしが口をすべらせたせいで、女史はもう一度話をしなきゃならないし、ナルはビデオを……不思議《ふしぎ》なことに何も映ってないビデオを再生しなきゃならないし。 黒田女史はなんだか得意そうだったが、ナルは迷惑そうにあたしをねめつけた。
5
「真砂子ちゃん、感想?」 しんとしたなかから、ぼーさんが少しおどけた声をあげる。 「その方の気のせいですわ」 弱い声。黒田女史が真砂子をにらむ。 「気のせいなんかじゃないわ。 あなたも、いいかげんに認めたら? 旧校舎には、よくない霊がいるのよ」 真砂子は静かに立ちあがる。 「……逃げるの!?」 「……逃げる? なぜ?」 黒田女史を見つめる。 「もう一度中を見てきますわ」 「正直じゃないわね」 巫女《みこ》さんが人の悪い笑顔をつくって、 「素直にまちがいでしたって、言えば?」 「……この校舎に霊はいませんわ」 真砂子はそっけなく言って、実験室を出て行く。それを見送ってからジョンが、 「ショックやったようですでんな」 「当然だろうね」 答えたのはナルだ。 「ふつうの人にはわからない真実が見えるから、霊能者なんだ。 まちがえたらそれはもう霊能力とは言えない」 ほー。かばうじゃない。 あんた、本当にメンくいなんだな。 「ナルって、メンくいなのね」 あたしは一瞬、自分が口をすべらせたのかと思ってギクッとした。 あたしの考えているようなことを言ってくれたのは、黒田女史だった。 「どういうことかな?」 ナルの冷たい視線。 「ずいぶん彼女をかばうじゃない?」 「彼女の仕事は僕《ぼく》も知っているし、才能については高く評価している。だから相応の敬意をはらっているだけだが?」 ……ふうん? 「そうかしら?」 あやや、女史とシンクロしてるわ。 ひょっとしてあたし、女史と気が合うのかなぁ。やーね。 巫女《みこ》さんがカリカリした声を出す。 「だったら、アタシたちにも、もう少し敬意をはらってほしいものね」 「松崎さんのどこを、高く評価すればいいのでしょうか?」 ナルの冷たい声。 ……おまえ、やっぱり態度がちがうぞー。 ぼーさんがわらう。 「まー、あのザマじゃしようがないわな。 除霊はできない。閉じこめられて悲鳴はあげる」 「アタシがいつ、悲鳴をあげたのよ?」 「こないだ教室に閉じこめられて、悲鳴をあげてたじゃねぇか」 「あげてないわよっ!」 「ほー、じゃああれは鳴き声だったのか? キャンキャン吠《ほ》えてたが」 ……また始まった。 巫女《みこ》さんが犬なら、ぼーさんは猿《さる》だな。犬猿《けんえん》の仲。あー、うるせー。 巫女さんは、ぽーさんにつかみかかる勢いだ。 ミシッ。 乾いた木がひび割れるような音。 ……巫女さん、校舎を壊《こわ》すなよ。 パシ。 全員がおし黙った。 旧校舎はボロいんだから、乱暴にすると壊れるよー。 天井《てんじょう》のあたりで、木がはぜるような音がする。 ぼーさんが周囲を見渡す。 「ラップ音か?」 え? ラップ音……って、ひょっとしてアレでしょうか、幽霊が出て来るときに起こるという……。 背筋がゾクとする。 パシッ……メキ……。 西側の天井近くで音がする。 パキ。 小さな音に続くように、激しい音をたてて西側の黒板に亀裂が走った。 どこかで小さく悲鳴。 そして、あたりはふたたびしんとする。 突然声をあげたのはジョンだった。 「原さんっ!」 え? ジョンはなるのTVにかじりついている。 パッと身を起こし、 「原さんが、二階の教室から落ちたです!」
五章 最大風速六十八ノット
1
夕暮れが近いグラウンド。 救急車が校門を出て行く。 遠巻きに旧校舎をながめる人たちの顔に、強い西日があたる。 真砂子《まさこ》は二階、西側の教室から落ちたのだ。 西側の教室は半分を壊《こわ》したまま放っておかれていた。西側の壁はなかったけれど、いちおうそこにはベニヤ板がはってあって、風雨は入ってこないようになっていた。そのベニヤ板が裂《さ》けたのだ。 真砂子はそこから放り出され……三メートル下の地面に落下した。 西側には鉄パイプや古い工事道具が残されたままになっていた。 たまたま真砂子はそんなものの間、やわらかい地面の上に落ちたが、工具の上に落ちたらどうなっていたかわからない。
「どうなっておるんですか」 校長がナルたちを責める 「除霊をしてくださいと、お呼びしたんですよ。前にも助手の方が事故でけがをされたとか、そのうえこれでは、また不吉なウワサが……」 ナルは校長を制す。 「助手がけがをしたのは、ソコツ者の学生のせいです」 ……それは、あたしのことかなぁ? 「原さんは意識をなくす前に、やはり霊はいないと言ってました。 本人が、あれは自分の注意から起こった事故だと言っていたのです。どうか、よけいな不安をお持ちになりませんよう」 「しかし……」 「調査にもどります」 ナルは一礼して、旧校舎に入っていく。 ……事故? 真砂子はたしかにそう言った。 でも……。
「あれは真砂子の強がりだと思うわ」 厳しい声で言ったのは巫女《みこ》さんだ。 いつのまにか、ミーティング・ルームのようなあつかいを受けている実験室。 「旧校舎には悪霊がいる。アタシはそう思うわ」 「そう。綾子が除霊しそびれたやつがな」 ぼーさんに言われて、巫女さんは頬《ほお》をふくらませる。 「……いいわよ、認める。 アタシは除霊に失敗したわ。危険だわ」 あたしは思わず、 「危険なの?」 巫女さんは肩をすくめる。 「除霊に失敗した霊と言うのは、手負いの熊といっしょよ。とても凶暴になる……」 「それじゃ、真砂子のケガは巫女さんのせいなんじゃない!」 「なによ!」 ……だって、そうだろ! ナルがあたしたちの間にはいる。 「早まるな。 ビデオを見る限り、あれは事故としか言いようがない。原さんの言うとおり、本人の不注意が巻き起こした事故だ」 そう。真砂子はあの壁がヤワなベニヤ板一枚でできているなんて、思ってもみなかったようなのだ。 何気なくベニヤ板にもたれて、そしてそこが裂《さ》けて落ちた。ビデオにはその過程がしっかり映っていた。 でも……。 「ねぇ、ナル? 幽霊屋敷って、事故とか自殺とか続くから不吉だって言われるわけでしょ? 事故にも自殺にも、ちゃんとした理由があるかもしれないけどさ、それがなぜだか続くってとこが不吉なわけで……」 あたしが言うと、ナルは腕を組む。 「たしかにそうだね。 でも……この校舎はどこか変だ 納得できない」 「なぜ?」 ツケツケと問うのは黒田女史だ。 「機械に反応がなさすぎ。 気温の低下も、イオンの偏《かたよ》りもない。静電気量も正常。データは完全に正常値を示しているんだ」 「でも、巫女《みこ》さんか閉じこめられたのは? わたしが襲われたのは? ビデオが消えてたり、ガラスや黒板が割れたり、イスが動いたりしたのは?」 「だから、納得がいかないと言ってる」 ぼーさんが口をはさむ。 「おまえさんの知らないパターンかもしれないぜ」 ここには強力な霊がいて、それは、いないふりをできるぐらい強い力を持っているのかもしれないじゃねーか」 ナルは考えこむようにして、 「ぼーさんの意見は?」 「地縛《じばく》霊」 「アタシは付喪神《つくもがみ》を押すな」 声をはさんだのは巫女さんだ。 「つくもがみ?」 あたしが聞くと、 「生き物じゃなくてもね、霊が宿ることがあるの。机やイス、大きいものでは家なんかでもね。もともと霊をもたないものが、長い時間の間に、まわりの人間の感情を吸って霊を宿すのよ」 へえぇ。 「この校舎は、ここで学んだ学生や教師の感情を吸って霊を宿したのだと思うの。特にこの校舎に関する恐怖を吸って」 ……なんだか、こわい。 幸い、真砂子のケガはそんなに大したものじゃなかった。でも……。 ぼーさんが馬鹿《ばか》にしたような視線を巫女さんに向ける。 「地霊という意見はどこに行ったのかな?」 「もちろん、地霊も一役かってるわ。 この土地の精霊が核になって、そこに人間のマイナスの感情を取りこんで付喪神化したの。……手ごわい気がするわ」 「ほおお」 ナルはふたりにかまわない。 「君は、ジョン?」 「ボクにはわかりませんです。 せやけど、危険やとゆうのんには賛成でんがなです。除霊をやります」 「そう……」 「ナルは?」 ぼーさんがナルの顔色をうかがう。 「僕《ぼく》は……今のところは意見を保留する。 少し調査の角度を変えてみようと思う。」 「ほお?」 「麻衣《まい》」 「へい」 「僕は車にもどる。 麻衣はここにいて、機材を見ていろ。変化があったら呼んでくれ」 ナルは機械のスイッチを指さす。 「このマイクが車に通じてるから」 「はーい」 ずるいなぁ。じぶんだけ、校舎を出ちゃうわけ?
2
ナルが実験室を出ると、ぼーさんが巫女《みこ》さんに、 「どうなのかねぇ、あのボウヤ」 「どうって?」 「やたらたいそうな機械を持ちこんで、ハデにやらかしてるけど、本当に有能なのか、ってこと」 「アタシにわかるわけ、ないでしょ」 「あなたたちよりは有能なんじゃない?」 挑戦的に言ったのは、黒田女史だ。 「そういや、お嬢ちゃんは? 帰らなくてもいいのかい?」 「あなたがたの無能ぶりを拝見してからにするわ」 あざわらう。 「今度は誰《だれ》が何をするの? 成功するといいね」 ぼーさんと巫女《みこ》さんが顔をしかめる。敵意をこめた眼。 ……女史も、わざわざ敵を作ることはあるまいに。 ジョンが立ちあがる。 「ボクが」 「ほう、いよいよ、エクソシストのおでましか?」 からかうようにぼーさんが言ったけど、ジョンは軽くうなずいた。 ジョンはケンカを買わないよ。あんたらとちがって性格いいもん。 「手伝おうか?」 「よろしいです。それより、祈祷《きとう》を始めたら、機械に注意せえや、です。 何か反応があるかもしれへんです」 「うん」 ……脅《おど》かさないでほしいなぁ。
画面には、二階の教室が映っている。ミチルの先輩が人影を見た部屋。真砂子がそこから落ちた部屋。 陽《ひ》が落ちた教室。かすかな残照で明るい。 突然、画面が途切れて、白黒になる。 ……え? 粒子の荒い、白黒の映像。カメラが変わったらしく、部屋を映す角度も変わる。 あたしはあわてて、車に通じるマイクのスイッチを入れる。 「ナル」 『どうした?』 「ビデオの画面が白黒になっちゃったの」 『心配ない。暗くなったんで、暗視カメラに切り替わったんだ。ようすは?』 「ジョンがお祓《はら》いを始めるって……あ、現れた」 教室に古めかしい服(あれが神父さんの制服だろうか)に着替えてキラキラした布をかけたジョンが現れる。金髪がはえて荘厳《そうごん》な印象。 彼は部屋に入ると、水の入ったびんを取り出す。指をひたし、水で柱に十字架を記す。 あちこちの壁や柱に十字を書き終わると、彼は教壇に小さな祭壇を設ける。銀色の燭台《しょくだい》。銀色のキリスト像。 ロウソクに火を点《とも》すと、あたりが明るくなる。ジョンは指を組んで頭を垂《た》れる。 かすかな声がスピーカーから流れてくる。 『天にましますわれらの父よ。 ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国をきたらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさしめたまえ。われらの日用の糧《かて》を、今日も与えたまえ。われらに罪をおかす者を、われらがゆるすごとく、われらの罪もゆるしたまえ。われらをこころみにあわせず、悪より救いだしたまえ。国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン』 ジョンは、水をまく。 あれが聖水というものだろうか。 そして聖書を広げる。 『主よ、なんじはいにしえより、世々《よよ》われらの住《す》み家《か》にてましませり……』 画面に変化はない。どこも異常があるとは思えない。 『山いまだなりいでず、なんじいまだ地と世界とを造りたまわざりしとき、永遠よりとこしえまで、なんじは神なり』 画面のようすに眼をやっていたぼーさんが立ちあがった。 「俺《おれ》も商売にかかるかな」 「そうね、アタシも」 巫女《みこ》さんまでが立ちあがる。 ……どっかに行っちゃうのぉ? 「黒田さんは? ここにいるよね」 「あなたが心細いならいてあげてもいいわ」 「いてくれる……?」 ああ、情けない。だけど、こわいもんはこわいんだもん。しょうがないよね。
3
あたりは本格的に暗くなってきた。 実験室の中の明かりは、TVからもれる光だけ。TVがいくつもあるせいで、かなり明るいのだけど、なんだか奇妙な明るさ。 一階西の廊下《ろうか》の映像に、ぼーさんが現れた。こいつも坊主《ぼうず》の制服に着替えている。なにやら荷物を手に持って、いちばん西の教室に行く。 その真上の教室、二階の西奥の部屋ではジョンの祈祷《きとう》が続いている。 彼は祭壇の銀色の器から白い砂のようなものをつかみ出す。それを床にまく。塩だろうか。 『初めに言《ことば》があった。言は神と共にあった。言は神であった……』 ふと、ジョンが視線をさまよわす。言葉が一瞬とぎれる。 ……なに? スピーカのボリュームをあげる。 ジョンの言葉の合間に、何かが折れるような音がはっきり入る。 「ラップ音じゃない?」 黒田女史が身を乗り出す。 『……この言《ことば》は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった……』 なにかが起こっている? あたしは画面の中をのぞきこむ。 なにか……。 『……言の内に命があった。命は人間を照らす光であった……』 ジョンが何度も天井《てんじょう》に視線を投げる。 『光は暗闇《くらやみ》の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった……』 天井……。 「あ!」 あたしは思わず立ちあがる。 教室の天井。西の端。ベニヤ板をはった壁のあたり。ちょうど真砂子が落ちた裂け目の、その真上のあたり。 天井が内側にたわんでいる……。 何かが天井《てんじょう》を突き破って、落ちてきそうだ。 いけない! あたしはイスを蹴《け》った。 「谷山さん!?」 女史の声を背に、実験室を駆け出す。 西の教室の近くまで来ると、廊下《ろうか》からも教室の中で激しい音がしているのが聞こえた。 「ジョン、ジョンっ!」 教室のドアを開けると、驚いたようにジョンが振りかえる。 「麻衣さん……」 「ジョン、あぶないよ、出て!」 「え!?」 あたしがたわんだ天井を指さす暇さえなかった。 板が裂ける嫌《いや》な音。地響きと激しく物が降ってくる音。ドッと土ぼこりがあがり、床が揺《ゆ》れる。燭台《しょくだい》が倒れて明かりが消えた。あたりは真っ暗になった――。
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懐中電灯の明かりが交錯する。 教室の西側を埋めたガレキの山。板キレ、角材、砕《くだ》けた瓦《かわら》。 ……西側の屋根が落ちたのだ。 「麻衣さんが声をかけてくれへんかったら、ボクは危なかったです」 少し震《ふる》えるジョンの声。 ナルが折れた角材の一つを手に取る。 じっと見入る。 「ここは危険だ、下に降りよう」 ぼーさんの声も緊張している。 巫女《みこ》さんは寒いのか自分の肩を抱く。 「……アタシ、今日はもう帰るわ」 「いくじがないのね」 黒田女史のわらい。巫女さんはかまわない。 「命あってのモノダネよ。 真砂子だって、落ちる場所が悪かったらヤバかったわ。ジョンもそう。 アタシはリコウだから引きぎわを知ってるの」 「怖気《おじけ》ついたわけね?」 「なんとでも言って。とにかく今夜は引くわ。続きは明日にする」 ……そんなぁ。 「そのほうがいいかもしれないな」 つぶやいたのはナルだ。 「おいおい、ナルちゃん」 ぼーさんのあきれた声。 「おまえさんまで臆病風《おくびょうかぜ》か?」 「なんとでも。ここは巫女《みこ》さんの意見が正しい。……麻衣、帰っていいぞ」 「ホント?」 あら、我ながら声がわらってるわ。 「本当。君も……」 手にしていた角材を放り出して、ナルは黒田女史を振りかえる。 「黒田さんも今日は帰ったほうがいいね」 「おいおい。女じゃあるまいし……」 なおも言うぼーさんを、ナルは視線でとどめる。 「いちおう忠告しておくが、ぼーさんも今夜は引いたほうがいいと思うけど?」 ジョンがため息をつく。 「ボクは……ご忠告かに従って、今日のとこは帰らせてもらいますです」 「それがいいね」 ぼーさんが軽く舌打ちをした。 「しょーがねぇな。今夜は帰るか」 あ、自分だけ残るの、こわいんだ。ふふん。 ぼーさんの言葉に促されて、あたしたちはドヤドヤと教室を出る。 階段を降りて玄関に出たところでナルが手をあげた。 「じゃあ」 「ナルは? 帰らないの?」 「少し調べたいことがあるから」 ……残るの? ……勇気あるなぁ。 あたしたちはナルに見送られて旧校舎をあとにした。
六章 風雨弱まるも波高し
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翌朝、起きるやいなや、学校に向かった。 ナルはだいじょうぶだろうか。 なんとなく気になるよねー。旧校舎に一人で残って。あのあと、屋根がまた落ちたりして……それとも……。 まー、にくまれっ子世にはばかる、とは言うけどさ。
旧校舎に入るとまっすぐ実験室に向かう。 ナルはいない。……いないだけじゃない。 機材は半分残してかたづけられている。残った機械もほとんどが動いていない。 どういうこと? あたしは外に飛び出す。 実験室でなかったら車だろう。 旧校舎をまわりこんで裏手に出ると、グレーのワゴンがあいかわらずの場所にとまっていた。 中をのぞきこむと、機械にもたれるようにしてナルが眠っていた。 あたしは窓を叩《たた》いた。 「ナル!」 彼がかすかにまばたきして眼を開ける。すこしボーッとしてから、あたしのほうをふりあおいだ。 ……こいつ、本当に顔いいな。 半分寝トボケた顔が鑑賞に堪《た》えるというのは、めったにないことだ。 「……麻衣《まい》か」 「おはよ」 「おはよ、じゃない。なんだ、こんな朝っぱらから」 うー、ひとが心配して来てやったのにぃ。 「朝っぱらって、もう十一時すぎたよ」 「まだ昼前じゃないか……」 まだ昼前、って、おまえ、どんな生活してんだ? 「コーヒー、いれてきたけど、飲む?」 「……めずしらく気がきくな」 素直にありがとうと言えないのかねぇ。 いいけど。もう慣《な》れたから。 あたしは持って来たポットからコーヒーをカップに注ぐ。それを差し出して、 「ゆうべ、何かわかった?」 「ああ」 ……え? あたしはどうやら、何も期待してなかったらしい。自分で聞いておきながら驚いてしまった。 「ああ、って……何かわかったの?」 「うん」 ナルは無表情。 問いつめようと思った矢先、ナルを呼ぶ声が聞こえた。 霊能者の集団のお着きだ。
2
真っ先にぼーさんが、 「おい、どーしたんだ」 「なにが?」 「実験室の機材!」 巫女《みこ》さんはあくまでもいじわるっぽい。 「もう帰る準備?」 答えるナルの声のそっけなさ。 「そう」 「……冗談でしょ?」 巫女さん、驚いてら。だろうなー。 「本気だから、かたづけたんだけど?」 しんとみんなが、おしだまってしまう。 次の瞬間、いっせいに騒《さわ》ぎ始めた。 ナルが頭をかかえる。 「たのむから、起きぬけに騒がないでくれ……。 さっき寝たところなんだ。 げ。徹夜かぁ? ぼーさんがナルの顔をのぞきこむ。 「……帰るって、なんで?」 「事件は解決したと判断したから」 「除霊したのか?」 「してない」 はぁ!? ナルは眠そうに手近にあった書類を引き寄せる。それをぼーさんに差し出した。 「なんだ?」 「旧校舎は、昨夜一晩で、最大〇・二インチ以上沈んでる」 「なにぃ!?」 ぼーさんがグラフをひったくった。 じっと眼を落としてから、きまりわるげに瞬《まばた》きして、 「……見てもわからねーよなー、やっぱり」 巫女《みこ》さんが口をはさむ。 「どういうことよ、それ」 「だから、建物が沈んでいるんだ。 地盤沈下」 「じゃあ、なに? あの怪現象の原因は、それだって言うの!?」 ナルは答えるかわりに、書類の山から紙を引っ張り出す。 「古地図。地図、地図……。地層図、水脈図」 言いながら、足元に放り出す。 「なに?」 「見ればわかる」 あたしたちはそれをのぞきこむ。 「地図だね……」 「地図だな」 うー、わかんないよぉ! ナルはやっと眼が覚めたふぜいだ。 軽くのびをして、 「ここはもともと湿地なんだ。 それを埋《う》め立てて、このあたり一帯の土地はできた。それだけでなく……井戸の印からするに、この学校の真下をかなり大きな水脈が通っているらしい」 全員が地図をのぞきこむ。地図の上に、ナルがつけたらしい赤い印が無数に入っている。 「その印のついた井戸のうち、二つが今も残っていた。神社にあったんだけど。 推量の確認をしたら、二つともほとんど枯《か》れかけていた。 そういうこと」 「はぁ?」 「だから、ここはもともと地盤が弱いんだ。湿地を埋め立てた場所だから。そこに地下水脈。しかも水量が減って枯れかけている。 そのせいで起こった地盤沈下。それもかなり激しい勢いで沈みつつある。 とくに激しいのが……」 ナルは旧校舎の見取図を出す。青く塗《ぬ》った取り壊《こわ》された部分を指して、「このあたり。 建物の一方が急速に沈んでいるので、あちこちにねじれやひずみができている。 校長は旧校舎を取り壊したいらしいが、あわてる必要はないんだ。校舎が倒壊するのも時間の問題」 しんとした間《ま》。 ぼーさんがガックリと肩を落とした。 「なんてこった。 それじゃあ、イスが動いたり、屋根が落ちたのはそのせいってわけか?」 「そうだね。 水準器を置いてみたら、あの教室は西側の床が東側より三インチも低かった」 「三インチ……七センチ半ってとこか……。とんでもねぇ」 巫女《みこ》さんが不満げな声をあげる。 「でも、ラップ音が……」 言いかけてから、 「まさか?」 ナルがうなずく。 「ラップ音じゃないだろうね。 柱か梁《はり》か……実際に建物がひずんでる音だろう」 「……冗談じゃないわ。それじゃ、アタシたち、すごく危険な場所にいたことになるんじゃない?」 「みたいだな」 「それ、キケンやでです。 校長先生にゆうて、立ち入り禁止にしてもろたほうがいいのんとちゃうんかいです」 ガクッとぼーさんがコケた。 「ジョン! たのむから、大阪弁にデスをつけるのはやめてくれっ!」 「もうしわけ、おまへん……」 いじめんなよー、ジョンのせいじゃないんだからー。教えたやつが悪いんだ。 「ジョンの言うとおりだ」 ナルは、あくまでもクールな声。 「校長に言って、旧校舎の付近は立ち入り禁止にしてもらったほうがいい。 あの建物は、遠からず倒壊するだろう」
3
午後、あたしとナルとで機材のあとかたづけをしていたら、黒田女史がやってきた。 「……どうしたの?」 女史は、かたづけられた実験室の中を見るなり声をあげた。 あたしは事情を説明する。 この建物は、地盤沈下のせいでひずんでいること。ラップ音もポルターガイストも、そのせいだということ。 「でも、……じゃあ、あたしが襲われたのはどうなるの?」 女史はナルを見つめる。 そーいや、あったな、そういうことが。あれ? あれはどうなるの? ナルはそっけなく答える。 「……たぶん、君についてきた浮遊霊のしわざだろうね」 「……そんな」 浮遊霊。へえぇ。そうか。 「で、もう帰るんですか?」 「仕事は終わったからね。今日中に報告書を作成して終わり」 ……終わり。 そっかー。ナルはゴースト・ハンターだっけ。旧校舎の調査に来たんだよね。つまり、調査が終われば帰る。もう会うこともない。 ははは。恵子たちはガッカリするだろうが、あたしはうれしいぞ。こんなヤツと縁が切れて。うれしいなー……。 …………? 「あたし、霊はいると思うけどな」 黒田女史がしつこく言った。 「いない」 「ずいぶん自信があるのね。 そりゃ、地盤沈下は起こってるかもしれないけど、霊だってやっぱりいるのかもしれないじゃない」 女史はどうしても、霊がいることにしたいらしい。 「いない。調査の結果も、完全にシロたと出ている」 「あなたには、わからないだけかもしれないでしょ」 「黒田さん」 出た。ナルの冷たい眼。 「では、あなたが除霊すればいい。 僕《ぼく》は自分の仕事が終わったと判断したし、だから帰るだけだ」 黒田女史はひるむ。眼をふせて顔をそむけた。 あたしはつぶやく。 「残念だな」 「僕《ぼく》が帰るのが?」 ……だれがそんなことを言っておるっ! 「ナルシスト! なんであたしが、あんたがいないのが残念なのよ! 冗談じゃないって! あたしはね、ただ……!」 「どならなくてもいいと思うが」 「……あたしはただ、夢が消えた気がするの」 「はぁ?」 「だから、学校の片隅《かたすみ》に古い旧校舎があって、いかにもそれが何かありそうで、幽霊が出るなんてウワサがあって……。そういうのって、一種のロマンじゃない?」「そのわりには、おびえてなかったか?」 「……それと、これとは話が別。 こわいから、楽しいって心理もあるじゃない? それがさー、地盤沈下のせいでした、なんて、ロマンも何もないじゃない。せめて、地縛霊《じばくれい》がいたけど退治されました、って言うんだったらいいけどさ。 これで旧校舎が取り壊《こわ》されて、ピカピカの体育館なんか建って、ウワサも消えて、……なんかさびしいよ。 本当に人が死んだりするのは困るけど、無害な怪談ならあったほうがいいな」 「……そんなものかな」 「そんなもんよ」 しかしそのときだった。 ピシ……! 鋭《するど》い音がする。はっと振りかえったあたしたちの眼の前で、実験室の窓ガラスにヒビが入った。 「麻衣! 外へ出ろ!」 「うんっ!」 建物が壊れる!? とっさに足が動かない。 見ている眼の前でヒビが、ガラスというガラスに伝染し、真っ白に曇《くも》ったかと思うと外に向かってはじけた。 同時に壁がゆがむ音がする。 ゆがむ音……? ……ちがう、そんな感じじゃない、これは……誰《だれ》かが壁を叩《たた》いている音だ……。 でも誰が!? こんな大きい音で!? 「なにごと!?」 校舎の中を見てまわっていた、巫女《みこ》さんが実験室に飛びこんできた。 「……倒壊する……?」 初めて聞く、ナルの自信なさそうな声。 誰《だれ》かが激しく壁を叩《たた》く。西から、東から。その度に床がかすかに揺《ゆ》れ、天井《てんじょう》からホコリが落ちてくる。 「ちょっと、これ叩いている音じゃないの?」 巫女さんの声にナルは答えない。 バンッ! 突然、実験室のドアが閉まった。おそろしい勢い。はずみでドアにはまったガラスが砕《くだ》ける。 閉まったかと思うとふたたび開く。 誰も手を触《ふ》れている者はいない。 勝手に開いたり閉まったりするドア。その衝撃で廊下《ろうか》側の窓ガラスにも亀裂がはしる。 何度めかにドアが閉まったとき、激しい音をたててガラスが砕けた。窓際《まどぎわ》にいた黒田女史がモロに破片をかぶる。 女史の悲鳴。 建物のどこからか、ぼーさんとジョンの声。 ナルがあたしの腕をつかんで駆《か》け出す。倒れた女史を引きずるようにして助け起こす。廊下《ろうか》側の窓を開けて、外に押し出す。巫女《みこ》さんを振りかえって、 「外に出ろ!」 「窓から!?」 うろたえた声。 「そんなことを言ってる場合か!」 あたしは窓を越える。ドアはすごい勢いで閉じたり開いたりして、使いものにはならない。 ナルが巫女さんを押す。 「ちょっと、やめてよ!」 かまわずに窓に追いつめる。あたしのほうを見て、 「走れ! この建物はもろいんだ!?」 ……ゆがんだ古い校舎。突然の大騒《さわ》ぎ。壁を叩き、ドアを乱暴に開け閉めする誰か。その衝撃。 ただでさえもろい建物が、もしやこれで……。 あたしは、窓を越えてきた黒田女史の手をつかんで走った。外へ。 建物の外へ。
4
あたしたちが、こけつまろびつしながら玄関から外に飛び出し、前後してぼーさんとジョンが駆《か》け出してきて、それからしばらくして建物は静かになった。 あたしたちは、呆然《ぼうぜん》と旧校舎を見あげる。 音がやんで、やっとお互い顔を見合す余裕ができる。 痛みに気づいて自分の手を見ると、てのひらに小さな切り傷ができていた。窓を越えるときに切ったんだな。 女史は? 女史はモロに破片をかぶった。そう思って振り向く。女史はあちこちにキズだらけだった。 「だいじょうぶ?」 女史の髪の間で、ガラスの細かい破片がキラキラ光っている。あたしはハンカチを出して、それをはらってやった。 「動いちゃダメだよ。服の中に破片は入ってない?」 女史がぼんやりとうなずく。 巫女《みこ》さんもハンカチを出して、女史の血をぬぐってくれる。 ぼーさんがナルを振りかえった。 「……今のは何だ?」 ナルの答えはない。じっと旧校舎を見あげている。 「今のも地盤沈下のせいなのか?」 「さあ……」 ナルのつぶやき。 「どこが!? りっぱなポルターガイストじゃねえか!」 無言のナル。手が真っ赤だ。あたしたちを外に出してくれるのに、かなり切ったみたいだ。 「ナル……手」 「え?」 言って自分の手を見て、やっとケガに気づく。 「だいじょうぶだ、たいしたことはない」 巫女さんは、女史の服についたガラスの破片をはらってやって、ナルに向き直る。 「建物が沈んだりゆがんだりで、あんなことが起こる? あれ、そんな音じゃなかったわよ。ぜったい、誰《だれ》かが壁を叩《たた》いている音だったわ」 ぼーさんがわらう。 「それにしちゃ、ハデすぎたがね。 巨人でもいたんじゃねぇのか? 途方《とほう》もなく大きな手で叩《たた》いてるカンジだったぜ」 「そうよね」 お、こいつら、ナルをいじめる段になって結託《けったく》したなっ。 巫女さんが、これみよがしにホコリを払って、 「馬鹿馬鹿《ばかばか》し。もうすこしで子供の冗談にひっかかるとこだったわ」 「……まぁ許してやれよ。しかたないさ。年が年なんだから」 ナルは無言。黙って旧校舎を見あげている。無表情、でも少しだけ眉《まゆ》が厳しい。 「さあ、仕事をしよっと」 「そうだな、俺《おれ》たちだけでも、しっかりしないとな」 イ……イヤミなやつらっ。 いつもケンカばっかりしてるくせに、こんなときだけなれ合いやがって。 ふたりは高笑いしながら旧校舎に消える。ジョンは無言で黒田女史の手当てを始めた。「ナル?」 「ん?」 気のない声。振り向いてもくれない。 「手当てしないと……」 どこか血管を切ったんだ。左の手のひらから糸をひく赤いもの。指先からしたたって、地面に黒い血だまりをつくる。 「だいじょうぶだ。すぐに乾く」 「でも……」 言いかけたけど、次の言葉が出てこない。 振りかえりもしないナル。そっけない言葉と無表情。 「あのさ……」 「黒田さんの手当てをしてやれ」 「でも」 「今は放っておいてくれたほうがありがたい。 自己嫌悪《けんお》で吐《は》き気がしそうだ」 ……うん。 あんたって……本当にプライド高いなぁ。
5
手当てがすんで、黒田女史を家に帰す。彼女を見送って振りかえると、ナルがいつのまにか消えていた。 「ナルを知らない?」 旧校舎の玄関から中に声をかげる。 巫女《みこ》さんとぼーさんは、実験室の中を見まわしていた。ふたりがこっちを向く。 「来てないぜ、いないのか?」 「うん……どこに行ったんだろ」 巫女さんがわらう。 「けっこうかわいいとこあるじゃない。 恥ずかしくて逃げ出すなんて」 ……ナルは逃げ出したりしないぞ。 ぼーさんまでがわらう。 「言えてる。子供らしくていいじゃねぇか」 ……こいつらはーっ。 「やっぱり付喪神《つくもがみ》ね。 今度こそ祓《はら》い落としてやるわ」 意気ごむ巫女《みこ》さんに、ぼーさんが、 「おっと。おまえはリタイアしたんだ。そうだろう?」 「ちょっとミスっただけじゃない」 「力量不足さ。次は俺《おれ》の番だ。 見てな、女子供との力の差を見せてやるよ」 ……けっこうな性格。なんだ、おまえは。今まで何もしなくて、みんながイロイロやってるのに難くせつけるだけで。それでなにか? ――おんな子供との力の差、だって?
ぼーさんは、本格的に除霊する気になったらしい。黒染めの衣に着替えて、実験室に祭壇をしつらえる。 「見物しないの?」 巫女さんの声をあたしは無視する。無視してナルの置いていった機材をまとめる。 ジョンが手伝ってくれながら、 「よろしいのんですか、かたづけてしもうて」 「いいの。必要ならまた運べばいいんだから。 それより、ここ、いつ壊《こわ》れるかわからないから」 巫女さんがわらった。 「ボウヤの地盤沈下説をまだ信じてるの?」 あたしは思わず巫女さんをにらみつける。 「ちがうって、証拠でもあるわけ? わらうんだったら、悪霊がいるって証明を見せなよ」 巫女さんは一瞬けおされたように瞬《まばた》きしてから、口元をゆがめる。 「……ずいぶん肩をもつじゃない?」 「いちおう、あたしのボスだからね」 ……代理とは言え、あたしはナルの助手なんだから。 あたしはカメラを抱えて立ちあがった。外へ運びだす。 ぼーさんは儀式を始めたようだ。後ろから声が追いかけてくる。 「オン、スンバ、ニスンバ、ウン、バザラ、ウン、ハッタ」 ふん、そんなわけのわからない呪文《じゅもん》で、旧校舎の悪霊がやっつけられるもんか。 「ジャク、ウン、バン、コク」 ……ナルはどこへ行ったんだろう? 結局、機材を運び終わって、車で待っていたけどナルは帰ってこなかった。 陽《ひ》が落ちる。 あのあと、巫女《みこ》さんがもう一度お祓《はら》いをしたようだ。ぼーさんも巫女さんも、今夜は泊まりこむらしい。 完全に陽《ひ》が落ちる。あたりは薄暗くなった。 どうしよう。帰ろうか。それとも、ナルの帰りを待とうか。 どうしよう。 さんざん考えたあと、あたしはナルを待つことに決めた。別にナルが心配なわけじゃない。でも、こんな高価な機材を放りっぱなしにはしておけないじゃない。 よしっ! 待つぞっ!
七章 洪水高潮警報
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いったん家に帰ってから、あたしはジョンに手伝ってもらって、テープレコーダーとマイクを旧校舎にセットした。 本当はカメラを置たかったんだけど、あたしではやり方がわからない。結局あきらめて、二十四時間録音可能というレコーダーを使うことにした。二階と一階の西の部屋、女史が襲われたという二階の階段をあがってすぐの廊下《ろうか》、それから実験室にレコーダーをすえる。 ぼーさんと巫女《みこ》さんは、時折思いだしたように校舎の中を見てまわった。 ……ナルは今夜、帰ってこないつもりなんだろうか。 そう思って一階の階段にすわっていたとき、玄関のところに人影が見えた。 「ナル?」 人影が入ってくる。女のコ。黒田女史だ。 「黒田さん……」 女史はあたりを見まわす。 「どう?」 「黒田さんが帰ったあとに、ぼーさんと巫女《みこ》さんがお祓《はら》いをしたよ。 今、二人が見まわりにまわってる」 「……ふうん。ナルは?」 「いない。どっかに行っちゃった」 「……そう」 「ねぇ」 あたしは身を乗り出す。 「黒田さん、ここに霊がいるって行ってたよね。それ、どういう霊だかわかる?」 女史は首をかしげた。 「あたしは、ここでケガをした霊をたくさん見たけど?」 「……そう言ってたっけ。 なんか手がかりがないかなぁ」 手がかりさえあれば。 あたしは考えこむ。 イヤなウワサのある旧校舎。ウワサはウワサでしかない。あたしには霊能力はない。ここで死んだ人たちの霊が、今もさまよっているのか、確かめようがない。 「どうしたの?」 黒田女史があたしをのぞきこむ。 「うん。本当に悪霊がいるのかな、と思って」 「あたしは見たのよ」 「……そう。そうだね……」 ちぇ、わからないや。あたしでは。 考えこんでいたら、巫女さんが階段を降りてきた。 「あら」 巫女さんは女史の姿を見て眉《まゆ》をしかめる。 「子供の遊ぶ時間じゃないわよ」 「……除霊できそう?」 「あなたに何か関係あるの?」 巫女さんは冷たい。 「ナルが……あたしはこの建物と波長が合うんだろうって」 「それが? ナルの言葉が信用できると思う?」 ……失礼なやつっ。 巫女《みこ》さんはあたしと黒田女史を見比べて、 「除霊は終わったの。 念のために残ってるけどね。成功したのはわかってるのよ。手ごたえがあったもの。 子供はさっさと家に帰って寝れば?」 「前にもそう言って、失敗したね」 あたしは言ってやった。 ムッとする巫女さん。 「今度はだいじょうぶよ。現にもう、何の動きもないわ」 「ふうん?」 ……勝手に言ってろ、ばぁか。 「まだ除霊できてないわ」 言ったのは黒田女史だ。 「へぇ? なぜ?」 巫女さんの眼つきが険しくなる。 「感じるもの。まだ霊がたくさんいる……」 巫女さんがわらう。 「また霊感ゴッコ? 多少霊感があるからって、いい気にならないほうがいいんじゃない? こっちはプロなんだからね」 「プロと言うわりには、たいしたことはできてないじゃない?」 にらみ合う二人。ちょうどそこへ、廊下《ろうか》の奥からぼーさんとジョンがやってくる。巫女さんと黒田女史を見比べて、顔を見合わせた。
2
ぼーさんは、黒田女史の「除霊できていない」という発言を聞いてわらう。 「綾子はともかく、俺《おれ》がやったんだから、まちがいない。もう霊はいないぜ」 「ちょっと、その『綾子はともかく』ってなによ」 「本当のことだろうが」 「ひとの手柄を横取りしないでよね」 「そんな必要はない」 ……また始めやがった。あんたらの協力はナルをいじめるときだけか? ぼーさんと巫女《みこ》さんは、ハデに口ゲンカを始める。ウンザリしてそっぽを向いたら、ジョンが天井《てんじょう》を見つめているのに気がついた。 つられてあたしも天井を見あげる。 ん……? なんだろう。足音? 二階から足音が聞こえる……。 あたしたちのようすに気がついたのか、巫女さんとぼーさんが天井を見あげる。 パタパタパタ……。 誰《だれ》かが走っている音。右へ、左へ。 ぼーさんが立ちあがった。 「なんの音だ……?」 「誰かが走ってるみたいな音ね……」 巫女さんは言って、全員を見渡す。 誰も欠けていない。ナルは初めからいない。では、あの足音は……? 足音が階段のほうへ近づいてくる。いつのまにか全員が腰を浮かしている。 階段は半分上がったところが踊り場になっていて、そこから反対に折れ曲がってさらに上がるようになっている。あたしたちがいる階段の下からは、階段の半分しか見えない。あとの半分は手すりが見えるだけ。 パタパタという足音が、階段の上に来た。階段にかかる。あたしたちの真上。足音は乱暴に階段を降りてきた。一段、二段、三段……。階段を半分降りる。踊り場にさしかかる。姿が見えるばすだ。姿が……。 全員が固唾《かたず》を飲むなか、足音は途絶《とだ》えた。 パタと消えてそのまま。あとはコソとも音がしない。 ぼーさんがダッと立ちあがって階段を駆《か》け上がった。踊り場が見えるあたりまで駆け上がって、それから首を振りながら降りて来る。 あたしは聞く。 「誰《だれ》かいた?」 「……いや」 「じゃあ、今の足音は何?」 「気のせいだろう」 「気のせい? あれが? あたし、ちゃんと聞いたわよ」 「…………」 「除霊に成功したんじゃなかったの? プロなんでしょ? おんな子供とはちがうんでしょ? だったら今のは何なんのよ!?」 巫女さんがあたしをにらむ。 「風の音よ」 てめえっ。ナルがそんなくだらない、いいわけをしたか? あんたらがさんざん言いたい放題言って、そのとき、ナルがひとことでも言いのがれをしたかっ! 胸がムカつく。あたしはぽーさんと巫女《みこ》さんを力いっぱいにらんだ。ふたりがそっぽを向く。 そのとき、二階からドアが開いたり閉まったりする音がし始めた。 バン! ドンッ! 建物を揺《ゆ》るがすような激しい音。 そして激しいノックの音。乱暴な足音。まるで大勢の人間が大暴れしているようだった。校舎中を駆けぬけ、すべてのドアを乱暴に開けて閉める。 その振動で床が揺れた。 突然、あたしたちの頭上で形だけ残っていた蛍光灯《けいこうとう》がはじけた。細かい破片が降ってくる。あわててその場を立って、あたしたちは逃げる。玄関へ廊下《ろうか》へちりぢりになったとき、今度は玄関に乱立した靴《くつ》箱がガタガタと揺れ出した。身震《みぶる》いするように揺れて、ひび割れた音をたてる。 あたしは思わず、靴箱を押さえる。何でそんなことをしたのかわからない。倒れると思ったのだろうか。 靴《くつ》箱を押さえて、それが暖かいのに気づいた。ぬるま湯ぐらいの温度。 ……ナルはなんて言った? ポルターガイストが動かしたものは、温度が……。 あたしの手の中で靴箱がもがく。それはそういう感じだった。暴《あば》れるように揺《ゆ》れが激しくなったかと思うと、あたしのほうに倒れかかってきた。とっさに手でささえる。ささえきれずにしたたかに体を打つ。 ガクッと体を押し倒されて、思わず悲鳴が喉《のど》をついた。 ……それからあとは、覚えていない……。
3
頭がズキズキする。 涼《すず》しい風が顔にあたる。……気持ちいいなぁ。そう思ったところで眼が覚めた。 あたしはポカッと眼を開ける。 暗い狭い場所。闇《やみ》に眼が慣れると、それがナルの車の中なのがわかった。 車だ……。動いている? ハッと気がついて身を起こそうとすると、全身に力が入らない。 ……えーと。 そっか、あたしは靴箱の直撃を受けたんだ。うーむ、これはあたしがけがをさせた助手さんのタタリだろーか。……なんてね。 周囲に眼をやる。人の気配はない。運転席にも誰《だれ》もいない。 でも、動いてない、この車? いや……ちがう、これはめまいなんだ。 へんなの、寝てるのに、めまい。 車に酔ったときみたいだ。頭が痛くてグラグラするよぉ。 ……だれが運んでくれたんだろう。ひとりでいると心細いなぁ。そう思ってがんばって起きあがろうとしたら、ムッと吐《は》き気がして、あたしはあわてて横になった。 変だな……あたし、けがでもしてるんだろうか。 足音、騒音、暖かかった靴箱。 あれからどうなったんだろう。あたしは、どれくらい寝てたんだろう。みんなは……? …………。 ああ、だめだ、すごく眠い。 眼が勝手に閉じちゃうよ……。 トロトロしかけてハッと目覚める。 いかん、あたし、やっぱりどっかおかしいみたい。けがでもしたのかな。力が入らない。 気があせってくる。 起きなきゃ。誰《だれ》かを呼ばなきゃ。みんなはどうしているんだろう。物音しない夜。近くには誰もいない。人の気配はない。他にけが人はいなかったのだろうか。 ムリにも起きようとして体を持ちあげたとき、白い手があたしの額《ひたい》に触《ふ》れた。 「だれ……」 自分の声の力のなさ。視線を手にそって動かす。闇《やみ》の中にほのかに白い顔。 「ナル……?」 ……もどって来たの? よかった。 ナルの静かな声。 「動いちゃ、ダメだ」 言って微笑《ほほえ》む。あたしは少し驚いた。ナルにこんな笑顔ができるとは思わなかった。 暖かい笑顔。 「いつも、そんなふうに笑ってればいいのに」 思わず言葉にしてしまう。ああ、あたし、やっぱりどこかおかしいらしい。でもナルは、首をかしげてわらっただけだった。 あたしは聞く。 「近くに誰《だれ》かいる?」 「いない」 静かな声。 「……そっか」 ……眠い……。 「あのね、残念だけど、やっぱりポルターガイストみたい……。残念だね……」 ナルは首を振る。 「それよりお休み。まだ起きるのはムリだよ」 「ん……」 ……ナルはどうしちゃったんだろう。えらく優しい……。 「……アリガトね」 ナルは首を振って微笑《ほほえ》んだ……。
……眼が覚めた。 あたりを見まわす。車の中。月の光。かすかに見てとれる。棚《たな》に詰めこまれた機材。 頭がズキズキする。 硬い床の上で寝てたので、ついでに背中も痛い。 ……ナル? そう言えばナルは? ナルはいなかった。どこに行ったのかな。 ……それとも……夢だったのかなー。 えーと。 あたしは寝転《ねころ》がったまま車の中を見まわす。機材だらけの後部席。どう考えてもあたしが寝ていて、なおかつ、人がいられるだけのスペースはありそうにない。 おやぁ??? 考えこんでいたとき、頭上から声が降ってきた。ほーさんが車の窓からのぞきこんでいる。 「おいっ! 嬢ちゃん、だいじょうぶかっ!?」
4
幸か不幸か、ケガをしたのはあたしだけだった。 将棋《将棋》倒しになった靴《くつ》箱の下敷きになったのだ。靴箱の下から掘り起こされてみると、完全に意識がなかった。呼べど叩《たた》けど、眼を覚まさない。巫女さんに至っては、あたしが死んだと思ったらしい。 ひとを勝手に殺すんじゃない、と怒鳴《どな》つけてやりたい気分だ。だけど巫女さん、あたしが気絶してるだけだと知って、よかった、と泣いてたらしいので、特別に許す。 みんなは車の前に集まっている。夜風が冷たい。 「今……何時?」 「四時。もうすぐ夜が明けるな」 ……すると、あたしは相当に長いこと眠っていたんだ……。 「ナルは? もどった?」 「いや」 うーん、やっぱり夢であったか。 ……なんであんな夢を見たのかなぁ? ジョンがしみじみ言う。 「それでも、麻衣《まい》さん、大きなけがやなくてよかったでんなです」 「ゴメンネ」 「ごっついポルターガイストです。 あんなえらいのを見るのは、ボク、初めてでっせ」 「あれから何かあった?」 ぼーさんは肩をすくめる。 「あれきり、何も。祈祷《きとう》をしても反応なし」 「ふうん……。あれ? 黒田女史は?」 「とっくに帰った」 「そっか」 巫女《みこ》さんがつぶやく。 「でも、ちょっとヤバい感じね。 除霊もいっこうに、効《き》き目ないみたいだし……」 「へぇ、除霊の失敗を認めるの?」 あたしが言うと、巫女さんがツンとそっぽを向く。 へっへっへっ。 そのまま皮肉っぽい、きこえよがしのつぶやき。 「ナルはどっかに行ったまま帰ってこないし、その助手はお荷物。エクソシストはたよりにならないし、ぼーさんは無能で……」 「おまえは?」 ぼーさんが鋭《するど》くつっこむ。 「……非力」 巫女さんがシブシブ言った。 「なんか、危険な気がするのよね。 あたしたち、自分の身の安全を考えるべきじゃない?」 「言えてるな」 「へぇ、巫女さんは逃げたいんだ」 あたしは巫女さんに言ってやる。 「……だから何よ」 負けない巫女さん。 「あんたのボスだって、案外、ガラスが割れたのを見て逃げたのかもよ? 今ごろ家で震《ふる》えてたりしてね?」 ……げ。 「……巫女さん、それ本気で言ってるの?」 ぼーさんが、いかにもおもしろそうに、 「へー、かばうじゃないか」 「かばうも何も……。エグい想像させないでくれる? ナルが逃げだして震えてる図なんて、あたしには想像つかないよぉ」 考えるだけでこわいぜ。 ぼーさんがわらう。 「それは、そうだな。でも今ごろ、ふとんをかぶって泣いてたりしてな。昼間、俺《おれ》たちがいじめたから」 やめてよぉ! 「もっと悪いよ、背筋が寒くなるような光景だぁ。 ふとんかぶって泣く!? あのとんでもなくえらそうで、信じられないくらい自信家の、天上天下唯我独尊《ゆいがどくそん》的ナルシストが?」 あたしが言うと、ぼーさんが眼をパチクリさせた。 「……それは言えてるな……」 「渋谷さんの場合」 と、ジョンまでが、 「怒って、ワラ人形でもつくってるゆうのんほうが似合ってますね」 小さく巫女《みこ》さんが吹き出して、思わず全員がつられて大笑いする。 東側に見える体育館の屋根の向こうが、かすかに白み始めた。
八章 警報解除
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ナルは結局、もどって来なかった。 あたしは、けなげで感心な少女だから、あのあと用意してあった制服に着替えて、ちゃんと授業に出席したのだった。 教室に入ると、真っ先に黒田女史に声をかけられた。 「谷山さん……だいじょうぶ?」 「うん。心配かけてゴメン」 言って、席につく。すわるなり、恵子たちにつかまった。 「ちょっと、麻衣《まい》、きのう大変だったんだって?」 「なんで知ってるのぉ?」 「黒田女史。さっきからずいぶん得意そうに言ってまわってるぜ」 ……あれあれ。 祐梨《ゆうり》がションボリつぶやく。 「霊感のあるひとはいいな……。あたしも協力できたらいいのに……」 よしな、あぶないから。 ミチルが、 「でもまー、いいわ。 渋谷さんの、うるわしのお声を拝聴できたしー」 恵子も相好《そうごう》ほ崩《くず》す。 「言えてるー。あたし、ビックリしちゃったー。突然、電話がかかってくるんだもん」 ……え? あたしは、ガバッと恵子のほうに身を乗り出す。 「何だって?」 「だからー、あたしたち三人に電話がかかってきたの」 「ナルが? いつ!?」 恵子がパチクリする。 「昨日の夜。あんた、知らなかったの?」 「知らない。ナルは昨日の午後から行方不明《ゆくえふめい》なの。電話って、どこから?」 「聞いてないよぉ、そんなこと」 「なんて言ってた?」 恵子たちは眼を見交わす。 ミチルが声をひそめて、 「いろいろ質問してったよ。旧校舎のこととか、あんたのこととか」 「あたし?」 「そ。あと、先生のこととかね、それから黒田女史のこと」 ……なんのことだぁ? ナルのやつ、行方をくらまして、いったい何をやってたんだ? キョトンとしてたとき、先生が入ってきた。 先生は顔を出すなり、 「黒田、谷山、校長が呼んでるぞ。 すぐに行くように」 ……はぁ!?
2
女史とあたしが校長室をノックする。 中にはいると、八人の人間が集まっていた。 その中にナルの顔。 ……こいつっ、こんなところにいたのか? しかし、校長の前のことゆえ、とりあえず、 「遅《おそ》くなりまして……」 とだけ挨拶《あいさつ》して、勧められたイスにかける。 なんだ、この集まりは? ナル、巫女《みこ》さん、ぼーさん、ジョン。そして校長、教頭、生活指導の先生。……おっとおまけに真砂子だぁ。 ナルが立ちあがる。 「とりあえず、今回の事件の関係者はこれだけですね?」 校長がうなずく。 ナルが全員に楽にするように言って、部屋の明かりを消した。カーテンを締め切った部屋。真っ暗になる。 「これから……ちょっとしたことにつきあっていただきます」 ナルがそう言うと、スイッチか何かを入れた。カチリと小さな音がする。それと同時に白い光が明滅し始める。 校長のデスクの上に置いたライトが、ストロボのように光っては消える。 「光に注目してください」 部屋に明滅する白い光。 ナルが静かに語る。 「光にあわせて息をしてください。ゆっくりと……肩の力をぬいて……」 不思議《ふしぎ》な気分。単調な光の明滅。ストロボに照らされる世界は、みょうに現実感を失って見える……。 「……自分の呼吸が聞こえますか」 静かに聞く。 「心の中で呼吸をかぞえてください……」 彼は言葉を重ねていく。 ……なんだか眠い……。ゆうべ、寝たりなかったのかなぁ。半分眠っているみたいな気分……。 ナルの静かな声が響く。どこからか、まるで沈んでくるように。 ――今夜……何かが起こります……。 ――それは旧校舎の二階にあったイスです……。イスが動きます……。 ――今夜は旧校舎……実験室の中にあります……。 実験室……イス。 …………。
「結構です」 パッと部屋の明かりがついた。 あたしたちはまぶしくて眼をしばたたいた。 「……え?」 「お時間をいただけて、ありがとうございました」 軽く頭を下げるナルの脇《わき》に古ボケたイスがある。 ……イス……。
校長室を出て、校舎を出て行こうとするナルを、あたしは呼び止めた。 「ナル!」 ナルが振り向く。深い闇《やみ》の色。あいかわらずの自信の色。 「昨日……あれから、どこへ行ってたの?」 「いろいろ。 ……けがをしたって?」 「ん。だいじょうぶ。アタマにコブができたくらい」 「そりゃ、御愁傷《ごしゅうしょう》様。 それ異常、馬鹿《ばか》にならなきゃいいけどな」 ……あのなー。 「ねえ、さっきのはなんだったの?」 ナルは答えない。そのかわりに、 「授業にもどらなくていいのか?」 「そんなもん!」 「……なるほど、馬鹿になるわけだ」 ……こいつー。 手をあげて立ち去ろうとする。あたしは、聞きたいことがもう一つあったのを思いだした。 「ナル!」 「なんだ?」 ウンザリした声。 「……つかぬことを聞くけど」 「無知」 まだ何も言ってないだろーがっ! これだもんなー。 「ゆうべさー、帰ってきた……よね?」 「旧校舎に?」 けげんな顔。 「……帰ってきてない?」 「さっきもどったところだけど?」 あやや。やっぱり夢だったか。 だよなー。ナルがあんなに優しいわけないよなー。 ナルは不思議《ふしぎ》そうな顔をする。あたしは手を振って追い払った。 夢だよなー、やっぱり。うんうん、そうか。 ……でも、なんであたしは、よりによってあんな夢を見たんだろーか? ……? ……まさか……。 ちょっと、まてよ、おいっ! あ、あたし、……もしかしてー!? うわー……。
3 放課後、旧校舎に行く まず、車のところに行ったら、ナルは車の中でゴソゴソしている。 車の窓からなるの顔が見えたとたん、心臓が小躍《こおど》りする。 うえぇ、どうしちゃったんだよー。 声をかけそびれてしまう。 いつもどおりに声をかけるんだ。ほらっ! 自分を鼓舞《こぶ》していると、ナルのほうがあたしに気づいた。深い色の瞳《ひとみ》があたしを振りかえる。 いかん……赤面してしまう。 ナルは車の中でテープを聞いていたらしい。あたしに気がつくと、ヘッドフォンをはずして、 「ゆうべ、レコーダーをセットしてくれたの、麻衣《まい》か?」 「うん……。ビデオのほうがよかったんだけど、わかんなくて」 「レコーダーでも、おまえにしちゃ上出来だ。 なかなかおもしろい音が入っている」 「ゆうべの、ポルターガイスト、録音されてた?」 「ちゃんと」 よかった。 「あ、そうだ、靴《くつ》箱ね……」 ん? というようにナルが振りかえる。こっちを見なくていいよー。 「あの……えっと……靴箱……暖かかったの」 「倒れたやつ?」 「うん。たしか、ポルターガイストの動かしたものは温度が上昇する……って言ってなかったっけ」 「よく覚えていたな。感心、感心」 わーい、ほめられた。……ちがうって。 ナルは立ちあがる。すごい量のコード類をあたしに差し出す。 「…………?」 「機材を置く」 はぁ!?
ちょうど通りかかったジョンまでこき使って、ナルはえらくゴツイ機械を運ぶ。 ジョンがかついでいるのは、暗視カメラだ。ナルがかついでいるのは、……初めて見る機械。 「ねぇー、どーしたのー?」 実験室の前に来ると、機材を降ろす。 あたしに三脚を組み立てるように言って、自分は中に入って行く。 ナルは部屋のすみからイスを引っ張り出す。古い壊《こわ》れかけたようなイス。 床の真ん中にそれを置いて、そのまわりにチョークで円を描く。 「それ、何?」 円の中のイス。何かのおマジナイだろーか。 それを終えるとさっさと出て行く。 もう一度車までもどって、ふたたび機械を運ぶ。結局、さらに二往復させられて、あたしはドッとつかれてしまった。 「ねぇ、何なのよぉー」 あたしはナルに聞く。ナルは無表情で暗視カメラの位置を決めている。 「ねぇー」 あたしを無視して廊下《ろうか》に置いた機械のほうへ。 ……なんだよー、こいつはよー。 なんだかたいそうな機械だ。ナルはややこしそうなその機械をせっせといじる。 「ねー、渋谷《しぶや》さまー、それはなにー? なにが起こってるのー、教えてよぉー」 彼はタメイキをつくと、壁にもたれて腕を組んだ。 「これはレーダー」 「レーダーって、あの飛行機とかについてる?」 「そう」 ……ひえええ。 「そんなもの使って、何をするわけ?」 「言えない。言ったら効果がないから」 「でも、あたしは助手だから……」 「ダメ」 うー、ケチぃ。 「明日になったら教えてやる。 それまで聞くな」 「じゃ、一つだけ」 「なんだ?」 「解決のメドはたった?」 「わからない。でもたぶん……」 それきりナルは口を閉ざしてしまった。何を聞いても答えない。 見かねたジョンが、 「麻衣さん、渋谷さんには、なんぞ考えがあるんやで、です。 明日になったら教えてくれはる、ゆうんですから、待ったらどないやです」 「……うん……」 ナルはしらんぷり。今度は釘《くぎ》とかなづちを出して、実験室の窓という窓を大きなベニヤ板でおおって、打ちつけはじめる。 ……台風でも来るのかなー? それが終わると、太いマジックをあたしとジョンに差し出して、 「二人でその板にサインしてくれ。大きく」 は? 聞いても答えてくれないんだろうなー。 あたしはしかたなく、ペコペコしたベニヤ板に力いっぱい大きな字で名前を書く。 「窓は閉まってるな?」 「うん」 打ちつけられた窓はびくともしない。 それからナルは、あたしたちを実験室の外に出す。ドアを閉めて外から板で打ちつける。ペンをふたたび差し出して、 「サインしてくれ」 あきらめてあたしはジョンのサインの下に、自分の名前を書いた。 その間、廊下《ろうか》に置いた機械にひざまずく。スイッチ類が並んでいる前面のパネルにカバーをかけ、その上に紙を貼《は》る。さらにそこにあたしとジョンに名前を書かせる。 そしてあたしは、家に帰されてしまった。 何だよ、そりゃ。 さんざん人に、いろんなことをやらせておいてー。
4
翌日は早々に学校に行く。 まっすぐ旧校舎に向かった。 ナルはもう来てて、車の中でなにやらしてた。その脇《わき》に人影。 おや? おっと、あれは負傷した助手さんではないかぁっ! あたしは車にかけよって窓を叩《たた》く。 「おはよ」 助手さんに会釈《えしゃく》する。 「もう、いいんですか?」 助手の彼は冷たい目。 ……あたしも靴《くつ》箱をぶつけられて大きなコブをつくったから、あいこということに……してくれないかなぁ。 ナルが車のドアを開けて、 「えらく早いじゃないか」 「そりゃ、もー」 さあっ、明日になったぞ、昨日のあれは何だ、言うんだ、言わんか。 ナルは少しウンザリした顔つき。 「ねえっ、結果は? 昨日のあれはなに?」 ナルはため息をひとつ。 「麻衣は口は堅いほうか」 「言うなといわれれば、ぜったいに言わない」 すこし考えるようなナル。 「ちょっと待て。じきにみんなが来る」 みんな……って? まさか巫女《みこ》さんたち? 何を考えてるの、あんた? 霊能者の御一行様が到着する前に、軽いもめごとがあった。 授業の前に黒田女子が顔を出したのだ。 女史はあたしと同じように、昨日のあれは何だったのかと、厳しい口調《くちょう》でナルを問いつめる。あたしが、それはみんなが集まってから、と言ってしまったのが原因で、ナルと女史の押し問答になってしまった。 残る、と言う女史と、帰れ、というナルと。 けっきょく、女史がかたくなな態度で勝利をおさめて、ナルにため息をつかせた。 授業開始のチャイムが鳴って、少ししてから巫女《みこ》さんたちが集まり始めた。 あたしたちは授業をさぼっちゃったわけだねー。 まー、いいけどさー。 巫女さん、ぼーさん、ジョン、真砂子《まさこ》、と全員がそろったところで、ナルは旧校舎に向かう。 片手に杖《つえ》をもって、足を引きずっている助手さんが、あとから八ミリビデオを持って続く。 「今日は何を見せてくれるんだい?」 ぼーさんのわらう声。巫女さんも、 「やめたほうがいいんじゃない? また恥《はじ》をかくだけよ?」 ナルは、無表情。 「実験の証人になってほしいだけです」 「へ?」 パチクリする巫女さんとぼーさん。
実験室の前では、機材が昨日のまま、おとなしくしている。ナルがあたしとジョンに声をかける。 「二人とも、悪いが機材を確認してくれ。 昨日サインしてもらった紙が、破れていないかどうか」 なんだ? いつのまにか助手さんがビデオをまわしている。 あたしは機械に貼《は》られた紙を確認する。破られていない。たしかにあたしの字。「だいじょうぶだな?」 「うん」 「ハイ、たしかに、昨日のままでんがなです」 「ドアのサインは? ふたりの字だね?」 「うん」 「へえ」 うなずいて、ナルは釘《くぎ》ぬきを手にとる。ドアと板の間にさしこんで、乱暴に引きはがす。ベニヤ板が裂《さ》けて落ちた。 あたしたちが、意味がわからず顔を見合わせるなか、彼は実験室に入って行く。 ……おや? 部屋の真ん中にチョークで円。 たしかイスが……その円の中に置かれてなかったっけ? イスはない。それは窓際《まどぎわ》に倒れていた。 「渋谷さん、イスが動いてまっせです」 「そうだな」 ナルの満足そうな微笑《ほほえ》み。 巫女さんが割りこんでくる。 「ちょっと、なによ、それ」 ナルは答えず、部屋の中に置いた暗視カメラに歩み寄る。カメラに接続したビデオをのぞきこみ、会心の笑みをもらす。 「ねぇ、ナルちゃん」 じりじりした巫女さん。 ナルは、自信に満ちた視線をあたしたちに投げる。 「どうも、ご協力ありがとうございました。 僕《ぼく》は、本日中に撤退します」 え? えぇーっ!?
「まさか、事件は解決した、なんて言うんじゃないでしょうね?」 巫女《みこ》さんがいじわるっぽくわらう。 「そのつもりだけど」 「地盤沈下?」 ……皮肉なやつ。 しかし、ナルはうなずく。 「そう」 「は!」 あざわらうように声をあげたのは、ぼーさんだ。 「いい加減に認めたらどうだ? 地盤沈下であんなことが起こるかよ」 「校長から依頼を受けた件については、地盤沈下で全てが説明できたと考えている」 「じゃあ、実験室のガラスが割れたのは? おとといの騒《さわ》ぎは!?」 ……そうだよー。あれは地盤沈下どころの騒ぎじゃなかったよー。 「あれはポルターガイストだね」 「ほら!」 巫女さんとぼーさんの勝ち誇《ほこ》った声。 「おまえさんは、除霊できないんだ。そうなんだな? それで調査だけして帰るつもりなんだ」 ぼーさんが指を突《つ》きつける。 ナルは涼《すず》しい顔。 「除霊の必要はない。ないと考えているんだが」 ナルは、ビデオテープを巻きもどす。 「ご覧になりますか?」
それは、実験室に置いたイスの映像だった(当然だけど)。イスを画面の真ん中にとらえている。じっとイスを見守る。 「なによ、これ」 女史の不満そうな声。 ナルの返答はない。 「ねぇ……」 女史のさらなる声が終わらないうちに、ゴトッとイスが揺《ゆ》れた。 揺れる椅子。そして、ズルッと動く。床の上を。イスを動かしているものはない。ただイスだけが動く。ズルズルと窓際《まどぎわ》まで移動してから、大きく揺れてイスが倒れた。それきりもう動かない。 ガチッとナルがビデオの再生ボタンをはずす。 「今の……なに?」 と、あたし。 「見てのとおり」 「イスが動かなかった?」 「動いたね」 ……。どういうこと? ぼーさんが吐《は》き捨てるように言う。 「りっぱな、ポルターガイストじゃねぇか! 除霊をしないと……」 ナルの冷たい声。 「その必要はありません」 眼を白黒させているあたしをながめて、ナルが言葉を発する。 「昨日、全員に暗示をかけた」 「え?」 「催眠術みたいなもの。 夜、このイスが動くと」 ……あの光。ストロボみたいな。 「あれ、催眠術だったの?」 あたしが聞くと、ナルは軽くうなずく。 「……まあな。 そのうえでイスをここに置く。 この部屋の窓は全部内側から鍵《かぎ》をかけた。さらに麻衣とジョンに手伝ってもらって、板を張った。ドアにも鍵をかけて封をした。すると、人は入れないし、ムリに入れば絶対にわかる」 「うん」 封をした板が破れるもんね。破れたからと言って、取りかえるわけにはいかない、あたしとジョンで名前を書いてあるから。 ナルはすこし言いよどむ。チラッとあたしたちを見渡してから視線をあげる。闇《やみ》よりも深い眼。 「ポルターガイストの半分は、人間が犯人である場合だ。たいていはロー・ティーンの子供。霊感の強い女性の場合もある」 「イタズラだって言うの?」 あたしが聞くと、 「阿呆《あほう》」 ……なにもそんな、キッパリ言わなくてもいいじゃんよー。 「一種の超能力。本人も無意識のうちにやってることが多い。 何かの原因でストレスがたまった者が、注目してほしい、かまってほしいという無意識の欲求でやる」 「へぇー」 「そういう場合、暗示をかけると、まずそのとおりのことが起こるんだ」 暗示……イスが動くって? ぼーさんが割りこんでくる。 「じゃあ、このイスが動いたのは……人間のせいだって言うのか?」 「そのとおり」 「霊のしわざじゃないの? 旧校舎の大騒《さわ》ぎも?」 これは巫女《みこ》さん。 「おそらくは。 少なくとも僕《ぼく》は、いままでこの方法で失敗したことはない」 「……だれ?」 「それは……」 ナルは口をつぐむ。 かまってほしい。注目してほしい。 自己顕示欲の強いやつなら、いっぱいいる。いまあたしの眼の前に。 でも……。 あたしはそっと視線を向ける。ある人物に。 全員の眼が、チラホラと彼女のほうに集まった。 黒田女史のほうに。 「……わたし……?」 女史のうろたえる声。すぐに、 「バカな……!」 首を振る。 ナルはうなずいた。 「君が最有力候補だな」 「わたしがやったって言うの? あのポルターガイスト」 女史の眼はどこかおびえた色。 「他の誰《だれ》より、君がやったと考えるのが自然なんだ」 言ってナルはあたしたちを見渡した。
5
「君には、最初からひっかかりを覚えてた。 たとえば君は、旧校舎で戦争中の霊を見たと言ってた。看護婦らしき霊も見たと。 でも、ここに病院が建っていたという事実はない。このあたりは戦争中、空襲を受けたこともないらしいし、学校が病院として使用されたという話も聞けなかった」 「そんなこと、……」 「――すると、君のカンちがい、もしくは故意のウソという結果になるわけだ。 巫女《みこ》さんも言ってたじゃないか、黒田さんには霊能力がないと」 ナルは、巫女さんに視線を向ける。 「そうよね、アタシ、ぜったいちがうって思ったのよね」 「黒田さんが……故意にやっているのか、それとも見えるつもりで、真実でないものを見ているのか……それはわからないが」 「ウソなんかじゃないわ!」 女史の叫び。 「最初は、霊感ゴッコをしてると思ったんだけどね」 ナルはデッキからテープを抜き出す。 それを指先でもてあそぶ。 「さっきも言ったが、ポルターガイストの原因の半分は、人間の無意識によるものだ。 旧校舎でポルターガイストとしか考えようのない現象が起こったとき、すごく困った。機材で測定した結果からは、霊がいるとは思えなかったから。 原さんの判断も、霊はいないということだったし」 「ええ。いませんでしたわ」 真砂子がうなずく。 「霊でなければ、人間が原因のはずだ。 これが普通の家なら、その家に住んでいる人間の中に犯人がいる。ローティーンの子供。あるいは霊感の強い女性。 極端にストレスがたまった者が、無意識でやる。無意識の底流にあるのは、自分のことをおざなりにしている家族に、ふりむいてほしい、かまってほしいという願望だ。 だから、犯人である人物がポルターガイストの標的になることが多い。中には大ケガをする者だっている。ケガをすれば同情してもらえる、かまってもらえるという無意識のせいだ。 しかし……、旧校舎には住人はいない」 みんなは、シンとおしだまる。 「では、逆に考えてみればいい。 ポルターガイストによって注目をあびた者、同情された者が犯人ではないのか? すると……該当するのは、黒田さんと……麻衣だけになる」 ……あたし!? おのぉれぇ。あたしも犯人だと疑ってたのかぁ!? 「ふたりを比べてみれば、断然あやしいのは黒田さんだ」 言って、ナルは女史の青い顔を見すえる。 「君は霊感が強いので有名だったらしいね。それで周囲の注目をあびる存在だった。中学のころから」 「…………」 ……ミチルたちがそう言ってたっけ。 「君は、旧校舎に悪霊が住んでいると言っていた。 ところが……もし、旧校舎に霊はいなかったということになったら? 霊などいず、地盤沈下のせいだったと、みんながわかってしまったら?」 ぼーさんが答える。 「権威の失墜《しっつい》、つまり、信用をなくす」 巫女《みこ》さんも、 「……霊感があるなんて言って、なぁんだ、ウソだったのか、ということになるわけね」「……そう。黒田さんにとっては、周囲の注目を集め続けるために、旧校舎の悪霊は必要な存在だった。旧校舎には、霊が住んでいなければならなかったんだ。彼女のために」 全員のもの言いたげな視線が、女史に集まる。 「……なんか、そういう心理ってわかってしまうな」 あたしはつぶやいた。女史がはっと顔をあげる。あたしはちょっとわらいかえした。誰《だれ》だって特別な存在になりたい。誰もが一目置いてくれるような、そんな存在に。特別な才能がほしい。それを認めてもらいたい。 彼女が望んだ才能は、霊能力という才能だったんだ……。 「このままでは、自分は立場をなくす、と黒田さんは猛烈な不安に襲われる。それは彼女の無意識に、大きなプレッシャーをかける。 無意識は考える。霊がいるはずだ。いなくてはならない。ポルターガイストが起こるはずだ。そうでなくてはならない。 そして……」 ぼーさんが後を継《つ》ぐ。 「……無意識はそれを行う」 あたしは、ふと、 「でも、そんなこと、人間にできるものなの? テストの前とかさー、学校が壊《こわ》れてしまえばいい、なんて真剣に思うけど、壊れたことなんてないよ」 「それは才能の問題」 へ? ナルの視線が女史に向かう。 ほんの少し、やわらかな眼の色。 「彼女は潜在的なサイキックだと思う」 「さいきっく?」 「いわゆる超能力者。 本人も意識していないし、誰《だれ》も気づいていないが、おそらくある程度のPKを持ってる。麻衣のために言っておくが、PKというのは、念力のことだ」 ……うるせー、このやろー。 「ふうん……」 巫女《みこ》さんが、女史に眼をやってからナルに向かって首をかしげる。 「でも、その説からすると、彼女のストレスが高まったのは、ナルの地盤沈下説が出てからでしょ? じゃあ、あたしが教室に閉じこめられたのは? 彼女が襲われたのは? 彼女が襲われたというのが、ウソかカンちがいにしても、ビデオが消えていたのは? これを説明してくれなきゃ、納得できないな」 真砂子《まさこ》がつぶやく。 「閉じこめられたのは、自分でやったことだわ」 「ちょっと、あたしが自分で閉めて、忘れたって言うの?」 「そうじゃありませんの」 ナルがふたりを制すように手をあげる。 「……説明しようか?」 黒田女史に向けられた声。 女史がうつむいて首をうなずかせる。 「巫女さんが閉じこめられた件については」 ナルがポケットから一本の釘《くぎ》を取り出す。 「なによ」 「釘ですが」 「見ればわかるよ」 「これが、敷居《しきい》にささっていた」 ……え? 「ドアが開かなかったのは、おそらくこの釘のせい。 これには早くに気づいていたんだ。でも、あえて言う必要はないと思っていた」 巫女《みこ》さんがナルの手から釘をとりあげる。じっと見つめて、 「だれかが、ワザとやったって言うの?」 「そう」 「誰《だれ》が……あんたねっ!?」 巫女さんが女史をにらむ。女史がびくっと身体をちぢめた。あたしは思わず肩をたたく。 ……気にしなさんなって。 ナルが、 「ちょっとした、イタズラのつもりじゃなかったのかな。 あの直前、巫女さんにたっぷりイヤミを言われていたし」 ……ははぁん。 「じゃ、ビデオの故障は?」 「それについては詳しくテープを調べてみた。 あれは霊障《れいしょう》じゃない。故意に消されたもの」 「それも彼女?」 「麻衣が実験室に着いたときには、黒田さんはすでにいたそうだから、たぶんそうなんだろうね」 「…………」 巫女《みこ》さんが唇《くちびる》を噛《か》む。 女史がさらに身をちぢめた。 あたしだけに聞こえた。ごめんなさい、という声。 ジョンがさびしげにというか、少し悲しいニュアンスの声で女史をはげます。 「気にすることおまへんです。ちょっとしたイタズラでしたんやし」 「そういう問題? 悪質よ!」 ナルはそっけない。 「巫女さんに霊感がないと決め付けられたのが、悔《くや》しくてたまらなかったんだろう。 これにこりて、少しは口をつつしめば?」 ……人のことが言えるのか? 「以上でいいかな。納得できましたか」 巫女さんがえらそうに腕組をする。 「いちおう、わかったわ。 でも、それでどうするわけ? このままでは帰れないのよ。アタシたち。校長は工事をできるようにしてくれって、依頼してきたんだから」 「除霊は終わったと言って帰るだけ」 「黒田さんが工事の邪魔をしたら?」 巫女さんは露骨に女史をにらむ。 「校長にはこう報告するつもりでいる。 旧校舎には、戦争中死んだ人々の霊が憑《つ》いていた。除霊をしたので、工事をしてかまわないと――それでいいかな、黒田さん?」 女史が泣きそうな表情でうなずいた。 「……戦争中死んだ人……ねぇ」 巫女さんは不満そうだ。 ぼーさんが、 「それで、だいじょうぶだと思うか?」 ナルは肩をすくめる。 「だいじょうぶなんじゃない?」 真砂子が言う。 「それでも不安は残りますわ。校長先生に、本当の話をしてはどうですの? 今の話を、そのまま報告すれば?」 「彼女はじゅうぶんに抑圧されてる。これ以上、追いつめる必要はないんじゃない?」 ……ほー、けっこう優しいことを言うじゃないか。 巫女《みこ》さんのしんねりむっつりした声。 「それで、誰《だれ》が除霊したことになるの?」 とたんに降りるじっとりした沈黙。 ナルはあっさりしている。 「全員が協力してやった、と。それでかまわないでしょう?」 「……へぇ」 巫女さんはナルをしみじみ見つめた。 「……いいところあるのねぇ。手柄をわけてくれるわけ?」 ナルは軽く肩をすくめるだけ。それから、あたしのほうに鋭《するど》い視線を向けて、 「麻衣、この件については他言無用だぞ」 「わかってるって」 巫女さんはみょうに感動したようすだ。 「あんたって、けっこうフェミニストなのね」 「それは、もう」 「ふうん。……彼女はいるの?」 「……質問の主旨をわかりかねますが」 「アタシ、ガマンしてあげてもいいわよ、年下でも」 「それは、どうも」 ……イロケ巫女。どこが巫女なんだ? どこがっ!? ナルは微笑《ほほえ》む。 「お言葉はありがたいのですが、残念です。僕《ぼく》は鏡を見慣れているもんで」 とたんに巫女さんが顔を赤らめた。 ……は? 一瞬おいて、ぼーさんがバカ笑いする。巫女さんはそっぽを向いた。 ……鏡で自分の顔を見慣れてるから、巫女さんじゃダメだっていうわけか? そらまー、巫女さんのほうが完全に負けてるが。……そこまで言うか? さっさと水仙《すいせん》になれ、こいつっ。
6
ナルがふいにカメラをかかえて歩き出した。 不思議《ふしぎ》そうにそれを見る全員を、ナルは闇《やみ》色の眼で見返す。 「帰る準備をしないんですか?」 「あ、そうか」 巫女《みこ》さんが、ポンと立ちあがる。 「なんか、たいした事件じゃなかったわねぇ」 との声に、ぼーさんのつっこみ。 「そのワリにゃ、ビビってなかったか?」 「冗談、やめてよね」 ……帰る準備。 ナルの声を聞いたとたん、胸の中がスカスカした。 あたしは単なる学生だ。助手さんがケガをして、代理の助手にやとわれた。 つまり……あたしとナルをつなぐものなんて、なーんにもないってこと。 ひょっとしなくても、もう会えないんだ。 そう思ったとたん、ふいに喉《のど》がつまった。もう会うこともない。あたしはあたしの生活に、ナルはナルの生活に帰る。もう、会う理由がない。 何か言わなきゃいけない気がして、もどかしい。 実験室の中の機材を廊下《ろうか》に運び出し始めたナルをながめてたら、彼が振りかえった。 「ふたりとも、授業に出なくていいのか?」 「今日はいいや、もう」 あたしが言うと、ナルの軽蔑《けいべつ》の眼。 「もう少し、利口《りこう》になる努力をしたほうがいいんじゃないか?」 ……こいつー。 あたし、なにを気にしてるんだろ。 ナルはあたしと別れることなんか、全然気にしてない。もうちょっと気にしてくれてもいいと思うんだけど。臨時とは言え、助手をやってたんだから。 ……そんなの、なんでもないことか。だって本当の助手さんも、杖《つえ》をたよりにとはいえ、歩けるようになったことだしね。 うーむ、ちょっとムカムカしてきたぞー。 ……どーしてあたしだけが、こんなさびしい気分にならなきゃいけないわけ? 理不尽《りふじん》な腹だちを覚えてナルの背中をにらんだら、ナルが振りかえった。「授業に出ないんだったら、機材の撤収を手伝ってくれ」 へーい。最後までコキ使ってくれるな、おまえ。
女史は何も言わず、深々と頭を下げて教室にもどっていった。 あたしは、ナルを手伝って機材を車に積みこみながら、なにか言いたい気がしてならない。 でも、まさか「住所を教えてください」なんて、言える状況じゃないよねぇ。 最後に残っていたコード類を巻いて、ナルがかかえる。それで実験室の周辺に残っているものはなくなった。 「麻衣も、もうもどっていいぞ」 いつもどおりのナル。 ……ふうん……。 おまえ、本当になんにも感じてないのな。 ああっ、こんなやつキライだ! 「そ。じゃあ、授業に行くわ」 「うん」 「それとも、見送りしようか?」 あたしはそっと言ってみたのに、 「なぜ?」 ……なぜ、と聞かれても。 「やっぱさー、短い間とはいえ、ボスだったわけだしー」 「必要ない。それより、授業にもどれば? それ以上馬鹿《ばか》になったら、手がつけられないぞ」 ……こいつはっ! そーかい、いいよ、わかったよ! あたしは授業に行くからね! 見送りだってしてやらないからね! ほんでもって、これっきりになっても、ナルのことなんか、今後いっさい思い出さない! 絶対に思い出してやらないぞ、ばかやろー。
しぶしぶ授業にもどって、なんとなく落ち着かない気分で授業を受けた。あたしの席は窓際《まどぎわ》で、季節は春で、開け放した窓からは旧校舎が向かい。ついつい視線が旧校舎に向いてしまう。 ぼーっとながめていたときだった。 音もなく、旧校舎の窓ガラスがゆがんだ。まばらに残ったガラスが白くにごる。ピンという高い音は遅れて届いた。その音に合わせたように、ガラスが砕けて流れ落ちる。あたしは思わず腰を浮かした。 グラウンドをはさんだ向こう側の旧校舎。腰を浮かしてそれを見つめるあたしに注意しようとした先生。けれども先生の声は、激しいガラスが割れる音に途切《とぎ》れた。教室のあちこちにざわめきが起こる。 あたしの眼には、旧校舎が身震《みぶる》いしたように見えた。壊《こわ》れかけた西側の屋根がうねって、軽くふくらんでから沈み始めた。屋根瓦《がわら》が流れ落ちて、薄黄色の砂煙があがる。西側に倒れこむように沈みこんで、自らがあげた煙の中に崩《くず》れ落ちる。 ゆっくりと建物があげる最後の声が響きわたってきた。 旧校舎の西側、すでにとり壊されていたあたりの地面が、静かに沈んだ。砂時計のようにすりばち状に沈んでいって、まるい大きな穴が開いた。旧校舎は、玄関から西側が完全に倒壊して、ほこりの海に沈んだ船みたいだった。
あたしは、先生と学生とが鈴なりになった窓際《まどぎわ》をそっとはなれて駆《か》け出した。 旧校舎に駆けつける。 いつもの場所に、グレーの車はなかった。 もちろん、駆けつけた人たちの中にも、探す顔はなかった。 性格のよろしくないゴーストハンターたちは、立ち去ったのだ。
数日して、わずかに残った旧校舎の取り壊し工事が始まった。それと同時に、黒田女史の霊感についてのウワサが、学内を流れていったのだった……。
エピローグ
「ねぇ、渋谷《しぶや》さんって、今ごろどーしてんのかなー」 恵子がぼうっと窓の外をながめる。 窓の外には、足場を組んで、解体中の旧校舎。今のところ工事はつつがなく続いている。 「麻衣《まい》ったらー、どーして住所とか、せめて電話番号でも聞いておかないのよー」 ……るさい。 ミチルも気が抜けたように、外の景色に眼をやる。 「電話帳を、探してみたのになー」 ……そう。『渋谷サイキック・リサーチ』なんて事務所のナンバーは載《の》ってなかったのだ。もっとも、完全に調べあげたとは言い難《がた》い。 電話帳のどこを探したらいいのか、いまいちよくわからなかったのだ。タウン・ページに「霊能者」なんて項目はないし、ふつう、事務所の電話番号を、ハロー・ページに載《の》せたりはしないだろう。(でもとりあえず調べた)。番号案内に聞けば、「所在地がわからなければ調べられません」との冷たい返事。 恵子が誰《だれ》にともなく言う。 「だからー、校長が呼んだんだから、校長なら連絡先を知ってるはずじゃない。 校長に聞いてみようよー」 「あんたが聞けば」 ミチルがそっけなく言う。 「えー。聞けないよぉ」 「あたしだって、ヤだよ」 「でもぉ」 ……あたしだって、それは考えた。校長に聞こうか。でも、なんて言って? まぁ、聞く方法がないわけじゃない。忘れものを届けたいとか、なんとか。 けどさ。電話をかけて、それからなんて言うの? ナルは、例によって例の声で、「何の用だ?」と聞いてくるに決まってるのに。 「ねぇ、麻衣ー。校長に聞きなよー」 「用事などない」 「もー、冷たいんだから」 恵子がうらめしげだ。 あー、やめてくれ。 あたしは今、本当はナルの話はしたくないんだよっ。あんたらがグダグダ言うんで、しかたなくつきあってやってるんだからっ。 「そうだ、麻衣……」 ミチルが身を乗り出す。 「うるさい」 「ちょっと、聞きなよ、あたしに名案が……」 うるさいっ! もう話したくないのっ。せつなくて泣けてくるから。 「あたしは関係ない。そういう相談はファンクラブ内でやってよね」 「なによー、冷たいなー」 そこに突然、アナウンスが入った。 『一-Fの谷山麻衣さん、至急事務室まで来てください』 ……なにごと? まー、いい。救いの神だ。 あたしはそう思って立ちあがる。ミチルたちの視線を振り切って。 首をかしげながら事務室に出頭する。 「あのー、谷山ですけど」 「あ、谷山麻衣さん? 電話」 事務のおねーちゃんが、カウンターの電話を指さした。 電話? 学校に? 「はぁい、お電話、かわりましたが」 どなたー? 『麻衣か?』 …………。 この……声……。 あたしは思わず、腰がぬけそうになった。 『麻衣?』 「そう! そうですっ!」 『どならなくても聞こえる』 ……あー、このえらそうなものの言い方。 ナルだぁ……。 「どうして、学校に電話なんか……」 『自宅の電話番号を知らなかったからだ、とは思わないか?』 なんてえらそうなのー。泣けるくらい、うれしいよー。どーして、ナルが電話をくれるのよー 「……どうしたの?」 あたしは心の中で感動を悟《さと》られないよう、努めて平静を保つ。 『ギャランティ』 「……はぁ?」 『だから、助手をやってくれた給料。 いらなきゃ、別にいいけど?』 ……あ、そ……。 急速に力が抜けていく。眼の前がたそがれてくる。 ……事務的な用事なわけね。 「お金をいただけるとは、想像だにいたしませんでした。 くれるもんなら、もちろんいただきますとも」 もらうわ。ぜったいもらってやる。 ナルのばかー。 『じゃ、振りこむ。口座番号はわかるか』 ……口座番号。 「わかるわけないでしょ、ここ、学校だよ?」 『……じゃ、郵送しようか?』 ……郵送。 あーあ、せめて、お金を渡すから会おうとか言ってくれないのかなー、こいつは。 「なんでもいいよ、もー」 『じゃ、住所を』 へいへい。あたしは、だらーっと住所を言ってやる。 郵便でお金が送られてきて、それでもって差出人の住所が書いてないとか。 あるいは、住所が書いてあって、ついうっかり訪ねたら、「何の用だ?」と冷たく聞かれるとか。 どーせ、そんなことなんだろ。 『――OK。じゃ、一週間以内に郵送するから』 「はいはい」 『それと、麻衣?』 「なーにー」 声が完全に力を失ってるわ。ははは……。 『おまえの高校、バイト禁止?』 「ちがうよ」 『……へえ。だったら』 「あー?」 『うちでバイトしないか?』 ……へ? ……バイト……? ……バイト!? 「ナルの事務所で!?」 あたしは思わず、受話器を渾身《こんしん》の力で握りしめる。 『――事務なんだけど、手が足りないんだ。この間までいたコがやめたんで』 「……やる!」 やる! ぜっいにやる! 『じゃ、一度事務所に来てくれ。所在地は……』 あたしは大急ぎでメモをとる。 ……夢だ。これは夢だ。 『都合のいい日でいいけど』 「じゃ、あさっての土曜日 今からだっていいよっ。 『うん。土曜日な。時間は麻衣の都合のいいようでいい』 ああ、うれしい、どうしよう。 『ああ、――それから、最後になったけど』 「うん?」 『――この間はお疲れさん。 助かったよ。ありがとう』 ……我ながら情けない。 あたしは涙が出そうになった。イヤミぬきのほめ言葉。初めて聞いた。 感動のあまり口がきけない。 『それじゃ、また土曜日に』 「うん」 あたしはやっと出た言葉に力をこめる。 「土曜に、またね!」
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