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悪霊シリーズ第2巻 悪霊がホントにいっぱい
作者:    出处:    发表时间:2007-09-20    浏览次数:     


 ちょっと言葉を切ってから、
「反発」
 ナルがぼーさんを見かえす。
「ぼーさんも、そう思うか?」
「だろうな。この家、俺《おれ》たちが来たのにカンづいて、ハラをたててるぜ」
「しかも、いきなりあれだけの大業《おおわざ》を見せてくれたということは……」
「このポルターガイスト、ハンパじゃねぇ」
 ナルがうなずいた。
「……てこずるかもしれないな」
 つぶやきめいたナルの声に、あたしは不安になる。
 ……てこずるって……。

 その夜はそのまま何の動きもなかった。あたしたちは明け方、やっと眠りについた。

     5

 テーブルの上には花瓶《かびん》。昨日のまま。まわりにひいた線からもはみ出していない。
「どうだ?」
 暗視カメラに接続したビデオにかがみこんでいたナルが聞く。
「動いたようすはないよ」
「やっぱりな。こっちも、録画されていない。反応なしだ」

 ベースにもどって、あたしはナルに聞く。
「花瓶が動いていないということは……。
 この家のポルターガイストは、家の人間のしわざじゃないわけね?」
「おそらく」
「ねぇ、海外に行っている典子《のりこ》さんのお兄さんが犯人ってことはないの?」
「ないだろう。この場にいないんだから。中年の男が犯人だった例は僕《ぼく》も知らないが、もしそうだったとしても、彼が犯人ならポルターガイストはついて行く。今ごろは宿泊先のホテルで吹き荒れてるはずだ」
「じゃ、……霊?」
「さてね」
 ……おねがい、ちがうって言ってよぉ。
 ナルはあたしを振りかえる。
「これだけじゃあ、判断のしようがない。
 麻衣《まい》、各部屋に温度計を持って行って、気温の測定をやってくれ」
 ナルは立ち上がってリンさんを振り向く。いつだって黙りこんで、いるかいないかわからないみたいにして機械の前にすわっている無愛想《ぶあいそう》なひと。
「リン、地盤調査をやってみる」
「はい」
 彼は機械の前から立ち上がった。

 午後、あたしが家中の温度を調べるためにかけずりまわっている間に、綾子《あやこ》のお祓《はら》いが始まった。
 綾子は礼美《あやみ》ちゃんの部屋で祈祷《きとう》をおこなうことにしたようだ。あたしがベースに立ち寄った時には、綾子はTVの中で三角形の祭壇を組み立てて、その前に立っていた。その後ろには神妙な顔をした香奈《かな》さん、典子さん、柴田さん。
 スピーカーからは単調な祝詞《のりと》――神道《しんとう》の呪文ね――が聞こえる。
『つつしんでかんじょうたてまつる、やしろなきこのところに、こうりんちんざしたまいて……』
機械の前にはぼーさんがすわって、ヒマそうにTVをながめている。リンさんは水脈調査に出かけ、ナルは家の状態を調べるためにあちこちをとびまわっている。
『しんぐうのはらいかずかずかずかず、たいらけくやすらけく、きこしめしてねがうところをかんのうのうじゅなさしめたまえ……』
「ぼーさんは、なんにもしないの?」
 ……ひとりだけヒマそうにしてるなんて、ズルイんじゃない?
「まーな」
「まさか、ナルの調査結果を待ってるとか?」
 イヤミで言ってやったら、あっさり、
「そういうこと。楽できるのに、ムリに働くこたぁ、ねぇからな!」
 ……てめー。このちゃっかしものっ。
『ちはやふるここもたかまのはらなり、あつまりたまえよものかみがみ……』
 スピカーから流れてくる綾子の声を背に、あたしは部屋を出る。後ろからぼーさんが追いかけてきた。
「おや、嬢ちゃん、ゆっくりしていかないのか?」
「あたし、いそがしいの。どっかのお坊さんとちがって」
 ……ふーんだ。
「おまえ……ナルに性格、似てきたんじゃないのか?」
「そらもー。所長と言えば親も同然、アルバイトと言えば子も同然」
「なんだ、そりゃ」
 言ってから、
「まぁ、機材は俺《おれ》が見といてやるよ。がんばんな」
 ……えらそーに。ちょっとは働けよな、おまえー。

 綾子は祈祷《きとう》を終えて、自信満々。香奈《かな》さんに、「今夜からはゆっくり眠れますわ」なんてことをのたまっていたが、はてさて、どうなるか。

「どう?」
 あたしはナルに、ボードを渡す。各部屋の温度を一日じゅう調べたやつだ。すでに夜。十時をまわったる
「礼美《あやみ》ちゃんの部屋が少しだけ低い」
 ……霊の出る場所は、温度が低くなるものらしい。
 ナルはボードから眼をあげて、この家の平面図をにらむ。
「家じたいには、ゆがみもひずみもないな。床もほぼ水平。地下に水脈が通っているが、水量が減っているようすもない」
 ポルターガイストは、地盤沈下《ちんか》や家じたいのひずみで起きることがある。一日がかりで調べたかぎり、そういうようすはないから、やはり……。
「犯人はじゃあ、やっぱり霊?」
「その可能性が増えてきたな」
 ……げ。
 か……考えないようにしてきたのにぃ……。
 あたしはじつは幽霊《ゆうれい》がこわい(当然だけどさ)ポルターガイストは、犯人が人間のことがあるし、むしろそういう場合のほうが多いらしいのであまりこわくない。 あたしは幽霊を見たことがない。学校で友達が「このあたりに何かいる」と言っても、何も感じない。だからよけいにこわいって心理もあるわけで……。我ながら、とんでもないバイトをしてるなぁ……。

 ――そのとき、柴田さんの悲鳴が聞こえた。

 悲鳴のした台所へ、あたしたちは走る。途中で駆《か》けよる典子さんの姿が見えた。 台所に走りこんで驚く。
 ガス管が火を吹いている!
 典子さんが悲鳴をあげる。柴田さんは立ちすくんで動けない。
 あたしはとっさにあたりを見まわした。
 消火器日 消火器は!?
 バーナのように伸びた炎が、今にも反対側の壁《かべ》に届きそうだ。
 ナルとぼーさんが柴田さんに駆け寄って、炎から遠ざける。あたしは、冷蔵庫の隣にあった消火器をつかんだ。
「典子さん、消火器は他にないの!?」
 叫びながら消化剤をぶちまける。あたりが一面、白い泡《あわ》でかすむ。すぐに典子さんが、消火器を抱えてもどってきた。
 二本の消火器を使いきって、火はやっと消えた。典子さんが元栓《もとせん》を閉じる。
 それきり、あたしも典子さんも床にへたりこんでしまった。
「あ……ありがとう」
 柴田さんは、横から見てもわかるくらい震《ふる》えている。ぼーさんがその体をさすってやる。
「おばさん、だいじょうぶか?」
「ええ……。こんな……こんなこと……」
「とにかく、今日は帰りな。俺《おれ》が送ってやろうか?」
 ガクガクとうなずく柴田さん。
 
 ぼーさん、けっこうやさしいところあるじゃない、そう言いかけて、あたしはハッとした。
 窓に人影……。
 家の中のほうが明るいのでよくわからない。でも、子供なのはたしかだった。
 子供が、ジッと窓の外から中をのぞきこんでいる。
 その姿は、ふいに窓から離れて見えなくなった。
「ナル!」
「どうした?」
「いまの見た?」
 ナルは首をかしげてあたしの視線の方向をうかがう。
「どうしたんだ?」
「人影が見えたの……」
 あたしが言うと、ナルは窓に近寄ってあたりをうかがった。
「誰もいない。もう」
「いたの、確かに。中をのぞいていた。……子供だったよ」
 全員がハッとする。
「礼美《あやみ》ちゃん?」
「わかんない。顔は見えなかったから」
「でも、礼美はもう寝てるはずよ」
 典子さんが不安げな声をあげる。
 ナルは少し闇《やみ》色の眼を床に落とす。
「ようすを見てこよう」

 礼美《あやみ》ちゃんは今夜も典子さんの部屋にいる。典子さんの部屋の明かりは消えていた。
 光でかすかに中のようすが見てとれる。
 ……礼美ちゃんはベッドに入っていなかった。床にすわって人形……ミニーと遊んでいる。ミニーは、ハンカチのふとんをかけてもらっていた。
 真っ暗な部屋で、人形と遊んでいる子供。それは、なんとなく胸の痛む風景だ。
 礼美ちゃんは顔をあげる。
 典子さんが明かりをつけて、礼美ちゃんの前にすわった。
「礼美、さっき、台所をのぞいてた?」
 礼美ちゃんはまぶしそうに眼をパチパチしてから、不思議《ふしぎ》そうに首を振る。 典子さんのものいいが詰問《きつもん》調になる。礼美ちゃんが不安そうな顔をする。「ううん」
 少し腹だたしげに首を振る。
 典子さんが小さくため息をついたとき、天井《てんじょう》の近くで激しい音がした。ドンッと天井になにか落ちたような音。
 ハッとあたしたちは、天井を振りかえる。たて続けに天井が鳴った。
「礼美じゃない!」
 突然、礼美ちゃんが叫ぶ。
「ちがうもんっ!」
 今にも泣きだしそうな叫び。
 それに答えるように、天井が鳴る。シャンデリアが揺《ゆ》れて、音をたてた。
 ドンッと、音はしだいに大きくなる。
 音のするたび、床が揺れた。ゴトンと家具が揺れる。
「典子さん、ここは危ない……」
 ナルがそう話かけたとたん、激しく床が揺れる。そうして礼美ちゃんの本棚《ほんだな》が、大きく傾いた。
「典子……さん……っ!」
 典子さんが振りかえる間もなかった。
 本棚は絵本やぬいぐるみをこぼしながら、典子さんの上に倒れかかる。
 思わず悲鳴がのどをついた。
 礼美《あやみ》ちゃんの凍《こお》りつきそうな叫び。
 その叫びを合図にしたように、部屋の明かりが消えた。

     6

 典子《のりこ》さんは強く体を打っただけで、さいわい、特にケガはなかった。部屋にもどして眠らせる。
 あたしたちはベースに集まる。
 チェス盤のように積み上げたTVのひとに、礼美ちゃんの部屋が映っている。
 礼美ちゃんは今夜も典子さんの部屋にいる。無人の部屋。画面がみょうしらじらと明るいのは、高感度カメラを使っているせいだ。
 画面の端には数字のられつ。刻々と変わっていく。これは時間のカウント。
 他には居間がひとつ。台所がひとつ。一階と二階の廊下《ろうか》がひとつずつ。
 あと、青や黄色のまだら模様のがいくつか。これはサーモ・グラフィーといって、温度を眼に見えるようにする機械の映像だ。黄色いところは温度が高い。反対に青いところは低い。
 TVの画面には変化なし。
「また失敗しやがったな」
 ぼーさんが綾子《あやこ》をにらみつける。綾子がスネたようにそっぽを向いた。
「えええ。どーせ、アタシは無能ですよぉ。悪かったわね」
 ……オロカもの。
「……でも、ちょっと危険な気がしない?」
 綾子の声に不安の色。
「ガス管が火を吹くのよ?
 ……自動発火。ポルターガイストにしちゃ高級すぎない?」
「自動発火、ってなに?」
 あたしが聞くと、
「なによ、ちょっとは利口《りこう》になったと思ったのに、あいかわらずねぇ、麻衣《まい》は」
「ごめんねー。あたし、誰《だれ》かさんみたいに有能なプロじゃないもんで」
 あたしが皮肉たっぷりに言ってやると、さすがに居心地の悪そうな顔をする。
「……どうせアタシは、プロのくせに無能だわよぉ」
 ……いじけてやんの。
 ぼーさんが楽しそうに、
「まー、まー。こいつが無能なのは、今に始まったことじゃない。
 ――自動発火ってのはな、読んで字のごとし。火の気のない場所で、勝手に火を吹くのを言う。こういうポルターガイストは、かなり高級」
 ……それって、危険なんじゃないの?
 あたしの不安を見すかしたように、ナルが冷たい声をはさむ。
「こわいんだったら、帰っていいぞ」
 ……こわかねぇよ。
「ま、なんとかなるだろ」
 ぼーさんは、のほほんとした声を出した。
「ガスは大元の栓《せん》を閉めた。これでもう、少なくともガス管が火を吹くようなことはないからさ」
 ……ずぶといな、こいつ。
「それより、ナル。気にならねぇか?」
「礼美《あやみ》ちゃん?」
「そう。さつきのポルターガイスト、ありゃ、まるであの子の叫び声に答えるみたいだったぞ。麻衣も台所で子供の影を見たというし……」
「礼美ちゃんがポルターガイストの犯人だと?」
 ぼーさんが頬《ほお》をなでる。
「暗示実験の結果は、家の住人が犯人ではない、と出たんだっけか。
 その結果にどの程度自信がある?」
「百パーセント」
 ナルのキッパリした答え。
「家人に犯人はいない」
「おまえさんが、暗示に失敗した可能性だってあるんだぜ?」
「ありえない」
 ……あいかわらず、自信かだなー、ナルってば。
「絶対と言い……」
 ぼーさんがくいさがったところで、低い声が割って入った。
「ナルは暗示の達人ですから」
 
 ……今の声……リンさんかぁ?
「へぇ、ずいぶん信頼したもんね?」
 ここぞとばかりに、綾子がめいっぱい皮肉な声を出す。しかし、リンさんはTVから視線さえはずさない。
「事実を申しあげただけです」
 感情の欠落した声。あたしは、ときどきリンさんがロボットかなんかに見える。
 綾子がさらになにかを言おうとしたとき、
「ナル」
 リンさんが再び声をあげた。
「温度が下がりはじめました」
 ナルがTVに眼をやる。
「……何時だ?」
「二時四十二分です」
 リンさんが答えたところで、礼美《あやみ》ちゃんの部屋の映像の隅《すみ》に、赤い光が現れた。
「なに?」
 あたしが指さしてナルに聞くと、
「マイクに音が入ったんだ。――リン、スピーカー」
 リンさんが機械をいじると、すぐにコトッという音がスピーカーから流れてきた。
「……?」
 しばらくしてドンッという衝撃音。コツコツなにかをたたく音。パシッとなにかがはじける音。あっという間に騒がしくなって、まるで大勢の人間が、ものも言わずに大騒ぎしているみたいだ。
「すごい音……」
 画面にはなにも映っていない。無人の部屋。なにひとつ動いていない。なんだかちぐはぐで、気味が悪い。
「これは……すごい……」
 ナルが本当に感動したようにつぶやく。
「なにが?」
「温度。すごい勢いで下がっていく……」
 あたしは画面に眼をやる。青いシミが映っているテレビ。
「サーモ・グラフィー?」
 温度を眼に見えるようにする装置。暖色のところは高く、寒色のところは低い……。画面は、紺《こん》色に青のグラディエーション。
「強烈だな。まだ下がる……。ほとんどが氷点下……」
 ナルは感動しきっているように見えた。
 激しい音が続いている。
「礼美ちゃんのしわざではありえない。絶対に人間のしわざじゃない……」
 ……ま、まさか。
「幽霊《ゆうれい》?」
「確実。しかも、ものすごく強い……」
 ナルが表情を引き締めた。
「これは、ぼーさんが正解だな」
「地縛霊《じばくれい》?」
「おそらくは」
 ナルのオフィスでバイトをはじめて三か月。ついに来るべき時がき来た、という感じ。バイトを始めたときから、ひょっとしたら幽霊《ゆうれい》さんなんかにも会っちゃうかもしれないなー、なんて軽く考えてはいたけれど。
 背筋がゾクゾクする。
 ぼーさんがみょうにうれしそうにガッツ・ポーズをとった。
「言ったろ? 俺《おれ》は綾子とちがって、有能なんだってば」
「まぐれにしても上出来だ」
 ナルのわらい、綾子がくやしそうにぼーさんをにらむ。
「ヒョウタンからコマ、ってやつよ。ねぇ、ナル?」
「……は?」
 ナルが聞き返す。
 ぼーさんがわらいを浮かべる。
「なんとでも言ってろ。
 相手が死人の霊なら、坊主《ぼうず》の担当だ。俺がさっぱり追い払ってやるぜ」
「失敗しないといいわね」
 綾子がわらう。
「まぁ、腕の差を見せてもらいましょ。あたしとちがって、有能だそうだから」
「もちろん、おまえほど無能じゃない」
「そのわりに、前の事件じゃ失敗したわね。アタシと同様に」
「あれはだなー」
 ……またはじまった。ぼーさんと綾子。ここまでくると、仲がいいんじゃないかと思っちゃうよ、あたしは。

 その音は、一時間以上続いて徐々に静まっていった。
 それであたしたちは、ようやく短い仮眠をとったのだった。


二章 少女


     1

 翌日、あたしが起きたときには、すでにナルはいなかった。調べものをすると言って、出かけたと言う。それであたしは、ベースをリンさんにまかせて、典子《のりこ》さんの部屋を尋ねた。
 リンさんは扱いにくい。ふたりでいると気詰まりで。
 部屋では礼美《あやみ》ちゃんがひとりでママゴトをしていた。
「礼美ちゃん、仲間にいれてー」
 あたしが言うと、礼美ちゃんは黙って首を横に振る。見守っていた典子さんが肩をすくめる。
 礼美ちゃんは、ミニーにお茶をいれてあげる。ケーキを食べさせてあげる。
「歩みちゃんって、おとなしいなぁ」
 あたしが典子さんに言うと、彼女は顔を曇《くも》らせた。
「こんな子じゃなかったんだけど……」
「そうなの?」
「ん。もっと明るかったんだけどね。ひとなつっこかったし。それが、お兄さんが結婚して、この家に引っ越してきた頃からああなの。あまりしゃべらなくなったし、笑わなくなったし……」
「……ねぇ、典子さん?」
 あたしはちょっと勇気のいることを聞いてみる気になった。
「香奈《かな》さんって……どうなの?」
「え?」
 典子さんはあたしを不思議《ふしぎ》そうに見てから、ああ、とわらった。
「兄と義姉《あね》はうまくいってるわ。わたしもうまくやってるつもりよ。短気だけど、いいひとだと思う。礼美はまだ緊張してるみたいだけど……」
「ふうん……」
 そんな話をしていたら、三時、香奈さんが本物のおやつを持ってきた。
 本当だったらこういうことは、家政婦の柴田さんの仕事かもしれない。でも、柴田さんはいない。ゆうべの事件がこわかったのか、おひまをください、と言ってきたそうだ。
 テーブルの上におやつをのせたトレイを置いて、
「礼美《あやみ》ちゃん、遊んでもらってたの? よかったわねぇ。何をして遊んでたのかな?」
 礼美ちゃんをのぞきこむ。
 礼美ちゃんは人形のような無表情で、それを無視する。
「返事ぐらいしてほしいな」
 香奈さんの声が、ちょっとカリカリする。
「さ、おやつよ」
 彼女はすこし乱暴に、クッキーののったお皿をつきつけた。礼美ちゃんはイヤイヤをした。
「なに? ほしくないの?」
 コックリする礼美ちゃん。
 香奈さんは険のある視線を礼美ちゃんに投げてから、乱暴に部屋を出ていった。
 典子さんがため息をつく。そうして、礼美ちゃんを振りかえった。
「礼美、おやつ、たべないの?」
 
 コックリする礼美ちゃん。
「じゃ、おねえちゃんが食べちゃおうかな?」
 とたん、礼美ちゃんが叫んだ。
「だめっ!」
「え?」
「どくがはいってるの!」
 典子さんもあたしも、思わず礼美ちゃんを見つめる。
 礼美ちゃんは必死だった。
「ミニーがおしえてくれたの!
 おやつには、どくがはいってる、って! あのひとは、わるいマジョなの!」
 ……悪い魔女。毒……。
 あたしは礼美ちゃんの前にかがみこむ。
「ミニーがそう教えてくれたの?」
「うん。
 あのひとは、わるいマジョだから、しんようしちゃ、いけないの。
 おとうさんにまほうをかけて、けらいにしたの。
 それでもって、礼美とおねえちゃんがジャマだから、ころそうとおもってるの!」
 ……なんだって?
 礼美ちゃんの眼はこれ以上にないくらい真剣だった。本気であたしたちに訴えているんだ。
「マジョは、いつか礼美とおねえちゃんをころすの!
 礼美《あやみ》たちがジャマなの!」
「……ミニーがそう言ったの?
 他のひとじゃないの?」
 ひたすら訴える礼美ちゃんを、あたしたちは見つめる。
「ミニーが、おしえてくれたの。ミニーはウソつかないんだよ。だから、おねえちゃんも麻衣《まい》ちゃんも、きをつけなきゃ、いけないのよ!」
 マジョは、おねえちゃんをころして、したいをバラバラにして、かくすの。そうしておとうさんには、イエデしたって、いうんだよ。
 礼美はおいけに、つきおとすの。そうして、じこでしんだっていうんだよ!」
 あたしはそっと典子さんを呼ぶ。
「……まさか、礼美ちゃんにあんなこと言ってませんよね?」
「……まさか!」
 ……どういうこと?
 変だ。だって、これって、八つの子供の発想じゃないよ。「魔女」とか「魔法」とか、オブラートでくるんであるけれど……。
 礼美ちゃんは真っ青な顔で、ミニーをしっかり抱きしめている。
 あたしは少し背中が寒かった。礼美ちゃんの空想? これが八つの女の子の想像なの? 礼美ちゃんは、それきり口をつぐんでしまった。おびえるようにミニーを抱く。顔色はそうけだって、今にも倒れそうに見える。
 礼美ちゃんは、あんなことを考えていたんだろうか。ひとりで、小さな胸の中で。それでしゃべらなくなったんだろうか。笑わなくなったんだろうか。

 そのあと、あたしは自分の部屋にもどって、短い仮眠をとった。ぼーさんが祈祷《きとう》をすると言う。見てたってしょうがないので、そのスキにちょっとでも寝ておくことにした。どうせ今夜も寝られない。
 ベッドに横になって、いろんなことを考えながら眠りにつく。夕暮れの光が窓から入ってきて、部屋が薄薔薇色《うすばらいろ》に染まっていた。
 ……なにか短い夢を見た気がする。
 そう半分眠ったままで考えたとき、フウッと体が浮かぶ気がした。昇っていくのとは、少しちがう、ゆっくりと空の上に落ちていく感じ。……うまく言えないけど。
 オヤと思って眼を開ける。
 部屋の中はもう半分暗くなっていた。
 あたしはベッドに身を起こした。頭がボーッとしている。
 ふとあたしは、部屋のすみの薄暗がりに誰《だれ》かがいるのに気がついた。
 ……誰《だれ》?
 ゆっくりと顔を向ける。
 灰色の闇《やみ》の中に黒い影。そこだけ浮かんで見える。白い顔。
 ナル?
 なんであたしの部屋にナルがいるの? 思いながらナルと視線があう。
 ナルがふわっとわらった。暖かい眼の色。やわらかに微笑をきざむ口元。
 ……どうしたの、そんなところで。
 聞こうとしたら、ふいにナルが顔を曇《くも》らせた。心配そうな表情。
 唇《くちびる》が動く。声が聞こえない。
 ……なに? なんて言ってるの?
 あたしはナルの顔に眼をこらす。
 ……あ、や、み……?
 礼美《あやみ》ちゃんがどうかしたの?
 わからない。「危険」という単語がつむぎ出された気もした。
 ……礼美ちゃんが危険?
 ……礼美ちゃん!?
 ハッとあたしは我にかえった。
 ……。
 あたしはベッドに体を起こしている。あわてて部屋の中を見まわす。薄闇が降りた部屋の中、もちろん、ナルはいない。
 いるわけ、ないよねぇ。
 おあ?
 ……ひょっとして、寝ぼけてたのか、あたしはぁ?
 ――やでやで、疲れているのね、あたし。うんうん。若いみそらで重労働してるからなー。人間関係にも神経つかうし。
 ……礼美ちゃん……。
 あたし、気にかかってる。小さな礼美ちゃん。ミニーだけが友達で、いつもポツンと、ひとりあそびをしている子。
 そして、今日聞いた言葉。
『悪い魔女』、『お父さんは家来』。……『魔女はいつか、礼美とお姉ちゃんを殺すよ』。
 この家で何が起こってるの?
 礼美ちゃんに何が起こってるの?
 ……礼美《あやみ》ちゃんが危険……。
 あたしはポツンと体を倒す。
 あー、ねむい。
 ……どーしてナルなのかなぁ。ときどき自分でも不思議《ふしぎ》になっちゃうなー。あたしが夢の中で会うナルは、いつだって優しそうに微笑《ほほえ》んでる。あれはあたしの願望なのかなぁ。
 うーん……。
「えいっ!」
 気合をいれて、あたしは体を起こす。
 考えたってしょうがないっ。
 いまは、礼美ちゃんのほうが問題。
 あたしはベッドを降りて、仕事にもどるために立ち上がった。

     2

 ナルが帰ってきたのは、夜になってからだった。
 ベースはまたも、寄り合い所になっている。ナルが部屋に入って来るなり、ぼーさんが手を振る。
「よぉ、調べものは、進んだか?」
「まあ。……変化?」
 ナルは気のない返事をして、リンさんを振りかえる。
「今のところ、ありません」
 ぼーさんは自分を無視する横顔に向かって、
「俺《おれ》は今日、ちょっと祓《はら》ってみたぜ?」
「そう」
 ……ナルってばー、もうちょっとアイソよくしてやりなよ。
「成功した気がするんだがなー?」
「そりゃ、おめでとう」
 ぼーさんは顔をしかめる。
「……おまえさんってやつは、どうして、そうかわいげがないんだ?」
「そのぶん才能に恵まれてるから。
 
 ――リン、礼美ちゃんの部屋の絵を出してくれ」
 ……やめなよ、ぼーさん、あんたじゃかなわねーって。
 綾子《あやこ》がおかしそうにクツクツ笑いながら、
「まぁ、えらそうなことは、成功したって確証があってからにすることね」
「そうだな。綾子のように恥をかくかもしれんしなー」
「……なによ」
「なんだよ」
 ……いいかげんにしてくれる?
 ナルは無表情に立ち上がる。
「麻衣《まい》、来い。カメラの角度を変えてみる。」
「はーい」
 ……あんたってさー、本当に仕事のことしか頭にないのな。
 あたしとナルは礼美《あやみ》ちゃんの部屋に行って、カメラの角度を変える。
 その帰りに、
「そういえばさ、あたし、気になることがあるんだけど」
「聞いてやろうか?」
 ……おまえな。
 んじゃ、いいわよーっ! と言ってやろうかと思ったけど、ここはグッと抑《おさ》えてビジネスをやろう。そう思って、あたしはミニーの話をした。
「……なんか、気味が悪くない?」
 ナルは考えこん゛ている。少ししてから、
「その人形を見てみたい。どこにある?」
「こっち」

「え? ミニーですか?」
 典子《のりこ》さんがキョトンとした。
「これですけど……」
 ナルが人形を手に取る。闇《やみ》色の眼を少し細める。
「いつ手にいれました?」
「この家に引越した直前です。
 兄がヨーロッパに行って……そのおみやげ……パリで買ったって言ってました」
「礼美ちゃんの性格が変わったのは、それ以前? それ以後?」
 典子さんが少し考えこむ。
「その後です……はっきりしないけど」
「そう……」
 あたしはナルをのぞきこむ。
「それに、なにか原因あり?」
「……わからない」
「かえしてっ!」
 突然、後ろから大きな声を出されて、あたしは飛びあがった。
 礼美《あやみ》ちゃんが、ナルの黒いシャツを引っ張っている。
「ミニー、かえして! さわらないでっ!」
「礼美ちゃん、ミニーとお話ができるんだって?」
 ナルが聞いたが答えない。精いっぱい伸びをすると、ナルの手からミニーをもぎ取った。
「だれもさわっちゃ、だめっ!!」
 ミニーを抱きしめ、背をひるがえして駆《か》け出す。
「礼美!」
 典子さんがあわてて追いかけていった。
 その背を見送るナルの眼の色は深い。

 あたしは今夜も寝られない。ベースでTVをにらみつける。
「あれはなに?」
 あたしは、数字だけ出ているテレビを指さす。
「指をさすな。品のないやつだな」
 ……なんだよー。
「あれは空気中のオゾンの数値。
 その隣は静電気量。さらに隣が空気中の成分。……他になにか質問は?」
 ……ねぇよ。
 モンクのひとつも言ってやろうかと思ったら、ナルが身をのりだした。
「始まった」
「え?」
 本当だ。礼美《あやみ》ちゃんの部屋の温度が下がり始めた。
 ビデオの映像を見る。三番目のカメラが移動し始める。三号カメラはサーモ・グラフィーと連動していて、温度の低いところを追いかけていくようになってる。カメラの視野がジリジリと移動して、ベッドの上に来て止まった。
 枕《まくら》のところに座っている、ミニーを中心に捕らえて。
 礼美ちゃんが眠ってから、そーっと借りてきたものだ。
「ぼーさん、気温が下がり始めたってよ?」
 綾子が皮肉る。
「隙間《すきま》風だろ?」
 余裕の発言だけど、どうかしらね。
 ナルはぼーさんたちの会話なんか、耳に入ってない風情《ふぜい》。じっとTVに視線を注ぐ。
 カメラがミニーの無表情を映す。ガラスの眼。その空虚さ。
「人形って気味が悪いね」
 あたしがそう言うと、背後でのほほんとあたしたちのようすをながめていた、ぼーさんが声をあげた。
「そりゃそうさ」
 言って肩をすくめる。
「人形ってのは、もともと人の魂《たましい》を封じこめる器なんだ。『人形』と書いて『ひとがた』。昔はあれに呪《のろ》いをかけて、相手を苦しめる道具としても使った」「へええ」
 綾子もうなずく。
「呪《のろ》いワラ人形。
 呪う相手の魂を、人形の中に封じこめるのよね。でもってそれに釘《くぎ》を打つ。魂が傷つくと体も傷ついちゃう、というわけ」
 ……へぇぇ。
 ……と、突然、ナルが立ち上がった。
 全員が振りかえって、ナルがくいいるように見つめているTVの画面に眼をやる。
 あたしは思わず腰を浮かす。綾子やぼーさん、果てはリンさんまでが身じろぎした。
 ……ミニーがうつ伏せになっている……。
 いつの間に? さっきまで画面をまっすぐに見ていたのに!
 金髪が枕《まくら》の上に散っている。
 凝視《ぎょうし》するあたしたちの間で、ミニーの体がズルッと動いた。シーツごと引っ張られるように、ズル、と動いて、首と体が離れる。
 ……いやだ……!
 離れた首が、ゴロンと転《ころ》がってベッドから落ちる。硬い音をたてて床を転がった。そのみょうに生々しい光景。
 それを合図に、下がっていた礼美《あやみ》ちゃんの部屋の温度が、通常にもどり始めた。

 あわててあたしたちは、礼美ちゃんの部屋に駆《か》けつけた。
 そこではミニーが待っていた。
 置いたときのまま。首なんてもげてない。ミニーにはなんの異常もなかった。置いた位置に、置いたときの状態のまま、ちゃんとすわっていたのだ。
 そうして……ビデオもレコーダーも、機械自身には異常なんかないのに、再生してみたら、何も映ってなかったし、何も録音されてなかった。何も。真っ白。
 その他の機械類は、ぜんぶ針が振り切れてしまった。つまりあの異様な風景は、なんの証拠も残さなかった、ということ。……まるで夢だったかのように。
 あたしたちはキツネにつままれたように、キョトンとするばかりだった。ナルはよくあることだと言うけれども。
 それでもただひとつだけ、あたしたちにも理解できたことがある。
 ぼーさんも失敗したのだ。

     3

 
 翌朝(もうお昼が近かったけど)起きてベースに行くと、めずらしくぼーさんがすでに起きていた。
「ナルは?」
 部屋にはリンさんと、ぼーさんだけ。
「また調べものだとさ」
「ふうん」
 なにをそんなに調べているんだろう。
 そのとき、あたしはふと、昨日見た夢を思いだした。
『礼美《あやみ》ちゃんが危険』
 夢の中のナルが教えてくれた。
 危険。
「……典子《のりこ》さんは? 姿を見かけなかったけど」
「彼女なら、香奈《かな》さんと買い物に行ったぜ?」
 ぼーさんの声を聞きながら、あたしは部屋を出る。
「おや、どちらへ?」
「典子さんの部屋」
 礼美ちゃんをミニーとふたりきりにしちゃ、いけない。
 なんとなく、そんな気がする。
 ひとりぼっちで、人形なんかと遊ばせちゃいけないんだ。

 あたしは典子さんの部屋へ、小走りに向かった。
 礼美ちゃんはなにをしてるだろう。遊んでいるんだろうか、いつものようにひとりで。 ……そう思って、ドアをノックしようとしたときだ。
『家の中は悪いマジョだらけだよ』
 部屋の中から女の子の声が聞こえた。
 ……魔女?
 誰《だれ》? 礼美ちゃんの声じゃない。
 思わず、あたしはドアに耳をよせる。
『あたし、こわい……』
 礼美ちゃんの声。
『だいじょうぶ。みーんなおいだしてあげるからね』
『おねえちゃんも? 麻衣《まい》ちゃんも?』
 ふくみわらい。
『もちろん……』
『礼美、おねえちゃんは、いるほうがいい』
『だめだめ、いってるでしょう?
 おねえちゃんはもう、わるいマジョのテサキなんだよ』
 再びふくみわらい。
『だいじょうぶ。ちゃーんとシマツしてあげるから……。
 そのかわり、あたしのいうことをきかなきゃだめよ』
「礼美ちゃん!」
 耐えかねてあたしは大声をあげた。ドアを乱暴に開く。
 部屋の中には礼美《あやみ》ちゃん。礼美ちゃんの前にはアンティーク・ドール――ミニー――。他には誰《だれ》もいない。礼美ちゃんが、キョトンとこちらを見上げていた。
「礼美ちゃん、今、誰かとお話していなかった!?」
「……ミニー」
 礼美ちゃんは答える。あたしの口調が激しいので驚いている感じ。
 あたしは無理に笑顔を作って礼美ちゃんの前にすわった。
「ミニー?」
「うん。べつのこもいるよ」
 別の子……。
「ミニーの他にもお友達がるいんだー。
 そのお友達は、どこに行ったのかな?」
 あたしが聞くと、礼美ちゃんはキョトンとする、手をあげて、
「そこ」
 あたしは、礼美ちゃんが指さしたほうを振りかえった。
 誰もいない。なにひとつない。
 礼美ちゃんは不思議《ふしぎ》そうだ。
「……おねえちゃんにも紹介してくれる?」
「うん……あれ、いっちゃった」
 礼美ちゃんの視線が、なにかを追ってドアのほうへ動いていく。
 背筋が寒い。あたしはムリにわらう。
「そっかー。嫌《きら》われちゃったかな?」
 礼美ちゃんがうつむく。
「なんていうお友達?」
「しらない」
「知らないの? 学校のお友達?」
 礼美ちゃんは黙って首を振った。
 知らない、ということだろうか。それとも言えない、ということだろうか。
 あたしには見えないお友達……。
 礼美ちゃんに質問する声が震《ふる》える。
「そのお友達……いつから遊びに来るようになったの?」
「……よくおぼえてない」
「この家に来てからよね?」
「うん」
「ミニーもそのお友達となかよしなの?」
 礼美《あやみ》ちゃんはすこし迷ってから、コックリした。
「ミニーがつれてきたの……」
 ミニーが……連《つ》れて来た?

 ナルがもどって来たのは、昨日よりもさらに遅くなってからだった。
「ごくろうさま」
 部屋へもどってきたナルを、綾子《あやこ》の皮肉な声が迎える。
「何か収穫があった? いいかげん、ナルの活躍が見たいんだけど?」
 いつも以上にいじわるな口調。
 ――食事を出してくれたとき、ついでに香奈さんがめいっぱい皮肉を言ってくれたのだ。無理もないけど。昨日おとといと、祈祷《きとう》だなんだと騒ぐばかりで効果があがらない。
 ナルは綾子を無視する。
「リン、何か変化は」
「ありません。 今のところ変化なしです」
「そうか。……礼美ちゃんは?」
 あたしを振りかえる。
「典子さんの部屋よ。典子さんといると思うけど。――どうかしたの?」
「いや、だったらいいんだ」
 おや?
 なんとなく考えこむようすのナル。
「何かあったの?」
「……べつに」
 答える声にかすかなくもり。
「礼美ちゃんがどうかした?」
「何でもない」
 ……何でもないのに、聞くはずがないでしょ? 何かあったの? 今日調べたことに何か、礼美ちゃんに関係したことが。
「ナル、礼美ちゃんが変なの」
 あたしが言うと、ナルがパッと眼をあげた。

 
 あたしは礼美ちゃんについて話をする。不思議《ふしぎ》な声。礼美ちゃんの見えない友達。
 ぼーさんと綾子はポカンとしている。
 すぐに綾子が口を開いた。
「わけがわかんない。
 どうなってるの、この家」
「どうも、事件の中心に、あのちっこい子がいる気がするな。……それと人形」
 ぼーさんの声を聞きながら、ナルは視線を床にはわせる。禍禍《まがまが》しいくらい黒い眼。
 綾子は、しかし、地霊の仕業《しわざ》、という意見を捨てきれないようだ。
「やっぱり、この家に何かあるんじゃない? ……おそらく地霊か何かがいて」
 言いかけてから、
「そうだわ。近所の人間に聞けば、何かわかるんじゃない? この家には、出るってウワサがあるはずよ」
 身をのりだすのをナルが制す。
「それなら、とうに調べた」
「へ?」
「当然だろう? この家には、そういうウワサはなかった」
「……なんだ……」
 綾子が気抜けしたように、イスにもたれる。
「むしろ、ミニーになんかあるんじゃないか?」
 ぼーさんが口をはさんだ。
「……礼美ちゃんの眼に見えない友達、それを連れて来たのがミニー。
 そういう感じじゃないか?」
 綾子が首をかしげる。
「幽霊《ゆうれい》の友達、それを連れて来たのがミニー……?」
「そう考えたくなるだろ?」
「まぁねぇ……」
「人形っていうのは、危険なんだよな」
 ぼーさんがしみじみ言う。
「そうなの?」
 えー、知らなかったよぉ。
「そうさ。人形ってのはいわば、魂のない人間だからな。魂のないカラッポの肉体。霊が憑依《ひょうい》しやすいんだ。
 だからこそ、そこに魂《たましい》を吹きこんだりして、マジナイに使うわけさ」
「アタシ、だめなの、人形。なんとなくこわくて。
 ああ、これは中に穴を持っているんだ。そこに魂を求めているんだ、それが人間の形をしてるんだ、って考えてしまうのよ」
 ……やめてよぉ……。
 綾子はでも、
「アタシはてっきり地霊だと思ってたんだけど。そうか、問題はあの人形か。いいわ、今度は、あの人形を除霊してみる」
 意気ごむ綾子に、ぼーさんが、
「おっと。相手が霊なら俺《おれ》の領分だって」
「勝手なことを言わないでよね。
 あんたひとりで地縛霊《じばくれい》とやらを探してれば?」
「……そうか、わかった!」
 ぼーさんが、いきなり手をたたく。
「地縛霊が、ミニーに乗り移ってるんだ!」
 言ってナルを振りかえる。
「どうだい?」
「そのセンかもしれないな」
 うんうん、と満足そうにうなずくぼーさん。
「よぉし、だったら話は簡単だ。人形に憑《つ》いた霊を落とせばいいんだから」
「待ってよ」
 綾子がぼーさんをとどめる。
「それって、はっきりしないわけでしょ?
 真砂子《まさこ》を読んでみたらどうかしら?」
 全員の間に落ちる沈黙。
 真砂子って……原真砂子? 今、あたしと同い年。美人で有名な霊媒《れいばい》。前の事件のとき一緒で、ナルは真砂子が美人だからか、いちもく置いてた。ナル自身は、有能だからだと主張してたけど。
「真砂子だったら、本当にその人形に霊が憑いているかどうか、わかるはずよ」
 ……名案かもしんない。
 しかし、ナルは即座に却下した。
「その必要はない。
 ぼーさん、除霊してみれば?」
 ナルが言うと、綾子が不満そうにする。
「危険なんじゃない? もし人形に霊が憑いてたとしてよ、人形の除霊をしようとした瞬間、霊が綾子《あやこ》ちゃんに憑依《ひょうい》したりしないかしら」
「ありえるな。
 ……松崎さんが、礼美ちゃんを守っていれば?」
「あ、そうか。なにかあっても、すぐに落とせるもんねぇ。
 ……へぇ」
 巫女《みこ》さんはナルをしみじみと見つめる。
「いいとこあるじゃない。その役、譲《ゆず》ってくれるの?」
「名誉挽回《めいよばんかい》のチャンスがほしいでしょう?」
「サンキュ。
 ねぇ、これが終わったらデートしない?」
 ……何を考えてるんだ、このイロケ巫女はっ!
「お断りしておきます」
 そっけない声で言ってから、ナルはぼーさんを振りかえる。
「ぼーさん、たのむ」
「まかせときな」

 すでに十二時近く。眠っている礼美《あやみ》ちゃんの手元からミニーを借りてきて、ぼーさんが除霊をすることになった。
 綾子が、典子さんの部屋で眠ってる礼美ちゃんの側にすわった。
 枕元《まくらもと》の近くに神棚《かみだな》を設け、その前に二本の刀を置く。左手に数珠《じゅず》、右手に鈴。お札《ふだ》を礼美ちゃんの胸の上に。
「始めてもいいと伝えて」
 綾子に言われてあたしは、ぼーさんのいる礼美《あやみ》ちゃんの部屋に走った。
「いいって」
 部屋に行って伝える。ナルはベースで、このようすをカメラごしに見ているはずだ。ぼーさんがうなずくと、あたしは今度はベースに走る。
 あたしがベースに飛びこむと、スピーカーからぼーさんの声が流れてきた。
『ナウマク、サンマンダ、バザラダン』
 ぼーさんが、わげのわからない呪文《じゅもん》を唱える。密教の呪文。真言《マントラ》という
『センダマカロシャダ、ソワタヤ、ウンタラタ、カン、マン』
 ミニーに変化はない。サーモ・グラフィーも五度くらい下がったままで安定。急な低下は見られない。マイクにも不審な音はなし。
「反応があるはずなんだが……」
 ナルが首をかしげたとき、どこからか悲鳴が起こった。

 変動が起こったのは、典子さんの部屋のほうだった。
 あたしたちが駆《か》けつけたとき、部屋は小型台風に襲われたような有り様だった。散乱した物。傾いた家具。
 真っ青になった礼美ちゃんを、綾子が抱いている。典子さんは床にうずくまっていた。「典子さん! だいじょうぶ!?」
 あたしは駆けよって助け起こした。
「典子さん!?」
 青ざめた典子さんの眼から涙がこぼれる。
「どうしたの? どこか痛い!?」
「……足……」
「足をどうかしたの?」
 ぼーさんが駆けよってきて典子さんの足に触《ふ》れる。
 
「……足首……脱臼《だっきゅう》してるぞ……」
 典子さんの右足が左足より長い。右の足首の関節がはずれたんだ……。
「救急車を呼んでくる」
 ナルが部屋を飛び出す。
 典子さんはあたしの腕をつかむ。その手から震《ふる》えが伝わってくる。
「誰《だれ》かが……足を引っ張ったの……。ものすごい力で……」
「……誰《だれ》が……?」
「わからない……」
 ぼーさんが、典子《のりこ》さんの足を示した。足首の下あたりには、クッキリ手のあとが残っていた。
 ……子供の手のあとが。

     4

「いったい、何が起こったんだ!?」
 香奈《かな》さんがタクシーを呼んで、典子さんを病院に連《つ》れて行った。そのあと、ぼーさんに怒鳴《どな》られて、綾子《あやこ》はほおをふくらます。
「こっちこそ聞きたいわ!
 突然、直下型の地震みたいに揺《ゆ》れて、いきなりこうよ!」
「なんのために、おまえまさんがついていたんだ!?」
「あたしのせいじゃないわよ!
 あんまり突然で、何をするひまもなかったんだから!」
 ナルがふたりを制す。
「……とにかく、起こったことはしょうがない。それよりも……」
 ナルに見つめられて、礼美《あやみ》ちゃんが体を小さくした。
「礼美ちゃん、何が起こったんだい?」
 礼美ちゃんは首を振る。
「ミニーがやったの?」
 礼美ちゃんは答えない。すぐにハッとして、
「ミニーはどこ!?」
と、叫んだ。
「ミニーは、僕《ぼく》があずかってる。それより、人形のことを話してくれないか?」
「かえして!」
「ミニーは、いつからしゃべるようになったんだい?」
「かえしてっ! 礼美のおともだちなんだからっ!」
「礼美ちゃん!」
 ナルが厳しい声を出した。小さな礼美ちゃんがますます小さくなる。
「いいかい? 典子さんはケガをした。ミニーがやったんだ。そうだろう?」
 礼美ちゃんの瞳《ひとみ》から涙がこぼれる。おびえた動物みたいな眼。
「みんな困《こま》ってるんだ。礼美ちゃんはそれでもいいのかい?」
 礼美ちゃんが首を振る。どうしていいのかわからない、と体中で叫んでいる。
「礼美ちゃん!」
 ナルの声に、礼美《あやみ》ちゃんがついに泣きだした。ダッとベッドを飛びおりると、あたしに飛びついてきた。
「麻衣《まい》……ちゃん!」
「だいじょうぶよ、ごめんね」
 ナルがなおも厳しい声を出す。
「礼美ちゃん、ミニーが……」
 あたしはナルをにらんだ。
「デリカシーのないやつねっ!
 こんなに泣いてる子をいじめないでよっ!」
「麻衣! そういう問題じゃないだろう!」
「そういう問題よ、冷血漢!」
 礼美ちゃんが泣きながら何かを叫ぶ。あたしは礼美ちゃんの髪をなでてやる。
「だいじょうぶよ、だいじょうぶ」
「……い!」
「ん? いいんだよ、礼美ちゃんのせいじゃないもんねぇ」
「……ごめん……なさい!」
「礼美ちゃん……」
 礼美ちゃんが、しがみつく手に力をこめる。
「ミニーが、ほかのひとと、はなしをしちゃ、ダメっていうの!
 はなしたら、ひどいめにあわせるって!」
「……ミニーが?」
 礼美ちゃんはしゃくりあげながら、うなずく。
「だれともおはなししちゃ、ダメだって。なかよくしたら、いじめるって。
 でも、礼美、ほんとはおねえちゃんと麻衣ちゅんと、あそびたか……ったの!」

 ミニーは、礼美ちゃんをおどして言いなりにした。なんて卑怯《ひきょう》な。
「ミニーが、しゃべりはじめたのはいつ?」
 ナルが、彼なりに精いっぱい優しげな声で礼美ちゃんに聞く。
「……おうちにきてから」
「最初はなんて言ったのかな?」
「おかあさんは、わるいマジョだって。
 おとうさんももう、マジョのけらいだって。
 ふたりで礼美をころすよって」
「そして?」
「おねえちゃんも、マジョのみかただって。
 ミニーがまもってくれるから、そのかわり、だれともなかよくしちゃ、ダメだって……」
 ……かわいそうに……淋《さび》しかったでしょうに。
「礼美《あやみ》が、やくそくをわすれて、おねえちゃんとあそぶと、ミニーがイタズラをするの。いろんなものをかくしたり、おへやをちらかしたり」
「それでだまっていたんだね?」
 礼美ちゃんがコックリうなずく。
 なるほど、とあたしは思う。あたしたちがこの家に来て、すぐに起こったポルターガイスト。斜めになった家具。裏返しになった家具。
 あれは礼美ちゃんを困《こま》らせるためのイタズラなんだ。あの日、礼美ちゃんはあたしに笑顔を見せてくれた。ミニーを紹介してくれた。それでミニーは怒ったんだ。子供っぽい嫉妬《しっと》。
「おしおきだよ、って、礼美をぶつの。それで……」
「――それからミニーが、他のお友達を連《つ》れてくるようになった?」
「ウン。……いっぱいいるの。礼美ぐらいの男の子とか女の子。
 みーんなミニーのケライなのよ」

「ミニーをしかるべき所に納めよう」
 まぶしいほどの朝。典子さんはいない。病院からまだ帰っていない。香奈さんはそのつきそい。礼美ちゃんはゆうべ、あたしといっしょに眠った。
 あたしたちがベースに集まっているとき、宣言したのはぼーさんだった。
「ミニーには何か悪い因縁《いんねん》があるのに違いない」
「悪い因縁?」
「そう。以前の持ち主か死んだとか。
 おそらく、すべての原因はミニーだろう。
 俺《おれ》の知り合いの寺に人形供養《くよう》している寺がある。そこにたのんで……」
 ナルが口をはさむ。
「ムダだ。ミニーのせいではないと思う」
「いまさら、なにを言ってるんだ!?」
「言いかえようか? 人形のせいではない」
「なんで!?」
「カン」
 綾子が笑う。
 
「カンですって? どうしてナルのカンにたよらなきゃいけないわけ?」
 ナルは綾子を無視する。
「問題はミニーの正体なんだ……。
 人形は器に使われてるに過ぎないと思う。誰《だれ》かこの家に捕らわれてる霊がいるんだ。そいつがミニーの体を借りている。それが誰なのか……」
 そう言ってから眼をあげる。
「礼美《あやみ》ちゃんは、とても危険な立場にいるんだ。なんとかして敵の正体をつかみたい」
 危険な立場?
「……うそでしょ?」
「だといいけどね……」
 あたしがナルを問いつめようとしたときだ。
「麻衣ちゃん! 麻衣ちゃん!」
 典子さんが飛びこんでくる。
「典子さん! 病院から帰ったの? もういいの?」
「それどころじゃないの!」
「どうしたの?」
「おねがい、来て。
 渋谷さんたちも来てください。変なものがあるの」
「え?」
 典子さんはあたしを玄関に引っ張っていく。
 青い顔をした香奈さんが、玄関ホールの壁《かべ》を見上げている。
「ほら、あれ!」
 典子さんが指さしたのは、玄関ホールの壁だ。ちょうどあたしたちの後ろ。
 全員が振りかえる。そうして息を飲む。
 誰がこんな……。
 壁いっぱいの文字。
『わるい 子には ばつを あたえる』
 子供の字だ……。でも、子供には書けない。壁いっぱいの字。高さ三メートルちかくある天井《てんじょう》までの壁画いっぱい……。イスの上に乗っても、ぜったいに届かない高さ。
「わるい子って、礼美ちゃんのこと……?」
 あたしの声にナルがうなずく。
「礼美ちゃんは、話してはいけないと言われたことを話してしまった。それでミニーは、礼美ちゃんが裏切ったと思っている。
 ……麻衣」
「うん?」
「礼美《あやみ》ちゃんの側《そば》から離れるな」
「……ねぇ、ナル、礼美ちゃん、だいじょうぶだよね?」
「わからない」
「そんな!」
 ナルは深い瞳《ひとみ》を一瞬さまよわせてから、さっぱりとあげる。
「僕《ぼく》では力が及ばないかもしれない。
 専門家を呼ぼう」
「専門……家?」
「ミニーの霊は人形に憑依《ひょうい》している。
 憑依霊を落とす専門家を」
「そんなのいるのは!?」
「もちろん、いるさ。
 ――エクソシストが」
 ……あ!
 ジョン? ジョンね!?

     5
 午後、あたしは典子《のりこ》さんと礼美《あやみ》ちゃんと、庭のテラスでピクニックのまねごとをした。
 今ごろ玄関ではナルが、他のひとを手伝わせてあのラクガキを消している。礼美ちゃんに見せないために。
 言い出したのはナルだ。あいつって、もしかしたら、ちょっとは優しいのかもしんない。
 ……そんなわけがないか。ナルにかぎってないだろーな。
 ミニーはいない。箱に納めてぼーさんが護符《ごふ》を貼《は》った。それを今ごろ、ぼーさんが燃やしている。そんなことでは意味がないだろうと、ナルは言ったけど。
 ――そうして。あのあと、気がつくと香奈《かな》さんの姿が消えていた。居間のテーブルの上に一枚のメモ。
『こんな気味の悪い家にはいられない』
 たった、ひとこと。典子さんはちょっとショックだったようだ。家政婦の柴田さんが辞《や》めて、香奈さんが出て行って、礼美ちゃんとこの家にふたりきり。
「麻衣《まい》ちゃん」
 礼美ちゃんがあたしに紙コップを渡してくれる。
「おちゃをどうぞ」
「どうも」
 おじぎをすると礼美《あやみ》ちゃんがわらった。本当に久しぶりに礼美ちゃんの笑顔を見た気がする。ミニーにおどされて、何も言えなくて淋しかったろうね。
「おねえちゃんも、どうぞ」
「ありがと」
「おねえちゃん、足いたい?」
 礼美ちゃんがそっと聞く。典子さんが首を振る。
「もうヘイキ。
 礼美が仲よくしてくれたら、痛いのなんかどっかに行っちゃうよ」
 礼美ちゃんが微笑《ほほえ》む。天使みたいな笑み。
 よかったね。胸のつっかえがとれたんだね。
「おねえちゃん、おはな、ほしい?」
「ほしいー」
 典子さんが言うと礼美ちゃんが立ち上がる。
「つんできてあげる」
「じゃ、いっしょに行こうね」
「ダメよ、おねえちゃんはびょうきなんだから。おみまいのおはななの」
「ちょっとケガしただけよ?」
「いいの! 麻衣ちゃん、いこ」
「はーい」
 あたしは礼美ちゃんと手をつないで、花壇《かだん》に行く。そこでは白粉花《おしろいばな》が咲いていた。
「ちょっとでいいよ、礼美」
 典子さんの声。礼美ちゃんがうなずいて、花に手を伸ばす。茎《くき》の間に指を入れたとたん、礼美ちゃんが悲鳴をあげた。
「礼美ちゃん!?」
 礼美ちゃんは手を花の間から抜こうと身をよじる。手は花の間から抜けない。あたしはとっさに礼美ちゃんの手をつかんだ。力をこめる。動かない。
「礼美!」
 典子さんが片足跳《と》びで駆《か》けてくる。
 あたしは花を小枝で手当たりしだいにむしった。なに? なにが手をつかんでるの!?
 一群《ひとむ》れを抜いたとたん、礼美ちゃんの手が抜けた。礼美ちゃんは泣きだして、その場を逃げる。
 庭の白粉花。なにもない単なる花の群れ。
「礼美《あやみ》! まって!?」
 典子さんの叫び。振りかえると礼美ちゃんが泣きながら庭の奥に駆《か》けて行くところだった。
「麻衣ちゃん! とめて! そっちには池があるの!!」
 ……池? 池!?
 家の南側には、深そうな池が広がっている。芙蓉《ふよう》の木が一本池の端にあって、はなびらを水面に落としていた。
「ミニー! ごめんなさい!」
 礼美ちゃんが叫びながら、なにかから逃げるように、花を咲かせた芙蓉の木を回りこむ。
「礼美ちゃん!」
 池のほとりに生えた芙蓉の木。
 回りこもうとして、礼美ちゃんが足をすべらせた。
「礼美っ!!」
 典子さんの悲鳴。礼美ちゃんが、とっさに腕を伸ばす。指が宙を切り裂《さ》く。そのまま礼美ちゃんの体は、声をあげる間もなく池に――
 
「礼美ーっ!」
「礼美ちゃん!」
 あたしと典子さんが池に駆《か》けよる。
 礼美《あやみ》ちゃんの体が水しぶきをあげて水面下に沈む。真っ白な泡《あわ》。
 あたしと典子さんは先を争って池に飛びこんだ。
 礼美ちゃん!
 池は深い。水は首のあたりまであった。礼美ちゃんには深すぎる。
「礼美! どこ!?」
 典子さんの悲鳴。それと同時に礼美ちゃんの体が、あたしの目の前に浮かんできた。
「礼美ちゃん!」
 礼美ちゃんが苦しげに頭を出す。何か叫ぶが、声にならない。
 あたしは腕を伸ばしてその体をつかんだ。
「だいじょうぶ! だいじょうぶよ!」
 胸の上に抱き上げる。
 典子さんが水を散らしながら、泳ぎ寄って来た。
「礼美!」
「おねえちゃん、おねえちゃん!」
 やっと声になった悲鳴。
「もうだいじょうぶよ……! こわかったね」
 典子さんが礼美ちゃんを抱きしめた。

 駆けつけてきたナルたちに池から引き上げてもらって、ひきけつたように泣く礼美ちゃんを家に連れもどす。お風呂で体を洗ってから、新しい服に着替えさせてやる。ようやくその頃になって、あたしも典子さんも震《ふる》えが止まった。
 髪をふいてあげながら典子さんが、
「よかった……、よかった」
 何度も言う。
「おねえちゃん、ポタポタ……。おかぜひいちゃうよ」
「ん。ありがとね。でも、おねえちゃんはだいじょうぶ。
 それより礼美、だいじょうぶ? どこかぐあい、悪くない?」
「だいじょうぶ。
 麻衣ちゃんも……おみず」
「うん。あたしは平気」
 わらってやる。
 そうしながらあたしは考える。これは報復だろうか。裏切り者に対する。「悪い子には罰《ばつ》を」……。
 これがその罰《ばつ》

     6

 典子《のりこ》さんは、湯上りの礼美《あやみ》ちゃんをベッドに休ませに行った。
 あたしがひと息つきにベースにもどると、棚《たな》の上にミニーがすわっていた。……ぼーさんが焼き捨てたはずのミニーが。
 思わず悲鳴がもれる。
「どうしたの……これ!」
 ぼーさんが忌々《いまいま》しそうに首をふった。
「燃えなかった」
 へっ?
「箱は燃えたのに、ミニーだけ無傷で残った」
 背筋がぞっとする。
「ナルはああ言うけどな、俺《おれ》は人形に何かあると思うぜ。
 前にも経験したことがある。人形をかわいがっていた女の子が死んで、その霊が人形をあやつったんだ。夜に家じゅうを歩いてそこらじゅうを水びたしにした」
 ナルは表情を変えない。
「人形じたいには問題はないと思う。
 問題はあくまでもこの家の地縛霊《じばくれい》。それがミニーに憑依《ひょうい》している。それだけ」
 ナルとぼーさんを見くらべて、綾子《あやこ》がため息をつく。
「あーあ、サイコメトリストがいればねぇ。
 話は早いのに」
 さい……なんだって?
 あたしがキョトンとすると、ヤレヤレというようにぼーさんや綾子が首をふる。
 ……なんだよぉ。
 ナルがウンザリしたように口をひらく。
「サイコメトリーの能力者」
 なんと不適切な解説。
「だからー、そのさいめとりって、なに?」
「サイコメトリー。
 超能力……学術的には、サイ能力と言うのが正しいんだが、サイコメトリーはその一種。
 アメリカの科学者ブキャナンが命名。別名オブジェクト・リーディング。訳すと……対象診断――だったかな。
 物体を手にしたり、触《ふ》れることで、その物体の由来とか、まつわる人々の過去・現在・未来に対する知識を得ることができる能力。
 オランダの故・ジェラルド・クロワゼや、アメリカのペーター・フルコス……なんかが有名だね」
 

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责任编辑:Mashimaro

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