たしやタカは電話をとらないことになってる。何度もタカの家に電話をし、オフィスから戻ったタカをつかまえた。『どうしたの? 調査、進んでる? たいへんだよ、事務所の前まで新聞記者とか来て。所長の言いつけどおり、ノーコメントで通してるけど』 何も知らないタカの無邪気《むじゃき》な声。 「タカ……タカ!」 ああ、そんなことは重要じゃないの! 『……どしたの、麻衣?』 タカの声が不安そうになる。 「ナルは? オフィスに戻らなかった?」 『ううん。戻《もど》ってないよ。そっちにいないの?』 「いない。探してるの。ナルを止めなきゃ……」 言葉が途切れる。……どうしよう。 『わかった。所長がいないのね?』 タカがキッパリした声をあげた。事情なんて、何も説明してないのに。 『つかまえたいのね? あたし、今からオフィスに行く』 ……タカ。 『この際だ。あたし電話とるから。着いた頃に電話して。今夜は一晩じゅう、詰《つ》めてるから』 「……ありがとう」 もう一度あたりを探しまわって、時間を見計《みはか》らって電話をした。ナルはオフィスに戻っていない。タカがいない間に戻ったようもないと言う。 こんなときに、せめて自宅の連絡先を知っていれば。 絶望的な気分で受話器を置く。見上げる目線の先に真っ暗な校舎。会議室に灯りはない。みんなはどこに行ったんだろう。 あたしは夜の学校を見上げる。外灯に照らされた巨大なコンクリートの箱。点々とあいた暗い穴。所々に見える血のように赤い光は火災報知機のランプ。 「ナルを見つけなきゃ」 見つけて、止めなくては。 松山を見捨てろと言うんじゃない。誰《だれ》だって死んでいいわけがない。 でも、他に方法があるはずだ。なきゃ、いけない。 あたしは電話ボックスを出て、校門に近寄った。冷たく光をはじく。鋼鉄の門扉《もんぴ》。 「……残った四つの霊を」 門に手を触れる。 「除霊してしまえばいいんだ」 あいつらを消してしまえば。そうすれば。 あたしは腕に力をこめた。渾身《こんしん》の力で門をよじのぼる。上までのぼると一気に飛び下り、地面に足がつくやいなや、グラウンドを駆《か》け出した。
5
表玄関が開いていた。あたしはそこから校舎に入る。 あたし、何も持ってない。あたしにできるのは、チャチな退魔法だけ。なにもできるはずがない。 「……でも、やってみなきゃ、わからない」 そうだ、やってみなきゃ、わからない。 あたしは真っ暗な廊下《ろうか》をヒタヒタと歩く。自分の足音が廊下にこだまして、誰《だれ》かがつけてきている気分。 そんなの無視して、まっすぐ印刷室に向かった。ここに、まずひとつ……。 勇気を奮《ふる》い起こしてドアを開く。 開いたとたん、めまいがした。 置いてあったはずの機材はない。そして、床一面にたまった水。暗い光をゆらめかす。 空気が歪《ゆが》んでいる。いきなり吐《は》き気《け》がする。 あたしは一歩、中に踏《ふ》みこんだ。ズッと足が沈《しず》む。水を含んだスポンジでも踏んだみたいに。 印を結んで手を構えた。ド素人《しろうと》のあたしが、付け焼き刃《ば》の退魔法。 「ナウマク、サンマンダ、バザラダン、カン」 とたんに、ザワッと部屋の中で人の気配がした。 真っ暗な部屋。廊下から入る微《かす》かな光でかろうじて見える。天井《てんじょう》からしたたる水滴。部屋の向こう側の壁に、ほのかに浮かんだあたしの影。 「ナウマク、サンマンダ、バザラダン、カン」 ゴボッ。陰を含んだ音が足元からした。床の上、部屋いっぱいに広がった水たまり。おそらく水深五ミリもないそこに、白い泡《あわ》がたつ。まるで水の底にいる誰かが息を吐いたように。天井からしたたった水滴が、あたしの頬《ほお》にあたった。 「ナウマク、サンマンダ、バザラダン、カン!」 不動明王印を放って剣印を結ぶ。 臨《りん》。――横に。 再び水滴。頬に額《ひたい》に。 兵《ぴょう》――縦に。 ゴフッとすぐ足元で気泡があがった。水面が揺《ゆ》れる。部屋ごと揺すられているみたいに。 闘《とう》――横。 水滴が降る。雨のように。頬を髪を濡《ぬ》らしてすべり落ちる。足元が泡立つ。足が沈む。 者《しゃ》。――縦。 雨が降りかかる。肌をすべる水滴が生暖《なまあたた》かい。ふわっと臭《にお》い。ねばっこい。 皆《かい》。――横 正面の壁《かべ》に映ったあたしの影が、ふくれあがって動いた。あれはもう、あたしの影じゃない。微《かす》かな光を横切る水滴。間断なく降り注ぐ。 陳《じん》。――縦。 額《ひたい》に落ちた水滴がタラタラすべって、まぶたへ。ツッとまぶたをすべった瞬間、右目の視野が真っ赤に染まった。 烈《れつ》。――横。 一文字に動かした手が夜目《よめ》にも紅い。これは全部、この、糸をひくように降るものは全部、血だ! あたしは全身、血に濡れている。 在《ざい》。――縦。 壁に映った影があたしを振り向く。低く身をかがめて身構える。ゴボッともう一度音がして、足元に白いものが浮上する。白い人間の顔。鼻先だけを水面に出して。 「前《ぜん》!」 剣印を振り下ろす。 「消えろーっっ!」 ザフッと床一面があわ立った。足元から臘《ろう》のように白い人間が身を起こす。同時に壁に張りついていた影が壁から飛び立った。 あたしは足をとられながら飛び退《すさ》る。 「ナウマクサンマンダバザラダンカン!」 もう一度。できるまで、何度でも! あたしの肩先を、真っ黒なものが空を切る勢いで飛び過ぎる。目の前の視野いっぱいに、のっぺりした臘のような人影が立ちふさがる。部屋からあふれた血が、廊下《ろうか》へ流れ出ていく。 「ナウマクサンマンダバザラダンカン!」 ヌゥと目の前の人間が両手をあげた。おもわずまた一歩、後ろに下がる。 「ナウマクサンマンダバザラダンカン!」 逃《のが》れようとまた一歩下がったあたしの背後から突き出る手。後ろ!? 思う間もなく臘人形がのしかかってくる。 「臨!」 横一文字に空を切る。臘人形の胸が真一文字に切り裂《さ》かれてドウと落ちた。同時に後ろから伸びた手が、あたしの首をすくって引き倒す。 ――ああ、だめだ! やっぱり、あたしなんかじゃ!! 倒れる自分の視野が、血で真っ赤だ。 激しい勢いで引き倒されて、あたしは廊下《ろうか》側の壁に叩きつけられた。息が止まる。 「オン、キリキリ、バザラ、バシリ、ホラ、マンダ、マンダ、ウン、ハッタ!」 ガリッと堅《かた》いものをひっかく音。金色の光が廊下の床に一本の線を引く。 「ぼーさんっ!?」 金色の法具で床に線を描いたぼーさんが、あたしを振り返った。 印刷室からあふれでてくる血。ぼーさんがひいた線。その細い傷の中に吸いこまれるように消えていく。崖《がけ》を流れ落ちていくように。 有無を言わさず、ぼーさんがあたしの腕をつかんだ。そのまま抱えあげるように引き立てて印刷室の前を離れる。廊下の先には非常灯の碧《あおい》光。その下になつかしい顔。 ジョン、綾子《あやこ》、真砂子《まさこ》。 あたし、怖《こわ》かったよ。 放り出されるようにみんなのほうに突き飛ばされて、あたしは広げた綾子の腕の中に飛びこむ。綾子があたしを抱えたまま、床に転《ころ》がった。 「この……馬鹿《ばか》っ!!」 肩で息をしているぼーさん。あたしの前に仁王《におう》立ちになって。 「おまえ程度の退魔法で、太刀打《たちう》ちできる相手かっ! そんなに死にたいのか、大馬鹿者が!!」 ぼーさんに怒鳴《どな》られて、あたしは縮《ちぢ》みあがる。小さくなったあたしの背中を綾子がギュッと抱いた。 「……もういいよ。よかった、間にあって」 綾子の声があんまり優しいので、あたしは涙が出てくる。 「行きましょう。早く学校を出たほうがいいです」 ジョンがあたしと綾子を立たせる。真砂子があたしの腕の下に肩を入れた。きれいな山吹色の着物に赤いものがベットリとつく。 涙が止まらない。あたしは泣きじゃくりながら、みんなに抱きかかえられて暗い学校を出た。
4
ぼーさんの車で綾子《あやこ》のマンションまで連《つ》れていかれた。 ジャングルみたいに緑だらけの部屋に着くなり、風呂場《ふろば》に放りこまれた。鏡を見ると、血の池で泳ぎでもしたように全身が真っ赤だった。 頭からお湯をかぶって全身を泡《あわ》だらけにして。お風呂場の中も、名前のわからない鉢植《はちう》えだらけだった。綾子と観葉植物かぁ。なんだか似合ってない気がしておもしろい。 綾子が出してくれた服に着替えて風呂場を出ると、綾子は真砂子《まさこ》の着物のシミぬきをしていた。 「落ちついた?」 「……うん。ごめん」 綾子はシミぬきに使っていた布をジョンに渡すと、キッチンに立った。ホット・ミルクを作ってくれる。ちょっとお砂糖が入って、かすかにお酒の匂《にお》い。カップを渡してくれた綾子かも、床に座《すわ》って煙草《たばこ》をふかしているぼーさんも血だらけだ。 綾子はバスタオルをとると、あたしの頭にかぶせてクシャクシャやる。 「寿命《じゅみょう》が縮んだわよ」 「こめん」 「……ったく。短気で無思慮なんだからっ」 ……うん。 「アタシたちにできないものが、あんたにできるわけないでしょーがっ」 ……はい。 「麻衣《まい》さんのキモチはわかりますけど、あれはもうどうにもなりませんです」 ジョンが柔らかな声で言う。あたしは綾子にゴシゴシ髪をふかれながら、カップの中のミルクが揺《ゆ》れるのを見ていた。 「……とにかく、無事でよかったです」 ひょいとぼーさんが立ち上がる。 「悪ぃ、風呂借りるぜ」 「いいけど、汚さないでよね」 「着替えがあるとうれしーんだがなー」 「男物の服なんてあるわけないでしょ。毛布でもかぶってれば?」 「へいへい」 ヒラヒラ手を振るぼーさんは、頭からバケツで血をかぶったようなぐあい。 「ぼーさん」 あたしはその、真っ赤になった背中を呼び止める。 「ありがと。……ごめんね」 ぼーさんは笑う。すかさず綾子が、 「なにニヤケてんのよっ、ジェイソンみたいなナリで」 クスッとジョンがふきだした。たしかに、返り血を浴《あ》びた殺人気みたいだ。 「こら、麻衣まで笑うんじゃねぇ」 それでも、ぼーさんが風呂場に消えると、思わず大笑いしてしまったあたしたちだった。
グダグダつまらないことを話し合って(それは本当に幽霊《ゆうれい》も怪現象も関係ない、くだらない会話だった)、そのままいつの間にか寝こけてしまったあたし。 翌朝は綾子に起こされた。 「麻衣……行くわよ」 声をかけられて眼が覚《さ》める。 「学校?」 すでに身繕《みづくろ》いをすませた綾子がうなずく。ぼーさんもジョンも真砂子も、すでに出かける準備ができていた。みんな、そもそも寝たんだろうか。 「最後まできちんと見届けたいじゃない。蟲毒《こどく》が完成するまで、時間はあまりないと思う。だとしたらたぶんナルは、今日にでもやるはず」 「――うん」 あたしは重い身体《からだ》を起こした。 ナルは呪詛《ずそ》を返す。呪詛をおこなった学生たちに……。
7
朝の、シンと静まり返った学校。 構内に入るなり、あたしたちは少し驚く。 「まったく、人の気配がない――」 ぼーさんが校舎を見上げた。まるで休日のよう。 「ナルはどこかしら」 綾子《あやこ》の声に、 「さてな。とにかく会議室に行ってみるか」 「教師に見つかったら、つまみ出されるんじゃない?」 「そんときゃ、そんときさ」 あたしたちはそっと玄関に近づく。玄関の脇には事務室。そこにも人影はない。 「どういうことだ?」 ぼーさんがあたりを見まわす。眼の前には体育館。ふいにそこに近づくと、下のほうにある明りとりの窓をのぞきこむ。 「……ここだ」 ひそかな声。あたしも身をかがめて中をのぞきこんだ。体育館の中には学生たち。どうやら全校朝礼の最中らしい。窓が閉まっているせいか、中の物音は聞こえない。整然と並んだ学生の姿が見えるだけだ。 「行きましょ、今よ」 綾子にうながされて、あたしたちは玄関にかけこんだ。 玄関脇の階段を上がって三階へ。会議室の前まで来て中をうかがう。そっとドアを開けてのぞきこむと、ナルとリンさんの姿が見えた。 「よぉ」 ぼーさんがドアを大きく開く。ナルは振り返って眉《まゆ》をひそめた。 「何をしにきたのかな?」 「どーゆー按配《あんばい》かと思ってさ」 「手伝ってもらうことはないんだが?」 「単なるギャラリーってやつだ」 「見せ物ではないんだがな」 ナルは溜《た》め息《いき》をつく。リンさんは机に向かったまま、顔もあげない。机の上にはろうそくと金属でできた平らな鉢《はち》。その中には白い紙に漢字をかきつけたお札《ふだ》。香炉《こうろ》からは微《かす》かに不思議な香りのする煙《けむり》がたなびいていた。背筋を伸ばしてイスに座《すわ》ったままピクリとも動かない。その手にはまっすぐに金色の刀が握《にぎ》られている。 リンさんは呪詛《ずそ》を……このあまりに大がかりな呪詛を、呪者《じゅしゃ》に返そうとしている。呪者。ヲリキリさまをやって霊を呼びだした全ての学生。……もちろん、安原《やすはら》さんも。 ふっとリンさんが息をついた。 あたしは意味もなく身体《からだ》を震わせた。それがなんだか作業がひとくぎりした。合図《あいず》に思えて。 「リンさん、やめて!」 あたしは思わず叫《さけ》んでいた。 「お願い、ナル、やめさせて!」 ナルのピシャリとした冷たい声。 「まだそんな、馬鹿《ばか》なことを言っているのか」 「馬鹿じゃない! 誰《だれ》も悪くない! みんな松山《まつやま》を呪い殺そうとしたりしてない!」 ナルの冷たい眼があたしを見据える。 「出て行け。邪魔《じゃま》だ」 「やだっ!」 あたしはリンさんの肩に手をかける。 「お願い! リンさん、やめて!!」 リンさんは薄く眼を閉じたまま、身じろぎもしない。あたしの手をナルがつかんだ。 「出て行け」 「やっ! みんないるんだよ、体育館に。なんにも知らないんでしょ? 自分たちが何をしたか、自分たちに何が起こるか」 ナルが有無をいわさずあたしの手を引っ張って、会議室から引きずり出す。 「ナル、ちょっと、やめさないよ、乱暴な」 綾子が制す。その肩をも突いて、 「全員、外へ出ろ! リンの邪魔《じゃま》をするな!」 「ちょっと、ナル」 ナルは、暗い闇の色の視線であたしたちをながめわたす。 「全員、外へ出ろと言っている」 最初に真砂子《まさこ》が動いた。次いでぼーさんが。次にはジョンと綾子が。あたしはひとりでその場にふんばる。そのあたしの腕を抜けるほど引っ張って、ナルがあたしを会議室から引きずり出す。 「ナルっ! どうしてよっ! なんで松山は助けて、みんなは見殺しにするの!? みんな悪気なんてなかった、松山を呪《のろ》う気なんてなかったのにっ!!」 あたしの言葉なんか、氷のような無表情で無視する。無理矢理《むりやり》外へ引きずって、部屋から放り出すとドアを閉めてその前に立ちはだかる。 「冷血漢」 ナルは答えない。 「みんなは何も知らないで呪詛《ずそ》に手を貸したかもしれない。松山を殺そうとしたかもしれない。でも、そのみんなを殺そうとしてる、あんたはなによっ」 無反応。 「人殺し。事件が解決できれば、あとはどうなってもいいんだね」 吐《は》き気《け》がするくらい綺麗《きれい》な無表情。 「誰《だれ》が死のうと泣こうと、どうだっていいんだね」 「麻衣《まい》」 なんの反応もないナルの代わりに、ぼーさんがあたしの肩を叩いた。 「もうよせ。しかたないんだ」 「しかたなくなんか、ないっ!」 もしも呪詛が返ったら、みんなはどうなるの? 岡村《おかむら》さんは、その友達は、荒木《あらき》さんは、友達は、宮崎《みやざき》さん、友達、三-一の人たち。……安原さん……。 そんなこと、しちゃだめなんだ! 「……麻衣」 「いやっ!」 ナルはまったくなんの感情も浮かべない。平然とした声で、 「ぼーさん、麻衣を連《つ》れていってくれ」 「ああ。――さあ、麻衣」 「やだってば!」 身をよじるあたしを抱えて、ぼーさんは会議室を離れる。 いやだ、いやだ、いやだ! こんなことしちゃ、いけない。ぜったいにいけない! ぼーさんはあたしを階段まで連れていって無理矢理座《すわ》らせる。 「ぼーさん、止めて! やめさせてっ!」 パンと軽く頬《ほお》をぶたれた。 「ナルを信じろ」 ……ぼーさん。 「ナルが俺《おれ》たちの期待を裏切ったことがあるか?」 「……だって」 「あるか?」 「……ない……」 「だったら信じろ。だいじょうぶだ」 「でも」 「あの中には安原少年だっているんだ。俺が心配じゃないと思うのか」 ぼーさんの真剣な眼。あたしをのぞきこむ悲しい色。 「……うん……」 「いい子だ」 あたしは自分の膝《ひざ》に顔を埋《う》めた。パタパタ落ちた涙が、スカートに染《し》みて足を濡《ぬ》らした。あたしの頭をぼーさんがクシャクシャなでてくれた。
どのくらい、そうしてたろう。 ふいに背後でざわめきが起こった。人の気配。口々に話す声。思わず腰を浮かす。 振り返ると、ナルたちが廊下《ろうか》を曲がってくるところだった。 「終わったの? 本当に?」 綾子がナルに問い正す。 「ああ」 ナルの返答を聞くやいなや、あたしは階段を駆《か》け下りた。 「麻衣!」 ぼーさんの声。立ち止まっていられない。 終わったの? じゃあ、みんなは? 体育館にいたみんなは!? 飛び下りる勢いであたしは階段を駆け下りる。玄関に飛び出すと、体育館に走った。後ろから誰《だれ》かが追いかけて来る足音。呼び止める声。 あたしは体育館にかけより、重い鉄製の扉《とびら》に手をかける。力任せに引き開けた。
…………。 …………。 ……これは……なに!? あたしは呆然《ぼうぜん》と体育館の風景に見入る。 体育館の床《ゆか》を埋《う》めつくして整然と散らばる……人形の群れ。 「……だって、さっきは」 あたしはつぶやく。 だって、さっきは人間がいた。たしかに学生が並んでいた。 あたしは踏《ふ》みこむ。足元の人形を拾いあげようとする。人の形に板を切って、そこに札をはった人形。指でふれると、ボロリと腕の部分がもげて落ちた。 落ちた破片《はへん》を、横から伸びた白い手が拾った。 「……ナル」 ナルはその破片を見つめる。すぐに視線をそらして、あたりの人形を確認する。 どの人形もどこかしら壊《こわ》れている。そのように見える。 「ナル……これは」 ぼーさんがうわずった声を出した。 ナルがぼーさんにうなずく。 「人形を確認してくれ。壊れていないやつを集めるんだ」 「……ああ」 ぼんやりと、安心してもいいのかな、というように複雑な表情をするぼーさん。 「松崎《まつざき》さん、原《はら》さん、……麻衣」 「――はい」 「手分けして、壊れてない人形の名札を調べて電話してくれ。名札に名前が書いてある。名簿で調べて電話をして、安否をたずねる。事務室の電話を使ってくれ」 「……はい」 それと同時にぼーさんとジョンが、猛然と人形の群れの中に突っこんだ。 ……まさか、これは。 いつかナルが使った人形。リンさんが作ったと言っていた。人に見立ててその身代わりとして使う。 人形に恨みをこめて釘《くぎ》を打てば、相手を呪《のろ》い殺す道具として使える。そのかわり。 病気の部分におしあてて病気を移し、水に流して清めれば、病気を治《なお》す道具として使える。 身代わり……。 これが返った呪詛《ずそ》を、学生たちの身代わりになって引き受けてくれたんだ。 このおそらくは学生の人数分である、人形が。
8
事務室から電話をした結果、人形が無傷で残っていて、身体《からだ》に異常のあった学生はひとりもいなかった。 「なにか異常はありませんか? ……ないんですね?」 あたしは、最後のひとりの学生の家に電話をかける。 「つかぬことをうかがいますが、学校ではやっていた、ヲリキリさまという遊びをしましたか? ――はい。ああ、やってないんですね。わかりました。ありがとう」 電話を切る。 真砂子《まさこ》と綾子《あやこ》があたしを見つめる。 「だいじょうぶだって」 綾子が手を打った。 「やった!」 ヲリキリさまを――呪詛をやった子に返るはずだった呪詛は、全部人形が引き受けてくれた。その結果人形はどこかしら壊《こわ》れ……壊れなかったのは、呪詛にかかわらなかった学生のものだけ。 綾子があたしに抱きついてくる。 「よかった、よかったね、麻衣《まい》」 「うん……」 あたしたちは、おたがいをパタパタ叩きあった。 「どうでしたか?」 ジョンが事務室に顔を出す。 「だいじょうぶっ! 全員無事!!」 パッとジョンが顔を輝かせた。 「だいじょうぶですて」 やってきたぼーさんを振り返る。ぼーさんはうなずいて、事務室の中に入ってきた。胸になにか抱えている。 「麻衣……」 立ち上がって迎えるあたしに、ぼーさんは腕の中のものを差し出す。 どこかしら壊《こわ》れた人形。名札が読める。「荒木梢《あらきこずえ》」「岡村和美《おかむらかずみ》」「宮崎雅代《みやざきまさよ》」……「安原修《やすはらおさむ》」。 ……みんなだいじょうぶだね。人形が引き受けてくれた。無事なんだね……。 受け取った人形をそっと抱く。あたしの頭をぼーさんがかきまわした。
あたしは事務室を飛び出す。 ナルはどこだろう。 体育館をのぞく、あたりを見まわす。 ……いた。 ひとりでグラウンドをながめている。 あたしは駆《か》け寄る。 「ナル!」 振り返るのは、いつもどおりの綺麗《きれい》な無表情。 「どうだった?」 「全員、無事。みんなヲリキリさまはしてないって」 「そう」 口元に微《かす》かに満足そうな笑み。 「人形が……身代わりになったんだね?」 「よく、わかったな」 ……むっ。わかるとも、それくらい。 「今日、学校は?」 「校長にたのんで、休校にしてもらった。全員家に待機《たいき》しているように言って」 そっか。 「よく校長がウンと言ったね」 「松山《まつやま》がこっちの味方をしてくれたからな」 ……ナルホド。 「ね、人形が身代わりになるんだったら、松山の人形を作るのじゃいけなかったの?」 あたしはナルの脇に立つ。 「四つのものが一人に向かうのと、六百人に向かうのと、どっちが安全だと思う?」 ……そうかぁ……。 「……言ってくれれば、よかったのに」 人形に転嫁《てんか》……振り替えるつもりだったのなら、そう言ってくれれば。 「転嫁は難しい。いくらリンでも全員助かるとは断言できないからな」 「……だって」 あたし、ナルにひどいことを言った。あやまらなきゃ、いけない。嫌《きら》いなんて言ってゴメン。 ……ううん。嫌いだ。あたし、ナルなんて嫌い。すこしもあたしのことを安心させてくれないとこ。言ってくれたらよかったのに。せめて、「できるかぎりのことはするから、信じてくれ」って言ってくれたら。何があっても信じていられたのに。安心していられたのに。 「……悪かった」 え? ナルの横顔。とても綺麗《きれい》な。 「ずいぶん酷《ひど》いもの言いをした。すまない」 ……ナル。 「麻衣はすぐ他人にのめりこむから……。つらかったろう、悪かった」 …………。 涙が出そうだ。大声で泣きたい。悲しいのかうれしいのか、自分でもよくわからない。 だから、ありったけの声を張り上げた。 「ずるいっっっ!!」 「……は?」 キョトンとするナル。 「あたし、あやまろうと思ってたのにっ! 先に言うなんて絶対にずるいっっっ!!」 「あのな……」 「ナルってば、そーやっていっっもオイシイとこばっかとってくっ! ずるーいっっ!」「こら」 「だって、ずるいもんっ」 ナルはあきれたような顔をする。白い手がのびる。あたしのオデコをピンとはじいた。 そうして微《かす》かに笑うと、事務室のほうへ行ってしまった。あたしはその猫《ねこ》のようにひそやかな足音を、とてもあたたかい思いで聞いていた。
「……焼き捨てて浄化《じょうか》してしまいましょう」 リンさんが体育館の中に積み上げた人形の山を見つめる。ナルがうなずいた。 「そのほうが安全だな。――ぼーさん、頼む」 「あいよ」 あたしたちが人形を集めている間に、校庭の片隅でぼーさんが護摩《ごま》を積み上げた。その上に人形の山を作る。 ぼーさんが火を放った。炎《ほのお》はすべてをのみこんで天を焦《こ》がすように見えた。
エピローグ
まいど、まいど、東京。渋谷《しぶや》。道玄坂《どうげんざか》。 『渋谷サイキック・リサーチ』。そのオフィス。――の下の喫茶店。 今日は慰労会《いろうかい》なのだ。うちあげと言うか、かつてないほど厳しかった事件のぶじ解決を祝って。 ええ、いちおう、ナルとリンさんにも声はかけたんですけどね。来るわきゃないよなぁ。あのふたりが。 「今回の、がんばったで賞は麻衣《まい》かな、やっぱり」 ぼーさんの声に綾子《あやこ》が笑う。 「無謀《むぼう》でしたで賞、のまちがいじゃない?」 「言えてる!」 冷たい声を出したのは、タカと千秋《ちあき》センパイ。そして、安原《やすはら》さん。 「……あーんな無謀なことをするなんてっ! 麻衣ってばなに考えてるのっ!」 タカに怒鳴《どな》られ、 「そうそう。もうちょっと自分を大切に……と言うか、身のほどをわきまえて、と言うか……」 千秋センパイにお小言をくらい、 「ですよね。話を聞いて寿命が縮《ちぢ》みました。あんなことをするとわかってたら、鎖《くさり》でつないどいたのに」 安原さんにまで言われ。 「……あたしは犬か?」 言い返してみたら、全員の声。 「そうっ!」 ……そんな、力をこめて言わなくたって……。 「麻衣ってば、身のほどをわきまえずに、誰《だれ》にでも吠《ほ》えかかるから」 綾子が言えば、真砂子《まさこ》が、 「あら、逆ですわよ。相手かまわずじゃれかかるんですわ」 「それは、言えてる。よくいるじゃねぇか。泥棒《どろぼう》見ても吠えずに尻尾《しっぽ》ふる、とほーもなく人なつこい犬」 ぼーさんってばひどい、しくしくしく。 そういえば、とジョンが安原さんを振り返る。 「……あの一年生の慰霊祭があったんですって?」 安原さんがうなずいた。 「ええ。全校で。……学校では、彼のタタリだってことになってますから。生徒会の主催でやって……やっと僕《ぼく》も引退できたし」 「そっか、安原少年は三年生のブンザイで生徒会長やってたんだっけか」 ぼーさんの言葉にちょっと不満気。 「そうですよ。入試のまっただ中なのに、もー。次の生徒会長候補がいなかったから。ま、なんとかなりましたけど」 あたしは聞いてみる。 「松山《まつやま》……なにか言ってきた?」 ワビを入れる、とかなんとか。 「なにも。でも、いちおうなにか考えてはいるんじゃないかな。慰霊祭のときもたいしてモンク言わなかったし」 「たいして……ってことは、ちょっとは言ったわけ?」 「言ってたよ。やっぱ、あの年になるとね、そう簡単に変わったりしないよ。なにがあろうとね。大人《おとな》ってそういう生き物だから」 ……うん。そうかもなぁ。 ぼーさんがストローの袋を安原さんに飛ばす。 「少年たちは、そういうオトナにならないようにしなさい」 「おや、もう大人のような口ぶりですね」 「老成したミリョクを感じるだろ?」 「そうですね(ハート)」 あのー、もしもし? 「ハートマークを飛ばすなよ、おめーは」 「うれしいでしょ(ハート)」 ……うくく。ぼーさん、また安原さんに遊ばれてやんの。 「でも、安原少年、あのあとびびったろ?」 「ああ、呪詛《ずそ》を返すって言われたあと?」 「そ。潔《いさぎよ》いと言ってたけどさー。ここだけの話にしてやるから」 ぼーさんに言われて安原さんは天井《てんじょう》をにらむ。 「でも、僕、信じてましたから」 「誰《だれ》を?」 ぼーさんの質問。しんとみんなが安原さんを注目する。 「自分を」 ……あらあらあら。 「――だってこの若さで死ぬほど悪いこと、した覚えないですから」 ……ま、そりゃそうでしょうが。 「ここだけの話ですが、何があっても自分だけは助かるはずだという、確信がありました」 「……お前さんは長生きするよ」 「むろん、そのつもりです」 きっぱり言われてぼーさんが頭をかかえる。 ま、安原さんのほうが役者が上だわね。 笑ってると、つんつんと服を引っ張られて、タカが首をかしげている。 「麻衣は?」 「あたし?」 「だからー、最後に除霊に行ったとき。これで死ぬかもと思わなかったの?」 …………。 千秋センパイが、 「恐怖感に正義感が打ち勝った、というやつじゃないの?」 ……あう。 「ちがうと思うな。谷山《たにやま》さんの場合……」 行ったのは安原さんだ。そして、申しあわせたように全員が、 「何も考えてなかった!」 ――そうですともっ! あたしはなにも考えてませんでしたよっ! どーせ、身のほどを知りませんよーだっ。 ぼーさんの感心したような一言。 「ま、この中でいちばん長生きするのは麻衣だな」 「言えてるー」 「だよねー」 人をサカナにして笑ってればぁ? はいはい。どーせあたしは長生きしますよ。 そうよ、長生きしてやる。核戦争が起ころうが、恐怖の魔王が降ってこようが生き延びて、長生きしてやるっ! 人類が滅亡《めつぼう》してあたしひとりが生き残ったら、労せずして地球の支配者よっ! 夕陽を背に高笑いしてやるわ。 谷山麻衣、十六歳。カンが当たろうとどーしようと、あいかわらず地位の向上しない、薄幸の少女であった。 ……ってか。 ちぇっ。
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