R>「ミニーがつれてきたの……」 ミニーが……連《つ》れて来た?
ナルがもどって来たのは、昨日よりもさらに遅くなってからだった。 「ごくろうさま」 部屋へもどってきたナルを、綾子《あやこ》の皮肉な声が迎える。 「何か収穫があった? いいかげん、ナルの活躍が見たいんだけど?」 いつも以上にいじわるな口調。 ――食事を出してくれたとき、ついでに香奈さんがめいっぱい皮肉を言ってくれたのだ。無理もないけど。昨日おとといと、祈祷《きとう》だなんだと騒ぐばかりで効果があがらない。 ナルは綾子を無視する。 「リン、何か変化は」 「ありません。 今のところ変化なしです」 「そうか。……礼美ちゃんは?」 あたしを振りかえる。 「典子さんの部屋よ。典子さんといると思うけど。――どうかしたの?」 「いや、だったらいいんだ」 おや? なんとなく考えこむようすのナル。 「何かあったの?」 「……べつに」 答える声にかすかなくもり。 「礼美ちゃんがどうかした?」 「何でもない」 ……何でもないのに、聞くはずがないでしょ? 何かあったの? 今日調べたことに何か、礼美ちゃんに関係したことが。 「ナル、礼美ちゃんが変なの」 あたしが言うと、ナルがパッと眼をあげた。
あたしは礼美ちゃんについて話をする。不思議《ふしぎ》な声。礼美ちゃんの見えない友達。 ぼーさんと綾子はポカンとしている。 すぐに綾子が口を開いた。 「わけがわかんない。 どうなってるの、この家」 「どうも、事件の中心に、あのちっこい子がいる気がするな。……それと人形」 ぼーさんの声を聞きながら、ナルは視線を床にはわせる。禍禍《まがまが》しいくらい黒い眼。 綾子は、しかし、地霊の仕業《しわざ》、という意見を捨てきれないようだ。 「やっぱり、この家に何かあるんじゃない? ……おそらく地霊か何かがいて」 言いかけてから、 「そうだわ。近所の人間に聞けば、何かわかるんじゃない? この家には、出るってウワサがあるはずよ」 身をのりだすのをナルが制す。 「それなら、とうに調べた」 「へ?」 「当然だろう? この家には、そういうウワサはなかった」 「……なんだ……」 綾子が気抜けしたように、イスにもたれる。 「むしろ、ミニーになんかあるんじゃないか?」 ぼーさんが口をはさんだ。 「……礼美ちゃんの眼に見えない友達、それを連れて来たのがミニー。 そういう感じじゃないか?」 綾子が首をかしげる。 「幽霊《ゆうれい》の友達、それを連れて来たのがミニー……?」 「そう考えたくなるだろ?」 「まぁねぇ……」 「人形っていうのは、危険なんだよな」 ぼーさんがしみじみ言う。 「そうなの?」 えー、知らなかったよぉ。 「そうさ。人形ってのはいわば、魂のない人間だからな。魂のないカラッポの肉体。霊が憑依《ひょうい》しやすいんだ。 だからこそ、そこに魂《たましい》を吹きこんだりして、マジナイに使うわけさ」 「アタシ、だめなの、人形。なんとなくこわくて。 ああ、これは中に穴を持っているんだ。そこに魂を求めているんだ、それが人間の形をしてるんだ、って考えてしまうのよ」 ……やめてよぉ……。 綾子はでも、 「アタシはてっきり地霊だと思ってたんだけど。そうか、問題はあの人形か。いいわ、今度は、あの人形を除霊してみる」 意気ごむ綾子に、ぼーさんが、 「おっと。相手が霊なら俺《おれ》の領分だって」 「勝手なことを言わないでよね。 あんたひとりで地縛霊《じばくれい》とやらを探してれば?」 「……そうか、わかった!」 ぼーさんが、いきなり手をたたく。 「地縛霊が、ミニーに乗り移ってるんだ!」 言ってナルを振りかえる。 「どうだい?」 「そのセンかもしれないな」 うんうん、と満足そうにうなずくぼーさん。 「よぉし、だったら話は簡単だ。人形に憑《つ》いた霊を落とせばいいんだから」 「待ってよ」 綾子がぼーさんをとどめる。 「それって、はっきりしないわけでしょ? 真砂子《まさこ》を読んでみたらどうかしら?」 全員の間に落ちる沈黙。 真砂子って……原真砂子? 今、あたしと同い年。美人で有名な霊媒《れいばい》。前の事件のとき一緒で、ナルは真砂子が美人だからか、いちもく置いてた。ナル自身は、有能だからだと主張してたけど。 「真砂子だったら、本当にその人形に霊が憑いているかどうか、わかるはずよ」 ……名案かもしんない。 しかし、ナルは即座に却下した。 「その必要はない。 ぼーさん、除霊してみれば?」 ナルが言うと、綾子が不満そうにする。 「危険なんじゃない? もし人形に霊が憑いてたとしてよ、人形の除霊をしようとした瞬間、霊が綾子《あやこ》ちゃんに憑依《ひょうい》したりしないかしら」 「ありえるな。 ……松崎さんが、礼美ちゃんを守っていれば?」 「あ、そうか。なにかあっても、すぐに落とせるもんねぇ。 ……へぇ」 巫女《みこ》さんはナルをしみじみと見つめる。 「いいとこあるじゃない。その役、譲《ゆず》ってくれるの?」 「名誉挽回《めいよばんかい》のチャンスがほしいでしょう?」 「サンキュ。 ねぇ、これが終わったらデートしない?」 ……何を考えてるんだ、このイロケ巫女はっ! 「お断りしておきます」 そっけない声で言ってから、ナルはぼーさんを振りかえる。 「ぼーさん、たのむ」 「まかせときな」
すでに十二時近く。眠っている礼美《あやみ》ちゃんの手元からミニーを借りてきて、ぼーさんが除霊をすることになった。 綾子が、典子さんの部屋で眠ってる礼美ちゃんの側にすわった。 枕元《まくらもと》の近くに神棚《かみだな》を設け、その前に二本の刀を置く。左手に数珠《じゅず》、右手に鈴。お札《ふだ》を礼美ちゃんの胸の上に。 「始めてもいいと伝えて」 綾子に言われてあたしは、ぼーさんのいる礼美《あやみ》ちゃんの部屋に走った。 「いいって」 部屋に行って伝える。ナルはベースで、このようすをカメラごしに見ているはずだ。ぼーさんがうなずくと、あたしは今度はベースに走る。 あたしがベースに飛びこむと、スピーカーからぼーさんの声が流れてきた。 『ナウマク、サンマンダ、バザラダン』 ぼーさんが、わげのわからない呪文《じゅもん》を唱える。密教の呪文。真言《マントラ》という 『センダマカロシャダ、ソワタヤ、ウンタラタ、カン、マン』 ミニーに変化はない。サーモ・グラフィーも五度くらい下がったままで安定。急な低下は見られない。マイクにも不審な音はなし。 「反応があるはずなんだが……」 ナルが首をかしげたとき、どこからか悲鳴が起こった。
変動が起こったのは、典子さんの部屋のほうだった。 あたしたちが駆《か》けつけたとき、部屋は小型台風に襲われたような有り様だった。散乱した物。傾いた家具。 真っ青になった礼美ちゃんを、綾子が抱いている。典子さんは床にうずくまっていた。「典子さん! だいじょうぶ!?」 あたしは駆けよって助け起こした。 「典子さん!?」 青ざめた典子さんの眼から涙がこぼれる。 「どうしたの? どこか痛い!?」 「……足……」 「足をどうかしたの?」 ぼーさんが駆けよってきて典子さんの足に触《ふ》れる。 「……足首……脱臼《だっきゅう》してるぞ……」 典子さんの右足が左足より長い。右の足首の関節がはずれたんだ……。 「救急車を呼んでくる」 ナルが部屋を飛び出す。 典子さんはあたしの腕をつかむ。その手から震《ふる》えが伝わってくる。 「誰《だれ》かが……足を引っ張ったの……。ものすごい力で……」 「……誰《だれ》が……?」 「わからない……」 ぼーさんが、典子《のりこ》さんの足を示した。足首の下あたりには、クッキリ手のあとが残っていた。 ……子供の手のあとが。
4
「いったい、何が起こったんだ!?」 香奈《かな》さんがタクシーを呼んで、典子さんを病院に連《つ》れて行った。そのあと、ぼーさんに怒鳴《どな》られて、綾子《あやこ》はほおをふくらます。 「こっちこそ聞きたいわ! 突然、直下型の地震みたいに揺《ゆ》れて、いきなりこうよ!」 「なんのために、おまえまさんがついていたんだ!?」 「あたしのせいじゃないわよ! あんまり突然で、何をするひまもなかったんだから!」 ナルがふたりを制す。 「……とにかく、起こったことはしょうがない。それよりも……」 ナルに見つめられて、礼美《あやみ》ちゃんが体を小さくした。 「礼美ちゃん、何が起こったんだい?」 礼美ちゃんは首を振る。 「ミニーがやったの?」 礼美ちゃんは答えない。すぐにハッとして、 「ミニーはどこ!?」 と、叫んだ。 「ミニーは、僕《ぼく》があずかってる。それより、人形のことを話してくれないか?」 「かえして!」 「ミニーは、いつからしゃべるようになったんだい?」 「かえしてっ! 礼美のおともだちなんだからっ!」 「礼美ちゃん!」 ナルが厳しい声を出した。小さな礼美ちゃんがますます小さくなる。 「いいかい? 典子さんはケガをした。ミニーがやったんだ。そうだろう?」 礼美ちゃんの瞳《ひとみ》から涙がこぼれる。おびえた動物みたいな眼。 「みんな困《こま》ってるんだ。礼美ちゃんはそれでもいいのかい?」 礼美ちゃんが首を振る。どうしていいのかわからない、と体中で叫んでいる。 「礼美ちゃん!」 ナルの声に、礼美《あやみ》ちゃんがついに泣きだした。ダッとベッドを飛びおりると、あたしに飛びついてきた。 「麻衣《まい》……ちゃん!」 「だいじょうぶよ、ごめんね」 ナルがなおも厳しい声を出す。 「礼美ちゃん、ミニーが……」 あたしはナルをにらんだ。 「デリカシーのないやつねっ! こんなに泣いてる子をいじめないでよっ!」 「麻衣! そういう問題じゃないだろう!」 「そういう問題よ、冷血漢!」 礼美ちゃんが泣きながら何かを叫ぶ。あたしは礼美ちゃんの髪をなでてやる。 「だいじょうぶよ、だいじょうぶ」 「……い!」 「ん? いいんだよ、礼美ちゃんのせいじゃないもんねぇ」 「……ごめん……なさい!」 「礼美ちゃん……」 礼美ちゃんが、しがみつく手に力をこめる。 「ミニーが、ほかのひとと、はなしをしちゃ、ダメっていうの! はなしたら、ひどいめにあわせるって!」 「……ミニーが?」 礼美ちゃんはしゃくりあげながら、うなずく。 「だれともおはなししちゃ、ダメだって。なかよくしたら、いじめるって。 でも、礼美、ほんとはおねえちゃんと麻衣ちゅんと、あそびたか……ったの!」
ミニーは、礼美ちゃんをおどして言いなりにした。なんて卑怯《ひきょう》な。 「ミニーが、しゃべりはじめたのはいつ?」 ナルが、彼なりに精いっぱい優しげな声で礼美ちゃんに聞く。 「……おうちにきてから」 「最初はなんて言ったのかな?」 「おかあさんは、わるいマジョだって。 おとうさんももう、マジョのけらいだって。 ふたりで礼美をころすよって」 「そして?」 「おねえちゃんも、マジョのみかただって。 ミニーがまもってくれるから、そのかわり、だれともなかよくしちゃ、ダメだって……」 ……かわいそうに……淋《さび》しかったでしょうに。 「礼美《あやみ》が、やくそくをわすれて、おねえちゃんとあそぶと、ミニーがイタズラをするの。いろんなものをかくしたり、おへやをちらかしたり」 「それでだまっていたんだね?」 礼美ちゃんがコックリうなずく。 なるほど、とあたしは思う。あたしたちがこの家に来て、すぐに起こったポルターガイスト。斜めになった家具。裏返しになった家具。 あれは礼美ちゃんを困《こま》らせるためのイタズラなんだ。あの日、礼美ちゃんはあたしに笑顔を見せてくれた。ミニーを紹介してくれた。それでミニーは怒ったんだ。子供っぽい嫉妬《しっと》。 「おしおきだよ、って、礼美をぶつの。それで……」 「――それからミニーが、他のお友達を連《つ》れてくるようになった?」 「ウン。……いっぱいいるの。礼美ぐらいの男の子とか女の子。 みーんなミニーのケライなのよ」
「ミニーをしかるべき所に納めよう」 まぶしいほどの朝。典子さんはいない。病院からまだ帰っていない。香奈さんはそのつきそい。礼美ちゃんはゆうべ、あたしといっしょに眠った。 あたしたちがベースに集まっているとき、宣言したのはぼーさんだった。 「ミニーには何か悪い因縁《いんねん》があるのに違いない」 「悪い因縁?」 「そう。以前の持ち主か死んだとか。 おそらく、すべての原因はミニーだろう。 俺《おれ》の知り合いの寺に人形供養《くよう》している寺がある。そこにたのんで……」 ナルが口をはさむ。 「ムダだ。ミニーのせいではないと思う」 「いまさら、なにを言ってるんだ!?」 「言いかえようか? 人形のせいではない」 「なんで!?」 「カン」 綾子が笑う。 「カンですって? どうしてナルのカンにたよらなきゃいけないわけ?」 ナルは綾子を無視する。 「問題はミニーの正体なんだ……。 人形は器に使われてるに過ぎないと思う。誰《だれ》かこの家に捕らわれてる霊がいるんだ。そいつがミニーの体を借りている。それが誰なのか……」 そう言ってから眼をあげる。 「礼美《あやみ》ちゃんは、とても危険な立場にいるんだ。なんとかして敵の正体をつかみたい」 危険な立場? 「……うそでしょ?」 「だといいけどね……」 あたしがナルを問いつめようとしたときだ。 「麻衣ちゃん! 麻衣ちゃん!」 典子さんが飛びこんでくる。 「典子さん! 病院から帰ったの? もういいの?」 「それどころじゃないの!」 「どうしたの?」 「おねがい、来て。 渋谷さんたちも来てください。変なものがあるの」 「え?」 典子さんはあたしを玄関に引っ張っていく。 青い顔をした香奈さんが、玄関ホールの壁《かべ》を見上げている。 「ほら、あれ!」 典子さんが指さしたのは、玄関ホールの壁だ。ちょうどあたしたちの後ろ。 全員が振りかえる。そうして息を飲む。 誰がこんな……。 壁いっぱいの文字。 『わるい 子には ばつを あたえる』 子供の字だ……。でも、子供には書けない。壁いっぱいの字。高さ三メートルちかくある天井《てんじょう》までの壁画いっぱい……。イスの上に乗っても、ぜったいに届かない高さ。 「わるい子って、礼美ちゃんのこと……?」 あたしの声にナルがうなずく。 「礼美ちゃんは、話してはいけないと言われたことを話してしまった。それでミニーは、礼美ちゃんが裏切ったと思っている。 ……麻衣」 「うん?」 「礼美《あやみ》ちゃんの側《そば》から離れるな」 「……ねぇ、ナル、礼美ちゃん、だいじょうぶだよね?」 「わからない」 「そんな!」 ナルは深い瞳《ひとみ》を一瞬さまよわせてから、さっぱりとあげる。 「僕《ぼく》では力が及ばないかもしれない。 専門家を呼ぼう」 「専門……家?」 「ミニーの霊は人形に憑依《ひょうい》している。 憑依霊を落とす専門家を」 「そんなのいるのは!?」 「もちろん、いるさ。 ――エクソシストが」 ……あ! ジョン? ジョンね!?
5 午後、あたしは典子《のりこ》さんと礼美《あやみ》ちゃんと、庭のテラスでピクニックのまねごとをした。 今ごろ玄関ではナルが、他のひとを手伝わせてあのラクガキを消している。礼美ちゃんに見せないために。 言い出したのはナルだ。あいつって、もしかしたら、ちょっとは優しいのかもしんない。 ……そんなわけがないか。ナルにかぎってないだろーな。 ミニーはいない。箱に納めてぼーさんが護符《ごふ》を貼《は》った。それを今ごろ、ぼーさんが燃やしている。そんなことでは意味がないだろうと、ナルは言ったけど。 ――そうして。あのあと、気がつくと香奈《かな》さんの姿が消えていた。居間のテーブルの上に一枚のメモ。 『こんな気味の悪い家にはいられない』 たった、ひとこと。典子さんはちょっとショックだったようだ。家政婦の柴田さんが辞《や》めて、香奈さんが出て行って、礼美ちゃんとこの家にふたりきり。 「麻衣《まい》ちゃん」 礼美ちゃんがあたしに紙コップを渡してくれる。 「おちゃをどうぞ」 「どうも」 おじぎをすると礼美《あやみ》ちゃんがわらった。本当に久しぶりに礼美ちゃんの笑顔を見た気がする。ミニーにおどされて、何も言えなくて淋しかったろうね。 「おねえちゃんも、どうぞ」 「ありがと」 「おねえちゃん、足いたい?」 礼美ちゃんがそっと聞く。典子さんが首を振る。 「もうヘイキ。 礼美が仲よくしてくれたら、痛いのなんかどっかに行っちゃうよ」 礼美ちゃんが微笑《ほほえ》む。天使みたいな笑み。 よかったね。胸のつっかえがとれたんだね。 「おねえちゃん、おはな、ほしい?」 「ほしいー」 典子さんが言うと礼美ちゃんが立ち上がる。 「つんできてあげる」 「じゃ、いっしょに行こうね」 「ダメよ、おねえちゃんはびょうきなんだから。おみまいのおはななの」 「ちょっとケガしただけよ?」 「いいの! 麻衣ちゃん、いこ」 「はーい」 あたしは礼美ちゃんと手をつないで、花壇《かだん》に行く。そこでは白粉花《おしろいばな》が咲いていた。 「ちょっとでいいよ、礼美」 典子さんの声。礼美ちゃんがうなずいて、花に手を伸ばす。茎《くき》の間に指を入れたとたん、礼美ちゃんが悲鳴をあげた。 「礼美ちゃん!?」 礼美ちゃんは手を花の間から抜こうと身をよじる。手は花の間から抜けない。あたしはとっさに礼美ちゃんの手をつかんだ。力をこめる。動かない。 「礼美!」 典子さんが片足跳《と》びで駆《か》けてくる。 あたしは花を小枝で手当たりしだいにむしった。なに? なにが手をつかんでるの!? 一群《ひとむ》れを抜いたとたん、礼美ちゃんの手が抜けた。礼美ちゃんは泣きだして、その場を逃げる。 庭の白粉花。なにもない単なる花の群れ。 「礼美《あやみ》! まって!?」 典子さんの叫び。振りかえると礼美ちゃんが泣きながら庭の奥に駆《か》けて行くところだった。 「麻衣ちゃん! とめて! そっちには池があるの!!」 ……池? 池!? 家の南側には、深そうな池が広がっている。芙蓉《ふよう》の木が一本池の端にあって、はなびらを水面に落としていた。 「ミニー! ごめんなさい!」 礼美ちゃんが叫びながら、なにかから逃げるように、花を咲かせた芙蓉の木を回りこむ。 「礼美ちゃん!」 池のほとりに生えた芙蓉の木。 回りこもうとして、礼美ちゃんが足をすべらせた。 「礼美っ!!」 典子さんの悲鳴。礼美ちゃんが、とっさに腕を伸ばす。指が宙を切り裂《さ》く。そのまま礼美ちゃんの体は、声をあげる間もなく池に―― 「礼美ーっ!」 「礼美ちゃん!」 あたしと典子さんが池に駆《か》けよる。 礼美《あやみ》ちゃんの体が水しぶきをあげて水面下に沈む。真っ白な泡《あわ》。 あたしと典子さんは先を争って池に飛びこんだ。 礼美ちゃん! 池は深い。水は首のあたりまであった。礼美ちゃんには深すぎる。 「礼美! どこ!?」 典子さんの悲鳴。それと同時に礼美ちゃんの体が、あたしの目の前に浮かんできた。 「礼美ちゃん!」 礼美ちゃんが苦しげに頭を出す。何か叫ぶが、声にならない。 あたしは腕を伸ばしてその体をつかんだ。 「だいじょうぶ! だいじょうぶよ!」 胸の上に抱き上げる。 典子さんが水を散らしながら、泳ぎ寄って来た。 「礼美!」 「おねえちゃん、おねえちゃん!」 やっと声になった悲鳴。 「もうだいじょうぶよ……! こわかったね」 典子さんが礼美ちゃんを抱きしめた。
駆けつけてきたナルたちに池から引き上げてもらって、ひきけつたように泣く礼美ちゃんを家に連れもどす。お風呂で体を洗ってから、新しい服に着替えさせてやる。ようやくその頃になって、あたしも典子さんも震《ふる》えが止まった。 髪をふいてあげながら典子さんが、 「よかった……、よかった」 何度も言う。 「おねえちゃん、ポタポタ……。おかぜひいちゃうよ」 「ん。ありがとね。でも、おねえちゃんはだいじょうぶ。 それより礼美、だいじょうぶ? どこかぐあい、悪くない?」 「だいじょうぶ。 麻衣ちゃんも……おみず」 「うん。あたしは平気」 わらってやる。 そうしながらあたしは考える。これは報復だろうか。裏切り者に対する。「悪い子には罰《ばつ》を」……。 これがその罰《ばつ》
6
典子《のりこ》さんは、湯上りの礼美《あやみ》ちゃんをベッドに休ませに行った。 あたしがひと息つきにベースにもどると、棚《たな》の上にミニーがすわっていた。……ぼーさんが焼き捨てたはずのミニーが。 思わず悲鳴がもれる。 「どうしたの……これ!」 ぼーさんが忌々《いまいま》しそうに首をふった。 「燃えなかった」 へっ? 「箱は燃えたのに、ミニーだけ無傷で残った」 背筋がぞっとする。 「ナルはああ言うけどな、俺《おれ》は人形に何かあると思うぜ。 前にも経験したことがある。人形をかわいがっていた女の子が死んで、その霊が人形をあやつったんだ。夜に家じゅうを歩いてそこらじゅうを水びたしにした」 ナルは表情を変えない。 「人形じたいには問題はないと思う。 問題はあくまでもこの家の地縛霊《じばくれい》。それがミニーに憑依《ひょうい》している。それだけ」 ナルとぼーさんを見くらべて、綾子《あやこ》がため息をつく。 「あーあ、サイコメトリストがいればねぇ。 話は早いのに」 さい……なんだって? あたしがキョトンとすると、ヤレヤレというようにぼーさんや綾子が首をふる。 ……なんだよぉ。 ナルがウンザリしたように口をひらく。 「サイコメトリーの能力者」 なんと不適切な解説。 「だからー、そのさいめとりって、なに?」 「サイコメトリー。 超能力……学術的には、サイ能力と言うのが正しいんだが、サイコメトリーはその一種。 アメリカの科学者ブキャナンが命名。別名オブジェクト・リーディング。訳すと……対象診断――だったかな。 物体を手にしたり、触《ふ》れることで、その物体の由来とか、まつわる人々の過去・現在・未来に対する知識を得ることができる能力。 オランダの故・ジェラルド・クロワゼや、アメリカのペーター・フルコス……なんかが有名だね」 ほえー。 「じゃあさ、この場にその……サイコメトリストがいたら、ミニーを作った人のこととか、ミニーを持ってた人のこととか、わかっちゃうわけ?」 「そういうことになるな」 「それは……すっごい、便利だねぇ」 あたしは正直な感想を述べたのに、なぜだかみんなの失笑をかってしまった。 「まぁ、たしかに便利は便利だろうけどな」 ぼーさんが苦笑する。 「サイコメトリストと言うと、死体捜索人というイメージがあるからなぁ」 「し、死体?」 「そう。行方《ゆくえ》不明者の残していった品物に触れて、現在の状況を知るわけだな。それで、えてして死体を発見してしまう……と」 げー、あたしだったらやだ、そんなの。 「クロワゼにしても、フルコスにしても――あと、有名なサイコメトリストと言ったら、イギリスのオリヴァー・デイビス、アメリカのアレックス・タウナス、みんな警察に協力して行方不明者の捜索をしている」 「へぇぇ。向こうの警察って、すすんでる」 「まぁな」 「いないものは、しょうがないわよね」 綾子がため息をつく。 「せめて真砂子《まさこ》なら、何かわかるかもしれない。真砂子を呼ばない?」 「その必要はないと言ってる」 ナルがみょうにきっぱりと言う。 そうしてフイと立ち上がると、 「礼美《あやみ》ちゃんのようすを見てこよう」 ……なんか、ナルって、真砂子にこだわってない?
典子さんの部屋に行くと、礼美ちゃんはよく眠っていた。 典子さんはその寝顔を見ながら、 「わたし、お兄さんに連絡するわ。家を引っ越すことにします」 ……それがいい! 綾子《あやこ》もぼーさんも、ほっとしたようにうなずく。 それを制したのはナルだった。 「ポルターガイストの中には、家を変わっても、ついてくるものがあります」 「じゃあ、どうしろって言うんですか! いつになったら、静かになるの!? もうこの家にはわたしと礼美《あやみ》しかいないのに!」 ナルは、典子さんの問いには答えずに、 「典子さん……この家がどんな家だか知っていますか?」 「……どんな家って?」 「僕《ぼく》はこの家の所有者を、さかのぼってみました」 典子さんが、不安そうな眼を向ける。 見返すナルの眼の色は険しい。 「まず、森下邸が引っ越して来たのが、十か月前。 その前の所有者は、渡辺と言って、三年間住んでいました。手放したのは、仕事のつごう」 「変なことがあったわけじゃなくて?」 あたしの声にうなずいて、 「ちがうようだね。近所の人間もそんなうわさは聞いていない。 その前が野木という家族だったらしい。ここで、九歳になる女の子が死んでいる」 九歳……。 「礼美ちゃんより、ひとつ上。病死だったらしい。 その前は、大沼。この大沼家で、半年に三人の子供が全員死んだ」 「三人?」 「そう。十、八、七歳の男、男、女。 それぞれ事故や病気だが、大沼家はこれを期に家を手放した」 「…………」 なんだかイヤな気分だ……。 「さらに前が村上家だが、ここで子供が死んだという話はない。越して来た当時、十五になる娘がいたが、この子は無事だった。 ……さらに前は谷口家。この一家には十八と十五、十四の子供がいたが、死人はいない。ただし、遊びに来た親戚《しんせき》の子供が死亡。十くらいの男の子。 その前が、池田家。ここでも死人はいないが、別の家に引っ越してすぐに、七つの末っ子が死んでいる。女の子。十五歳くらいの上の子は無事。 その前がこの家を建てた立花家。八歳の女の子が死亡。 ……以上だ」 「ねぇ……」 胸がヒリヒリする。 「もしかしてこの家……八つ前後の子供があぶない……?」 「そうとしか考えられない」 ……礼美《あやみ》ちゃん……! 「……どうすればいいんですか!」 典子さんが叫ぶ。 別の家に引っ越してから死んだ女の子。……絶望的な状況……。 「この家を出ると言うのなら止めません。しかし、少し待ってください。今のままでは、どこに移動しても危険です。 こういうことの専門家を呼びました。家を出るのでしたら、せめて彼が来るのを待ってください」 典子さんがうなずいた。
7
待望のエクソシストが到着したのは、陽《ひ》が落ちる頃だった。 タクシーで森下邸に乗りつけたジョンは、すでに祈祷《きとう》服を着て準備をすませていた。 ジョン・ブラウン。カトリックの神父。エクソシスト。 ジョンはあたしたちの顔を見るなり、真っ青な瞳《ひとみ》をなごませる。十九なのに十六、七にしか見えないオーストラリア人。 「ごぶさたしてますー」 なつかしい関西なまり。 彼は駆《か》け寄ってくると、 「で、渋谷さん、その人形とお子は、どちらですか?」 いきなり本題に入る。 「礼美《あやみ》ちゃんは、二階。部屋で眠っている。人形は、ぼーさんがあずかってる」 「先に礼美ちゃんに会いたいでおます。案内しておくれやす」 ……あいかわらず、ちょっと言葉がへんね、ジョン。
あたしたちは礼美ちゃんが眠っている、典子《のりこ》さんの部屋に向かう。 ジョンは典子さんにあいさつをしてから、礼美ちゃんの寝顔をじっと見おろす。 「ボクで役にたてるかどうか、わかりまへんけど、できるだけのことはさせてもらいます」 ジョンは聖書を読み上げながら、聖水で壁《かべ》やドアに十字を描く。眠っている礼美《あやみ》ちゃんの額《ひたい》に十字を描いたとき、礼美ちゃんがかすかに身じろぎをした。 そうして銀の十字架を出して、礼美ちゃんにかけてやる。 「こんなんできくかどうか、わかりませんけど、少しはましやろうと思います」 「ありがとうございます」 典子さんが深く頭を下げる。 それに微笑《ほほえ》んでから、ジョンはナルを振りかえる。 「そやったら、渋谷さん、人形を」
ジョンをつれてベースに帰ると、あたしたちを驚かせることが待っていた。 ナルが機械の前にすわってTVを見つめているリンさんに、厳しい声をかける。 「リン! ミニーは!?」 リンさんは不思議《ふしぎ》そうにナルを振りかえって、 「ミニーでしたら、そこに……」 指さした手が凍《こお》りついた。 ミニーはいない。いたはずの棚《たな》の上にはいなかった。 「……逃げたか」 「申し訳ありません」 リンさんが頭を下げる。ナルはちょっと唇《くちびる》をかむ。すぐにいつもの無表情にかえって、 「じきに現れる……きっと」
その夜、二時すぎ。 突然振動が起きて、ポルターガイストが始まった。それは、何かを探して家中をひっくりかえしているようだった。 全ての家具が位置を変える。激しいラップ音と、足音と。 「こんな……ごっつい」 ジョンが半分不安そうな声を出した。 「イラついてるみたいだな」 ぼーさんがTV画面を見つめて言う。 「ジョンがあの子にしたことが、効果あったんじゃないか?」 ……そう見える。まるで礼美ちゃんを探しているみたい。 「とすると……結界が役にたつかもしれんな」 「結界?」 「オマジナイで、悪い霊が入れないようにしてやるのさ」 ぼーさんが方頬《かたほお》をあげてわらう。 ……へぇ。ウヤムヤにうなずいてTVに眼をやる。TVの一台に赤い小さな光がともっている。マイクに音が入った印だ。 「ナル! 六番のマイクにも音が入ってるよ」 「切り替えて」 「うん」 スピーカーに音を出す。 ――それは子供の声だった。 床や壁を叩《たた》く音にかき消されてよく聞こえない。でもそれは確かに子供の声で、しかも何かを叫んでいるように聞こえた。 「これが……礼美《あやみ》ちゃんの見えない友達……」 あたしがつぶやくとナルがうなずく。 「だろうな。すごい声だ。いったい、何人いるんだ?」 声はいつもよりずっと早くに消えていった。あとはしんとした闇《やみ》。なんの変化もない。 「消えた……どうして?」 「さあ、でも……」 ナルが口をつぐんだ。 その原因は、すぐにわかった。 典子さんの部屋で礼美ちゃんについていた、綾子が走りこんで来たのだ。 「ナル!」 「どうした?」 「ミニーが追いかけてきたのよ!」 なんですって? 綾子が、シーツでぐるぐる巻きにした包みを差し出す。 「これよ。アタシ、気味が悪くて」 ジョンが受け取ってそっと包みを開く。人形が眼を閉じていた。 「いつ?」 「たったいま。 典子さんが、礼美ちゃんのふとんの足元のほうがふくらんでいるのに気がついて……めくってみたらこれが」 「礼美ちゃんはだいじょうぶか?」 「……ええ……」 さっき、突然消えた声。あんなにイラだって暴《あば》れていたのに。なぜ消えたのか? ――礼美《あやみ》ちゃんを見つけたんだ。
午前四時。 ジョンが祭壇をもうけ、ミニーを小さな銀のキリスト像の下に横たえる。 小さなガラスびんを取り出して、祈りを捧げる。 「天にましますわれらの父よ……」 サファイア・ブルーのドレスを着たミニー。真っ白な陶器みたいな肌《はだ》。堅いまぶたをとざして、輪郭《りんかく》のはげかけた小さな唇《くちびる》から、白い歯列をのぞかせて、まるで悪い夢を見ながら、眠っているように見える。 ミニーのからっぽの体の中には、さまよう霊が宿っている。 そうして、それは礼美ちゃんをさそう。 なぜ? 「ねがわくは神、われらをあわれみ、われらをさきわいて、その御顔を、われらの上に照らしたまわんことを」 ジョンがつぶやきながら、小さな十字架をミニーの額《ひたい》にのせた。 その瞬間だった。 カタ。 かすかに硬質の音をたてて、ミニーの眼が開いた。 綾子があたしの後ろで息をのむ。 眼が開くはずがない。これは横にすると眼をとじる人形だから。 ジョンがかすかに身じろぎをして、そうして再び祈祷《きとう》を続ける。 ミニーは動かない。硬直した手、硬直した足。どこも見てない。 「かくて地のもろもろの果て、ことごとく神をおそれん」 ジョンは厚い聖書を開く。ガラスびんをかざす。 「初めに言《ことば》があった」 聖書を読み上げながら、びんを振る。透明なしずくが、ミニーの上に落ちる。 そのとたんカタカタと小刻みの音が、ミニーの体からした。 「言《ことば》は神であった。この言は、初めに神とともにあった」 ジョンは言葉とともに、聖水のしずくを散らす。 やがてミニーの額から、ごく細い薄煙があがり始める。カタカタという細かな音。ドレスのひだが、かすかに揺《ゆ》れているように見える。 「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」 言葉と同時にミニーのまぶたが、カタンと落ちた。それとともに額の十字架がすべり落ちる。あとには焼きつけたように、十字架のあとが残った。 「霊は落ちたと思います」 祈祷《きとう》を終えて、ジョンがあたしたちを振りかえる。 「けど、滅《ほろ》ぼしたわけとちがいます。 二度と悪用されへんように、焼いてしまうのがええと思いますです」 ナルがうなずく。ミニーを取りあげて、ぼーさんに渡す。 ぼーさんは庭の一角で、ミニーに火をかけた。 人形は今度は、たやすく燃え上がり、黒いかたまりになって崩《くず》れ落ちていった。
三章 その子たちとは遊べない
1
夜があけてから、短い仮眠をとったあと、ベースでビデオを再生しながら、あたしたちは額《ひたい》を寄せあう。 「この子供の声はなんなんだ」 と、ぼーさん。 「ずいぶんいる。ひとりやふたりじゃないぜ? ミニーに乗り移っていた霊の声だけじゃねぇ」 綾子《あやこ》がそれを受けて、 「この家にはミニーの他にも霊がいるってわけよね。それが礼美《あやみ》ちゃんの見えない友達なんだわ」 「ミニーが連《つ》れてきた友達……か。ミニーが連れてきた子供の霊」 「そういうことなんじゃないの?」 言って綾子はナルのほうに身を乗り出す。 「あたしたちが想像してても、ラチがあかないわ。真砂子《まさこ》を呼んじゃどう?」 ナルはやはり嫌《いや》そうな顔をする。 ぼーさんが、 「ナルちゃんよー、なんでそこまで真砂子を呼ぶのを嫌がるのか聞いてもいいか? べっぴんさんだし、おまえさん自身が有能だと言ってたじゃねぇか?」 「必要ないからだ」 ナルがピシャリという。 「ははん」 得意そうな声を出したのは綾子だ。 「ナルは真砂子が嫌《きら》いなんだ。 わかるわかる。真砂子って、性格悪いから」 ……ひとのことが言えるのか? ジョンが困《こま》ったように口をはさむ。 「……それは、まぁ、置いといて。 ミニーの正体は、この家に憑《つ》いている地縛霊《じばくれい》なんやと思います。それは、まちがいないのとちがいますか? 地縛霊になるほどこの家に強い因縁《いんねん》を持っている霊とゆうたら、この家で死んだ子供ですやろ?」 「そうだろうな」 ぼーさんはうなずく。 「この家に縛《しば》られている地縛霊。それがミニー。あの子はかつてこの家で死んで、さびしくてここを離れられないでいる。友達が欲しいんだ。それでこの家に来た子供を自分の友達として連《つ》れて行こうとしている。 かつてこの家で死んだの子供は、ミニーに連れて行かれた子供たちだ。その子たちも地縛霊となって……」 ナルが首をかしげる。 「たしかに……そう考えるのが、一番自然なんだ。しかし……」 「しかし?」 「納得がいかないのは、なぜ子供だけなのか、ということなんだよ。 子供が淋しがっているのなら、連れて行く相手は子供にかぎらないと思う。 母親になってくれそうなひと、姉になってくれそうなひと、自分の寂《さび》しさを慰《なぐさ》めてくれる人間なら、見境《みさかい》ないはずだよ」 「そりゃ、そうだ」 「礼美《あやみ》ちゃんだけ、というのが気になるんだ。典子《のりこ》さんも、そして麻衣《まい》も、というのならわかるけど。 ミニーは彼女たちを連れて行くというよりは、排除しようとしてるじゃないか」 「……ああ……」 ぼーさんも首をひねる。 「わからんな……。この家の騒霊《そうれい》は得体《えたい》が知れん……」 「そやけど、渋谷さん。地縛霊《じばくれい》の中には、この家で死んだ子供がいてます。いないはず、おまへん。 ミニーは子供らの霊のボスですやろ。そやったら、子供の中で、一番最初に死んだ子がミニーの可能性が高いんとちがいますか?」 「だろうな……。リン」 ナルが言うと、リンさんが黙ってルーズリーフを差し出した。それを受け取って、ナルはパラパラとめくる。 「浄霊《じょうれい》をやってみよう」 「どうやってェ?」 綾子の半分バカにしたような声にも動じない。 「ここはぼーさんの出番だな」 「俺?」 ナルはぼーさんに、メモを差し出す。 「最初に死んだ子は立花ゆき。名前の下がその生没年。宗派は浄土《じょうど》宗、その下が戒名《かいみょう》」 メモをしみじみ見つめて、ぼーさんが目を丸くする。 「……よく調べたな……七十年前近くのことを……」 「簡単なことだ。あんたらとはちがう」 あっさり言ってのける。 ……こいつってば、本当に自信家だ。
ぼーさんが礼美ちゃんの部屋で、浄霊を始めた。 ジョンと綾子は、典子《のりこ》さんの部屋で礼美ちゃんについている。 あたしとナル、リンさんは、例によってベースで機材にしがみつく。 ぼーさんは指を組む。 『ナウマク、サンマンダ、バザラダン、センダマカロシャダ、ソワタヤ、ウンタラタ、カン、マン』 「麻衣、ぼーって見てないで、注意してろよ」 「わかってるよ」 ナルがおこたりなく、あちこちの画面に眼をやる。 『ナウマク、サンマンダ、ダナン、オン、ボロン』 「ナル、温度が下がってきました」 「マイクは」 「今のところ、異常ありません……いえ。みょうにノイズが少ないですね」 『オン、スンバ、ニスンバ、ウン、バザラ、ウン、ハッタ』 「下がっています……もう二度は下がりました。特にベッドのまわり。 マイクはノイズなし」 『ナウマク、シッチリヤジビキャナン、サラバタタァギャタナン、アン、ビラジビラジ』「……ラップ音が始まりました。ノック音です……スピーカーに出しますか?」 「いや、今はいい」 『マカシャキャラ、バジリ、サタサタ、サラテイ、タイラタライ、ビダマニ、サンバンジャニ、タラマチ、シッダリヤ、タラン、ソワカ』 「急激に下がります……ベッドのまわりで、十度くらいです」 あたしは、サーモ・グラフィーの映像に眼をやる。まだらもよう。気をつけてみると、青い濃淡《のうたん》の形で、ベッドらしきものがわかる。 「ラップ音は?」 「ノック音が続いています……。他に変化はありません」 「うん……」 気がなさそうにナルが答えた。 あたしは、ぼーっとTVに眼をやっていて、ふいに変な映像があるのに気がついた。 「ナルっ! 居間!」 画面を示す。 部屋の中には白い霧のようなものが、音もなくかすかに流れている。 ナルが思わず腰を浮かせた。 「リン、居間の温度は」 リンさんがコンピュータを操作する。 「現在、マイナス二度です」 「マイナス……!?」 リンさんを振りかえるナル。 あたしは思わず声をあげてしまう。 「なんで居間なの!?」 「知るか!」 「なに、あの煙は?」 「わからない……温度が急激に下がったせいかも……」 「ナル、音を出します」 リンさんが、居間の音をスピーカーに出す。 部屋の中は完全な無音。 白い霧……煙にちかい……は、小さな円を描くようにゆらめいて動く。 小さな円……まるで子供の顔がいくつも群《むら》がっているように見える……。 「子供じゃない、あれ……?」 おそるおそる聞く。 「そう見える……。数が多いな。二十から三十……」 「うん……」 透《す》き通った煙状の子供の顔。 ……気味が悪いというよりは、胸が悪くなるような風景。 そのとき、居間のドアが開いた。 「……ん?」 ドアの隙間《すきま》から、小さな体がすべりこむ。 「礼美《あやみ》ちゃん……!」 礼美ちゃんがなぜ!? ジョンはどうしたの、綾子は!? 礼美ちゃんは煙を見まわしながら、部屋のまん中に歩いて行く。眼は覚めているみたいだ。煙の動きが活発になった。 そうしてマイクから礼美ちゃんのわらい声。 『どうしたの? こんなところによんで』 礼美ちゃんが煙に話しかける。 『みんなは、ねむらないの? こんなじかんに、あそぶの? しかられちゃうよ』 ……礼美ちゃん……! あたしは立ち上がった。 「麻衣、おまえが行っても危険なだけだ!」 ナルの声を無視して、あたしは駆《か》け出した。だって、だって……! 背後で、ナルがレシーバーに怒鳴《どな》る声。 「ぼーさん、居間だ! ついでに典子さんの部屋の、間抜けどものようすを見てくれ!」 あたしは居間にかけつけ、ドアに飛びつく。その瞬間、パチッと静電気が起きて、あたしは手をはじきかえされた。 あたしの背後からナルの手が伸びる。手には上着を巻いている。ナルがドアを開けた。「礼美ちゃん!」 部屋の中には煙のようなものが充満していた。そのまん中にポツンと礼美《あやみ》ちゃんが立っている。 「麻衣ちゃん……?」 気味が悪くて中に入れない。あたしは大声で礼美ちゃんを呼んだ。 「礼美ちゃん、お姉ちゃんのところに帰ろう!」 「おともだちが、あそぼ、っていうの」 「ダメよ、その子たちとは遊べないの」 「でも……」 煙が礼美ちゃんにまとわりつく。だんだん色が濃くなる。礼美ちゃんは立ちすくむ。 「礼美ちゃん!」 「みんながはなしてくれないの!」 礼美ちゃんが叫んだときだ。 礼美のちゃんの背後に黒い影が見えた。 煙のようなもののせいではっきりとはわからない。でも、かすかに目鼻だちが見て取れる。 ……子供じゃない。大人《おとな》だ……女の? 影が手を伸ばした。礼美ちゃんのほうへ。 「礼美ちゃん! 後ろっ!」 とっさに中に飛びこもうとしたあたしを、誰《だれ》かが止めた。ぼーさんだ。あたしを後ろに引きずり下げて前に出る。 彼は指を組んだ。 「お嬢ちゃん、こっちにおいで」 「いけないの! 麻衣ちゃん、こわい!」 「だいじょうぶよ! おちついて、こっちに来るの!」 飛び出そうとするあたしをナルが止める。放して! 「できないの! 麻衣ちゃん!」 ぼーさんが組んだ手をあげた。 「カ」 鋭い声で言って指を組み替える。 「ナウマリ、サバ、タタキヤテイビヤリ、サラバモッケイビヤリ、サラバタ、タラク……」 礼美ちゃん……! 「センダ、ウンキキキキ、サラバヒサナンウン、タラタ、カンムン!」 言葉と同時に、風に押されるように煙が切れる。黒い影と共に、唐突になぎ払われる勢いで、あっという間にちぎれて消える。 礼美《あやみ》ちゃんが駆《か》け出した。あたしに向かって駆けてくる。 「麻衣ちゃん!」 「よかった……」 あたしは礼美ちゃんを抱き止める。体が氷のように冷たい。歯がカタカタ鳴っていた。「消えた?」 ナルがぼーさんに聞く。 「いや。散らしただけだ……」
2
「大馬鹿《ばか》どもが! 何のためにあの子のそばについてたんだ!」 ぼーさんが吐《は》き捨てる。 「すんません。面目《めんぼく》もおまへん……」 ジョンが首を垂《た》れる。 ぼーさんが典子《のりこ》さんの部屋に行くと、典子さんもジョンも綾子《あやこ》も、死んだように眠りこけていたのだ。 綾子が口をとがらす。 「だって、突然フウッと眠くなって、気がついたら眠っていたんだもん。 あれって、あいつらのしわざよ。 まえぶれもなんにもなしでさ、いきなりよ。……しょうがないじゃない」 ナルは、居間の映像を再生している。方耳にヘッドフォンをあてたまま。 「ぼーさん、見たか? あの影」 「見たさ。女だ。子供じゃない」 「あの居間には、なにかあるな」 「女がいる」 「結論に飛びつかないほうがいい。 でも、なにかいるのは確かだな。しかも、礼美《あやみ》ちゃんの部屋とはケタちがいのヤツだ。 最低気温、マイナス十二度。――これが他人の報告なら、笑うところだよ」 「何者だ?」 「わからない」 言いながら、ふとビデオを止める。 「どうした?」 ナルがテープを巻きもどす。 「なんだ?」 「いいから、聞いてみろよ」 画面が出たとたん音声が切りかえられて、スピーカーから泣き叫ぶ大勢の子供の声が部屋いっぱいに流れてきた。 ぼーさんが腰をうかす。 居間に流れる煙のようなもの。煙はのたうちながら、悲鳴をあげる。声どうしが重なって、なにを言ってるのかわからない。ただ、これだけはわかる。この子たちは……みんな苦しいと訴えてる。 聞くのがつらい。なんてたくさんの悲しみの声。 画面では、礼美《あやみ》ちゃんが入ってきた。 声はいっそう高くなる。 みんな礼美ちゃんを呼んでいる。淋《さび》しいって、悲しいって、苦しいって。だから一緒においでって。 礼美ちゃんの無邪気《むじゃき》な受け答え。 ドタドタと激しい足音。あたしが駆《か》けつけた音だ。ドアの外での大騒ぎ。そして、礼美ちゃんの悲鳴。 『みんながはなしてくれないの!』 そして黒い影。あたしの叫び。ぼーさんと綾子が駆けつけた音。 そのとき声が響いた。女の声。 『わたしの子……』 ぼーさんの真言《マントラ》の声。 『……わたしの娘……』 ぼーさんの真言と同時に、部屋中に満ちる激しい子供たちの悲鳴。真言の力に切り裂《さ》かれて、苦しみのあまりあげる悲鳴。 「今の声……!」 綾子が自分の肩を抱く。 「あいつが居間のヌシ!? あの女が!?」 「のようだな」 ナルの眼の色が深い。 綾子が立ち上がる。 「こうなったら真砂子《まさこ》を呼ぶわ。女の正体を知らないわけにはいかないもの」 今度はナルも、必要ない、とは言わなかった。 「やむを得ないだろうな」 真砂子は綾子の電話を受けて、とるものもとりあえず、という感じでやってきた。夕暮れ間近のころ。 ベルを鳴らした真砂子を、あたしとジョンとで出迎える。 ドアを開けたとたん、日本人形のような真砂子が、あたしにしがみついてきた。 「……真砂子、どうしたの?」 あいかわらずの、着物姿。その肩が震《ふる》えている。 「原さん? どっかご気分でも……」 ジョンの声を真砂子の声がさえぎる。 「なんですの、これは……」 「え?」 「こんなひどい……こんなにひどい幽霊《ゆうれい》屋敷を見たのは、初めてですわ……」 え? とりあえず、あたしとジョンとで、真っ青になった真砂子をベースに連《つ》れて行く。 部屋に入ってナルの顔を見るなり、真砂子はナルにしがみついた。 ……ちょっと、やめてよね……。 「原さん?」 ナルは無表情。べつに押しのけるわけでもなく、真砂子を見おろす。 「こんなの……ひどい……胸がわるくなりますわ」 綾子がツカツカと真砂子によって、ナルからひきはがすとイスにすわらせる。 「どう? 何か見える?」 「見えるなんて……」 真砂子は青い顔を振った。本当に気分がわるそうだ。 「……そんなものではありませんわ。 この家は墓場よりひどい……霊の巣ですわよ」 ……え。 真砂子は深く息をつく。 「……子供の霊です。いたるところにいますわ。みんな、とても苦しんでいる……、家に、お母さんのところに帰りたいといって、泣いていますの」 「子供だけ?」 「ええ、いま、感じるのは子供だけ。それに……この家、霊を集めていますわ。全部子供の霊です。ここに来る道すがら、三人もの子供に追い越されましたわ。さまよってる子供の浮遊霊《ふゆうれい》を、どんどん集めているんです」 ナルが真砂子に問いかける。 「呼び出せますか?」 「呼び出す必要なんてないくらいですわ。耳をふさぎたいくらい。 何をお聞きになりたいの? いくらでも答えてさしあげますわ」 「ミニーの……立花《たちばな》ゆきという女の子がいるはずなんだ。この家で最初に死んだ子。なんとか呼び出したい」 「ここで降霊術《こうれいじゅつ》なんて始めたら、あたくし、憑依《ひょうい》されてしまいます。 まってくださいな。立花……ゆきね?」 真砂子は立ち上がって、手を差し出す。 「ホールに連《つ》れて行ってくださる?」 ナルが少し眉《まゆ》をひそめてから、真砂子の手をとった。 ……真砂子のちゃっかり者っ。
ベースを出て、階段の下に広がるホールに連《つ》れて行く。 真砂子はナルの手をにぎったまま(ゴメンね、こだわって)、視線を宙にさまよわせる。 「立花ゆきさん、いますか」 宙に向かって呼びかける。 「……オネガイ、みなさん、少しだけ静かにしてくださいな」 これも宙に向かって。 あたしの耳には、何の物音も聞こえない。 スウッと冷たい空気が流れて、真砂子のまっすぐな髪を散らした。 「ゆきさん、あたくしの声が聞こえて? 返事をしてくださる? ……なあに? お願い、大きな声で……」 ふっと真砂子の眼の焦点があわなくなった。何も見ていない眼。表情が消える。赤い小さな口元が、つぶやくように動くだけ。 「……そう……そうなの? ……ええ、わかるわ……そうでしょうね」 ひとりごと。 なんだかこわい。真砂子の顔は何かにとり憑《つ》かれているようで。 「……それは……誰《だれ》なの? いいえ……そんなはずはありませんわ。信じてはいけません……そう……だめよ」 ふいに、地鳴りがした。 「…………!」 全員が身構える。 なに? まだ陽《ひ》は落ちきっていないのに!? 家が身震いするように揺《ゆ》れた。次第に大きくなる家鳴り。天井《てんじょう》でシャンデリアがギシギシ鳴る。バン!と壁《かべ》をたたくような音がしたのを合図に、そこらじゅうで激しい騒音が鳴り始めた。 「ちょっと、なによ!」 綾子の悲鳴じみた声と同時に、ジョンが駆《か》け出す。 「ジョン!?」 ジョンは階段を駆け登りながら振りかえる。 「アヤミちゃんのところに、行ってます!」 ジョンの声をかき消すほどの騒音。床を踏みならす音。壁《かべ》をたたく音。大勢の足音。 床が小刻みに揺《ゆ》れる。そして、寒い。 突然、 「とみこぉ!!」 叫び声が騒音の中にひびいた。 とっさに声を振りかえる。 ……真砂子!? 真砂子の顔つきが変わっている。なんて言えばいいのだろう。しいて言うなら、獰猛《どうもう》な表情。すましきった、いつもの真砂子の顔では、ぜったいにない。 真砂子はぎこちなく身をひるがえす。 アゼンとするあたしたちの眼の前で、いきなりナルにつかみかかった。 「真砂子!」 さしあげた両手がナルの首に伸びる。ナルがその指をかいくぐる。 「ぼーさん! とめてくれ、憑依《ひょうい》された!」 ぼーさんが手を組む。すばやくその手を動かして、 「オン、アサンモ、ギネイ、ウン、ハッタ!」 指を振りおろすと同時に、ガクッと真砂子の体から力が抜けた。 同時にピタリと騒音がやむ。 倒れた真砂子を、ぼーさんが抱き起こした。
3
意識のない真砂子《まさこ》を、ベースのカウチに寝かせる。 そうしていまの騒ぎの間のビデオを再生していると、真砂子が眼を覚《さ》ました。 「気分は?」 ナルが声をかけると、真砂子は青い顔を振る。 「だいじょうぶですわ……。 あたくし、憑依されたみたいですわね」 「こちらもうかつでした。すみません。 ――ゆきはつかまりましたか?」 「ええ」 うなずいて真砂子は首をめぐらす。あたしたちの顔をひととおり見渡してから、 「ここには女の霊がいます」 真砂子がポツポツと話を始める。 「元凶は女の霊ですわ。奥深いところにひそんでいる……そんな感じで、どういう霊なのか、よくわかりませんの。でも、女です。それは、たしか」 真砂子は少し言葉を切る。 「子供たちはここに集められていますの。 どの子もみんな、もうこんな場所は嫌《いや》なのです。家に帰りたいのですけど、道にまよって出られないのですわ。 ……こんな言い方でわかりますかしら」 「つまり、ここから出られなくなっているんでしょう?」 「そうですの。 子供を集めたのは女です。女は母親のふりをして、浮かばれずにいる子供たちの霊を呼んでいます。 ゆきさんはもう、気がついているようでしたわ。女の霊が、恋しい自分の母親などではないことに」 ……母親のふりをして呼ぶ……。 「女は子供たちをだましただけでなく、子供たちを使って新たな霊を呼んでいます。 子供たちに友達のふりをさせて、生きた子供を呼び寄せるのですわ。 ゆきは子供たちのリーダーですけど、もういやがっています。苦しいばかりで、悲しいばかりで、たまらないと」 ……ひどい。 ナルが真砂子に問いかける。 「とみこ、と叫んだのを覚えてますか?」 「とみこ……」 真砂子は瞳《ひとみ》をさまよわせる。そして、 「ええ、覚えてますわ……。 それは女の子供です。女の娘……。女は富子をさがしているんです。自分の娘を……それで子供を集めているのですわ」 「……そういうことか」 つぶやいて、ナルが立ち上がる。 「ナル?」 「あの女が娘を探す、その結果があの子供たちというわけか」 声にかすかな憤《いきどお》り。 「自分の子供恋しさに、無関係の子供たちを引きずりこみ、さらに集めた子供たちを使って、次の犠牲《ぎせい》を求めている」 なんどもマイクに入っていた、子供たちの悲鳴。苦しみを悲しみを訴える声。 「子供たちは成仏《じょうぶつ》できてない。あの女が魂《たましい》を自分の手元に引き寄せてる。 あの世とこの世の間……中有《ちゅうう》をさまよって、どこにも行けないでいるんだ」 「……ああ」 ぼーさんがうなずく。 「中有にさまっている者は、自分が死んだことがわからない。 あの子たちだってそうだ。あの子供たちにとっては、消えたのは自分でなくまわりのほうなんだ」 それでなんだね、『家に帰りたがっている』……。 「あの女はそこにつけこんで、母親ヅラして子供を操《あやつ》ってる。 中有にいても、苦しいだけなのに」 子供たちは気づいてる。自分が何かに捕まっていることに。でも抜け出せないでいるんだ。もういやだけど、苦しくていやだけど、女が放さない。 ナルは上着をとる。 「どこへ行くの?」 「出かけて来る。帰りはいつになるかわからない。 なんとか礼美《あやみ》ちゃんを死守してくれ」 「ナル!」 声をかける間もあらばこそ。 風のように部屋をすり抜けてナルが出て行く。あたしたちは、その背をあぜんと見送った。
4
「なーんなんだー、あいつはぁ!?」 ぼーさんが毒づく。 「……どうすんの、もう日が暮れるわよ」 綾子《あやこ》の声に、ぼーさんが苦々しいわらいを浮かべる。 「どーするも、こーするも。 とにかく、できるかぎりのことをするしかあるまい?」 言ってから宙をあおぐ。 「よし、こうしよう。 今夜、礼美《あやみ》ちゃんをホテルに移す」 「だいじょうぶなのぉ? そんなことして」 「この家にいるより危険なはずはないさ。 ホテルにはジョンにつめてもらう。おととい、ジョンがちょっとしたまじないをやったら、あいつは礼美ちゃんを見つけられずに苦労してた。距離が離れれば、もっときくかもしれん。 ごっそり護符《ごふ》を作ってやる。綾子もだ。それをホテルの壁一面に貼《は》ってやる。奴《やつ》らが入ってこれないように」 「うん」 「綾子、おまえも行け。ジョンを手伝うんだ。役にたったのを見たことがないが、おまえ退魔法はできるな?」 綾子は不服そうに答える。 「……いちおう、できるけど?」 「それでジョンのフォローをする。 真砂子《まさこ》ちゃん、あんたも行ってくれ」 ぼーさんは真砂子を振りかえった。 「あたくしも?」 「こいつらは、霊ににぶい。昨日みたいに、ねむりこけてもらっちゃ困《こま》る。あんたも行って、霊が近づいたようすがあったら知らせてやってくれ」 「……わかりましたわ」 綾子は立ち上がりながら、 「で? あんたは?」 「真言《マントラ》がきいてた。こっちが思っているより祈祷《きとう》は役にたっているのかもしれん。除霊《じょれい》の努力をしてみる」 ぼーさんが言ってあたしを振りかえる。 「嬢ちゃん、準備を手伝ってくれ」 もはや夕刻。夜が近い、準備を急がなければ。
典子《のりこ》さんが用意をしてやって、礼美《あやみ》ちゃんを家から連《つ》れ出す。 その前に、綾子がお守りを作った。紙に筆で、わけのわかんない漢字を書きつらねたお札を作って、礼美ちゃんにもたせる。 「これでやつらには、礼美ちゃんが見えないはず」 綾子が言ったとおり、家を出るとき真砂子に、 「やつらのようす、どう?」 と聞いたら、 「けっこうあのお札が、役にたっているようですわね。 ――だいじょうぶ、霊たちは気づいていませんわ」 そっと家を抜け出す五人を見送ってから、祈祷の準備のために、あたしたちとぼーさんは悪戦苦闘して居間の家具を運び出した。 居間に祭壇を設けて夜に備えるためだ。 「ねぇ、ぼーさん、ちゅううってなに?」 あたしは、ぼーさんのカバンの中から、道具を出しながら聞いた。 「あの世とこの世の間」 「それがよくわかんないだなー」 ぼーさんはため息をつく。 「おまえ、本当になんにも知らないんだな。 ――三鈷杵《さんこしょ》を取ってくれ、その両端が三つ又になったやつ」 「これ?」 「中有《ちゅうう》っていうのはな、仏教で、死んだ人間が四十九日の間、留まるところ。 つまり浄化してない世界。橋のこちら側。わかるか?」 「いまいち」 「よく死にかけた人間が、息を吹きかえして死後の世界を見てきたとか言うじゃないか。聞いたことはないか?」 「あ、それならある」 「そういうのをニア・デスって言うんだけどな。ニア・デスの経験者は、だいたい同じことを言うんだ。 ふと気がつくと自分は河原にいた。川があって、橋があって、大勢の人が、橋を渡って行ってとか。 そうしてたいがい、橋を渡らずにいて、こちらに帰ってくるのさ」 「ふんふん」 よく聞く話だ。 「つまり……死んだ人間は端を渡ってあの世へ行くわけだな。 橋を渡ってしまえば、この世での苦しかったこととか、つらいこととか、全部忘れてしまえる。新しい生活が始まるんだ。 でも、橋に気がつかない人間もいる。何か心を残していて橋を渡る気になれないやつも」 「たとえば子供を探している……」 あの、富子《とみこ》を探している女のように。 「そう、中有っていうのは、いわば川のこちら側さ。 体は死んだのに、魂が死にきれない人間たちがさまよう場所。 橋を渡らないからこの世での悩みを忘れられない。死んだときの痛みや恐怖、そんなもの全部を忘れることができないんだ」 「それが幽霊……?」 「そういうことだ」 「あの女は、子供のことが忘れられずに、橋を渡れないでいるわけだな。それで子供を集めてる。 集めた子供の霊が自分を置いて行ってしまわないように、子供たちには橋が見えないようにしている」 「……それって、なんかハラがたたない?」 「たつな」 あたしはぼーさんと眼を見交わした。 ぼーさんが不適な笑顔を作る。 「橋が見えるようにしてやろうじゃねぇか」 「賛成」
ぼーさんの手伝いを終えたあたしは、今度はリンさんを手伝って、礼美《あやみ》ちゃんの部屋に設置していた機材をできるかぎり居間に運んだ。 機材の準備ができると、リンさんとふたりで機械の前にスタンバって、レシーバーでぼーさんに合図を送る。ぼーさんが祈祷《きとう》を開始する。 がんばって。あいつをやっつけて、捕らわれている子供を解放してやって。 礼美ちゃんを助けてあげて。 ぼーさんが祈祷を始めやいなや、その声に抵抗するように、部屋がキシミを発した。同時に、部屋の温度が下がり始める。 床の上を冷気がはう。サーモ・グラフィーの映像は、床全体があざやかなブルーになっている。 追尾カメラが移動する。サーモ・グラフィーと連動して、一番温度の低いところを自動的に追いかけるようにしてあるカメラ。 カメラは部屋の中央、少し窓よりの床のあたりを映している。 ……今、あのへんの温度が一番低い……。 パシッと居間のどこかで音がする。部屋中の空気がざわめく。 ふいにドンッと衝撃波《しょうげきは》が駆《か》けぬける。床が揺《ゆ》れて、思わずぼーさんが身じろぎする。 一瞬、真言《マントラ》の声が途切れた。 それを待っていたように、部屋の中は轟音《ごうおん》のウズになる。 ダダダ……と部屋の中を誰《だれ》かが駆けぬける音。煙のようなものが漂《ただよ》い始める。サーモ・グラフィーの映像は、もう濃紺《濃紺》になっている。 床が揺れる祭壇の上の法具が振り落とされる。 「ぼーさん、ムリだよ! 居間から出て!」 あたしはレシーバーに怒鳴《どな》る。 ぼーさんの声。 『ばかやろー! 男に逃げろなんて言うもんじゃない!』 そんなことにこだわってる場合か? 煙が濃くなり、ぼーさんの姿がかすむ。部屋中に満ちる子供の悲鳴。 あたしはTVに身を乗り出した。 黒い影。部屋の中。ぼーさんのすぐ後ろ。形をなし始めている。 「ぼーさん、後ろ! ヤツっ!」 ぼーさんが振り向く。その視線は黒い影を素通りする。 いけない! ぼーさんには見えてないんだ! あたしはイスをけって立ち上がった。 「谷山《たにやま》さん、やめなさい!」 リンさんの声。かまってられるか。 居間まで走ってドアを開けた。 ゆうべと同じだ。部屋の反対側が見えないほどの煙《けむり》……もや。 「ぼーさん、だいじょうぶ!?」 「馬鹿! 来るな!!」 だって……。 激しい横揺《ゆ》れが走った。あたしは足をとられてバランスを崩《くず》す。とっさにふんばった足の下で、メキッという音がした。 床がねじれているのがわかる。 いけない! 「ぼーさんっ! ねえっ、部屋を出て!」 あたしは中へ駆《か》けこむ。 その姿は……見えない……。どうしよう。カメラにしか映らないんだ。あたしは、かすかに見えたぼーさんの姿めがけて走る。 ぼーさんの背中に手が届きそうになったとき、あたしは何かを通りぬけた。 なにか。ゾクリとするほど冷たいもの。ねっとりした空気。 同時に飛びこんできた思念。 ……ジャマヲ、 ……スルモノハ、 ……ユルサイ……。 突然体が凍《こお》りついた。ぼーさんの肩口まで伸ばした手。その手がもう動かない。 誰《だれ》かがあたしの首に手をまわした。……冷たい手。 あいつ? ……あいつなの? あたしの首にまわった女の指に力がこもる。 ぼーさんが振りかえった。さっと金色の法具を突き出す。 「ナウマク、サマンダ、バザラダン、カン!」 すっと首にまわっていた手が消えて、かなしばりがとけた。 「だいじょうぶか?」 あたしはうなずき、ぼーさんの着物をつかむ。 「出よう! ムリだよ! ここは危ない!」 ぼーさんも今度は立ち上がった。 ドアに向かって走る。足がもつれる。床が揺れて転《ころ》びそうになる。 足元が揺《ゆ》れる。きしむ、ゆがむ。 バキッといやな音がした。ふいに足元が大きく沈む。 泳ぐようにあたしは前へつんのめる。倒れた足元の床がたわむ。 「麻衣《まい》っ!」 起き上がろうと、よつんばいになったところで再び上下に揺すられた。 ぼーさんがあたしの体をすくい上げて、乱暴に引きずる。猫《ねこ》か犬みたいにかかえあげて、放り出すようにドアの外に押し出した。 続いてぼーさんが飛び出して来たとたん、部屋の中の音がいっせいにやんだ。 しばらくは言葉も出なかった。あたしとぼーさんと、ふたりして廊下《ろうか》にすわりこむ。 部屋の中の煙みたいなものが、みるみる薄れて消える。 消えたあとに、床に穴があいているのが見えた。部屋の中央。窓より。床が裂《さ》けてできた、大きな穴。 サーモ・グラフィーが追いかけていた場所だ。冷気の中心。 ぼーさんが、いきなり身を起こして駆《か》け出す。 「ぼーさん?」 「綾子に電話だ。やつら、礼美ちゃんのところへ行った」 「礼美《あやみ》ちゃんのところ……って……」 「部屋を出るとき……なんてこった!俺《おれ》はヤツの体の中を通りすぎたらしい」 ……あ! あたしのあれも! 「ヤツの意志が飛びこんで来た。 礼美ちゃんの行方《ゆくえ》の見当をつけたらしい」
5
玄関ホールの電話に飛びついたとき、反対に電話がかかってきた。 ……胸が痛い。嫌《いや》な予感がする。 ぼーさんが、少しためらって受話器をとる。
――やつらは礼美《あやみ》ちゃんのもとへ現れたのだった。 やつらのやったことは簡単明瞭《かんたんめいりょう》だった。 突風のように現れて、礼美ちゃんをホテルの窓から突き落とそうとした。十五階の窓から。 とっさにジョンが、礼美ちゃんをかばって抱きかかえた。そのままふたりは激しい勢いで窓にたたきつけられた。 ジョンと礼美《あやみ》ちゃんが助かったのは、綾子《あやこ》のせいでも、ましてや真砂子《まさこ》のせいでもない。 ホテルの窓は強化ガラスでできていて、ふたりがたたきつけられた衝撃《しょうげき》に耐えることができたのだ。
あたしたちは朝の光の中で、居間に開いた穴を見つめる。 昼間ならば、ということで、全員が昨夜の惨状を見るためにもどってきている。ナルをのぞいて。ナルからは連絡なし。 床の下には半分埋もれた穴があった。 直径、およそ一・五メートル。石造りの竪穴《たてあな》で、深さは三メートル近く。「こいつぁ、井戸を埋めた跡だな」 ぼーさんが綾子に言う。 「みたいね。しかもかなり古い井戸だわ」 穴の中には何もない。もちろん、水もなくて、ボコボコした土があるだけ。そこに落ちた祭壇や法具が散らばっている。 あたしはふたりの肩をつつく。 「ねぇ、まさか……」 「井戸の中に死体……ってか?」 「うん」 「わからん。そうかもしれん」 綾子が言う。 「だったら簡単よね。掘ってお骨を探せばいいんだもの」 「ああ……。 しかし、掘るとなったら、俺《おれ》たちじゃムリだな。専門の業者を呼ばないと」 真砂子は疲労でうるんだ眼を井戸にそそぐ。この世の外のものを見ている眼。そうしてふいに青くなって井戸から離れた。 「どうした?」 ぼーさんが声をかける。 「あたくしには……この井戸が地の底まで続いているように見えますわ」 え? 「はるか底に、霊が……子供たちの霊が淀《よど》んでいる……まるで無数の死体を投げこんだみたいに、折り重なって……」 ……う……。 「出てくるようすはないか?」 「わかりませんわ……でもたぶん、いまはだいじょうぶ……」 綾子は軽く体を震《ふる》わせてから、特大のため息をついた。 「ナルはどこに行ってるの!」 ……そんなこと、知るわけねーだろ。 「いつになったら帰ってくるのよっ!」 「オヤ、綾子はナルがいないと不安なのか?」 ぼーさんがわらう。綾子がにらみつけた。 「冗談、言わないでよね。あたしがまるで、あのコを頼《たよ》りにしてるみたいじゃない」 「そうじゃないのか?」 「ちがうわよっ! そんなはずないでしょ!」 ……綾子、あんたムキになってないか? 「ないよなぁ。十近くも年下の子供だもんな」 ぼーさんがニヤッとわらう。 「六つしかちがわないわよ」 「どっちにしたって、年がつりあいませんわ」 言ったのは真砂子だ。 綾子が真砂子を振りかえる。 「あのくらいの年頃の男のコにはね、年上の女のほうがいいのよ? 知らないの」 「そんなはず、ございませんでしょう?」 「あら、いやにムキになるじゃない。 真砂子ちゃん、ナルに気でもあるの?」 「下世話《げせわ》な表現はやめていただきたいわ。 そういう松崎さんこそ、年がいもなく……」 「冗談、言わないでよね。 あんた、その根性の悪さじゃ、ナルをおとすのなんてムリよ」 「年上の性悪《しょうわる》女よりはましですわ」 ……いいかげんにしろ。そういう話をしてる場合か? ジョンが困《こま》ったような表情で割って入る。 「渋谷サンは、仕事一本やりのおひとやから、 そういうことには、興味ないのと違いますか?」 「言えてる」 ぼーさんがニンマリわらう。 「ありゃ、女の子とデートしたこともないぜ、きっと」 ……だろうねー。 そう思ったのに。 「あら、そんなことございませんわ」 真砂子があっさり言ってのけた。 ……なんで、あんたが知ってんの? 「あたくし、何度かおともいたしましたもの」 お人形のような整った顔でニッコリわらう。 「……ウソつき」 綾子がにらむ。 「失礼ですのね。じゃあ、一也さんにお聞きになったら?」 ……一也……さん!? 一瞬あたしは、誰《だれ》だか考えこんでしまった。それがナルの名前だと気づいてめまいがする。 みんなが真砂子を、ジトッとながめる。 綾子がようよう、うわずった声を出した。 「どうせ、仕事がらみでしょ?」 ……そーよ、そーよ。 「ま、映画やコンサートは、あまり仕事とは関係ございませんわね」 ……映画にコンサート? あの仕事馬鹿《ばか》で映画どころかTVも見ないナルが? それじゃ、まるっきりデートじゃないのぉ! 真砂子は、憎らしいくらいあでやかな微笑《ほほえ》みをうかべる。 驚きのあまり硬直したあたしたち。 いちばんに硬直からさめたのは、ジョンだった。 「まぁ、渋谷さんかて年頃なんやし、そういうことかてありますです。 それより、いつもどっておこしやすおつもりどすやろかいな」 ……ジョン、言葉に動揺があらわれてるよ。 「とにかく」 ぼーさんがシビアな声を出した。 「この際、ナルがいつ帰ってくるかはどうでもいい」 言って全員を見渡す。 「ナルがいたって関係なかろう? あいつは霊能者じゃないぜ。単なる心霊現象の調査員。 この場にいたところで、霊を吹き飛ばせるわけでも、礼美《あやみ》ちゃんを守りきれるわけでもない」 「……だって!」 「あいつがいたっていなくたって、状況は変わらないってことさ。 俺《おれ》たちには、ヤツを除霊《じょれい》するか、逃げるかどっちかしかない」 「…………」 全員が考えこんだ。 「もう一度チャレンジしてみようぜ。 綾子、ジョン、今度はおまえら、どっちがいい? 言っとくが、居間のほうは強烈だぜ」 綾子はチラリとぼーさんをにらむ。 「それとも帰るか?」 「あんた、礼美《あやみ》ちゃんのほうに行って。 あたしじゃ守りきれない。ジョンは礼美ちゃんのそばに必要だと思う」 「了解」
6
ぼーさんとあたしが、穴から祭壇を引き上げるかたわらで、綾子《あやこ》が祈祷《きとう》の準備をする。 「つかえそう?」 「まぁ、なんとかなるだろう」 祭壇を整えて、ぼーさんとジョンはホテルに向かう。あたしと綾子、そして、いるかいなのかわからないリンさんが家に残された。
綾子は、ベースで巫女《みこ》装束を整える。 「ねぇ、麻衣《まい》ちゃん」 ぎょっ。……麻衣……ちゃん? 「祈祷の間、居間にいない?」 綾子は背中を向けたまま言う。 「あ、こわいんだ、霊能者のくせに」 「そんなんじゃ、ないわよ!」 「強気な顔であたしを振りかえったけど、すぐにナサケナイ表情になる。 「そんなんじゃ、ないけど……ただ……」 「いいよ。いたげる」 「よかったら」 巫女さんが機械の山を振りかえる。 「リンさん、あなたも……」 「わたしはここで、データを集めなくてはいけませんから」 リンさんはあくまでも冷たい。 「……本当にいい性格よね。雇《やと》い主に似て。 あの猫被《ねこかぶ》りの女たらしっ」 「は……?」 さすがのリンさんも、言葉の意味をつかみきれずに、ちょっと眼を丸くする。 「なんでもないわっ。あんたのボスはスケベだって話よっ。――行こ、麻衣!」 綾子は、あたしの手を乱暴につかんで引っ張って行く。 ……おい、綾子。あんたまさか、マジなんじゃないだろうなぁ……?
まだ夕陽《ゆうひ》の最後の明かりが残っているうちに、綾子が祈祷《きとう》を始めた。血のように赤い光が、暗い部屋の中に差しこむ。かえってなんだか不吉な効果。 「このおくとこをかりのさいじょうとはらいきよめ、ひもろきたて、おまつりしずめまつる」 祈祷の開始と同時に、部屋がかすかにきしみ出した。 床を冷気がはう。背筋がゾクゾクするあたしはドアの近くの床にすわっている。すぐに足が冷たくなってきた。 あたしはカメラを振りかえる。追尾カメラ。やはりカメラは、古井戸のほうを向いている。冷気は穴の中から来る……。 大きく横揺《ゆ》れが来る。床がきしむ。綾子の声が、とぎれがちになる。 「あきつみかみと……おおやしまのくに……に、しろしめす……」 寒い。これを覚悟してブラウスを三枚重ねているのに。 夕陽が庭の樹《き》の影に入った。部屋の中を闇《やみ》が侵食しはじめる。 「綾子! 続けて!」 「さしずしないでよっ!」 気を取り直すように姿勢を正した綾子。そのまわりで激しいノックの音がする。気温が下がる。息が白い。 「あきつみかみと、おおやしまのくにに、しろしめす、すめらみことがおおみかみどには、やとかわもより……」 綾子のノリトに送られて陽が落ちた。部屋には闇。綾子が灯《とも》したロウソクの火だけ。 部屋の中に煙のようなものが漂《ただよ》い始めた。息をするのがこわくなる……。 「きゃっ!」 綾子が叫んで、ふいに立ち上がった。 「綾子!」 「誰《だれ》かが背中をたたいたのよ!」 そんなことで動じてんじゃ、ねぇっ! 「しっかりしなよ! あんた巫女《みこ》でしょ!」 言ったあたしの腕を誰《だれ》かが引っ張る。 思わずあたしまで悲鳴をあげる。 ひとの気配。大勢の人間にとりまかれている気配。 部屋を揺《ゆ》する激しい音。 じりじりとあたしと綾子は歩み寄る。もう祈祷《きとう》どころじゃない。 「麻衣、やっぱりムリだわ! 出ましょう!」 「う……うん」 綾子が走り出した。 同時に激しい横揺れが走る。あたしは足元を救われる。膝《ひざ》から転《ころ》んで、床に転がった。 床がうねっている。 あたしは痛みに膝《ひざ》をかかえた。 「麻衣! 早く!」 ドアのところで綾子が叫ぶ。 「うん!」 立ち上がろうとした瞬間、激しい部屋が揺れた。起き上がることさえできない! 「麻衣っ!」 再び起き上がろうと、よつんばいになったところで誰かがあたしの足をつかんだ。 思わず悲鳴が喉《のど》をつく。 足元を振りかえる。煙のようなものがからみついている。 必死で足を振る。離れない。誰かが足を引っ張る感触。冷たい汗をかいた手。つかまれた足首から悪寒《おかん》がはいのぼってくる。 「綾子! 助けて!」 「麻衣っ!!」 ズルッと体を後ろへもっていかれる。 あたしは思わず振りかえる。後ろの床に穴がある。 前へはうあたしの足を、さらに誰かがつかむ。力まかせに引っ張られる。 「いや!」 叫んで床にしがみつく。それを難なくひきはがす強い力。 綾子はパニックを起こしている。 「谷山《たにやま》さん!」 部屋にリンさんが飛びこんで来た。 「助けて!」 リンさんが駆《か》けつけて来て長い腕を伸ばす。届かない。 あたしの足にからみつく手が増える。足がきしむほどの力で引っ張られる。ガクンと足が穴の中に落ちた。 「……リンさん! 落ちる!」 「谷山さん!」 さらに伸ばしたリンさんの手。手が届きそうになった瞬間。さらに引っ張られてあたしの腰が穴の縁《ふち》から落ちる。 早く助けて! 落ちてしまう! あいつのすみか、冷気の中心。中有《ちゅうう》に続く穴。子供たちの霊が死体のように折り重なった。 激しい横揺《ゆ》れがきて、リンさんと綾子が転《ころ》ぶ。同時にあたしの体が穴へ沈む。胸まで落ちて、縁の床板にしがみつく。 だめだ、落ちる! 爪《つめ》も立たない堅い床。ギザギザの縁が腕を引っかく。絶望的な感触。 「麻衣っ!!」 ガクンと引っ張られて、胸が沈む。腕がきしんで床から離れた。 …………! 叫び声をあげる間もない。 とっさに伸ばした指が穴の縁を引っかいて、あたしの体は落下を始めた。 耳の奥にふたりの声。 言葉はききとれなかった……。
四章 おんな、汝《なんじ》に子を与う
1
……暗い部屋だった。 典子《のりこ》さんの家ではない。たたみとふすまの日本建築。 その縁側の外に、庭がある。庭には池。典子さんの家の池ににている……。 庭には子供がいる。ぼうっとかすんでよく見えない。それでもその子が、礼美《あやみ》ちゃんくらいの年齢の女の子だとわかる。着物を着ている。いつの時代だろう。 『富子《とみこ》! 富子ぉ!』 家のどこからか、女の人の悲痛な叫びが聞こえる。聞いた者の胸が痛くなるような声。 女の子は振り向かない。庭でマリをついている。そこに黒い影。男の影だ。 あたしは、いけない! と思う。その人について行ってはいけない! 男は女の子に話しかけて、やがて女の子の手をとる。 家の中では悲しげな叫びが続いている。 行ってはだめ! その人について行ってはいけない! そう思うのに声にならない。 男は女の子の手をひいて行ってしまう。池のほうへ。池の上へ。 女の子は手を引かれるままに、池の水面を歩いて遠くなる。 『富子ぉぉ!』 悲しい声。ああ、あたしの声だ。あたしが叫んでいたんだ。 あたしは駆《か》け出す。後を追う。池の上には深い霧が立ちこめて、もう何も見えない。 あたしは涙を落としながら、身をかがめる。うつむいたところに、深い井戸がある。 はるか下に、鏡のような水面《みなも》。 日本髪を結《ゆ》った、年かさの女が水面に映っている。 女は涙を落とす。水面に落ちて水がかき乱される。 いつのまにかあたしは、部屋の中から井戸をのぞきこんでいる女の姿を見ている。 あたしは女があわれで、思わず駆け寄りたくなる。立ち上がろうとしたところに、後ろから手が伸びて、あたしを押しとどめた。 振りかえるとナルが、じっとあたしを見ていた。さびしい色の瞳。黙って首を振る。心を痛めているようす。 あたしは眼を女にもどす。 井戸に身をかがめて、嗚咽《おえつ》している女。 女は泣いて、泣いて、一声叫ぶと井戸の中に身を投げた。 深い虚《うつ》ろな水音……。
……そこであたしは眼が覚《さ》めた。 今のはなに? 夢なのはわかってる。どうしてあんな夢を見たんだろう。 ハッと気がついて身を起こすと、全身が痛んだ。 ここは……あの穴の底だ。 思った瞬間、上から声が降ってくる。 「麻衣! だいじょうぶ!?」 穴の縁《ふち》に手をかけて、綾子《あやこ》がのぞきこんでいる。心配の色のにじんだ声。 ふいにあたしは夢の中で聞いた、女の声を思い出す。 「だいじょうぶだけど、登れないよ!」 「いま、リンが足場になるものを探しに行ってるわ! だいじょうぶ?」 「うんっ」 答えるのと同時に、走ってくる足音が聞こえた。すぐにリンさんが顔を出す。彼は、穴の縁に手をかけると、身軽に下へ降りてきた。 「けがは」 「ないよ」 ニコリともせずにうなずいて、彼は綾子を仰《あお》ぐ。 「イスを」 綾子が上からイスをおろした。 それを見ながらあたしはボーッと考える。 ……埋《う》められた井戸。 あたしは突然わかってしまった。 この井戸は、女が身を投げた井戸だ。 女の子供はいなくなった。女はそれを悲しんで身を投げた。 女は亡霊となって、今も自分の子供を探している……。 リンさんがイスの上から手を伸ばす。 あたしは、その手に助けられて、穴の底から脱出した。 「今……何時?」 あたしは穴からはいでて、綾子に聞く。今度から、調査のときはスカートはやめよう、とつくづく思いながら。 「十時。まだまだこれからよ」 ……すると穴の中には、大した時間はいなかったんだ……。あの夢も、一瞬の間にみたんだな。
「ひとさらい~?」 綾子があたしの足のすり傷に薬をぬりたくりながら言う。 「うん。だと思うんだ。 それでね、富子ちゃんがいなくなって、そのお母さんが井戸に身を投げるの。 けっこう意味ありげな夢でしょ?」 「バカなんじゃないの?」 綾子がアザ笑う。 「霊能者でもないあんたの夢が、なんか意味があると思うの?」 こいつ、さっきまでオロオロしてたくせに。 リンさんは考えこむ風情《ふぜい》。 「……真偽のほどはわかりませんが……案外的《まと》を得ているかもしれませんね」 「あ、やっぱし、そう思います?」 リンさんは、さらに考えこむ。 「ねぇ、どうしたらいいと思う? アタシにはあいつを祈祷《きとう》で祓《はら》うなんてムリだわ」 「…………」 リンさんの答えはない。 「ねぇ!」 「……力技はムリだと思いますね」 彼はやっと口を開く。 「わたしの意見を言わせていただくなら、ナルがもどるまで祈祷はとりあえず待つべきです。 祈祷というのは、いわば力で相手を抑《おさ》えこむワザですから抵抗も大きい」 「……だって他にどうするのよ。 第一、ナルを待つって、あいつ、いつ帰ってくるの?」 「ナルだって、こちらの状況はわかっています。時間を無駄に使うはずがありません。すぐにもどって来ます」 「……ずいぶんボスには甘いのね」 リンさんは、冷ややかな視線を綾子に向ける。 「ナルがまわりの期待を裏切ったことは、一度だってありませんから」 そっけなく言って、あたしを振りかえる。 「少しここで休んだほうがいいでしょう。頭を打っていると、いけないので」 「うん」 じつはさっきからあちこちが痛い。体がギシギシ悲鳴をあげている。あたしはおとなしくカウチに横になった。
2
ふうっとした浮上感。 浮上感のままにあたしは眼を覚《さ》ます。 暗い部屋、勝手に作業を続けている機械の山。みなれたベース。 機械の前には、リンさんではなくナルがすわっている。 ナルのはずがない。ナルはまだもどってきてない。あたし、また寝ぼけてるんだ……。 そう思ったけど、ムリに眼を覚ます気にはなれなかった。 ナルと眼があう。ナルが微笑《ほほえ》む。 うん。その笑顔って好きだなぁ。現実のナルはぜったいにしない顔。 「ナル?」 あたしは声をかける。横になったままで。 ナルが首をかしげた。どうした? と言っている。 「礼美《あやみ》ちゃん、助けてあげられる?」 このままあたしたちが負けてしまったら、礼美ちゃんはあの女に連《つ》れて行かれてしまう。たくさんの、この家で死んでいった子供たちのように。 「だいじょうぶ」 ナルがわらう。 「……真砂子《まさこ》とデートしたでしょ」 ……ああ、あたしは何を言ってるんだ。こんなときに。 ナルはクスリとわらう。 「誤解だよ」 優しい笑顔。あたしは満足する。 ……だったら、いいんだ……。
突然、人声がして、ベースのドアが開いた。 あたしはそれで、本当に眼が覚めた。 あわてて身を起こす。入って来たのはナルだった。 ……あれ? あたし、まだ寝ぼけてるのかな? ナルはあたしに視線を向けるる 「眼が覚めたか?」 優しさのかけもない声。 げっ。本物のほうだ。 「もどって来たの!?」 「だからここにいるんだろうが」 ……悪かったな、つまんねーこと聞いて。 ナルは後ろを振りかえる。 「リン、今までのぶんを再生してくれ」 「はい」 あとに続いて入って来たリンさんが、機械の前にすわる。誰《だれ》もいないイスの上に。 リンさんのあとに続いて、ぼーさんたちが入ってくる。礼美《あやみ》ちゃんについて、ホテルにいるはずなのに。ジョンも、真砂子もいる。 「礼美ちゃんは?」 あたしが聞くと、ぼーさんは肩をすくめる。 「典子《のりこ》さんとふたりで、残してきた。 ナルがそうしろとよ」 ……え!? 「ナル! だいじょぅぶなの?」 「だいじょうぶだろう」 あっさり答える。 「だろう……って、そんな、無責任な」 「今夜中に決着をつける」 ナルが闇《やみ》色の瞳《ひとみ》をあげる。不安も躊躇《ちゅうちょ》もない眼。 「できるの!?」 「何のために、ひとがかけずりまわったと思ってるんだ?」 軽蔑《けいべつ》するように言ってから、 「まったく、これだけの人間がいて、このザマとはね」 ……あんた、たいがいの性格してんなー。 綾子がヒステリックな声をあげる。 「勝算はあるんでしょうね!? ナルは見てないらか知らないだろうけど、あいつ、ハンパじゃないわよ」 ナルの軽蔑の眼。 「やつがケタはずれの力を持ってることなんか、最初からわかってる。ポルターガイストのようすを見ていれば一目瞭然《いちもくりょうぜん》だ。」 言葉につまる綾子のわきから、ぼーさんが身を乗り出す。 「で? その勝算とやらを聞かせてもらおうか?」 ナルはTVから眼をはなして、腕を組む。 「原因ははっきりしている。あの女は子供を探しているんだ。取りもどしたいと思っている」 綾子が突っかかる。 「そんなことは、わかってるわよ。 問題は、どうやってその執着を解くかということなんでしょ?」 「子供を連《つ》れて来ればいい」 「え!?」 「その子がいれば、あの女は満足するはずなんだ」 「その子……って、今どこにいるの? いくつになってると思うの? もう死んでる可能性だってあるのよ」 「僕《ぼく》が、その程度のことも考えないとでも? もちろん、富子《とみこ》自身を連れて来るのは不可能だし、無意味だ。 年をとった富子を見ても、あの女は納得しないだろう」 「……だったら……!」 ナルは綾子を無視する。 「原さん、家の中のようすは?」 真砂子が、何かに聞き入るように首をかしげる。 「居間に……たぶん居間にいますわ。 まだ、ホテルのほうには行ってない……」 綾子が割って入った。 「ねぇ、あたしたち、自分の身の安全を考えるべきじゃない!?」 ナルは冷たい視線を向ける。 「おや、プロの言葉とも思えませんね」 「いくら、プロだって力の限界ってもんがあるわ! 冗談じゃないわよ、この家、異常よ。 あたしもたくさん幽霊《ゆうれい》屋敷は見て来たけどね、こんなムチャクチャなのは初めてだわ」 ……そんな、礼美《あやみ》ちゃんをどうするの? 見捨てるの、このまま!? あたしはぼーさんを振りかえる。 ぼーさんも、のんびりとうなずいた。 「下手《へた》をすると、こっちまで地縛霊《じばくれい》にされそうだなー」 「……ちょっと!」 ぼーさんを怒鳴《どな》りつけようと思ったら、反対に綾子に怒鳴られた。 「ものには、引きぎわってもんがあるの!」 「あのねっ!」 あたしが怒鳴ったとたん、 「麻衣《まい》」 ナルが静かな声をはさんだ。 「帰りたい人間は帰ればいい。その程度の霊能者なら、必要ない」 ぐっ、と綾子がつまる。 ぼーさんがナルの顔をしみじみと見つめる。 「本当に勝算はあるのか?」 「信じる信じないは、御勝手に」 そっけなく言われて、ぼーさんと巫女《みこ》さんは顔を見交わす。 「よし……」 ぼーさんが立ち上がる。 「そいじゃあ、ナルちゃんを信じて、もう少し己《おのれ》を酷使《こくし》してみるか。 もう一度、除霊《じょれい》の努力をしてみよう」 「しょうがないわね……」 綾子もシブシブ立ち上がる。 「できるかぎりふんばってみる。 なんかあってブッ倒れたら、そこまでだ」 「骨ぐらいは拾ってあげるわよ」 綾子の声に、 「神道《しんとう》で葬式を出されちゃ、死ぬに死ねねぇよ」 ……口の減らないやつ。でもよかった。アリガトウ。
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「で、どうすりゃいいんだ?」 ぼーさんの声にナルが指示を始める。 「とにかく手下の数が多すぎる。問題はあの女だ。 女を引きずり出さなければ意味がない」 「どうやってぇ?」 綾子のやゆするような声に、 「子供たちを散らす」 鋭利な声で言ってから、 「巫女《みこ》さん、霊を通さない護符《ごふ》があるな?」 「あるわよ。ホテルに貼《は》ったやつが。たいして役にはたたなかったけど」 「それを大量に作って貼ってくれ」 「すぐに突破されるわよ」 「いいんだ。ジョンも手伝ってくれ」 「はい、そやけど……」 言いかけるジョンを手で制して、 「結界《けっかい》をはる。内側に向けて」 「なにぃ!?」 「霊が礼美《あやみ》ちゃんのそばに侵入できないようにするのではなく、この家から出られないようにする」 ぼーさんは眼をぱちくりさせたあと、 「できるかねぇ」 「効果はたいしてなくていいんだ。 家全体に結界をきずいて、鬼門《きもん》だけを解放する」 「鬼門って?」 あたしがついうっかり声をあげると、 「うるさいぞ、麻衣」 「だって」 「北東の方角。悪霊《あくりょう》が出入りする方向。 もともと通りやすい方角だ。しかも、鬼門以外は護符で守られていて通りにくいとなれば、連中は家を出てホテルに向かうのに必ず鬼門を使うだろう。 ――そこで、鬼門の外で巫女《みこ》さんとぼーさんが構える」 「出てきた霊を散らすわけか?」 「そう。散らすだけでいい」 「それじゃ、問題の解決にならないわよ |