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悪霊シリーズ第3巻 悪霊がいっぱいで眠れない
作者:    出处:    发表时间:2007-09-20    浏览次数:     

毪危俊
「できます。PKを信じない心霊研究者なんかいません。――気が楽になましたか?」
「……うん……」
 それでも彼女は警戒を解《と》いていない。
「やってみせて」
 立ち上がると、棚《たな》のコップにさしてあったスプーンをさしだした。
 ……ナル、大丈夫《だいじょうぶ》なの!?
 ナルはそのスプーンを受け取る。複雑な顔色。なにか迷っている気配が微《かす》かに。
「できる? 本当に?」
 もしナルができなかったら、笠井さんはあたしたちを二度と信用しない。話を聞けないくらいのことはなんでもないんだ。でも、そうなったらこのひとは、もう誰《だれ》も信用できなくなるにちがいない。
 軽くスプーンを持った手にナルは視線を落とす。一度だけ笠井さんとスプーンを見比べた。
「しかたないかな」
 小さくつぶやく。そっと指先でスプーンの先にふれると、ほとんど間髪いれずにスプーンの首が曲がって、ちぎれて落ちた。
 カン! という金属が床に当たる音。
 あたしたちはしんと息をのんだ。
 首がなくなって単なる棒になったスプーンを笠井さんにさしだす。彼女はおそるおそるそれを受け取った。
「すご……」
「信用していただく気になれましたか?」
「……うん」
 笠井さんはスプーンの柄《え》を握《にぎ》りしめた。

     4

「最初は夏休みに見たTVだったんだ」
 笠井《かさい》さんがポツポツ話を始める。
「たまたま見てた深夜番組でスプーン曲げをやってて、へーと思って、自分でもやってみたら曲がったの」
 彼女はナルが落としたスプーンの首を自分が持っていた柄にくっつけた。五度くらいの角度をつくってみせて、
「たいしたことないけど。このくらい」
 肩をすくめてから、折れたスプーンを産砂《うぶすな》先生の机に放り出す。
「次の日、スプーンをたくさん買ってきて、ミズホを呼んで、スプーン曲げをやったのね。そしたらどんどん深く曲がるようになって。あんたみたいに簡単にはいかないけど。一本を曲げるのに、十分以上かかったから。あんなふうに折ったりもできないし」
「ゲラリーニ現象だね」
「……?」
 笠井さんがナルの言葉にキョトンとする。産砂《うぶすな》先生が、
「昔、ユリ・ゲラーという超能力者の放送を見たり聞いたりした人が、スプーンを曲げたり、超能力に目覚める現象が起きたの。そうして超能力にめざめた人のことを『ゲラリーニ』と呼んだのよ」
 
「……お詳《くわ》しいんですね」
 産砂先生は微笑《ほほえ》む」
 ナルは笠井さんに、
「いまでも曲げられる?」
と聞いた。笠井さんは少し険《けわ》しい表情をする。ナルの言葉を挑戦的に聞いたのかもしれない。
「できるよ!」
 笠井さんは叫ぶように言って、スプーンをもう一本手にとる。右手に握《にぎ》ると顔の前にかかげ、左手をスプーンの首あたりにそえる。
「いい?」
 ナルが無言でうながすと、彼女はスプーンをにらみつけた。そうっとこする。指先は軽く。でも肩のあたりに力をこめて。気持ちを集中して、身体《からだ》がだんだん前かがみになる。ほとんどイスに座ったままふたつ折りの状態になったときだ。
「そんなことをしてはいけない」
 ナルが笠井さんの肩をつかんだ。
 パッと彼女が顔をあげる。その顔が真っ青だ。
「……なによ」
「わかっているはずだ。そんなことをしていると、本当にゲラリーニたちの二の舞になる」
 ……なんのこと?
 笠井さんが白い顔で産砂先生をふりむく。
「……ごめんなさい。でも、この子のはウソじゃないんです。ただいつも必ず曲がるというわけにはいかなくて」
 産砂先生の言葉。
 ……話が見えないっ。
「……あのー」
 あたしはおそるおそる口をはさんだ。ナルがうっとうしそうにふりかえる。
「いまのはトリックだ。身体をかがめたとき、イスを使って曲げようとした」
「えっっ」
「スプーンが身体《からだ》のかげに入ったところで、先を硬《かた》いもの――床やイスのフチにあてて曲げるんだ」
 ほにゃ?
 ナルは真剣な眼をした。
「ゲラリーニたちは、ほとんどが極めて短い時間の間に超能力を失った。力を失ったうえに、それをカパーしようとしてトリックにたよった。そのうちのいくつかが暴《あば》かれて、ゲラリーニたちはペテン師の烙印《らくいん》をおされたんだ。いま彼女がやろうとしたのは、そのときゲラリーニたちが使った典型的なトリックのひとつ」
 …………
「でも、曲げたことがあるのは本当だから!」
 笠井さんの叫び。
「そういうトリックを一度でも見つかってしまうと、何を言っても信用されない。わかるね?
「……うん」
「ゲラリーニの能力が恐ろしく不安定なのは、研究者なら誰《だれ》でも知っている。できないときはできないと言っていいんだ。それで信用しない人物は、頭から超能力なんて信じる気がないんだから、無視していい」
「……わかった」
「スイスのシルビオ・メイヤーのように、ゲラリーニから出発して、世界的に公認のPKになった例もある。……二度としてはだめだ」
 笠井さんは身体を小さくしてしまった。
「わたしが教えたんです」
 産砂《うぶすな》先生が申し訳なさそうに口をはさんだ。
「ほかの教師からにらまれて、曲げろといわれたら何がなんでも曲げてみせなきゃならない状況だったんですわ。
 笠井さんの力は不安定で……、まわりの不信感が強ければ強いほど、畏縮《いしゅく》してできなくなるものですから」
 ナルがうなずく。
「先生はずいぶん理解がおありですね」
 産砂先生は答えない。うっすらと微笑《ほほえ》んだだけだ。笠井さんが低い言葉をもらす。
「……最近、うまく曲げられなくて」
「無理もない状況だと思う」
「……うん。最初はみんなが曲げて、曲げてって言ってきて、なんとかできたんだけど、そのうちうまくいかなくなって」
 笠井さんはうつむいたまま、
「恵《けい》先生に相談したら、じゃあ、ってあのやり方を教えてくれた。最近はほとんど曲げられない。できてもちょっとしか曲がらないんで、いつもあの方法」
「……そう」
「……ミズホはずっと、自分にもできたらいいのにって言ってた。恵先生から精神集中のしかたとか習ってトレーニングしてたんだ。それであたしもあわてていっしょにやってみたけど、もう全然ダメ」
「沢口さんは? それで本当にできるようになったわけ?」
「……んー、最初はダメだったの。何回やっても。それが……九月にあたしが全校朝礼でつるしあげられて――。生活指導の吉野が出てきて、超能力だなんだと騒いでる大馬鹿《ばか》者がいるがって、けっきょくあたしを前にひきずりだしてサラシモンよ。そのときミズホが怒っちゃって、あたしだってできる、とか言って」
「教師の鍵《かぎ》を曲げた……」
「うん。吉野《よしの》の車の鍵だったんだって。それが最初。でも、みんなの前で先生に逆らっちゃったでしょ? 以来先生の風当たりが厳しくて……あたしよかおとなしいからさ、学校に来るのがいやだとか言い出して」
 ナルが考えこむ眼をする。
「恵先生にだって、けっこう厳しいんだよね。生物部は何をやってるんだ、とか言われてさ。部がにらまれたもんで、ほかの部員はやめるとか言って来なくなるし。あたしは……あいつらに負けるのくやしいじゃん。だから意地でも学校をサボったりするもんか、とか思って」
「それで、例の発言?」
 ナルが聞くと笠井さんは舌《した》を出した。
「そ。『呪い殺してやる』ってやつでしょ?
 あんまし先生がやなこと言うからさ、かっとなって。思わず言っちゃった」
「言っただけ?」
 ナルの声に笠井さんと産砂《うぶすな》先生は顔を見あわせる。
「まさか……、本当に呪い殺すなんて、できるわけないじゃん」
「……そうだね」
 ナルの声は暗い。

     5

 あたしとナルが会議室に戻ると、中からにぎやかな声が聞こえてきた。みんなが戻ってきているようだ。
「ちゃんと除霊できたかな」
 あたしの声にふと、
「麻衣《まい》」
「なぁに」
「頼みがあるんだが」
 ……た、たたたた、頼み!? ナルがあたしにぃぃぃぃ!?
「……ゆ、ゆってごらん」
「さっきの……スプーン曲げだが……」
「うん」
「みんなには秘密、ということで」
「どうして? すごいのに」
「頼む。とくにリンには」
 ……はぁ。い、いいけど。なぜゆえ?
 問いつめてやろうかと思ったけど。ナルが心底困っているようすなので、やさしい麻衣ちゃんはやめておいてあげた。
「いいともー」
 一点貸しておくのも悪くない。感謝しろよ、ナル。
 軽く頭を下げるようにして、ナルが会議室のドアを開く。一瞬、年相応のコドモの顔。すぐにいつものキレイな無表情に戻ったけど。

 中では綾子《あやこ》とぼーさんがいつものチワゲンカの最中。
「無能なら無能で役にたてませんと素直に言ったらどうだ?」
「アタシのどこが無能なのよっ!」
 あいかわらず仲いいねぇ。
「何の騒ぎだ?」
 ナルの問いかけに綾子がそっぽをむく。
「……どしたの?」
 あたしが眼を丸くしてぽかんとしていたタカに聞くと、かわりにぼーさんが、
「この馬鹿《ばか》は、なにもせずに見物だけして逃げてきたんだ」
「? どこから」
「ポルターガイストの部室」
 ほえー。
「ちょっと綾子、あんたってあいかわらず怖《こわ》がりなのな」
 あたしが言うと、綾子は眼をつりあげる。
 
「冗談じゃないわよっ! どこが怖《こわ》がりよっ! あたしはねぇ、真砂子《まさこ》がなにもいないって言うから……」
「いちおう念のために除霊しておこうとか、思わなかったわけ?」
「なんでそんなことしなきゃならないのよ。
 とにかく、真砂子はなにもいないって言ったんだからっ」
 綾子の声に首をかしげたのはジョンだ。
「せやけど、……そんなはずないです」
 お陽《ひ》さま色の髪に白い包帯。
「ジョン! どうしたの!?」
「あ、コレですか? たいしたことないんです。ちょっとかすっただけで」
 ジョンが笑うと横からぼーさんが、
「ヤリが飛んできたんだ」
 ……ヤリ。
「ヤリって、ヤリ投げのヤリ!?」
「……そうだ」
「けど、ほんまにかすっただけですし」
 ……だって、そんなの、ひょっとしなくてもメチャメチャ危ないんじゃないの!?
 ナルが冷静な声をはさんだ。
「飛んできたというのは?」
 ジョンは困ったような表情をする。かわりにぼーさんが、
「外から帰ってきて、綾子たちのようすを見ようと陸上部の部室をのぞいたら、ドアをあけるなりヤリが飛んできたんだ。もちろん、部屋の中には誰《だれ》もいなかった」
 ……そんな危険な……。しかも頭に包帯ということは、顔をめがけて飛んできたわけでしょ? 考えただけでもゾッとする……。
 ナルは冷たい声を出す。
「で? けっきょくいくつ除霊できたんです?」
 綾子はきまりわるげに、
「……真砂子は霊がいる場所は、ひとつもないっていうんだもの……」
 ナルは真砂子をふりかえった。
「……本当ですか?」
「ええ」
 真砂子はまっすぐ顔をあげてうなずく。自信に満ちた表情。
「……そんなはずはない」
「でも、いませんでしたわ。学校じゅうを見てまわりましたけど、ほかの場所にも霊はいませんし、霊をつけているひともおりませんわ」
 ぼーさんが口をはさむ。
「そんなはず、ねーだろ。全然いないわけがない。少なくとも、たたりの席にはいて当然だ。四件も事故が続いてるんだからな」
「あたくしたちはだまされているんですわ」
「学校の連中全部に!? 冗談じゃねぇぞ」
「それが事実ですもの」
 ツンと真砂子はそっぽを向く。
 ナルはそんな真砂子を見やってから軽くため息をひとつ。そうしてぼーさんとジョンに、
「そっちは? どうだった?」
「たぶん落ちたんじゃねぇの。みなさんハレパレした顔してたぜ」
 ……たぶん? まったく、もー。信用していいのかね。
 ジョンは少しすまなさそうに、
「けど、あのキツネツキの子はダメでした。
 なんの効果もありません。滝川《たきがわ》さんと交代で何度も除霊してみたんやけど、最後には暴《あば》れだしたんで、とりあえず帰ってきましたんです」
「そう……」
 ナルは考える風情《ふぜい》。
「よほど強い霊が、ついてるのとちがいますか。明日にでも、あの子が落ちついたら、またお宅をたずねてみますけど」
「いや、いい」
 ナルは手をあげる。
「あの子は病院に行ってもらう」
 ぼーさんはキョトンとした。
「病院って……。まさか神経科?」
「だけど?」
「おいおい」
「そういう気はしてたんだ。霊のせいではないんじゃないかと」
 気のない声で言ったあと、
「憑《つ》き物というのは、一般に神経症の一種として処理されることが多いし、実際、神経科の医者にかかると治《なお》ることが多いんだ。もちろん、霊による憑依《ひょうい》現象というのは否定しないが、彼女の場合も行くべきなのは拝み屋のところではなくて、カウンセラーのところだろう。ヒステリー性の憑依現象だと思うな」
「はぁ……」
 ……なんなの、その難しい言葉の大群は。あたしだけでなく、綾子もタカもキョトンとしている。
「ヒステリーの発作《ほっさ》の中にはあたかも憑依されたかのようにふるまう例がある。彼女もそれだろうな」
「ひすてりーって、あれか? よく女が起こす……」
 ナルがうなずく。
「そんなものだ。少し誤解があるけど」
「は……?」
 ナルは、よくのみこめないでいるあたしたちに向き直る。
「ヒステリーという言葉は、女性がヒスを起こす、というようなときに気安く使われるので、深刻なムードがないが、じつは逆だ。
『ヒステリー』はもともと神経医学上の言葉。一般に使われる『ヒステリー』……『ヒス』という言葉は、そこからきているんだ。まるで『ヒステリー』の発作を起こしたような、と言う意味で『ヒス』と言う言葉が使われる」
「ほー。聞いてみるもんだなぁ」
「ヒステリーはだいたい、極端に欲望を抑圧《よくあつ》された者が、その爆発として、考えられないほど奇妙な行動を取る状態を言うんだが」
 ……あたし、あたま悪い、よくわかんない。
 ぼーさんが、
「すると、こういうことか?
 たとえば、すごく女好きな男がいて、でも世間《せけん》の眼があるし、スケベだとは思われたくないってんで、スケベするのをずっと我慢してるんだが、ついに限界がきて突然変異じみたチカン行為に走ってしまうとか」
 ……こらこらぼーさん、どんなたとえだよ。
 ナルは肩をすくめる。
「近いが、少し違う。そういうのは、むしろ分裂症に多いね。
 まぁ、むずかしいことを言っても麻衣がわからないだろうから、はしょるが……」
 ……よけいなおせわ。あんましそうやって抑圧すると、あたしもヒステリーを起こすからねっ。
「超自我《スーパーエゴ》というやつの影響を受けて、極めて屈折した形で発作が起こる。『ひきつけ』なんて言うのはその典型的なものだな。暴力をふるいたい、しかしそれはしてはならない、そういうふうに抑圧されたとき、暴力という形で爆発しない。『ひきつけ』という一見なんの関係もなさそうな症状になって出ることが多いんだ」
「ほぉぉ」
「キツネツキの彼女にしてもそうだろう。
 日本の学生全般に言えることだが、彼女もやはり相当に抑圧されているんだね。それがコックリさんを見ていて、『たたられるのでは』という恐怖に捕らわれる。それが引き金になってヒステリーの発作を起こした、と考えるのがいいと思う。
 本来なら親なり教師なりに向かって爆発すべきものが『キツネツキ』という形に歪《ゆが》んで現《あらわ》れているんだ。
 それで彼女はあたかもキツネツキであるように振る舞う。無意識のうちに、彼女はキツネツキの役を演じているんだと、言えばわかりやすいかな」
 ほえー……。
「するとなにかい?」
 ぼーさんがナルに聞く。
「あの子はキツネツキでなく、ヒステリーの患者だと?」
「おそらくはね。病院に連《つ》れていけば、はっきりするだろう」
「じゃあ、ほかのは? 机から手が出るとか、ノックの音がするとか、そういうのはどうなるんだ? それも全部、病気だって言うのか?」
 ぼさーんは真砂子をふりかえった。真砂子はなんだか満足したような顔つきだ。
「……ですから、霊はいないともうしあげましたでしょ」
 ナルは肩をすくめる。
「僕が神経病医学者なら、この学校で起こっていることは、集団ヒステリーだという判断を下すところなんだがな……」
 つぶやくように言って、険《けわ》しい視線を自分の足元に落とした。
「そうとは思えないの?」
 あたしが思わず聞くと、
「おや、麻衣は知らなかったか? これでも僕はいちおう、超心理学者のつもりなんだが」
 ……わーるかったな、つまんねーこと聞いてよ。

     6
 

「やっかいな事件だ……」
 ナルは窓の外に眼をやってつぶやいた。
 ジョンがうなずく。
「そのようですね」
「そうか?」
 ぼーさんはあくまでもノンキだ。
 ナルは軽蔑《けいべつ》するようにぼーさんを見返す。
「訴えられた証言のうち、いくつが実際に起こったことだと思う?」
「……まぁ、冷やかしとかカンチガイとかは、当然あるだろうが」
「そんなものですめばね。
 この学校では奇妙なことが続いている。それで誰《だれ》もが不安にとらわれている」 ジョンがナルの言葉をつぐ。
「不安やから、それでいっそう幻覚やカンチガイを起こしやすくなるわけですね。キツネツキの彼女かて、そうなんやと思います。あっちでもこっちでも、たたりみたいなことが起こってる、そやから自分もたたられるのやないか――。そう思うたんですやろ。
 この状態が続くと、どんどん同じ不安にとらわれるおひとが増えて、たたられたとかとり憑《つ》かれたとかいう声も増えますやろ。へたをすると、パニックになりかねません」
「そう。
 実際に心霊現象が起こっているかどうかは、調べてみればいいわけだが、こうも数が多いとそれさえ満足にできない。
 それに……。たとえ事実が一部だとしても、この数はやはり尋常《じんじょう》じゃない。こうまで学校関係者に連続するのには、なにか理由があるはずなんだ。その理由が皆目《かいもく》見当もつかない……」
 全員が考えこんでしまう。
「今回は原《はら》さんの霊視が頼みの綱《つな》なんですが……」
 ナルが淡々とつぶやいた。真砂子《まさこ》は眉《まゆ》をあげる。
「……霊はいませんわ。学校のどこにも」
 真砂子の声にナルはため息をひとつ。
「……そうおっしゃるわけだ。はやくも、行き詰《づ》まってしまったな」
「真砂子が正しいとは限らないんじゃない?」
 言ったのは綾子《あやこ》だ。真砂子がキッとふりむく。
「松崎《まつざき》さんよりは正しいつもりですわ」
「どぉだかねぇ。どう考えたって、いないわけないもん」
 めいっぱい皮肉っぽい綾子の口調に、真砂子はナルをふりかえる。
「一也《かずや》さんは信じてくださいますわね?」
 ぞわっ。
 あーたーしーはーっ。あんたのその『一也さん』ってのがムシズが走るほどキライだっ!
 それであたしは思わず言ってしまった。
「いるのが当然なんじゃない?」
 全員の眼があたしに集中する。特に真砂子の眼は険《けわ》しい。
「……どうして、谷山《たにやま》さんがそんなことを言えるんですの? おまけの方《かた》は黙っていていただきたいわ」
 おまけ!? おまけだとー!?
 怒髪天《どはつてん》を衝《つ》いたね。ぷっつんキレた。それでついうっかり言ってしまったわけだ。
「霊はいる。真砂子には見えないだけ」
 真砂子は笑いだした。
「谷山さんに霊能力があるとは存じませんでしたわ」
「だって、いるもの。あたしはそんな気がするな」
 ……ああ、売り言葉に買い言葉だ、これは。
「無意味な発言ですわね」
 真砂子がクスと笑ったところで、綾子が声を張り上げた。
「麻衣《まい》に一票!」
 ……綾子?
「アタシもいるほうに賭《か》ける」
 ……賭けるって、あんたな……。
 真砂子があたしたちをにらみつけた。
「いませんわ。あたくしも、賭《か》けてもよろしゅうございますわ」
「本当ね? もし霊がいたらどうする?」
「どうにでもしてくださってけっこうですわ」
「じゃ、今後ナルにちょっかいかけるの、やめるのよ?」
 ……なにを言い出すんだ、おまえは。
 あたしたちは思わず状況を忘れて、ふたりをキョトンと見守ってしまった。
 真砂子は薄笑いを浮かべる。
「あら、なぜ松崎さんに、そんなことを言われなくてはなりませんの?」
「チームワークの問題よ」
 ……チームワークぅ? そんなもの、最初からあったのか?
「けっこうですわ。受けてたちます。
 そのかわりあたくしが勝ちましたら、一也さんはあたくしの……」
 バンッとナルが机を叩《たた》いた。
「勝手にひとを賭けの対象にするな!」
 ……ほーら、怒られてやんの。
 ナルは心底不機嫌《ふきげん》な顔。
「原さんの言い分はわかったし、麻衣の言い分もわかったが、真偽《しんぎ》を判定できる人間はこの場にいないんだから、水かけ論だ。その件については話しあっても意味がない」
 冷酷《れいこく》な口調。
 ……これは怒ってるなー。当然といえば当然だけど。
 真砂子も綾子も、そっぽを向いてしまった。綾子はツカツカとジョンに近づき、
「ジョン、仕事に戻りましょ! 早く除霊をしなきゃ」
「は……? あの……」
「さっ! 行くわよっ!」
 ……ジョンってば不幸。綾子に引きずられて部屋を出ていった。
 ぼーさんがポリポリ頭をかく。
「……俺も仕事に戻るわ……」
 続いて出ていく。真砂子もナルにもの言いたげな視線をむけてから、あたしをキリッとにらんで出て行った。
 残されたのは、キョトンとしているタカとあたし、ウンザリしたようすのナル、無表情のリンさん。
 ナルは苦い表情で窓の外に眼をやっていたが、ふと、
「……がいたら」
と、つぶやきをもらした。
「え?」
 あたしが聞き返すと、なんでもないと言いたげに首を振る。
「霊能者が……信頼できる霊視の能力者がいたら、と言っただけだ。
 ――リン、作業にもどろう」
「はい」

 ナルとリンさんも出て行って。
 硬直したように座って呆然《ぼうぜん》としたようすのタカが、長いため息をついた。「いつもあんなふうなの?」
「……そだよ」
「麻衣も苦労が絶《た》えないねぇ」
「そう思ってくれる?」
「思うともさ。あたしだったら、頼まれたってこんな人間関係の中で奉公すんのやだ」
「……あたしもちょっと、そう思ってる」
「くじけるんじゃないよ」
 タカに頭をなでなでしてもらって、束《つか》の間《ま》ココロを慰《なぐさ》めるあたしであった。


三章 鬼火《おにび》


     1
 

 放課後には雨が降りだした。
 会議室ではちょっと遅《おそ》いティー・ブレイクをかねて、ミーティングの最中。
 ナルが、さっきのバカさわぎで言いそびれた笠井《かさい》さんの件について説明をしている。あたしは聞くともなく耳を傾けながら、ぼーっと窓の外の雨を見ていた。
 雨って単調で、ものうい気分になっちゃうなー。
 ――てなことを考えているうちに、アクビがひとつ。ひとつがふたつになり、ふたつがみっつになり。かみ殺すのに苦労するあたし。
 しとしと降る雨。銀の糸。空は薄墨《うすずみ》をはいたようで、いっそ真っ暗なのよりも気が滅入《めい》る。
 そうしてあたしはふと気がつくと、遊園地にいた。
 なんで遊園地にいるんだ?
 ……もちろん、夢に決まっている。
 あんましさえない、小さな遊園地だ。それでもあたしはワクワクしている。
 夢を見ながらあたしは、ここはうんとちっちゃいころ、たった一度だけおかーさんに連《つ》れて来てもらった遊園地だと思い出す。
 あたしはミラーハウスの前に立ってる。中が鏡《かがみ》とガラスで迷路になったやつよ。
 そう。あたしは昔、ミラーハウスで泣いたんだ。自分の姿がいっぱいあって、とっても気味が悪かった。それで怖《こわ》くて泣いてしまった。
 でも、いまはだいじょうぶ。もう大きくなったんだから。
 それであたしは、腕まくりをしてミラーハウスに飛びこんだ。

 鏡の続く迷路をあたしは走る。なにも走る必要はないんだけど、とにかく走る。まわりは鏡の洪水《こうずい》。走る、走る。あたしの影たち。迷路中をあたしが走っている。妙にあせってつまずいて、ガラスにぶちあたって転《ころ》がって。
 なんでこの迷路、こんなに広いのよ!
 迷路はだんだん暗くなる。ああ、そうだ。この迷路は時間がたつと暗くなるんだ。考えているうちに足元は真っ暗になる。鏡だけが、煌々《こうこう》と光を反射する。
 どうしよう、出られない。やっぱりこんなとこ、来るんじゃなかった!
 あたしは走る。鏡の中のあたしも走る。迷路の中をあたしの姿が幾百と走りまわって、その中心にひとつだけ動かない影。
 あたしはそれをめざす。あれは、迷路を出るための手がかり。たったひとつ、動かない影にかけよる。
 ……ナル。
 闇《やみ》の中、黒ずくめのナル。顔と手だけが月光のように白い。
「出られないの」
 あたしはナルに訴える。
 ナルはなにも言わず、ただ横を指さした。白い指が闇の中に軌跡を描く。
 あたしはその指先を見る。
 ここは……学校だ。写真のネガみたいに白黒逆になった学校の内部の風景。壁は黒く、黒板は白い。壁も床も、輪郭《りんかく》の白い線だけを残して透《す》けて見える。影の学校。
 そしてそこに、蒼《あお》い鬼火《おにび》。
 学校のあちこちに、青白い鬼火が見える。じっと闇にうずくまり、なにかをうかがっている気配。
「あれは……なに?」
 あたしは、かたわらのナルを見上げる。
 ナルは答える。
「わかっているはず」
 ……わかって? そうだ、もちろん、わかっている。あれは邪悪な意志。しかもこの世のものではない。
 あたしはゾッとしてしまう。
 数を数えられないくらいの、たくさんの鬼火《おにび》。あれはすべて、邪悪なもの。 憑《つ》かれたように見つめる。なんて底冷えのする色。
 見つめているうちに、少しずつ光りがもどってきた。だんだん霞《かす》むように色彩が戻って、すうっと壁が見えてきた。
「……?」
 壁。ごく薄いグリーンの。どこにでもある、なんのへんてつもない壁。
「麻衣《まい》!」
 へっっ!?
 顔をあげるとナル。険のある表情。
「おまえ、いま、眠ってなかったか?」
 え? 眠って? もちろん……。
 はっっ!?
 あたしはあたりを見回す。みんなが冷たい眼であたしを見ている。
 …………。
「すいません。寝てました」
 ま、……まずい。
「眼をあけたまま眠るとは、つくづく寝汚いやつだな」
「もうしわけ……」
 ナルが冷たい眼をむける。
「おまえは手伝いをしたいのか? それとも邪魔《じゃま》をしたいのか?」
 ……こ、こいつっ。
「ちょっとウトウトしてただけでしょ!
 眠いときはしょうがないじゃない。眠っちゃいけないと思ってとまるもんなら、居眠り運転なんかおきないよっ!」
 さらに冷たいナルの眼。
「居直ったな」
「あたりまえさっ。一国の運命を担《にな》う国会でだって議員が寝てんだぜ。崇高《すうこう》な使命を背負ってるはずの総理だって、堂々と寝てる。一介の小市民にすぎないあたしがイネムリこいて、なにが悪い」
「……みごとに歪《ゆが》んでるな、おまえは」
「あぁら、所長ほどではございませんわ」
「僕はいいんだ」
 ……ほう。
「このうえ性格までよかったら長生きしない」
 ……こいつは、こいつは、こいつはっ!
 あーそうかいっ。どーせあんたは有能でおまけに顔だっていいよっ! それで性格までよかったら、できすぎで早死にするだろーさっっ!
 ナルはあたしの方をにらんでから、全員を見わたす。
「馬鹿《ばか》は放っておこう。本題に戻る」
 イネムリしたら、馬鹿なのか? その台詞《せりふ》、国会議事堂に行って言ってみろよ。

     2

 ナルは指先でテーブルを軽く叩《たた》く。
「笠井《かさい》さんの件が事件に関係あるのか、それともないのかはわからないが……」
 綾子《あやこ》が首をかしげた。
「そのさぁ、笠井っていう子、どの程度信用できるの?」
「僕は信用できると思っているけど?」
「へぇ」
 綾子のいじわるっぽい眼。
「アタシはマユツバだと思うなー。スプーン曲げなんてさ、いかにもじゃない」
 ??
「スプーン曲げって、マユツバなの?」
 あたしが聞くと、
「じゃない? スプーン曲げで、インチキだって言われなかったひと、いないじゃない」 それは知らなかった。
 しかしここは、綾子に聞くよりもぼーさんかジョンに聞くほうが無難だろう。
「そうなの?」
 ジョンはうなずく。
「さいです。スプーンを曲げるゆうのは、ユリ・ゲラーが始めたことです。ユリ・ゲラー二十世紀最高のサイキック……超能力者やと言われています。PK……日本語で念力ゆうのでしたか、から透視、予言、できないことはない感じです。そのゲラーがあちこちでスプーンを曲げて、それを見た子供らがマネをしてスプーンを曲げました」
「えーと、ゲラリーニね?」
「はい。さいです。
 けど、ゲラリーニゆうのんは不安定な能力を持ってまして。途中で力をなくしたり、それで困ってマジックにたよる人もいて、それがあちこちでバレて、ゲラリーニゆうのんはインチキなんやないかと」
「ふむふむ」
「そうしたときに、ゲラー自身がインチキやゆうて叩かれたんです」
「ユリ・ゲラーが?」
「ハイ。一時はアメリカの超心理学会でも、ゲラーはインチキやゆう見解が公式発表になったくらいで。そやから、スプーン曲げゆうたらインチキやとゆう印象が強いんです」
 そうなのか。
「でもさ、ジョン、実際のところ、ゲラーってどうなの?」
 ジョンは困ったように笑う。
 
「ボクではなんとも……。ただ、ゲラーはハデすぎて、どうしてもイリュージョンを見てる気になるんですけど」
「イリュージョン?」
「ええと……大がかりなマジックです。飛行機を消したり、車を消したり」
「あ、ナルホド」
 あたしとジョンの会話を聞いていたぼーさんが、首をかしげる。
「俺もゲラーはマユツバだという気がするけどな」
「なんで?」
「うーん。サイ能力……超能力が人間に隠された力なら、音を聞く能力、ものを見る能力、そういうのと同じに、できることとできないことがあって当然、という気がするんだよなぁ。ゲラーってのは、挑戦を受けるとなんでも受けて立つ。なんでもできるわけで、かえって妙な気がするんだよな」
「さいですね」
 ジョンもうなずく。
「そもそも超能力ゆうのはESPとPKとふたつ種類があるんです。ESPは……超感覚ゆうたらいいのか、普通の人にはわからへんことを特別な能力で知ることです。透視とテレパシーにわかれますが」
「ふむふむ」
「PKゆうのは念力ですね。普通のひとにはない特別な能力で、実際にものを動かしたりする力……。
 ふつうサイキックはどっちかに分類できるもんなんです。PKやったらPK。ESPやったらESP。たまにはクロスオーバーしてるひともいますけど、だいたいわかれます」 ぼーさんもうなずく。
「そうだよなぁ。エドガー・ケイシー、ジーン・ディクソンなんて、神をもビビらせるほどの予言者だが、スプーンを曲げたという話は聞かない。
 反対に偉大なPKでも……ニーナ・クラギーナとか、オリヴァー・デイビスなんかはかなりのESPをやってのけるが、あとはESPの能力を持ってるなんて聞かないよな。クラギーナもデイビスも能力は限定されるみたいだし」
「さいですね。けど、ゲラーゆうたら、PKでも一流なら、ESPでも一流ですやろ? 制限なしになんでもできますもん。
 ボクはかえってマユツバな気がしますのんです」
 綾子は身を乗り出して、
「アタシさぁ、いつも不思議《ふしぎ》なんだけど、どうしてスプーンなの? 金属を曲げるんだったら、何もスプーンでなくてもいいわけでしょ? なのにPKが曲げると言ったら、必ずスプーンじゃない? そのへんが不思議なのよねぇ」
「――ということは、そもそもPKってマユツバっぽいの?」
 あたしが聞くと、
「それは違う」
 ぼーさんが断言する。
「PKつってもイロイロあってな、三つあるんだっけか。PK-MT、PK-ST、PK-LT」
 ……うわぁ、あたま痛いっ。
「スプーン曲げは、このうちのPK-STという力なんだ。静止した物体に影響を与える力なんだが、ハデな力だが誤解も多い。インチキだって報告もいちばん多いな。
 ところが実際は、PK-MTの力を持っている念力能力者がいちばん多いんだ。これは動いているものに影響を与える力で、たとえば、サイコロの目を変えたりする。『二よ出ろ』と念じて本当に二を出す能力だな」
「へぇぇ」
「PK-MTは、インチキなんだというよりも、ほとんどの人間が持っている力だと言われている。能力の大小はあれ、潜在的に持っている力なんだとさ」
「……あたしにもできる?」
「かもな。
 PK-STにしても、必ずしもインチキばかりじゃない。
 ゲラリーニあがりのPKにシルビオ・メイアーってのがいるけどね。彼は金属曲げが専門なんだが、あれはけっこう信憑《しんぴょう》性高いと思うぜ」
「へぇ?」
「だいたい超能力っていうと、……ゲラーの場合もそうだったんだが、手品師が出てきて、そんなことだったら手品でできるとか言って文句をたれるんだよな。手品でできるからって、必ずしもそいつが手品をやったとは限らないんだが、やっぱ、うさんくさい気がするだろ? たしかメイアーも手品師のロルフ・なんたらっていうやつに攻撃をうけたんだよな。
 ところがこの手品師が最終的にはメイアー擁護《ようご》にまわっちまった。つまり、手品師がメイアーの能力を肯定したわけ」
「ほえー」
「あと、ソ連のニーナ・クラギーナ。彼女は強烈だぜ。PK-STのほかにPK-LTの能力もある。PK-LTってのは生物に影響を与える力なんだが。
 ものを動かすなんてのは、おちゃのこさいさい。手を触《ふ》れるだけで病気は治《なお》すわ。カエルの心臓は止めるわ、人間の心臓は止めるわ」
「心臓を止めるーっ!?」
「そ。彼女の実験をしてた研究者が、妙な好奇心を起こしてさ。カエルの心臓を止められるなら、人間の心臓だって止められるだろうと。自分が実験の相手をかってでて、けっきょくあやうく心臓が止まりかけてしまった。実験に立ち会った医者が止めたんで助かったけど」
 どひゃー。
「……あと、PKの大物といったら、イギリスのオリヴァー・デイビスかな。彼もPK-STだ。普通、PKでものを動かすといったら、マッチ箱とかスプーン、そういう小物が多い。彼はちょっとケタはずれだな。デイビス博士はPKというよりも、非常に真面目《まじ》なサイ研究者で、あまり表舞台に登場しないんだが、確か、何年か前にビデオをとっている。そのときの実験で、五十キロもあるアルミの塊《かたまり》を壁にたたきつけたというからなー」
「どひゃー」
「そんなふうに、同じPKでも能力が限られてたりするもんなんだな。シルビオ・メイアーもオリヴァー・デイビスも、PK-LTはできないようだ。生き物をどうにかしたという話は聞かないからな。
 ところが……ゲラーっていうのは、あらゆるPK、だろ? おまけにあらゆるESP。 俺《おれ》としちゃ、うさんくさいと言わざるをえんなー」
「ふうん……」
 ナルが口をはさむ。
「それは……ともかく。笠井さんの能力については疑問もあるが、取りあえず重要なのは、彼女が自分の能力を信じていたということだ。
 彼女は教師の攻撃を受けて非常に不当だと感じていた。その結果が……」
「『呪い殺してやる』?」
「そう」
「実際にできるかね。クラギーナぐらいのPK-LTならできなくはないだろうが」
 ……そりゃまー、人の心臓を止められればねぇ。
「……それは……そうなんだが」
 ナルはしばらく考えてから、
「……こんな話をしていてもキリがない」
 あきらめたように顔をあげた。
「とにかく、いまの状況を何とかするほうが先だ。除霊にとりかかる」
 全員が立ち上がった。

     3

 みんなが除霊に散って行って、あたしは会議室に取り残される。ひとりでいると、とってもタイクツ……。夕暮れの気配が忍び寄ってきた会議室。たそがれたけ気配。さっきまで続いていたあちこちで掃除する物音もやんで、学生の気配も絶《た》えてきた。ひとのざわめきのしない学校は本当に寂《さび》しい。
 あたしはふと、さっき見た夢を思い出した。あれは確かにこの学校だった。暗闇のラビリンス。そこにうずくまっていた鬼火《おにび》。あれが霊でなくてなんだってんだ?
「……?」
 わかんねーな。でも、どーせ、夢だしなー。うん、あたしなんぞが考えてもしょーがないや。かといって、誰《だれ》かに相談もできないし、(夢の中にナルが出てきたなんて言ってごらん。末代までの笑い者だ)。こんど、夢判断の本でもかってこよう、そうしよう。
 ……てなことを考えながら、ダラダラ依頼のメモの整理をしていたら、軽いノックの音がした。
「はい?」
 あたしの声に、ひょっこり顔をのぞかせたのは笠井《かさい》さんで、さっきまで話題にのぼっていたひとだけに、あたしはちょっとドギマギしてしまった。
「あれ? ひとり?」
「うん」
 彼女は部屋の中を見まわす。
「入ってもいい?」
「どうぞ、どうぞ」
「ありがと。……なにをしてんの?」
「あたしはみそっかすなんで、ここで資料を整理したり、受信機のお守りをしたりしてるの」
「ふうん」
 笠井さんはそのへんのイスに座《すわ》って、あたりをもういちど見まわす。
「へぇ……」
 妙に感心した口ぶり。
「どうかした?」
「――うん。こういうのってめずらしいから。渋谷《しぶや》さんとかあんたって、霊能者なんでしょ?」
「あたしはちがうよぉ。ナル――渋谷氏も、ちがうかな。本人はゴースト・ハンターだって」
「へぇ、カッコイイ」
 あたしはキョトンとしてしまった。いままで、『ゴースト・ハンター』と言って、それはなんだと聞きかえさなかったひとはいない。
 そうか、笠井さんは超能力少女だもんねぇ、と妙な納得をしてしまう。
「……でも、じつは陰陽師《おんみょうじ》なんじゃないかな。あ、あたしが言ったんじゃないけど、これは」
 笠井さんは口笛をふいた。
「それって、もっとすごいじゃない。へぇぇーっ、陰陽師なのかぁ」
 感動したように言ってから、
「で? 除霊はすすんでる?」
「うーん、難航してるかなぁ。
 うちのグループの霊媒がね、霊はいないって言い出して。あやうくケンカになるところだったんだ」
 笠井さんは眉《まゆ》をひそめた。
「いない? いないはずないじゃん。こんなにいっぱい事件が起こってるのに」
「うん。そうなんだけどね。
 うちのグループは、霊が見えるひと、その霊媒《れいばい》しかいないのよ。その彼女がいないなんて言い出したもんだから、事態は混迷を極める一方。
 ――そうだ、笠井さんって、霊は見えないの?」
 笠井さんは手を振った。
 
「だめ。あたしは霊能力はないんだ。ESPの能力はないもん」
「ESP?」
 話の脈絡《みゃくらく》がつかめないぞ。
「なんだぁ、知らないの? 霊能力はESPの一種だって説があるんだって。
 あたしはダメ。ぜんぜんなのよ。PKだけ。それもPK-STの能力しかないし。……最近はそれも怪《あや》しくなってきたけどね」
 笠井さんは肩をすくめた。
「すご……笠井さんって詳《くわ》しい……」
「ああ。恵《けい》先生の受け売りよぉ。恵先生は詳しいからね。超心理学の研究家になれるくらい」
「産砂《うぶすな》先生? へぇ、そうなんだ」
「ん。それで、生物部はオカルト研究部だって説があるくらいで。実際、部活じゃそういうことしかやってなかったし」
 笠井さんは過去形を使った。
「……生物部って、いまはどうなってるの?」
「事実上の解散じゃない? 部員は、あたししかいないようなもんだもん。ミズホも学校、やめるみたいだし」
「やめちゃうの?」
 あたしが聞くと、笠井さんは寂《さび》しそうに笑った。
「なんだって。ずっと前にそう言ってた。働くって、
 あたしがスプーンを曲げたせいで、あの子も人生変わっちゃったなぁ」
「そういう考え方は不毛だよ。人間みんなそれぞれ自分のために一生懸命生きてるんだし、他人の影響なんて言っても、けっきょく選ぶのは自分なんだから」
 笠井さんはあたしを見つめる。
「……ありがと。
 あたし、少し、責任感じてるんだ。ミズホのことも、恵先生のことも、連発してる事件だって……」
「そんな必要ないと思う」
 笠井さんはまた寂しい笑顔をつくる。
「そっかな。でもね、恵先生も苦しい立場になっちゃって。あたしをかばってくれたせいで、教師からはつるしあげられるし、PTAからはつるしあげられるし。
 一時期なんかさ、学校が信じる信じないでまっぷたつでさ。信じない派のひとたち、先生も生徒も石でも投げそうな雰囲気だったもん。皮肉とかバンバン言われちゃってさー。完全に村八分。
 それでも、最近はちょっとマシだけどね。なにしろ、幽霊なんかいない、超能力なんてありえない、って言ってたひとたちのところに幽霊が出てるんだし。内緒《ないしょ》で恵先生のところに相談にくるひとも、いるみたいだけどね」
 笠井さんは、今度は本当に笑った。
「産砂《うぶすな》先生っていいひとだよね」
「うん」
 笠井さんはニッコリした。
「……あたしは後輩みたいなもんだからって。学校中から攻撃されてたときも、かばってくれたし。いくら学校の後輩で教え子だって言ったって、ふつう、あそこまではできないと思う」
「……うん。産砂先生、ここの出身なんだ」
「じゃない? ここの女の先生ってたいがいそうだもん」
 あたしはちょっと考えてから、
「ね、内緒の話、しようか」
「え? なに?」
「あたしが言ったって内緒だよ。しかられちゃうし」
「うん」
 笠井さんが耳をよせる。
「吉野《よしの》先生のところにも出るんだって」
 ピクンと笠井さんがみじろぎした。
 あたしは割ってやるる。
「全校朝礼で、笠井さんのことをつるしあげたの、吉野先生でしょ」
「そう……だけど」
 彼女は会心の笑みをもらした。
「へぇぇ、そうなのかぁ。あいつ、ビビってた?」
「それは、もー。不眠症だって、眼の下に隈《くま》つくってた」
「いいきみ、……なんて言っちゃ、いけないか。でも、……ちょっとスッとした」
「ナイショよ、ナイショ」
 あたしたちは額《ひたい》をよせあって、忍び笑いした。
 笑いながらあたしは心にスプーンを思い描いた。先がちょっとだけ曲がったスプーン。 いろんな人の運命を変えたものがあるとすれば、最初に曲がった一本のスプーンがそれだ。
 ……あたしには、そう思えた。

 あたしと笠井さんがしばらく話をしていると、下校の準備を終えたタカが会議室にやってきた。
「ありゃー、また法生《ノリオ》ってば、いないのね」
「残念でした。お茶のむ? いま、いれようと思ってたんだ」
「飲むともさっ。笠井先輩、こんにちは」
「うん」
 笠井さんは警戒したのか、ちょっとブッキラボウな口調だ。でも、タカは気にしないのだ。もともと明るい性格なのか、気安く笠井さんに話しかけて、笠井さんのほうも少しずつ打ち解けたしゃべり方をするようになって、あたしとタカが霊能者の集団の性格の悪さをネタに、さんざん漫才をやると、そのうち笑顔さえ見せるようになった。
「……あたし、恵先生以外のひとと、こんなにしゃべったの、久しぶりだ」
 笠井さんが帰りぎわ、しみじみとした口調で言った。
 タカは、ちょっと胸をつかれた表情をする。
「……かわいそ……。あたしでよかったら、またあそびましょーね」
「うん。サンキュ。今日は楽しかった。谷山《たにやま》さんも、サンキュね」
「また、くる?」
「うん」
 タカがピョコンと立ち上がる。
「あたしも帰るっ! 笠井センパイ、ごいっしょしてもいい?」
「モチロン」
 ヒラヒラ手を振って帰って行くふたりを、あたしはちょっと暖かい想いで見送った。

     4

 その翌日、ちょうど霊能者の集団が、ひと休みしに会議室に集まっていたときだった。
 その知らせを持ってきたのは、吉野《よしの》先生。昨日、先生のひとりが車で事故を起こし、さらに陸上部の部員のひとりが倒《たお》れてきたロッカーにはさまれて大ケガをしたと。
 ナルは眉《まゆ》をひそめる。
 事故を起こした先生は、おとといバック・ミラーに幽霊が見えると言ってきた先生。陸上部の部室もその先生の車も、もちろん本人も、ジョンとぼーさんが昨日の夕方除霊をした。
 ……つまり霊は落ちてなかったということ。
 そのうえ、入院しているタカの担任の先生が、ふたたび具合が悪くなったという。あいかわらず病室にまで幽霊が出るといって騒いだあげく、血を吐《は》いたらしい。なんでも、その先生の主張によると、刃物を持った老人の幽霊が現れて、そいつがお腹《なか》を刺すのだそうだ。もちろん、刺されたお腹にキズはない。そのかわりに吐血《とけつ》するのだと。
 この先生もちゃんと、除霊したはずなのに。
「……効果なし、か」
 ナルは冷静な声をもらした。
 霊能者の集団は押し黙ってしまう。
 あたしはふと、昨日夢でみた学校の風景を思い出す。あちこちにともっていた鬼火《おにび》。あれは邪悪な霊。そう思えた。あの夢にさほど意味があるとは思えないけど。
 やがて綾子《あやこ》が、皮肉っぽい眼で真砂子《まさこ》をにらんだ。
「霊はいない、ですって? これでもいないって言うわけ?」
 真砂子は強情だ。
「いませんわ」
 ガンとして動かない。それでも不安そうな眼をしていた。
「素直に認めたら? あんたには、少なくともここの霊は見えないのよ」
「そんなはずは、ありません!」
 真砂子はほとんど叫ぶように言う。
「あたくしには見えないのだったら、いないということですわ!」
「じゃ、この学校の状況をどう説明するわけ? 全員がウソをついてるの? それとも集団ヒステリー?」
 ……綾子、楽しそうだな、おまえ。やめろよ。
 真砂子は綾子をにらむ。あたしたちを見渡して、それからツイと会議室を出て行った。 それを無言で見送ったぼーさんは、
「なー、ナルちゃんよぉ」
 ナルにうらみがましい眼をむける。
「真砂子のやつ、意地になってるぜ。
 ちょこっと機嫌《きげん》とってやれよ。真砂子がああじゃ、話にならん」
「……そんなこと、しなくていいわよっ」
 
 綾子の抗議、ぼーさんはそれを見やって、
「おまえは黙ってろ。この場は真砂子が必要なんだ。
 真砂子が霊視してくれなきゃ、本当に霊が憑《つ》いてるのか、単にそういう気がしているだけなのか、あるいはヒステリーなのか見分けがつかん。おまけに除霊の効果があったのかどうかもわからんときてる。ちがうか、ナル?」
 あたしたちは黙ってナルの反応をうかがった。それに対してナルは平然と、
「原《はら》さんが頼りにならないのなら、別の霊媒《れいばい》を雇《やと》うという手もあるが?」
 ……木で鼻をくくるような返事。
 あたしは真砂子は嫌《きら》いだ。はっきり言ってこいつっ、と思うよ。でも、こういう言われ方をされちゃ、真砂子だって浮かばれない(べつに死んだわけじゃないが)と思うのよ。
 この、冷血漢。
 ぼーさんはあきれたようにナルを見やってから、肩をすくめて立ち上がった。
 綾子までが鼻白んだようすで立ち上がる。つられたようにジョンも立ち上がり――そうして会議室を出て行った。
 残ったのはあたしとナルと、いるのかいないのかわからないリンさん。
「ナル、いまの言い方はちょっとひどいよ」
「当然のことを言ったまでだ」
 ……ほぅ。当然のこと、ねぇ。
「あんた、それ、真砂子本人に向かって言える?」
 なんでだか知らないけど、真砂子には頭があがらないくせに。
 ナルはちょっとひるんだようす。
「いったい、真砂子になんの弱みを握《にぎ》られてるわけ?」
「そんなことはない」
「……ほう。じゃ、さっき言ったことば、真砂子に面と向かって言ってごらん」
 言えるの? 言えるもんなら言ってみろよ。あたしは知ってるんだからね。ナルってば、イヤそうな顔をしつつも、あいかわらず真砂子とデートしてるでしょ。
 ナルはちょっとあたしをにらんでから立ち上がる。
「リン、作業に戻ろう」
 逃げたな、こいつっ!
 あたしはそそくさと去っていくナルの背中をみて、しみじみ首をひねってしまった。
 なんに対してでも悪口雑言の限りをつくし、一等両断に斬《き》って捨てるナルが、あそこまで歯切れが悪いからにはなにか事情があるに違いない。やはり弱みを握られているとみたね。問題はその弱み。
 一瞬、スプーン曲げのことを思い出したけど、あたしに対してはべつに下手に出たりはしないもんな。スプーン曲げのようなことではあるまい。
 あいかわらず、ナゾの多いやつ……。

     5

 ナルもリンさんもいなくなって、あたしはふたたびひとりになる。
 授業終了のチャイムがなって、学校の内部がひとしきり騒がしくなって、それも時間がたつと潮騒《しおさい》のようにひいていって。そうして、しんとした放課後がやってきた。
 放課後はやだな。よそよそしくて、寂《さび》しくて。タカか笠井《かさい》さんか、こないかなー。
 そう思っていたら、パタパタと足音が聞こえた。ノックもなしにドアをあける。ひょいと顔を出したのはタカ。そして、その後ろには笠井さん。
 おっ。なんてタイムリー。
「やっほー」
「はぁい」
「あいかわらず、麻衣《まい》ってば、ひとりなんだー。笠井センパイに会ったから、引っ張ってきちゃった」
 タカが笑う。
「待ってたのー。放課後ひとりでいるのって、気分までたそがれちゃって、たまんない」「そうでしょうとも。そう思って来てみたのさっ。感謝する?」
「する、する。感謝の気持ちをこめて、お茶をいれてしんぜよう」
「やった」
 タカは笑って、ほらね、と笠井さんをふりかえる。
 む。ひょっとしてタカってば、会議室を喫茶店あつかいしてない?
 あたしがそう言うと、
「オヤ、ばれちゃった?」
「ここは喫茶店じゃないんだからね。そういう考えで入りびたらないように」
「だってー、ママさんがいいひとなんで、いごこちいいんだもーん」
「それは言える」
と、笠井さんまで。
「……ひとのいいママさんというのは、あたしのことかなー?」
「ほかに該当する人物がいる?」
「どーぞ、座って。お茶でも飲んでってくださる?」
 ひとしきり笑ったあと、三人でお茶を飲んで。一息ついてから、タカは内緒話でもするみたいに身を乗りだしてくる。
「法生《ノリオ》は?」
「除霊の作業中」
「うまくいってるみたい?」
どうだかねぇ。なんか、今回の事件は手こずってるな」
 ……考えてみれば、いつもそれなりに手こずってるわけだけど。でもまぁ、今回は得体《えたい》がしれないからなぁ。なにが起こっているのかさぇ、よくわかってないカンジだし。
 あたしがそう言うと、タカはさらに身を乗りだした。
「ね、法生《ノリオ》って、どうなの?」
「どうって?」
「だからー、霊能者なんでしょ? 頼りになる?」
「どうかなー」
 あたしも最初は、この役たたず、とか思っていたけど、本当はどうなんだろうね。
「けっこう、マシかなー」
「へぇー」
「それよりさー、ぼーさんのバンドのほうこそどうなの?」
「ウン、バンドね」
 タカは腕組みする。
「ヴォーカルはねぇ、いまいち」
「ぼーさんは?」
「うまいよー。作曲もするけど、メロディーラインきれいだし。あたしは好きだな」
「へぇぇ、うまいのかー」
「うまいとも。スタジオ・ミュージシャンだし」
「?? 論旨を五十字以内で説明せよ」
「あ、スタジオ・ミュージシャンってね、ハンパなうまさじゃなれないの」
「そうなの!?」
「そうだよ。とんでもなくうまくないと。
 だから、法生《ノリオ》は問題ないのよ。ヴォーカルがね、歌もいまひとつでルックスもいまふたつ。作詞はヴォーカルの担当なんだけど、これがまたいまいち」
「へぇぇ」
 タカは笠井さんをふりかえった。
「そうだ、笠井さん作詞しません?」
 笠井さんはパチクリする。
「あたしが?」
「ウン。作詞できるひとがいないって、あたしにまでやってみないか、とか言われるんですよね。笠井さん、詩書くのうまいもん」
「あれ、そうなの?」
 あたしが聞くと、
「超能力少女の隠された才能。天は二物を与えることもある、というやつだね。
 文芸部の会誌で詩を書いてたでしょ? あれ、すごくよかったです」
 笠井さんはちょっとはにかんだ顔をする。
「……ああ、あれ。あんなの……会員が少なくて、会誌が埋《う》まらないから穴埋めに書いただけだし……」
「笠井さんって、文芸部にも入ってるんだー」
 生物部だけじゃなくて。
「うん……正課のクラブでね」
 言った顔がちょっと赤い。
「そういう話はいいよ、もう。それより、バンドの話のほうが聞きたい」
「あれー、センパイったら、テレちゃってー」
「ちがうわよぉ」
「だって顔赤い」
 
 ひとしきり笑ってからタカが、
「まー、作詞がいまいちで、ヴォーカルもいまいちであると。キーボードもいまいちかな。ギターもすごくうまいってホドじゃないし」
「……ベースだけいいバンド?」
「ドラムもいいよ」
「リズム・セッションだけがいいわけ? そういうバンドって、不毛じゃない?」
 あたしがそう言うと、笠井さんも大きくうなずく。タカは小さく舌《した》を出して、「まーね。あたしがそう思っているだけかもしれないけど。
 あたしはホラ、ノリオ至上主義だからー」
「あ、そーなんだー。へぇぇーっっ」
 なんてこったい。すごいじゃない。
「へへっ。そういう麻衣って、ひょっとして渋谷《しぶや》さん至上主義でしょ」
 ぎくっ。
「……なんのことやら」
 あたしはできるだけ平静を装ってみたのだが、タカはあたしの顔をマジッと見てからケラケラ笑って、
「ムダよぉ、麻衣。オンナのカンをなめてはいけない」
 笠井さんまでからかう口調。
「へぇ、そうだったのかー」
 ……あーう、ぅぅぅ。
「……わかっちゃう?」
「わかるとも」
 タカに続いて、笠井さんまでがしみじみと。
「あのひと、顔いいもんねぇ。けっこう優《やさ》しそうだし」
 あたしは思わずお茶を吹いてしまった。
「な、なに? どうかした?」
「笠井さん。ナルのこと、完璧《かんぺき》に誤解してる」
「だって……けっこう優しいかなとか、思ったよ、あたし」
「冗談。ナルが優しかったら、この世は善人ばかり。天国みたいなもんだよぉ」
「そ……そうなの?」
「性格悪い、悪い。口は悪いし冷淡だし、おまけにナルシストで秘密主義」
 笠井さんはあたしの顔をのぞきこむ。
「……でも好きなのね?」
 ……うっ。あーうぅぅ。わん。
「言ってごらんよ。怒らないから」
「……かもしんない」
「かもしんない? ひとごとみたいに」
 あたしはふたりに顔をよせた。
「じぶんでも、ときどきわかんないだけどさー。夢の中にしばしば出てくるっていうのはー、やっぱりそうなんだと思う?」
「完璧。それは恋愛というやつだね」
 笠井さんにキッパリ断言されてしまった。
 ……ううう。やっぱ、そうだよねぇ。
「――前途多難な恋かもね」
 笠井さんにしみじみ言われてしまって、
「……なのよねぇ。ぼーさんはその点、いいよね」
 どーやら硬派《こうは》のナルとちがって、基本的に軟派《なんぱ》だもんな。
 あたしがちょっとうらめしそうに言うと、タカは大きく手を振った。
「ダメダメ。ぜーんぜん。妹みたいなもんよぉ。追っかけするようになって、楽屋とかも入れてくれるようになって、近づけてラッキーとか思ってたんだけど、妹分になるくらいなら、やめとけばよかったと思って」
「……ナルホド。タカも多難なのね」
「でも、あたし、負けないっ。
 この試練に耐《た》えて栄光の星をつかむわっ」
 握《にぎ》り拳《こぶし》に力をこめてのガッツポーズ。
「がんばってねっ。あたし、陰《かげ》ながら応援していますわ!」
 あたしが叫ぶと、笠井さんまでが、
「麻衣もがんばるのよっ」
「まあっ。うれしいっ。あたしもふたりの幸せを願っていましてよ!」
「麻衣っ」
「センパイっ」
「タカっ」
 しっかと手を握りあって、あたしたちは大笑いしてしまった。
 涙を流して笑いころげていたところに、当のぼーさんとナルがもどってきた。
 あたしとタカのあせること、あせること。
 ぼーさんはあたしたちをながめて、
「楽しそうだな」
 うらめしそうな口調。
「ははは。……どう?」
「さいてー」
「おやぁ?」
「真砂子《まさこ》があれじゃ、除霊ができたのかできてないのか。ザルで水をくんでる気がしちゃうね、俺は」
 ……それはおつかれさま。

     6

 ぼーさんはタカと、暗くなった窓の外を見比《くら》べた。
「タカ、そろそろ帰れ。君も――」
と言って、笠井《かさい》さんを見る。誰《だれ》だろうというように、ぼーさんが首をかしげたのであたしは、
「笠井さん」
 名前を押してやる。ぼーさんは、ああ、あの、というようにうなずいた。あたしはついでに笠井さんにぼーさんを紹介する。
「こちらが、ぼーさん」
 笠井さんがマジッとぼーさんを見た。
「……ああ、あの……」
 微《かす》かに言ってそっとタカと見比べる。こころなし、タカが赤くなった。
「ふたりとも、帰ったほうがいい。駅まで送っていってやるから」
「もうすこし」
 タカが上目づかいにぼーさんを見る。子犬みたいな目。
「夜はいないほうがいい」
「……あぶない?」
「やっぱり、昼間よりは夜のほうがな」
 ぼーさんにうながされて、タカは複雑な表情で立ち上がる。送ってもらえるのはうれしいけど、もっとそばにいたいと顔にかいてある。それでも、素直にカバンを取ってぼーさんの背中をついて行った。笠井さんは、おじゃまかしら、という表情でそのあとに続く。 ふふ。がんばりなよ、タカ。
 心の中でつぶやいた。おお、よく考えたらあたしもらっきー。ナルとふたりきりではないんでしょうか。
 ナルはというと、部屋を出ていく三人を目線で見送ってから、資料に眼を通し始めた。なんかオハナシしようよー、ねー。
 よぉし、ここらで一発ギャグでもかまして話の糸口をつくってやろうかな、と思って、あたしはさっきタカから聞いた、ぼーさんのバンドの話とかを意味もなくくっちゃべった。もちろん、タカのとある人物に関する至上主義は伏《ふ》せといて。
 気のなさそうなナルに、えんえん話をしているときだった。
 カタンと妙にカンにさわる音が、部屋のどこかでした。
 ふっとあたしたちは音のした天井《てんじょう》の方を見上げる。
 続いてふたたびコトンという音。まるで上の階で誰《だれ》かが堅いものを動かしているような。――だがしかし、ここは最上階で、もちろん上の階などというものはないのだ。
 スゥと部屋の電灯が暗くなった。まるで切れかけているように暗くまたたく。
 ナルが身構《みがま》えるように腰を浮かした。
 ゴトンとまた天井で物音。いまにも切れそうな電灯がまたたく。窓の外はもう暗い。電灯がまたたくたび、天井がぼんやりと浮かびあがってはまた消える。何度目かにまたたいたとき、暗い光の中で、ひとつかみの髪の毛が天井から下がっているのに気がついた。まるで天井から生《は》えるように。十センチくらいのそれ。
「……ナル」
「落ちつけ。動くな」
 ナルは闇よりも暗い視線を、天井から生えたそれにむける。薄暗い明かりがふっと消え、とまどうようにもう一度ついたとき、その髪はふたつかみほどに増えていた。長さも三十センチばかりになったようだ。
 あたしはそれに眼をうばわれたまま、身動きできないでいた。一度またたくごとに、徐々に長く増えていくそれ。
 いつの間にか、ナルがあたしの前に立っていた。あたしはナルの背中ごしに天井を見つめる。
 
 さらにもう一度またたいたとき、天井に髪の毛の生え際が現れた。白い額《ひたい》の生え際。
 ……誰《だれ》かが天井から沈んでくる……!
 思わず息を飲んだ。ナルはあたしに背中を向けてそれを見つめたまま、
「……動くな。だいじょうぶだ、じっとしていろ」
「……うん」
 電灯がまたたく。その額が眉《まゆ》のあたりまで沈んでくる。ふたたびまたたく。閉じた眼が現れた。
 またたくごとにそれは天井から降りてきて、いつしか頬《ほお》が、あごが現れ……やがては、女の首だけが天井からぶらさがる格好になった。
「ナル……」
 あたしがたまらず呼んだときだ。
 臘《ろう》のように白い顔の女が、カッと眼をあけた。なにかに飢《う》えたようなギラつく視線でナルを見すえる。薄い血の気のない唇《くちびる》がニッとあがった。
「ナル……!」
 ナルは後ろ手に腕をまわして、あたしを背中に抱えこむようにする。
「あれがこの学校の霊なら、なにもできない。だいじょうぶだ」
 言っている間にも電灯がまたたく。女の身体《からだ》が沈んでくる。白い着物の肩が、胸が。
 気の遠くなりそうな時間の果てに、女は天井から上半身を乗りだした。逆さまにぶらさがったまま、口元に陰惨《いんさん》な笑みをふくんでナルを見つめる。その眼の残虐《ざんぎゃく》な色。
 ……このまま降りてきたら……。背筋がゾッとする。あたしたちはどうなるんだろう……?
 そのとき、ふいに誰かが部屋のドアを開いた。
「ぼーさんっ!」
 ドアを押し開いてノブに手をかけたまま、ぼーさんは硬直する。天井から下がってくる女をみつめ、そうしてさっと指を組んだ。
「ナウマク、サンマンダ、バサラダン、カン!」
 ぼーさんの声とともに、女の身体がずるっと天井に引っこむ。髪の先が天井に消えると同時に、会議室の明かりがついた。

「なんだ……いまのは」
 ぼーさんが呆然《ぼうぜん》と口を開く。
 ナルはひどく冷静な声で、
「とうとう、ここにも現《あらわ》れるようになったらしいな」
 ……そんな、なんでもないことのように言わないでよぉ。
「……これで、原《はら》さんが今回はたよりにならないことがはっきりしてしまったな」
「のようだな」
 あたしはふたりの会話を聞きながら、その場にへたりこんでしまった。
 ぼーさんがあたしの頭を叩《たた》く。
「だいじょうぶか? 怖《こわ》かったか?」
「……うん……」
 怖かったのはあの眼。残忍な邪悪な眼だ。女はとうとう一度もあたしを見なかった。それが血に飢《う》えた眼で見つめていたのはナル。
 そう思って顔をおおったとき、頭の中をふっとイメージが通り過ぎた。
 ナルとその足元で燃える鬼火《おにび》。
「あ……」
「どうした、麻衣《まい》?」
 ぼーさんがあたしをのぞきこむ。
「あれは……ナルをねらってる」
「――なに?」
「この部屋じゃない。あれはナルに現《あらわ》れたんだ。あれは邪悪。ナルが危ない」 キョトンとあたしを見つめるぼーさんとナル。ナルがあたしのほうに身をかがめた。
「なんだって?」
「だから、あれは邪悪なの。学校中にいる鬼火。あれはその中のひとつなんだよ。ナルをねらっているの」
 ……あたし、どうしてしまったんだろう。なにを言っているんだ?」
「……麻衣、起きてるか?」
 自分でも自信ない、と思っているのにあたしの口は勝手に動く。
「起きてる。あたし錯乱したりしてない。
 自分でもなぜだかわかんないけど、わかるんだもんっ!」
 ぼーさんとナルが顔を見あわせた。

 落ちつくように言われて、イスに座《すわ》らされて、ぼーさんとナルに聞かれるまま、あたしは前に見た夢の話をした。もちろん、ナルが出てきたのは言わない。
「どうしてだかわかんない。でも、鬼火を見た瞬間、あれは絶対に邪悪なものだってわかったの。霊なんてもんじゃない、むしろ鬼だよ。ぜったいに危険なものなの」
 ナルは考えこむ。視線を床におとして。あたしにはその視線の先に、あの鬼火が見える気がした。
 そこにドヤドヤと足音と人声。みんなが戻ってくる音がした。
 ナルとぼーさんの説明を聞いて、みんなはいちようにキョトンとする。真砂子《まさこ》は顔色がなかった。このおそろしくプライドの高い霊媒《れいばい》は、いたく傷つけられてしまったようすだった。
「そんなはず、ありませんわ」
 真砂子の抗議する声は震《ふる》えている。
「霊がいるはずがありません」
「じゃあ、僕らが見たものはなんだと?」
「……わかりません。でも、それは霊じゃありません。ぜったいにちがいます」
 真砂子の眼に涙が浮かんだ。
「そうでなきゃ、あたくしは霊能力をなくしたことになります!」
 綾子《あやこ》が真砂子の背中を叩いた。
「霊には相性があるのよ。ここの霊はあんたと相性が悪いんだわ」
「……そんなこと……」
 真砂子は顔を両手でおおってしまう。
 綾子はその肩を押した。
「とにかく、相手の得体《えたい》がしれないんだからさ、夜は学校にいないほうがいいと思う。真砂子、帰ろう」
 真砂子はうつむいたまま、こっくりうなずく。
 あたしはひどく居心地が悪かった。まるで自分が真砂子の大切なものを横取りした気がして。真砂子はプロだ。しかも一流といわれた。これはさぞかしショックだろうと思う。 ナルは立ち上がった。
「綾子の言う通りだ。今日はこれまでにしたほうがいい」


四章 呪詛《ずそ》


     1

 その翌日。昼間とはいえ、あたしはなんだか気味の悪い思いで会議室にいた。みんなはまだ来ない。あたしは全員がやってくるのを待っていた。
 ドアがあいて、やっと来たかと思って振り向くと、顔をのぞかせていたのはタカと笠井《かさい》さんだった。
「あれ、今日もひとり?」
「みんなまだなの」
 あたしは妙にホッとする。あれはこの部屋に出たんじゃない。ナルに現《あらわ》れたんだと自分で言っておきながら、やっぱり信じきれないでいたから。
「まだって、もうすぐお昼だよ?」
「……うん。みんな疲れてるんだよ。あたしみたく、デスクワークしてるわけじゃないもん」
「ふうん……。仕事、はかどった?」
 あたしはあいまいに笑う。笠井さんは怪現象を自分のせいじゃないかと気にしてる。昨日の事件を話して、笠井さんに負担をかけたくなかった。
「お昼、食べた? よかったらいっしょに食べない?」
「……あ、あたしオベント持ってきてないの」
「だろうと思って」
 タカがナプキンの包みを差し出す。
「麻衣《まい》のぶんも作ってきたー」
「えーっ、うそっ! うれしー」
 ……きゃー、うるうる。
「へっへ。笠井センパイが、麻衣ってお昼ちゃんと食べてるのかな、って言ってたの。そう言えば、食べてるようすがないね、って話になって。で、今日はいっちょあたしが手作りのオベントを刺し入れしてみようかな、とか思ったわけ」
 う、うれしいよぉ。
「……いつもすまないねぇ」
「それは言わない約束よっ(ハート)」
「明日は、あたしが作ってくるから」
 笠井さんが笑う。
 
「……わるいよぉ、そんな……」
「いいって。それよかさ、昨日言い忘れてたんだけど」
 笠井さんはオベントの包みを開きながら、
「恵《けい》先生がさ、手伝えることがあったら言ってくれって。あたしも手伝うしさ、なんでも言ってよね」
「わお」
「感動してたよぉ。渋谷《しぶや》さんが陰陽師《おんみょうじ》だって話したら。やっぱ、一種あこがれあるもんねぇ」
「そうなの?」
「そうよぉ」
 タカが立ち上がっていきなり声をあげた。
「あたしはー、おぼーさんのほうがいいー」
 ハシを握《にぎ》って宣言すんなって。
「わーってるって。じつはミュージシャンも好きなんだろ?」
 あたしが突っこむと、
「うんっ」
「ベーシストだともっといいんだよね」
 笠井さんに言われても、
「うんっ(ハート)」
 はいはい。いいお返事だことで。

 三人で楽しくオベント食べて、食後にお茶をすすりながらバカ話をしてたところに、やっとナルのお着き。背後にリンさんを従えている。
「……笠井さん?」
「あ、こんにちは」
 彼女はナルに手をあげて、それからタカといっしょに立ち上

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