《のりこ》さんが眼を白黒させた。 「変なことが起きるのは、おもにどの部屋ですか?」 ナルが聞くと、典子さんは首を振る。 「特にどこということは……」 彼女の言葉にナルは少し考えこんで、 「じゃあ、二階と一階の廊下《ろうか》にカメラを二台ずつ。玄関ホールにひとつ。それでようすを見てみよう」 あたしたちは汗だくになって、カメラを言われた場所にセットした。
「あいかわらずだなぁ」 ぼーさんが、棚につめこまれたTVや機械の山を見て、しみじみため息をもらす。 たしかに、壮観なながめだ。小型のTVだけでも十二台あまり。そのほかに、門外漢《もんがいかん》には用途不明の機械が無数。 機械の前には助手のリンさんがすわる。ナルの指示でカメラのスイッチを入れる。TVの画面がいっせいに明るくなって、森下邸のあちこちを映し出した。 「事件の見通しはどうだい?」 ぼーさんがナルにたずねる。 「今のところはなんとも」 ナルはそっけない。これは……怒ってるなー。ナルはプライドが高いから。自分の仕事に他人が割りこむのを好まない。 綾子は皮肉っぽい声をあげる。 「ゴースト・ハントかなんだか知らないけど、あいかわらずおおげさねぇ。そんなたいした事件じゃないわよ」 「松崎さんのカンですか」 ナルに言われて綾子はつまった。 旧校舎の事件で、綾子のカンはあてにならないことがわかっている。 「何とでも言って。あのときは、特殊な例だったからよ。今度ははずさないわ。怪現象の犯人は地霊よ」 「前にもそうおっしゃいましたが、ちがいましたね」 軽蔑《けいべつ》の声。綾子が顔をしかめた。あいかわらずハデなメイクだ。何かカンちがいしたOLか女子大生みたい。 ぼーさんがバカ笑いする。綾子はそれをにんでから、 「そういうあんたはどうなのよ」 「俺《おれ》か? 俺は学習という言葉を知ってるからねぇ。今のところは意見を保留しておくさ」 ……あいかわらずだなぁ、こいつら。 「お嬢ちゃんはどう思う? たしか、麻衣《まい》だったな。ナルの助手だっけか」 「今は単なる雑用係です。 典子さんの話を聞くかぎりじゃ、ポルターガイストみたいだけど」 「ほう」 「へぇ」 ぼーさんと綾子が眼を丸くした。 「いっぱしの口をきくようになったじゃねぇか」 ふふん。人間は進歩する生き物なのよぉ。 ポルターガイスト。日本語で騒霊《そうれい》。文字どおり、騒《さわ》がしい幽霊《ゆうれい》という意味。ものが勝手に動いたり、騒がしい音がしたりする怪現象。 ――フランスにE・ティザーヌという変わったおまわりさんがいた。このおまわりさんが、ポルターガイストの分類をしたのだそーだ。これが『ティザーヌの九項目』。 爆撃、ノック、ドアの開閉、物体の振動、移動、騒音、侵入、動いた物体が暖かくなる、物体の出現。以上の九つ。 「典子さんの話だと、この家で起こってるのは、ノックとドアの開閉、物体の振動と移動、騒音。五つよね。半分以上が該当するんだから、可能性は高いと思うな」 うーん、あたしって賢《かしこ》くなってるわ。これでも勉強してるのよ、ナルがあんまし馬鹿《ばか》だ馬鹿だって言うから。 ぼーさんがからかうように手をたたいた。 「へえぇ、こりゃ驚いた。 それじゃ、ポルターガイストなんだったら、犯人は誰《だれ》だい?」 へへー。よくぞ聞いてくれました。 「典子さんだと思うな」 「ほぉ?」 「ポルターガイストの原因の半分は、家の住人が犯人である場合よ。ストレスのたまった女性であることが多い。すると、だいたいの予想はつくじゃない。義理の姉とおりあいの悪い妹。ね?」 「なるほどねぇ」 綾子が感心したようにうなずく。 「香奈さんって、けっこうキツそうだと思わなかった? たしかに香奈さんと典子さん、うまくいってないのかもしれないわねぇ」 そーそー。 えらくなってるでしょ、あたし。 そう思ってナルを見たら、冷たいまなざし。 あり? 「うけうりにしても、よく覚えていた、と言いたいところだが」 ナルは冷たい声を出す。 「ポルターガイストの犯人であることが多いのは、ローティーンの子供だ。つまり、思春期の子供。典子さんは二十歳《はたち》。思春期というには成長しすぎている感じだな」 ……う。 「霊感の強い女性が犯人である場合もあるが。――いずれにしても、それについては、今夜にでも実験をしてみる。それでターゲットが決まるだろう」 ……ちぇ。 ぼーさんがリンさんを振りかえる。 「そっちのにーさんは? たしかナルの助手だったな?」 リンさんが、かすかにうなずく。リンさんは前の事件のとき、不慮《ふりょ》の事故でリタイアしてた(事故の原因については聞かないように)。それでぼーさんたちとは、あまり面識がない。 「どう思う、この家?」 ぼーさんに聞かれて、リンさんは低い声で短く答える。 「答える義務があるのですか?」 ぼーさんと綾子が眉《まゆ》をあげた。 「……さすがはナルの助手よね。いい性格してるじゃない」 ナルは肩をすくめるだけ。 リンさんはねー、こういうひとなの。そっけないというか、愛想《あいそ》がないというか、無礼というか。いまだにあたしとは、ほとんど口をきていくれないもん。おかげで、あたしは、いまだにリンさんの本名すら知らない。ましてや、笑顔や軽口《かるくち》など、見たことも聞いたこともない。 なんとなくその場が白けてしまって、ぼーさんと綾子はそれぞれ部屋を出て行った。 リンさんは何事もなかったかのように、TVの画面を見つめている。顔の片側をおおうほど長い前髪。極端に無口で無表情。このお方もナル同様、黒っぽい身なりをしていることが多いので、ナルとリンさんが並んでいるとまるでお葬式みたいで暗い気分になっちゃうんだよねぇ。
3
作業にひとくぎりついてから、典子《のりこ》さんがすごくりっぱな客用寝室に案内してくれた。 これが無人の幽霊《ゆうれい》屋敷の場合、ナルは安全が確認されるまで絶対に泊《と》まりこみはしない。今回は現在も人が住んでる――八つの女の子でさえ住んでる家だから、さすがにそう危険ではないと思ったのだろう。あたしたちは、今夜からこの家に泊まりこむことになっている。
「わぁ、ステキ!」 レースのカーテン。クローゼットとドレッサー、ベッドと小さいテーブル・セットが備えつけてある。 ……すごいわ、すごいわ。でもあたし、この部屋で寝ること、あるのかしらん。なんと言っても心霊現象の調査といったら、夜が本番。徹夜続きなんだろうなー、きっと。 「気に入ってもらえたかしら」 典子さんが微笑《ほほえ》む。 「はい。ありがとうございます」 「うーん、できたら、そういう言葉づかいはやめてほしいな? だめ?」 「えっ、でも」 ……典子さんはお客さんだしぃ。 「オネガイ」 「……ん」
あたしが答えると、典子さんはうれしそうにわらった。 部屋には西日がさしている。あたしは窓辺によってみて、少し驚いた。家の南側は池になってる。青緑色の深い色の池。 「いいながめ……」 典子さんもあたしの横にならんで、窓の外をながめる。 「……わたしもそう思っていたんだけど……。近ごろはなんだか、気味が悪くて……」 「気味が?」 「ホラ、よくあるでしょ? 池で溺《おぼ》れたひとが仲間を呼んで……」 水辺によくある階段話。あたしは努めて明るい声を出す。 「だいじょうぶ。そんなんじゃないよ、きっと」 あたしが今考えていることは、典子さんには言えない。まさか、あなたが犯人かもよ、なんて。 「……よかった。お兄さん、仕事で家にいないことが多いから、本当は気味が悪くて」 あたしはわらった。 「すぐ平気になっちゃうよ。 ホラ、うちの所長のほかに、巫女《みこ》さんとぼーさんがいるでしょ? あの連中、すっごいやかましいから、にぎやかすぎて笑っちゃうくらい」 「そうなの?」 典子さんの顔が少し明るくなった。 それを見てあたしは、典子さんが犯人なんて思って悪かったなぁ……なんて思った。 「よかったら、お茶を飲まない? おやつの時間なの。礼美《あやみ》がいっしょでよかったら」 「うれしー(ハート)」
お茶のセットを持ってあたしと典子さんは、礼美ちゃんの部屋に向かった。 「礼美」 典子さんがドアを開ける。 礼美ちゃんは、カーペットの上にペタンとすわって、絵本を広げていた。こちらをパッと振りかえる。 すこしキョトンとした眼がウサギかなにかみたいだ。本当にかわいい。 「こんにちはー」 あたしがわらって手を振ると、うれしそうな笑顔をうかべる。そうして、絵本のそばにおいてあったお人形を抱き上げると、こちらへ駆《か》けて来た。 さっきも抱いていた、アンティーク・ドールだ。 フランス人形って、少しこわい顔をしてるものだけど、この人形はわりと愛らしい。 礼美ちゃんは、お人形の右手をあたしのほうに差しだした。 「コンニチハ」 あたしはお人形に向かってかがみこむ。 「はじめまして、お名前は?」 「ミニー」 お人形が小さな手を振った。 「ミニーちゃん、よろしくね。あたしは麻衣《まい》よ」 「ヨロシクネ、マイチャン」 人形をコックリさせて、礼美《あやみ》ちゃんがわらう。かわいいなぁー。 「礼美、おやつ食べよ?」 礼美ちゃんは典子さんの言葉に、一瞬うなずきかけたけど、すぐにまた首を振った。 れれ? 礼美ちゃんどうしたの? おやつだよ? かわいいピンクのケーキだぞー。 黙ってうつむいてる礼美ちゃん。 ……変だ。礼美ちゃん、どうしたんだろう、急に……。
その夜、夕食のあと、ナルが全員を集めた。 香奈《かな》さん、典子さん、礼美ちゃん。そうして家政婦の柴田《しばた》さん。 ナルちゃんは全員を応接室のソファーにすわらせ、部屋の明かりを消した。真っ暗になる。 「少々お時間をいただきます」 彼はそう言うと、テーブルの上に置いたライトのスイッチを入れた。白い光がストロボのように光っては消える。 「光に注目してください」 部屋に明滅する白い光。 ナルが静かに語る。 「光にあわせて息をしてください。ゆっくりと……肩の力を抜いて……」 ナルは全員に、軽い催眠術をかけようとしている。催眠術とも言えないようなやつ。暗示。 白い光に明滅する全員の表情。ひとつまたたくごとに、表情が抜け落ちていくのが見える。 この家では、ポルターガイストが起こっている(たぶん)。 一般にポルターガイストという言葉でひとくくりにされてしまう現象には、いろいろな原因がある。ふつうは幽霊《ゆうれい》か悪魔のしわざ、と言われているけどね。 ポルターガイストの犯人は、じつは人間であることが多い。極端にストレスのたまった人間が無意識でおこなう。もちろん、イタズラとかそういうのじゃないの。あくまで超自然的な力で。犯人である人間はローティーンの子供か、あるいは霊感の強い女性の場合がほとんど。 この場にローティーンの人間はいない。残る可能性は、霊感の強い女性……。 「心の中で呼吸をかぞえてください……」 ナルは静かに言葉を重ねていく。 五分あまり言葉をつらねて、全員の緊張をといたところで、ナルは目的をきりだす。 「今夜、食堂にあった花瓶《かびん》が動きます。……ガラスの小さな花瓶です。 今夜は、この部屋のテーブルの上にあります」 静かな、静かな、抑揚《よくよう》のない声。声に色があるとするなら、まったく無色透明の声だ。 「――結構です」 パッと部屋の明かりがつく。全員がまぶしそうに眼をしばたたいた。 「あとは自由にお過ごしください。ただし、普段とあまりちがうことはしないように。 ……森下さん」 「はい」 「この部屋の鍵《かぎ》を」 香奈さんが鍵を渡す。その鍵を受け取るナルの腕の中に、花瓶がある。 全員の眼がその花瓶に集まる。ほんの一瞬。暗示に成功した証拠。暗示にかかってない人間は、花瓶を見ない。そういうものらしい。 さて、この花瓶が今夜動くかどうか。 人間が犯人である場合、暗示によって花瓶が動く。つまり、花瓶が動けば犯人は人間。いまこの場にいた人間ということになるし、動かなければ……犯人は人間以外のものということになるわけ。
全員が不思議《ふしぎ》そうに出て行ったあと、あたしは、テーブルのまん中に花瓶を置いて、その輪郭《りんかく》どおりに、チョークで線をひいた。 ナルは、花瓶を見張るカメラの位置を決めている。高感度カメラ。暗い場所を撮影できるカメラだ。星明りの下でさえ、昼間のように映る。これにビデオデッキを接続する。機械をチェックしてあたしとナルは部屋の外に出る。 レーダーだ。ほら、飛行機なんかについてるじゃない。あれよ、あのレーダー。 ナルが部屋に鍵をかける。紙でドアに封をする。これで応接間には誰《だれ》も入れないし、入れば紙が破れるのでわかる。完全な密室。 壁の外からレーダーで花瓶の動きを見張る。ももしも花瓶がわずかでも動けば、レーダーが確認して自動的に室内にあるビデオの録画スイッチが入る。 ……すごいでしょ? これがゴースト・ハントというものなの。霊能者とは全然違うんだー。
暗示実験の準備がすんで、調査室に使っている部屋――ナルはベースと呼ぶんだけど、あたしはつい化学研究所と読んでしまう――にもどると、ぼーさんと綾子《あやこ》が ムダ話をしていた。 「おヒマそうですね」 ナルの皮肉っぽい声。 そーだ、そーだ。地霊とか、イロイロ言ってたじゃないか。さっさとお祓《はら》いとかしないの? ぼーさんがナルに、 「この実験の結果を見てからと思ってな。 ポルターガイストの犯人が、人間じゃないと確認されてから動くことにしたんだ」 ……ほぉー。ぼーさん、ひとつリコウになったな。前の事件で先走って、赤恥《あかはじ》かいたからなー。 うんうん。けっこういい気分だ。つまりはこれって、ナルのやっていることにいちもくおいてるってことじゃない? 前のときは、ナルの調査なんか、意味も価値もないなんて顔してたもんな。へっへ。 ナルも同じことを感じたのか。 「それは、光栄のいたりですね」 皮肉な口調でわらう。 ナルさー、そのわらいかたやめなよ。眼がわらってないんだってば。すっげー、不穏《ふおん》な顔つきになるぞ。もっとこう、素直にわらえないのかねぇ。
その夜だった。最初の異変がおこったのは。 九時をまわった頃、科学研究所……もとい、ベースに香奈さんが飛びこんできた。 「ちょっと、来て!」 香奈さんは青い顔。パニック寸前。 「どうしました?」 落ちついた声で聞くナルの腕を乱暴につかんだ。 「いいから、来てよ!」 あたしたち――リンさんをのぞく四人――は顔を見合わせ、香奈さんのあとについて行った。
4
香奈《かな》さんがあたしたちを連《つ》れて行ったのは、礼美《あやみ》ちゃんの部屋だった。 礼美ちゃんの部屋も、あたしたちや綾子《あやこ》さんの部屋と同じく、二階にある。「これを見て!」 香奈さんがヒステリックにドアを開ける。中を見て、あたしたちは眼を見張った。 壁《かべ》にピッタリつけて置いてあった机が斜めになっている。それだけじゃない。 斜めになったベッド、本棚《ほんだな》、タンス。 部屋のすみでは、パジャマに着替えた礼美ちゃんがポカンと立っていた。 「……なんてこった……」 ぼーさんのつぶやきに、香奈さんが厳しい顔を向ける。 「……礼美ちゃんを寝かしつけようと思って、ふたりで部屋にもどって来たらこうよ。 どうなってるの? こういうことがおさまるように来てくれたんじゃなかったの?」 ヒステリックな声を聞きながら、あたしはキョトンとして部屋のようすをながめている礼美ちゃんの体に手をまわす。 「礼美《あやみ》ちゃん?」 礼美ちゃんは不思議《ふしぎ》そうに眼をパチパチさせてから、あたしを見上げる。 「どうしてみんなナナメになってるの?」 本当にビックリしている。 「うん。どうしてだろうね」 答えながら気がついた。カーペットまでが斜めになってる……。 ふいに背筋が寒くなる。 こんな重いもの、いったい誰《だれ》が? カーペットなんて、上に家具がのってるのよ? あたしなんかの力じゃ、一センチだって動かない。 いったい、誰《だれ》が? どうやって? ドアのところから部屋の中を見まわしていた綾子《あやこ》がボソッと、 「その子が、やったんじゃないでしょうねぇ」 あたしは思わずムッとする。 「こんなこと、礼美ちゃんにできるわけ、ないでしょーが」 「ムリだろうな」 あたしを応援してくれたのは、ぼーさんだ。 「上に家具がのったままだ。俺《おれ》でもできねぇな。――それとも、おまえさんならできるのか?」 言って綾子に軽蔑《けいべつ》の視線を向けてやるる そーよ、そーよ。 ナルがそっけない声で香奈さんに、 「……とりあえず、部屋を調べてみたいのですが、いいですか?」 「ええ。どうぞ」 香奈さんはうなずいて、 「わたしたちは下にいますから」 そう言って、礼美ちゃんの手をひいた。礼美ちゃんは、うつむかせていた顔をふとあげてあたしを見上げる。 「礼美じゃないよ」 礼美ちゃんは泣きそうだった。 「わかってる。礼美ちゃんじゃないよねぇ」 あたしはあわてて身をのりだした。 ……綾子の考えなしっ! どーすんだよ、礼美ちゃん、キズついちゃったじゃないかーぁ。 ぼーさんまでが礼美《あやみ》ちゃんの頭をなでて、 「みーんなわかってるから、な?」 「うん」 礼美ちゃんが、やっと笑顔を作った。
香奈さんに手をひかれて下へ降りていく礼美ちゃんを見送ってから、あたしたちは顔を見合わせる。 「どう思う、ナルちゃん?」 「どう思う、もないだろう?」 こんなことができる人間がいたら、お目にかかりたい。 松崎さんの知り合いはどうだか知らないけど、僕《ぼく》の知り合いにはこんな怪力の持ち主はいないな」 ……だよねぇ。 綾子がきまりわるげにそっぽを向く。 「ちょっと言ってみただけじゃない」 ナルは床にかがみこんで試しに引っ張ってみる。ぼーさんも手を貸す。カーペットはもちろん、ビクともしなかった。 ナルはさらにカーペットをめくってみる。 「なんの痕跡《こんせき》もない。人間にはムリだな つぶやくように言ったときだ。階下から悲鳴が聞こえたのは あたしたちは顔を見合わせるすぐに、全員が下に駆《か》けおりた。
「どうしたの?」 悲鳴のした、居間のほうに走る。 居間に飛びこむと、真っ青な顔をした香奈さんが立ちすくんでいるのが眼に入った。そのそばにはポカンとした礼美ちゃん。典子さんがお勝手のほうから駆けて来て、居間をのぞくなり驚いたように立ち止まった。 「…………!!」 あたしたちも立ちつくす。 居間の家具、全部が裏返しになっていた。 テーブルやイスは足を上に、壁《かべ》ぎわの飾り棚《だな》は、ピッタリ壁についたまま背中を見せている。かかった絵も全部裏がえし。 さすがに誰《だれ》もが声も出なかった。 テーブルをひっくりかえすのはいい。すごく厚い木のテーブルで、かなり力がいりそうだけど、できないことじゃない気がする。たとえば、ナルとリンとぼーさんの三人がかでやれば、音もたてずにできるだろう。 でも棚《たな》は? さっきこの部屋でお茶をいただいたので覚えてる。あの棚の中には、香奈さんが集めている時計が入っていたのだ。 たくさんの置き時計。古いものや新しいもの。大理石のもの、真鍮《しんちゅう》のもの、ブロンズのもの、ガラスのもの。香奈さんが自慢そうに見せてくれたものなんか、純銀製だと言っていた。 そんな重いものが入った棚を……しかも棚じたいが厚い木を使ったもので重そうな……それをどうやって動かすわけ? 壁《かべ》から引き離して、裏返して、もいちど壁にくっつけて。 そうしてあたしは気がついた。 足元。 この部屋のカーペットは、家具をのせたままの状態で裏返しになっていた……。
あたしたちはあらためて、礼美《あやみ》ちゃんの部屋と居間とに機材を運んで設置した。 今夜は礼美ちゃんは、典子さんの部屋で寝ることにしたようだ。 廊下《ろうか》の映像のかわりにふたつの部屋のようすを映したTVを見守りながら、ナルが考えこむ。 そのわきからぼーさんが、 「ポルターガイストってわけだ。疑問の余地なし、だろ?」 ナルのかわりに綾子が割りこむ。 「そんなの、わかりきってるじゃない。 問題は、ポルターガイストを起こしている犯人よ」 「地自霊《じばくれい》じゃねぇのか」 「地霊だと思うわ」 ……まーた、始まった。あんたら、いつも地縛霊と地霊なのな。前に大恥かいたの、忘れたのか? ナルは答えない。 「どっちにしても簡単よ、簡単。 明日、いっぱつ祓《はら》ってみようかな」 軽く言って綾子が立ち上がった。 「ナルちゃんは、TVのおもり? 時間の無駄だと思うけど?」 ナルは無視。綾子は肩をすくめてから、ヒラヒラ手を振って出て行く。 「まー、好きなだけやってるのね。アタシは寝ようっと」 ……あいかわらず、意味もなく自信に満ちたやつ。前の事件じゃ、全然役にたたなかったくせに。 綾子が出て行ってからぼーさんが、 「どうした? えらく考えこんでるじゃねぇか」 ナルは答えない。返事ぐらいしてやれよ、もー。 しかしぼーさんは、気にするようすもない。 「なんか、気になることでも?」 ナルはやっと口をひらく。 「反応が早いと思わないか?」 「はー?」 ナルの眼は暗い。深い深い闇《やみ》の色。 「心霊現象というのは、部外者を嫌《きら》う。無関係な人間が入ってくると、一時的にナリをひそめる」 「そういや、そうだが」 あたしはぼーさんに聞く。 「そうなの?」 こういう質問をナルにしたって、無知だって言われるだけだってわかってるもんね。 「まぁな。……TVでよくあるだろう。幽霊《ゆうれい》屋敷の番組が。有名な幽霊屋敷に取材に行っても、たいがい何も起こらない」 「そうだねー」 「幽霊でもポルターガイストでも、部外者がくれば、ナリをひそめる。 ……たしかにそうだ」 ナルは眼をTVにやったまま、 「なのにいきなりあれだ。 典子さんに聞いてたやつよりも、反応が強い」 「……たしかにな。 お嬢さんの話じゃ、せいぜい家具が揺《ゆ》れる程度だってことだったが……」 「どう思う?」 ぼーさんは、めずらしくマジな顔で腕を組む。 「……ふつうは、反応が弱くなるもんだよな。すげえラップ音がすると聞いて行ってみると、きしみ程度とかさ。 それが反対に強くなるってことは……」 ちょっと言葉を切ってから、 「反発」 ナルがぼーさんを見かえす。 「ぼーさんも、そう思うか?」 「だろうな。この家、俺《おれ》たちが来たのにカンづいて、ハラをたててるぜ」 「しかも、いきなりあれだけの大業《おおわざ》を見せてくれたということは……」 「このポルターガイスト、ハンパじゃねぇ」 ナルがうなずいた。 「……てこずるかもしれないな」 つぶやきめいたナルの声に、あたしは不安になる。 ……てこずるって……。
その夜はそのまま何の動きもなかった。あたしたちは明け方、やっと眠りについた。
5
テーブルの上には花瓶《かびん》。昨日のまま。まわりにひいた線からもはみ出していない。 「どうだ?」 暗視カメラに接続したビデオにかがみこんでいたナルが聞く。 「動いたようすはないよ」 「やっぱりな。こっちも、録画されていない。反応なしだ」
ベースにもどって、あたしはナルに聞く。 「花瓶が動いていないということは……。 この家のポルターガイストは、家の人間のしわざじゃないわけね?」 「おそらく」 「ねぇ、海外に行っている典子《のりこ》さんのお兄さんが犯人ってことはないの?」 「ないだろう。この場にいないんだから。中年の男が犯人だった例は僕《ぼく》も知らないが、もしそうだったとしても、彼が犯人ならポルターガイストはついて行く。今ごろは宿泊先のホテルで吹き荒れてるはずだ」 「じゃ、……霊?」 「さてね」 ……おねがい、ちがうって言ってよぉ。 ナルはあたしを振りかえる。 「これだけじゃあ、判断のしようがない。 麻衣《まい》、各部屋に温度計を持って行って、気温の測定をやってくれ」 ナルは立ち上がってリンさんを振り向く。いつだって黙りこんで、いるかいないかわからないみたいにして機械の前にすわっている無愛想《ぶあいそう》なひと。 「リン、地盤調査をやってみる」 「はい」 彼は機械の前から立ち上がった。
午後、あたしが家中の温度を調べるためにかけずりまわっている間に、綾子《あやこ》のお祓《はら》いが始まった。 綾子は礼美《あやみ》ちゃんの部屋で祈祷《きとう》をおこなうことにしたようだ。あたしがベースに立ち寄った時には、綾子はTVの中で三角形の祭壇を組み立てて、その前に立っていた。その後ろには神妙な顔をした香奈《かな》さん、典子さん、柴田さん。 スピーカーからは単調な祝詞《のりと》――神道《しんとう》の呪文ね――が聞こえる。 『つつしんでかんじょうたてまつる、やしろなきこのところに、こうりんちんざしたまいて……』 機械の前にはぼーさんがすわって、ヒマそうにTVをながめている。リンさんは水脈調査に出かけ、ナルは家の状態を調べるためにあちこちをとびまわっている。 『しんぐうのはらいかずかずかずかず、たいらけくやすらけく、きこしめしてねがうところをかんのうのうじゅなさしめたまえ……』 「ぼーさんは、なんにもしないの?」 ……ひとりだけヒマそうにしてるなんて、ズルイんじゃない? 「まーな」 「まさか、ナルの調査結果を待ってるとか?」 イヤミで言ってやったら、あっさり、 「そういうこと。楽できるのに、ムリに働くこたぁ、ねぇからな!」 ……てめー。このちゃっかしものっ。 『ちはやふるここもたかまのはらなり、あつまりたまえよものかみがみ……』 スピカーから流れてくる綾子の声を背に、あたしは部屋を出る。後ろからぼーさんが追いかけてきた。 「おや、嬢ちゃん、ゆっくりしていかないのか?」 「あたし、いそがしいの。どっかのお坊さんとちがって」 ……ふーんだ。 「おまえ……ナルに性格、似てきたんじゃないのか?」 「そらもー。所長と言えば親も同然、アルバイトと言えば子も同然」 「なんだ、そりゃ」 言ってから、 「まぁ、機材は俺《おれ》が見といてやるよ。がんばんな」 ……えらそーに。ちょっとは働けよな、おまえー。
綾子は祈祷《きとう》を終えて、自信満々。香奈《かな》さんに、「今夜からはゆっくり眠れますわ」なんてことをのたまっていたが、はてさて、どうなるか。
「どう?」 あたしはナルに、ボードを渡す。各部屋の温度を一日じゅう調べたやつだ。すでに夜。十時をまわったる 「礼美《あやみ》ちゃんの部屋が少しだけ低い」 ……霊の出る場所は、温度が低くなるものらしい。 ナルはボードから眼をあげて、この家の平面図をにらむ。 「家じたいには、ゆがみもひずみもないな。床もほぼ水平。地下に水脈が通っているが、水量が減っているようすもない」 ポルターガイストは、地盤沈下《ちんか》や家じたいのひずみで起きることがある。一日がかりで調べたかぎり、そういうようすはないから、やはり……。 「犯人はじゃあ、やっぱり霊?」 「その可能性が増えてきたな」 ……げ。 か……考えないようにしてきたのにぃ……。 あたしはじつは幽霊《ゆうれい》がこわい(当然だけどさ)ポルターガイストは、犯人が人間のことがあるし、むしろそういう場合のほうが多いらしいのであまりこわくない。 あたしは幽霊を見たことがない。学校で友達が「このあたりに何かいる」と言っても、何も感じない。だからよけいにこわいって心理もあるわけで……。我ながら、とんでもないバイトをしてるなぁ……。
――そのとき、柴田さんの悲鳴が聞こえた。
悲鳴のした台所へ、あたしたちは走る。途中で駆《か》けよる典子さんの姿が見えた。 台所に走りこんで驚く。 ガス管が火を吹いている! 典子さんが悲鳴をあげる。柴田さんは立ちすくんで動けない。 あたしはとっさにあたりを見まわした。 消火器日 消火器は!? バーナのように伸びた炎が、今にも反対側の壁《かべ》に届きそうだ。 ナルとぼーさんが柴田さんに駆け寄って、炎から遠ざける。あたしは、冷蔵庫の隣にあった消火器をつかんだ。 「典子さん、消火器は他にないの!?」 叫びながら消化剤をぶちまける。あたりが一面、白い泡《あわ》でかすむ。すぐに典子さんが、消火器を抱えてもどってきた。 二本の消火器を使いきって、火はやっと消えた。典子さんが元栓《もとせん》を閉じる。 それきり、あたしも典子さんも床にへたりこんでしまった。 「あ……ありがとう」 柴田さんは、横から見てもわかるくらい震《ふる》えている。ぼーさんがその体をさすってやる。 「おばさん、だいじょうぶか?」 「ええ……。こんな……こんなこと……」 「とにかく、今日は帰りな。俺《おれ》が送ってやろうか?」 ガクガクとうなずく柴田さん。 ぼーさん、けっこうやさしいところあるじゃない、そう言いかけて、あたしはハッとした。 窓に人影……。 家の中のほうが明るいのでよくわからない。でも、子供なのはたしかだった。 子供が、ジッと窓の外から中をのぞきこんでいる。 その姿は、ふいに窓から離れて見えなくなった。 「ナル!」 「どうした?」 「いまの見た?」 ナルは首をかしげてあたしの視線の方向をうかがう。 「どうしたんだ?」 「人影が見えたの……」 あたしが言うと、ナルは窓に近寄ってあたりをうかがった。 「誰もいない。もう」 「いたの、確かに。中をのぞいていた。……子供だったよ」 全員がハッとする。 「礼美《あやみ》ちゃん?」 「わかんない。顔は見えなかったから」 「でも、礼美はもう寝てるはずよ」 典子さんが不安げな声をあげる。 ナルは少し闇《やみ》色の眼を床に落とす。 「ようすを見てこよう」
礼美《あやみ》ちゃんは今夜も典子さんの部屋にいる。典子さんの部屋の明かりは消えていた。 光でかすかに中のようすが見てとれる。 ……礼美ちゃんはベッドに入っていなかった。床にすわって人形……ミニーと遊んでいる。ミニーは、ハンカチのふとんをかけてもらっていた。 真っ暗な部屋で、人形と遊んでいる子供。それは、なんとなく胸の痛む風景だ。 礼美ちゃんは顔をあげる。 典子さんが明かりをつけて、礼美ちゃんの前にすわった。 「礼美、さっき、台所をのぞいてた?」 礼美ちゃんはまぶしそうに眼をパチパチしてから、不思議《ふしぎ》そうに首を振る。 典子さんのものいいが詰問《きつもん》調になる。礼美ちゃんが不安そうな顔をする。「ううん」 少し腹だたしげに首を振る。 典子さんが小さくため息をついたとき、天井《てんじょう》の近くで激しい音がした。ドンッと天井になにか落ちたような音。 ハッとあたしたちは、天井を振りかえる。たて続けに天井が鳴った。 「礼美じゃない!」 突然、礼美ちゃんが叫ぶ。 「ちがうもんっ!」 今にも泣きだしそうな叫び。 それに答えるように、天井が鳴る。シャンデリアが揺《ゆ》れて、音をたてた。 ドンッと、音はしだいに大きくなる。 音のするたび、床が揺れた。ゴトンと家具が揺れる。 「典子さん、ここは危ない……」 ナルがそう話かけたとたん、激しく床が揺れる。そうして礼美ちゃんの本棚《ほんだな》が、大きく傾いた。 「典子……さん……っ!」 典子さんが振りかえる間もなかった。 本棚は絵本やぬいぐるみをこぼしながら、典子さんの上に倒れかかる。 思わず悲鳴がのどをついた。 礼美《あやみ》ちゃんの凍《こお》りつきそうな叫び。 その叫びを合図にしたように、部屋の明かりが消えた。
6
典子《のりこ》さんは強く体を打っただけで、さいわい、特にケガはなかった。部屋にもどして眠らせる。 あたしたちはベースに集まる。 チェス盤のように積み上げたTVのひとに、礼美ちゃんの部屋が映っている。 礼美ちゃんは今夜も典子さんの部屋にいる。無人の部屋。画面がみょうしらじらと明るいのは、高感度カメラを使っているせいだ。 画面の端には数字のられつ。刻々と変わっていく。これは時間のカウント。 他には居間がひとつ。台所がひとつ。一階と二階の廊下《ろうか》がひとつずつ。 あと、青や黄色のまだら模様のがいくつか。これはサーモ・グラフィーといって、温度を眼に見えるようにする機械の映像だ。黄色いところは温度が高い。反対に青いところは低い。 TVの画面には変化なし。 「また失敗しやがったな」 ぼーさんが綾子《あやこ》をにらみつける。綾子がスネたようにそっぽを向いた。 「えええ。どーせ、アタシは無能ですよぉ。悪かったわね」 ……オロカもの。 「……でも、ちょっと危険な気がしない?」 綾子の声に不安の色。 「ガス管が火を吹くのよ? ……自動発火。ポルターガイストにしちゃ高級すぎない?」 「自動発火、ってなに?」 あたしが聞くと、 「なによ、ちょっとは利口《りこう》になったと思ったのに、あいかわらずねぇ、麻衣《まい》は」 「ごめんねー。あたし、誰《だれ》かさんみたいに有能なプロじゃないもんで」 あたしが皮肉たっぷりに言ってやると、さすがに居心地の悪そうな顔をする。 「……どうせアタシは、プロのくせに無能だわよぉ」 ……いじけてやんの。 ぼーさんが楽しそうに、 「まー、まー。こいつが無能なのは、今に始まったことじゃない。 ――自動発火ってのはな、読んで字のごとし。火の気のない場所で、勝手に火を吹くのを言う。こういうポルターガイストは、かなり高級」 ……それって、危険なんじゃないの? あたしの不安を見すかしたように、ナルが冷た |